澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「トップ・ヒッツ・イン・ジャパン Top Hits in Japan」(1966年)をアップロード

2024年04月29日 10時14分29秒 | 音楽・映画

 フランク・チャックスフィールド楽団 Frank Chacksfield & his orchestraの演奏による「トップ・ヒッツ・イン・ジャパン  Top Hits in Japan」(1966年)というアルバム(LPレコード)をYouTube上にアップロードしてみた。
 
 最初、7,200円のソフトを購入して試みたが、①画像表示が連続的にできない、②アルバム全体を一度にアップロードできない、などのトラブルが発生。結局、息子に手伝ってもらって、フリーソフトを使ってアップロードに成功した。
 まずは、フランク・チャックスフィールド楽団のアルバム二枚。「トップ・ヒッツ・イン・ジャパン  Top Hits in Japan」(1966年)と「ライブ・イン・ジャパン  1972 Live in Japan」。前者には、「君といつまでも」などの当時のヒット曲、後者には定番の「引き潮」「ライムライト」が入っています。ぜひ、聴いてみてください。

 ちなみに、音源の年代の関係で著作権の問題は生じないとされています。

「君といつまでも」 フランク・チャックスフィールド楽団 "Kimito itsumademo" by Frank Chacksfield & his orch. released 1966

 

「トップ・ヒット・イン・ジャパン Top Hits in Japan」(1966年) フランク・チャックスフィールド楽団 Frank Chacksfield & his orchestra

「ライブ・イン・ジャパン  1972 Live in Japan」(1972年) Frank Chacksfield & his orch. Live in Japan 1972


タンゴの名曲をUP マランド楽団 FM東京スタジオ・ライブ 1975年

2024年04月21日 12時25分08秒 | 音楽・映画

    かつて、FM東京(現・Tokyo FM)で「デンオン・ライブ・コンサート」という番組が毎週日曜日に放送されていた。出演者は日本のミュージシャンが主流だった。ユーミン、サザン・オールスターズをはじめジャズの名プレーヤーたちも出演した。ときには、「外タレ」(外国人タレント)が出演することもあり、来日公演中のマランド楽団もこの番組に出演した。演奏はすべて生収録だったので、出演者もずいぶんと緊張したことだろう。このマランド楽団の演奏でも、マランドのアコーディオン(バンドネオンではない)が音程を外すというご愛嬌が見られる。

 実は、この演奏の正確な放送日はわからない。オリジナルのカセットテープを紛失してしまったからだ。マランド楽団の来日履歴も確認できないので、1975年前後の録音だろうと推測する。エアチェック⇒カセットテープ⇒CDレコーダでCD-R化⇒その音源をMP4に変換してアップロードという工程を経ているので、かなり音は劣化したように感じる。が、しかし、「歴史的録音」と言えなくもないので、ここにご紹介する次第。

 もはや、タンゴも、ムード音楽も、その愛好者とともに、「鬼籍」に向かう時代。それでも、興味がある方はぜひ耳を傾けていただきたい。

 

「ラ・クンパルシータ La Cumparsita」 マランド楽団 Malando & his Orch. Live at FM Tokyo Studio 1975 マランド・東京ライブ

「オレ・グァッパ Ole Guapa」 マランド楽団 Malando & his Orch. Live at FM Tokyo Studio 1975 超レア音源!!

「ジェラシー Jealousy」 マランド楽団 Malando & his Orch. Live at FM Tokyo Studio in 1975. ※レア音源

 


富士山を見に行く

2024年04月20日 10時37分08秒 | 散歩

 好天に恵まれた昨日、富士五湖方面にドライブ。

 大石公園では、週日だというのに駐車場がほぼ満杯。観光客の八割が外国人という印象だった。目立ったのは、アジア系の人たち。タイ人、ムスリムのアジア系外国人(マレーシアかインドネシア)、中国人(大陸の)、韓国人などが確認できた。円安で手ごろな旅行ということなのだろうか、でもマナーの悪い人は見られなかった。






 

 


リカルド・サントス楽団 来日公演ライブ 1958年 Werner Muller Live Recording in Tokyo 1958.

2024年04月17日 16時24分56秒 | 音楽・映画

 1958年、リカルド・サントス楽団が来日したときのライブ録音をYouTubeにUP。リカルド・サントスの本名は、ウェルナー・ミューラーWerner Muller。バンドリーダー、編曲者として大活躍した。
 録音状態が悪いので、「何だこれは?」と思うかもしれないが、歴史的に貴重な録音ではあります。

 

 

「ツィゴイネルワイゼン Zigeunerweisen」 リカルド・サントス楽団 来日公演ライブ 1958年 Werner Muller Live Recording in Tokyo 1958.

「菩提樹 Der Lindenbaum」 リカルド・サントス楽団 ライブ・イン・東京 1958年

「オレ・グァッパ Ole Guapa」リカルド・サントス楽団 来日公演ライブ 1958年 Werner Muller& his orchestra live in Tokyo 1958


日本保守党 飯山陽(あかり)と有本香

2024年04月16日 10時22分47秒 | 政治

 東京江東区(東京第15選挙区)の住民でもないのに、今日から始まった衆議院議員補欠選挙には注目せざるをえない。小説家・百田尚樹が代表になって設立された「日本保守党」から飯山陽(あかり)候補が立候補しているからだ。
 日本保守党設立の真の立役者は、ジャーナリスト・有本香だ。川村たかし名古屋市長を共同代表に立て、中東研究者である飯山陽(あかり)に立候補の決意をさせたのも、有本香の豊富な人脈とその一途な人柄にあったはずだ。

 飯山、有本に共通するのは、正義感と反骨精神だろうか。「日本を豊かに、強く」という日本保守党のスローガンは、この三十年間、サラリーマンの給料が上がらず、経済的には近隣国に追い抜かれるという失態を繰り返してきた自民党政治に対する異議申し立て。他の政党が「日本を変える」と言うのに対し、日本保守党は「日本を守る」ことを強調する。岸田文雄のようなボンクラが首相の座についてしまうこの国。その政治を変えて日本を守るということだ。この党の政治を家業とする世襲政治家に対する厳しい批判は、大いに賛同する。

 個人的には、男系男子の皇統を守る、名古屋城の木造化などは、全く興味がない。だが、有本香という名参謀とまたとない適役・飯山陽(あかり)の活動、活躍を注視したい。できれば、当選してほしい。

 

日本保守党 感動の第一声!! #飯山あかり 街頭演説 2024/4/16 富岡八幡宮 東京15区


【小池都知事「学歴」に新証言】「私がカイロ大声明を発案した」 小島敏郎 元都民ファーストの会事務総長(月刊文藝春秋5月号掲載)

2024年04月09日 12時24分50秒 | 政治

  これは、衝撃のスクープ記事!!!  

 カイロ大学卒業という小池百合子・都知事の経歴が、身内の元・都民ファーストの会事務総長によって否定された。直近の東京都15区の衆議院議員補欠選挙をはじめとして、今後の政治動向にも大きな影響をあたえるのではないか。

 日本政治史上最凶のフェイク政治家・小池百合子。この窮地をどうやりすごすのか。少なくとも、国政復帰して総理になるという野望は、これで砕かれたようだ。さもなくば、東京15区補選に出た乙武洋匡を応援に行って、飯山陽(あかり)候補(日本保守党)と「アラビア語対決」をして、カイロ大学卒業の実力を開陳してもらいたいところだ。

 

【小池都知事「学歴」に新証言①】「私がカイロ大声明を発案した」 小島敏郎 元都民ファーストの会事務総長(月刊文藝春秋5月号掲載)

 

【小池都知事「学歴」に新証言②】「声明の原案を書いたのはA氏」 小島敏郎 元都民ファーストの会事務総長(月刊文藝春秋5月号掲載)


パーシー・フェイスのレア音源 「サマータイム Summertime」 1966年NHKスタジオ・ライブ録音 NHK(Tokyo) Studio Recording

2024年04月04日 19時40分03秒 | 音楽・映画

  パーシー・フェイス楽団のコンサート・ライブ録音は、かつて「グレート・コンサート The Great Concert Live in Japan 1974」(LP 二枚組)としてリリースされた。CD全盛期にこのアルバム(LP)がCDでリリースされることはなく、例外的に「パーシー・フェイスの世界」(ユーキャン CD10枚組)の付録(おまけ盤)としてCD化されている。

 しかしながら、ここで採り上げるのは、1966年来日時のNHKスタジオにおけるライブ録音。すなわち放送用の録音である。聴衆がいるコンサート会場ではなく、スタジオ録音なので、音場は少しデッド(固め)だが各楽器が明瞭に聴こえる。1974年のコンサート録音は、パーシー・フェイスがそれまでの正統派的ムード音楽から「ディスコ・サウンド」にシフトした時期でもあったので、このスタジオ録音の方がオリジナルのサウンドをより明確に伝えている。

 「サマータイム」は、サックスが気だるく、Jazzyに雰囲気を盛り上げる。未確認だが、アルバム(LP)とは編曲が異なるのではないか。「ウエストサイド物語」からの「サムホエア Somewhere」は、アルバムと同じ編曲。いずれも、オケに気合が入っていて(?)、素晴らしい演奏。

 

「サマータイム Summertime」 パーシー・フェイス楽団  1966年NHKスタジオ・ライブ録音 Percy Faith NHK Studio Recording, Tokyo,1966 Remastering by Alan Bunting

          

 

「サムホエア Somewhere」 パーシー・フェイス楽団 1966年NHKスタジオ・ライブ録音 Percy Faith NHK Studio Recording, Tokyo,1966 Remastering by Alan Bunting


パーシー・フェイス楽団のレア音源 1966年NHKスタジオ・レコーディング

2024年04月03日 20時43分37秒 | 音楽・映画

  パーシー・フェイス・オーケストラ(Percy Faith & his orchestra)の珍しい録音をYouTubeにUP。パーシー・フェイスが来日した1966年、コンサートに加えて、NHK(東京)のスタジオでライブ録音をおこなった。それは、NHK FMで放送された。音源のリマスタリングは、アラン・バンティング氏(Alan Bunting)が行った。

 

「マカレーナの乙女 La Macarena」 パーシー・フェイス楽団 1966年NHKスタジオ・レコーディング   Percy Faith & his orchestra NHK(Tokyo) Studio Recording , 1966      remastering by Alan Bunting

 

「チャパネカス La Chapanecas ~メキシカン・ハット・ダンス」 パーシー・フェイス楽団  1966年NHK(東京)スタジオ録音 NHK Studio Recording , 1966                   Percy Faith & his orchestra NHK(Tokyo) Studio Recording , 1966      remastering by Alan Bunting


川勝平太と岸田文雄~歪んだコンプレックス

2024年04月03日 08時20分49秒 | 政治

 川勝平太・静岡県知事がまた暴言を吐き、急遽「議会終了後の6月に辞任する」と言い出した。先日、JR東海は、リニア新幹線の竣工が2034年にまでずれ込むと発表したばかりだったが、川勝辞任表明のニュースを受けて、昨日のJR東海株は260円以上も値上がりした。川勝の辞任によって、リニア新幹線の竣工が早まると見込んでのことだろう。

 この川勝平太の人物像については、生前の西部邁が自身のTV番組で川勝を「おバカさん」と言ったのを思い出す。「文明の海洋史観」などの川勝の「業績」を評してそう言ったのだった。オックスフォード大学で博士号(Ph.D)取得が自慢の川勝だが、早大政経学部教授としての評判も極めて悪い。三枝玄太郎(元産経新聞記者)は、早大生のとき、川勝の「日本経済史」を受講しようとしたが、「川勝はヤバい」という周囲の評判を聴いて、受講を取りやめたそうだ。川勝は、気位だけ高く「不可」濫発という教授だったそうだ。また、早大教授時代には、女子学生を妊娠させたという噂が広まったという。

 三枝は、「川勝さんは、本当は早稲田に来たくなかったんでしょうね」と感想を述べている。京都の進学校出身なのだから、本当に優秀であれば京大に行っていたはず。その学歴コンプレックスを跳ね返すために、早大政経学部では「優」を取りそろえ、大学院に進み、さらにはオックスフォード大に留学して博士号を取得した。川勝の年代では、大学院進学者も少なく、留学者はさらに少数だった。川勝は大学卒業から博士号取得まで10年間を要しているが、この間の生活費は膨大なものだったろうから、彼が裕福な家庭出身だったことがうかがわれる。苦学して法政大学を卒業したと言われる菅義偉首相に対して、「あの人は学問をしていない。単位だけ取るために大学に行った人だ」と暴言を吐いた川勝だが、西部邁から見れば、わけのわからない論文を書いて威張ってる、ただのおバカさんということになる。川勝のような人物は、弱い相手は見下し、強いものからは逃げ隠れする。だから、西部にTV番組で「おバカさん」とからかわれても、沈黙を続けたはずだ。

 この川勝と同類の人物が、岸田文雄だ。開成高校出身を誇り「東大を目指して二浪したが早稲田に行った」が常套句の岸田も、抜けがたい学歴コンプレックスの塊りだ。親戚縁者が東大法卒という環境で肩身の狭い思いをしてきた岸田は、権力を握ってから「復讐」を開始した。東大をちょっとの差で落ちて、図らずも早大にいった。こういう創作物語で身を固めた男が嫉妬したのは、ほかならぬ安倍晋三。同じ世襲議員のボンボンであっても、俺は早大、あいつは成蹊じゃないか。それなのにアイツばかり脚光を浴びやがってという心象風景が、岸田の言動からは読み取れる。確かに成蹊大学の偏差値は早稲田には及ばないが、安倍晋三が世界と渡り合える政治家だったのに対し、岸田文雄はせいぜい高級官僚の書いた文書の朗読係だ。

 川勝も岸田も県知事や首相の器ではない。こんな輩が国や県のトップなのだから、国家社会の命運をかけた決断などできるはずもない。

 

静岡県の川勝平太知事 失言翌日いきなり辞職表明「職業差別をしたと取られると思わない」と主張も

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スポーツ報知