澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「海角七号」試写会で田中千絵が舞台挨拶

2009年09月29日 23時30分40秒 | 音楽・映画
今夜(29日)新宿で開かれた「海角七号」試写会に行く。 お目当ては、魏徳聖監督、主演の范逸臣、田中千絵、中孝介の舞台挨拶。



会場は、報道関係者のほか、范逸臣の日本ファン・クラブ(?)みたいな女性達、それに田中千絵の父親であるトニー・タナカ氏の姿も見られた。

注目の田中千絵は、映画よりもずっと清楚な美人。映画では見られないしとやかさがあった。
写真やTVカメラを持った報道関係者も多かったので、明日以降、新聞や雑誌に紹介されるはずだ。



なお、正式のフィルムで上映されたのは今回が初めてで、映像の美しさが光った。字幕も一新され、文字が見やすくなったとともに、よりストーリーがわかりやすくなった。



韓流ブームでも華流でも何でも結構だが、この映画はとにかくブームに便乗してでも、多くの人に見てもらいたいと思う。何気なく見た人でも、必ず他の映画とは違った何かを感じるだろうから…。


八田與一~台湾を愛した日本人

2009年09月29日 09時31分56秒 | 台湾
つい先日、台湾・民視TVの番組「台灣演義」が「台湾を深く愛した日本人~八田與一」を放送した。
これを見ると、八田與一の技術者魂がよく分かる。八田のような若い技師の提言を実現させた台湾総督府(後藤新平)の決断も立派だ。当時、中国大陸には、まともな近代的行政組織などなかったのだから、台湾総督府の施策が植民地統治の一環であるとはいえ、いかに民生の安定と福祉に寄与したかがわかる。

八田與一の生涯を客観的に紹介した番組制作も立派だ。台湾が民主化されなければ、こういう番組もつくられなかったと思うと感慨深い。中国において「満鉄」が中国東北の近代化に果たした役割は大きい。中国人がそのことを客観的に見つめ直す時期は来るのだろうかとふと思った。常に「敵」を設定しなければ維持できない一党独裁国家には望むべくもないことだが…。

少なくともわれわれは、こういうTV番組を制作できる台湾社会を高く評価し、支持しなければならないだろう。先に来日した李登輝氏は「東アジア共同体よりも、まず日本と台湾の連携強化が必要である」と強調した。それこそが「日台共通の利益」であるに違いない。


台灣演義:嘉南大曙V之父?八田與一(1/5) 20090927



澎湖島・住民投票でカジノ化計画を否決

2009年09月27日 21時50分52秒 | Weblog

台湾海峡に浮かぶ澎湖諸島の中心地・馬公にカジノを設けようとする計画が進められてきたが、住民投票の結果、カジノ誘致案は否決されたようだ。

過疎化対策の一環として進められた計画だったが、住民ははっきりと「NO」の意思表示をした。
カジノを目的に中国大陸からの成金観光客が多数訪れるようになっては、せっかくの美しい海、自然環境も破壊されるだろう。かつての軍事的要衝が、ギャンブルの街になってしまうのは、あまりに変わりすぎだと思うので、今回の結論に喜んでいる。

【台湾の声】が伝える情報は次の通り。
9月26日に離島の澎湖県でカジノ開設の是非を問う住民投票が実施された。投票結果は、賛成43.56%、反対56.44%でカジノ開設が否決された。この結果に対し行政院は、澎湖県民の決定を尊重するとしている。

台湾には、住民投票を適正に実施できる社会環境が整っていることを示すとともに、政府もこの投票結果を尊重すると確約した。これは、中国大陸ではおよそ考えられないことであり、台湾の民主主義の成熟、台湾人の民度の高さを示すものだろう。


ある両岸関係~身近な「中国と台湾」~

2009年09月27日 17時39分51秒 | Weblog

サイクリングの途中で見かけた「○○市国際交流市民祭」。
会場の公園では、ラテン音楽のライブが行われ、世界各国料理の模擬店が軒を並べる。

 (五星赤旗がはためく)

南アメリカ、オセアニア、アフリカなどと並ぶ横には、アジアの店。中国の模擬店はこのようになっていた。

(左が台湾、右は中国)

台湾のテントではビーフンを販売。中国は、民芸品を売っている。とても仲良く。



この国際交流フェスティバルでは、中台合作はもう実現している。東アジア共同体もなんとかなりそうだ…?

だが、台湾と中国の違いをどれほどの人が知っているのか心配になる。 


日本航空の没落が暗示するマスメディアの近未来

2009年09月25日 18時06分43秒 | マスメディア

日本航空(JAL)と言えば、かつては「ナショナル・フラッグ」であり、大学生があこがれる就職先だった。特に、パイロット、スチュワーデスといった乗務員は、高い基本給、格段の業務手当、好待遇の勤務条件で羨望の的だった。

(ナショナル・フラッグだった頃のJALマーク)

ところが、当時からよく知られていたのは、日本航空には、強力なコネがなければ入れないということだった。東大、一橋大などの名門校を出ていれば、コネなしでも入社できたようだが、早慶程度の私大クラスでは、政治家とか有力筋のバックアップがなければ採用されなかった。したがって、日本航空には、上流階級のおぼっちゃまがうようよしていると言われた。

因果応報と言うべきか、いま日本航空の経営がますます危機的な状況に陥っている。
かつて「JALの乗務員は、客を小馬鹿にしている」とまで言われたが、親方日の丸の時代は、それでもなんとかごまかせた。だが、国際競争が激化しているに
もかかわらず、乗務員組合の途方もない要求を呑むなどして、ますます経営状態を悪化させてきた。

このJALの状況をみて連想するのが、マスメディアの世界。NHKは、JALと同様に、局員のコネ採用を繰り返してきた。NHKの報道局などに、どれほど多くの有力者の子弟がいるのか、見当もつかないくらいだ。予算の決定権を国会に握られているNHKでは、国会議員から持ち込まれる情実採用の申し出を断り切れなかった。むしろ、コネ採用を受け入れることで、国会議員に“貸し”を作るという意図もあったろう。
その結果、NHKは、表向きは”マスコミの使命”とか言いながら、実は極めて権力に弱い。「Japanデビュー アジアの”一等国”」を制作した濱崎ディレクターは、悪しきNHKの典型的な人物だが、彼もコネ採用である可能性は高い。ある種の政治勢力から、あのような番組の歴史歪曲を持ちかけられた可能性は排除できない。

民放に至っては、コネ採用のオンパレード。「みのもんた」の息子も、田原惣一朗の娘も皆TV局社員だ。TV各局は、コネ社員を取材に向かわせ、国家公務員の天下り問題をセンセーショナルに報道しているが、少なくとも、国家公務員上級職にコネ採用はあり得ない。マスコミ界の不明朗な人事採用とは訳が違うのだ。「民間会社では…」というのが、マスコミ人の常套句だが、霞ヶ関を批判する前に、自らの襟を正すべきだろう。
私の知り合いにも大手のK通信にコネ入社した者がいるが、例え無能ではあっても、高給をもらい、会社の看板で大きな顔をしている。

私が思うには、JALの現在は、マスメディアの明日の姿。噴飯ものの「民主党政権」報道を見ていると、インターネットや地デジによるチャンネルの多様化によって、永遠に続くと思われた(?)TV局の栄華もあと少しという感が強い。
 



 

 


「海角七号」もうすぐ試写会

2009年09月21日 20時42分22秒 | 音楽・映画

「海角七号」の試写会がもうすぐ行われる。
昨日、試写会招待状を入手した。

 (凝った封筒の中に招待状)

日本語版のちらしも入っている。

9月29日(火)、当日は魏徳聖監督、主演の范逸臣と田中千絵が舞台挨拶する。これは楽しみだ。
アミ族出身の范逸臣、映画と違ってしとやかな田中千絵も見てみたい。

范逸臣
田中千絵


「国家戦略局」のどこが悪い?

2009年09月19日 13時52分12秒 | 政治

民主党政権誕生をめぐって、鳩山さんは昨晩何を食べたとか、幸夫人のファッションはどうだとか、マスコミはどうでもいいことを報道し続けている。酒井法子がどうなろうと、鳩山さんが何を着こなそうと、私は全く興味がないので、このブログには書かないつもりでいた。

しかし、今日たまたまラジオで永六輔久米宏の会話を聞いて、心底唖然とした。
民主党が政府に設置しようとしている「国家戦略局」(現在は法制化されていないので、国家戦略室)について、永六輔が「この名称はよくない。戦争を思い出す。戦略は、侵略とも聞こえる」と語り、これを受けて久米宏が「私もそう思う。これまで気づかなかったのが迂闊だった」と言い返した。これはもともと、どこかで大橋巨泉が喋ったことらしい。

実は、これと同じ話が、10日以上も前の「朝日新聞」声欄に掲載されている。投稿者は「国家も戦略も戦争を想起させる言葉なので、国家デザイン局などと名前を変えた方が良い」と記している。「朝日」は、自社の方針に沿った投書を露骨に採用する傾向が強い。したがって、巨泉、永、久米は、極めて「朝日」的な考え方の持ち主であることが分かる。

この3人に共通するのは、①早稲田出身で、②自らを「野党精神」の体現者だと錯覚していること、③常に「オレが一番」というエゴイストであること、④すでに時代遅れのクソジジイであるのに、今なお有名人だと思っていることである。ロクに専門知識も持たない彼らが偉そうに官僚・役所を批判し「大言壮語」を言い続けることができたのは、「早稲田」という誇大看板ではなかったか。

さて、肝心の「国家戦略局」だが、その名称が何故悪いのか? どうしてケチをつけるのか?
井沢元彦氏によると、日本は「言霊」が支配する国だ。「国家」や「戦略」が忌まわしい言葉なので、言い換えろという主張は、まさにこの「言霊」の呪縛によるものだ。
第二次大戦敗戦以後の日本政治は、国家戦略を持たなかった。いや、正確に言えば、米国の戦略的従属下にあって持つことができなかった。今回、政権交代した民主党政権が、国家戦略を志向することが何故悪いというのか。
鳩山内閣の布陣をみると、なかなか立派なものだ。18人中国立大学卒が過半を占めている。東大7人、京大2人などで、早稲田、慶應はごく少数だ。これは、麻生内閣が私大卒中心のメンバーだったのと対照的だ。

はっきりさせておくが、この当時の東大、京大を筆頭とする国立大学は、現在よりもさらに優秀だった。早稲田、慶應クラスとは、歴然とした能力差があった。舛添要一はかつて「この国は学習院や成蹊出には任せられない」と言ったことがあるが、彼の本音は「早稲田、慶應もバカ。東大以外には任せられない」ということだったろうが、あまりに差し障りがあるので、言わなかっただけだろう。

こういう話題は実もフタもないのだが、実は、精神科医の和田秀樹氏が「首相と学歴」と題して論じている。興味がある方は、ぜひアクセスを…。

http://ameblo.jp/wadahideki/entry-10334496634.html

世襲議員の学歴には要注意だ。吉田茂(東大・法)の孫が学習院、福田赳夫(東大・法→大蔵省)の息子が早稲田、岸(東大法)の孫である安倍晋三が成蹊というように、世代が下るに連れて学歴が降下する政治家は、ホンモノのバカだと思うべきだろう。その最たる者は、小泉進次郎。関東学院大卒のバカボンが、親が政治的影響力を行使することなく、コロンビア大学大学院に入れるのだろうか?
あらゆる好条件に恵まれながら、その程度だった人が、東大・法卒で固められた官僚組織に太刀打ちできるはずもなかろう。
舛添は人間的に好きではないが、彼の放言は的を得ているのだ。

民主党政権は、その点で期待ができる。もっとも、いくらマニフェストに書かれているからと言って、外国人参政権を簡単に認めてもらっては困るのだが…。


映画「海角七号」のウェブサイト開設

2009年09月18日 10時32分42秒 | Weblog

「海角七号」は、来春、東京の「銀座シネスイッチ」他で公開されることが決まった。9月29日には、試写会も開かれる予定だ。
この映画をPRするために、新たに日本語のウェブサイトが開設された。

http://www.kaikaku7.jp/

日本語のタイトルは、「海角七号(かいかくななごう)~君想う、国境の南」となった。
ウェブサイトには、この映画を紹介する映像も貼り付けられている(日本語字幕付き)ので、ぜひ、多くの方々に見てもらいたいと思う。

海角七号 2枚組特別版(台湾盤) [DVD]

得利

このアイテムの詳細を見る

カーペンターズとボストン・ポップス

2009年09月18日 09時41分51秒 | 音楽・映画

カーペンターズの兄・リチャード・カーペンターが、アディンセルの名曲「ワルソー・コンチェルト」(Warsaw Concerto)をライブ演奏した映像。伴奏は、アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団。
カーペンターズの「ワルソー・コンチェルト」は、1976年のアルバム「ライブ・イン・ロンドン」に収められている。これもフル・オーケストラが伴奏する本格的な演奏だった。

この映像は、”Evening at Pops”というボストン・ポップスの名物番組の一部分。ボストン・ポップスの指揮者アーサー・フィードラーは、1979年に亡くなっているので、1976年か77年頃の映像と推定される。

リチャード・カーペンターのピアノは、想像していた以上に素晴らしい。

Richard Carpenter & Boston Pops Orchestra


アニタ・カー・シンガーズ The Anita Kerr Singers

2009年09月13日 02時46分27秒 | 音楽・映画
秋風が吹くと、ちょっと聴きたくなるのがアニタ・カー・シンガーズ。
アニタ・カー(1927ー )は、メンフィス生まれの女性歌手だが、アレンジャー、作曲家、指揮者、ピアニストとしても活躍した。

アニタ・カー・シンガーズは、1964年、ヨーロッパ・ツアーを行っているが、その頃の映像が見られる。そのハーモニーの美しさが、よく分かる。



Anita Kerr Singers-Hello Willem (Dutch T V)



不法滞在者を擁護するTBS

2009年09月12日 18時30分34秒 | マスメディア
TBSは、在日不法滞在者の問題を採り上げ続けている。というと、政治、社会の矛盾を追究するというマスコミの本旨に敵っているのかのようだが、実はそうではない。


(彼女だけを見れば、確かに”可哀相”と思えるのだが…)

カルデロン・のり子さんという少女の問題があった。フィリピン人の両親が不法滞在であることを理由に法務省から強制送還を命じられたのに対し、「のり子さんが可哀相」というキャンペーンを張ったのが、他ならぬTBSだった。”お役所バッシング”のまっただ中で、法務省はどう対応するのか私も注目したが、結局、のり子さんだけ滞在を認めるという”温情的な”措置が執られた。

今日のTBS「報道特集」は、この夏休み、のり子さんがフィリピンに住む両親を訪れた映像を放送した。のり子さんにとって初めて見るフィリピンは、貧しく、将来の夢が描けない社会として映ったようだ。少なくとも、視聴者にはそう感じさせる映像だった。

だが、このTBSのキャンペーンは、実は日本という国家を溶解させかねない危険性をはらんでいる。
「国籍」がいかに大事かは、海外旅行をしたときに身に染みて分かる。歴史をひもといても、どの国籍を持つかによって、生死が分かれる局面さえあるのだ。国共内戦時に封鎖された日本人地区、ベトナム戦争終結時の悲劇など、思い当たることはたくさんある。
しかし、TBSが描くのは「市民」「平和」「環境」「貧困」「子供の未来」等々ばかりで、「国家」の概念は欠け落ちている。これは、古くは田英夫から筑紫哲也、最近の後藤某に至るまで、TBSに綿々と続く”伝統”でもある。筑紫哲也などは、自分の国をいつも「この国」と呼び、「我が国」と言ったことなど一度もないはずだ。

法令に基づき「強制退去」を命じた国(法務省)を、あたかも「非人道的」であるかのように報道するTBS。「日本列島は日本人だけのものではない」と発言した鳩山由紀夫が首相になろうとする、絶好のタイミングにこれを放送したのは、どういう意図なのか?
不法滞在を容認し、在日外国人に選挙権まで与えようとする民主党政権。「この国」にいつももの申すかの如きマスコミとの”共鳴”によって、そのマニフェストはますます実現に近づこうとしている。

最近、在日外国人の国名について、改正が行われた。在日の台湾人は、これまで「中国」という国名表記(国籍ではない)が与えられていたが、これでは大陸の中国人と一緒にされてしまうというので、「台湾正名運動」(本来の名前で呼ぼうという運動)が行われてきた。ようやくこの夏、在日台湾人には「台湾」という国名が表記されることになった。
犯罪率が高く、粗野でマナーも知らない中国人と私たちとは違うのだというのが、一般的な台湾人の思いだろう。

「国家」を超えた「市民」、「国境」を越えた「東アジア共同体」など、まだまだ絵空事なのだ。いや、所詮、絵空事なのだと言っておきたい。









「練習曲・単車環島日誌」を見る

2009年09月09日 09時52分44秒 | 台湾
台湾映画「練習曲・単車環島日誌」を見る。これは、自転車が趣味の知人に頼まれて台北で購入したDVDだが、私も見せてもらった。

    (DVDのジャケット)

この映画を制作したのは、あの「悲情城市」のカメラマンだった人らしい。映画の内容を「YesAsia.con」から引用させていただく。

「YesAsia.com 内容紹介
 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の「悲情都市」や「好男好女」などで撮影を務めたほか、広告業界でも活躍している台湾のカメラマン陳懷恩(チェン・ホァイエン)による映画初監督作品。自転車で台湾一周の旅に出た聴覚障害を持つ青年と、彼が旅先で出会う人々のふれあいを温かいタッチで描く。台湾の人々と自然のぬくもりをたっぷりと楽しませてくれる、極上のロードムービーだ。主演を務めるのは、役柄と同じく聴覚障害を持つ、美術デザイナーの東明相(トン・ミンシァン)。演技は全くの未経験ながら、その自然体の存在感で好評を得た。共演には、「冬冬の夏休み(冬冬的暇期)」の楊麗音(ヤン・リーイン)、張恵妹(アメイ)の実妹・張惠春(サヤ・チャン)、アイドルグループ・K ONEの達倫(ダレン)、人気歌手の胡徳夫(キンボ)ほか、有名どころが名を連ねている。
 大学卒業を目前に控えた明相は、ギターとバックパックを担いで自転車にまたがり、1週間の旅に出る。ルートは、高雄から海岸線をひたすら時計と逆周りに走って台湾を1周。この旅で彼は、映画の撮影隊や道に迷った外国人、祖母に会いに行こうとしている少女など様々な境遇の人々と出会い、同時に自分自身とも向き合ってゆく。 」

東台湾(太平洋側)の厳しい自然環境、素朴な人情、人々の暮らしが垣間見えてくる。それだけでも楽しいのだが、聾唖者である明相が1週間で成長していく姿も素晴らしい。
花蓮近くの断崖絶壁の道路を通るシーンがあるが、その道路の原型は、日本統治時代に作られたもののはず。宜蘭(イーラン)では、日本統治時代の故事を説明する場面もあった。
一見、さわやかな映画だが、歴史の刻印も知らされる。

李登輝・講演録(於熊本 9月8日)

2009年09月09日 09時01分28秒 | 社会
昨日(9/8)熊本で行われた李登輝氏の講演は、坂本竜馬を採り上げた東京での講演とは異なり、日台100年の歴史をテーマにしたものだった。
以下は「台湾の声」より転載。


【李登輝講演録】「台湾と日本百年来の歴史及び今後の関係」  

                      二〇〇九年九月八日(於熊本市)
                              
                  李登輝
 
 一、はしがき

 紀伊進先生及び、熊本の台湾友好の皆様、こんばんは!
 只今ご紹介を受けました台湾の李登輝です。

 台湾と日本は同じく西太平洋に位置する島国の国家であり、北から南まで島々が連なっています。両国は最も近い近隣関係にあり、人的交流は勿論のこと、経済関係に至っては非常に密接です。
 しかし、日台両国は共にその外在の物的環境だけを重視し、内在的精神の了解に欠けているといえます。これは今日台湾と日本の文化交流における大きな問題です。私が今日お話しをするテーマ、「台湾と日本百年来の歴史及び今後の関係」は、台湾の立場に立ち、この百年来、両国の歴史発展を中心に、政治と文化の三段階に分けてお話しすることにします。


 先ずは、一八九五年から一九四五年迄です。台湾の日本植民地時代、台日関係は一国家の内部問題に属していました。第二段階は一九四五年から一九九〇年迄で、国民党が統治していた頃の台日関係です。第三段階は一九九〇年から現在に至る迄です。この三段階における様々な変化は台日間の歴史発展にどう影響をもたらしたかをご説明しましよう。

 二、日本統治下の台湾は近代社会に邁進

 日本は台湾を五十年間統治しました。この間、台湾に最も大きな変化をもたらしたのは、何といっても、台湾をして、伝統的な農業社会から近代社会へ邁進させたことです。また、日本は台湾に近代工業資本主義の経営観念を導入しました。台湾製糖株式会社の設立は、台湾の初歩的工業化の発展となり、台湾銀行の設立により、近代金融経済を採り入れました。度量衡と貨幣を統一して、台湾各地の流通を早めました。一九〇八年の縦貫鉄道の開通により、南北の距離は著しく短縮され,嘉南大しゅう(潅漑水路)と日月潭水力発電所の完成は農業生産力を高め、工業化に大きく一歩踏み出す事が出来ました。

 行政面では、全島に統一した政府組織が出来あがり、公平な司法制度が敷かれました。これら有形の建設は台湾人の生活習慣と観念を一新させ、台湾は新しい社会に踏み入ることが出来ました
日本はまた台湾に新しい教育を導入しました。伝統的な私塾は、次々と没落し、台湾人は公学校を通して新しい知識である博物・数学・地理・社会・物理・化学・体育・音楽等を吸収し、徐々に伝統の儒家や科挙の束縛から抜け出すことができました。そして世界の新知識や思潮を理解するようになり、近代的な国民意識が培われました。一九二五年には台北高等学校が成立しました。台北帝国大学は一九二八年に創立され、台湾人は大学に入る機会を得ました。ある者は直接、内地である日本に赴き、大学に進学しました。これによって台湾のエリートはますます増え、台湾の社会の変化は、日を追って速くなりました。

 近代観念が台湾に導入された後、時間を守る、法を遵守する、更に、金融・貨幣・衛生、そして、新型の経営観念が徐々に新台湾人を作り上げていきました。


 三、台湾意識の台頭 

 近代化社会に於ける、近代化観念の影響を受けて、台湾人は新しい教育を受けたため、徐々に世界新思潮と新観念を抱くようになり、台湾人の地位が、日本人に比べて低い事に気がつき、台湾意識が芽生えました。台湾意識が日増しに強くなるに連れて、台湾運命共同体を形成するようになりました。
  
 一九二〇年頃、台湾人は西側の新思潮の影響を受けて、様々な社会団体を作り、議会民主・政党政治・社会主義・共産主義・地方自治・選挙・自決独立など様々な主張をし、日本は台湾人に当然の権利を与えるべきだと要求しました。こうした台湾人の政治運動と主張は、日本の制圧によって成功しませんでしたが、台湾は台湾人の台湾であるという考えが生まれ、台湾人の一致した主張となりました。これが戦後国民党に対抗する理念と力になったのです。
  
 政治的社会運動の力に押されて、台湾文学、台湾美術、台湾歌劇なども、続々と生まれ、台湾人意識を主体とする台湾文化も樹立されました。


 四、戦後、国民党は「日本化」を抹殺し、「中国化」を導入。

 一九四五年国民政府が台湾を接収した後、「日本化抹殺」の政策をとり、台湾人に対し、日本語をしゃべるべからず、日本語を書くべからずを強要しました。日本語の雑誌、映画なども制限して、「日本化」を消し去ると同時に、国民党は中国人の観点による歴史文化を注入し、台湾人を中国人に変えようとしました。
  
 台湾と日本の関係は一九四五年以後、急速に変わり、国民党の反日政策のため、台湾の若者は徐々に日本離れをし、日本を知らなくなりました。日本が台湾を統治した歴史は、教科書には載らず、歴史学者も研究しなくなりました。日本教育を受けた先輩たちはおおっぴらに日本を語らないのは、国民党の目を恐れていたからです。
  
 国民党の大中華思想の教育のもとで、台湾人の気質にも変化が表れました。法の遵守・勤勉、清廉、責任感などの美徳は失われ、反対に中国人の投機性、法を知って法を破る、善悪転倒、賄賂特権の習性は、強くなる一方で、台湾人精神も日を追って失われていきました。
  
 国民党の強力な主導政治体制の下で、国民党が台湾を代表して日本と結ばれた関係は、日本をして国民党の歴史と観点しか知りません。台湾人の歴史や台湾人の主張は知る由もありません。ところが、台湾と日本との経済往来はかなり密接で、両国の友好関係を保っていました。

 
 五、戒厳令体勢と台湾民主運動

 一九四五年十月、国民党政府が台湾を接収した後、特権が横行した為、政治は腐敗、物価は高騰し、社会秩序は混乱を招き、一年半を経ずして、一九四七年二月、二二八事件が起こり、火種は台湾全島に拡がりました。国民党は中国大陸から兵を送り込み、鎮圧にあたり、台湾のエリート、民衆を数万人残殺し、台湾人を恐怖の底に陥れ、台湾人の政治に関わる勇気を喪失させました。
  
 一九四九年五月、国民党政府は台湾に戒厳令を布き、暫くして、中国大陸の内戦に敗れて台湾に退いて来ました。そして自らの政権を堅固なものにするため、多数の反対分子を逮捕しました。これが所謂一九五〇年来の、「白色テロ」と呼ばれるものです。国民党は更に「反攻大陸」を国策とし、独裁体制を作り上げました。そして戒厳令は三十八年間も続き、一九八七年になり、やっと解除されました。これは前代未聞の事であり、台湾人が如何に言論思想や結社の自由を剥奪されていたか、不安と恐怖の中での生活だったか、皆さんも想像できるでしょう。
  
 戒厳体制を打ち破るため、台湾のエリートたちは長い時間をかけ、多数の犠牲者を出し、倒れてもやまず、絶えず奮闘した結果、国民党も遂に譲歩せざるを得ませんでした。私、李登輝が台湾人として、初めての總統に就任してからの十二年間は、何とかして台湾の人民の期待に沿うことが出来るよう、「民主化」と「台湾本土化」の政策を実行しました。先ずは、いわゆる万年国会を解散、終結させ、中央民意代表(国会議員)を全面改選しました。さらに、一九九六年には歴史上初めての人民による總統直接選挙を実行しました。その結果、「主権在民」の観念を徐々定着させる事ができ、自由民主の社会が打ち立てられ、台湾人民は国民党の統制から離れて、台湾主体の観念をもつようになりました。
 

 六、一九九〇年後は台湾に新国家建立の潮流現る

 下から上へつき上げる民主の力こそ台湾を変える原動力です。この力は、台湾内部の政治構造を変えたばかりでなく、台湾と中国の関係も変えました。過去の内戦型対立状態から国と国の関係に変わりました。台湾は平等互恵の立場で、中国と平和互恵の関係を樹立したいと思っております。
  
 このような力の源は、実は日本統治時代に遡ることができるのです。台湾意識が芽生えた後、台湾人はすでに自決独立の主張を提出しました。戦後、台湾人が二二八事件の災難に遭った後、この独立運動が始まり、一九九〇年代になり、国内と海外の力が交わって、新国家建設の原動力となりました。
  
 多くの日本人が、中国の宣伝や脅しに乗って、「台湾は中国の一部であり、台湾は独立の条件が整っていない」と思っておられるようです。しかし、一度台湾に来られて、台湾人の考えを聞き、活気溢れる台湾の社会を見て、、台湾の自由民主を感じた方ならば、台湾人が何故、新国家を建設するのか、自ずと分かっていただけると思います。

 台湾は海峡を挟んで中国と向き合っていますが、それでも「台湾正名」運動(台湾の国名を正しくする)、「国民投票による憲法制定」、「新国家建設の主張」などを、敢えて唱える活力を有しています。これらは台湾精神から来ているのです。台湾人は、質実剛健・実践能力・勇敢・挑戦的天性の気質に加えて、日本時代に養われた法を守る、責任を負う、仕事を忠実に行うなどの精神を備えています。これが即ち台湾人の長所であり、窮すればするほど強くなり、権威統治のもとでも、台湾人としての主体意識を確立することの出来る最高の精神なのです。


 七、日本が台湾新国家建設の動力を理解してこそ、両国の未来関係が構築できる

 日本の若い世代は安定した社会で育ちました。外敵はなく、内乱もありません。生活は豊かで保障されています。その反面、危機意識がなく、改革意識も失われているようです。中国に対しては何も言えず,不公平や不義に対して、胸を張って正す事が出来ないようです。昔の日本人が持っていた公に尽くし、責任を負い、忠誠を尽くして職を守る日本精神はどこへ消えてしまったのでしょう。これは日本の社会の最大危機です。
  
 台湾はこの百年、日本統治時代と国民党時代の歴史を経てきた訳ですが、この間、台湾人の主張は圧迫され続け、一度として台湾人が主人公となったことはありません。しかし、台湾人が長期にわたって奮闘、犠牲を払った結果、一九九〇年以後、台湾は台湾の主体性観念を持つことが社会の主流となりました。日本の方には、この勢力が台湾の社会を変える力であることを認識していただきたいと思います。

 両国間の将来は台湾と日本の平等互恵関係の上に成り立ちます。台湾を中国の一部であると見てはなりません。日本と台湾は生命共同体なのです。即ち台湾なくして、日本はありえない。と同様に、台湾も日本なくしては存在しえないことを、じっくりと考えていただきたいのです。
  
 最後に、台湾と日本の両国の国民が、この百年来の台湾歴史の発展をよく理解し、相互理解の上に立って、両国が新時代の未来関係に邁進することを心より願いつつ、本日の私のお話を終わりたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。


李登輝・講演録

2009年09月08日 18時58分45秒 | Weblog
【李登輝講演録一】竜馬の「船中八策」に基づいた私の若い皆さんに伝えたいこと
         
       二〇〇九年九月五日(日比谷公会堂)
 
                          李登輝





一、はしがき

  栂野理事長、安藤副理事長、ご来賓の皆様、青年会議所の会員の皆様。こんにちは!台湾の李登輝です。

 今年の四月三日、東京青年会議所の栂野慶太(トガノ ケイタ)理事長、安藤公一(アンドウ タカカズ)副理事長をはじめ、幹部の方々が台湾を訪問され、九月五日の「東京青年会議所六〇周年記念フォーラム」で講演するよう、私のもとにわざわざ依頼にいらっしゃいました。せっかくのご依頼でしたので、熱心な日本の若き青年に対して、日本人としての誇りを再確認していただきながら、目前に存在する日本の政治的行き詰まりを打開する方法についてお話しできないかと考えてまいりました。

『折しも、日本では民主党政権が誕生しました。日本国民の民意により、鳩山内閣が発足することを心よりお祝い申し上げます。今後日本で、二大政党による、よき政権交代が行われるかどうか、定着するかどうかは、鳩山民主党政権が国民から評価される政治を行えるかどうかにかかっています。僭越ながら、新しい総理大臣が、つねに国民の幸福、安寧を第一に考えられるようにと申し上げたく思います。

と同時に、日本が国際社会から一層の尊敬を受けるような外交政策を展開されるよう期待しております。ぜひ日米協調路線を基軸に大陸中国と節度ある交流をするとともに、独立した存在としての台湾との一層の連携強化に取り組んでいただきたいと思います。』

日本政治が大きな転換点を迎える、この節目にあたってどのようなお話をすればよいか、色々と考えた結果、本日は、坂本竜馬の「船中八策」に託してお話ししてみようと思います。



 二、坂本竜馬の「船中八策」

 近代日本の幕開けに欠かすことの出来ない人物と言えば、まず坂本竜馬でしょう。徳川幕府の末期、倒幕、佐幕と各藩が分裂していた頃、又倒幕派も薩摩、長州という大藩が分かれていた中で、これをうまく調停して日本を戦火から救ったのは、奇才坂本竜馬でした。彼の生涯は僅か三十三年に過ぎませんでしたが、明治維新の成功に彼の遺した業績は素晴らしいものでした。

現代日本の課題を考える人々の心中にも彼の精神は生き続けています。多くの作家が違った表現で竜馬を語っています。「海を翔ける龍」、「竜馬がゆく」、「竜馬が歩く」と云われる様に、土佐藩を脱藩して勝海舟の門下に入った竜馬が暗殺されるまでの五年間に、竜馬は地球を一周するくらい、海に陸にと旅をしています。彼は忙しく動き回り、新しい国づくりに全身全霊を注ぎました。中でも大仕事だったのは、倒幕に対する薩長両藩の異なる意見を調整することでした。

 この間に彼の行った政治活動は数え切れない程多いものでしたが、中でも、「船中八策」は、彼の遺した最重要の政治的功績ではないかと思います。大政奉還への動きを促進すべく長崎から京都に上る船の中で、「国是七条」を手本に、竜馬が提示した新しい国家像、それが「船中八策」です。将軍が新しい国づくり案を理解し、幕府が政権を朝廷に返せば、内戦なしで日本は近代国家に生まれ変わる。そうした希望を託した日本の将来像「船中八策」は次のようなものでした。

 一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。

 一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。

 一、有材の公卿・諸侯及天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。

 一、外国の交際広く公議を採り、新に至当の規約を立つべき事。                         
 
 一、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。

 一、海軍宜しく拡張すべき事。

 一、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。

 一、金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。

 
 以上八策は、方今(ほうこん=この頃の)天下の形勢を察し、之を宇内(うだい=世界)万国に徴するに、之を捨てて他に済時(さいじ=世の中の困難を救う)の急務(=日本を急いで救うための手立ては)あるなし(=あるはずもない)。苟(いやしく)も、此(この)数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、万国と並立(へいりつ)するも亦(また)敢て難しとせず。伏して願くは公明正大の道理に基き、一大英断を以て天下と更始一新(こうしいっしん)せん。
 
 この「船中八策」には、幕府と藩に代わって議会制度を持つ近代国家「日本」の実現を目指す竜馬の心がよく表れています。大政奉還がなり、朝廷の許しを得た後、竜馬は喜びのうちに、「船中八策」をもとにして、新しい政府のあり方についての新政府綱領を書き上げたと言われています。
 明治政府成立後に示された五箇条の御誓文や政治改革の方向は、やはり竜馬の「船中八策」に沿うものでした。



 三、坂本竜馬の「船中八策」に託した江口先生の私への提言

 明治維新を動かした憂国の志士は丁度みなさんのような三十代前後の青年達です。徳川末期の若者達が、その置かれた立場の違いにもかかわらず、申し合わせたように政治改革の必要性を感じ取っていたことは実に印象的です。
忘れてはならないことは、竜馬が長崎から京に上る船の中で、改革案を八箇条にまとめたことに表れているように、当時の青年達は、ただ血気にはやってことを進めたのではなく、よく国勢を了解し、国運を己の使命と受けとめて活動していたということです。

 竜馬の「船中八策」は、古今を問わず、日本の若い青年を鼓舞するものであり、若い青年たちの命を賭した実践は、永く歴史の記憶に刻まれています。
 日本だけではありません。日本と同じく周囲を海に囲まれた台湾に住む私自身も、「船中八策」に大いに励まされてきたのです。

 平成九年(一九九七年)四月二十九日、私が総統として台湾の民主化と自由化に努力奮闘している時、PHP総合研究所社長の江口克彦先生から竜馬の「船中八策」に託した激励のお手紙と提言をいただきました。
 
 江口社長は、私にとってきわめて重要な友人のひとりでありますが、とくに、当時の台湾が置かれていた内外の情勢と私の主張を実に適確に理解しており、「船中八策」に託しての私への提言は非常に意義深く、総統である私に大きな勇気を与えてくれるものでありました。

 江口社長の提言は又、台湾に住む我々にも坂本竜馬の「船中八策」は、非常に重要な政治改革の方向であったこと。これが私の言う脱古改新、即ち中国的政治文化に対する離脱であったと共に、私たちにとっても、誇りを持って実践に当たる使命感が強化されました。時間の都合上、本日の講演では江口社長の台湾の提言は、残念ながら割愛せざるを得ません。
 四、「船中八策」に託した私の日本への提言

 明治維新は、東西文明の融合を促進し、日本をして封建的制度から近代的立憲国家へと発展していく方向を決めた政治改革でした。それにより、日本が世界五大強国に列せられる基礎が作られたのです。その後日本は、第二次世界大戦に敗戦国となりましたが、焦土の中から立ち上がり、ついに世界第二位の経済大国を創り上げました。政治も大きく変化しました。民主的平和国家として生まれ変わり、世界各国との友好・共存関係を築いてきました。

 しかしながら、現在の日本は戦後に於ける種々の束縛から抜け出ることが出来ず、窒息状態に置かれています。
 今こそ、明治維新と並びうる平成維新を行うべき時でしょう。そこで、江口克彦先生に倣って、私も竜馬の「船中八策」に託して、今後の日本の政治改革の方向についての私見を、若い皆さんにお話してみようと思います。
日本の内情について台湾人である私があれこれ申し上げるのは差し出がましいことと承知してはおりますが、日本の外側の、心ある友人からはこう見えるということでお聞きいただければと思います。
ではまず、「船中八策」の第一義です。 

 第一議・・天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。
 何よりもまず、主権の所在を正さねばならないということです。戦後の日本は完全な自由民主主義国家となりました。しかし、政治家と霞が関官僚と一部の業界団体が癒着する既得権政治が今なお横行しており、真の意味で国民主権が確立しているとはいえないのではないでしょうか。

 官僚主導政治を許している根本原因は、私の見るところ、総理大臣の政治的リーダーシップの弱さにあります。日本の総理大臣は、アメリカ合衆国の大統領や台湾の総統のように、国民の直接投票によって選出されていません。小選挙区比例代表並立制という特殊な方法で衆議院議員が選ばれ、その議員の投票結果で総理大臣が決まっています。総理大臣の政策実践能力が弱いのは、ひとえに国民の直接的な支持を得ていないことによるものと考えます。

 しかも、一般の国民が、国会議員になることは容易ではありません。その典型が世襲議員ですが、彼らは、父親から、たとえ能力がなくとも、旧来の地縁、血縁を引継ぎ、担ぎ上げられ、議員に決まってしまっています。いわば、烈々たる使命感、日本という国を良くしたい、世界から尊敬される国にしたいという強烈な志を持って政治の道に進むのではなく、単なる職業とか家業として政治家になる議員が多いのではないでしょうか。

 このような状況は主権在民という民主主義の原則に反しているのではないでしょうか。また、それゆえに、たとえ総理大臣になっても、志も、実践能力も弱く、国民の期待に、ほとんど応えることもできないということになるのではないかと思うのです。

 それは、やはり国民の意思を直接受けていない総理大臣、いわば、総理大臣の後ろに国民がいないからであり、また、それゆえに、国際的においても、自信に満ちた発言や提案をすることも出来ず、さらには世界各国から、必ずしも日本が尊敬されない原因になっているのではないかと思うのです。

 
 第二議・・上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。
 竜馬は立法府について言及していますが、広い意味での「国のかたち」を論じたものと解釈できるでしょう。今日の日本の「国のかたち」の最大の問題は、都道府県行政が、法的にも制度的にも、霞が関官僚の意向にしばりつけられており、地域のリーダーが十分実力を発揮できなくなっていることではないかと思います。

 日本の雑誌、新聞を読んでいると、このところ、日本では、勇気ある知事の人たちが出てきて、国政にも影響を与えるようになってきているようです。すみやかに霞が関官僚体制、言い換えれば、中央集権体制を破壊して、「新しい国のかたち」に転換する必要があるのではないかと思います。最近、日本では、地域主権型道州制の議論が盛り上がりを見せているようです。その方向で、日本は「国のかたち」を代えることが望ましいのではないでしょうか。

 地域のことは地域に任せ、権限も財源も委譲する。そして、それぞれの地域が自主独立の精神で独自の政策を展開し、競い合って日本を高めていく。社会の閉塞感を打ち破るには、中央集権体制を打破転換する地域主体の発想が不可欠でしょう。若い皆さんが、先頭に立って、新しい国・日本をつくる活動を展開されることを期待しています。 


 第三議・・有材の公卿・諸侯及天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。
 資源を持たない日本にとって、人材こそが何よりも重要であることは言うまでもありません。日本の未来を担う人材をどう育成していくか。日本においては、日本人の高い精神性と自然とが調和して、禅や俳句など、独自の美意識をもつ文化、芸術が生み出されてきました。こうした日本文化を背景に、品格と価値観を、よくわきまえた教育者が、教養を中心に教えていたのが、私の受けた戦前の日本の教育でした。

 これからの日本の教育は、高い精神性や美意識といった日本人の特質を更に高めていくものであるべきでしょう。そのためには、戦前の教育の長所を思い起こし、戦後のアメリカ式教育から離脱し、日本本来の教育に移行していくことが必要です。

 安倍内閣時代に教育基本法の改正がなされましたが、今後更に日本の伝統文化に適った方向に教育を改革していくことが求められるのではないでしょうか。私は日本人の精神性や美意識は、世界に誇るべきものだと考えています。


 第四議・・外国の交際広く公議を採り、新に至当の規約を立つべき事。
 現在の日本外交は、敗戦のトラウマによる自虐的、かつ自己否定的精神から抜け出せていないように思います。反省は大事なことです。しかし、反省も過ぎては自虐、卑屈になってしまいます。自虐、卑屈の精神では、健全な外交は不可能です。そのような考え方では、世界中から嘲笑されるばかりです。事実、いまだかって、私は「尊敬できる日本」という言葉を聴いたことがありません。
 
 アメリカへの無条件の服従や中華人民共和国への卑屈な叩頭外交、すなわち、頭を地につけて拝礼するような外交は、世界第二位の経済大国の地位を築き上げた日本にそぐわないものです。
 特に、これからの日本と中華人民共和国との関係は、「君は君、我は我なり、されど仲良き」という武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ)の言葉に表されるような、「けじめある関係」でなければならないと思います。

 この言葉を、先日、私は「台湾は中国とけじめをつけて付き合わなければならない」というスピーチのなかでも使いましたが、中国の将来の不確実性を考えれば、日本も台湾も、目の前の「中国のにんじん」に幻惑されず、「君は君、我は我」という毅然とした、主体性を持った態度、そして、そうでありながら良き関係を構築することが必要と考えます。

 これまで日本は、外交において、相手の主張を唯々諾々(いいだくだく)と受け止め、できるだけ波風を立てないよう留意してきたと見受けられます。しかし、残念ながら、いくら謙虚さを示しても、外国人には理解されず、そのような態度姿勢は、外国から、かえって軽んじられ、軽蔑されるということを、皆さん方はしっかりと認識しておかなければならないでしょう。今こそ日本は、自主独立の気力を持って、また、主体性を持って、いずれの国とも、積極的な堂々たる外交を展開すべきだと思います。
第五議・・古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。

 国の基本法たる憲法をどうするかは、今日の日本にとって大きな課題でしょう。皆さんもご承知の通り、戦勝国アメリカが、日本を二度と軍事大国にさせないために押し付けたのが、現在の日本国憲法です。日本国憲法の第九条は、日本の再軍備を禁止しています。そのため、日本はアメリカに安全保障を依存することになりました。

 しかし、その実、日本の自衛隊は種々の軍事行動をアメリカの必要に応じて要請されるようになっている、いわばアメリカに、いいように使われるというのが実情ではないでしょうか。
  
 うずくまり、行動を起こさない日本政府に対し、多くの、心ある有識者が「アメリカにノーと言える日本を」と求めていますが、日本のひ弱な指導者たちは、こうした意見を理解しようとせず、理解したとしても行動を起こす勇気もありません。気骨なき政治家ばかりで、日本は大丈夫なのでしょうか。

 日本が真に自立するために何が必要であるか、歴史をふまえ、その具体策を検討する必要があります。その際、憲法問題を避けて通ることはできないように思われます。

 日本では、「国民投票法」の本格的な施行(しこう)が来年に迫っているにもかかわらず、憲法審査会も機能を開始しておらず、いわば、頓挫(とんざ)しているようです。今回の衆議院選挙でも、憲法問題が本格的に論じられることはありませんでした。私の見るところ、国民の間でも、憲法問題は、ほとんど論じられず、むしろ、忘れ去られているような感じすらします。このような日本国民の憲法問題に対する無関心が、次第に「日本人としてのアイデンティティ」を不明確にさせ、国民の精神にも大きな影響を与えていくと私は感じています。

 六十年以上も一字一句、改正も変更もされないのは、私には、異常としか思えません。歴史は移り変わり、時代は変化し、日本および日本の皆さんが置かれた状況も大きく異なってきているにもかかわらず、国家の根幹である憲法を放置していては、日本国家は遠からず、世界の動き、時代の動きに取り残され、衰退し始めるのではないでしょうか。
 

 第六議・・海軍宜しく拡張すべき事。
 近年、海洋国家日本が直面する世界の情勢は急速に変化しています。アメリカ一極支配が終わりを告げ、五~六の地域大国がしのぎを削る多極化世界に移りつつあります。特に西太平洋の主導権争いは、中国の軍事的膨張により、米国に大きな負担を強いています。
 こうした状況下で、日米同盟をいかに運用すべきか、日本がどのような役割を担うべきか、あらためて問われています。日本の民主党は、アメリカとの間で、率直な対話に基づく対等なパートナーシップを築くことを目指しているようです。その考え方は、おおいに評価されるべきだと思います。

 今こそ日本は、日米関係の重要さを前提にしつつ、日米同盟のあり方を根本的に考え直す必要があります。現在の日米同盟は、あまりにも片務的ではないか、日本が負担を背負いすぎているのではないかと思うのは、私だけでしょうか。若い皆さんはどのようにお考えでしょうか。


 第七議・・御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。
 もともとは防衛の重要性を述べたものですが、ここでは少し視点を変えて、日本防衛にとっても、大きな影響を持つ台湾の動向について述べることにしましょう。台湾の変化に気を配らなければ、日本にとって思わぬ危険を見落とすことになるからです。
  私が総統時代に掲げた「台湾アイデンティティの確立」に基づいて、台湾は民主化と近代化に向けて、大きく舵を切りました。しかし、残念ながら、二〇〇〇年以後の三回にわたる総統選挙で、台湾の民主化は進歩どころか、後退してしまっています。

 先日亡くなった『文明の衝突』で有名なハーバード大学のサミュエル・ハンチンチントン教授が指摘したような、民主化への反動が生じているのです。民主化に反対する保守派が政権を掌握し、皇帝型統治による腐敗が続き、政府による国民の権利の侵害が行われています。「台湾アイデンティティ」に逆行した中華思想の浸透もはかられています。台湾政治が、今中国に傾き、ゆがみ始めていることは間違いありません。
  
 今回の台風被害への対処にみられるように、現政権において、国民の側に立った政治が行なわれていないことを私は憂えています。
 私は、台湾にとってはもちろん、日本の繁栄と安全を確保するためにも、日台の経済関係を安定させ、文化交流を促進し、日本と台湾の人々の間の心の絆を固めることが不可欠と考えています。日本の指導者の方々には、「東アジア共同体」という枠組みを考える前に、崩れつつある日台関係の再構築と強化に、積極的に力を注いでいただきたく思います。

 日本が台湾を、もし軽視でもするようなことになれば、それはたちまちのうちに、日本の国の危機を意味することを認識しておかなければなりません。地政学的にも、台湾は、いわば日本の命運を握っているといっても過言ではないと思います。

 このことは、もっと日本の指導者の方々は真剣に考える必要があるのではないでしょうか。「木を見て森を見ない」外交政策は、日本に重大な問題をもたらすこと必定と、私は考えています。


 第八議・・金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。
 最後に、経済政策について申し上げましょう。私のみるところ、日本経済が「失われた十年」の大不況にみまわれた根本原因は、日本の金融政策を担う日本銀行が、一九九〇年代以降間違ったマネジメント、総量規制などをおこなったことにあります。 
 その後日本経済は一時的に回復しましたが、その際の経済成長はあくまで輸出に頼ったものでした。国家的プロジェクトをつくり、さまざまな分野で世界をリードするイノべーションに国家をあげて取り組むべきところを、実際には、ほとんど取り組まず、また、国内の需要不足という根本問題を放置したまま、日本は、昨年秋のリーマン・ショック以降の世界金融危機を迎えることになったのです。
 
 経済の苦境を打開するには、日本は、インフレ目標を設定するなど、大胆な金融策を採用すべきでしょう。同時に大規模な財政出動によって経済を強化することも必要かもしれません。

 日本は莫大な個人金融資産を抱える国です。この金融資産が投資資金として市場にきちんと流れる道筋をつくることが重要です。そのためには、国民の将来不安、すなわち、老後の不安をいかに解消させるか、老後の医療、年金、介護などの、「老後安心政策」を、政治家の人たちは、明確に打ち出す必要があるでしょう。そうなれば、高齢者は安心して個人の金融資産を市場に提供するようになるでしょう。
 加えて、日本国内だけでなく、海外に対する投資も進めていかなければなりません。それにより、日本は世界経済に大きな貢献をすることになるはずです。


 五、結び
 以上、坂本竜馬の「船中八策」になぞらえて、現在の日本政治改革の要点を述べてまいりました。言うまでもなく、明治時代と平成の現在とでは政治・社会・経済・外交の各面で、大きく実情は異なっています。しかし、「船中八策」を道標(みちしるべ)とし、それを再検討することにより、今日の日本の青年が、誇りと自信をもって、現実的実践による改革を進めることができるものと私は確信しています。

 政治はつねに改革され続けなければなりません。日本は今、明治維新以来最大の改革をしなければならないときだと思います。

 しかし、この改革を為し遂げるためには若い皆さん方が志を{・ュもって行動することが不可欠です。すばらしい日本を築くため、若い皆さん方が立ちあがり、行動を開始されることを、私は心から期待しています。

 加えて、東アジアの一層の安定平和のために、台湾と日本のさらによい関係を構築していただきたい。アジアおよび世界の平和のために、ぜひ、日本の若い皆さんたちが、高い志を持って、積極的に台湾の若者たちと力と心を合せてくださることを切にお願いし、私の皆さんたちへの、私の思いを込めたお話とさせて頂きます。

 ご清聴ありがとうございました。

李登輝氏来日をめぐるTV報道の変化

2009年09月07日 19時06分01秒 | Weblog

「最後の来日になるかも知れない」とご自身が語ったと伝えられる李登輝氏だが、今日は坂本竜馬の高知へ向い、精力的に活動されている。

訪日に政治的な意図はないことを示すために、今回の訪日は坂本竜馬の足跡を辿るのだとしているが、講演会を実際に聴いてみると、日本の若者へあるメッセージを託そうとしていることが伝わってくる。幕末、坂本竜馬が上洛する際に記した「船中八策」に照らして、日本が今抱える問題を浮かび上がらせ、その解決の方向を示唆している。若者よ竜馬たれと呼びかけると同時に、自分自身が竜馬のごとく台湾を変革してきたのだという自負が強く伝わってくる。

興味深いのは今回、NHKをはじめとするTVメディアが、ニュースで李登輝氏の来日を採り上げ、その肉声を伝えたことだ。
今では台湾が中国の一部であると思っている若者が数多い。彼らは、李登輝氏が上手な日本語で坂本竜馬を語るの見て、驚いたに違いない。

特にNHKは、「Japanデビュー アジアの”一等国”」という悪意に満ちた「反日」番組を放送しただけに、台湾関連報道には細心の注意を払っているようだ。李登輝氏の肉声も流し、記者会見での発言内容もほぼ正確に報道した。ダライ・ラマの台湾訪問に関しても、きちんと報道したようなので、なにがしかの「反省」が、感じられるかのようだ。実のところ、NHK幹部から見れば、「アジアの”一等国”」には何ら問題がないが、「右翼」からの”嫌がらせ”が続いているので、組織防衛のため、ちょっと台湾報道を増やしたということに過ぎないだろうが…。

おかしな番組は「おかしい」と言わなければ、何もしないNHK。あの偏向報道問題がなければ、李登輝氏のニュースをこれだけ報道しなかっただろう。「媚中」NHKがやや軌道修正、たまにはこんなこともあってもいい。

 

李登輝元総統が高知へ 坂本龍馬像を見学

 来日している台湾・李登輝元総統が6日、高知市を訪れ、桂浜の坂本龍馬像などを見て回った。

 李氏は東京青年会議所の招きで来日したもので、6日午後、東京から高知に入った。訪問先の高知市の県立坂本龍馬記念館では職員らが出迎え、李氏は日本語で「ありがとう」と笑顔で応じていた。

 今回の高知訪問は、坂本龍馬を尊敬しているという李氏のたっての希望で実現したもので、李氏は、龍馬の「船中八策」に感銘を受け、台湾の政治改革の指針にしたと明かすなど、龍馬についての知識を披露し、周りを驚かせていた。この後、李氏は桂浜の龍馬像と対面。「今の若い人たちには龍馬のように誇りを持ち、実践する力を持った人になってほしい」とエールを送っていた

【李登輝氏の高知訪問~日本TV映像】http://www.news24.jp/articles/2009/09/06/07143261.html

 【李登輝氏の記者会見~NHK映像】
http://<WBR>www.nhk<WBR>.or.jp/<WBR>news/t1<WBR>0015319<WBR>961000.<WBR>html#

「さらに良い日台関係を」=龍馬記念館を見学-

元台湾総統 来日中の台湾の李登輝元総統(86)は6日、高知市で坂本龍馬の「船中八策」をテーマに講演し、「さらに良い日台関係を構築するため、台湾と日本の若者が力と心を合わせてほしい」と呼び掛けた。
 李氏は講演前、県立坂本龍馬記念館や坂本龍馬の銅像を見学し、学芸員の説明を受けながら龍馬が家族に出した手紙などに熱心に見入った。
 その後、記者団に対し「地方だからこそ龍馬のような人間が出たのではないか。地方は大事だ」と指摘。また、民主党の鳩山由紀夫代表について「国民の生活や福祉を高めるような総理に(なってほしい)」と注文を付けた。 (2009/09/06-19:38)