家の脇に置いたタナゴ仔魚の養成槽にタナゴは入ってはいないのだが周年貯水のまま曝気をしている。採種してきたミズアオイの莢と言うのか、辞書によれば「莢とはマメ科の種子を覆う殻。成熟すれば裂けて種子を散らす」とある。ミズアオイがマメ科ではないのは承知だが「種子を覆う殻が裂けて種子を散らした」のはこの日に実感したのだ。
というのも採集した種子をつけた花径ごとプラポットに入れて前述の水槽に入れておいたのだが、日々の通りすがりに発芽した様な小さな緑が幾つも見えてきたのは承知していた。この日、予報通り雨になって退屈も頂点になった午後「そうだ!種子を播種出来る状態にしておこう」とばかり洗面器にいれて温かいリビングで仕分け、の算段が上手に行くはずだったのだ。
ところが莢を捜したが記憶にある莢は無く三裂になった種の無い殻ばかりで「エッ、エーッ!」である。播種床は準備できたし結氷が無くなれば播種するつもりだったのに種子が無い。
既にグズグズになった植物体をピンセットで掬い上げると容器の底に泥か微塵かと思える物質がある。指先ですり合わせると粒子状で数はある。これこそ求めていた種子なのだと判明した。外殻だったのが中央部の黒い部分で三裂し、その中から恐らく種子を包んだ緑色の第二の莢が肘を伸ばすように進展し種子を散布するのだろうと推測。茎からの新芽かと思ったのはこの緑色だった。意外に複雑な構造である。
ホウセンカやカタバミが種子を飛散させる構造とは異なるのだろうが進化の一端とは言え精緻なものである。
そうなるとこの種子の微小さである。水槽から引き上げる時に乱暴に引き上げはしなかったものの底に穴の開いた植木鉢であるし水が抜ける時に種子も流れた分はあるだろう。水槽の分は発芽して移植できるまで育てれば良いのだが分別した植物体残渣にも種子は付着しているはずで、こうなると安易にゴミ箱へと言う訳にはいかなくなった。
植物体残渣も「種子付着」と考えて蒔き床へ入れる事にした。洗面器の底に溜まった種子の量は「ゴホンと言えば」のお匙程度の量であるけれど、今度は蒔き方が難問になった。
資料を見ていたら「破裂して種子を排出時は浮遊し、その後は沈下着底する」と言う事が記されていたのを思い出した。しかし「何時頃⁉」は無かったように記憶している。しかしまあ、均一播種に難渋するからフイールドの蒔き床へ直接蒔くより、自宅で苗まで養成した方が安全に思えるがさーて、どうしよう・・・。こんなことで老いたベルテルは悩むのであった。
というのも採集した種子をつけた花径ごとプラポットに入れて前述の水槽に入れておいたのだが、日々の通りすがりに発芽した様な小さな緑が幾つも見えてきたのは承知していた。この日、予報通り雨になって退屈も頂点になった午後「そうだ!種子を播種出来る状態にしておこう」とばかり洗面器にいれて温かいリビングで仕分け、の算段が上手に行くはずだったのだ。

既にグズグズになった植物体をピンセットで掬い上げると容器の底に泥か微塵かと思える物質がある。指先ですり合わせると粒子状で数はある。これこそ求めていた種子なのだと判明した。外殻だったのが中央部の黒い部分で三裂し、その中から恐らく種子を包んだ緑色の第二の莢が肘を伸ばすように進展し種子を散布するのだろうと推測。茎からの新芽かと思ったのはこの緑色だった。意外に複雑な構造である。
ホウセンカやカタバミが種子を飛散させる構造とは異なるのだろうが進化の一端とは言え精緻なものである。
そうなるとこの種子の微小さである。水槽から引き上げる時に乱暴に引き上げはしなかったものの底に穴の開いた植木鉢であるし水が抜ける時に種子も流れた分はあるだろう。水槽の分は発芽して移植できるまで育てれば良いのだが分別した植物体残渣にも種子は付着しているはずで、こうなると安易にゴミ箱へと言う訳にはいかなくなった。
植物体残渣も「種子付着」と考えて蒔き床へ入れる事にした。洗面器の底に溜まった種子の量は「ゴホンと言えば」のお匙程度の量であるけれど、今度は蒔き方が難問になった。
資料を見ていたら「破裂して種子を排出時は浮遊し、その後は沈下着底する」と言う事が記されていたのを思い出した。しかし「何時頃⁉」は無かったように記憶している。しかしまあ、均一播種に難渋するからフイールドの蒔き床へ直接蒔くより、自宅で苗まで養成した方が安全に思えるがさーて、どうしよう・・・。こんなことで老いたベルテルは悩むのであった。
