寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

今橋を渡り川崎町に入る

2008年10月12日 | 

「今橋」から船溜まりを望む。ここは昭和初期まで旧笙の川の河口だった。今橋西詰は江戸時代「茶町」と呼ばれ、茶問屋・宿・料理屋があり寛文年間(1661~1673年)に最も栄えた。明治7(1874)年、「池子町」と合わせて「川崎町」になった。

享和2(1802)年建造の「荘山の高灯籠」

敦賀観光ホテルの前庭にある「高灯籠」を見に行く。元々は洲崎に住む船頭庄山清兵衛が屋敷内に建造したものだ。橋の袂まで戻り「大黒屋化粧品店」の斜向かいに赤壁の建物を見つけた。


「千鳥湯」

洒落た窓の竹細工から一瞬「遊廓」かと思ったが、古くから営業を続ける「千鳥湯」という銭湯だった。敦賀城の御堀跡と言われる闇加川の北にかつて「池子町」、南に「十軒町」があった。

闇加川でサギを見た

「茶町」の絶頂期、「十軒町(現在の結城町)」に娼家戯場があったと『敦賀志』に記されている。

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博物館通りを西へ

2008年10月12日 | 

相生町の「清明神社」は古くから防火の神として町の人に信仰されたが、米軍の無差別爆撃によって焼け落ちた。陰陽師・安倍清明が正暦年間(990~994年)にこの境内で修行を積んでいたと伝えられる。

「敦賀市立博物館」

重厚な石造りの建物が神社のすぐ近くにある。昭和2(1927)年竣工の旧大和田銀行本店は現在「敦賀市立博物館」になっている。博物館の前の道は「博物館通り」とも呼ばれ、毎月第3日曜日に「清明の朝市」が開かれる。

「敦賀酒造」

通りを西に進み戦災を辛うじて免れた一角をじっくり見た。どん突きにある木造家屋が「敦賀酒造」だ。ここから北に進路をとり「船溜まり」を目指した。

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