世界を舞台に活躍する・・・ってのは、外国に行って活動をして認められる事だと思っていた。
今までは。
外国人が日本にたくさん来たところで、日本国内でコチョコチョとやってる限りは、「世界」じゃないと思っていた。
愛知万博も、「こんなトコでやってたら万博じゃねえじゃん」と思っていた。
ちなみに・・・。白状しておくと、俺はこんなに近くで開催された万博に、結局一度も行かなかった。
いや。正確には、「行けなかった」が正しい。地元経済の活性化もあったのだろう、仕事が忙しかったのだ。
仕事で依頼されて製作したものだけが会場内に入った。俺自身はただの一度も会場には入らなかった。
当時住んでいた自宅地域の関係で、俺はかなり頻繁に会場前を通り抜けていたのに、全く足を踏み入れなかった。
オリンピックがトーキョーで開催される事になったそうな。
俺は一応、何らかの関連がある業界の一企業主であるからして、そこそこの期待を寄せていた。
おおう、是非ともやってくれ。
会社が儲かる事を期待するのは、企業主として当然の心理である。
正直なところ、招致は失敗するだろうと思っていたので、ニュースを見て驚いた。
反対に、喜びで涙を流すトップアスリート達をテレビで見て、疑問を感じてしまったのも事実。
どうしてそんなに嬉しいのだろう?
たぶん、アスリート達にとっては、そこには何かがあるのだろう。
それは、トーキョーが世界になるって事なのかもしれない。
フクシマの一件が色々と批判対象になったようだが。
それを理由に批判するのは、俺個人としてはどうかと思う。
その批判が正しいなら、突き詰めたら、今現在東京で暮らす人達は全員、東京を離れなければならない事になってしまう。
もちろん無視してはいけないし、「トーキョーを世界にする」のと同等以上、いや何倍もの力を注ぐ必要があるはずだ。
だが、本件とは切り離して考えるべき事ではないのか。
映画の製作発表で、出演俳優のスキャンダルに突っ込むマスコミのようだ。
政府の能力にも限界ってものがあるので、ここでトーキョー開催が決まってしまうと、単純計算ではエネルギーが二分される事になってしまう事になる。
これは今後、必ず大きな課題になるだろうが、俺としてはそれを逆手に取った復興への起爆剤となることを、心底期待してならない。
まあ・・・。
強いて言えば、「何でトーキョーなの?」、、、と、なる。
既にインフラの基盤があるとか、国際都市としてのイメージとか、50ウン年ぶりのメモリアル的な意味合いとかもあるだろうが、個人的には「東京」ではなく・・・、そうだな。例えば長崎・福岡あたりとか。
名古屋!? 名古屋だったらど~しよう。ちょっとイヤだな、生活に支障が出そう(笑)。
「トーキョーを目指す」って言う、若い・・・いや、芽が出たばかりのアスリートが、偶然だが身近にいる。
芽が出たばかりとはいえ、既に世界・・・つまり外国の大会でも戦っている期待の星だ。
高地の雪解け水のような、不純物のないキモチで「トーキョー」という言葉を口にする。
一方で、元々は世界を夢見たが(もちろんスポーツではない)、半端に歳を食って、垢のように国内にこびりついている自分。
日本に居ながらにして、世界を感じ取れるであろう期待を持って、全身で応援したい。
今までは。
外国人が日本にたくさん来たところで、日本国内でコチョコチョとやってる限りは、「世界」じゃないと思っていた。
愛知万博も、「こんなトコでやってたら万博じゃねえじゃん」と思っていた。
ちなみに・・・。白状しておくと、俺はこんなに近くで開催された万博に、結局一度も行かなかった。
いや。正確には、「行けなかった」が正しい。地元経済の活性化もあったのだろう、仕事が忙しかったのだ。
仕事で依頼されて製作したものだけが会場内に入った。俺自身はただの一度も会場には入らなかった。
当時住んでいた自宅地域の関係で、俺はかなり頻繁に会場前を通り抜けていたのに、全く足を踏み入れなかった。
オリンピックがトーキョーで開催される事になったそうな。
俺は一応、何らかの関連がある業界の一企業主であるからして、そこそこの期待を寄せていた。
おおう、是非ともやってくれ。
会社が儲かる事を期待するのは、企業主として当然の心理である。
正直なところ、招致は失敗するだろうと思っていたので、ニュースを見て驚いた。
反対に、喜びで涙を流すトップアスリート達をテレビで見て、疑問を感じてしまったのも事実。
どうしてそんなに嬉しいのだろう?
たぶん、アスリート達にとっては、そこには何かがあるのだろう。
それは、トーキョーが世界になるって事なのかもしれない。
フクシマの一件が色々と批判対象になったようだが。
それを理由に批判するのは、俺個人としてはどうかと思う。
その批判が正しいなら、突き詰めたら、今現在東京で暮らす人達は全員、東京を離れなければならない事になってしまう。
もちろん無視してはいけないし、「トーキョーを世界にする」のと同等以上、いや何倍もの力を注ぐ必要があるはずだ。
だが、本件とは切り離して考えるべき事ではないのか。
映画の製作発表で、出演俳優のスキャンダルに突っ込むマスコミのようだ。
政府の能力にも限界ってものがあるので、ここでトーキョー開催が決まってしまうと、単純計算ではエネルギーが二分される事になってしまう事になる。
これは今後、必ず大きな課題になるだろうが、俺としてはそれを逆手に取った復興への起爆剤となることを、心底期待してならない。
まあ・・・。
強いて言えば、「何でトーキョーなの?」、、、と、なる。
既にインフラの基盤があるとか、国際都市としてのイメージとか、50ウン年ぶりのメモリアル的な意味合いとかもあるだろうが、個人的には「東京」ではなく・・・、そうだな。例えば長崎・福岡あたりとか。
名古屋!? 名古屋だったらど~しよう。ちょっとイヤだな、生活に支障が出そう(笑)。
「トーキョーを目指す」って言う、若い・・・いや、芽が出たばかりのアスリートが、偶然だが身近にいる。
芽が出たばかりとはいえ、既に世界・・・つまり外国の大会でも戦っている期待の星だ。
高地の雪解け水のような、不純物のないキモチで「トーキョー」という言葉を口にする。
一方で、元々は世界を夢見たが(もちろんスポーツではない)、半端に歳を食って、垢のように国内にこびりついている自分。
日本に居ながらにして、世界を感じ取れるであろう期待を持って、全身で応援したい。