澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「野バラ」~台湾映画「海角七号」のラストシーン

2009年06月29日 19時20分58秒 | 台湾
映画「海角七号」のラストシーンです。
わかりやすいように、字幕は英語にしました。

「海角七号」(2008年 魏徳聖監督)は、台湾映画史上最大のヒット作となった。日本統治時代から60数年を経 た今、戦前と現在の日台のラブストーリーが描かれる。「野バラ」は日本統治時代に省歌 として唄われ、戦後の中国国民党独裁時代においても、ドイツの歌曲であるが故に禁止さ れることはなかった。(日本の曲はすべて排斥された。)つまり、時空を超えた、日台共 通の歌なのである。
1945年12月、日本人教師とともに日本に行こうと決心した教え子「小島友子」(日 本名)は、結局、埠頭で帰還船を見送る。彼女を連れて帰れなかった日本人教師は、悔恨 の手紙を書く。しかし、その手紙は63年を経て、その娘によって台湾に届けられる。そ れを手にする、年老いた「小島友子」がクローズアップされ、やがて日本語の「野バラ」 の合唱によって映画は終わる。
この画面は、何回見ても示唆的であり、心に残る。何故、この映画が日本で公開されず、 NHKの「アジアの一等国」のような偏向番組がまかり通るのか。われわれはもっと憤るべきではないのか?

「野バラ」~台湾映画「海角七号」のラストシーン



李登輝氏、「台中交流」を語る

2009年06月29日 09時44分31秒 | 台湾

李登輝氏は、健在のようだ。一時、不調を伝えられていたが、次のようなニュースが届いた。


李登輝元総統が台中交流について語る



 李登輝・元総統(元大統領)は6月27日、群策会のパーティーに出席し、台湾と中国の交流について語った。
 馬英九総統(大統領)が「92年合意」(一つの中国の解釈をそれぞれ表明する)を台中両岸交流の基礎とすると主張していることに関して、李元総統は「馬政権は歴史を捏造し、台湾人を騙しており、これは台湾人にとって極めて不満なことだ」と批判した。
 台湾と中国の交流強化について、李元総統はルールさえきちんとしていれば「3通でも、4通でも、5通でも構わない」と基本的には反対しない考えを示したが、その方式については台湾と中国がいずれも加盟している世界貿易機関(WTO)の枠組みで進められるべきであると語り、「国共(中国国民党と中国共産党)の交流方式のどこが必要なのか?」と政党主導の交流方式を批判した。

 また、李元総統は中国との交流を強化する際には、アメリカ、日本、ヨーロッパとさらに関係強化する必要があると強調した。
 李元総統は、台湾と中国の関係について「あなたはあなた、私は私、あなたは私の友達」と述べ、自他関係をはっきりさせた上で友情関係を構築すべきとの考えを示した。これは台湾と中国が交流する際に、「一つの中国は中華民国」を強調する馬政権を牽制し、「私も同じ中華民族」、「大陸の同胞」などと中国人になろうとする台湾人を戒め、「台湾人」として中国人とつきあう重要性を説いたものと言える。

          (「台湾の声」 2009.6,.29)

 




映画「台湾人生」を見に行く

2009年06月27日 16時08分33秒 | 台湾
今日から上映される映画「台湾人生」を見に行く。

  (上映直後の「ポレポレ東中野」)

台湾の日本語世代にインタビューしたこの映画は、酒井充子(あつこ)監督の初作品。当初、「逍遙日記」というタイトルで上映される予定だったが、「台湾人生」と変更されたようだ。



会場となった「ポレポレ東中野」は、150席くらいの小映画館。開演40分前に出かけたのだが、すでにかなりの人が並んでいた。結局、折り畳みイスの席に座ったが、後から来た人は「座布団席」か立ち見となったので、かなりの人数が集まったようだ。
初日の挨拶に立った酒井監督は、ネットの映像で見るよりも、ずっと穏やかで美人という印象。映画の取材を始めるまで「…台湾のことは、ほとんど何も知らなかった」と話されていた。「中国研究」では屈指の大学を卒業された酒井監督でさえそう言うのだから、われわれが無知なことも当然なのかも知れない…。

  (映画に登場する蕭錦文(しょう・きんぶん)氏)

映画は、次の五人に対するインタビューで構成されている。楊足妹(1928年生)、陳清香(1926年生)、塔立國普家儒漾(1928年生 ※2008年7月死去)、宋定國(1925年生)、蕭錦文(1926年生)。
今や80歳を超えた日本語世代の中のごく普通の人たちだ。
→ http://www.taiwan-jinsei.com/cast.html

蕭錦文(しょう・きんぶん)氏は、今なお「二二八記念館」でボランティア・ガイドを勤めている。私が「二二八記念館」を訪れた5月26日は、偶然にも蕭さんの勤務日に当たっていて、1時間半もの間説明をしていただいた。日本人に対する好意に溢れたお話に、私自身もますます台湾に対する親近感を深めた。
蕭錦文さんは、「二二八記念館」では話さなかったことをこの「台湾人生」の中では語っている。ひとつは自らも軍隊(帝国陸軍)に志願した体験から、日本政府は、日本兵として戦った台湾人に対し、「ご苦労様」と言うべきではないかということ。もうひとつは、自分は日本人として育ったので、いまでもその精神を引き継いでいるという述懐だ。

実は、「二二八記念館」で解説する前に、蕭さんは私に一枚の印刷物をくださった。それは、自費で5000枚印刷したという「教育勅語」だった。

7月4日、この映画の上映のために、蕭さんは東京にやってくる。酒井監督とのトークが楽しみだ。
NHK「アジアの”一等国”」のような歴史観がまかり通ろうとする昨今、この「台湾人生」がより多くの人に観られることを願った。映画館を見渡す限り、意外にも若い人が多く、まだまだ捨てたものではない…と思った。

   (映画「海角七号」)

NHK「アジアの”一等国”」が振りまいた”害毒”は、この「台湾人生」、そして台湾映画「海角七号」で十分”解毒”できるはずだ。






NHKの偏向報道を提訴~「アジアの”一等国”」

2009年06月25日 17時12分05秒 | Weblog

NHKスペシャル「Japanデビュー」第1回「アジアの”一等国”」(4月5日放送)は、日本の台湾統治を採り上げた。その内容は、中国共産党政府の台湾統一工作に加担し、台湾人に”嫌日感情”を植え付けようとするものだった。「人間動物園」「日台戦争」というような異常な表現は、日台の歴史を誤って認識させるばかりでなく、公共放送としての見識を疑わせるものだった。

今日、4千人近い視聴者がNHKを東京地裁に提訴したという事実は、まだまだ良識ある人がいるのだなという思いを強くした。



「アジアの”一等国”」の一部が次にUPされています。おどろおどろしいナレーションで始まるこの番組は、当時のアジア、日本が置かれていた国際環境を考えることなく、一方的に日本の台湾統治を断罪しています。
一方、米国のディスカバリー・チャンネルが制作した「知られざる台湾~台南市の歴史」では、日本の台湾統治を客観的な眼で記録しています。両者を比較してみると、NHKがいかに歴史をねじ曲げ、センセーショナルな番組作りをしているかよく分かります。ぜひ、アクセスしてみてください。

《NHK「アジアの”一等国”」より」》

http://www.youtube.com/watch?v=UGdU45VIXmA

 

《ディスカバリー・チャンエル「知られざる台湾~台南市の歴史」より》

http://www.youtube.com/watch?v=YG9HvrgwmaM





 

NHKの台湾支配報道は「捏造」  歴史研究者ら8千人提訴

 戦前の台湾に対する日本の植民地支配を報じたNHKのドキュメンタリー番組は「事実を捏造し、放送法違反に当たる」として、歴史研究者や視聴者ら8389人が25日、NHKに1人当たり1万円の損害賠償を求め東京地裁に提訴した。

 番組は4月5日放送のNHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー」の第1回「アジアの“一等国”」。植民地時代の台湾について、現地で発見された台湾総督府文書などの資料や、当時を知る住民へのインタビューを基に構成した。

 原告は小田村四郎・元拓殖大総長や中村粲・昭和史研究所代表のほか、インターネットなどを通じ集まった視聴者ら。

 訴状で原告側は「番組は当時の日本がいかに現地の住民を虐待、差別、利用したかを延々と述べている」と主張。放送後に現地調査をした結果、出演した住民のほぼ全員がNHKに訂正と抗議を求めたとし「悪質なやらせ取材などがあった」としている。

 NHK広報局は「訴状を受け取っておらずコメントできない。番組内容には問題がなかったと考えている」としている。

 

 


映画「台湾人生」と蕭錦文氏

2009年06月25日 08時39分54秒 | 台湾
5月末、台北「二二八記念館」でお会いした蕭錦文(しょう・きんぶん)氏が登場する日本映画「台湾人生」が、いよいよ今週の土曜日(6月27日)劇場公開される。酒井充子監督が、台湾の日本語世代を丹念に取材した注目すべき作品だ。彼らの多くは、もうすでに80歳代半ば、残された時間は少ない。こんな時期に、ドキュメンタリー映画を遺そうと決心した酒井監督には、心から敬意を表したい。

 (蕭錦文氏と…二二八記念館)

劇場公開といっても、小さな映画館での早朝ロードショウ。それでも、少なからぬ人の注目を集めることは間違いない。
84歳の蕭錦文氏は、この劇場公開のために日本に駆けつけてくれるようだ。再会が待ち遠しい。


《公開予定》
6月27日(土) 上映前
 ゲスト : 酒井充子監督 舞台挨拶
6月28日(日)上映後
 ゲスト : 酒井充子監督 舞台挨拶

7月4日(土) 上映後
 ゲスト : 蕭錦文さん(出演者)×酒井充子監督
7月5日(日) 上映前
 ゲスト : 蕭錦文さん(出演者)×酒井充子監督
7月11日(土) 上映後
 ゲスト : 鈴木邦男さん(評論家)×酒井充子監督
7月12日(日) 上映後
 ゲスト : 二井康雄さん(映画ジャーナリスト)×酒井充子監督
7月18日(土) 上映後
 ゲスト : 小林茂さん(映画監督『わたしの季節』『チョコラ!』)
       ×酒井充子監督
7月19日(日) 上映後
 ゲスト : あがた森魚さん(ミュージシャン

《劇場》 ポレポレ東中野(東京都中野区)

自民党の”最後の切り札”

2009年06月23日 09時27分49秒 | Weblog

麻生内閣支持率がさらに低下し、自民党内部では「麻生おろし」の動きが始まったという。今朝の「産経新聞」によれば、内閣支持率は17.5%、「信頼できるのは誰か」という質問では、鳩山由紀夫代表57.3%、麻生太郎22.7%という結果が出たという。
西松建設問題がくすぶるなかでも、民主党優位は変わらないというのが現状のようだ。

だが、自民党の劣勢を一挙に覆し、民主党をノックアウトする”秘策”が進みつつある。先日、厚生労働省の村木厚子局長が公文書偽造の疑いで逮捕されたが、その後の捜査状況はあまり報道されていない。本人は、事実関係さえも否認しているようだ。
この問題で関与を噂される政治家が、民主党の重鎮・石井一。民主党というよりも自民党のボスという経歴、印象の持ち主だが、この石井一代議士が、事情聴取され、さらには逮捕されることになれば、民主党の優位は一気にしぼんでしまう。
検察当局がどこまで政治に介入するのか注目されるが、総選挙直前の絶好のタイミングにこれを行うとすれば、民主党へのダメージは致命的だろう。

検察当局は、民主党の胡散臭さを熟知していて、多少の批判は承知の上で、自民党への肩入れしているのではないかと思われる。「財政のムダをなくせば、消費税を上げないで済む」「在日外国人にも選挙権を与えるべきだ」「友愛外交」…。胡散臭いスローガンはいくらでも思いつく。
アッと驚く大逆転…これが検察当局から飛び指す可能性は大だ。

 

元局長、全面否認続ける 郵便不正、逮捕1週間

 障害者団体向け郵便料金割引制度悪用事件で、制度利用に必要な団体の証明書を偽造した容疑で、厚生労働省の元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子容疑者(53)が逮捕されて21日で1週間。捜査関係者らによると、当時の部下や上司ら周囲が同容疑者の関与を供述する一方、同容疑者は20日に接見した弁護士にも関与を否定するなど一貫して容疑を否認しており、供述の食い違いが鮮明になっている。

 村木容疑者は2004年6月上旬、自称障害者団体「凜(りん)の会」(東京・文京、現・白山会)の証明書を共謀して偽造するなどした虚偽有印公文書作成・同行使容疑で大阪地検特捜部に逮捕された。(21日 07:00)

 





「チャイワン」の衝撃

2009年06月18日 11時26分02秒 | 台湾

一昨日の「産経新聞」に興味深い記事を見つけた。

チャイワン」とは、China+Taiwanの合成語。昔だったら、サヨクの中国派教授センセイが、眼を剥いて怒り出しそうな言葉だろうが、今はそんな人より、「やはりなあ…」と感心する人が多いだろう。
先日、西部邁氏が「中国に併呑された台湾」という番組をやっていた。(東京MX・TV 6月13日)そこでは、台湾独立派の医師・林建良氏が出演していたが、番組タイトルは確かに「…併呑された」となっていた。

経済交流が活発化するにつれて、相互依存はますます深まっていく。相互依存といっても、2300万人ほどの台湾は、大連、瀋陽、鞍山の3都市を合わせた程度の規模にしか過ぎない。両氏の会話がかなり悲観的に聞こえたのも、無理もないところだ。

そこにこの「チャイワン」。台湾が中国に併呑されれば、台湾人にとっても不幸なことだし、日本の国益にも反することは間違いない。「海角七号」のような映画が作られることも、金輪際あり得ないだろう。

東ドイツが合法的に解体される1年も前に、東独国防軍の制服が蚤の市で売られていたことを知ったが、下手をすれば台湾もこのようになるのだろうか。

【東亜春秋】台北支局長・山本勲 「チャイワン」の衝撃

2009.6.17 03:09

 「チャイワン」という新語をご存じだろうか。中国(チャイナ)と台湾(タイワン)の合成語で、双方の産業連携・協力の動きを総称してこのところ中台や韓国のメディアに登場するようになった。主導する中国には自らの市場や資金力と台湾ハイテク産業の競争力を結合することで、21世紀のグローバル競争をリードしようとの遠大な戦略もうかがえる。しかし経済統合を通じて政治統合(中台統一)の土台を固めようとの狙いも明確なだけに、台湾内でも対応をめぐり論争が絶えない。

 「チャイワン」論議の“火付け役”は韓国紙「朝鮮日報」(5月30日付)が報じた「韓国を猛追する中国と台湾」という記事。ここへきて韓国ハイテク産業の中国市場でのシェアが急低下したが、その原因が最近中国で「チャイワン」と呼ばれている中台企業の“共同戦線”にあるというのだ。

 液晶パネルが代表例で、同紙によると昨年1~3月の韓国勢の中国市場でのシェアは46%と2位の台湾(35%)、3位の中国(13%)を圧倒していた。ところが今年同期は台湾勢が57%と、韓国(30%)の倍近いシェアを獲得して形勢が大逆転した。

 ハイセンス(海信)など中国の主要なテレビメーカー8社が、液晶パネルの調達先を韓国製から奇美電子などの台湾製に切り換えたためだという。中国政府による台湾企業支援の行政指導によるところも大きい。台湾製パネルを安く大量購入した中国ブランドの低価格液晶テレビの売り上げが韓国ブランドを大きくしのぎ、1~3月は上位4位までを独占した。

 朝鮮日報紙の報道を契機に、このところ台湾でも「チャイワン」論議が盛り上がっている。馬英九政権の対中関係改善、経済交流拡大策を支持する中台統一派系の「聯合報」と「中国時報」がこの言葉に肯定的な一方、台湾アイデンティティーを最重視する本土派・独立派系の「自由時報」紙は極めて批判的、否定的だ。

 肯定派は「中国の巨大市場や資金力と台湾のハイテク技術、モノ作りのノウハウを結びつけ、両岸(中台)の中華民族がウィン・ウィンの関係を築くことで台湾経済の再生を果たそう」と唱える。

 否定派は「中国の台湾に対するさまざまな経済優遇策(台湾産品買い付け団の相次ぐ派遣や在中国台湾企業への資金支援など)はすべて中台統一を急ぐための一時的な方便に過ぎない。逆に資金や技術を吸収されて台湾が香港のように空洞化する」と警戒する。

 水と油のような双方の主張のどちらにも一定の説得力がある。中国の市場や労働力を生かすことなしに、台湾企業が世界競争で生き残るのは難しい。台湾企業が主導権を握れる範囲で中台の産業連携・協力を進めることは避けては通れないだろう。

 一方で、中国の“微笑攻勢”が台湾統一をめざした冷徹な戦略、戦術に基づくことも否定しようがない。このところ中国から家電やLED(発光ダイオード)照明などの業界の買い付け・交流ミッションの来訪が相次いでいる。

 彼らの最大の狙いはこれを機に世界のトップクラスに躍り出た台湾ハイテク産業との連携・協力を強め、先端技術の移転や共同開発体制の構築を進めることにある。

 台湾側がこの面で確固たる政策、戦略と実行体制を整えなければ否定派の懸念が現実になりかねない。台湾との関係が緊密な日米のハイテク産業にとっても無関心ではいられない。


 


台湾の国会場外バトル

2009年06月09日 20時45分19秒 | 台湾

台湾の国会は”乱闘”で名高いが、場外バトルというべき面白いニュースが届いた。
さすが毎晩TVで政治討論会が行われている国だけのことはある。

台湾議員のかつらをはぎ取った男、5カ月の禁固刑

6月9日18時2分配信 ロイター

 [台北 9日 ロイター] 台湾の台北地裁は9日、「テレビ映りの良い」与党議員のかつらをはぎ取った男に、5カ月の禁固刑を言い渡した。
 陳水扁前総統の支持者のHuang Yung-tien被告(50)は、昨年12月、前総統の保釈に異議を唱えていた国民党のChiu Yi議員のかつらを外した罪に問われていた。 
 裁判所の報道官は「Chiu議員には、好きなものを身につける権利があり、意図的にそれらを取ることが権利の侵害にあたると判断した」と語った。
 一方、地元メディアによると、Huang被告は自身の行動を「不注意」だったとした上で、判決は重すぎると話しているという。

ハリセンボンの刺身を食べる~台湾・澎湖諸島の旅

2009年06月06日 17時23分10秒 | 台湾
何しろ、旅行中2260枚写真を撮ったので、早く整理しないと忘れそう…。
印象に残る写真を3枚。



《写真》馬公名物・ハリセンボンの刺身
澎湖諸島の県庁所在地・馬公市の名物は、ハリセンボンの刺身。沖縄でもハリセンボンを食べるのだそうですが、とげ抜きが面倒なので、刺身では食べないそうです。中国語学校経営者の奥さんがごちそうしてくださったのがこれ。フグの皮よりもずっと厚みがあって、ぷりぷりしている。ちょっと渋い味が残るのは、フグと同様。日本酒を一杯やりながらいただいたら、もっと美味しいかも…。



《写真》「民族の救いの星」
台南・国立文学館の展示から。「民族の救いの星」が鼠だったというパロディ。「民族大救星」というのは、文化大革命時代、毛沢東を讃えた言葉でもあるが、ここでは蒋介石独裁を揶揄している。蒋介石の中国国民党は、国共内戦に敗北し、台湾へ敗走してきたにもかかわらず、中国大陸を取り戻す(光復大陸)というスローガンのもと、38年間ものあいだ戒厳令を出し続け、台湾人を弾圧した。
大陸でも台湾でも、「ひとつの中国」「大中華」を叫び続けた「救いの星」は、人民に大きな苦しみだけを残した…。



《写真》台北・迎賓館の門扉に残る菊の御紋章
台北・総統府の近くにある「迎賓館」の門扉には、まだ菊の御紋章が昔のままに遺されている。台湾では、日本統治時代を全面否定せず、文化財的価値がある建物はきちんと保存している。その点で朝鮮総督府の建物を爆破した韓国、満鉄アジア号を吹きさらしのあばら屋に放置している中国とは、全く異なる。

「日台関係史1945-2008年」を読む

2009年06月05日 04時09分20秒 | 台湾
「日台関係史 1945ー2008」(川島真ほか 東大出版会 2009年)を読む。

 (「日台関係史 1945-2008」 川島真・清水麗・松田康博・楊永明著 東大出版会 2009年)

東大出版会のこの種の本は、さすがに質が高い。「ヨーロッパの政治」(篠原一)「日本の政治」(京極純一)など、かなり前になるが愛読した本も多い。これらの本の多くは、講義録をベースにしたもので、やはり何はともあれ最高学府だなと思う。

奇妙なことだが、これまで台湾の政治史を扱った本格的な通史は存在しなかった。「ひとつの中国」という原則、あるいは「幻想」と呼ぶべきものが、学界までもを包み込み、台湾は中国の一部としてしか扱われなかったのである。

だが、この「日台関係史」は違う。その構成をみると…
序 章 戦後日華・日台関係を概観する(川島真・松田康博)
第1章 日華・日台二重関係の形成ー1945~49年(川島真)
第2章 日華関係正常化の進行ー1950~57年(川島真)
第3章 日華関係再構築への模索とその帰結ー1958~71年(清水麗)
第4章 日華断交と72年体制の形成ー1972~78年(清水麗)
第5章 日台関係の安定化と変化への胎動ー1975~87年(松田康博)
第6章 台湾の民主化と新たな日台関係の模索ー1988~94年(松田康博)
第7章 安全保障の二重の三角関係ー1995~99年(楊永明)
第8章 東アジアの構造変動と日台関係の再編ー2000~06年(楊永明)
終 章 継続と変容の中の日台関係(清水麗)

この目次を見ただけでも、本書の意図は十分に伝わってくる。
東京大学には、長い間、台湾研究の講座が存在しなかった。教養学部国際関係論専攻には、東アジア国際関係のコースがあるが、台湾は中国の一部としてしか採り上げられなかった。法学部でも、アジア政治外交史の一環として、講義されるだけだった。これらの卒業生は、国家公務員上級職や外務省上級職を目指す人も多いのだが、アジア関係を専門とすると、欧米コースよりも一段低く見られるという風評も強く、人気は今ひとつだったと聞く。

東大の台湾研究は、若林教授によって開拓され、本書の川島真準教授が続く形で、いまや台湾研究の総本山という印象だ。
大昔になるが、われわれの時代の「中国研究」は、実にひどいものだった。文化大革命に関して、台湾(当時は中国国民党が独裁を続ける「中華民国」だった)の資料を使った学者を、その仲間が「反中国」呼ばわりするなど、中国研究は「真理の追究」の場などではなく、「政治闘争」「日中友好運動」の道具となった印象が強い。特にお粗末だったのが、安藤彦太郎、新島淳良といった「文革派」教授がいた早稲田大学。何度か無断で授業を聴いたことがあるが、あまりにひどい内容だったのには驚いた…。
これに対し、慶應大学には、石川忠雄という重鎮がいて、まともな研究をしていたようだ。山田辰雄という「中国国民党史」の先生もいたような気がする。東大は、衛藤瀋吉という厳しい人がいたので、ひどくはなかったようだが…。
だが、いちばんまともだったのは、中嶋嶺雄(東京外大)ではなかったか…・。

そういう時代、台湾は反動派・蒋介石の巣窟呼ばわりされていた。善と悪、白と黒という議論は、粗雑な頭の学生にもわかりやすいので、毛沢東vs.蒋介石、共産党vs.国民党、中国vs.台湾というような単純な図式で中国問題を捉えていたのだ。

こんな昔話をしても、多分、いまの学生には分からないだろう…。この「日台関係史」を手に取ると、ようやく折り目正しい「通史」「正史」を読めるという喜びを感じるのだが、それも分からないだろうな…。

台湾がいまや中国に飲み込まれる寸前というこの時期に本書が出るのも、ちょっと遅きに失したという印象があるが、一読に値する本であることは間違いない。






映画「多桑」(父さん)のDVDを見る

2009年06月05日 03時37分46秒 | 台湾
 1993年制作の台湾映画「多桑」(父さん)のDVDをやっと入手した。昨年秋、台北に行ったときは、入手できなかったのだが、その後リリースされたのだろうか、同じ店で見つけることが出来た。

この映画については、川島真ほか「日台関係史 1945-2008年」(東大出版会 2009年)にも触れられている。台湾の日本語世代を描いた代表的な映画と言えよう。

以前、TVで放映されたとき、見た記憶があるのだが、重苦しい映画だという印象しかなかった。今回、改めて見てみると、いろいろ気づくことが多い。
「多桑」(台湾語で「父さん」と発音)は、いつも日本語のラジオ(NHK国際放送)を聴いている。1960年の日米安保改訂協議の頃だろうか。金門、馬祖紛争のニュースも出てくる。「国語はできないから、仕事もない」と多桑は言う。国語とは、蒋介石が強要した北京語(普通話)のこと。

多桑は、日本に行き、富士山を見て、皇居に行くことを切望していたが、ようやく「中華民国」のパスポートを取得したとたん、肺結核で倒れ、夢は叶わぬまま死去する。

父親の気持ちを理解できない息子とのすれ違いは、身につまされる思いがする。

皮肉な歴史に翻弄された日本語世代の台湾人。おそらくこれからの10年で、ほぼすべての人たちがこの世を去るだろう。こういう人たちがいたことを決して忘れてはならないと思う。
この映画の英文タイトルは、「A Borrowed Life」だ。

ニコニコ動画にUP~「米国から見た日本の台湾統治」

2009年06月04日 09時50分52秒 | 台湾
youtubeにUPして1ヶ月、6200のアクセスがあった「米国から見た日本の台湾統治」を、より影響力のある「ニコニコ動画」にUPしてはどうかという提案があった。
これは、ディスカバリー・チャンネルが放送中の「知られざる台湾 Unknown Taiwan」(5回シリーズ)の中の台南を採り上げた番組からピックアップしたものだ。
NHKの「JAPANデビュー アジアの”一等国”」を見て、あまりの史実の歪曲に仰天し、それに対する”問題提起”の意味も込めてUPした。youtubeでも反響は大きかったが、「ニコニコ動画」上の書き込みの多さには驚かされた。

私自身の知識では、「ニコニコ動画」にUPできなかったのだが、youtubeを見た方がきちんとUPしてくださった。
これがぞの画像である。


台南・国立文学館前のミニコンサート

2009年06月04日 03時00分24秒 | 台湾
5月23日(土)、台南・国立文学館前の広場では、若い女性4人組のミニコンサートが開かれていた。
この国立文学館は、日本統治時代、台南州の庁舎として建てられたもの。コロニアルな西洋風建築で、一目見て日本時代の建築だと分かる。台南には今なお、こうした建築物が数多く残されている。台南駅舎、消防署、警察署などは今なお現役で、その他の建物も文化財としてきちんと保存されている。

 (ライトアップされた台南・)国立文学館

北回帰線の真下にある台南は、5月といっても、日本人の感覚ではもう真夏。夜8時を過ぎた広場は、夕涼みに格好の場所だ。スクーターに乗った若者や、近所のおじさんが耳を傾ける。
4人の美女は、バイオリン、フルート、ピアノ、そしてヴォーカルという編成。以前、NHKに出演していた「バニラ・ムード」という音大生4人組とそっくりな感じがした。グループの名前は不明だが、多分、クラシック音楽を専攻する台南芸術大学の学生ではないかと思われる。


台南・国立文学館前のミニコンサート


ここで唄われている曲は、「牽阮的手」。台湾では有名な曲らしい。結婚式に臨む父親と娘の心境を綴った歌なのかも知れない。
  

初夏の古都を彩る調べ…。この穏やかな夕べがずっと続くことを心から願った。




二二八紀念館で蕭錦文氏と会う

2009年06月03日 09時06分04秒 | 台湾

5月26日朝、台湾総統府の向かい側にある「二二八紀念公園」に行く。公園内にある「二二八紀念館」を訪れると、私を日本人だと気づいた女性館員が、一人のご老人を紹介してくれた。

  (「二二八記念館」 日本統治時代は台北放送局)

その方は、蕭錦文(しょう きんぶん)氏。今年84歳。17歳で志願兵となり、ビルマ戦線に配属されたという、旧・日本軍兵士だ。戦後は、新聞記者となり、二二八事件にも遭遇した。1947年2月28日、国民党の暴虐に激怒した民衆に対して、陳儀政権(国民党)は何ら法的根拠もなく、全国で三万人ともいわれる台湾知識人を虐殺した。これが二二八事件と言われる。

  (「二二八記念館」で解説員を勤める蕭錦文氏)

記念館には「二二八の検証」として、次のように記されている。

二二八事件のために、数多くの家庭が愛する人を失ってしまって、暖かい家庭が一瞬のうちに壊されてしまった。それに続く38年間もの白色テロで、受難者とその家族は無実を訴える術を奪われ、しかも長期に渡る軍隊、警察、特務の監視下に置かれ、親戚や友人を含めた台湾社会からの差別を受けてきた。1987年になって二二八抗議平和運動が展開されてから、やっと長い苦しみから脱却することが出来るようになったと言えよう。殺された者は、想像を絶する苦しみを受けた。生き残った者は、家族を失った悲しみを生きる勇気に変えた。夫を失った妻たちは、厳しい他人の目に耐えて独力で家計を支え、子女を立派に育て上げていった。
1947年以来、尽きることのない悲哀と苦しみの逆境の中、忍耐を重ねてきた人々の存在は、正に台湾人の強靱な精神力そのものである。
二二八事件は傷痕、悲哀、仇み、そして恐怖の体験を残した。しかし、いずれにしろ、それは台湾人民が共有すべき歴史的遺産であることには変わりはない。二二八事件を深く理解することは台湾人の未来への展望の出発点でもあるからだ。』

蕭錦文さんは、1時間半も私のためにお話ししてくださったが、次の言葉が最も印象に残る。
「文化程度の低い少数の人たちが、文化の高い多数派を支配し続けることは無理だった。それ故、二二八のような事件は、不可避だった。」

文化程度の低い少数派とは、国共内戦に敗れて、台湾に逃亡してきた国民党政権(外省人)を指す。文化の高い多数派とは、50年間の日本統治を受け入れて、日本人として育った台湾人(本省人)のことだ。簫さんはこう続けた。
「日本統治時代、確かに台湾人と日本人の間に差別はあった。だが、教育・保健衛生の普及、産業の振興など、日本は台湾のためにさまざまなことをした。シンガポールに従軍したとき、現地の華僑に聞いて驚いたのは、英国が教育の普及に極めて不熱心だったことだった。日本がやったことはきちんと評価しなければならない。」

 「白色テロ記念碑」の表示板 二二八記念公園の近くにある。)


台湾映画として史上空前の大ヒットになった「海角七号」(2008年)には、敗戦後台湾を去る日本人教師が「…見捨てたのではない、泣く泣く手放したのだ」とつぶやく場面がある。これは、教え子である台湾人生徒「小島友子」(この名前にも同じ島国同士の友人という想いが込められている)に対する言葉であるとともに、日本人の台湾に対する想いを表していると理解できる。3月25日、東京・市ヶ谷でこの映画の試写会が行われたが、簫さんは金美齢さんとともに、その会場にいたそうだ。日本と台湾の”絆”は、今なお深い…。

 (映画「海角七号」)

二二八事件のすさまじさは、次の写真をみればよく分かる。これは実際に蕭錦文さんが基隆で取材したケースだという。「共産党」として摘発された市民が、手足に穴をあけられ、針金でつながれている。国民党兵士が一人一人の頭を銃で撃ち、全員が河に流されていく。こうやって三万人もの人が裁判さえ受けずに殺されたのだった。実際の兵士の服装は、絵のように立派なものではなく、ボロボロだったそうだ。この絵に描かれた被害者の一人は、偶然にも生き延びて、悲惨な事件の証言者となった。
生きた人間の手足に穴を開け、針金で数珠繋ぎにするこの光景は、文化大革命当時も行われたのではないか。私は似たような記録を見た記憶がある。中国国民党と中国共産党~この二つの政党は、「中国はひとつ」「大中華」という幻想にとらわれて、名もない人々に暴虐の限りを尽くした「異母兄弟」であることに間違いはない。
    (「二二八記念館」展示より)

蕭さんは、総統府を参観したらいいと勧めてくださった。翌日の朝、総統府裏に並ぶと、日本語ボランティアである呉さん(女性)が内部を案内してくれた。かつて大日本帝国の象徴だった建物は、もちろん今も現役。中庭から見上げた三階には、馬総統が執務する部屋が見えた。日本の首相官邸に、こうやって簡単に一外国人が入れるだろうか? 民主化された台湾の美点と危うさを同時に実感した。
 
(総統府の参観は、月ー金曜日午前9時~11時半まで。パスポートが必要。)


台湾人の「親日」感情は、どこに由来するのか? その疑問を解くカギがよく理解できた2日間だった。


馬公市はお役所だらけ?!~台湾・澎湖諸島の旅

2009年06月02日 00時57分20秒 | 台湾
馬公市内を散策して目立つが公共建築物。澎湖県庁や澎湖病院は、今なお日本統治時代の建物を使用しているが、その他の建物は新しいものが多い。ここ10年以内に建てられたのではないかと思うものばかりだ。それらの多くは、中華風の権威主義的な建築物。日本人の感覚には馴染めないものがほとんどだ。
お役所が多い理由ははっきりしている。澎湖県の県庁所在地であると同時に、その地理的位置から軍関係の施設や公安関係施設も多いためだ。
 それでは、目にとまった建物、施設を紹介してみよう。

   (右側が馬公市役所。旧市街地から少し離れた新開地にある。)

   (澎湖県選挙委員会)

    (澎湖県後備指導部)

    (澎湖県議会)

    (国立澎湖科学技術大学)

    (馬公市:澎湖生活博物館)


    (国軍憲兵隊)

    (国:財政部国有財産局)

    (澎湖県魚漁局)


    (国:法務部調査局)

   (国:財務部分庁舎)

   (澎湖県庁舎 日本統治時代の建物を使用)