澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

ベルト・ケンプフェルト楽団

2008年06月30日 12時36分07秒 | 音楽・映画
ベルト・ケンプフェルト(Bert Kaempfert)は、ドイツ(旧西ドイツ)のバンドリーダー。日本では、1950年代末、西ドイツ映画「朝な夕なに」で使われた「真夜中のブルース」が大ヒットした。
ドイツの楽団というと、アルフレッド・ハウゼ、ウェルナー・ミューラー(リカルド・サントス)などの名前を思い浮かべるが、意外にも米国で人気のあった楽団は数少ない。アルフレッド・ハウゼは日本ではよく知られているが、米国でのレコード販売実績はほとんど無い。

ベルト・ケンプフェルトは、米国でも絶大な人気を得た。「星空のブルース」(Wonderland by night)は、ビルボード・チャートでも1位に輝き、後続の「ブルーレディに紅いバラ」「ラブ」「夜のストレンジャー」なども大ヒットした。

彼の音楽の特徴だが、ビッグバンド+ストリングスという基本的なスタイルに、歌詞を伴わないコーラスを加え、トランペットをフィーチャさせ、エレキ・ベースとドラムスで独特の軽快なリズムを刻むという点にある。
彼は、音響にも注意を払った人らしい。ライブのDVDやCD(ロンドン・ロイヤル・アルバート・ホール・ライブ)を聴いてみると、スタジオ録音と寸分違わない音が出ている。たいがいの楽団は、ライブ盤を聴くと、レコードとは異なるので、ガッカリすることが多いのだが、ベルト・ケンプフェルトの場合はそんなことはない。彼の録音へのこだわりを感じさせるのだ。

編曲の多くは彼自身が行ったようだが、ワン・パターン気味の「ケンプフェルト・サウンド」には、好き嫌いが分かれるところだ。リアルタイムでは、彼の演奏を「また、こんなアレンジか…」と思ったこともある。

昨日、レイモン・ルフェーブルの死去が伝えられたばかりだが、ベルト・ケンプフェルトの音楽は、その一部がジェームス・ラストに引き継がれているように思う。だが、そのジェームス・ラストも高齢を理由にコンサート活動を止めたばかりだ。
こうして、「ムード音楽」の時代は、過ぎ去っていく…。


モダン・プレイボーイズの「暗い港のブルース」

2008年06月29日 01時21分20秒 | 音楽・映画
モダン・プレイボーイズと言っても、ぴんとこない人が多いかも知れない。
1960年代に「暗い港のブルース」というインストルメンタル・ヒットを飛ばした楽団なのだが、ヒット曲はこの1曲だけだった。
この曲は、「哀愁のトランペット」「トランペット・ムード」というコピーがぴったりだった。そのマイナーのメロディは、ブルースというよりも、どこか童謡を思い起こさせる響きがあった。

ザ・キングトーンズやザ・スプートニクスなど多くのミュージシャンが、この曲を録音している。

モダン・プレイボーイズは、日本人のスタジオ・ミュージシャンによるバンドだった。トランペットは、早川博二で、「暗い港のブルース」は彼が作曲したと記憶している。
「暗い港」「夜霧の国道」「霧の波止場」などは、当時の歌謡曲の常套句でもあった。

今やロマンティックな「暗い港」など存在しなくなった。コンテナが積み上がられ、煌々ととライトに照らされる港では、こんなメロディは浮かんでこないだろう。

改めて演奏を聴いてみると、リズムのノリが極めて悪い。お手本となった(はずの)ベルト・ケムプフェルト楽団と比べると、リズム感に雲泥の差がある。特に電気ベースが下手だと思う。一世を風靡した名曲なのだが、今や古びた「古酒」のようだ。それも年代物の…。


101ストリングス

2008年06月28日 04時06分23秒 | 音楽・映画
「101ストリングス」は、1960~70年代にかけて夥しい録音をのこした。映画音楽、世界の民謡(日本を含む)、クラシック小品集、スタンダード集、ポップス集など、あらゆるジャンルを網羅していて、ディスコグラフィの全体像は、もはや分からないほどだ。しかも、その主要なものは、今なおコンピレーションCDで入手可能なのである。

意外にも、この楽団について詳しいことは分かっていない。往時のLPには、「ヨーロッパの交響楽団のコンサート・マスター級の奏者を集めたレコーディング・オーケストラ」と宣伝されていて、まさに100人規模のオケの写真が掲載されていた。だが、いくらなんでも、これは誇大広告だろうと当時でも思った。

実際に演奏を聴いてみると、とてもフル・オーケストラとは思えない、お気軽な演奏も多い。ハワイアンなどもやっていて、これなどは驚くほどの小編成だ。
まあ、名前が「101」だからといって、いつでも101人を使う必要はないわけだが…。

この楽団には指揮者が明示されていないが、英文サイトなどで確認すると、きちんとした指揮者、編曲者が真面目にレコード制作していたことが窺われる。

アルバムによって、当たりはずれが大きい楽団だと思うのだが、現在購入できるのはコンピレーション盤ばかり。どれを選んでも、そのCDの中が玉石混淆という状態なのですね…。



ローレンス・ウェルク~シャンパン・ミュージックの王様

2008年06月28日 03時27分17秒 | 音楽・映画

  「ローレンス・ウェルク・ショウ」(1955-71)

ローレンス・ウェルクは、1950~60年代、米国ではとても人気があった。「シャンパン・ミュージックの王様」と呼ばれ、彼のTVショウは、お茶の間の人気だった。

この番組からはレノン・シスターズなどのスターも生まれた。今から思うと、アット・ホームな雰囲気は、ベトナム戦争や公民権運動が始まる前の「嵐の前の静けさ」にも似たものだった。白人の中産階級が繁栄を謳歌した時代のシンボルのような番組でもあった。

 

彼の音楽の特徴は、あくまで楽観的で、翳りのないこと。映像で見れば一目瞭然なのだが、ダンスミュージックなのである。だが、当時の日本では、彼のTVショウは放映されなかったので、日本のファンは彼の音楽をレコードを通して聴いた。そのためか、その楽しさが十分に伝わらなかったという印象がある。

「夢のカルカッタ」などのヒット曲を聴くと、その脳天気さは呆れるほどだ。ドット・レコードの同僚でもあったビリー・ヴォーンも同様の音づくりであり、当時の米国では好まれたサウンドであった。

 

 

 


クレバノフ・ストリングス

2008年06月22日 11時15分14秒 | 音楽・映画

ハーマン・クレバノフは、ロシア出身のヴァイオリニストで、「クレバノフ・ストリングス」のリーダーとしても知られた。
1950年代末、ステレオ録音が始まった頃、クレバノフ・ストリングスは、マーキュリー・レコードから映画音楽などのアルバムを出した。

下記の解説文、現在でも入手可能なCDに付けられたものを、引用させていただいた。「クレバノフ・ストリングス」が演奏するラテン音楽のアルバムは、何と東京で、日本のミュージシャンを使って行われたものだった。もちろん、クレバノフがヴァイオリンのソロを弾くパートもあり、リズム・セクションなどの主要なメンバーは米国から連れてきたと思われる。


このラテン・アルバムは、確かに素晴らしい音質で、当時のオーディオ・マニアをうならせた。だが、演奏を改めて聴いてみると、固くて面白みがない、と感じた。「遊び」の部分が欠けている、とも言えるだろう。
ライト・ミュージックと侮ることなかれ、この分野の音楽も結構奥深いのだ。

 

1974年に、ビクター・レコードに録音したクレバノフ・ストリングスのアルバムを、改めて聴き直して見ました。
いまさらながら、すごいアルバムを作ったものだと制作者自身感心してしまいました。
ラテン・ミュージックといえば,先ず素朴で泥くさい音楽をイメージしてしまいますが、クレバノフは、驚くほど洗練されています。
これほど高い音楽性を感じさせるラテン・アルバムを私は他に知りません。


オリジナル録音はマーキュリー・レコード、今ではユニバーサルミュージックの傘下ですが、
アーティスト陣には、ザ・プラターズ、テナー・サックスのシル・オースティン、そしてアンタール・ドラティ指揮のミネアポリス交響楽団等を擁し、
ワンポイント方式の荒削りながら迫力ある録音でオーディオ・ファンをうならせたものです。


そしてこちらは、日本ビクターが通常の2チャンネル・ステレオ再生が飽和状態に達し、
CD-4という4スピーカーで聴くオーディオ方式に社運を注いでいた当時の録音です。
録音担当は、ビクターを代表する名エンジニアの高田英男。
一介のエンジニアから今やビクター・スタジオの最高責任者にまで出世した彼の青年時代に残した代表作の一つです。


ちなみにその後、高田氏と私は、サリナ・ジョーンズ録音のコンビを組むことになり、
ベスト・セラーとなった「マイ・ラヴ」(スタッフとの共演)、「メロディーズ・オブ・ ラヴ」(ケニー・バレルとの共演)など数多くのヒット作品が生まれました。


LP全盛時代にオーディオ・チェックの定番として一世を風靡した名録音の復活は、時を経て再び注目を集め、
再評価されずにはいられないだろうと確信すら覚えます。
数曲マーキュリーとダブっている曲がありますが、クレバノフ氏は、アレンジ・演奏ともに手を加え、
いま聴いてもどこにも古臭さを感じさせるところがありません。


それどころか、K2 24ビット方式による、XRCDと全く同じ最新のマスタリング、CD製法によりアナログ録音のすばらしさが、
改めてくっきりと浮き彫りにされた気がいたします。


■クレバノフ・ストリングス / CLEBANOFF STRINGS■

LP全盛時代、オーディオチェックの定盤として一世を風靡した伝説の名アルバム今CDで甦る!
まばゆいばかりのストリングス、炸裂するラテン・パーカッションの魅力はLP時代をはるかに凌ぐ!

魅惑のラテン~クレバノフ・ストリングス


RELERSE : 2002年7月
PRCD-1671

定価 2,500(税抜価格2,381)

アルフレッド・ハウゼ~タンゴを見とった男

2008年06月21日 00時29分46秒 | 音楽・映画
アルフレッド・ハウゼ(1920-2005)は、ドイツのバンドリーダー、特にコンチネンタル・タンゴの演奏者として有名だった。

第2次世界大戦前から日本では、タンゴが人気があった。フォン・ゲッツイ楽団のタンゴを今聴いても、そんなに古いという感じもしない。当時からモダンな音楽ではあったのだ。

アルフレッド・ハウゼ楽団は、実はNDR(旧西ドイツの北ドイツ放送局)専属のダンス・オーケストラだった。レコードでは、大量のタンゴを録音しているが、実際の仕事はダンス音楽の演奏や、放送用音楽の録音だった。
日本では、タンゴ楽団としてあまりにも有名になったので、タンゴ以外のアルバムはヒットしなくなった。タンゴの曲目には限りがある。そのほとんどを録音してしまって、日本の民謡、歌謡曲までタンゴにして演奏したが、それでもネタは尽きてしまった。

マエストロ亡き後のアルフレッド・ハウゼ楽団は、今でも来日している。英国の知人は、アルフレッド・ハウゼやマランドの名前さえ知らなかったので、驚いたことがある。日本でのみダントツの知名度なのかも知れない。

アルフレッド・ハウゼは、滅び行くタンゴの最後を見とった男だったかも知れない。

モートン・グールド~アメリカ音楽界の重鎮

2008年06月20日 23時14分46秒 | 音楽・映画
モートン・グールドの写真を見ると、年とった写真がやたらと多い。それもそのはずで、80歳を超して元気で著作権協会などのトップを勤めていたことを思い出した。亡くなってから、もう10数年経ったが、自作の管弦楽作品がCDリリースされたりして、その名前は忘れられてはいない。

私がモートン・グールドの名前を知ったのは、「モートン・グールド指揮シンフォニック・バンド」の演奏する行進曲集を聴いてからだ。もう、45年も前になるが、「ワシントンポスト」などの行進曲を、スピーカーからあふれ出るほどの迫力で聴いた時、すっかり彼のファンとなった。

その後、「カルメン」のオーケストラ版、ラテンの名曲集など、RCA録音のモートン・グールド楽団の演奏には、聞き惚れるばかりだった。

クラシック・ファンを気取る人に、わざとモートン・グールドが好きだというと、決まって「そんな邪道な音楽を」という顔をするのが面白かった。教養を高めようと聴く音楽など、くそ食らえと当時から思っていた私だった。




「ミスター・ミュージック」~アンドレ・コステラネッツ

2008年06月19日 01時07分39秒 | 音楽・映画
アンドレ・コステラネッツは、米国の指揮者、編曲者。ニューヨークを主な舞台に活動し、ラジオ番組を通じて全米にファンを持った。「ミスター・ミュージック」とも呼ばれた。

彼のコンピレーションCD「Most favourite 16 hits」を聴くと明らかなのだが、その音楽はゴージャスそのもの。フル・オーケストラを使って、華麗なアレンジを聴かせる。特徴的なのは、メロディを様々なソロ楽器で歌わせ、バトンタッチしていくアレンジ。

上述のCDには、ラベルの「ボレロ」も収録されている。これはもちろん、ラベルの原曲そのものを演奏しているのであって、ダイジェスト版などではない。100人近いオーケストラを使っての正統的な演奏だ。

「ムード音楽」というジャンルの中では、アンドレ・コステラネッツは突出した存在だと思う。編曲の才能、オーケストラの技術の高さなどどれをとっても傑出している。彼にまさるとも劣らないのは、ウェルナー・ミューラーくらいだと、私は思っている。

Vocalion社のCD

2008年06月17日 21時01分53秒 | 音楽・映画
英国のVOCALION社が、往年の「ムード音楽」「イージーリスニング・ミュージック」のCDを復刻している。デッカやEMIからマスターテープを借りて、社長であるマイケル・ダットン(Michael Dutton)氏自らが、リマスタリングの腕をふるっているようだ。

最近では、ウェルナー・ミューラーのアルバムが何枚か復刻されたが、ファンにとっては涙がでるようなリリースだったかも知れない。

数々の懐かしいアルバムを復刻してくれるVOCALION社だが、ちょっと気になることがある。それは、CD化された音が、オリジナルのアルバム(LP)とはかなり異なる点だ。

マイケル・ダットン氏の趣味らしいのだが、低音と高音をカットし、何だか「宦官」のような音になっているのだ。せっかく、オリジナル・テープを使っているのだから、妙な加工をしないほうがいいと思うのだが…。



パーシー・フェイス・コンサート

2008年06月14日 23時03分57秒 | 音楽・映画
東京で行われた「パーシー・フェイス・コンサート」を聴きに行く。

会場は中高年の男女で満杯、当日券はナシ。今なお、パーシー・フェイスの音楽は人気があるようだ。何と中国からこのコンサートを聴きに来た人もいた。

「星影のステラ」「テンプテーション」「バラ色の人生」「ムーランルージュの唄」が特によかった。すべてパーシー・フェイス初期のアルバムに入っている曲で、ストリングス中心のアレンジだ。レコードでは60人くらいの編成で録音したはずだが、実際のコンサートでは35人。やはり弦に厚みがないので、ちょっともの足りない気もした。

世界中で今なお「パーシー・フェイス楽団」のコンサートを聴けるのは、日本ぐらいだろうか。英国の熱心なファンは、日本を羨ましく思っているそうなのだが、われわれはそんなことに気付いてはいない。



ロニー・アルドリッチ~2台のピアノのマジック

2008年06月14日 00時42分13秒 | 音楽・映画
ロニー・アルドリッチは、英国のバンド・リーダーでありピアニスト。
1960-70年代、デッカ・レコードに録音した数々のアルバム(LP)で有名になった。

ロニー・アルドリッチの2台のピアノ&ロンドン・フェスティバル管弦楽団によるアルバムは、デッカのフェイズ4録音(Phase 4)の優秀さとあいまって、当時のオーディオ・ファンをうならせた。最低音から最高音までちりばめられた、アルドリッチのピアノ音を、どれだけ忠実にカートリッジ(レコード針)がトレースできるかが話題になったりもした。

彼の演奏を音楽評論家の誰かが「ピアノのカラオケ」と評していたが、うまいことを言うものだと思った。
現在では多重録音など誰も驚かないが、当時は磁気テープを使っての面倒な作業で、編集過程での音の劣化も著しかった。デッカは得意の録音技術で他のレコード会社との”差別化”を図るため、ロニー・アルドリッチの録音を宣伝したのだった。

左右の両チャンネルに、アルドリッチの2台のピアノがオン・マイクで居座り、その背後からオケの音がかぶさるという音の構成だった。実際のステージでは聞こえるはずのない、超低音から最高音まできれいに録られているので、マニアは大喜びしたわけだ。

ライブでのアルドリッチの活動は、ダンスバンドのリーダーが中心だったようだ。
たった1枚だけだが、Vocalion(英国)から当時の貴重な録音がリリースされている。

スタンリー・ブラック

2008年06月13日 17時46分29秒 | 音楽・映画
スタンリー・ブラックほど多彩な音楽家は珍しい。

英国生まれの彼は、クラシックのピアノを学んだあと、コールマン・ホーキンスなどのジャズマンと共演したり、自らのコンボで「ラテン・ピアノ」を弾いたり、ロンドン・フェスティバル管弦楽団を指揮して映画音楽のアルバム作りに勤しんだりした。ロンドン・フィルハーモニーやロイヤル・フィルを指揮して、本格的なクラシックのアルバムも録音している。

Youtubeでは、1974年にニュージーランド交響楽団と共演した映像を見る子tが出来る。(曲目は「ある愛の詩」)

http://jp.youtube.com/watch?v=WFQ6fzLKOPU

多芸多才は日本では好かれない。彼の人気が、マントヴァーニなどと比べてイマイチだったのは、そこに原因があったのかも知れない。

友人から「あんな演奏のどこが面白いのか」と訊かれたこともあるくらいだが、私はスタンリー・ブラックが大好きだった。
晩年、小遣い稼ぎか、年金が少ない(!?)ためか知らないが、チェコのプラハで寄せあつめのオーケストラを使って往年の名曲を再録音した。それを聴いた私は、さすがにがっかりした。晩節を汚すとは、こういうことかと思い至った。

フィルム・シンフォニック・オーケストラ

2008年06月12日 22時01分39秒 | 音楽・映画
ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演のフランス映画「太陽がいっぱい」は、今なお人々の記憶に残っているようだ。

ニーノ・ロータが作曲した主題曲も心に残るメロディだが、演奏するのはフィルム・シンフォニック・オーケストラという仰々しい名前の楽団だ。
この楽団はレコーディング用のオーケストラで、実は日本の楽団だった。当時、ヨーロッパ映画が流行っていたが、そのサウンドラックは必ずし良好な音質で入手できるとは限らなかった。そこで、日本ポリドール社は、フィルム・シンフォニック・オーケストラというオケをでっちあげ、片っ端から映画音楽を録音したというわけだ。

このオケの演奏は、当時の水準で見ても上手というわけではなかったが、なにしろタイムリーに映画音楽のアルバムを売り出していくので、それなりの需要はあったようだ。
現在、CDで聴くことができるのは「太陽がいっぱい」だけだと思われる。シンフォニックと名乗りながら、全く厚みのない弦楽器、ヒステリックなノイズ、品位を欠くトランペット、こんなものをよく聴いたものだとおもうのだが、どこか懐かしさも感じる、不思議な楽団だ。

ロンドン・フェスティバル管弦楽団

2008年06月12日 03時13分25秒 | 音楽・映画
デッカ・レコードの全盛期に、「フィルム・スペキュタクラー」などという、派手な録音を売り物にしたアルバムが、数多くリリースされた。

これらを演奏していた楽団が「ロンドン・フェスティバル管弦楽団」である。スタンリー・ブラックの指揮によるアルバムが特に有名だった。

この楽団は、実在のオーケストラではなく、レコーディングのために臨時編成された楽団である。「フェスティバル」とは文字どおり「祭り」であり、その時限りという意味を持つ。クラシックのアルバムでも、「バイロイト祝祭管弦楽団」などという名前が出てくるが、これも臨時編成で、「祝祭」とはFestivalの直訳でもある。

ロンドンには有名な交響楽団がいくつもあり、そのほとんどが財政難であることはよく知られている。日本の人気歌手の伴奏を引き受けたりするのも、ロンドンのオケであることが多いが、アルバイトが必要な状況なのだろう。

ロンドンのクラシック奏者を集め、楽譜を渡し、音あわせをして録音、はいご苦労様…これが「ロンドン・フェスティバル管弦楽団」の実態なのだろうが、その演奏はなかなかのものだ。
クラシックとポピュラーの境界線上にある音楽を、巧みな編曲に基づいて演奏し、多くのファンを楽しませた功績は大きいと思う。


パーシー・フェイスの古賀・服部メロディ

2008年06月12日 02時42分04秒 | 音楽・映画
パーシー・フェイス(Percy Faith)は、ユダヤ系カナダ人で、米国CBSの音楽番組やレコードで有名だった。
最大のヒット曲は「夏の日の恋」。今でもどこかで流れてくるので、広く知られているはずだ。

パーシー・フェイスは、今年、生誕百年を迎えた。英国BBCラジオでは、すでに特集番組が放送された。また現在、パーシー・フェイス・オーケストラ(The Percy Faith Orchestra)が来日中で、日本各地でコンサートを開いている。

もちろん、パーシー・フェイスはとうに亡くなっているので、名前ばかりの楽団だが、これが結構良い演奏をするのだ。

パーシー・フェイスは、古賀政男と服部良一のメロディを2つのアルバム(LP)に録音している。最近、その2on1CDが米国のレコード会社からリリースされた。
日本でしか発売されたことのないアルバムが、CD時代になって米国でリリースされたのだから、驚くと同時に、廃盤になったら2度と日の目を見ないのではないかというおそれがある。

パーシー・フェイスは、この日本のメロディを、奇妙な東洋風(中国風)の味付けではなく、きちんと原曲の持ち味を活かして編曲している。このあたりは大したものだと思う。