一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『ふたりの桃源郷』 ……“生きるということ”とは何かを教えてくれる傑作……

2016年08月05日 | 映画


7月31日に、福岡のKBCシネマへ『若葉のころ』を見に行った時、
〈せっかく福岡に行くのに、一作だけでは勿体ない〉と、
佐賀県での上映予定のない作品をもう一作見たいと思い、
同じKBCシネマで見たのが、本作『ふたりの桃源郷』だった。


山口県のローカル放送局・山口放送が、
ある夫婦と彼らを支える家族の姿を、
1991年から足かけ25年にわたり追いかけたドキュメンタリーで、
ついでに見た映画ではあったが、
感動の連続で、本当に見て良かったと思った。



山口県岩国市美和町の山奥で暮らす、
田中寅夫さん・フサコさん夫妻。


二人が、電気も電話も水道も通っていないこの山で暮らすのには、
ある理由があった。


大阪で出逢った二人は、
1938年、寅夫さんが24歳、フサコさんが19歳のときに結婚。
まもなく、フサコさんを残し、寅夫さんは戦地へ。
終戦を迎え、無事に戻った寅夫さんが選んだ道は、
〈食べてゆくだけのものは、自分で作る〉
というものであった。


1947年、フサコさんの故郷に近い山を買い、夫婦で一から開墾する。
親兄弟を呼び寄せ、賑やかな日々を送った。


しかし、山暮らしを初めて14年後の1961年、
家族は山を離れることになる。
子供たちの将来を考えて、高度経済成長に沸く大阪へ出たのだ。
個人タクシーを営み、子供たちを育て上げ、
やがて孫に囲まれた生活を送るようになる。
そして、寅夫さんが65歳になったとき、
〈残りの人生は、夫婦であの山で送ろう〉
と決意し、1979年、山へ戻る。


畑でとれる季節の野菜、
窯で炊くご飯、
湧き水で沸かした風呂……


かけがえのない二人の時間に、やがて「老い」が静かに訪れる。


山のふもとの老人ホームに生活の拠点を移した後も、
山のことが心から離れない二人。
離れて暮らす家族の葛藤と模索。
そして、寅夫さんが亡くなり、
数年後にフサコさんも亡くなる。
寅夫さん・フサコさん夫婦亡き後、
残された家族に〈芽生えた〉ものとは……



山口県岩国市といえば、
どちらかというと「基地の街」というイメージがあり、
普通に考えると、奥深い山があるようには思えない。
かつては私もそう思っていた。
その考えに変化が生じたのは、
2011年に、岩国市錦町へセツブンソウを見に行ってからである。
セツブンソウの本州南限は、それまで広島県の庄原市総領町とされてきたのだが、
2009年、山口県の岩国市錦町で、セツブンソウが発見された。
岩国市錦町では、
「セツブンソウの自生地にほぼ間違いない」
ということで、
2010年に、一日だけ(2月13日)の限定公開をした。
その自生地が私有地ということもあり、
「岩国発の指定された時刻の錦川清流線に乗って来た人だけ」
という条件付きでの公開であったが……
翌2011年にも2日間だけの公開があり、
私は、岩国市錦町へ出掛けたのだった。
岩国駅から錦川清流線の電車に乗って、
錦川に沿って錦町まで続く美しい風景を車窓から楽しんだのだが、
その奥深い山々の風景に驚かされもしたのだった。
岩国市は広くて、背後に険しい山々を抱えていることを、
私はそのときに初めて知ったのだった。
美和町は錦町の隣町なので、
だから、このドキュメンタリー映画の舞台となる岩国市美和町の様子は、
その経験から、おおよそは想像することができた。
かつて行ったことのある場所から近いこともあって、
どこか懐かしさを感じながら映画を見ていたのだった。


カメラが静かに捉え続けた、
電気も水道もない山で暮らす夫婦と、
離れて暮らす家族の姿は、
これから「老い」を迎える私の心を掴み、離さなかった。


「生きる」とは何か?
「人生」とは何か?
「結婚」とは何か?
「夫婦」とは何か?
「家族」とは何か?
「老い」とは何か?
様々な「問い」に対する、
「答え」というより「ヒント」が散りばめられているような気がした。


この映画『ふたりの桃源郷』の優れているところは、
主人公となる夫婦だけを追ったものではなく、
その子供たちにも目を向けている点にある。
長女・西川博江さん、


二女・大田悦子さん、


三女・矢田恵子さん、安政さん夫妻の、


寅夫さんとフサコさんを思う気持ちまで、撮っている。
家族旅行に帯同し、
山を下りて一緒に生活するように説得する姿や、
孫たちを連れて山へ会いに行く姿も撮り、
親を思う気持ち、
子を思う気持ちを、
見事に映像化しているのだ。


山口放送のクルーも、このドキュメンタリーを撮り始めた当初は、
「老夫婦が子どもたちに頼らず、山のなかで自給自足的な生活をしている」ところを撮りたいと思っていたらしい。
だが、「自立」していた寅夫さん、フサコさんも、
身体の衰えから、これまでのような生活を続けることが難しくなっていき、
撮影を止めざるをえなくなったとのこと。
7年間のブランクを経た後、
その後の15年間を撮影することになった佐々木聰監督は語る。

ぼくが山口放送に入社したのは、先輩がカメラを置いた直後でした。配属先はドキュメンタリーの部署。これまで撮影された映像を見るなかで、先輩の作品もいいなあと思ったのですが、それ以上ではありませんでした。それから5年後、同じ映像を見る機会があり、「このおじいちゃん、おばあちゃん、この生活は続けていないよなあ、でも会いたいなあ」と思い、2人に会いに出かけたのです。
ぼくが見た映像とは違い、日々の生活を営むのも大変そうでした。たとえば薪割りも、慣れている大人なら1分もあれば8つに割れるのに、寅夫さんは15~20分もかかる。それでも作業を止めないんですね。しかも、「ふんッ」と言って斧を下ろすと、見事に割れる。そして、ぼくが見た映像で語っていることと同じ話をする。すごいと思いました。この夫婦はどうしてこの生活にこだわっているのか。それが知りたくて、取材を繰り返したのです。先輩も「自分の思うように撮ればいい」と承諾してくれました。
ぼくは自分の祖父母を亡くした直後でした。生前、車で1時間ほどの距離に住んでいても、忙しさにかまけて顔を見せることができなかった。そんな悔いがあったのだと思います。ぼくの祖父も(寅夫さん同様)戦争に行っていたので、その世代特有の雰囲気が感じられたことも魅かれた理由でした。


このドキュメンタリーは何度もテレビ放映されており、多くの視聴者から感想や意見をいただいているのですが、感動するところ、共感するところ、好きなところがバラバラなんです。林道のシーンだったり、マツタケが採れたシーンだったり、お風呂のシーンだったり。そして、それらのシーンが好きな理由も、亡くした祖父母を思い出したとか、遠く離れて暮している家族やきょうだいについて考えたとか、それこそ見た人の数だけありました。
それは取材する側も同じで、ぼくも、カメラマンも、音声も、魅かれるところが違う。撮影を終え車に乗って山を下りる際、2人はぼくらが見えなくなるまで手を振ってくれるのですが、その後、車内で煙草を一本吸い終わったくらいの時間が経つと、各自が口を開き始めるんです。カメラマンの2人は亡くなったお父さんの話をしたがりました。ですから、この作品に物語の起承転結をつけてはいけない、ここに感動してほしいなんて意図的な演出をしてはいけない、山で感じたことをそのまま伝えよう、と思ったのです。



監督の思いは、本作に反映されている。
見る者に、同じ結論を強要してはいない。
映画を見る者は、
それぞれに感動する場面は違うし、
見た感想も、
「人生」「夫婦」「家族」「老い」などに対する考えも、
きっと異なっていると思う。
それぞれに考える場を与えてくれるのが、
このドキュメンタリー映画『ふたりの桃源郷』の優れている点だ。


吉岡秀隆のナレーションも秀逸。


本作も上映館が少ないが、
機会がありましたら、ぜひぜひ。

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