新田次郎の「ある町の高い煙突」を読んだ。茨城県日立市の日立鉱山
の銅山からの煙害撲滅と闘った青年の実話を元に作られた物語だ。
非常に新鮮に感じた。まだ、大正の時代に、155mもの当時世界で
もっとも高い鉄筋コンクリート作りの煙突を立てたのだ。
当時、日本には、このような高い煙突を立てる技術もなかったようだ。
また、莫大な費用がかかり、完成しても、100%煙害を撲滅できるか、
保証はない中で、日立鉱山の創業者の企業の社会的責任に対する深い洞察
と信念を感じた。
気になって調べたところ、今年、この作品をもとに映画が撮られている
ことがわかった。仲代達也、渡辺力も出ているとのことだ。
原作と実話も違う部分があるが、映画は、原作の登場人物を少し整理
したようだ。許嫁の女の子が出ていないのは、ちょっと残念だ。
この高い煙突は、80年後に崩落したが、3分の1の高さになって、
今も、残って、使用されているとのことだ。
かって、日本にも公害という言葉が渦巻いていた。私の子供の時にも、
四日市ぜんそくや、水俣病は、頻繁にニュースになった記憶がある。
公害という言葉が当たり前だったが、今なら、企業責任なのだろう。
公害とは、責任を問えないがごときあいまいな言葉の響きがある。
中国では、pm2.5がひどい時、歩いているとのどが痛くなるが、煙害とは、
これをもっとひどくしたものだったのだろうと想像した。
今は、環境と言えば、地球温暖化がクローズアップされるが、環境を大事に
しながらの人類の発展いがい考えられない時代なのだと思う。
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