トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

ササユリが咲く

2010-06-14 | 小父のお隣さん

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 ササユリが咲いた。昨年は一輪も出会えなかった花だ。蕾をつける茎はあったのだが、折れないように盗られない様に支柱をしたところ、ことごとく盗掘にあって失ってしまったのである。

 昨年の群生地はわずか一本だけ茎を伸ばしている個体があったが、蕾をつける大きさには育っていない。今年の花は、暗い森の中や北向きの林縁で花を見せている。当然、トレイルの脇だから「人目につく…持ち去られる」の図式が浮かぶが、天候は下り坂だから花が萎む頃までは人の目に触れないで済むかもしれない。つかの間「生き長らえる」期待が浮かぶ。

 淡い桜色の小振りの花はつつましくも下向きだ。「歩く姿は百合の花」と言うような雰囲気は無い。山百合は全くご無沙汰になっているが、せめて生き残ってもらいたい花である。

 この花を見ると高校時代、ワンゲル部で行った「朝日連峰」の霧の中での群生地を思い出す。蛇足だが、映画の「カサブランカ」は好きだけれど、百合の「カサブランカ」は好みではない。


火の鳥「はやぶさ」

2010-06-14 | 感じるままの回り道
 『ななとせも虚空を飛びて今日還る火の球となり水の星へと』
 『蜘蛛の糸たどりたどりてはやぶさは今日卵産みて火の鳥となる』
 『イトカワは彦星なりや交尾してふるさとで産む金の卵を』
 『蒼海の難破に等し満身はボロ布なれど母となり逝く』
 『はやぶさはハヤブサのごとまっつぐに火の鳥となり永久に回帰す』
 『いのち受け過酷の果てのはやぶさは火の鳥となり虚無へと還る』
 『はやぶさは母なる星に届けたりわが身焦がしてイトカワの塵』

棚田の田植え

2010-06-13 | 水辺環境の保全

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 ようやく田植えにこぎつけた。面積は二枚半で約30坪強だ。当初は残り苗を調達して3~4坪程度にするつもりだったが、苗のシートが3枚も届いたから結果的には拡大作付けとなった。

 田植えのおっさん二名は越後出身で田植えの経験はあるけれど、半世紀ぶりの田植えだ。それでもやってみれば違和感は全く無く、例年やっていたように手足が動くから不思議だ。当たり前の様に体が動いてくれた。

 30坪の作付けだと、通常1俵程度の収穫になるのだそうだが「本当だか?」と実感は無い。現実は病害虫や小鳥、猪の被害を受けて「収穫ゼロ」を念頭に放任栽培にする。

 作付け本来の狙いは、稲の害虫がトンボやカエル、蜘蛛などの食料になってくれること期待しての事だ。


仁なき遊者

2010-06-13 | 性向有毒の翁なれば

Photo_8  『鳩の山よくよく見ればサギの山』

 『ハトポッポ素面で行く行く千鳥足』

 『鉦三つ民はカンカン総理カン』

 『腹くくる士などまぼろし散り桜』


手入れは負債!

2010-06-12 | 今日は真面目に

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 昨年全伐した侵入竹林を、この春に発生した竹が覆いつくしてしまった。放置すれば密生した竹の二次林として更に環境を悪化させてしまう。この時期なら稈も硬化していないので除伐も容易だ。

 細いのは大鎌で叩き斬ることも出来るが、結果的には一本づつ鋸で根元から伐り取るのが最良の方策と判る。

 里山の手入れは、どの部分とかによらず「手入れは借金だ!」をつくづくと感じながらの作業となった。一旦手を染めたら際限も無い利子の支払いが続くのだから。

 活動を重ねて確かに里山の様子は改善したが、利子の支払いはそれに合わせて鰻上りだ。根負けや横着を決め込めば「一丁上がり!」の元の木阿弥である。「貧乏暇なし」まさしくそのままだ。

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時が背を押す

2010-06-11 | 感じるままの回り道

 『憐れみつ満足もする両性をこの身に具有われも妖怪』

 『まどろみの闇で一句が浮かびけるペンライト点け書き留む深夜』

 『庭草を確かめ見つつ抜き取れば手袋破れ腰も抜けゆく』

 『刻々と音刻みたる部屋の闇月は明るき桜はおぼろ』


田植えは13日

2010-06-10 | 今日は真面目に

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 先日代掻きをした棚田の水位を確認に出かけた。今年一番と思えるほどの暑い陽射しとなった。途中の森の中は蚊より蚋が多く集まってきて閉口した。車は昨日まで車検で、小道具は下ろしたままだったから蚊取り線香も電気蚊取り器も用意がなかったのだ。

 心配していた棚田の水位は5cmほどあって、田植えをするには差し支えないだろう。それよりも降雨が少ない影響で、水源が枯渇しかかっているほうが心配だ。

 予報では来週早々に雨マークが出ているが入梅になるのかどうか心もとない盛夏のような今日の陽射しだ。

 それはともかく、苗の入手が13日と確定したので、13日日曜日は「田植え」である。思い起こしてみれば半世紀ぶりに近い田植えとなるが、子ども達の体験活動に利用できそうだけど、今から呼びかけるのも煩わしいので会友だけで済ます。

 


無い核壊造

2010-06-10 | 温故痴新

 世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋もはてしなければ    蝉丸

 湯の中はとても温くて同じこと関も永田も派手しなければ

 春霞立つを見捨てて行く雁は花なき里に住みやならへる     伊勢

 影霞み立つを見送り去る小鳩花なき佐渡に追われ住みける

 われはもや安見児得たり皆人の得がてにすとふ安見児得たり  藤原鎌足

 われはもや総理を得たり皆人の得がてにすとふ総理を得たり


赤いベベ着た

2010-06-09 | 小父のお隣さん

 3日に初見したショウジョウトンボが、今日当たりは随所で見られるようになった。原っぱは言うに及ばず、棚田の付近も数匹が飛び交って、鉢合わせしては争っている。それで真っ赤なのではないけれど透き通るような美しい赤色だ。赤いトンボはどうしても秋のイメージに連なる。

 拠点の小屋の脇ではグミが色付き始めた。形が球状なので、一見するとサクランボの様に見える。酸味と渋味が主だから、むさぼって食べるほどの食欲は湧かないけれど、横を通れば摘まんでしまう。

 少年時代にグミをむさぼり喰って、渋が舌に付着して舌が割れたことがあった。それでも当時としては美味しい部類の果実だったのだろう。お八つなんてなかった時代だ。

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初夏は浴衣で

2010-06-08 | 感じるままの回り道

Photo_2 昼食をとっていたらテーブルの上に芋虫を発見した。毛虫も含めて好きな部類ではないのだが色合いが爽やかだった。

 ネットの「幼虫図鑑」で検索したが類似の幼虫は発見できなかったので名前はわからない。藍色ではないが「藍の浴衣」のイメージで捉えたからイジメはしません。

 生物を「鵜の目鷹の目」で探している訳でもなく、遠視乱視では当然「鵜の目鷹の目」に成れるはずも無い。ただ目の前に現れた機会に撮影しているだけだが、見知らぬ個体には度々出会える。それだけ種類が多いということだろう。

 小生には「藍の浴衣」などあっても着用するチャンスがないから不要だけど視野に入る風情としては十分に楽しめる対象だ。でも今の所、こんな代用品で満足だ。 


もっと砕け!そう、そう、そう

2010-06-08 | 水辺環境の保全

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 最後まで残った100㎡余りの棚田の砕土・代掻きが一日がかりで終わった。四本鍬とレーキ、トンボを駆使して肩や腕が痛い。現役の頃の職業病で腰椎に難があるのだが、年明けからの植樹、田起こし、ビオトープなどの作業で腰痛が出なかったのは不思議だ。でも掌にはタコが六個も出来てしまった。

 南側斜面に張り出したリョウブの大木を伐り落としたので日射面積が広がったのが写真からも見て取れる。まだ上部に支障木があるのだが、これはホダ木になるから冬の作業だ。

 周囲は森だから、最初から最後まで「モットクダケ!」「ソウソウソウ」とホトトギスの応援歌がかまびすしかった。つい先ごろまでホトトギスの「聴きなし」は「東京特許許可局」と感じていたのだが、棚田の作業では「モットクダケ、モットクダケ、ソウソウソウ」と聞こえるのだ。

 帰宅してドリンク一本となったが、もう天気は下り坂だから明日から農繁期休養?としたい。日帰り温泉にでも行って、ラーメンを久しぶりに食べる、これくらいは許される贅沢だろう。それともテレビ桟敷で組閣のニュースを見ながらゴロゴロか…。少しばかり開放感がある。


過去現在未来

2010-06-07 | 感じるままの回り道

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 林内の草刈りをしたときに見つけた「アカイカタケ」は綺麗な形を保っていたのだが、ケータイを忘れたから撮影できなかった。二日たって撮影に行ったが、朽ちて無残な姿を曝していた。新しいものは黒い粘液(クレバ)に蝿が寄るのだが、本体も食害されるのが早い。食用にはならないキノコだが珍しさとユニークさで好みのキノコだ。発生する場所は一定していなく宝くじに当たった気分になるが、今の所は連続して毎年みている。

 今の盛りは「桑の実」だ。車を降りて摘まみ、帰る前に摘まみ、と美味しい楽しみでもある。樹によって個性があって、実の大きさや甘味酸味、色付きなど多様だ。少年時代に桑畑で食したのは多様ではなかった様に記憶するが、当たり前と言えば当たり前だ。全てが挿し木苗からの養成樹だったろうから。山にあるのは全て実生苗を養成した樹ばかりだ。

 道具小屋の近くにあるキウイは花が満開だった。これは食べれるまで時間がかかる。半年後にならないと口には入らない。子ども達は蕾を幼果と信じて疑わない。


拠点の歓声

2010-06-07 | 感じるままの回り道

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 棚田を耕転した後、くたびれ果てて拠点に戻る途中でアサギマダラを初見した。例年、秋に初見するだけだったからビックリした。良く見ると後羽根が傷んでいる。長距離を飛来してきたのか羽化した後、時間が経ったためかは判らない。でも森の周辺で目にするチョウの中では大好きな種類だ。

 駐車場ではオオバコの葉に見慣れないトンボが止まっていた。名前を知ろうとネットを検索しても徒労に終わるタイプだということが、この頃は飲み込めているから撮影だけだ。

 拠点からは子ども達の歓声が結構遠くから聞こえていたが、ボーイスカウトの一団でなく、NPOの主宰する活動グループだった。小学生低学年という風体だったが、松に掛けた梯子を上って嬉々としている。

 子ども達もチョウやトンボと同じく止まる事が好きなんだろうか…。昆虫は止まっても歓声は出さない。赤く色付き始めたグミを食べさせてみたが「酸味」は理解したようだが「渋味」は首をかしげる子が多かったし、種は言わなければ吐き出さずにモグモグさせている。現代っ子はそんなもんなんだろうなあ。


豆トラを入れる

2010-06-06 | 水辺環境の保全

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 棚田に一度は耕運機を入れて砕土・代掻きをしたいと思っていたのが、ようやく実現できた。それで更に泥状化を促して漏水を防ごうと思ったのだが、しかし現実は思うようにはいかなかった。

 棚田まで移動させようと道路を走らせたところで移動用の車輪が外れた。ナットが緩かったせいだ。その後に右の車輪が軸のスポークのところから破損してタイヤが外れてしまい使用不能になった。古い機械だからしょうがないといえばしょうがない。

 仕方がないから左の車輪と後ろの車輪だけでバランスの悪いまま棚田まで移動する。重心が偏った一輪車みたいであるから腕の負担はかなりのもので、それだけで汗ビッショリとなる。

 棚田の砕土は水を張ったままだから、先日に耕起した田ではナタ刃に土塊が入り込んでツルツルのタイヤ状態になり潜るだけで前進できず「アウト」だった。他の四枚はなんとか泥状に出来て、最上段の一枚は「加温用」でセリ田にしているから手出しなし。

 先日に耕起した田は鍬で砕土するしかないが、代掻き用のトンボを忘れたので耕転したままで作業は終了。豆トラは代掻き用の刃車でなくナタ刃だったから推進力に欠け前進させるのに大変な思いをした。

 気分は「もうコリゴリ」で排気ガスも吸って気分も悪いし、動力で簡単に済まそうと思った浮気心が過ちのもとだった。初心の「ローカル・ローテク・アナログ」をあらためて認識した次第、明日はトンボで均しをする。


「ラミー」とは何だ?

2010-06-06 | 小父のお隣さん

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 燕尾服を着たような変なカミキリムシだった。シャツは白でなく淡いブルーだ。初めて見た白物、いえ代物だったから名前は当然不明だったが、調べたら「ラミーカミキリ」とでた。

 そこで「ラミー」とは何だろう、と新たな疑問が湧いたのだが、これは辞書で解消できた。ラミーは「苧麻」と漢字があったのだ。何のことは無い「麻・からむし・マオ」等、繊維用の一種だった。昔、繊維を採るために輸入したラミーと一緒に来た外来生物だ。

 それよりも小千谷縮や○○上布と言われる麻織物はこの繊維によって織られるのだとか…。こちらのほうが小生には身近で、逆に親近感が湧いたのだ。小生も魚沼産である。小千谷は一山越えた所にある。「塩沢お召し」の産地は母の里だし、祖父の代では自宅で糸縒りを家内工業的にやっていた。子供の頃、天井裏に積み上げてあった縒り器などで遊んだ覚えがある。

 そういえば実家で麻を栽培していた時がある。背丈を遙かに越えた高さだったが、ラミーそのものではなかった様だ。葉が天狗の団扇みたいだった記憶があるから。

 繊維と言えば桑の葉に白い綿の繊維の様なものが付着していた。観察すると生物らしい。尻から白いのを吹き流していて、長いのは5cm以上もあった。アワフキやアブラムシか、はたまたキジラミやヨコバイの類だろうけど詳細は知らない。

 風に乗って流れて行くものもあるが、移動のための手段でもあるのだろうか?