goo blog サービス終了のお知らせ 

トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

*季節は変わる

2016-12-22 | 感じるままの回り道
        錦秋の桜はすでに丸裸

        御神木黄葉降り混ざる御詠歌と

        降りしきる黄葉は末期を伴えり

        山寺は錦秋かくし初の雪

        祖母は言う米一粒の日脚伸ぶ


 冬至も過ぎれば必ず思い出す「米一粒づつ日脚が伸びるのだよ」との祖母の教えである。米どころならばの比喩なのだろうが子ども心にも納得した言葉だった。
 さて、当時の祖母の年代になった小生に、身近に語り継ぐ対象はなくても折々の言葉と言うものはあるもので、やはりそれは生活や活動と無縁では無い。

 雪深い郷里での春の兆しは立春を過ぎてからの「凍み渡り」が最初の実感で、喜びのピークは道路に滲み出てきた雪解けの泥水だった。しばらくして山から聞こえる底雪崩の音、ネコヤナギの開花、と春のパレードは長く続く。

 当地では積雪は無いので梅や桜の開花が兆しや本番に当たるのだろうが、小生にはピンと来ず、新芽が萌える頃に至って「春」の実感がする。「一陽来復」にかこつければ「一葉来復」に体験的実感があるし「一会泥水池」が「春よ来い」のわらべ歌と共に脳裏に想われるのである。