「昭和天皇」(原武史著 岩波新書 2008年)を読む。本書のデータベースには次のように紹介されている。
「新嘗祭、神武天皇祭など頻繁に行われる宮中祭祀に熱心に出席、「神」への祈りを重ねた昭和天皇。従来ほとんど直視されなかった聖域での儀礼とその意味に、各種史料によって光を当て、皇族間の確執をも視野に入れつつ、その生涯を描き直す。激動の戦前・戦中から戦後の最晩年まで、天皇は一体なぜ、また何を拝み続けたのか」
「昭和天皇」(原武史著 岩波新書 2008年)
つまり、 本書は「政治史とは別の天皇像」を描いている。以前、「天皇の玉音放送」(小森陽一著 2003年)を読んだとき、東京大空襲、沖縄戦、原爆投下で日本全土が焦土と化し、百万人近い命が失われてもなお、「三種の神器」「国体」の護持に拘泥する昭和天皇の言動を知って、正直、おぞましい気持ちになった。「昭和天皇実録」などの公文書をつなぎ合わせた従来の昭和天皇論は、左翼学者が退潮傾向にある今、「平和を愛好する昭和天皇」を強調する傾向が強く、その戦争責任を改めて問うというような論調は極めて少ない。だが、宮中祭祀を中心に昭和天皇の姿を描き出した本著は、明治国家あるいは近代日本の実態を暴き出す。それは、古代呪術国家に西欧式の近代国民国家を「接ぎ木」したようなものだったと。
この本に描かれた貞明皇后の「神がかり」の姿は、そのことをよく示している。昭和天皇はこの母親とは確執があったというのだが、念頭には「皇祖皇統」「国体」しかなく、国民ごときは「民草」に過ぎず、全く二の次だったという点では、まさに似た者親子だった。
このブログには何度も書いているが、戦後になってもなお、昭和天皇はその本心をうかがわせる発言を繰り返してきた。1975年10月米国から帰国後の記者会見で原爆投下に関して問われて「戦争であるから、やむを得なかった」(下記映像参照)と応え、戦争責任については「そういう文学方面のことは、あまり研究していないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」とはぐらかした。「戦争責任」が「文学方面」だと…絶句するほかはない。さらにまた、昨年7月公にされた史料では、1971年国連の中国代表権問題に関して、佐藤栄作首相に「蒋介石を支持するように」と指示したことが明らかにされた。これは昭和天皇が、戦前戦後かかわりなく、「内奏」という行為を通じて、その影響力を現実政治に行使してきたことを示している。
近未来、日本あるいは日本周辺に有事が起きたとき、戦後民主主義の「虚妄」(丸山真男)が完全に打ち捨てられ、古代国家の呪術が息を吹き返す。「曖昧な国 日本」ならではだが、決してありえない話ではない…と思う。
個人的には賛同する「安保法制」だが、一面の危惧を感じる所以でもある。