THE FOURTH PARTY

チョイ毒エッセイのようなもの。コメント欄でのやりとりはしません。用事がある人のみ書き込んでくだされ。

I like・・・

2016-12-15 08:50:17 | 俺のR45
雨音はショパンの調べ 小林麻美


このミュージックビデオ、別れのイメージっていうよりも「あなた下手くそね!」とか「早いわね!」って雰囲気に見えるんですが(笑)。

小林麻美って現在63歳なんですな。芸能界を引退して久しいので、玉手箱みたいなもんですわ。
個人的にはNHKの役所広司主演の「宮本武蔵」で佐々木小次郎の恋人役のイメージが強いかな。

この曲に関しては、原曲よりも小林麻美の方が好きだな。
Gazebo - I Like Chopin - Gazebo
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昼は溶接工、夜は・・・

2016-02-27 05:30:01 | 俺のR45
この間、現場仕事に外に出た日のこと。
店でランチ中、出窓でハエがジージーともがいていた。
飛べないみたいで、ひっくり返った状態でその場で高速回転していた。

それを見た瞬間、フラッシュダンスを思いだした(笑)。

フラッシュダンス - ホワット・ア・フィーリン Flashdance... What a Feeling


何の事かワカラン人は1分40秒、3分22秒あたりを観て下され。
俺が中学2年生の頃の映画で、教室の後ろで友達をクルクル回したり、友達に回してもらったりしていた(笑)。
あと、水ザバーッも流行ったなぁ。同級生や1年生には、3年生にバケツで水をぶっかけられるヤツもいて、学校で問題になったよ(笑)。

ちなみに、ランチに同席していた職人さんは俺よりも7つ下で、フラッシュダンスと言っても何のことか分からないのだそうだ。

もしかして当時の俺の年齢的なもの…要するに、今でいう中2病なのかもしれないが、洋楽や洋画がとても流行った記憶がある。カルチャークラブのカーマは気まぐれとかも、確かこの頃だった。
今の時代に、当時のような感じでヒットする洋画・洋楽はあまりないんじゃないかな。最近ので思い浮かぶのは、アナと雪の女王とLet it goくらいか。

What a feelingは俺もユニットやらピアノやらで演奏したのでとても想い出が深い。

同時期に放映されていたテレビドラマで、エンディングテーマとして使われており、若年層にはそちらで有名になってしまったのかも。
スチュワーデス物語ED


「ドジでのろまなカメ」とか「教官!」とかの流行語を生み出したドラマで、以前に紹介した「おんな風林火山」と同じ大映ドラマ。高校聖夫婦とかも大映だった。
この辺りの存在が、その後のトレンディドラマの誕生に影響を与えたんじゃないかなぁ。
俺はこの頃はテレビをほとんど見ていなかっんだけど、オヤジが無趣味でテレビを見ているだけの人だったため、断片的に覚えていたりするのだ。
テレビからWhat a feelingが聞こえてきたと思ったら、日本語でウゲェッとなったのは記憶している(笑)。

さてさて。
このブログは今年の7月で丸10年!!(驚)

バイクが増えると同時にブログのカテゴリーも増え、ヨタ話ついでの「俺のR35」なんてカテゴリーも作ったんだけど(と言いつつ、実は自分でも楽しんでいる)、R35というにはちょっとキビシイ年齢になってきた。
あと、R35っていうとニッサンGT-Rとカブってしまうこともあり、いつの間にかコッソリとR45に変更してあるんですわ(笑)。
R35とネーミングしたときも35歳ではなかったけど、今も45歳ではないよ。
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All At Once

2016-02-18 16:30:09 | 俺のR45
昔々、結婚式の披露宴の生演奏のバイトをしていた時に、式の事前にリクエストされた曲。
なんとなく知ってはいたんだけど、フルでは知らなかった。
ビンボー学生だったから特に興味の無いCDを買うこともできず・・・、楽器屋の楽譜コーナーで立ち読みして覚えるというウラワザを使ってやった(笑)。

All At Once - Whitney Houston


元々俺は歌の歌詞には全然興味がなく、今まで特に調べることもしなかったんだけど、あらためて調べてみたら、コレって結婚式の披露宴で演奏したらアカン曲じゃん!!(笑)

*********************************

all at once=突然

不意に私は気付いたの、あなたがもう戻ってこないって事に。
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ロマンチストな俺に、愛の一票を!

2015-06-26 02:44:52 | 俺のR45
椎名恵 LOVE IS ALL ~愛を聴かせて~


言っとくけど、全く落ち込んでないよ!!(笑)
結構テンション高め。

俺が高校2年生の時の、NHK大河の裏番組の「おんな風林火山」の主題歌。
俺は三田佳子主演の大河、「いのち」を見てたな。
大河は20時45分くらいに終わるんで、そっからチャンネル変えると、クッサイ演技の後で(笑)この曲が流れていたってわけ。あれっ、エンディングじゃなくてオープニングだったかな?

ど~だろ?
個人的には原曲の方がいいと思う(笑)

愛はかげろうのように/シャーリーン(歌詞付)
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Get Wild

2014-12-20 16:42:55 | 俺のR45
Get Wild


当時、俺の度肝を抜いた曲。
もしも俺がミュージシャンならば「この曲がなかったら今の私はありませんでした」とか言ってるはず(ナンダソレ笑)。

芸能界にはかなり疎かった当時の俺は、小室哲哉という存在を知らぬまま5年以上経ち、TRFの「寒い夜だから・・・」で再びビックリ。

ああ、カッコええ~。
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デビュー25周年

2014-01-10 07:02:03 | 俺のR45


この頃はテレビもほとんど観てなかったはずだし、もちろんこれが主題歌となったドラマも知らない。
なのに何故知ってるんだろう???

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おしん

2013-11-05 21:03:20 | 俺のR45


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制服

2013-10-28 20:28:10 | 俺のR45


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オッサンの選曲

2012-11-27 02:03:59 | 俺のR45
先日、娘2人の金管バンドの演奏会に行って、思い出した。


俺が高校1年の頃の曲で、現在は吹奏楽やエレクトーンの定番として親しまれているそうだ。

で、俺は何故かエレクトーンのユニットで演奏会に参加した、思い出のある1曲。
ちなみに俺は、後にも先にもエレクトーンに関わったのはこの時だけだ。

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とても不思議な感覚。

2012-06-19 01:45:59 | 俺のR45
名古屋ノスタルジックカーショーに正吉君と行って来た。
お目当てはランボルギーニ・カウンタックなどのスーパーカーだったのだが、展示車両は例年に比べてかなりお寒い状況。
ミウラも、2000GTも、ロータス・ヨーロッパも無かった。

そんな中、伏兵出現!
P6170397

クラウンの2000スーパーサルーン。
MS100だと思うのだが、あんま詳しくないのでツッコミは無しで(笑)。

これ、俺の親父が乗っていたのだ。
写真の車両は2ドアだったが、俺の記憶が確かならば親父のは4ドアハードトップ。
俺が小学校3年生の時に買った車である。その前はフォルクスワーゲン・ビートルであった。
今になって調べてみると、この時点で既にモデル末期で、5ナンバーだった事は記憶しているので2600ではなかったと思う。

スーパーカー少年だった俺はどうにもこの「クラウン」という選択が気に入らず、またクルマ好きの癖に車酔いの激しかった俺は、コイツの独特のニオイが嫌いだった。

このクラウンは確か、俺が運転免許を取得する直前まで乗っていて、その後さらに好みではないコロナへと買い替えたので、俺が運転する事は無かった。
自分の体内時計の感覚だと、このクラウンには非常に長い間乗っていたような気がするのだが、せいぜい10年くらいだから、長めとはいえ標準的な線である。

2歳上の姉貴は時々このクラウンを運転していた。
実家の前面道路は非常に狭く、また車庫の間口はかなり狭かったので、運転になれた者ですら車庫入れにてこずる状況。
当然免許を取得したばかりの姉貴が満足に車庫入れできるはずも無く、向かいのお宅のフェンスに擦って、ベソを掻いていた事を覚えている。全てを親父のせいにしていて、親父はかなり狼狽していたなあ。
そこそこマトモに運転できるようになった姉貴は、その後ちょくちょくバイト先に乗っていくようになった。
姉貴のバイト先と俺の当時のバイト先は、数件挟んだ並び。俺が自転車でキコキコと通り抜ける姉貴のバイト先の駐車場に、半端に古くて不釣合いなクラウンが停まっているのを、何度か見かけていた。

あらためて考えてみると、正吉君が生まれる数年前に親父・オフクロともに死んでしまったので、まるっきり存在を知らない訳である。
だが、正吉君は、俺の両親が自分のおじいさん・あばあさんであり、その2人はもうこの世にいないという事がどうやら何となく分かっているようだ。

18~20歳前後から体内時計が加速するので、この写真は、俺としてはとても不思議な感覚だ。

しかしこの日の俺はボケまくっていて、往路ではポートメッセのある湾岸中央ICの一つ手前の湾岸潮見で降りてしまい、大変な事になった。(ここの地理を知っている人ならば、何が大変なのか分かるであろう)
さらに復路ではボーッとしていて、ジャンクションで名二環ではなく名古屋高速に入ってしまい、優雅にグルリと遠回りして帰るハメになってしまった。

ここ最近、正吉君と過ごす休日がとても楽しい。
どんな事でもスポンジのように吸収していく半面で、凡人である事が判明してきている(笑)。

しかし、意味不明のマシンガントークには、閉口する。

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