大日本帝国陸軍・歩兵第四十一聯隊の兵営は現在の福山市緑町(緑町公園及びココローズなど)にあった。大田さんの力作には聯隊の関係者の手記がまとめられており珍しい写真も多数掲載されている。緑町公園内に残る石柱は「将校集会所の通用門の門柱」ということを初めて知った。
兵営の跡には国立の広島大学ができたのだが、聯隊の歴史を後世に伝える仕事を放棄したという新事実には驚くとともに少し呆れた。また大田さんが指摘する市政の問題点についてはその通りだと思う。
戦友会としては、昭和五三年三月二六日に兵営北側の陸軍病院跡地に「福山歩兵第四十一連隊跡」の碑を建立しました。揮毫は山田鉄次郎第十九代連隊長です。残念ながら山田元連隊長は碑の完成を待たず、昭和五一年九月一四日に亡くなられました。
しかし、建てられた場所は正確には連隊の跡地とは言えません。ここに建てた理由は、当時、兵営跡地にあった広島大学が構内に記念碑の設置を認めなかったからと聞いています。…
広島大学が西条に移転して二〇年以上経ちますが、いまだに本来の場所に移設する動きは無く、記念碑は誤ったメッセージを発信し続けています。市制施行百周年を機に緑町公園に移設してはいかがでしょうか。
福山市は戦後、「ばらのまちづくり」を進めて来ました。昭和三二年に福山空襲の焼け跡に千本のばらを植えた(現在のばら公園)ことから始まり、連隊の跡地にも大きなばら花壇「ローズヒル」が完成して、現在は「百万本のばらのまち」を目指しています。ばらは戦後復興のシンボル、平和の象徴を位置付けられ連隊跡地の「緑町公園」をメイン会場として、毎年盛大な「ばら祭」りが開催されています。
しかし、ここに集う市民の一人でも、かつてこの地で訓練を重ね出征していった四一連隊の将校に思いを馳せている人がいらっしゃるのでしょうか。単なるお祭り騒ぎに思えてなりません。どうも「ばらのまちづくり」には重みが感じられません。
…私達はそのような歴史を継承することなく「平和」という観念的な想いを唱えるだけになってしまったため、福山市のばらのまちづくりに「重み」が増してこないのではないでしょうか。
まもなく福山市は市制施行百周年を迎えますが、本書の執筆にあたり痛切に感じたことは四一連隊あっての福山市という歴史を忘れてはならないということです。戦死した多くの英霊に応えるためにも、私達はいつまでも慰霊の気持ちを忘れることなく、また世界平和の実現に向けて行動しなければなりません。その気持ちを永遠に持ち続けたいと思います。(終)
今が旬の塩村問題と密接な関係がある極左反日恫喝団体が福山の評価をすこぶる下げてきた黒歴史と合わせて市民一人一人が考え(反省す)る必要がある。得手勝手にタブーを作り上げては飯の種にする輩の横暴を決して許してはいけないのだ。言論の自由を勝ち取るために戦う市民が増えれば、まともな市に変わることができるはずだ。
にほんブログ村
兵営の跡には国立の広島大学ができたのだが、聯隊の歴史を後世に伝える仕事を放棄したという新事実には驚くとともに少し呆れた。また大田さんが指摘する市政の問題点についてはその通りだと思う。
戦友会としては、昭和五三年三月二六日に兵営北側の陸軍病院跡地に「福山歩兵第四十一連隊跡」の碑を建立しました。揮毫は山田鉄次郎第十九代連隊長です。残念ながら山田元連隊長は碑の完成を待たず、昭和五一年九月一四日に亡くなられました。
しかし、建てられた場所は正確には連隊の跡地とは言えません。ここに建てた理由は、当時、兵営跡地にあった広島大学が構内に記念碑の設置を認めなかったからと聞いています。…
広島大学が西条に移転して二〇年以上経ちますが、いまだに本来の場所に移設する動きは無く、記念碑は誤ったメッセージを発信し続けています。市制施行百周年を機に緑町公園に移設してはいかがでしょうか。
福山市は戦後、「ばらのまちづくり」を進めて来ました。昭和三二年に福山空襲の焼け跡に千本のばらを植えた(現在のばら公園)ことから始まり、連隊の跡地にも大きなばら花壇「ローズヒル」が完成して、現在は「百万本のばらのまち」を目指しています。ばらは戦後復興のシンボル、平和の象徴を位置付けられ連隊跡地の「緑町公園」をメイン会場として、毎年盛大な「ばら祭」りが開催されています。
しかし、ここに集う市民の一人でも、かつてこの地で訓練を重ね出征していった四一連隊の将校に思いを馳せている人がいらっしゃるのでしょうか。単なるお祭り騒ぎに思えてなりません。どうも「ばらのまちづくり」には重みが感じられません。
…私達はそのような歴史を継承することなく「平和」という観念的な想いを唱えるだけになってしまったため、福山市のばらのまちづくりに「重み」が増してこないのではないでしょうか。
まもなく福山市は市制施行百周年を迎えますが、本書の執筆にあたり痛切に感じたことは四一連隊あっての福山市という歴史を忘れてはならないということです。戦死した多くの英霊に応えるためにも、私達はいつまでも慰霊の気持ちを忘れることなく、また世界平和の実現に向けて行動しなければなりません。その気持ちを永遠に持ち続けたいと思います。(終)
今が旬の塩村問題と密接な関係がある極左反日恫喝団体が福山の評価をすこぶる下げてきた黒歴史と合わせて市民一人一人が考え(反省す)る必要がある。得手勝手にタブーを作り上げては飯の種にする輩の横暴を決して許してはいけないのだ。言論の自由を勝ち取るために戦う市民が増えれば、まともな市に変わることができるはずだ。
にほんブログ村