名古屋ノスタルジックカーショーに正吉君と行って来た。
お目当てはランボルギーニ・カウンタックなどのスーパーカーだったのだが、展示車両は例年に比べてかなりお寒い状況。
ミウラも、2000GTも、ロータス・ヨーロッパも無かった。
そんな中、伏兵出現!
クラウンの2000スーパーサルーン。
MS100だと思うのだが、あんま詳しくないのでツッコミは無しで(笑)。
これ、俺の親父が乗っていたのだ。
写真の車両は2ドアだったが、俺の記憶が確かならば親父のは4ドアハードトップ。
俺が小学校3年生の時に買った車である。その前はフォルクスワーゲン・ビートルであった。
今になって調べてみると、この時点で既にモデル末期で、5ナンバーだった事は記憶しているので2600ではなかったと思う。
スーパーカー少年だった俺はどうにもこの「クラウン」という選択が気に入らず、またクルマ好きの癖に車酔いの激しかった俺は、コイツの独特のニオイが嫌いだった。
このクラウンは確か、俺が運転免許を取得する直前まで乗っていて、その後さらに好みではないコロナへと買い替えたので、俺が運転する事は無かった。
自分の体内時計の感覚だと、このクラウンには非常に長い間乗っていたような気がするのだが、せいぜい10年くらいだから、長めとはいえ標準的な線である。
2歳上の姉貴は時々このクラウンを運転していた。
実家の前面道路は非常に狭く、また車庫の間口はかなり狭かったので、運転になれた者ですら車庫入れにてこずる状況。
当然免許を取得したばかりの姉貴が満足に車庫入れできるはずも無く、向かいのお宅のフェンスに擦って、ベソを掻いていた事を覚えている。全てを親父のせいにしていて、親父はかなり狼狽していたなあ。
そこそこマトモに運転できるようになった姉貴は、その後ちょくちょくバイト先に乗っていくようになった。
姉貴のバイト先と俺の当時のバイト先は、数件挟んだ並び。俺が自転車でキコキコと通り抜ける姉貴のバイト先の駐車場に、半端に古くて不釣合いなクラウンが停まっているのを、何度か見かけていた。
あらためて考えてみると、正吉君が生まれる数年前に親父・オフクロともに死んでしまったので、まるっきり存在を知らない訳である。
だが、正吉君は、俺の両親が自分のおじいさん・あばあさんであり、その2人はもうこの世にいないという事がどうやら何となく分かっているようだ。
18~20歳前後から体内時計が加速するので、この写真は、俺としてはとても不思議な感覚だ。
しかしこの日の俺はボケまくっていて、往路ではポートメッセのある湾岸中央ICの一つ手前の湾岸潮見で降りてしまい、大変な事になった。(ここの地理を知っている人ならば、何が大変なのか分かるであろう)
さらに復路ではボーッとしていて、ジャンクションで名二環ではなく名古屋高速に入ってしまい、優雅にグルリと遠回りして帰るハメになってしまった。
ここ最近、正吉君と過ごす休日がとても楽しい。
どんな事でもスポンジのように吸収していく半面で、凡人である事が判明してきている(笑)。
しかし、意味不明のマシンガントークには、閉口する。