澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「理想はいつだって煌めいて、敗北はどこか懐かしい」(史明 著)

2019年01月29日 12時50分45秒 | 台湾

 「理想はいつだって煌めいて、敗北はどこか懐かしい~100歳の台湾人革命家・史明自伝」(講談社 2018年12月)を読む。



 著者・史明(1918.11.9~ )は、百歳になってなお「台湾独立」を志向する台湾人革命家。日本統治時代の台湾に裕福な一族(施一族)として生まれ、日本で高等教育を受けた彼は、日本敗戦後、台湾に「流亡」してきた蒋介石政権に反対し、東京で台湾独立運動を続ける。その結果、中華民国政府(台湾)から危険分子として追われ、李登輝総統が誕生するまで、故郷・台湾に帰ることができなかった。

 先の台湾総統(=大統領)選挙で彼は車椅子姿で蔡英文候補の応援に駆け付けた。蔡英文女史は、「史明おじさんは信念を貫き、誰よりも強い行動力を持つ人です。彼の物語は、台湾、日本、中国の激動の歴史そのものです」(本書の帯文)と彼を評する。
 
 敗戦によって、「大日本帝国」の内外には数多くの悲劇が起きた。連合国側は、日本を二度と立ち上がらせない、日本人を本土四島に閉じ込めることで合意していた。満洲、朝鮮半島などの「外地」から本土へ引き揚げる日本人の悲劇はよく知られている。一方、本土にいた台湾人、朝鮮人は、GHQから「第三国人」とみなされる立場に立った。それにより、経済的利益を得る者も多かったと言われている。だが、「祖国」の喪失と新たな選択に迫られた彼らはまた、「大日本帝国」の崩壊の犠牲者でもあった。

 史明の本名は施朝暉。「施」の名字で連想するのが、施光恒(てるひさ)九州大学准教授(政治哲学)。彼らは同じルーツなのかも知れないと思った。

 


「開かれた皇室」としての秋篠宮家

2019年01月24日 08時48分12秒 | 社会

 小室圭さんが一年以上の沈黙を破って、何やら弁明めいた文章を発表したそうだ。昨日のワイドショーはこの話題にもちきりで、これで「お二人の結婚」はどうなるのかなどと、当たり障りのない無駄話を繰り返していた。

 お二人の行く末がどうなるだろうかなど、私には全く関心がないが、「芸能ネタ」の対象となってしまった皇室の現状については、少々考えることもある。

 かの三島由紀夫は「英霊の声」の中で、戦死者の声を借りて、現人神から普通の人になってしまった昭和天皇を「批判」している。正確に言えば「批判」というよりも、天皇の変貌に対して、違和感を明示している。西部邁は「昭和天皇が平和主義者だったとかいう議論は、あの世界史的な大戦争の意義をかえって薄めさせる」と語っている。
 この二人に共通するのは、あの戦争の戦前と戦後の絶望的なほどの断絶を直視している点だ。

 260万人という犠牲の上に築かれた「戦後」は、「開かれた皇室」をもたらした。皇太子は民間から妃を娶り、昭和天皇は、無事天寿を全うした。激動の戦後においても、皇室はずっと安泰だった。
 ところが、秋篠宮家のもめごとはいま、この安寧を脅かそうとしているように見える。秋篠宮が宮中祭祀に関して宮内庁長官を公然と批判したり、自分の子どもを学習院に行かせず、ICU(国際基督教大学)に進学させているのは、兄に対する、皇室独特の諍いなのだろうか。

 ICUはGHQの肝いりで設立された大学。祖父が大いにお世話になったGHQ。皮肉なことに、そこは言わば「日本の中の米国」、皇室関係の子女が行くべきところではないはずだ。私たちでもわかるそのことを、秋篠宮は理解されていなかったのか。もしかして、「開かれた皇室」とは、”俗受け”を狙いつつ、マスメディアの注目を浴びることだと思い込んだのか。そうなら、歴史・伝統を背負っているという自覚に欠けていると言われても仕方がないのかも知れない。だとしたら、三島も西部もあの世で「苦笑」「失笑」するほかはないだろうか。  



2019 ハリウッド・フェスティバル・オーケストラ演奏会

2019年01月18日 13時13分33秒 | 音楽・映画

 ハリウッド・フェスティバル・オーケストラ演奏会に行って来た。私は、四年前にもこの楽団を聴き、このブログに感想を記した。

 

 オーケストラは前回と同じで、37名編成。指揮は、ロイド・バトラー。
 プログラムは次のとおりだった。

《第一部》
1 ザッツ・エンターテイメント~ハリウッド序曲メドレー 
2 スティング 3 ひまわり 4 サウンド・オブ・ミュージック
5 愛と青春の旅立ち 6 ある日どこかで 7 ニュー・シネマ・パラダイス
8 ミッション・インポッシブル(スパ大作戦) 9 ジェームス・ボンド・メドレー
10 レイダース~失われたアーク 11 タイタニック 12  ローマの休日~マイ・フェア・レディ7~ティファニーで朝食を~シャレード

《第二部
1 アンチェインド・メロディ~ゴースト・ニューヨークの幻 2 スター誕生 3 スタンド・バイ・ミー
4 慕情(1~4 vocal ビリー・キング)
5 オペラ座の怪人 ウェスト・サイド物語 7 雨に唄えば 8 グレン・ミラー物語=イン・ザ・ムード 9 駅馬車 10 風と共に去りぬ

《アンコール》
1 ロッキー 2 見果てぬ夢※ 3 星に願いを※  ※ビリー・キング

 若い楽団メンバーが真摯に演奏に取り組んでいる姿には好感が持てた。フェスティバル・オーケストラの名のとおり、この楽団はコンサート用の臨時編成なのだから、メンバーの熱意とギャラ次第で、紡ぎ出す音に大きな差が出てしまう。指揮者ロイド・バトラーは、前回の指揮者と比べると、若々しく、同時にドライな感じな音を要求していたように思われた。言い換えれば、ダイナミックなのだが、繊細さにはちょっと欠けると言うような…。

 週日の午後に開かれたこのコンサート、聴衆のほとんどは高齢者だった。それは当然なのだが、この種の演奏会がいつまで続けられるのだろうか、と心配になる。言うまでもなく、イージーリスニングあるいは「ムード音楽」の行く末のことだ。

 4年前と同じ会場で聴いたのだが、ホールが大改修されていて、新しいPA装置が設置されていた。前回はストリングスや木管楽器の繊細な生の音が聴けたのに、今回はPA(Public Address)を通して聴かねばならなかった。この楽団の楽器編成は、クラシックの小編成オケ(室内管弦楽団)と同等なのだから、電気的な音の増幅(PA)など必要はなかったはずだ。その点が大いに残念だった。
  

 

 

 


竹田恒泰が「虎の門ニュース」で見苦しい弁明

2019年01月17日 11時18分40秒 | マスメディア

 今朝の「虎ノ門ニュース」。竹田恒泰が「臨時出演」して、父親であるJOC(日本オリンピック委員会)・竹田恒和会長の「潔白」を主張した。

 「私はハンを押しただけ」と逃げ腰の父親に比べると、竹田恒泰はよくしゃべり、論点をはぐらかすのが上手だ。加えて、有本香までが、竹田の主張をサポートしているのはガッカリだ。

 3年前に外国筋から明らかになった「東京五輪招致疑惑」が日本ではうやむやにされたのは、竹田恒和会長が”高貴”な出自であるが故に、日本の検察当局は容易に手を出せなかったからだ。今朝の竹田恒泰は、父親は何も知らないところで、陰謀に巻き込まれているかのような、噴飯ものの弁明を繰り返した。「朝日」「立憲民主党」が悪いと言うのだが、竹田恒和の”暗愚”に原因があるとは決して認めない。ここには、昭和天皇の戦争責任と共通する問題がある。

 「虎の門ニュース」は大手マスメディアにはない面白さがあるのだが、こと「皇室」関連では「大政翼賛会」的な迎合が目立つ。「朝日」「毎日」と同じ意味で、鵜呑みにはできないということだろうか。 

【DHC】2019/1/17(木) 有本香×竹田恒泰×居島一平【虎ノ門ニュース】


竹田恒和・JOC会長を捜査 仏当局はゴーン事件との相殺を狙う?

2019年01月11日 18時46分15秒 | 社会

 さきほど、竹田恒和・日本オリンピック委員会(JOC)会長が、東京五輪招致にあたって、汚職の疑いで仏当局から捜査されていると報道された。2016年6月、私はこのブログで竹田恒和JOC会長の疑惑について書いたことがある。”高貴”なお方である竹田会長は、フランスで汚職疑惑が報道されているのに対し、日本の警察は全く動こうとしなかった。一方、”成り上がりの秀才”である舛添要一都知事に関しては、マスメディアが枝葉末節を騒ぎ立て、ついに辞任に追い込んだ。この二人のおかげで、どれほどの都民が五輪開催を望んでいたかは極めて曖昧なまま、東京五輪はあっという間に招致されてしまった。福島原発事故の真相をうやむやにするためという憶測が流れたのも不思議ではなかった。

 日本の検察は”高貴”なお方には手を出さないが、仏当局はそういった”忖度”を持ち合わせていない。それが今日のニュースとなって表れた訳だが、私はそのタイミングに注目する。

 これって、竹田会長への捜査の手を緩める代わりに、ゴーン・元日産会長を放免してほしいという、仏当局の高等戦術ではないのか?えぐいフランス人なら、ありえないことではない。今後を注目したい。

JOC竹田会長を「起訴に向け捜査」…仏で報道

2019年01月11日 18時15分
  • 日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長
    日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長
  •  

 【ブレスト(仏北西部)=作田総輝】2020年東京五輪・パラリンピックの招致活動を巡る不正疑惑で、フランスのル・モンド紙やAFP通信は11日、仏司法当局が、招致委員会の理事長だった竹田恒和・日本オリンピック委員会(JOC)会長について、起訴に向けた捜査を始めたと報じた。


「日本国紀」と「愛と暴力の戦後とその後」

2019年01月04日 09時51分49秒 | 

 いま、「日本国紀」(百田尚樹著 幻冬舎)がベストセラー。さらに続編の「日本国紀」の副読本 学校が教えない日本史 (産経セレクト S 13) 新書 もベストセラーになっている。私は、「虎の門ニュース」の視聴者で、とりわけ有本香のファンなので、副読本の方はぜひ読んでみたいと思っている。

 「日本国紀」は、書店で立ち読みはしたものの、買いたいとは思わなかった。「虎の門ニュース」で毎回、百田尚樹の自画自賛的PRを見ていると、何だかもう読んでしまったような気になったからだ。でも、「日本国紀完全レビュー」というYouTube映像を見ると、東大生らしいユーチューバーが「日本国紀が問いかけている問題は、歴史の筋道を理解するという点で、東大入試の日本史に共通することが多い」と評価している。近現代史のもつれた糸を特定の史観でほぐして見せたという点では、大いに評価されるべきなのだろう。





 実は、年末年始に私が読んだのは、「愛と暴力の戦後とその後」(赤坂真理著 講談社現代新書 2014年)だった。私がキライな高橋源一郎がこの本の推薦文を書いていて、著者のことも知らなかったのだが、実際に読んでみると共感することが多々あった。保守を自認する百田尚樹は、「朝日」「岩波」に象徴される「戦後民主主義」「進歩的文化人」が日本を貶めてきたと主張する。これには、今や多くの人が首肯できるだろう。しかしながら、百田や青山繁晴の言説の中で、「普通の」人びとがついていけないこともある。例えば、皇室への無条件な称賛のように。
 
 昭和天皇はなぜ戦争責任を免れたのか、なぜ原発事故の原因追及が進まないのか、大震災の可能性が高まる中でなぜ東京五輪が強行されるのか等々、この国には「反対」を唱えられないタブーがいくつもある。その原因は「同調圧力」にあると説明されることが多いのだが、果たしてホントなのだろうか。「愛と暴力の戦後とその後」の著者は、こういった疑問を散文的に取り上げつつ、自分の考えを深めていく。これは「日本国紀」とは対照的な、「個」の思考だろう。サヨクと言ってしまえば、それはそうであるけれども…。

 まあ、今の私にとっては、こういった本もある種の解毒剤として必要なのかも知れないと思う。