無農薬・自然菜園(自然農法・自然農)で、持続できる自給自足Life。~自然な暮らしの豊かさの分かち合い~

信州の大地で自然農と自然農法で育てる自給農園で、日々の営みや生命を通して感じることや想うことを発信するブログ。

大きな問題も、小さな日常の生活が解決の場

2009-01-12 14:53:41 | 自然栽培で自給できる想い
本日

真白な銀世界の田畑たち。

鶏は寒さに負けず、生きている。

餌を食み、卵を産み、休む。

生命は、淡々と生きている。それはとても強いことだとと思った。



というのも昨日、裕子さんが“フリーガン”の放送を見たかもしれない。

かのアメリカでは、賞味期限前に、食べられる多くのものが捨てられる。その無料の食料を食べ、浮いた食費をボランティア団体などに寄付したり、捨てられたものを再利用してごみ問題に反対している人々、団体をフリーガンと呼ぶらしい。

語源は、Free〈自由〉と、ビーガン〈菜食主義〉から。

彼らは、低所得者ではなく、定職もあり、富裕層だから驚きだ。

日本でも、食料の約2割が捨てられているという研究もあるそうだ。

事実日本で、冷蔵庫のなかや、外食、スーパーのお総菜など多くの食べ物が、食べられず捨てられているのは、どこかで見たり体験したことがない人はほとんどいないだろう。


以前は、自然食品店でかった野菜を食べきれず、生ゴミとして捨てたことを思いだした。

幸いうちではお米や野菜が、自給できる暮らしを始めることができ、食べ物を買う機会が減ってきた。

また、田畑もあり、食べ物を無駄にしたくない気持ちもあって、食べ残しを鶏にあげたり、たい肥にすることをはじめている。

しかし、現在の大量生産、大量消費の社会を生きる自分のことのようにとても重い問題だと思う。

というのも、フリーガン運動では、無駄を減らすことはできても
本当のところの問題は変わらないからだ。

環境問題も、CO2問題も、国際問題も、世界紛争だって、

今できる本当の解決方法は、日常の生活そのものに在ると思う。

今している行為の中に、問題の原因である種(たね)が潜んでいれば、播くのをやめたいと思う。それに代わる良い種を播きたいと思った。








コメント (2)
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