さきほど、連休を利用してニューヨークに遊びに行く娘を駅まで送った。
社会人2年目の娘は、学生時代の友人と4人で、ニューヨークの休日を楽しむという。旅行日程を聞くと、往復の航空券をFIXで購入して、ネットで予約したホテルに泊まるという。本人はブロードウェイでミュージカルを見て、マンハッタンの夜景を楽しむのだという。
(あこがれのNYだが…)
しかし、娘の話を聞いていて、私は次第に不安になった。パックツアー(フリータイム型を含む)では、NYの空港からホテルまでは送迎バスがあるが、航空チケットだけの旅行では、空港のバスかタクシーを利用しなければならない。到着時刻も夜だというので、ニューヨークがいかに危険かを話したが、聞くのもいやだという顔をされた。かつてニューヨークは世界一の犯罪都市であったこと、今でも銃を持っている人が大勢いることをを話したのだが、ピンとこないようだった。
(銃を持てばみんながハッピー!)
だが、考えてみると、娘の無知には無理からぬ点もあるようだ。大学を卒業するまでの間、社会、歴史、国際関係など少なからず学んだはずだが、その中に「軍事」「安全保障」などが含まれていたのかどうか。「平和」「人権」「憲法第9条」「国際協力」といった、きれいごとの建前論ばかり教わってきたのではないか。
娘に「銃の発射音を知っている?」と尋ねる。「??」 パンパンという花火のような音がしたら、NYではそれは銃声かも知れないと話す。トイレに行きたくなっても、一人では決していかないこと、ホテルの部屋を一歩出たら神経をとぎすますことなど、気がついたことを付け加える。
(なんとか無事帰国)
中国人や韓国人は、たとえ女性であっても、銃声がどんなものか、銃を使った犯罪がどういう状況で起きるか、よく心得ているはずだ。何故かと言えば、彼の国々には兵役があるので、「軍事」「安全保障」の概念をよく理解しているのだ。「平和呆け」した日本人は、到底太刀打ちできないはずだ。
頼みの経済が没落すれば、安全保障を他国に委ねている日本はただの三等国になる。堺屋太一が「1人民元=70円、1米ドル=240円」という近未来社会を描き評判になっているが、その悪夢も現実になろうとしているかのようだ。