梅雨入りの今日、Abe Familyによる「雨降り Amefuri」という動画を見てみた。再生回数が千回にも満たない動画なのだが、その凝った映像、演奏は何度見ても飽きない。
とりわけ、Abe Familyの一人娘(リカちゃん?)の屈託のない表情が実にいい。下記の「トワイライト・タイム」の演奏はもう三年前らしいが、仲良し家族はいつ見ても素晴らしい。そして、演奏も上手だ。
Amefuri(Rainy Day) あめふり
「Twilight time」The three suns
梅雨入りの今日、Abe Familyによる「雨降り Amefuri」という動画を見てみた。再生回数が千回にも満たない動画なのだが、その凝った映像、演奏は何度見ても飽きない。
とりわけ、Abe Familyの一人娘(リカちゃん?)の屈託のない表情が実にいい。下記の「トワイライト・タイム」の演奏はもう三年前らしいが、仲良し家族はいつ見ても素晴らしい。そして、演奏も上手だ。
Amefuri(Rainy Day) あめふり
「Twilight time」The three suns
フジコ・ヘミングの訃報が伝えられた。ピアノとリコーダーを弾く家人は、かねてから「あの人、ピアノが下手」と彼女のことを言っている。私も「ブックオフ」で買ったライブ録音のCDを聴いてみて、その演奏に疑念を抱いた。
つまるところ、フジコ・ヘミングが有名になったのは、ピアノの技能の確かさなどではなく、NHK・TVで放送された「奇蹟のカンパネラ」という「感動物語」に依るものだろう。あの「現代のベートーベン」佐村河内守を喧伝したのもNHKだったから、フジコの「物語」もさらにいっそう胡散臭さを感じさせてしまう。
私は、この二人の番組をリアルタイムで見たが、特に佐村河内に関しては違和感を感じた。というのは、佐村河内は広島県の工業高校卒で正式にクラシック音楽を学んだことはない。武満徹も学歴は高校卒だったが、その才能は高校生の時から周囲に知られていた。しかし、佐村河内にそのような才能があったとは伝えられていない。加えて、佐村河内は「障害者」だったから、多重のハンディを背負って、交響曲のスコア(楽譜)など書けるのだろうかと即座に疑問に思った。フジコの番組にも、過度の思い入れと美化が感じられた。「逆境に負けず強く生き抜いてきた姿と、温かい人柄がにじみ出る豊かな演奏は長年、多くの人々を魅了してきました」というNHKが出した訃報(下記参照)は、問わず語りにNHKが「紡ぎ」だした「感動物語」の最終章になっているではないか。
フジコ・ヘミングは、結局、TVが作り上げた虚像のスターだった。これからも、次のフジコが作られていくのだろう。鵜呑みにしないように、くれぐれも気をつけなくちゃ、と思う。
さまざまな困難に遭いながらも挑戦を続ける姿が反響を呼び、ファーストアルバム、『奇蹟のカンパネラ』がクラシック界では異例の大ヒットとなった、ピアニストのフジコ・ヘミングさんが先月21日亡くなりました。92歳でした。
フジコ・ヘミングさんはスウェーデン人の父と日本人の母との間に生まれ、ピアノ教師の母の手ほどきで5歳からピアノを始めました。
早くから才能を見せ、17歳でピアニストとしてデビュー、東京芸術大学を卒業後は28歳でドイツに留学し、ヨーロッパを拠点に活動しました。
しかし、自身のキャリアをかけた重要な演奏会の直前にかぜをこじらせ、一時、耳が全く聞こえなくなるなど、ピアニストとして不遇の時代を過ごしました。
フジコさんの波乱に富んだ人生と再起にかける日々を追った25年前(1999年)のNHKのドキュメンタリーが大きな反響を呼び、同じ年に出したファーストアルバム『奇蹟のカンパネラ』は200万枚以上を売り上げ、クラシック界では異例の大ヒット。60代の遅咲きのピアニストとして「フジコブーム」が起きました。
フジコさんは、リストとショパンの演奏で高く評価され、世界の著名なオーケストラと共演するなど各地でコンサートを開き、90歳を過ぎても精力的に演奏活動を続けていました。
逆境に負けず強く生き抜いてきた姿と、温かい人柄がにじみ出る豊かな演奏は長年、多くの人々を魅了してきました。
フランク・チャックスフィールド楽団 Frank Chacksfield & his orchestraの演奏による「トップ・ヒッツ・イン・ジャパン Top Hits in Japan」(1966年)というアルバム(LPレコード)をYouTube上にアップロードしてみた。
最初、7,200円のソフトを購入して試みたが、①画像表示が連続的にできない、②アルバム全体を一度にアップロードできない、などのトラブルが発生。結局、息子に手伝ってもらって、フリーソフトを使ってアップロードに成功した。
まずは、フランク・チャックスフィールド楽団のアルバム二枚。「トップ・ヒッツ・イン・ジャパン Top Hits in Japan」(1966年)と「ライブ・イン・ジャパン 1972 Live in Japan」。前者には、「君といつまでも」などの当時のヒット曲、後者には定番の「引き潮」「ライムライト」が入っています。ぜひ、聴いてみてください。
ちなみに、音源の年代の関係で著作権の問題は生じないとされています。
「君といつまでも」 フランク・チャックスフィールド楽団 "Kimito itsumademo" by Frank Chacksfield & his orch. released 1966
「トップ・ヒット・イン・ジャパン Top Hits in Japan」(1966年) フランク・チャックスフィールド楽団 Frank Chacksfield & his orchestra
「ライブ・イン・ジャパン 1972 Live in Japan」(1972年) Frank Chacksfield & his orch. Live in Japan 1972
かつて、FM東京(現・Tokyo FM)で「デンオン・ライブ・コンサート」という番組が毎週日曜日に放送されていた。出演者は日本のミュージシャンが主流だった。ユーミン、サザン・オールスターズをはじめジャズの名プレーヤーたちも出演した。ときには、「外タレ」(外国人タレント)が出演することもあり、来日公演中のマランド楽団もこの番組に出演した。演奏はすべて生収録だったので、出演者もずいぶんと緊張したことだろう。このマランド楽団の演奏でも、マランドのアコーディオン(バンドネオンではない)が音程を外すというご愛嬌が見られる。
実は、この演奏の正確な放送日はわからない。オリジナルのカセットテープを紛失してしまったからだ。マランド楽団の来日履歴も確認できないので、1975年前後の録音だろうと推測する。エアチェック⇒カセットテープ⇒CDレコーダでCD-R化⇒その音源をMP4に変換してアップロードという工程を経ているので、かなり音は劣化したように感じる。が、しかし、「歴史的録音」と言えなくもないので、ここにご紹介する次第。
もはや、タンゴも、ムード音楽も、その愛好者とともに、「鬼籍」に向かう時代。それでも、興味がある方はぜひ耳を傾けていただきたい。
「ラ・クンパルシータ La Cumparsita」 マランド楽団 Malando & his Orch. Live at FM Tokyo Studio 1975 マランド・東京ライブ
「オレ・グァッパ Ole Guapa」 マランド楽団 Malando & his Orch. Live at FM Tokyo Studio 1975 超レア音源!!
「ジェラシー Jealousy」 マランド楽団 Malando & his Orch. Live at FM Tokyo Studio in 1975. ※レア音源
1958年、リカルド・サントス楽団が来日したときのライブ録音をYouTubeにUP。リカルド・サントスの本名は、ウェルナー・ミューラーWerner Muller。バンドリーダー、編曲者として大活躍した。
録音状態が悪いので、「何だこれは?」と思うかもしれないが、歴史的に貴重な録音ではあります。
「ツィゴイネルワイゼン Zigeunerweisen」 リカルド・サントス楽団 来日公演ライブ 1958年 Werner Muller Live Recording in Tokyo 1958.
「菩提樹 Der Lindenbaum」 リカルド・サントス楽団 ライブ・イン・東京 1958年
「オレ・グァッパ Ole Guapa」リカルド・サントス楽団 来日公演ライブ 1958年 Werner Muller& his orchestra live in Tokyo 1958
パーシー・フェイス楽団のコンサート・ライブ録音は、かつて「グレート・コンサート The Great Concert Live in Japan 1974」(LP 二枚組)としてリリースされた。CD全盛期にこのアルバム(LP)がCDでリリースされることはなく、例外的に「パーシー・フェイスの世界」(ユーキャン CD10枚組)の付録(おまけ盤)としてCD化されている。
しかしながら、ここで採り上げるのは、1966年来日時のNHKスタジオにおけるライブ録音。すなわち放送用の録音である。聴衆がいるコンサート会場ではなく、スタジオ録音なので、音場は少しデッド(固め)だが各楽器が明瞭に聴こえる。1974年のコンサート録音は、パーシー・フェイスがそれまでの正統派的ムード音楽から「ディスコ・サウンド」にシフトした時期でもあったので、このスタジオ録音の方がオリジナルのサウンドをより明確に伝えている。
「サマータイム」は、サックスが気だるく、Jazzyに雰囲気を盛り上げる。未確認だが、アルバム(LP)とは編曲が異なるのではないか。「ウエストサイド物語」からの「サムホエア Somewhere」は、アルバムと同じ編曲。いずれも、オケに気合が入っていて(?)、素晴らしい演奏。
「サマータイム Summertime」 パーシー・フェイス楽団 1966年NHKスタジオ・ライブ録音 Percy Faith NHK Studio Recording, Tokyo,1966 Remastering by Alan Bunting
「サムホエア Somewhere」 パーシー・フェイス楽団 1966年NHKスタジオ・ライブ録音 Percy Faith NHK Studio Recording, Tokyo,1966 Remastering by Alan Bunting
パーシー・フェイス・オーケストラ(Percy Faith & his orchestra)の珍しい録音をYouTubeにUP。パーシー・フェイスが来日した1966年、コンサートに加えて、NHK(東京)のスタジオでライブ録音をおこなった。それは、NHK FMで放送された。音源のリマスタリングは、アラン・バンティング氏(Alan Bunting)が行った。
「マカレーナの乙女 La Macarena」 パーシー・フェイス楽団 1966年NHKスタジオ・レコーディング Percy Faith & his orchestra NHK(Tokyo) Studio Recording , 1966 remastering by Alan Bunting
「チャパネカス La Chapanecas ~メキシカン・ハット・ダンス」 パーシー・フェイス楽団 1966年NHK(東京)スタジオ録音 NHK Studio Recording , 1966 Percy Faith & his orchestra NHK(Tokyo) Studio Recording , 1966 remastering by Alan Bunting
ジュリウス・カッチェン(ピアノ)とマントヴァーニ・オーケストラが共演するこのアルバムは、ガーシュイン「ピアノ協奏曲ヘ長調」とのカップリングで1955年リリースされた。ステレオレコードが市販されたのは1958年だから、もちろんこれはモノラル録音。しかも、クラシックの名ピアニストとポピュラー音楽で名を馳せたマントヴァーニ楽団との異色の組み合わせ。そのためか、CD化されたのは、数回しかないと思われる。
マントヴァーニ楽団が伴奏するからと言って、曲そのものが「ムード音楽」風に改ざんされたりしていない。ジュリウス・カッチェンは伸び伸びとガーシュインを弾いているという感じ。ただ、マントヴァーニのカラーが加えられている個所もある。序奏の弦楽部分や11:10前後の弦の響きは、彼のトレードマークである「カスケーディング・ストリングス」の手法が用いられている。
「ラプソディ・イン・ブルー」はクラシックとジャズの境界をつなげたような、いかにも米国製の作品。「ムード音楽」で一世を風靡したマントヴァーニがこの曲を伴奏したとしても何ら違和感はない。このアルバム発売当時は、おそらく文句をつける評論家も多かったに違いない。だが、いまになってみると、ダイナミックでウィットもあるピアノ、マントヴァーニの懸命な伴奏は一聴に値すると思う。
ガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」(ピアノ; ジュリウス・カッチェン オケ;マントヴァーニ・オーケストラ)
1964年にリリースされたマントヴァーニ楽団のアルバム(LP)「世界の民謡集」"Folk songs aroud the world"から「荒城の月」。英国、米国、欧州諸国そしてイスラエルの民謡(愛唱歌)に並んで、日本の歌曲(荒城の月)が選ばれている。
この年は、敗戦後19年経った時点で、高度成長経済の助走にあたり「もはや戦後ではない」と呼ばれた。東京オリンピックが開かれ、ようやく戦禍による荒廃から立ち上がり、再び世界に目を向けようという時期でもあった。
洋楽の分野では、外国人が日本の曲を演奏するという趣向が大いに受けた。アルバム(LPレコード)は非常に高価だったが、海外旅行はさらに夢の夢という時代だったので、人々はそうした音楽に夢を求めたと言える。リカルド・サントス(ウェルナー・ミューラー)の「ホリデー・イン・ジャパン」シリーズが大ヒット。「さくらさくら」「お江戸日本橋」などの日本民謡・歌曲が、オリエンタル風のアレンジ(編曲)で演奏された。今の日本人から見れば、日本とチャイナの区別もつかない酷い編曲に呆れるだろうが、当時は結構真剣に聴かれていたように思う。当時の中国と言えば、「中共」と呼ばれる鎖国状態の謎の国だったから、普通の日本人はチャイナ風の演奏を聞かされても、実感がなかったのだろう。(NHKは大陸の中国を「中共」、台湾を「中華民国」と呼んでいた。)
マントヴァーニは、1958年ステレオレコードの発売を契機にビッグ・ネームとなっていたので、超多忙だったのだろう。日本の曲は、この「荒城の月」と「ウナ・セラ・ディ東京」の二曲しか録音を遺していない。
さて、この「荒城の月」もチャイナ風のアレンジ。1958年のアルバム「フィルム・アンコール」所収の「慕情」(Love is a many splendourd thing)に曲想がそっくり。日本も香港も区別がつかないということだろうか。なにはともあれ、レア音源であることは間違いなし。ぜひ、聴いてみてください。
「荒城の月」(マントヴァーニ・オーケストラ)
東京オリンピックの年1964年、ミルバやザ・ピーナッツが歌って大ヒットした「ウナ・セラ・ディ東京」。この曲は多くの歌手や楽団によってカバーされた。中でも出色なのが、マントヴァーニ・オーケストラによる演奏。欧米では"Kanashi I"というタイトルでEP盤(シングル盤レコード)としてリリースされた。
この演奏は、CD集「華麗なるマントヴァーニの世界」(ユーキャン社 2008年)の中で「世界初CD化」された。実のところ、このCD集の制作にあたって、ユニバーサル・ミュージックの担当者が英国DECCA社のアーカイブを探索したところ、オリジナル音源が行方不明だったというエピソードがある。したがって、この「世界初CD化」は、市販の音源を使って行われた。しかも、モノラル録音盤を使用したので、音質はかなり劣ると言わなければならない。
だが、今となっては、かけがえのない希少音源。ということで、ここにUPした次第。
「ウナ・セラ・ディ東京」(マントヴァーニ・オーケストラ)
1980年代初期にNHKの「みんなの歌」で放送されていた「小さな木の実」という曲を懐かしく思い出すことがある。この曲の原曲は、ビゼーのオペラ「美しいパースの娘」の中のセレナード。美しく感傷的なメロディが耳に残る。何年か前、この「美しいパースの娘」組曲のCDを購入して聴いてみたが、セレナードと題した曲は別のメロディだった。どうやら、このオペラには複数のセレナードがある模様で、オペラの全曲盤を聴いて確かめるしかなさそうだ。
「小さな木の実」の歌詞の印象的な部分は次のようなもの。
♭# 坊や強く生きるんだ 広いこの世界 お前のもの ことしまた秋が来ると 木の実はささやく パパの言葉
父親を亡くした少年を描いたこの歌詞は、十数年前、父を亡くした私にとっても何か心に迫るものがあった。父に「強く生きるんだ」と言われたことはなかったが‥。
実は、この曲は「小さな木の実」を聴く前から、既知の曲ではあった。英国のフランク・チャックスフィールド楽団が、1958年にリリースしたアルバム(LPレコード)「学生王子のセレナード」所収のメロディであったから。ネットを検索してみたら、この楽団演奏は採り上げられていないようなので、私がアップロードしてみた。(作曲及び録音された年代を考慮すると、著作権等の問題は生じないように思われる。)
小さな木の実(ビゼー”美しいパースの娘”よりセレナード)
『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観てきた。原作者水木しげる(1922-2015)の生誕百年記念作品だという。昨年11月の公開当初は話題にもならなかったが、次第に口コミで評判が広がってきたそうだ。
水木しげるについて、私は格別に親近感をもってきた。それは、晩年の水木しげるが自宅から仕事場(水木プロダクション)に通う姿をしばしば目にしていたからだ。娘さんと一緒に歩く姿は、ごく普通の好々爺で、ほほえましく思われた。
さて、この映画の感想だが、もしかして日本アニメ映画史上の最高傑作かも知れないと思う。正直、アニメは詳しくないが、他の作品には見られないインパクトを持っているのは確かだ。
ラッパーである宇多丸は、「戦後日本が忘れてしまったもの、あるいはフタをして見ないようにしてきたものたちを、鬼太郎というヒーローは見つめ鎮魂する」と言う。
この「無告の民」は、戦前は兵士として、戦後は企業戦士として、国家・企業に忠誠を尽くした。映画には、太平洋戦争の激戦地で兵士に対し「総員、玉砕せよ!」と命令する上官が登場する。実は、その上官自身は「玉砕の報告をするため」と称して敵前逃亡する。これは水木しげる自身の実体験だという。
水木はこのように不条理な命令や抑圧によって「歴史の中に消えていった無告の民」を「幽霊族」となぞらえ、権力と欲望に目がくらんだ醜い人間たちと対置させる。これこそ水木の独壇場だ。
話題になった映画「ゴジラ ー1.0」は特攻隊生き残りの主人公を、戦後再び特攻させる。相手は米軍艦船ではなく、ゴジラだ。しかし、その結末は呆れるばかりのハッピーエンド! 私は、そんな映画を評価する気にはなれない。
「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」はそれとは真逆。見終わってからも、余韻が深く、考えさせられることばかりだ。
『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を評論:週刊映画時評ムービーウォッチメン【公式】2023年11月30日
映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』ファイナル予告
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』を見てきた。家人から優待券をもらって、郊外のシネコンへ。祭日だが、客は四割程度の入り。昨年の12月8日公開だから、まずまずのヒットなのだろう。
予告編を見る限り、ひとりジジイが見るような映画ではないと思ったが、消去法で選んだらこの映画になってしまった。だいたい、女子高生が1945年6月の日本にタイプスリップして、特攻隊員の青年と恋に落ちるなどという設定自体が、素直に受け入れられるものではない。あまりに陳腐で、結論ははっきりしていると感じた。すなわち、制作者の意図は、「平和憲法」体制の護持、ナショナリズムの封印、お花畑的世界観の流布にあることは明白だと思われた。事実、女子高生・百合(福原遥)は、特攻隊員・彰(水上恒司)に「戦争は無意味」だと説く場面がある。これなどは、歴史を後知恵で裁くようなもので、あまりの陳腐さに辟易とさせられた。
だが、全編を通してみると、いささか印象は変わってくる。タイムスリップが、実は夢の中の出来事だったとなると、お花畑的セリフも免罪符となる。すべては夢だった、チャンチャーンと終わる映画はざらにあったはずだから。
しかし、百合は校外授業で「特攻資料館」を訪問したとき、彰が百合に宛てた手紙が展示されているのを見つける。そこで、あのタイムスリップは夢ではなかったかもしれないと映画は暗示する。そのへんの展開が結構上手なので、映画の最後には、こんなオッサンでもある種の共感を覚えた。
若い出演者は好演、逆に松坂慶子の相も変らぬセリフぶりが引っかかる。この人は、全然進歩というものがないのかと。まあ、この映画は予想外によかったというのが私の結論。
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』本予告90秒💐 12.8 (𝗳𝗿𝗶.) 𝗥𝗢𝗔𝗗𝗦𝗛𝗢𝗪 💐
このところ、YouTubeの”Old Forgotten Jewels”というサイトを開き、昔の「イージーリスニング音楽」を聴くことが多い。これをアップロードしているのは、スペイン語圏の高齢者の方で、相当なレコード、CDのコレクションをお持ちらしい。
私などはその存在も知らなかった珍しいアルバム(30cm LP)が紹介されるので、目が離せない。こうしてこの種の音楽が聴けるのは今のうちとつくづく思う。興味のある方は、ぜひアクセスを。
Peter Nero & Boston Pops with Arthur Fiedler - Nero goes "Pops"
101 Strings – Hit Songs From Spain
Norrie Paramor Orchestra – Dreams And Desires
先ほど、リニア新幹線駅工事が進む町のシネコンで北野武の新作「首」を見てきた。週日の昼過ぎなので、観客は10人ほど。これがヒット作になるのかどうか、にわかにはわからない。
言うまでもなく、この映画は北野武が描く暴力の世界。前作は暴力団の抗争、この映画では「本能寺の変」を軸に戦国武将の抗争を描く。「首」のタイトルどおり、斬首シーンの連続で、辟易とさせられるが、映画が終わると何かスッキリとした気分に。前作でも同様だったが、これは北野武の手腕だろう。
この映画では、戦国武将がホモ・セクシャルだったという設定なので、何やらおぞましいシーンや会話が続く。北野武がLGBT法に賛同しているからか、さもなくばジャニーズ事件を念頭に置いてのことなのか。
フランスなどで公開することを前提に作られたというこの映画。斬首された首を並べて、品定めをするシーンなどは、フランス人なら、野蛮な首狩り族の物語に見えるはず。大げさに言えば、日本の国益を毀損する行為?なのではないか、と思えてくる。そうまでして、カンヌ映画祭とやらを狙うのか?タケシも焼きが回ったなと感じる。
【10人一気見せ!】ビートたけし、西島秀俊、加瀬亮、中村獅童、浅野忠信、遠藤憲一…映画『首』キャラクターPV公開!