澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「シャルメーヌ」(Charmaine)聴き比べ

2013年03月24日 07時27分48秒 | 音楽・映画
 マントヴァーニ楽団の楽団テーマ曲(Signature tune)である「シャルメーヌ」。古い映画音楽だったが、1950年代になってロナルド・ビンジ(Ronald Binge)が考案した「カスケーディング・ストリングス」※という編曲を用いて、マントヴァーニ楽団が演奏し大ヒットした。
 ※ http://members3.jcom.home.ne.jp/torumonty/sub1.htm

 マントヴァーニ楽団の演奏は、軽音楽(Light Music)に分類され、クラシック音楽ファンからは軽く見られた。だが、その音楽は、まったくクラシック音楽そのもの。楽器編成は交響楽団の半分程度だが、アコースティック音響に徹している点では共通。

 
 「カスケーディング・ストリングス」は、弦(バイオリンとビオラ)を四つのパートに分けて、それぞれのパートが音をずらして演奏するという手法。PAなどの電気的処理を使わず、編曲手法によって「エコー効果」が生じるというもの。
 
 レコードで聴くマントヴァーニ楽団の「シャルメーヌ」は、素晴らしいの一語。しかし、マントヴァーニ楽団(マントヴァーニ死後の名ばかりの楽団)が実際にコンサートで演奏した「シャルメーヌ」は、レコードとは似ても似つかぬものだった。

 
 YouTubeで見つけた二つの演奏は、対照的。The Independent Mantovani Orchestra(英国でコンサート用に臨時編成された楽団)とBBCコンサート・オーケストラ(BBC放送に属する常設の楽団)の演奏は、明暗クッキリ、雲泥の差という感じ。BBCコンサート・オーケストラの方は、マエストロ・マントヴァーニが聴いても納得する演奏だろう。

 たかが「軽音楽」「ムード音楽」と侮る事なかれ。実は、意外に奥深いのだ…。

【マントヴァーニ楽団によるオリジナルの「シャルメーヌ」】


【The Independent Mantovani Orchestraの演奏】


【BBCコンサート・オーケストラの演奏】


鼠一匹、国を滅ぼす?その前に、花見に行こうか。

2013年03月20日 23時38分38秒 | 社会
 福島第一原発の停電による冷却停止は、鼠の感電が原因というお粗末な結末となった。この東電発表を鵜呑みにするのか、ウラがあるのではと疑うのか、人それぞれだろうが、いずれにしても、原発事故の”収束宣言”など真っ赤なウソで、3.11以来ずっと綱渡りの日々が続いていることが明白になった。

 マスメディアの報道も実に奇妙で、「停電」の第一報を報じた後は、長い間沈黙が続いた。どこかで包丁を持ったオッサンが通行人に斬りつけたという事件では、現場レポーターがマイクを持って大騒ぎしているのに、原発の現況については何一つ報道しない。昨日になって、東電が復旧のメドが付いたと発表した途端、マスメディアは一斉に大騒ぎを開始、事故当初、東電発表が遅れた理由等々をあげつらい始めた。実はこれ、3.11と同じパターン。原発がメルトダウンしているのに、マスメディアは「何でもない」と言い続け、国民は通常の生活を強要された。放射性物質が降り注ぐ中で、辛抱強く行列をさせられたのだ。危機の真っ最中には、マスメディアは平然とウソの報道をすることが分かった。

 鼠一匹でこんな危機的状況になるのなら、隣国のテロリストが数人潜入するだけで、日本国を壊滅できると言っているようなものではないか。ホントに鼠一匹が原因だったのなら、むしろ発表しない方が「国益」に叶ったのではないだろうか。
 
 この体たらくでは、東日本大震災の「余震」が福島第一原発を襲ったら、ほぼ間違いなく対応できないでしょうね。東電一社に丸投げをして、日本国の運命を預けるのだから、さぞかし東電は立派な会社なのだろうと思っていたら、鼠一匹の退治もできなかった。
 この事件が暗示するのは、次の大震災時、日本国、日本社会はかなりの確率で崩壊するということでしょうね。

 週末は、花見の真っ盛り。絶望の近未来が来る前に、最後の花見を楽しもうか…。



<福島第1原発停電>小動物の感電が原因か
毎日新聞 - 03月20日 20:56

 福島第1原発で停電が起き、使用済み核燃料プールの冷却装置など9設備が停止した問題で、東京電力は20日、各設備に電力を分配する仮設配電盤の一部に焦げた跡があり、真下にネズミのような小動物の死骸が見つかったと発表した。小動物が高電圧部分に接触、感電してショートし、停電した可能性があるとみて調べている。

 仮設配電盤は、金属製の容器(幅5.7メートル、高さ2.3メートル、奥行き1.8メートル)に収められ、容器ごと屋外のトラックの荷台に載せられている。作業員が容器の側面の扉を開けて中を確認したところ、電圧6.9キロボルトの端子付近の内壁にすすが付き、真下に体長15センチほどの小動物が死んでいた。周囲には飛散した体毛もあった。

 仮設配電盤のケーブルは半開きの扉を通って外部とつながっている。雨が入らないように隙間(すきま)をシートで覆っているが、尾野昌之原子力・立地本部長代理は「隙間から小動物が入り込んだ可能性は否定できない。配電盤が屋内にあれば容易に入り込まないはず」と話した。小動物の侵入は想定していなかった。

 停電は18日午後6時57分に発生。東電は、仮設配電盤とは別経由で電源を確保。1、3、4号機の使用済み核燃料プールなど、停電の影響を受けたすべての設備は20日午前0時12分までに全面復旧した。【比嘉洋、岡田英】



福島第一原発が停電中なのに…

2013年03月18日 23時34分21秒 | マスメディア
 「福島第一原発で停電、燃料プールの冷却装置停止」というニュースを家人から聴き、TVをずっとつけているのだが、午後11時のニュースは、春の嵐が吹き荒れて…とか、WBCがどうのこうのと言うばかり。

 レポーターがマイクを持って「春の嵐」に大騒ぎしているくせに、何故、福島第一原発の停電事故をリアルタイムで報道しないのか? 原発の立ち入り禁止区域外からでも、誰かが現場中継をするのが、「真実を報道する」ジャーナリスト精神というものではないのか?

 3.11で実感したことだが、政府+マスメディアによる情報統制に危機感を覚えるのは私だけではあるまい。枝葉末節には大騒ぎするくせに、福島原発の冷却停止という重大事は、見て見ぬふりをするマスメディア。そして、それを変だ!と言わない日本人。

 今後40年間”収束作業”が続くという福島第一原発に中小規模の津浪が襲う可能性は極めて高い。そのとき、停電になって、燃料プールが管理温度の65度を超すまでの間に、電源を復旧できる確信はあるのだろうか、と疑う。こんなに重大なことが、「春の嵐」報道の陰で全く報道されない。この國の異常さを改めて思い知った。



福島第一原発で停電、燃料プールの冷却装置停止

読売新聞 3月18日(月)22時27分配信



 東京電力と原子力規制庁によると、18日午後7時頃、福島第一原子力発電所の免震重要棟などで停電が発生した。

 事故収束作業の指揮所となっている免震重要棟の電源はすぐに回復し、原子炉の温度監視などに問題はなかった。しかし、停電で一部の電源システムに異常が起き、1、3、4号機の使用済み核燃料の一時貯蔵プールの冷却装置が同日午後9時40分現在、停止している。

 3基のプールには、計2500本の使用済み燃料が収容されている。プールの温度は最も高い4号機で約25度。冷却が止まっても、現在の温度上昇は小さく、管理上限の65度に達するまでに、約4日間の余裕があるという。このほか、汚染水処理装置も止まった。

 原子炉の注水は継続し、周辺の放射線データにも変動はない。東電は原因を調査している。
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最終更新:3月18日(月)23時0分
































3.11以降日本の「自滅願望」について

2013年03月11日 08時06分27秒 | 社会
 あの大震災から2年。早いものだ…と思う。

 youtubeで「西部邁ゼミナール」の「戦後日本の自滅願望」を見た。東京MXーTVでこの2月末と3月に放送。ゲストは佐藤健志氏。
 
 サブ・カルチャーに無関心な私は、評論家・佐藤健志氏の存在を全く知らなかった。この番組で、かの有名な佐藤誠三郎(故人 元東大教授)・欽子(弁護士)夫妻の子息だと知った。
 
 東日本大震災について、佐藤健志氏は「大震災の経験によって、日本人があたかも偉くなったような論説があるが、それは間違い。単に自然災害に遭っただけ」と語る。「大震災が起きても暴動ひとつ起きなかった日本を世界が賞賛している」という類の話で日本人が自己陶酔しているが、それは単なる幻想なのだと言っているのだ。まさにそのとおりで、自画自賛、自己満足しているあいだに、次の大災害の危機は迫っているのだとも言えよう。

 福島原発事故の危機の一週間、日本は完全な情報統制下に置かれた。背後に原発が爆発する映像が映っているのに、「心配ない」「問題ない」と繰り返したTV局などのマスメディア。NHKは、地上波とBSで4波を有しているのに、すべてを緊急放送態勢に切り替えた。もし、BSで毎日放送している世界のニュース(海外ニュース)を報道し続ければ、日本の原発報道がいかに嘘っぱちか分かってしまっただろう。「パニックひとつ起こさない日本人に賞賛の声」などという自画自賛の”神話”は、こうした情報統制があったからこそなのに、日本人の多くは今なお「絆」「寄り添う」などと言い続けているのだから、何をかいわんやという感じだ。

 つまるところ、日本人の心情にはある種の「自滅願望」があり、「日本人は立派」「日本は素晴らしい」と自己陶酔しながら、次の大震災を甘受しようとしているのかも知れない。防災対策など二の次で「世界をおもてなし」するのだと言い、東京五輪招致に狂走する都知事はそのシンボルなのだろうか。外国人の多くは原発事故が収束していない日本での五輪開催を望んでいないという厳然たる事実に何故「向き合え」ないのだろうか。 

 佐藤健志氏の著作「夢見られた近代」(2008年 NTT出版)も読んでみた。日本の近代を語るときに、とかくタブー視されがちな「人種」の問題を視点に入れたことには、とても共感を覚えた。著書名が「夢見る近代」ではなく「夢見られた近代」であるのは、まさに西欧近代(=白人)によって強要された「日本近代」であった所以であるから。