澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

菅直人、どさくさに朝鮮学校の無償化を指示

2011年08月30日 20時52分06秒 | 政治

 菅首相が任期最期のどさくさに紛れて、朝鮮学校の無償化を文部科学省に指示した。石破・自民党政調会長は「ここに及んで、そういう指示をするのは、何かやましいことがあるとしか思えない」と話している。
 
 Mixi上では、次のようなやりとりが見られる。 

ーー菅の最後っ屁か。他に気づかれないようスカシた屁はないだろうか 

ーーこれは、在日外国人からの政治献金問題、「市民の党」への政治献金問題と表裏一体の問題でした。菅は、朝鮮総連に何か尻尾を握られていると考えるのが、自然だと思います。この関連で、他にも何か首相としての最後の権力を行使したのではと考えます。

ーーそうですね。民主党には表のマニュフェストにない人権侵害救済法とか、外国人住民基本法など危険な法案が沢山ありましたから、代表戦のどさくさに紛れてなにかやらかしてないか心配です。

 菅首相が何故、政権末期のこの時期に北朝鮮に塩を送るような暴挙に出たのか? 石破氏が主張するように、北朝鮮との間に人に言えない何かがあるとしか思えない。

 すでに国会では西田昌司・参院議員によって、菅直人の政治団体が「市民の党」に対して「連携・支援」の名目で六千万円以上の献金を行ったと明らかにされている。
 「市民の党」の代表は、故・田英夫の娘婿であった斎藤まさし。斎藤は、田の娘婿になることで、故・宇都宮徳馬や菅直人と知り合う関係になった。上智大学全共闘出身の斎藤が、一度もサラリーマンになることもなく、”政治活動=革命運動”に”専念”することができたのは、まさに義父だった田英夫の人脈によるものだ。

 菅も斎藤も田英夫が目をかけ、育て上げた人達だ。もし、田が生きていれば、自国の利益を隣国に売り渡すような行為に対して、どう言っただろうか。実のところ、私は、田英夫という人物こそが、菅直人や斎藤まさしのような人物を意図的に育て上げたと見ている。
 台湾総督を祖父に持つ田は、何不自由なく育った「お坊ちゃま左翼」だった。その人脈が、ついに日本の最高権力者となって、「国益」を売り渡す行為を独断でするに至った。
 
 この問題について、ほとんどのマスメディアは沈黙したまま。特に、NHKは一切報道しない。こんなことがいつまでも許されていいのだろうか、



拉致担当相、朝鮮学校の無償化審査再開に不快感

 

 朝鮮学校の無償化を巡っては、審査開始直前の昨年11月、北朝鮮による韓国・延坪島(ヨンピョンド)への砲撃が発生、菅首相が高木文科相に手続き停止を指示したが、菅首相が29日、「砲撃以前の状況に戻った」として手続き再開を指示していた。

 中野拉致問題担当相は「総理が在任中にけじめをつけるということのようだが、官房長官に断固反対と申し上げた。事前に報告もなかったことも大変残念だ」と述べた。

2011年8月30日13時55分  読売新聞)

「怪しいお米 セシウム君」はホントだった! 

2011年08月26日 11時29分23秒 | 社会

 昨日、福島県産早場米の放射性物質測定検査の結果が公表された。「測定できる範囲では、放射性物質は測定されなかった」という検査結果に基づき、福島県産の米が「安全」「消費者に喜んで食べていただける」というようなコメントが、メディアを覆った。だが、これは本当なのだろうかと思った人も少なからずいるはずだ。

 Mixi仲間では次のようなやりとりが続いた。

-福島産の早場米を放射性物質検査。「検出せず」と県が発表。生産者が「これで美味しいお米を食べてもらえる」とコメント。だが、県の担当者「ウチの検査機器は5-10ベクレル以下は検出できない」。従来基準値は、10ベクレル以下だから、実はその程度の汚染はあると言外に言っているも同然。ひどい話だ。

-これはもう、暗に「福島産は買うか買わないか消費者にお任せ」ということですので      消費者としては商品の産地を偽って出さないようにだけ祈るしかないのですね。外食はできませんね。どこのお米を使っているかわからないから。騒ぎすぎという人も、エゴの塊、殺人集団になり果てたのですね。

ーもう子作りしない人が、食べてあげましょう。私は福島の銘酒を飲んでます。 

ーこの話、執拗に採り上げるようで恐縮ですが、やはり、ごまかしというか、情報操作を感じます。暫定基準値がいつのまにか基準値に。そこには50倍ものごまかしが。それに検査機器の精度の問題を敢えて伏せている。

ー肉牛も次々出荷解除。欺瞞も極まれりです。結局、安全確保を国民に丸投げしたということ。「それが政府のやることか」という怒りの声さえ聞こえてこない……

 『怪しいお米 セシウム君』は決して冗談ではなかった!

 大震災前の基準値である10ベクレル(1kgにつき)に達していても、「ウチの検査機器は5-10ベクレル以下は検出できない」(福島県の話)という実態をマスメディアは決して問題にしない。暫定基準値(500ベクレル)をクリアーしていれば、すべてOKという恐るべき「安全基準」を誰も口にしない。それどころか、この頃は、暫定基準値の「暫定」を取り払って「基準値」というマスメディアが増えた。「基準値」は依然として10ベクレルなのであり、外国も同一基準だ。「暫定基準値」を「基準値」と言い換えてしまえば、両者の間にある50倍もの落差が分からなくなってしまう。

 民主党政権の危機対策は、すべてかくのごとし。ごまかしとその場しのぎだけ。20年後に、現在のこどもたちがどうなるかなど全く心配していない。
 これから出回る新米を買うときは、夢にも「福島産も安全なんだ」などと思ってはならない。牛肉も同様。

 現実をあるがままに見ない。「風評被害」だと言い繕って、現実を誤魔化す。こういう風潮を見ていると、「敗戦」を「終戦」と言い換えた歴史を思い出す。今も昔もさほど変わっていない。だが、問題は未来を生きるこどもたちだ。「終戦」以後は、底辺から立ち上がる歴史だったが、「3・11」以降は、20年後の被爆症を恐れる日々となるだろう。

 
 
暗愚の首相・菅直人は原発被害を拡大させた。
「反権力」だけが売り物の「市民派」政治家が
国家を統治できるはずなど
なかったのだ…

 

 


アジア神秘紀行~日本統治の面影を求めて 台北とその周辺

2011年08月25日 19時08分21秒 | 台湾

 「アジア神秘紀行~日本統治の面影を求めて 台北とその周辺」※が明日、8月26日(金)午後9時より「BSテレ朝」で再放送される。

 ※ http://www.bs-asahi.co.jp/asiashinpi/

 私の友人は、Mixiに次のように書き込んでいる。

 「 明日26日BS朝日21時からの「アジア神秘紀行~台湾、日本統治の面影を訪ねて」(再放送)。以前放送されたNHK「JAPANデビュー~アジアの一等国」で描かれた日台関係を信じる向きは、ではなぜ東北大震災で180億円もの義援金が寄せられたのか答えが見つからないだろう。是非、ご覧いただきたい」

 まさにこのとおり。ぜひ、見ていただきたい番組だ。
 

【2011年8月26日放送】
日本統治の面影を訪ねて~台湾・台北とその近郊~(再放送)

 



高層ビルや商業施設が立ち並び、急速に発展を遂げる都市、台湾・台北。世界でも随一の親日国であり、戦前には日本が植民地化し、多くの日本人が街の発展に関わってきました。今でも台北の街へ一歩足を踏み出せば、日本統治時代の歴史を感じさせる古い建造物に出会うことができます。その多くは、かつて日本人が造ったものなのです。

台北の中心地にそびえ、台湾の政治の中枢を担う中華民国総統府。この建造物は戦前、台湾を統治する拠点として日本人が造った台湾総督府でした。技術大国日本の全てをつぎ込んで造られた総督府は、第二次世界大戦で崩壊しましたが、戦後、昔の面影そのままに修復され現在に至っています。
そして今回は、1901年に完成してから105年間、その全貌が謎に包まれていた建造物、台北賓館を紹介します。現在は迎賓館として使用されている台北賓館は、日本統治時代は日本からやってきた総督が暮らす官邸でした。西洋風の建造物でありながら日本風の庭園が広がる景観は、独特の雰囲気を醸し出しています。迎賓館としても使用していたため、内装は豪華絢爛。またテレビ初公開の別館も紹介します。そこは異国にいる事を忘れさせる、純和風の空間でした。
台北から東へ30km、世界屈指の貿易港として有名な基隆は、かつて日本人が整備した港。多くの日本人がこの地に降り立ち、ここから台湾全土へと旅立っていきました。現在も通関業務を行う海港大楼はかつて日本人が手がけた建造物で、内装のほとんどが昭和初期に造られたままの状態で残っています。さらには日本統治時代、日本の企業によって金の採掘が行われ、多くの日本人が移り住んだ金瓜石、九份にも日本人の足跡を辿ります。

日本統治時代の面影が色濃く残る台北とその近郊。今もなお当時のままの姿を残す建造物と、当時を偲ぶ台湾の人々を通じて、懐かしい日本に出会える旅を紹介します。


李登輝起訴の背後に何があるのか

2011年08月22日 11時11分45秒 | 政治

 6月末、高齢の李登輝氏が起訴されたニュースが伝わったが、その後の状況は伝わっていなかった。
 「台湾の声」を主宰する林建良氏が、この「事件」の背景を詳しく伝えている。
 

 

【真相】李登輝起訴の背後に何があるのか

「月刊日本」9月号(2011年8月22日発売)より転載
        
         「台湾の声」編集長 林 建良(りん けんりょう) 

 2011年6月30日午前、台湾の検察当局は突如記者会見を開き、李登輝元総統を国家安全秘密口座779万米ドル余りの横領の罪で起訴した。このニュースは台湾社会に激震を与えたのみならず、瞬く間に世界のビッグニュースとなった。ミスターデモクラシーと賞賛されている哲人政治家が汚職の罪で起訴されるとはただ事ではない。しかし、この汚職を問われたのは十六年も前の外交機密費に関する疑惑で、重要関係者の無罪がすでに確定している事件なのだ。

●国際孤児台湾と外交機密費

 台湾が置かれた国際社会の現実が、この外交機密問題の背景にあった。1994年、当時台湾と国交を結んでいた大国といえる唯一の国、南アフリカが台湾との国交を断絶し、中国に乗り換えようとしていた。そうなれば台湾にとって外交的大敗北になるだけに、台湾は南アフリカへの1050万ドルの資金援助要求を呑まざるを得なかった。その資金の出所が「奉天専案」という機密費である。国連に加入できない台湾が、国家存在の正当性を維持していくためには外国からの国家承認が不可欠なのだ。

 だが、中国はあらゆる手で台湾の友邦を切り崩そうとしていた。その最も有効な手段が金銭外交である。この台湾の弱みを利用して中国に色目を使ったり、台湾から金をゆすり取ったりする国も少なくはなかった。

 一方、台湾は国民の監督の下で国政を運営しなければならない民主主義の国家でもある。台湾の国民が、ある程度台湾の国際社会における現実を理解できるとしても、親交ある国からの常識を超える金銭要求は決して国会の場で議論できるものではない。結果として外交予算を大幅に超える予算は機密費から捻出する以外にはなかったのだ。今回の機密費問題の発端はまさにこの典型的な例と言えよう。

 外交予算を超える資金援助の処理が急務となっていた当時、国家安全局局長であった殷宗文氏がシンクタンク台湾綜合研究院第四局に「戦略與国際研究所」という組織をつくり、民間法人を通して困難な外交案件を処理すると提案した。この案は総統府に設置されている国家安全会議で了承され、機密性の高い外交案件は台湾綜合研究院第四局を通じて処理することになった。この措置は台湾の現状からして当然の帰趨であった。

●機密費を透明化した愚かな指導者・陳水扁

 その後、2000年の総統選挙の結果、台湾は初の政権交代を迎え、民進党の陳水扁が政権の座についた。政治哲学や理念を全く持ち合わせていないポピュリズム政治屋である陳水扁は、国民受けの良いことならなんでもやろうとした。

 その最たる例が、情報開示の流行に乗って打ち出した機密費の透明化だ。そもそも「機密費を透明化する」ことは「黒猫を白猫にしよう」ということに等しい。かくも愚かしいことを永遠の優等生を自称する陳水扁はやったのだ。

 発端は「壱週刊」による機密費暴露事件であった。2002年3月19日、香港資本の週刊誌「壱週刊」が「奉天専案」を暴露して台湾の政界を震撼させた。まともなリーダーであるのならば国家秘密を暴露した「壱週刊」を法的処置で厳罰に処すだろうが、陳水扁は「例え政府が無くなっても報道の自由を守り通す」と「壱週刊」を不問にしたのみならず、さらには「陽光法案」(情報公開法)を作り、機密費を透明化した。

 後に彼自身がこの法律によって機密費の使い道を調べられ、マネーロンダリングの罪に問われて牢屋に入れられてしまう。機密費の透明化に伴ない台湾綜合研究院第四局も閉鎖され、「戦略與国際研究所」にあった機密費も外交部に戻された。外交部の予算なら国会審議に応じて公表せざるを得ないので、透明化するというわけである。この台湾の現実を無視した陳水扁の愚策が今回の李登輝起訴の一因となったのだ。

 では今回の起訴の経緯がどういうものか検証してみよう。訴状によると、国民党の金庫番であった劉泰英氏、殷宗文氏が李登輝氏に報告した上で機密費の余剰金を台湾綜合研究院に入れた。台湾綜合研究院は李登輝氏が退任後の拠点にしているので、李登輝氏がその機密費を横領したことになる、という話である。

 この訴状は首を傾げたくなるほどのお粗末な内容だ。まず、先に説明したように外交機密費の一部の運用を民間法人の形で運用することは当時の国家安全会議を経て決めたことであり、李登輝氏一個人が勝手に決めたのではない。さらにその機密費の余剰金を台湾綜合研究院に入れることも李登輝氏の指示ではなかった。そもそも総統の李登輝氏がそれほど細かいことに一々指示を出すことはないのだ。しかし、検察当局は「李登輝氏は“きっと”了承していたにちがいない」との憶測で、一元国家元首を汚職の罪に陥れようとしている。百歩譲って、たとえ李登輝氏が指示したとしても、国会安全会議で決められた機密費の運用ルールに沿った指示がどうして汚職といえるのだろうか。

 この機密費問題は、陳水扁政権時代から「機密費を透明化する」という愚かな指示の下で検察当局に調査させてきたものだった。日本の検察当局も行政の一部門である法務省の所管であるが準司法機関としての伝統があり、台湾と比べれば政治に動かされることは比較的に少ない。だが、台湾の検察当局は政治に強く影響されている。この件は、政治的得点を稼ごうとする陳水扁が功名心から検察当局に徹底的に調べさせたものだが、罪を問うことの出来る証拠は何一つなかった。それでも強引に会計責任者の徐炳強氏を起訴したが、10年前に最高裁で無罪判決が確定している。

●李登輝起訴は馬英九の指示なのか

 そもそも最高裁の無罪判決が下されたこの件に関し、新たな証拠も出さずに起訴するとは何事か。しかも訴状を当事者の李登輝氏へも李登輝氏の弁護士へも送ることなく、検察当局がいきなり記者会見を開いて「犯罪事実」なるものを撒き散らした。挙句の果てに、その記者会見の場から李登輝氏の弁護士を排除したのだ。元国家元首に対する起訴にしてはあまりにもお粗末すぎる。いくら中国の子飼いの馬英九政権とは言え、このような乱暴なやり方は決して台湾社会に馴染まない。李登輝氏を貶めようとする中国的な意図が働いていると多くの台湾人は感じている。

 台湾ではこの起訴は馬英九の指示によるものだという見方が専らである。2008年の総統選挙に勝利した馬英九は当初「尊李路線」をとっていた。「尊李路線」とは李登輝尊重路線である。馬英九は台湾派の支持を得るとともに、自身につきまとう「反日」イメージを払拭するためにも日本に太いパイプを持つ李登輝氏に接近した。

 李登輝氏も最初は馬政権に様々な助言をしていたが、間もなく馬英九の中国一辺倒の政策に強い危機感を抱いた。馬政権はECFA(経済協力構造協定)を強引に結んで台湾を中国経済圏に組み入れたのである。李登輝氏は反馬英九の姿勢を明確にした。彼は「棄馬保台」(馬英九を捨て台湾を守れ)というスローガンを高らかに宣言し、次期の総統選挙で馬英九を落とすよう台湾人に呼びかけたのだ。

 李登輝氏の強い意思表明が独立派の共感を呼び、陳水扁一家の汚職によって低迷気味だったグリーン陣営も久しぶりに活気付いた。それにより民進党の支持率が上がり、民進党陣営は国会議員補欠選挙でも地方選挙でも国民党に大勝した。蔡英文氏が民進党の党内予選で総統選挙候補を勝ち取ってからさらに勢いがついて、20代から30代の若い層では馬英九に10ポイントの差をつけるほどの高い支持率を獲得している。

 味方からは「無能」、台湾派からは「売国」とのレッテルを貼られて、支持率の低迷に喘ぐ馬英九が「李登輝起訴」という禁じ手を使いたくなるのも無理はなかった。なぜならばこれには一石三鳥の効果があるのだ。

 まず、反李登輝感情の強い親中国派を喜ばせ、票を掘り起こす効果がある。続いて、汚職のレッテルを李登輝氏に貼り、民進党の李登輝氏への接近を阻止する離間効果も狙える。最後には機密費問題というパンドラの箱を開けた陳水扁にも責任転嫁ができて、李登輝支持者と陳水扁支持者を反目させることも可能になるわけだ。

●不屈の精神を見せる李登輝氏

 果たしてこの一石三鳥の効果は出ているのか。世論調査によれば、台湾の国民のほとんどがこの起訴には政治的意図が働いていると認識している。民進党総統候補者である蔡英文氏に脅しをかける分断作戦も完全に不発に終わった。起訴翌日の7月1日、蔡英文氏が李登輝氏と一緒に台湾団結聯盟の決起大会に出席していたことが何よりの証明である。李登輝氏もこの集会で、いくら弾圧されようとも屈することはないと力強く宣言した。死さえも恐れないのにこの程度の弾圧に屈するはずはない。台湾には沢山の李登輝がおり、たとえ李登輝が死んでも、次から次へ出てくるはずだと語り、馬英九政権と戦う意志を明確にした。

 李登輝起訴は親中国派を喜ばせたことには違いないが、もっと重要な狙いである民進党と李登輝氏との離間には全く効果がなかった。それどころか起訴の翌日から台湾各地において「守護阿輝伯、打倒馬英九」(李登輝爺ちゃんを守れ、馬英九を打倒せよ)のスローガンが掲げられ、独立派陣営の気勢もかつてないほど高まった。台湾人にとっては90歳にもなる老人をいじめる馬英九はとても許せる代物ではないのだ。

 結果として民進党の支持率がさらに上がり、国民党内部の台湾派勢力を離反させる結末となった。国民党寄りのマスコミは、李登輝起訴によって民進党支持者の結束が高まると同時に、国民党側でも危機感が高まり、支持の喚起に繋がったとコメントしている。つまり李登輝起訴で馬英九陣営が蜂の巣を突っついてしまったことを認めざるを得なかった。

●妻にも見放された馬英九

 ではこの一石三鳥を狙った「李登輝起訴」の黒幕は一体誰なのか。

 馬英九自身が黒幕なのであれば、この作戦はまさに彼の愚かさを真に証明するようなものだ。馬英九の無能は周知の事実であるし、妻の周美青が「全く魅力のない男で、来世があるなら絶対この人とは結婚しない」と公言したほどである。しかし、この甘いマスクと空っぽな頭を持つ男の身辺には幼馴染の知恵袋、金溥聡という人物がいた。

 2008年の総統選挙で馬英九陣営を仕切っていた台湾台南生まれの金氏は「金小刀」と呼ばれ、そのあだ名の通り頭の切れる策士である。彼は台湾人の社会で成長して台湾人の機微をよく理解しているからこそ、長期にわたって馬英九の右腕が務まっているのだ。今回の起訴も金氏の策略ではないかとの観測もあるが、その彼が李登輝起訴後の変化を予想できないとはとても考えにくい。

●黒幕は中国

 答えは一つしかない。馬英九のパトロンである中国だ。民進党に政権を明け渡すことを国民党以上に危惧しているのは他ならない中国である。親中派の馬英九の肩を持つのは当然であるが、台湾を戦争という代価を払わず併合できる一番良い駒が馬英九なのである。無能であるが故に中国の指示に唯々諾々とする馬英九は中国にとり意のままに動かせる都合の良い存在だ。

 馬英九は中国と十八のパイプを持っていると公言しているが、言い換えれば彼に指図できる中国のボスが18人もいるということである。自国を併呑しようとする敵とのパイプを自慢するリーダーがどこにいるのか。しかしながら台湾人は、中国の尖兵を自国のリーダーとして選んでしまった。

 実際に起訴直前の六月に台湾の検察総長である黄世銘が中国へ行き、一週間滞在している。現職の台湾検察最高責任者が秘密裏に中国に行くこと自体が尋常なことではない。その黄世銘が台湾に帰国してからほどなくして李登輝氏を起訴した。台湾団結聯盟の黄昆輝主席は、黄世銘検察総長が中国で李登輝起訴の指令を受けたと批判したが、この批判は決して看過すべきものではない。批判が事実なら、敵国の命令に従って動くという売国行為である。検察総長ともあろう人間がこのような批判を受けた場合、台湾の常識からすれば、名誉毀損で黄昆輝氏を訴えても良いはずである。それにもかかわらず中国には犯罪の取り締まりに関する非公開会議で行っただけだと軽く交わそうとする黄世銘氏の弁解は、逆に疑惑を深めるばかりである。

●傲慢から生じる中国の判断ミス

 中国からの命令であるとすると、李登輝起訴は完全に誤った情報に基づく判断だといわざるを得ない。台湾ほど公開された社会での情報収集は決して困難なことではないはずだ。「李登輝起訴」が逆効果になることを中国がなぜ予想できなかったのかとの疑問も残る。

 これはまさに中国の台湾観測の盲点なのだ。中国はその気さえあれば台湾に関する情報で手に入らないものはないであろうし、台湾の世論動向ももちろん的確に把握できるはずであろう。ところが、中国の台湾観測は常に間違っていた。

 1996年の台湾最初の国民による総統選挙の際のミサイル演習による恫喝や、2000年の総統選挙の直前に朱鎔基首相が表明した「間違った人を選ぶと戦争を選ぶことになる」との恫喝は全く効き目がなかった。台湾国民はその都度、中国の期待とは逆の選択をしたのである。

●利益と恐怖で他国をも操る中国

 諜報工作や情報収集に巧みな中国がなぜ台湾社会の動向を把握できないのか。その原因は、中国人は常に自分たちの目線で台湾人を判断しているからであるといえる。中国の指導者にとって国民の目線などはどうでも良いことであり、彼らは利益と恐怖の心理を上手く利用し自国民を統治してきた。同じように台湾人も利益と恐怖の使い分けで操れると彼らは考えているのだ。中国人が利益で釣られるなら、台湾人も当然釣られる。中国人が恐怖心で屈服するなら、台湾人も当然屈服するという発想である。チベットやウイグルに対する残虐行為でも分かるように、そもそも中国人は自分より格下と思う存在には無法な接し方しかしない民族であるから相手の独自性などは眼中にない。

 その中国にとって司法は権力行使の道具に過ぎないのだ。気にいらない人間を牢屋に入れること自体になんの理由もいらない。つい最近まで牢屋に入れられていた中国の芸術家、艾未未氏はまさにその良い例である。自国の国民だけでなく、他国の司法へも平気に口出しするのが中国なのだ。尖閣沖漁船衝突事件の際には、日本も中国の脅しに屈して漁船の船長を起訴猶予で釈放した。それが何を意味しているのかといえば、数多くの政治家、官僚たちが中国に操られて、自国のためではなく中国の利益のために働いているということである。数年前に起きた上海の日本外交官自殺事件にせよ、自衛隊のイージス艦の情報漏えい事件にせよ、背後には中国の力が隠然と存在しているのだ。

 このモラル無き国による他国の頭脳中枢への侵食は、他国の国力をすべて中国のためにするとてつもない大きな略奪行為となって成功しつつある。中国を訪問したことのある日本と台湾の政治家や官僚たちは全員中国の罠にはめられて、中国の駒になっていると考えたほうがよさそうだ。

●台湾人に通用しない中国の誘惑と恫喝

 そのような中国であるから、台湾人の心情など気にもかけない中国のボスが今回の起訴によって、漁船衝突事件で日本を屈服させたように李登輝氏を屈服させることができ、台湾人を恐怖の淵に陥れられるとの驕りから馬英九に起訴をしろと指図したのであろう。

 しかし、台湾人は中国人とは違う人種だ。中国人に効く誘惑や恫喝が台湾人にも効くとは限らない。それを示すのが李登輝氏の「死ぬことすら恐れないのに、この程度のことを恐れるものか」「李登輝が死んでも台湾にはまだ沢山の李登輝がいる」との言葉だ。この不屈の精神に応えようとする各地の「守護李登輝」(李登輝を守れ)運動はまさに中国人にはない台湾人精神そのものである。それは李登輝精神でもあるのだ。


危なくてもう「和牛」は食べられない

2011年08月19日 12時14分40秒 | 社会

 きょう、福島産の牛肉が「解禁」された。放射性物質の汚染量が一定基準以下であれば、市場に福島産牛肉が流通することになる。

 牛肉の産地表示は、「国産」「オーストラリア産」などの区分になるから、福島産か九州・宮崎産かどうかの区別は不可能。
 福島産だからすべて汚染されているなどと言うつもりは全くない。しかしながら、汚染量が「暫定基準値」以下であれば出荷出来るとなったに過ぎないのに、「暫定」という言葉を取り払って、「基準値以下」というような表現がまかり通り始めたのはどういうことか?

 大震災以前の「基準値」は、概ね10ベクレル/1kgだった。それが震災以降、「暫定基準値」が定められ、500ベクレル/1kgに変更された。「暫定基準値」はあくまで「暫定」であるのだから、いかなる場合でも「基準値」ではなく、「暫定基準値」と表示されるべきだろう。肝心なことは、両者に50倍もの差があるということだ。国際基準は、大震災以前の「基準値」と同じであったから、現在、日本だけが突出して緩やかな規制値を採用したことになる。

 日本国内では、「基準値」「暫定基準値」の区別を故意に曖昧にして、「風評被害をなくそう」と言い続ければ、優しい日本人を騙すことは出来るのかも知れない。
 しかし、こんな危なっかしい規制値をクリアーしたからと言って、「日本の牛肉・食物は安全」だと言い張ることが、国際的に許されるのだろうか? 食品汚染など何でもありの中国でさえ、セシウムやプルトニウムで汚染された食肉はないはずだ。中国からの旅行者が激減したといって、日本の旅行関係者は「もう安全」「風評被害」だと騒いでいるが、そんな簡単な問題ではないはずだ。

 個人的には、これでもう当面「和牛」は食べられないと観念した。極端に言えば、499ベクレルまでの牛肉が合法的に流通することになる。大震災以前は、おそらくセシウムなど1ベクレルにも満たなかっただろうから、約500倍ものセシウムを含有した牛肉が出回るわけだ福島県の検査機関が自主的に検査を始めたが、その結果には「検出せず」(ND)というデータがたくさん出ている。これも直ちに鵜呑みには出来ず、検査機器の精度や、モード設定によっては、「検出せず」になってしまうことも多いと聴く。

 たった今、茨城県鉾田市の玄米から52ベクレル/1kgの放射性セシウムが検出されたと報道された。暫定基準値と比べれば「微量」であり「健康に問題ない」と報道しているが、元来の基準値(10ベクレル)を大幅に超える数値であるのに、そのことには絶対に言及しない

 中高年はともかく、これから成長していく若者にとっては、重大な問題なのに、政府は「安全」「問題ない」というばかり。自衛の努力が必要なのは間違いない。
 
 ちなみに、台湾の「 聯合晚報」は速報で次のように報道している。ここには「菅政権は農家の圧力によって朝令暮改を繰り返した」とはっきり書かれている。これに比べれば、日本のマスメディアは「震災復興」「風評被害」と騒ぐばかりで、肝心の報道を避けているかのようだ。 
 夢にも日本のマスメディアが言うことを鵜呑みにしてはならない。

 

禁賣才一個月 福島牛隻解禁了

日本福島與宮城兩縣的牛隻,因為被檢測出遭到輻射污染而禁賣。但是這項措施實施還不到一個月,菅直人政權又決定要解除此一禁賣限制。並不是一個月的時間輻射牛就都恢復為正常牛,而是菅政權受到農家壓力而朝令夕改。

菅直人政權將在19日宣佈解除對福島與宮城兩縣肉牛的禁賣限制,據稱,今後只要在縣所指示下的檢查方法下通過檢查,就可以讓牛隻出售到市場上。

據說,福島與宮城兩縣已經提出了一項牛肉的檢查方法,以及污染稻草的管理計畫,業已獲得當局的承認,今後岩手與櫪木兩縣也同樣作成類似的計畫,以便獲得禁賣的解禁。

日本東北的輻射牛問題發生後,引起了日本市場對牛肉的恐慌,消費者幾乎不再購買牛肉,讓日本一向標榜價格昂貴的「和牛」價格一落千丈。日本政府在禁運不到一個月急著解禁,據說是受到農家極大的壓力。



全文網址: 禁賣才一個月 福島牛隻解禁了 | 國際 | 即時新聞 | 聯合新聞網 http://udn.com/NEWS/BREAKINGNEWS/BREAKINGNEWS5/6536186.shtml#ixzz1VROknEUK
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SMAPが「がんばろう日本 ありがとう中国 アジアはひとつ」

2011年08月17日 05時17分17秒 | 中国

 SMAPの木村拓哉が、来月行われる北京公演について、次のように語ったという。

東日本大震災について「中国の皆さまからの温かい支援をいただき、日本がもう一度立ち上がろうとしている最中」と指摘。北京公演で「日本の元気を僕らが体現したい」と訴えた。

 私の記憶では、大震災に対して中国から温かい支援など全くなかった。台湾からの義援金は、ついに200億円を超えたが、これに比べれば、中国からの支援など雀の涙と言っていい。
 北京公演を行うという商売上の都合もあるのだろうが、中国側への過度なお世辞は慎むべきだろう。上海万博における日本館への中国側の処遇、尖閣事件を口実とした反日デモの炎上、それに大震災直後にネット上で飛び交った「ざまあみろ、日本!」という書き込みを見れば、中国が一筋縄ではいかない相手であることは明らかだ。日本人が「平和」「友好」を叫べば叫ぶほど、足元を見られて、相手の術中にはまってきたという苦い経験がある。

 だから、キムタクがインタビューで言った最後の一言は噴飯モノだった。「がんばろう日本 ありがとう中国 アジアはひとつ」だってさ。
 反日国家、共産党独裁国家である中国にここまで媚びて、中国公演とやらを成功させたいのか? 

 SMAPの諸君は、たまには新聞を読んだ方がいい。「国民的アイドル」を自負するなら、中国はどういう国なのか、自分が何を中国に対して「ありがとう」と言っているのか、「アジアはひとつ」などと軽々に口走っていいのかどうか等々、少しは考えるべきだろう。
 まあ、ホストクラブの中年ホストそっくりになってきた木村拓哉にそんなことを期待するのは到底無理というものだろうが…。

 

賛同人に日中政財界の大物=来月のSMAP北京公演

時事通信 8月16日(火)18時34分配信

 【北京時事】日本の人気グループSMAPが9月16日に行う北京公演について、中国の唐家セン前国務委員や程永華駐日大使、海江田万里経済産業相、丹羽宇一郎駐中国大使ら政財官界の大物が賛同人に名を連ねたことが16日分かった。来年の日中国交正常化40周年を控え、今回の公演を「中日民間文化交流の象徴的事件」(関係者)として両国の国民感情改善に向けたイベントにする政治的狙いが強い。
 この日、SMAPを代表して木村拓哉さんが北京市内のホテルで中国のメディアやファン向けに記者会見し、東日本大震災について「中国の皆さまからの温かい支援をいただき、日本がもう一度立ち上がろうとしている最中」と指摘。北京公演で「日本の元気を僕らが体現したい」と訴えた。
 賛同人はこのほか、中国側が歴代駐日大使の武大偉、王毅、崔天凱各氏や邵※(※=王ヘンに其)偉国家観光局長、日本側が海部俊樹元首相、御手洗冨士夫・前経団連会長ら。スポーツ界からも元巨人監督の長嶋茂雄氏、卓球の福原愛さん、バスケットボールの姚明氏らが加わった。 


ロンドン暴動の実相

2011年08月16日 02時03分16秒 | 社会
 英国在住のAさん(日本人)からロンドン暴動について次のようなメールが届いた。
「新聞やテレビで暴動を起こした子達へのインタビューでの話です。
・皆がやっているんだからいいじゃない。
・せっかくただで物を取れるチャンスなんだから、そのチャンスをのがすことはない
じゃない。
・保守党だかなんだかしらないけど、政府や金持ちに見せ付けてやってんのよ。
・わたし達その気になったら何だってやりたいことやりたいようにできくるんだか
ら!

こんな、最初の暴動(警察の銃取締り中に黒人男性が警察に射殺されたことへの抵
抗)からかけ離れた便乗組みがほとんどだったようです。

最年少の子供は11歳でした。

Sonyの倉庫は別に日本をターゲットにしたのではなく、ほしい製品がたくさんあるか
ら、と言う単純な発想だったのではないでしょうか。
これで「紳士の国、英国」と言うイメージがすっかり崩れてしまったでしょうね。
でもこれが真実のイギリスの姿です。
白人、黒人を問わず、CHAV(Council House and Violent:公営住宅に住む凶暴な低所
得者)がほとんどです。」

 日本でも、民主党政権が唱える「第二の開国」が行われれば、ロンドン暴動のような社会問題が起こるのは間違いない。もって他山の石とすべしだろう。

【引用記事】
 
ロンドンで始まった若者のデモに端を発する暴動は英国全土へと飛び火。背景には、深刻な若者の失業率や人種間の格差などがあると見られている。
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拡大する英国の暴動

マーク・ダッガンさんの射殺現場近くで祈りを捧げる人々。(AP/アフロ)

 

暴動の発端と拡大までの流れ


今回の暴動は、ロンドン北部トットナムで麻薬取引を捜査中の警官が黒人男性を射殺したことが契機となった。

これに対し、「人種偏見に基づく過剰な対応」だという反発の声が拡大。6日に行われた事件に対する抗議集会が、放火や略奪を伴う暴動へと発展した。ロンドン各地の40ヵ所以上で暴力行為が起こり、8日から9日に掛けて英国中部バーミンガム、リバプール、ノッティンガム、南部ブリストルなど、全土へと広がっていった。

深刻化する事態を沈静化すべく、キャメロン首相は休暇を早めに切り上げて帰国。緊急会議で閣僚や諜報関係者などと今後の対策を協議し、対応に当たった。


暴徒の鎮圧には多数の警官が動員されている。(AP/アフロ)


キャメロン首相は、ロンドンの夜間警官の配備数を6,000人から2倍超の1万6,000人まで増強。厳戒態勢をしくと同時に、事態収拾のためには軍の投入も辞さないことを示唆している。

今回の暴動による逮捕者は、現在までに英国全土で1,500人を突破しており、依然として各地では緊張が残っている。

暴動拡大の背景にある若者の不満


今回の暴動は、人種差別問題に端を発したものの、ここまで拡大した背景にはキャメロン政権の緊縮財政政策に対する不満があるといわれている。

特に他の年代と比べて失業率が極端に高い若年層は、大きな不満を抱えていたと見られ、昨年末には歳出削減に伴う大学授業料の引き上げに対する抗議活動を行った学生が暴徒化するという事件も発生していた。

また、経済のグローバル化が進展する中で若者の雇用を支えてきた製造業の海外移転が加速。金融危機に伴う景気後退が追い討ちをかけ、若者の雇用に対する危機感と不満は高まっていた。


暴徒は警察と衝突し、多くの地域で店と乗り物に火を放った。(AP/アフロ)


そのため、放火や略奪行為は、グローバル化の恩恵を受けている大手スーパー、ファストフード、家電チェーン店などが標的になったとの分析もある。

暴動・捜査にもソーシャル化の波


今回の暴動においても、アラブ世界の民主化活動と同様に、ソーシャルメディアが大きな役割を果たしたという。暴動に参加した若者たちはtwitterやFacebookなどのソーシャルメディアを利用して、襲撃の場所や集合時間などの情報を交換しており、このことが暴動の急激な拡大につながったとの分析もある。そのため、キャメロン首相は、議会においてtwitterに代表されるソーシャルメディアに対する規制を強化することを言明している。また、一方で、ソーシャルメディアは捜査などにも利用されている参照記事1

日常生活のあらゆる場面に浸透したソーシャル化の流れが加速しつつあることが、今回の暴動においても明らかになったのではないだろうか。

同様の病巣を抱える南欧諸国


緊縮財政による失業率悪化を背景とする暴動は欧州の他の国でも頻発している。EUから金融支援を受けるギリシャでは今年6月に失業者のデモが暴徒化する事件が起こっている。またスペインでも緊縮財政への反対デモが各地で発生した。


イギリスの主要都市では暴行、放火、略奪が続いている。(AP/アフロ)


英国の暴動は、キャメロン政権の強硬姿勢により鎮圧に向かいつつある。しかし、今回の暴動の病巣は想像以上に深そうだ。


菅直人と「市民の党」代表・斎藤まさしの黒い関係

2011年08月11日 23時52分44秒 | 政治

 8月11日の参議院予算委員会の質疑をTV中継で見た。西田昌司(自民党)が菅首相の政治献金疑惑について鋭く切り込んだ。

 菅首相には、政治献金を巡って二つの疑惑がある。ひとつは、3月11日午後、国会で追及されていた在日外国人からの政治献金受領の問題。この問題は、東日本大震災の発生以来、うやむやの状態になっていた。西田議員によれば、3月9日、菅首相はこの政治献金問題に関して「朝日新聞」の取材を受けたため、翌3月10日慌てて金を当該外国人に返したという。菅首相の弁明では、3月14日に返却したことになっているのだが、何故かその際の領収書の公開を渋っている。それは、菅首相が返金のいきさつでウソをついているからだと西田議員は推測する。

 もうひとつは、菅直人の政治団体が「市民の党」(斎藤まさし代表)に合計6千5百万円もの政治献金をしていた問題。菅首相は、ローカルパーティである「市民の党」と連携し、支援するためだと弁明しているが、「市民の党」そのものが北朝鮮及び日本赤軍と深いかかわりを持つだけに、菅直人という政治家の「本性」が露わになったと言えるだろう。

 (斎藤まさしの選挙ポスター)

 7月の参議院予算委員会で菅首相は、「市民の党」の斎藤まさし代表について、「およそ30年前、ある先輩から紹介されて以来の知人」だと説明している。さらに斎藤まさしが田英夫の娘婿であるという事実については、「そのことについては、これまで全く知りませんでした」と応えている。だが、今回の質疑で「ある先輩とは田英夫氏のことではないか」と問われて、しどろもどろの答弁を繰り返し、西田議員にたしなめられる始末だった。TVの視聴者は皆、菅が本当のことを言っていないと直感したはずだ。

 菅直人と斎藤まさしには、多くの共通点がある。菅は東工大全共闘で名をあげ、既成の組織には入らず、「市民運動」を続けて、今日に至った。斎藤は上智大全共闘の委員長として、バリケード封鎖など派手に立ち回った。上智大の同窓生であった田英夫の娘(ポルトガル語学科)と結婚することで、彼の「政治的資産」もまた大きく膨らんだ。故・宇都宮徳馬(自民党国会議員)の資金援助を得て、MPD(平和と民主運動)を結成する。当初、MPDは参議院選挙などに候補者を擁立し、斎藤まさしはその代表として、NHKーTVにも出演していた。

 斎藤まさしが全共闘運動にのめり込んだのは、1972年、文革最中の中国に行ったことがきっかけだと本人は記している。私自身、その頃、彼と何回か話した記憶があるのだが、彼の話しぶりからはカトリシズムと神父に代表される上智大の体質に対する憎悪が強く感じられた。斎藤は外国語学部ロシア語学科の学生だったが、当時のロシア語学科は授業が厳しいことで知られていた。その留年率は、多分、5割を超えていたと思う。初めて学ぶ外国語は、何度か授業をサボればついていけなくなる。今にして思うと、彼は授業についていけない恨みを大学にぶつけていたのかも知れない。また、欧米の大学には、「外国語学部」など存在しない。外国語は、大学より一段低い専門学校で学ぶべき「技術」に過ぎないのだ。そんな屈折した思いもあったのかも知れない。当然のこととして、斎藤は退学処分を受けたのだが、その後の歩みが「平凡な市民」で終わらなかったのは、まさに田英夫の娘婿となったからにほかならない。

 権力保持のためには平気で人を裏切る菅直人を見ていると、よほどの事情がなければ、斎藤まさしをこれほど「連携・支援」するはずはない。その唯一の事情とは、斎藤が田英夫の娘婿(現在は離婚)だったという事実だ。

 それにしても思うのは、田英夫、宇都宮徳馬という著名な二人の脇の甘さ、人を見る眼の無さだ田英夫の祖父は、台湾総督も務めた田健次郎。恵まれた環境で育った田英夫は、「日本の植民地支配」に強い贖罪意識を抱いていたと言われる。宇都宮徳馬の父親は陸軍大将。宇都宮徳馬も田英夫と同様に、戦前の軍国主義に強い嫌悪感を持っていた。
 だが、だからといって、田と宇都宮は、菅直人と斎藤まさしのような人物を「後継者」として選んだのだから、その甘さは呆れるばかりだ。これはそっくり、鳩山由紀夫の度はずれた「お坊ちゃん」ぶりにも通じる。
 
 菅と斎藤まさしには、人並み外れた自己顕示欲、他者を犠牲にしても構わない権力欲、国家権力に対する憎悪という点で、数々の共通点がある。これはまさに、全共闘運動そのものの負の遺産というべきだろう。
 「菅直人弁理士事務所」のセンセイで終わるべき男が、日本国の首相になってしまった。しがないサラリーマンで終わるはずだった「全共闘くずれ」が、自称「革命家」になってしまった。これこそが、今の日本の悲喜劇を象徴しているのかも知れない。  

 
(斎藤まさし=左 菅直人=右  いや、菅直人は「」ですが…。) 

 

 


明日、再放送される「父は、なぜ海を渡ったのか」(ザ・ノンフィクション) 

2011年08月05日 09時27分33秒 | マスメディア

 明日(8月6日)午前11時より、BSフジで「父は、なぜ海を渡ったか」が再放送される。昨年の終戦記念日、フジテレビ系列の「ザ・ノンフィクション」という番組で放送されたものだ。
 今頃になると、先の大戦を回顧する番組がたくさん放送されるが、年々、その内容は変化している。戦争体験者が次第に減少していることから、番組を制作する側にもある種の躊躇と独断が見え隠れする。
 その中では、この「父は、なぜ海を渡ったか」は、とても興味深かった。歴史にif(イフ)はないと言われるが、このドキュメンタリーを見ると、そうとは言いきれない気がする。
 もし(if)、国共内戦における金門・馬祖の戦いで、中国国民党軍が中国共産党軍に敗れていれば、台湾は、国民党ではなく、共産党に”接収”されていたはずだ。だとすれば、「二・二八事件」よりもさらに大規模な虐殺が起こり、台湾は現在の大陸のようになっていたはずだ。もちろん、李登輝氏による民主革命も実現できなかっただろうし、「親日国家」台湾も存在しなかっただろう。
 
 この金門・馬祖の戦役にはせ参じたのが、根本 博・元陸軍中将 ※だった。

※ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E5%8D%9A

 昨年夏、このブログに書いた感想をここに再録してみたい。

【 今日は終戦記念日。ここまで、TV各局はさまざまな戦争回顧の番組を放送してきた。かなりの番組をビデオに録り貯めたものの、ほとんど見ていないのが実のところだ。
 昨晩は、ドラマ「帰國」が放送された。鳴り物入りの番組だったので、深夜、再生してみたが、私個人の趣味として、こういうドラマは好きではない。それで、早送りにして見たことにした。
 だが、今日、フジテレビ系列で放送された「ザ・ノンフィクション 台湾に消えた父の秘密※は、類似の番組の中では傑出して面白かった。具体的な史実は下記の番組紹介の中に書かれているが、私が気に入ったのは、歴史の多義性、多面性を教えてくれたところだ。
※ http://www.excite.co.jp/News/tv/20100813/Dogatch_10130810556.html

 1945年8月、ソ連軍は「日ソ不可侵条約」を一方的に破り、満州へ侵攻した。それだけでも、重大な国際法違反なのだが、さらにソ連は武装解除した日本軍将兵をシベリアに送り、死に至る強制労働を科した。終戦時、内モンゴルにも多数の日本人、日本軍兵士がいた。内モンゴルの軍司令官・根本博中将は、軍を武装解除させず、蒋介石との交渉に持ち込んだ。その結果、内モンゴルの日本人はソ連軍の魔手から逃れることができた。
 このとき、根本博は蒋介石に恩義を感じたのだろう。戦後、GHQの統制下にある日本から、ある日突然、「釣りに行く」と言い残して、台湾に密航する。それを手助けしたのが明石台湾総督の長男だった。

 (根本博・元陸軍中将)
 
 1949年、根本博・元中将は、廈門(アモイ)の対岸にある金門、馬祖にいて、侵攻してきた中共(=中国共産党)軍と戦っていた。もちろん、国共内戦の一部であるから、根本の活動は中国国民党の公式の戦史に残っていない。
 だが、昨年10月、金門島の「古寧頭戦役60周年」式典で、明石台湾総督の孫が馬英九総統と対面する。馬総統は「台湾へようこそ」と日本語で話しかけたという。

 この金門、馬祖の戦役に参加したのは、大陸から逃れてきた中国国民党の兵士ばかりだ。1947年、この国民党軍は、無抵抗の台湾人二万人を虐殺する「二二八事件」を引き起こした。その後、彼らは台湾の占領者として君臨し、48年間もの間、独裁政治を続けた。ちなみに、民主的選挙で選ばれた馬英九総統本人も、中国国民党に属し、外省人の一人である。
 それ故、日本統治時代を経験した台湾人(本省人)から見れば、根本・元中将の行動は、賞賛すべき事績とは言えないのかも知れない。だがもし、国共内戦で中共が台湾まで制圧していれば、現在の民主化した台湾は、絶対に存在しないはずだ。根本の行動は、間接的に台湾人にも影響を及ぼしたことになる。現在、台湾(国府)軍の公式出版物に根本・元中将の活動が写真入りで記録されるようになった。

 考えてみれば、旧・満州国においても、根本と蒋介石のような奇遇があったに違いない。しかし、中共の歴史抹殺によって、すべては闇に葬られてしまった。中国共産党に不都合な歴史は、人民に教えられることはない。封印された「偽満州国」公文書には、思いがけない史実が記されているに違いない。

 多分、戦後、根本・元中将と同じような行動をとった人がまだ何人もいるのだろう。彼らは、戦後においてもなお、アジアの解放を夢見ていたのだろうか。最も有名なのは辻政信※だが、彼は1961年、東南アジアに休暇旅行をすると言って行方不明になった。
※ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E6%94%BF%E4%BF%A1

 根本博は、台湾に密航するとき、家族には「釣りに行く」と言い、釣り竿を持って出かけた。その後、何年も経って、彼はその釣り竿を片手に台湾から帰国した。家族にさえ、真の目的を話さず、黙って戦乱の地に赴く。そして、蒋介石の「恩」に報いた後、また黙って帰国する。こういう気骨ある日本人は、もう絶え果ててしまったのだろうか。】

台湾・金門島の人々から"戦神"と呼ばれる日本人とは...

8月15日(日)14時から放送のザ・ノンフィクション『父は、なぜ海を渡ったのか』では、台湾・金門島で今も"戦神"として語り継がれるひとりの日本人の生き方に迫る!

太平洋戦争の末期、当時、蒙古軍司令官だった根本博・陸軍中将は、終戦を迎えた後も武装解除命令にそむき、攻めてくるソ連軍に対し、あらゆる手を尽くして戦う。その結果、内蒙古在住の日本人居留民4万人は、ほとんど無傷で日本に帰国することができた。このときに協力したのが国民党の蒋介石だったといわれている。

昭和24年、蒋介石への恩義に報いるべく根本は、毛沢東の中共軍と戦い敗走を続ける国民党軍を助けるために、宮崎・延岡から釣り人に変装して台湾に密航。台湾国民党軍の軍事顧問として台湾の金門島で3万人の人民解放軍を迎え撃つ作戦を立案し、1万の兵力で撃退する。根本は、「中共軍が上陸して古寧頭村を占領した場合は村ごと焼き払ってしまおう」という国民党軍の作戦案に対し、「それでは村人が犠牲になってしまう」と主張し、村の北側から沿岸に向かう一カ所を開け、そこへ中共軍をおびき出して、海岸沿いまで移動させ陸と海から挟み撃ちにするという作戦を提案する。その結果、村人も救いながら中共軍を降伏させた。

昨年10月に行われた「古寧頭戦没60周年記念式典」には、根本中将の渡台計画にかかわった人物の家族も出席。これまで根本の存在を否定し続けてきた台湾政府が、初めて根本が金門島の戦いに関与していた事実を認めた。フジテレビのカメラは、この歴史的な瞬間を撮影した。番組では、ジャーナリストの門田隆将氏とともに、当時を知る軍関係者や村人を探し出し、証言をもとに根本中将の人物像に迫った。また、当時、根本中将とともに戦った戦友たちが遺族に残した貴重な資料から、日本と台湾の封印された知られざる歴史をひもといていく。

演出を担当した森憲一は「古寧頭戦役60周年という節目の年に、歴史が動いた瞬間を目の当たりにしました。「戦争の真実」は、記録だけがすべてではないということも同時に実感することができた取材でした。今の東アジア情勢を見て、根本博元陸軍中将ならきっと「国を超えてやるべきことがある」と言うだろうと思います」と語る。

ザ・ノンフィクション『父は、なぜ海を渡ったのか』
2010年8月15日(日)14:00~(フジテレビ系)