「赤い星は如何にして昇ったか~知られざる毛沢東の初期イメージ」(石川禎著 臨川書店 2016年)を読む。
エドガー・スノー著「中国の赤い星」(Red star over China)は、世界に初めて毛沢東の素顔を伝えた著作として有名だ。本書は、この「赤い星」、すなわち毛沢東のイメージが如何にして形成されてきたかを、様々な資料を駆使し明快に分析する。
その昔、中高の社会科教師に勧められて「中国の赤い星」を読まされた世代の一人である私は、本書を読んで苦笑することしばしばだった。当時、我が町の図書館には貧弱な蔵書しかなく、仕方なく「中国の赤い星」を書店で購入、まるで要約文のような感想文を書いたことを思い出す。毛沢東と中国共産党の「中国革命」の実相は、今でこそ明らかになっているものの、40年も前には、この「中国の赤い星」に感銘を受け、何がしかの影響を受けたという若者が少なからずいた。インターネット、ケータイで自由に情報検索ができて、図書館にも読みたい本が揃っている現代では考えにくいことだが、教師に勧められた本の影響力は絶大だった。
「中国の赤い星」には毛沢東がE.スノーに語った「自伝」が含まれている。毛が個人史を語ったのはこれだけなので、後発の数々の毛沢東研究、中共(=中国共産党)研究の自伝的部分はすべてこの本に拠っている。大昔、中国史家の貝塚茂樹が書いた「毛沢東」(岩波新書)は、人道主義者・毛沢東のイメージがあふれていた。それは、この「自伝」部分の曲解によるものとしか思えなかった。
著者は、この「中国の赤い星」の初出から改訂版、日本語、さらに英・独・露・中国語の様々な版を比較検討する中から、コミンテルンの横暴、ご都合主義を描き出す。コミンテルンの関与については、ひと時代前の研究者は「大甘」だったように思われる。すなわち、岩波文化、進歩的文化人が花盛りの時代にあっては、コミンテルンの暗部については、見て見ぬふりだったのかもしれない。
我が息子が小さいころ、書棚にある毛沢東関連本をみつけて、「なんで”けざわひがし”の本がたくさんあるの?」と私に訊いた。その頃から、私はその種の本を読まなくなったが、本書だけは稀に見る面白さで、一気に読了してしまった。