寒の入りから8日間に渡って作業してきた棚田部の改修・補修がようやく一段落した。この日は田圃護岸材の交換残りの1辺を孟宗竹材から丸太材に取り換えたのだ。しかしながら残り3m分が不足してとりあえず外した古竹材を切断して仮置きしてある。当座はこれで十分に用を足すし、わざわざ3m分のために林内作業を急ぐほどでもない。
堤の上端面への積み増しも行いたいけれど数センチ水位を下げた事でリスクは大きく下がったと考えてよいので、これも余裕が出来た時点の作業に回した。
作業部も当然、凍結中 ➡ 竹材から丸太材に交換したが手前が不足している。次の機会に回した。
ミズアオイの播種床も前日、木枠を竹枠に交換して置いたからこの日は長柄のジョレンで泥土を引きこみトンボで均してようやく完成したのだった。これで何時でも播種が出来る状態にはなったものの氷結が緩んでからでないと播種が出来ないから気は逸るのだが、それまでは辛抱辛抱するしかない。
それでも年始早々からの大仕事を片付けていくらか肩の荷が下りた。しかしながら肩凝りや肘・腰の痛みが増したのはどうしてだろう。まだ保証期間中のデジカメも土左衛門にしてしまったし・・・。「火中の栗を拾う」「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という諺があるけれど「ドボンでカメラ失う」「氷田に倒れれば泥鼠となる」のが小生の新年の解であったわい。てなもんや三度笠!。
しかしながら厚さ2㎝の割れ氷の浮いている泥田にスライデングし泥鼠にはなったものの意外と冷たくも寒くも感じなかった。高齢者に年金も世間も冷たいけれど、きっと田んぼの神様がハグしたかったのだろうと思えたのだった。小生は見守られていると深謝・深謝なのだが本心を言えば「人肌が良かった・・・」。まあ、人肌と言えど「温めの燗が良い」向きもあろうがおしなべて熱めの棺になるのが人生の究極である。
まあまあ、さてさて飲酒せぬ身は人肌など無縁なもので入浴剤を入れた風呂に浸かるのだが年明けから氷点の棚田部で作業していた結果、足の指が霜焼けになってしまい痒くてたまらん。遂に軟膏を塗付せざるを得なくなった。生まれも育ちも雪深い南魚沼の雅な百姓家なのに暖地で霜焼けなどとは更に哀しい…恥ずかしい・・・。
堤の上端面への積み増しも行いたいけれど数センチ水位を下げた事でリスクは大きく下がったと考えてよいので、これも余裕が出来た時点の作業に回した。
作業部も当然、凍結中 ➡ 竹材から丸太材に交換したが手前が不足している。次の機会に回した。
ミズアオイの播種床も前日、木枠を竹枠に交換して置いたからこの日は長柄のジョレンで泥土を引きこみトンボで均してようやく完成したのだった。これで何時でも播種が出来る状態にはなったものの氷結が緩んでからでないと播種が出来ないから気は逸るのだが、それまでは辛抱辛抱するしかない。
それでも年始早々からの大仕事を片付けていくらか肩の荷が下りた。しかしながら肩凝りや肘・腰の痛みが増したのはどうしてだろう。まだ保証期間中のデジカメも土左衛門にしてしまったし・・・。「火中の栗を拾う」「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という諺があるけれど「ドボンでカメラ失う」「氷田に倒れれば泥鼠となる」のが小生の新年の解であったわい。てなもんや三度笠!。
しかしながら厚さ2㎝の割れ氷の浮いている泥田にスライデングし泥鼠にはなったものの意外と冷たくも寒くも感じなかった。高齢者に年金も世間も冷たいけれど、きっと田んぼの神様がハグしたかったのだろうと思えたのだった。小生は見守られていると深謝・深謝なのだが本心を言えば「人肌が良かった・・・」。まあ、人肌と言えど「温めの燗が良い」向きもあろうがおしなべて熱めの棺になるのが人生の究極である。
まあまあ、さてさて飲酒せぬ身は人肌など無縁なもので入浴剤を入れた風呂に浸かるのだが年明けから氷点の棚田部で作業していた結果、足の指が霜焼けになってしまい痒くてたまらん。遂に軟膏を塗付せざるを得なくなった。生まれも育ちも雪深い南魚沼の雅な百姓家なのに暖地で霜焼けなどとは更に哀しい…恥ずかしい・・・。