澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

きょうは「台湾二 二八事件」記念日

2009年02月28日 19時13分31秒 | 歴史

今日は、1947年、台湾に逃れてきた中国国民党・蒋介石政権によって引き起こされた台湾人の大量惨殺事件「二 二八事件」の記念日。
中国寄りと批判されている馬英九総統(中国国民党)に対しては、追悼式典で激しい罵倒が浴びせられたと伝えられている。

台湾総統、罵声の中で追悼 2・28事件式典で 2月28日(土) 18時44分  【高雄(台湾南部)28日共同】

蒋介石の国民党政権が台湾全土で台湾人の抵抗運動を弾圧した「2・28事件」から62年目の28日、同党の馬英九総統は高雄で野党系団体主催の追悼式典に出席し、「あのような悲劇が二度と起こらないよう願う」と述べた。式典には馬政権の対中政策などに不満を持つ野党や台湾独立派が出席。「馬英九やめろ」などと罵声が飛び、総統の声はかき消され会場は一時騒然となった

台湾二二八の真実―消えた父を探して
阮 美妹
まどか出版

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再び台湾映画「海角7号」

2009年02月27日 03時39分47秒 | 音楽・映画

台湾で現在大ヒット中の台湾映画「海角7号」は、ようやく大陸中国でも上映が許可されたようだが、その反響は台湾とは大きく異なるようだ。

江沢民以降の大陸中国では、民族意識をくすぐる「大中国主義」「中華愛国主義」が鼓吹されてきた。そこでは、「南京大虐殺」問題を挙げるまでもなく、日本は常に「悪者」扱いにされてきた。
ところが、台湾では日本が台湾の近代化に果たした役割を客観的に見つめようという真摯な態度が一般的である。

「海角7号」には、驚くべきモノローグがある。これを聞いたら、台湾に無関心だった人でさえ、一気に台湾とは何か興味を抱くはずだ。


http://www.youtube.com/watch?v=z6fH1xNmdJw  (youtube映像)

「友子、太陽はすっかり海に沈んだ。
これで本当に台湾島が見えなくなってしまった。
君はまだあそこに立っているのかい。……
皆が寝ている甲板で、低く何度も繰り返す
”捨てたのではなく、泣く泣く手放したのだ”
と」



これが60年前、日本が戦争に敗れ、日本人が台湾から去る帰国船の中で、主人公がつぶやく言葉だ。もちろん、日本語で語られている。「捨てたのではなく、泣く泣く手放したのだ」というつぶやきは、別離せざるをえなかった「友子」に対する言葉だが、同時にそれは「台湾」を指していることは疑いない。

言うまでもなく、この映画は、2008年、台湾人により台湾で制作された映画だ。
馬英九政権になり、台湾はますます中国への傾斜を強めている。そうした風潮に釘を差し、台湾人の独自性(アイデンティティ)を確認するため、この映画は作られたのかも知れない。
それにしても、ここまで日本に親しみを持っていてくれているとは、信じられない思いだ。

「捨てたのではなく、泣く泣く手放したのだ」という言葉は、翻って深く我が胸に突き刺さる。そう1945年、1972年、2度にわたって、日本人は台湾を「手放した」のだから…。

「海角7号」が日本で上映されるメドは立っていない…。


「知られざる東台湾~湾生が綴るもう一つの台湾史」

2009年02月26日 16時01分56秒 | 
「知られざる東台湾~湾生が綴るもう一つの台湾史」(山口政治著 展転社 平成19年)を読む。
大正13年、台湾の花蓮に移民の家族として生まれた著者は、今なお現地の人々と親密な交流を持つ。表題の「湾生」とは、台湾生まれのことである。


知られざる東台湾―湾生が綴るもう一つの台湾史
山口 政治
展転社

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台湾では現在、映画「海角7号」が大ヒットしているが、この映画は60年前、敗戦によって日本人が台湾を去る帰還船の光景から始まる。そこでは今なお、日本との”絆”が肯定的に描かれているのだ。

何故、これほどまでに台湾人が「親日的」であり続けるのか。私自身、花蓮を2回訪れ、ガイドさんや土地の人々にとてもよくしてもらった思い出がある。花蓮市内には、市の指定史跡として旧・日本人住居や駅舎がきちんと保存されている。説明文には、日本統治時代の記録が正確に記されていた。

(旧・日本人住居;花蓮市の文化財として保存されている)
(花蓮鉄道博物館:日本統治時代の鉄道資料を展示している)  (花蓮の公園に展示されている日本時代のSL)


日本統治時代の台湾については、さまざまな本が出されているが、本著のように「東台湾」、すなわち太平洋に面した台湾の東部分に光を当てた著作は珍しいはずだ。花蓮を中心とする「東台湾」は、台北から高雄まで新幹線が走るようになった西部と比べて、今なお開発が遅れている。太平洋岸を縦断する鉄道が全線開通したのが、実に李登輝時代の1992年になってからなのだ。「東台湾」の自然・地理的条件がいかに厳しいか分かるだろう。

   (花蓮地方の地図)   (海岸の絶景:昭和初期の写真)      (台湾先住民族の地理分布)

台湾には、九つの先住民族が居住していて、大正時代に至るまで「首狩り」の風習が残っていた。特に「東台湾」は大陸中国の歴代王朝が支配を及ぼしたことはなく、ずっと「化外の地」として扱われきた。先住民族の「平定」、保健衛生、教育の普及、産業振興などは、すべて日本統治時代になってから行われたことに注目したい。

李登輝氏は「もし清朝・中国が台湾を領有していたら、今の台湾はありえず、海南島と同じだったろう」と言ったことがある。台湾の近代化に日本が果たした役割は我々が思う以上に大きかったのだ。

本著では、使命感に燃えて台湾を「日本」に一体化させようとした先人の事例が数多く採り上げられている。それらは「公の精神」と「情熱」にあふれていて、思わず胸にこみ上げるものがある。「植民地支配は悪」というようなステレオ・タイプの認識では割り切れない、圧倒的な台湾への「思い」をそこに感じる。

現地に居住していた方々が記した数々の回顧録や写真からの引用は、具体的な迫力で読者に迫ってくる。振り返れば、「ひとつの中国」を巡る不毛な「中国論」「日中友好運動」が跋扈する中で、ひたすら時は流れ、『台湾』は置き去りにされた。本著のような体験を持つ世代は、もはや80歳を越えるに年齢となった。残された時間は少ない…。

本著を読み「台湾は台湾である」という事実を再認識する。何故台湾人が「親日的」であるかという疑問も読み解くことができた。
経済的野心や歪んだイデオロギーによって「大陸中国」に肩入れし、これ以上台湾を見捨てるようなことがあってはならない…と心から思うのだ。


(花蓮近郊;日本人が開拓した吉野村:著者の生まれ故郷)

※ 日本統治時代の写真および地図については、上掲「知られざる東台湾」より引用させていただきました。




李香蘭「私の鶯」(1943年)にみる「満州国」の音楽事情

2009年02月24日 16時18分54秒 | Weblog
李香蘭主演の「私の鶯」(1943年)をケーブルTVで見る。

1943年、満州映画協会の制作というから、国威発揚めいたつまらない映画かと思ったら、とんでもない間違いだった。
大仏次郎の原作に基づく映画化で、シナリオもカメラもすべて現代の作品と遜色はない。この映画が制作されたわずか2年後に日本は敗戦を受け入れ、満州はソ連軍による略奪と陵辱の場となったのだが、この映画の中にはそんな暗い予感は微塵も見られない。
映画の大半は、音楽映画とも言うべき内容で、野外音楽堂でハルビン交響楽団(メンバーの大半は白系ロシア人)をバックに李香蘭が歌曲を歌うシーン、ロシアのバラライカ・アンサンブルの演奏、ロシア人によるオペラなど、貴重な映像が見られる。

ハルビン交響楽団については、岩野裕一氏が朝比奈隆の音楽活動を辿る中で、詳しく触れている。(岩野裕一「王道楽土の交響楽」下記参照)岩野氏も同書の中で触れているのだが、中国政府は満州国を「偽満州国」とみなして、その時代の関連文書、歴史資料を今なおいっさい公開していない。芸術活動でさえ例外ではなく、したがって、確かに実在したはずのハルビン交響楽団の活動などは、もはや分からなくなっている。

だが、この映画の中に、その幻のハルビン交響楽団が登場するではないか。岩野氏の著作にも感動したのだが、活字を読むだけではやはり限界があった。実物のフィルムを見ることで、さらにイメージを広げることができた。
昨年、瀋陽(旧・奉天)に行き、満鉄の超特急「アジア号」を見てから、大和ホテル、横浜正金銀行、朝鮮銀行の古いビルが残る広場に行ったが、周囲はここ10年に建てられたと思われる高層ビルが林立していた。中国人は、日本人が遺したものはすべて負の遺産と考えているから、利用価値がなくなったと思えば、直ちに取り壊してしまう。昭和モダン風の瀋陽の駅舎などは、もはや風前の灯火という感じがした。日本人が「満州」に遺した痕跡は確実に消えようとしている。

「五族協和」の「王道楽土」と言われた「満州国」だが、歴史的に肯定できるものではない。だが、その存在に触れないのもまた誤りだと思われる。映画には、これはロシア映画かと思うほど多くの白系ロシア人が登場する。彼らは、ロシア革命から逃れてきた人たちなのだが、日本が破れ、ソ連軍が侵攻してきたとき、逃れるところはあったのだろうかと思った。「満州国」がコミンテルンの世界革命を防ぐ緩衝地帯であったという主張は、あながち間違いではなかったのかも知れない。

満州映画を見ると、そのインターナショナルな感覚に驚く。戦後の日本がいかに萎縮し、アメリカに従属してここまで来たのかがよく分かる。今さらこんなことに気づくとは…。教えられていない歴史の中にこそ真実があるということか。

 
【私の鶯】チャンネルNECOによる解説文とデータ

1943年・満州映画協会=東宝映画・101分・モノクロ・字幕
監督:島津保次郎 原作:大仏次郎
出演:李香蘭 黒井旬(二本柳寛) 千葉早智子 進藤英太郎 グリゴリー・サヤーピンワシリー・トムスキー

満映(満州映画協会)時代の李香蘭が出演したミュージカル映画で、セリフも歌も殆どがロシア語という異色作。戦意高揚一色の当時、時流にそぐわないという理由から満州でも日本でも一度も公開されていない幻の作品。幼い頃、両親と生き別れになった満里子は、ハルビンで亡命ロシア人声楽家に育てられ、美しい娘に成長する…。





王道楽土の交響楽―満洲―知られざる音楽史
岩野 裕一
音楽之友社

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清朝美術品を返還請求した中国政府

2009年02月24日 12時55分37秒 | Weblog

中国政府が清朝時代の美術品の競売中止と返還を求めたが、フランスの裁判所はこれを棄却したというニュースが伝わっている。歴史上アジア・アフリカで数々の悪行を重ねたフランスとしては、植民地時代の過去をほじくり返されることを好まなかったのだろう。

ここで感心するのは、中国人の執拗さと歴史へのこだわりである。現在、中国の経済発展は著しいので、もし中国政府関係者がこのオークションに参加すれば、容易に落札できただろう。毛沢東時代であれば、手持ち外貨も少なく、抗議と非難だけしかできなかったはずなのだが、今は違うのだ。

だが、略奪された美術品を「筋を通して」返還請求した彼らの態度には見習うべきところが多い。西洋列強の理不尽なアジア侵略を身をもって体験した彼らは、決してそのことを忘れていないのだ。米国が広島、長崎に原爆を落としたことも忘れてしまいがちな日本人とは、全く違う人たちなのだ。今回のニュースは、「歴史を忘れない」という彼らの具体的な行動が、どういうことなのかよく分かる事例だと思われる。

こういう手強い人たちを相手に「南京大虐殺」などの「歴史認識」問題を争い続けなければならないのだ。このことは肝に銘じるべきだろう。

 

清朝略奪品のブロンズ頭部像公開 25日の競売前に、パリ

2009.2.22 00:55
 21日、パリの美術館で公開された略奪品のブロンズ製のネズミとウサギの頭部像(ロイター) 21日、パリの美術館で公開された略奪品のブロンズ製のネズミとウサギの頭部像(ロイター)

 英仏連合軍が1860年に第二次アヘン戦争に伴う北京侵攻で清朝の離宮、円明園から略奪したブロンズ製のネズミとウサギの頭部像が競売を前に、パリの美術館グラン・パレで21日、公開された。

 2つの頭部像は25日に競売にかけられる予定で、中国側は競売中止や返還を求めている。

 AP通信によると、ネズミの像は高さ約30センチ、ウサギの像は高さ約45センチ。落札価格は最高でそれぞれ約1300万ドル(約12億円)に達するとみられている。(共同)


朝日新聞社が脱税~第4の権力の傲慢

2009年02月23日 23時24分15秒 | Weblog

朝日新聞社の脱税が報道されている。

<朝日新聞社>4億円の所得隠し 出張費の過大計上など

2月23日19時24分配信 毎日新聞


 朝日新聞社は23日、東京国税局の税務調査を受け、出張費の過大計上などで約3億9700万円の所得隠しを指摘されたと発表した。調査の対象は08年3月期までの7年間で、ミスなどを含む申告漏れ総額は約5億1800万円。同社は修正申告を行っており、追徴税額は約1億3900万円に上るという。

 朝日新聞社によると、取材費の一部が交際費と認定されたほか、京都総局で出張費として計上された約1800万円が、実態のない「カラ出張」や過大計上だったため、架空経費として重加算税の対象となった。

 また、同社が負担する子会社出向社員の給与のうち、子会社が負担すべき約9500万円が朝日新聞社に戻されていなかったことなどが寄付金と認定され、申告漏れを指摘された。

 同社は同日、当時の京都総局長らを停職処分にしたほか、管理責任を問い東京、大阪、西部、名古屋の各本社編集局長を減給処分にした。同社広報部は「今後一層、適正な経理、税務処理に努めます」とコメントを出した。【高島博之】

霞ヶ関の「居酒屋タクシー」などと、さんざん役人を揶揄・攻撃していたマスコミの良心(?)朝日新聞がこのあり様とは「嗤っちゃうくらい呆れてしまう」だけだ。
このブログでは、第4の権力に鎮座するマスメディアの傲慢について再三触れてきたが、やはり氷山の一角が脱税という形で発覚した。

社会の木鐸を気取っていても、やっていることは役人と同じセコいことばかりではないか。むしろ、「民間」を気取るだけ新聞社の方が始末が悪いと言えるかも知れないのだ。「京都総局長らを停職処分にしたほか、管理責任を問い東京、大阪、西部、名古屋の各本社編集局長を減給処分にした」などというのは実に甘い処分だ。役所の方がずっと厳しいはずだ。身内に甘く、他者には文句ばかり言う、ゆがんだマスコミ根性を見せつけられた気がする。

くれぐれも、ご高説を宣う朝日の社説や「天声人語」に惑わされませぬよう…。


「支那の夜」(李香蘭主演)

2009年02月23日 12時16分45秒 | 音楽・映画

中川昭一がバチカン市国でどうこうとか、TVのワイドショーがごちゃごちゃ騒いでいる。本当にどうしようもないのは、TVではないかと私などは思うのだが…。

アホなTV番組はさっさと消して、東宝映画「支那の夜~蘇州夜曲より」(1940年 長谷川一夫、李香蘭主演)を見る。これはケーブルTVで「李香蘭」特集として放送されたものの1本だ。

http://www.youtube.com/watch?v=ahUr1fF7ISo

この映画のタイトル「支那」をワードあるいは一太郎で検索しても出てこないのだ。「支那」が「差別語」だからという理由で削除してしまったのだろうが、本当に情けないことだ。呉智英氏の著作を引用するまでもなく本来、「支那」はChinaから由来する漢語であって、差別語などではない。歴史的には、確固として存在した言葉であるので、親中国派から非難されることを恐れて削除するなどとんでもないことなのだ。
先年、中国で委託生産していた地球儀から「台湾」が国家として抜け落ちるという事件があった。これは中国当局の干渉だったのだが。日本側の弱腰は際だっていた。
日本のパソコン辞書では、「支那」も「中共」※も削除されている、この国とはいったい何なのかと考えてしまうのだ。
(※「中共」は、中国共産党の略語として有効。差別語ではない。)

さて、肝心の「支那の夜」だが、ストーリーは他愛のないもの。だが、上海・蘇州をロケした映画なので、今となっては貴重な映像が盛り込まれている。上海バンドの風景、寒山寺の境内などだ。蘇州のクリークは、今や観光スポット以外は消滅してしまったのはないかと思われる。
国策映画かなと思っていたが、説教じみた場面はさほど多くはない。
李香蘭は満州映画社の女優として紹介されている。昨年、瀋陽(旧・奉天)の大和ホテル(旧称)を訪れたので、とても身近に思えた。彼女の中国語は、発音がきれいで素晴らしかった。あまり美人には見えなかったが…。

こういう映画は、年寄りや好事家だけではなく、若い人も見るべきだと思った。当時の上海の映像を見ていると、ビリヤードを楽しみ、洋楽(映画では「シボネー」が繰り返し流される)を聴き、喫茶店でコーヒーを飲むような普通の生活があったことが分かる。今の上海とどこが違うのかと思うほどだ。
長い歴史の中では、むしろ毛沢東時代の中国が異様だったことが浮かび上がってくる。そんな思いがした。















 


原辰徳の言語感覚

2009年02月22日 19時23分10秒 | Weblog

WBCのメンバーが確定した。
西武の岸孝之投手、ソフトバンクの松中選手など5名が外されたが、原辰徳監督は「私は削る作業をしていない。28名をピックアップしただけだ」とコメントした。例によってよくわからないコメントだが、問題はその中身だ。

岸投手といえば、昨年の日本シリーズでこてんぱんにやられた相手ではないか。第6・7戦で連投する岸を攻略できなかったのだが、同時に巨人の投手交代がワンパターンで自滅したという印象も強い。原監督には柔軟な思考が欠けているのではないかとそのとき感じた。宿敵・岸を故障で外したというのなら分かるが、そういう情報は伝わっていないので、「何で?」と思うファンも多いだろう。
松中選手は、メンバー決定後のインタビューで悔しがっていたので、これもまた疑問がわく。まさか、松中が煙ったいからという理由で外したのではあるまいな…。

さらに問題となるのは、原監督の言語感覚。今日のコメントでも「コンディションは上向きの状態」などと言っているのだが、「コンディションは上向き」と言えばいい話なのに、意味の重複等、何かとまどろっこしい話し方をするのだ。
麻生首相も「基本的には…」「私の中では…」「…というものは、~ということでございます」といった冗漫な表現が多く、原監督との類似点が多い。

原監督がマジで自らを「指揮官」、選手を「サムライ」、チームを「サムライ・ジャパン」と思いこんでいるのなら、試合をやる前から負けたも同然だ。これでは頭の中は、麻生さん同様、マンガ状態ではないか
多分、イチローはすべてをお見通しだと思う。以前、彼は原監督の間違った発言で、真意を曲げられた苦い経験がある。脳天気な原サンは忘れても、彼ならきちんと覚えているだろうから…。



 



 


神谷不二氏が死去

2009年02月21日 12時46分33秒 | Weblog

神谷不二氏が亡くなった。

 朝鮮半島問題や日米関係の研究などで知られる国際政治学者で慶応大名誉教授の神谷不二(かみや・ふじ)氏が20日午前2時39分、急性心不全のため横浜市の病院で死去した。82歳だった。名古屋市出身。住所は公表されていない。告別式は24日午後1時から横浜市青葉区美しが丘2の21の4の公益社会館たまプラーザで。喪主は妻笑子(えみこ)さん。 慶応大教授、米コロンビア大客員教授、東洋英和女学院大大学院教授などを歴任。主な著書に「戦後史の中の日米関係」「現代国際政治の視角」など。1966年に出版された「朝鮮戦争-米中対決の原形」では、史料を基に同戦争を米国の政策遂行の側面から冷静に分析した。 日本学術会議会員を務めたほか、日本、北米、欧州から各界の民間指導者が集まる政策協議グループ「日米欧委員会」(現三極委員会)にも長年参加。保守派の論客としても活躍した。 


20年前、ソ連社会主義体制が崩壊するまでは、国際政治学者の世界は「現実派」と「進歩派」に二分されていたように思う。前者の代表は、高坂正堯(当時・京都大学)と神谷不二で、後者の代表格が坂本義和(東京大学)だったろう。

神谷不二氏の最大の業績は、朝鮮戦争を客観的に分析したことである。朝鮮戦争を巡っては、北朝鮮に肩入れする数多の類書が発刊されたが、年月を経て今なお読まれているのは皆無である。それはそうだろう、アメリカの謀略によって戦端が開かれたとする本が大多数だったのだから…。一方、当時「アメリカの資料を使った」と「左翼陣営」から批判された神谷氏の著作は、ソ連崩壊に伴う内部文書の公開で、その内容の正しさが証明された。
当時マスコミでは、北朝鮮を「朝鮮民主主義人民共和国」と呼ぶことが習わしとなっていて、韓国に対しては極めて冷淡だった。北は社会主義だから「善」、南は資本主義だから「悪」という、今思えば噴飯ものの議論がまかり通っていたのだ。

神谷不二氏のスタンスは終始一貫していて、多くの後継者を育てた。宮崎緑は特に有名だ。
「平和研究」で有名だった武者小路公秀氏(現・大阪経済法科大学教授)は、今や北朝鮮べったりの大学で、反米を吹聴している。彼の人生に何があったかは知るよしもないが、かつての氏を知るものにとっては、その変貌ぶりに驚くばかりだ。

人生それぞれだが、晩節は汚したくないものだ…。

 


 

 

朝鮮戦争―米中対決の原形 (中公文庫)
神谷 不二
中央公論社

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台北の孝女(泣き女)

2009年02月21日 02時23分35秒 | 台湾
NHK・BSで「孝女の涙」を見る。(”アジアン・スマイル”2月15日放送)
今や珍しくなってしまった”泣き女”を職業とする女性の物語だ。
台湾、香港などの華人社会では、葬儀の際に孝女(ハオルー)という”泣き女”を雇い、悲しみを際だたせるという慣習があるが、近代化に伴い次第に見られなくなってきた。

番組で紹介された”孝女”は、劉君玲という27歳の女性。両親を早く亡くしたため、11歳から葬儀場で働いていたというが、悲壮な感じは見られない。同業の恋人もいて、現在の生活は充実している。むしろ”孝女”をビジネスとして発展させようとするたくましさが印象的だった。

実は劉さんは、ディスカバリー・チャンネルで放送された「Discover woman 台北扁」でも紹介されている。こちらは23歳の頃のインタビューなので、2005年制作の番組(アメリカ制作)である。この番組では、国民党軍の元兵士が居住する地域を訪れて、台北はすべての人が仲良く暮らす「楽園」だなどと言わせているので、台湾の歴史など全く分かっていないのだと思った。

ふたつの番組で同じ女性が紹介されるということは、孝女(泣き女)も今や文化遺産になりつつあるということだろうか。




井上隆一氏(大東文化大学)の著作

2009年02月19日 20時25分52秒 | 中国
井上隆一氏(1910-1987)は、中国語学者で元・大東文化大学教授。
残念ながら現在、著作のすべてが絶版になってしまっているが、その中国および中国人に関する理解・認識の深さは、今なお輝きを失っていない。

「毛主席の袖」「中国の風と光~中国に暮らして」というふたつの著作は、戦前の中国体験に基づいて書かれたエッセイ集だが、日本人とは全く異なる中国人の人生観、生活感覚が詳しく記録されていて、時代を超えた今なお教えられることが多い。

1960-80年代初期までに書かれた日本人の中国論は、もはやゴミ箱入りになったものが圧倒的に多い。それらは特定のイデオロギーに基づき、「新中国」に夢を仮託したに過ぎず、本当の中国を見ていなかったためである。本ブログでも採り上げた安藤彦太郎氏(元・早大教授)などはその典型である。

井上隆一氏は、中国人というものを知り尽くし、心から中国を愛した。それはイデオロギーとは無縁だったので、時代を超えることができるのだ。
教育者としても、多くの学生に「本当の中国」を知らしめる努力を惜しまなかった。今なお氏の面影を偲ぶ人は数多い。

ぜひ、著作の再刊を期待したい。



鉄道游撃隊 (1980年)
知 侠
竜渓書舎

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毛主席の袖 (1974年)
井上 隆一
明治書院

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中国の風と光と―中国に暮らして
井上 隆一
白帝社

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陳綺貞のニュー・アルバム「太陽」

2009年02月18日 09時42分12秒 | Weblog
台湾の人気シンガー・ソングライターである陳綺貞のニュー・アルバム「太陽」(Immortal)を入手、早速聴いてみた。



このアルバムの制作風景については、すでにシンガポールのファン・サイトで映像が紹介されている。音楽工房のようなスタジオで、手作りのような感じで制作されたアルバムだ。
トータルな印象は、シンプルかつ心温まるという感じ。語りかけるような彼女の歌声が、全曲を通じて心に残る。こういう中国語(北京語)の発音は、実に心地よく響く。
曲目は次のとおり。いつものように、日常の恋愛を歌っている。


01 手的預言

02 狂戀

03 太陽

04 魚

05 距離

06 倔強愛情的勝利

07 失敗者的飛翔

08 下個星期去英國

09 另一種平靜

10 煙火

11 一首歌,讓你帶回去


太陽

TEAM EAR MUSIC

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groupies吉他手(台湾盤)

ロックレコード

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「近代日本と台湾」(春山明哲著)を読む

2009年02月17日 01時55分01秒 | Weblog
このところ、台湾関係の本を何冊か読んだ。その中の1冊が「近代日本と台湾~霧社事件・植民地統治政策の研究」(春山明哲著 藤原書店 2008年)である。


近代日本と台湾―霧社事件・植民地統治政策の研究
春山 明哲
藤原書店

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本書は、第1章「霧社事件と日本人」、第2章「台湾統治政策の展開ー原敬・後藤新平・岡松参太郎」、第3章「日本における台湾史研究の回顧と展望」に分かれている。
日本近代史などまともに勉強していない私なので、第3章から読み始めたが、台湾史研究の発展過程や後藤新平について詳しく知ることができた。
「霧社事件」については、昨年、花蓮の資料館を訪れたときも展示があったので、ずっと気になっていた。この本を詳しく読み込みたいと思う。

著者は国会図書館に長らく勤務、本来は理系(化学専攻)の人なのだが、自らの生い立ちとも関連して、ほとんど顧みられなかった台湾研究を志した。その集大成とも言えるのが本書である。
確かに、イデオロギーを振りかざした中国研究書は星の数ほど出版されたが、本書のような台湾研究は極めて珍しい。

著者は次のように述べる。
「わたしに多少”歴史観”というものがあるとすれば、そこには”ナショナリズム”の契機が非常に希薄だということである。植民地主義が悪であるとしても、”日本人”として私が”反省”しなければならないとか、”台湾人”として日本の過去を弾劾するとか、”中国人”として歴史を鑑にせよ、とか主張する気はまったくない」(p398)

この記述からも分かるように、著者は台湾と日本の両方の血を引いているのだ。

基礎知識に乏しい私には攻略が難しい大著だが、著者の情熱ははっきりと伝わってくる。


世襲政治家と官僚制

2009年02月16日 08時13分14秒 | 政治

「小泉ショック」だとかで、マスメディアは大騒ぎ。
「漢字が読めない首相」「ブレる首相」などと麻生首相をさんざん叩いてきたマスメディアは、小泉・元首相の「やらせ会見」にまんまと乗っかって、「小泉劇場」の再演に手を貸している。
”弱肉強食”を肯定した小泉政治の弊害は、今やあちこちに露呈しているのに、それを批判することなく、再び小泉マジックにだまされるとは…。

そこで考えたいのは、政治家、マスコミ人、官僚には、どんな人達がなるのかということ。
麻生内閣の大半が世襲政治家なのは、よく知られている。地盤、看板、カネがなければ、政治家にはほぼなれない。
マスコミはどうか? TV局、新聞社、通信社などの大手マスコミには、大量のコネ入社社員があふれていることは、あまり知られていない。さすがに記者職は優秀な人材を集めているようだが、それ以外はコネ入社が多いのだ。「みのもんた」がいくら役人叩きを繰り返しても、自分の息子をTBSに「コネ入社」させた事実は、口が裂けても言わないだろう。それを知れば、みんな白けてしまうからだ。

一方、官僚はどうか? もちろん、国家公務員第1種のことだが、この試験では、コネ入社のようなことはあり得ない。人事院による試験制度が確立していて、恣意的な選抜はできないようになっているからだ。公務員制度改革問題を巡って、人事院総裁が麻生内閣に異議を唱えているのは、誰にでも開かれた公平な制度を政治の圧力から守ろうとする意思の表れとも言えよう。
出自がどうあれ、東大法学部を出て、試験で優秀な成績をとれば、コネがなくてもきちんとキャリア官僚として採用される。これは明治以来、優秀な人材を確保するための伝統的な手法、すなわち官僚制だった。

「官から民へ」などという言葉に「そうだ、そうだ」と付和雷同している庶民は、「民」がそれほどフェア(公正)だとでも思っているのだろうか。何のコネもない「無告の民」は、それこそ不正のない公務員試験のほうが理想なはずなのだが…(!?)

マスメディアによる公務員バッシングが毎日のように続いている。皮肉な言い方をすれば、日本で最も能力があり実力本意で採用された優秀な人材が、コネで入社したマスコミ関係者の嫉妬の餌食になっているようにも見える。
公務員になると、、うかつには個人の本音を言うことはできない。官僚制度の本質からすれば当然のことだ。「反論ができない」ことをいいことに、公務員バッシングを続けるマスメディアの汚さを指摘する声はほとんど聞かれない。
不況になり、不平不満が蔓延してくると、必ずやスケープゴートが必要となる。今や公務員は格好のターゲットだ。これは、マスメディアがポピュリズム(大衆迎合)に堕した結果ではないか。

GDPが12ポイント以上も下がったという速報をみるにつけ、「小泉第2劇場」を煽るマスメディアが、ますます救いがたく罪深く思えてくる。

あの舛添要が大臣になる前に「麻生も細川もバカ殿」「学習院や成蹊出には、この国は任せられないよ」と放言したのも、ある意味では真実を突いている。確かにそうだ、自分の実力だけで東大助教授・国会議員になって、麻生内閣の閣僚となったのは、彼一人なのだから…。





 



 


台湾人が見る八田與一~「世界ふしぎ発見!」

2009年02月15日 12時44分59秒 | マスメディア

TV番組「世界ふしぎ発見!」で「台湾縦断グルメ大紀行」が放送された。
その中で、旧台湾総督府の技術官僚・八田與一の業績が紹介されていた。
彼は、台湾南部の嘉義(かぎ)に烏山頭ダムを造り、周辺の荒野を肥沃な穀倉地帯に変えた人物である。今では、台湾の中学校教科書に功績が掲載され、台湾人は皆知っている人物でもある。

ところが、日本では、戦前の歴史がきちんと教えられていないので、知る人も少ない。それと、左翼気取りの歴史教師から「戦前の日本はすべて悪いことをした」というイメージが刷り込まれているためか、とにかくステレオタイプでしか物事を見られなくなっているようだ。
このブログでは、再三台湾について書いているが、私が尊敬する教養ある知人でさえ「日本帝国主義の植民地支配を反省することなく、日本もよいことをしたなどと言ってはいけない」とアドバイスをしてくれた。

しかしながら、先日「ディスカバリー・チャンネル」で放送されたシリーズ番組「知られざる台湾」(英国制作)を見ていたら、日本が台湾の社会開発に果たした役割を高く評価しているではないか。台湾の学者、企業家などにインタビューして、日本の植民地統治が収奪や抑圧といったものではなかったことを伝えていた。
欧米の言うことなら信じる方々は、ぜひ、この番組を見ていただきたいと思った次第だ。

「世界ふしぎ発見!」では、戦前「全国中等学校野球選手権全国大会」(現在の高校野球甲子園大会)に出場し、決勝まで残った「嘉義農林」のメンバーが出演していた。チームは、台湾人、日本人、先住の台湾人の混成チームだったそうで、現在の「嘉義大学」野球部もその伝統を引き継いでいるそうだ。メンバーはもう80歳半ばだが、皆、日本時代を誇りに思っているようだった。

台湾は長らく「ひとつの中国」というイデオロギーに翻弄されてきた。日本が台湾から去った後、台湾を支配したのは「大陸光復」を叫ぶ中国国民党独裁政権だった。彼らは大陸から敗走してきたにもかかわらず、「ひとつの中国」に固執し、日本統治時代を経験した台湾人を見下した。学校教育では「大中国主義」を教え、台湾の歴史や文化を教えることなどなかった。子供達は学校で「日本帝国主義はこんなわるいことをした」という授業を教わったのだが、家に帰ると両親が「そんなことは嘘だから、信じてはだめだよ」と諭したというエピソードが広く伝えられている。

1990年代、李登輝氏が民主選挙で総統に選ばれると、ようやく人々は「台湾人であること」のアイデンティティに触れることができるようになったのだ。国民党独裁時代には、地元の人によって匿われていた八田與一の記念碑が、再び飾られるようになったのもその頃である。

その台湾も、日本時代を知る人は年々少なくなり、大陸中国の影響はますます強まっている。大陸中国の「大中国主義」「中華愛国主義」が台湾を覆い尽くせば、再び八田與一までが「日本帝国主義の走狗」として罵られることになるだろう。
自分の都合で歴史解釈を曲げる人は、日本にも大陸中国にも大勢いるのだ。

現在の台湾人が持つ親日感情が損なわれるようなことがあれば、それは日本人にとってかけがえのない友邦を失うことなのだ

たかがクイズ番組といっても、上記のようなことを考えさせる、とってもいい番組だった。TBSが制作したとは思えないほどだった。

【ウィキペディア】より 「八田與一」について

日本よりも、彼が実際に業績を挙げた台湾での知名度のほうが高い。特に高齢者を中心に與一の業績を評価する人物が多く、烏山頭ダムでは與一の命日である5月8日には慰霊祭が行われている。また、現在烏山頭ダムにある與一の銅像はダムの完成後の昭和6年(1931年)に作られたものであるが、中華民国蒋介石時代に日本の残した建築物や顕彰碑の破壊がなされた際には、地元の有志によって隠され、昭和56年(1981年)になって再びダムに設置されるようになった。このように與一が顕彰される背景には、業績もさることながら、土木作業員の労働環境を適切なものにするため尽力したこと、危険な現場にも進んで足を踏み入れたこと、事故の慰霊事業では日本人も台湾人も分け隔てなく行ったことなど、彼の人柄によるところも大きく、エピソードも多く残されている。

現在でも中学生向け教科書『認識台湾 歴史篇』に八田與一の業績は詳しく紹介されている。平成16年(2004年)末に訪日した李登輝台湾総統は(農業経済学者でもある)、與一の故郷金沢へ訪問した。

2007年5月21日に陳水扁総統は八田與一に対して褒章令を出した。また馬英九次期総統も、2008年5月8日の烏山頭ダムでの八田與一氏の慰霊祭に参加した。

日本においては、土木・水利研究者を除いてあまり知られていないが、司馬遼太郎の『街道をゆく』や小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言スペシャル・台湾論』などで取り上げられている