澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

日中共同歴史研究報告書

2010年01月31日 22時20分11秒 | 歴史

北岡伸一・東大教授(日本政治外交史)が日本側座長となった「日中共同歴史研修報告書」が公表された。
実は、共産党一党独裁の中国と「共同歴史研究」などできるのかと思うのだが、ニュースを見る限りでは、日本側はきちんと自らの立場を主張したようだ。

「南京大虐殺」については、1970年代に洞富雄・早大教授(日本史)が、著作を発表し関係者の関心を呼んだ。その後、朝日新聞の本多勝一が「中国の旅」(1972)で採り上げ、センセーショナルな話題になった。
現在、本多の記事は中国側の主張をそのまま採り上げたため、信憑性に欠けるとされている。当時の中国は「文革」のさなかで、鎖国状態であり、本多のインタビューがまともな状況で行われたとはとても考えられない。
そもそも当時「南京大虐殺」が一般の中国人の関心を集めることはなかった。毛沢東の恐怖政治のもとで、人民は今日を生きるのが精一杯だったのだ。
これを一方的に騒ぎ立てたのは、日本の日中友好人士と呼ばれる人たち、進歩的文化人とされる大学教授などだった。

「南京大虐殺」キャンペーンの中心人物が、洞富雄という早大教授だったのも暗示的だ。「野党精神」だか「反体制」「東大コンプレックス」だか知らないが、早稲田にはこういう教授が何人もいた。「日中友好」を表看板に体制批判をして、中国側からは「日中友好人士」として厚遇されてきた連中だ。こういう人たちは、真摯に学問を究めるというタイプではなく、ある政治的な意図で特定の発言をすることが「業績」だと思っていたようだ。今から思えば、噴飯ものの話だが、左翼全盛時代の当時は普通のことだった。

さすがに東大だと思うのは、東大には左翼政治屋のような教授はいなかった。そこでは政治的プロパガンダに近い「南京大虐殺」の話は、実証的な研究対象とはならなかったのだ。
歴史共同研究の近・現代史部門には、北岡教授や川島真準教授など東大を中心に京大、慶應、筑波大出身の政治学者を揃えている。

中国側は、近現代史部分の公表を拒否し、「文化大革命」などの暴政について触れることを避けたが、中共(=中国共産党)が自ら引き起こした大虐殺を平然と頬被りするのはいかがなものか。また、日中戦争時に中共の軍隊が主体で抗日戦争を戦ったような主張をしているが、それも真っ赤なウソであることは明らかだ。
抗日戦争の主体となった中国国民党側の資料も調べなければ、歴史の全体像は分からない。中国国民党の資料は、今や民主化され、学問の自由も担保された台湾にあるのだから、それを調べないのはおかしいのではないか。

また中国側報告書は、沖縄について「琉球は独立国で、中国の冊封体制下にあったが、日本が横取りした」と主張している。台湾が中国に併呑され、日本で外国人参政権が認められるとしたら、中国による沖縄併呑さえもありえないことではないことをこの報告書は示している。


日中歴史研究報告書のポイント

 日中歴史共同研究報告書の近現代史に関する記述のポイントは次の通り。
 【日清戦争(1894~95年)以降】
 日本=近代の日中関係史において日清戦争は一つの転換点。日本が有利な不平等条約体制が形成され、日本国内でも中国を蔑視(べっし)する傾向が生まれたことなど、それ以前とは異なる傾向が顕著に見られた。
 中国=日本の拡張行為はやむことなく持続して中国人の抗日意識を激化させ、日本軍政決定者に、したい放題の横暴な心理を作り出した。
 【田中上奏文(1927年)】
 日本=対中政策を協議した東方会議に関連して「田中上奏文」と呼ばれる怪文書がある。これは田中義一首相が昭和天皇に上奏したとされるもので、中国への侵略計画だった。だが「田中上奏文」は、実際の東方会議と大きく離反していた。
 中国=真偽に関して学界で多くの議論があったが、いかに作られたかについて不明な部分がある。だが、その後の日本の拡張路線はまさしくこの文書に書かれたようになった。
 【柳条湖事件(31年)】
 日本=関東軍の作戦参謀・石原莞爾らを首謀者とする謀略によるものであった。武力発動は政府や陸軍指導部の基本方針に反する行動として開始された。急進的な軍人たちは、謀略によって日中間の衝突事件を引き起こし、満州の「危機」を一挙に打開しようとした。
 中国=関東軍が中国東北地区を侵略するため発動した九一八事変(満州事変)は、日本が実施した「満蒙(満州・蒙古)政策」の必然の産物。30年からの世界経済危機と国内の政治・社会危機の影響の下、日本は「満蒙危機」を騒ぎ立て、関東軍と軍部はそれぞれ東北地区を武力で侵攻・占領する計画を制定した。
 【日中全面戦争(37~45年)】
 日本=戦闘は8年を越え、宣戦布告による戦争以上にし烈なものとなり、両国国民に大きな負担と犠牲を強いた。特に戦場となった中国に深い傷を残したが、その原因の大半は日本側が作り出したものと言わなければならない。
 盧溝橋における最初の発砲事件は「偶発的」であり、現地では局地的解決の努力がなされた。しかし、衝突事件を好機とみなした支那駐屯軍(後の北支那方面軍)や関東軍は、蒋介石政権の打倒と華北占領という構想を実行していく。
 中国=盧溝橋事件の発生は、かなり大きな程度、日本の中国侵略政策と関係している。事件は非常に速い展開で日本による全面的な対中国侵略戦争につながったが、歴史的変化のプロセスを見ると、盧溝橋事件は必然的に起きたものと言える。
 【南京虐殺事件(37年)】
 日本=日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵および一部の市民に対する集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺者数は、極東国際軍事裁判(東京裁判)における判決では20万人以上(松井石根司令官に対する判決文では10万人以上)、47年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中国の見解は後者に依拠している。
 一方、日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている。犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」の定義、対象となる地域・期間、埋葬記録、人口統計などの資料に対する検証の相違が存在する。
 中国=日本軍の南京での放火、殺人、強姦、略奪は国際法の重大な違反であり、第2次大戦後、連合国は東京と南京でそれぞれ軍事法廷を開き、南京大虐殺に対する審判を行った。
 東京裁判の判決書は、「占領後の最初の1カ月で南京市内では2万件近い強姦事件が発生した」「日本軍隊占領後最初の6週間以内に、市内と付近で虐殺された市民と捕虜は計20万人を超えた」と認定した。南京戦犯裁判軍事法廷は「被害者は総数30万人余りに上る」と認定した。
 【中国人犠牲者数】
 日本=国民政府軍の死者は約132万人、負傷者180万人に上っている。中国共産党軍の死傷者(失跡者を含む)は58万人を超えると推定される。非戦闘員の犠牲の多さや日本軍によるさまざまな「非違行為」は、戦後の日中両国民の中に、新しい関係構築を妨げる深い傷跡を残した。
 中国=不完全な統計によると、中国軍人・民衆の死傷者は3500万人以上、直接的な経済損失は1000億ドル以上、間接的な経済損失は5000億ドル以上に上った。関東軍731部隊や100部隊は、中国人を使った人体実験、生体解剖も実施した。(2010/01/31-17:18 時事通信)


米国が台湾に武器を売却

2010年01月31日 00時09分43秒 | 政治

米国が台湾に地対空ミサイル、軍用ヘリを売却することを決めた。これに対して中国政府は、内政干渉だとして米国に強烈な憤慨を示した。「強烈な憤慨」というのは、最近の中共(=中国共産党)政権が珍しく使った激しい言葉だ。大昔、文革の頃は、今の北朝鮮のように「米帝の輩どもは…」などという常套句を用いていたが…。

背に腹はかえられない状況の米国経済からすれば、この商談は願ってもないことだろう。「台湾カード」で中国を牽制することができれば、弱体化しつつある米国の威信を取り戻せるというのだろうか。

それにしても疑問に思うのは、台湾軍の志気と戦力。ここまで中台一体化が進み、中国政府が「内政干渉」とまで強弁する中で、台湾軍に本当に国防意識があるのだろうか。

このニュースで分かるのは、国際政治のドライな現実だ。平和呆けの日本が、訳の分からない政争に明け暮れていいのだろうか…・。
台湾から150kmしか離れていない与那国島では、町議会議員の定数が6名。150票あれば、1議席が得られるという。民主党が主張する外国人参政権が実現して、この島に何百人かの中国人が居住したらどうなるのだろうか。台湾が中国に併呑されれば、与那国島は中国との国境最前線の街となる。その町議会が、居住してきた中国人に支配されたとしたら…。このままでは、悪夢が現実となる日も遠くない。



台湾への米国製武器売却に中国が抗議

  • 米国が台湾に64億ドル(約5800億円)の武器輸出を決めたことは米中関係に深刻な打撃を与えるとして、中国外務省の何亜非(He Yafei)次官が中国時間の30日午前(日本時間同)、米国のジョン・ハンツマン(Jon Huntsman)駐中国大使に正式に抗議したと発表した。 米国は台湾に地対空誘導ミサイルPAC3、軍用ヘリブラックホーク(Black Hawk)、台湾が保有するF16戦闘機用の通信器などを輸出する方針を決めていた。台湾が求めていたF16戦闘機の輸出は見送った。 中国側は、今回の輸出が、米国が台湾に売却する武器の性能と量は1982年前数年間の水準を超えないとした1982年の米中共同コミュニケに反するとしているが、米国務省は米中国交回復時に米中が結んだ3つの主要コミュニケに沿ったものだと反論している。 中国は米国が前回台湾への武器輸出を決めた2008年10月、一時的に米国との軍事協力を停止したことがある。(c)AFP

小沢事件~検察が逮捕した国会議員に東大卒はいなかった!?

2010年01月30日 04時04分38秒 | 社会

たまたま「朝まで生テレビ~激論! 小沢幹事長vs.検察ドーなる?!鳩山政権」を見ていたら、出席者の中から気になる発言があった。
「これまで事件で逮捕された国会議員が25人いるが、その中に東大卒は誰もいない。これは偶然だろうか?」

この言葉の真偽は分からないが、もしそうだとすれば、単なる偶然とは思えない。
あるブログによれば、2001年以降の逮捕者は、次のとおり。

【2001年以降の国会議員逮捕】
◇村上正邦/拓殖大(政経)/01年/KSD事件
◇小山孝雄/山形大(文理)/01年/KSD事件
◇鈴木宗男/拓殖大(政経)/02年/あっせん収賄
◇坂井隆憲/早大(政経) /03年/裏金・詐欺
◇近藤 浩/米国大(中退)/03年/選挙違反
◇新井正則/日大(文理) /03年/選挙違反
◇辻元清美/早大(教育) /03年/秘書給与詐欺
◇中西一善/早大(政経) /05年/強制わいせつ
◇西村真悟/京大(法)  /05年/弁護士法違反

これに石川知裕議員が加わるのだが、この人は早大(商)卒らしい。上記の逮捕者の中には、辻元清美のように、選挙で”みそぎ”を済ませ、政府の要職についている者がいる一方、西村真悟のように、明らかに別件ねらい撃ちで逮捕された人もいる。
鈴木宗男の逮捕時に顕著だったが、マスメディアのキャンペーンと呼応して、検察が動くというパターンも一般的だ。

検察がターゲットにしている小沢一郎・民主党幹事長は、慶應大(経)の出身。いまでこそ、慶應は超難関校になったが、小沢の頃は国立大学の滑り止め大学。果たして小沢は、検察ににらまれた蛙なのか。

城内みのる議員は、ブログに次のように書いている。

「民主党の小沢一郎幹事長まで司直の手がのびるかどうかと言うことになれば、その確率は50%もないであろう。かんぽの宿をはじめとする戦後最大の疑獄事件に発展する可能性のある郵政闇利権問題について何らアクションを起こすことができない日本の検察が時の絶対権力者である小沢一郎氏を逮捕する勇気はないであろう。」

これが当たるのかどうか、ほぼ野次馬気分で注視したいところだ。


 

 


ミッキー安川と鳩山首相

2010年01月26日 02時15分16秒 | 社会

1月18日に死去したミッキー安川の葬儀に鳩山首相が出席したというニュースを見てびっくりした。
かつてミッキー安川は、小田実、竹村健一などと同様に、行動的な知米派芸能人として名をはせた。ラジオ日本(横浜)で30年近く番組を続け、保守的な論客(?)として鳴らした。まさか鳩山首相とも親交があったとは驚きで、生前、本人が自慢していた幅広い人脈などの話が、これでウソではないことが分かった。

ミッキー安川は、小田や竹村のような正統派の知識人ではなく、戦後の闇市から出てきたような知米派芸人だったが、その言説には傾聴すべきことも多かった。米国が「自由の国」などではなく、白人が支配する人種差別の国であることを最期の放送日まで語っていた。満ち足りて平和呆けしたかのような日本人に対して、ずっと警鐘を鳴らし続けた人だった。

今やきれいごとばかりのマスメディアの中で、本音を言い続けた希有の番組キャスターとして記憶されるべきだろう。

 

鳩山首相らミッキー安川さんに最後の別れ

 ミッキー安川さんの葬儀に出席した鳩山首相=横浜市戸塚区の親縁寺テンプル斎場
 ミッキー安川さんの葬儀に出席した鳩山首相=横浜市戸塚区の親縁寺テンプル斎場

 肺炎のため18日に死去したタレントのミッキー安川さん(本名・安川実=やすかわ・みのる、享年76)の葬儀・告別式が24日、横浜市内で営まれた。葬儀には鳩山由紀夫首相、原口一博総務大臣、平沢勝栄衆議院議員ら親交のあった約400人が参列した。長男でタレントのマット安川(37)は「(代理で出演した)ディナーショーを無事終えたことを報告して“よかった、みなさんにお礼をしないと。頼む、頼む!”といわれたのが最後の言葉でした」としんみりとあいさつ。涙をさそっていた。


娘達が見た北京

2010年01月24日 22時44分57秒 | 中国
この週末、長女が中学校時代の友人が働いている北京に行って来た。久しぶりの再会なので、ホテルでずっと話すのだと言っていたのが、せっかくだから天安門と故宮だけは見た方がいいとアドバイスした。だが、結局、天安門には行かなかったそうだ。

実は、一番知りたかったのは、20代半ばになる娘達が北京をどう思うのかということ。先月、台北に行ったばかりなので、台湾と中国の違いをどう感じるのだろうか。

まず、サービスの違い。北京のホテルやマーケットでは、店員が無愛想で、やる気がない印象。これは台北との大きな違いだという。客の様子もずいぶん違う。その友人の話では、外食するときなど、北京人は最大限に着飾り、金持ちに見えるよう見栄を張るという。そう言えば、台北観光に来ていた中国人は、一様にキンキラキンに着飾り、一般の台湾人とは異質な雰囲気を醸し出していた。

北京の友人は、大通りで人にぶつかったら、すぐに謝ったりしてはいけないと釘を指したそうだ。「対不起」と謝ったら、こちらの非を認めたことになる。相手が謝らないのならその必要はないという。長期間北京にいる彼女は、日本人は経済力も技術力も抜群に優秀であるのに、決して威張らない。もっと強い態度に出てもいいのにと思うことも多いそうだ。

この話を聞いて思い至るのは、やはり「中華思想」という言葉。庶民のレベルでは、弱者に対する尊大、強者に対する卑屈という形で、この「中華思想」は現れる。今は敵わない相手と見れば面従腹背の態度を取り、自分が勝つと思えば居丈高に襲いかかる。日中関係を振り返ると、個人でも国家間でもこの繰り返しだったことが分かる。これが「中華思想」の実体なのだろう。

娘が買ってきてくれたキーホルダーには毛沢東の肖像が刻まれ、裏には「好人 一生平安」と書かれていた。何と皮肉な言葉だろうか。この独裁者が大躍進と文化大革命でどれほどの人民を死地に追いやったのか、若い娘は知らないようだ。


台湾・日本語世代からの手紙

2010年01月21日 20時05分07秒 | 台湾

今朝の「産経新聞」に「ここは日本?」という記事(「台湾有情」)が掲載されている。(下掲)

たまたま昨日、台北で知り合った日本語世代の台湾人男性から手紙をいただいた。私が古い日本映画のDVDを送ったことに対するお礼の手紙だったが、その日本語の見事さには驚いた。

「新年おめでとうございます。
昨年は何かとお世話様でした。厚くお礼申し上げます。7日前にお送り下さった小包(DVD)受け取りました。大変恐縮しております。
今後、ご来遊の節は前もってご一報下さい。改めてお礼申し上げ度く想っております。
では簡単ながらお礼方々、お知らせまで。
貴家のご多幸を祈りつつ、ごきげんよう、サヨナラ。
   2010年正月14日  ●●●」





台湾の日本語世代は、今やもう75歳以上となる。今から約20年前、李登輝氏が登場して、台湾の民主化が行われる以前、中国国民党政権は38年間に渡って台湾全土に「戒厳令」を続け、政治的活動、言論の自由を弾圧した。日本語の使用はもとより、日本的なあらゆるものが排斥され、徹底的な「中華民国化」が図られた。戦前の50年間、日本語教育を受けた台湾人の日本語世代は、やっと20年前になって、自由に自分の意見を言えるようになったのだ。現在、85歳の人ならば、65歳という年齢になってようやく本心が話せるようになったということだ。

映画「多桑」(とうさん)を初めて見たとき、私はあのとうさんの気持ちが理解できなかった。台湾の歴史も全く知らなかったし、「植民地統治」自体を”悪”として教えられてきたからだ。

だが、実際に台湾に行き、多くの人と接してみると、台湾人の多くはとても親切で、親日的だ。道を尋ねたら、バイクに乗せて連れて行ってくれたり、個人の車で送ってもらったこともある。日本人であることをことさら意識する必要もなく、淡々と現地の人と話ができて、親切にしてもらえる…こんな国は台湾をおいて他にはないだろう。

悲しいことだが、時は無慈悲に流れる。台湾の日本語世代もあと10年でほぼいなくなってしまう…。だが、映画「海角七号」の大ヒットや、この産経新聞の記事を見ると、台湾人が世代を超えて、日本や日本人との絆を確かめようとしているのが分かる。

一方、日本の若い世代は、台湾と中国の区別さえ定かではなく、台湾は中国の一部だと思っている人も多い。学校教育の場で、正確な歴史が教えられていないのだ。
政治的には今や中国に併呑されようとしている台湾だが、「台湾は中国・中国人とは違うのだ」という認識からすべては始まるのかも知れない。

 

【外信コラム】台湾有情 ここは日本?

2010.1.21 03:21

このニュースのトピックス:外信コラム

 筆者1面コラム「東亜春秋」(12月9日付)で台湾の若者の日本語レベルの高さを紹介したところ、戦前の日本語教育を受けた世代を中心とする日本語サークルが先週末催した忘年会に招待された。出席者は103人にのぼったが、全員が日本語だけを話す宴会場では、まるで東京に一時帰国したような錯覚にとらわれた。

 旧暦の台湾では2月14日が元旦。ひと足早い忘年会の招待主は「友愛グループ(張文芳代表)」。「美しく正しい日本語を台湾に残そう」と1992年に台北で発足したサークルだ。

 台湾人7人と賛助会員の日本人3人でスタートしたが、今や約160人にのぼる。

月例会のため自前の教材を作り、昼食を含めて4時間も朗読や文章表現、漢字などの勉強を続けている。

 平均年齢は75歳と高齢だが、今年も入会者が4人と会員数は増える一方。戦前生まれの高齢者人口が先細りの中で、友愛グループの盛況ぶりは日本人としてうれしい限りだ。

 忘年会では綾小路きみまろのライブビデオを上映したが、日本人しか分からないはずの夫婦の微妙な会話や中高年への風刺に爆笑が絶えない。「そうだ、この人たちは日本人として生まれ育ったんだ!」と腑に落ちる思いがした。

 日本語世代が若者の日本語の土台でもある。大学生の日本語コンテストでは、おじいさんおばあさんとの日本語のやりとりをテーマにしたスピーチもあった。日本語世代の一層の活躍を祈りたい。(山本勲)  「産経新聞」2010.1.21


裏切られた台湾-Formosa Betrayed-

2010年01月19日 21時56分40秒 | 音楽・映画
「裏切られた台湾」(Formosa Betrayed)というハリウッド映画が、米国で公開されるそうだ。
内容については、下記の記事のとおりだとして、何故、いまどき台湾の白色テロ(中国国民党独裁時代の政治弾圧)が採り上げられるのか興味がある。

台湾人からすれば、ようやくハリウッド映画に採り上げられて、台湾の暗黒時代が世界に明らかになるという見方になるのかもしれない。しかし、中共(=中国共産党)政権から見れば、この映画は蒋介石政権の暗部を暴くことになり、中共の正統性を補強する材料ともなりかねない。
実際に見てみないと分からないことが多いが、派手なアクション作品でもなさそうなので、日本で公開される可能性は低そうだ。早くDVDを見たいものだ。


映画『裏切られた台湾』二月末に米国上映 - Formosa Betrayed

ハリウッドで初めて台湾の白色テロ(中国国民党独裁政権時代の強
権政治)をテーマにした米映画『Formosa Betrayed』(裏切られた
台湾)が2月26日より米国で公開される。

プロデューサーのティアオ(Tiao)氏は、世界が台湾で起こった事を
知り、普遍的な人権の尊さを知ってほしいと語っている。

 同映画は1980年代の、海外の台湾民主運動家の奮闘を背景にした
作品。2月26日より、米国ロサンジェルス、ニューヨーク、ボス
トン、サンフランシスコ・ベイエリアで封切られる。

物語の主役はFBIの調査員。台湾系米国人教授の殺害事件の調査中、
実行犯が台湾から来たマフィアであることが判明する。そして背後
で操っていたのは、強権統治を行っていた台湾当局であった。

両親が高雄出身というティアオ(Tiao)氏。両親が江南事件や陳文成
事件の話、また当時の国民党の強権統治について話すのを幼いとき
から聞いていて、それが製作の動機になったという。

この映画を通じて、全世界の人に台湾で起こった出来事を知らせ、
台湾人がどうやって自らのアイデンティティー、正義と、民主のた
めに戦ってきたのか理解し、あわせて普遍的な人権の価値について
思い起こしてほしいという。

台湾のほかに、ブラジル、ルーマニア、東欧でも独裁政府による類
似のテロがあった。

映画を見たある友人が、故郷でスパイに尾行されて監視された過去
を思い出したとティアオ氏に語ったという。

監督のアダム・ケイン(Adam Kane)氏は、最初にこの物語を聞いた
ときには、こんなことがあったとは全然信じられなかったと語った。
学校で台湾の政治的な発展について聞いたことはあったものの、実
際に台湾でどのようなことが行われていたか、知らなかったという。

アメリカ人の視点を通じて、この物語に新しい生命がもたらされ、
台湾の歴史に詳しくないアメリカ人も台湾のこれまでについて知り、
このようなことが再び起きないようにしたい、と語った。

【台湾の声】より

裏切られた台湾-Formosa Betrayed-被出賣的台灣 soreg

検察の「国策捜査」が民主党政権を崩壊させるのか?

2010年01月16日 01時27分38秒 | 政治

小沢一郎・民主党幹事長の元・秘書、石川知裕議員が逮捕された。”衝撃のニュース”ということで、マスメディアは大騒ぎだが、TVを見ていても決して分からないことがある。それは、何のために検察はここまでやるのということだ。民主党大会と国会開会の直前、絶妙のタイミングに行われた逮捕劇を単なる偶然などと考えることはできない。

これは、麻生政権が仕掛けた「国策捜査」の帰結なのか、ロッキード事件のように、米国の尻尾を踏んだ権力者・小沢一郎に対する報復なのか、はたまた検察自体の意思の表れなのか。

直感的に思うのは、民主党の「政治主導」という言葉。内閣法制局長官の国会答弁でさえ禁止した民主党政権。「政治主導」という名のもと、官僚叩きを続け、「外国人参政権」などの危うい政策を採り続ける民主党に対して、検察当局がストップをかけたというのが真相に近いのではないかと思われてならない。これ以上民主党政権が続けば、日本を支えてきた屋台骨である官僚機構が、私利私欲の塊である”政治屋”に壊されてしまう。これが検察当局の本心ではないだろうか。
TVのワイドショー風にいえば、官僚VS.政治家のバトルということになるのだろうか。

マスメディアがバックアップしてできた民主党政権を検察当局がぶち壊す…こんなことをしている間に、日本の没落は止まらない。これでいいのか…。

 

石川知裕議員を逮捕 4億円不記載 東京地検特捜部 

1月15日22時8分配信 産経新聞

拡大写真
民主党の石川知裕議員(酒巻俊介撮影)(写真:産経新聞)
 民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」が平成16年に購入した土地をめぐり、政治資金収支報告書に4億円を記載しなかったなどとして、東京地検特捜部は15日夜、政治資金規正法違反(不記載)容疑で、小沢氏の元私設秘書で陸山会の会計事務担当だった民主党衆院議員、石川知裕容疑者(36)と、後任の会計事務担当だった小沢氏の元私設秘書、池田光智容疑者(32)を逮捕した。特捜部は今後、不透明な資金の流れの解明を進めるとともに、小沢氏本人の関与も調べる。

 
[図で見る] 陸山会をめぐる経過

 また、特捜部は昨年3月の西松建設の違法献金事件で逮捕、起訴された元会計責任者の公設第1秘書、大久保隆規被告(48)=公判中=の逮捕状も取った。政界の最高実力者、小沢氏の現・元秘書3人への強制捜査で、鳩山政権や18日招集の通常国会への影響は必至となった。

 特捜部の調べなどによると、石川容疑者は16年10月、東京都世田谷区の土地を約3億4千万円で購入した際、簿外で調達した土地代金4億円を収支報告書に記載しなかった疑いが持たれている。

 石川容疑者はこれまでの事情聴取に対し、「小沢先生に相談し、小沢先生の個人資金4億円を土地代金にあてた」と説明。しかし、特捜部は資金の原資に、国発注の胆沢(いさわ)ダム(岩手県奥州市)工事をめぐり、石川容疑者が水谷建設から受けたとされる5千万円など、工事を受注したゼネコンからの裏献金が含まれている疑いが強いとみて、石川容疑者らを追及する。

 特捜部は5日、小沢氏に参考人聴取に応じるよう要請したが、小沢氏は多忙を理由に拒否。こうしたことから、特捜部は13日に小沢氏側への強制捜査に着手。石川氏の議員会館事務所や小沢氏の個人事務所、大手ゼネコン「鹿島」本社などを家宅捜索していた。

 石川容疑者は8~17年に小沢氏の私設秘書を務め、12~16年に陸山会の会計事務を担当。17年9月の衆院選に初出馬して落選したが、別の民主党議員の辞職に伴い、19年3月に比例北海道ブロックで繰り上げ当選した。21年8月の衆院選で当選し、現在2期目。

 現職国会議員の逮捕は、17年11月に弁護士法違反容疑で逮捕された民主党の西村真悟前衆院議員以来。政治資金規正法違反では、15年3月に後援企業から受けたヤミ献金を収支報告書に記載しなかったとして逮捕された坂井隆憲元衆院議員以来。

グーグルが伝える「天安門事件」

2010年01月15日 11時26分07秒 | マスメディア

グーグルが自主規制を解除して、天安門事件など中国政府にとって都合の悪い事実を掲載したという。
早速、アクセスしてみた。戦車によってひきつぶされた無惨な死体、さらしものになった焼き殺された死体など、蛮行の数々が映し出されている。

この20年、中国は著しい経済成長によって”超大国”の仲間入りを果たした。対日関係では、靖国などの”歴史カード”を使って、数々の恫喝を行ってきた。
その成果なのだろうか、中国の”反日”史観を代弁したかのような番組をNHKが制作した。「Japanデビュー アジアの”一等国”」がそれだ。

だが、グーグルを検索してみて、ある中国人のブログ※がNHK報道を根拠に体制批判をしていることを知った。NHK「激流中国」がその番組で、中国の抱える矛盾や社会問題を採り上げ話題になった。中国当局はこの番組に激怒したと伝えられている。

今回のグーグルの一件は、マスメディアが果たすべき使命というものを考えさせられる。

※ http://images.google.com/imgres?imgurl=https://sites.google.com/site/freeWorld/shou-ye/jing-dian-ji-lu-pian/nhkzhongguominzhuhuadeqianjing/%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%97%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B620%E5%91%A8%E5%B9%B4.jpg&imgrefurl=https://sites.google.com/site/freeWorld/&usg=__ZSJ7OlDlhorGgP7r3rBzDa8sYwU=&h=281&w=500&sz=31&hl=zh-CN&start=25&um=1&itbs=1&tbnid=hcS7upgg-7lc5M:&tbnh=73&tbnw=130&prev=/images%3Fq%3D1989%25E5%25B9%25B4%25E5%25A4%25A9%25E5%25AE%2589%25E9%2596%2580%25E4%25BA%258B%25E4%25BB%25B6%26ndsp%3D20%26hl%3Dzh-CN%26lr%3D%26sa%3DN%26start%3D20%26um%3D1


グーグル対中国政府 バトルは第2段階に突入

2010年01月14日 14時09分13秒 | マスメディア

インターネットの検索最大手グーグル(Google)が、中国政府による検閲及びサイバー攻撃に抗議して、中国からの撤退をほのめかしている。最新情報では、これまでタブーだった「天安門事件」に関する記事が掲載されたという。
経済が急成長を続ける中国は、まれに見る有望な市場。日本企業は、商売のために、中国政府、企業の理不尽な要求を呑まされてきた。そこに登場したのが、グーグルの大胆な決断だ。中国人は分の悪い喧嘩はせずに、次の機会をじっと待つという習性があるので、米国に対しては居丈高に出ることはしないだろう。それ故に、このバトルはグーグル側がとりあえず勝つのではないか。

米国の掲げる「人権」「民主主義」というカードは、たとえ斜陽の超大国になったとはいえ、まだまだ水戸黄門の印籠のような効用があるのだろうか。
「靖国参拝」「南京大虐殺」という歴史カードを持ち出されれば、すぐにシュンとなってしまう日本とは、エライ違いだと思う。

当面、グーグルには頑張ってもらって、中国国内の反中共(=中国共産党)知識人を勇気づけてもらいたい。

中国のグーグル検索に「天安門事件」登場、オフィスは厳戒

1月14日11時3分配信 CNN.co.jp

北京(CNN) 「ネットの検閲はもう続けない」と宣言した米検索大手のグーグルが13日、中国の検索サイト「Google.cn」に天安門事件やダライラマ、法輪功など従来は出て来なかった検索結果を表示するようになった。

これまでは同サイトで「天安門」を検索しても、天安門の写真が出てくるだけだったが、13日以降は1989年の天安門事件について解説したサイトへのリンクが表示されるようになった。ただし部分的に検閲された状態と検閲されていない状態が入れ替わるなど、不安定な表示が続いている。

グーグルは同日、中国でサイバー攻撃の被害に遭い、何者かが人権活動家の電子メールに不正アクセスしようとした痕跡があると発表し、「検索の検閲をこれ以上続けるつもりはない」と言明。今後の成り行きによってはGoogle.cnのサイト閉鎖や同社の中国からの撤退もあり得ると表明した。

ただし今回のサイバー攻撃について中国政府の関与を直接明言したわけではなく、検閲なしの検索サイト運営の可能性について当局と話し合うとしている。

北京にあるグーグル中国法人のオフィスでは、この発表から間もなく従業員に有給休暇が出されたと伝えられ、いつになく厳重な警備が敷かれた。米カリフォルニア州の本社が運営する社内のシステムなどにもアクセスできなくなっているという。

オフィス前にはグーグルのユーザーやファンが集まって言論の自由を守る姿勢に支持を表明。同社には大量の花がひっきりなし届けられており、現地のブログはこれについて、グーグルの中国撤退を見越して哀悼の意を表するものだと伝えている。

グーグルは2006年に中国で検索サイトを立ち上げたが、現地の大手バイドゥ(百度)に阻まれてシェアは伸び悩んでいた。中国インターネット・ネットワーク情報センターの09年9月の統計によると、ネット検索市場のシェアは百度が77%、グーグルが13%となっている。しかし3億人以上がインターネットを利用し、広告市場の急拡大も見込まれる同国から撤退すれば、グーグルにとっては大きな痛手となる。


台湾・新竹の駅舎とプロムナード

2010年01月10日 23時02分13秒 | 歴史
ビーフンとハイテク産業で有名な新竹市を訪ねると気づくのは、日本統治時代に作られた駅舎。駅を中心にして放射状に拡がる道路、疎水の両端に続くプロムナード(散歩道)など。先進的な都市計画によって作られた街であることが分かる。
郊外の新漁漁港には大きな海鮮市場があって、大勢の人が訪れる。日本統治時代には、特攻隊の基地があったと聞いた。

 (新竹駅~駅舎・ホーム)

(駅前に続くプロムナード)

(警察署)
(南漁漁港)









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「台湾人の声は伝わるか」 西日本新聞の年頭記事

2010年01月10日 13時17分23秒 | マスメディア

朝日新聞、NHKにはもはや公正な報道など期待できないが、西日本新聞の年頭の記事「10年年頭 台湾人の声は伝わるか」には感心した。
今や中国に併呑寸前となった台湾の現状を正確に伝えている。マスメディアは、こういうようにまともな現状分析をしてほしいものだ。

10年年頭 台湾人の声は伝わるか

2010年01月07日 12:38
 有刺鉄線の張られたバリケード、至る所で見張る警官隊。コンビニの壁面ガラスはベニヤ板で覆われ、高速バスターミナルも営業休止となった。昨年末に中台窓口機関のトップ会談が開かれた台湾中部・台中市のホテル一帯は、異様な緊迫感が漂っていた。中国の窓口トップが来るだけで、これだけの厳戒態勢が敷かれるのは、台湾社会に根強い反中感情があるからにほかならない。

 台湾に着任して2年余りになるが、馬英九政権発足後1年半の中台の接近ぶりには目を見張る。台北の名所・故宮博物院や世界第2位の超高層ビル「台北101」は中国人ツアー客であふれている。彼らは大所帯で声も大きいから、ひときわ目立つ。昨年、台湾を訪れた中国人は前年の約3倍に増えたが、日本や米国、韓国からの訪台者はすべて減少した。「中国人の集団に恐れをなして得意客が逃げ出した」と野党系メディアは皮肉っている。

 台湾製品の輸出先の4割を中国(香港含む)が占め、観光業界も中国人客に頼らざるを得ない。台湾経済が中国抜きで成り立たないのも現実。だが、中国人と接するほど違和感を抱くという台湾人は少なくない。

 ハイテク企業に勤め、年に10回は中国の工場に出張するという40代の台湾人男性は「初めは中国人とも酒を飲んで話をすれば、分かり合えると思っていた。でも、彼らは自分たちが正しいと主張するだけで、台湾人の意見に耳を貸そうともしない。もう仕事上で必要なことしか話さないことにしている」と打ち明ける。

 昨年末のビジネス誌「天下」の世論調査によると、台湾住民のうち「自分は台湾人」と思う人は62%を占めたのに対し、「中国人」と思う人は8%、「どちらでもある」としたのは22%だった。台湾の将来については当面「現状維持」を望む人が78%と大多数だが、長期的展望を含めると「台湾独立」支持が44%、「中国との統一」支持はわずか12%だった。

 中国との統一を望まず、自分は中国人ではないとする人が多数を占める台湾。中国とは別の歴史をたどって築き上げた自由で豊かな今の社会を、住民は大切に守っていきたいようだ。

 だが、台湾を自国の一部と主張する中国は、台湾海峡沿いに約1300基(台湾国防報告書)のミサイルを配備し、武力行使の選択肢を放棄していない。「威嚇」の下で、中台の市場一体化は着々と進む。

 巨大な市場と軍事力を抱え、存在感を増す中国。天安門事件が起きた際には経済制裁を発動した日米欧諸国も、最近は対中批判のトーンを弱めている。「台湾人の意見」はますます世界に伝わりにくくなっているようだ。

=2010/01/07付 西日本新聞朝刊=

台南・高雄の歴史建造物~日本統治時代の遺産Ⅱ

2010年01月09日 21時35分40秒 | 歴史
古都・台南は、台南駅舎、警察署、消防署など日本統治時代の建物を今なお使用している。それらを見ると、確かにノスタルジアを感じ、タイムスリップしたような感覚に陥る。
港湾都市・高雄では、新しい駅舎が建てられたが、日本時代の駅舎は、位置をずらして移転・保存されている。
中国の大連や瀋陽でも、駅舎は今なお日本時代のものを使っているが、新たに建築するとなったら、台湾のように保存するかどうかは、はなはだ疑問だ。旧・朝鮮総督府の建物を”爆破”した韓国に至っては、言うまでもないことだが…。

台湾が歴史的な建築物を文化財として保存しているのは、率直に嬉しい。

 (台南駅)

(警察署)(消防署)

(国立台南文学館 旧・台南州庁舎)

(国立成功大学)

(台南法院)

(高雄駅舎 現在は記念館)(記念館に飾られていた日本時代の写真)
(高雄市立歴史博物館)



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台北の歴史的建造物~日本統治時代の遺産

2010年01月09日 14時53分06秒 | 歴史
毎日新聞社刊行の「台湾ノスタルジア」は、日本統治時代の建築物を数多く採り上げている。通常の旅行ガイドブックは、あたかもこれらの建築物について触れることを避けているかのような印象を受ける。だが、故宮博物院を訪れるだけでは、台湾の歴史は分からない。故宮博物院は、蒋介石が大陸から移転させた文物の保管所に過ぎないからだ。彼にとっては、南方の島に過ぎない台湾は、仮の住所に過ぎず、故宮博物院は、彼の権力の正統性を示す象徴だった。
われわれ日本人にとっては、旧・台湾総督府(総統府)、台北帝国大学医学部病院(台湾大学病院)をはじめとする日本時代の建築物を訪ねることで、身近に歴史を感じることができる。

(旧・台北博物館 現・国立台湾博物館) (博物館の1階フロアー)(博物館の天井ステンドグラス)

(旧・専売局庁舎)(旧・専売局庁舎)(旧・台北放送局 現・二二八記念館)(現・国立中正中学校)

 (旧・台湾総督府 現・総統府)

 (北投温泉博物館)

(旧・台北帝国大学病院 現・国立台湾大学病院)(病院の内部)


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台湾・澎湖諸島に残る日本統治時代の建築物

2010年01月08日 11時41分00秒 | 歴史



先日、毎日新聞社から「台湾ノスタルジア」というムック本が出た。この本の中には、台湾に今も残る日本統治時代の建築物を採り上げ、詳しく説明している。私自身、台北にある台湾博物館、旧・専売局庁舎などの美しいフォルムに目を奪われた。
ただ、「台湾ノスタルジア」には、澎湖諸島の建築物は紹介されていない。台湾本島から遠く離れた島々なので、日本との関わりが少ないように思われるが、決してそうではない。日清戦争終結後の下関条約で「台湾及び澎湖諸島を日本に割譲する」と決められたように、澎湖諸島はその地政学的位置のため、日本海軍の4大重要港のひとつとなったほどだ。
中国国民党独裁時代は「滅共」の最前線となり、外国人が立ち入るような地域ではなかったが、近年、観光リゾート地として注目されるようになった。昨年、政府が提案した「カジノ化構想」について、住民投票が行われ、住民は「NO」の意思表示を示した。

日本人観光客はまだまだ少ないようだが、観光スポットには日本語の表示・解説が記され、日本語のパンフレットまで備えられている。澎湖県庁の庁舎は、今なお日本統治時代の澎湖庁舎を使用し、後藤新平が建てたと言われる澎湖病院は今も現役である。
75歳以上の老人は、日本語を話す。小学校の途中まで、日本語教育を受けたからだ。古い台湾の街並みが残り、日本統治時代の主要建築物もきちんと保存されている。ぜひ、訪れてみたい街だ。

   (馬公港)(旧・馬公税関)(税関裏庭の百年古木) (ライトアップされた旧・馬公税関) (澎湖病院) (澎湖病院とメインストリート) (澎湖記念館~皇室来賓用に建てられた旧・迎賓館) (澎湖記念館の内部~純和風のインテリア) (旧・専売局庁舎~現在も専売局として使用)(現・澎湖県庁舎 )(現・澎湖県庁舎) (旧・馬公警察署 現在は記念館)











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