「知られざる東台湾~湾生が綴るもう一つの台湾史」(山口政治著 展転社 平成19年)を読む。
大正13年、台湾の花蓮に移民の家族として生まれた著者は、今なお現地の人々と親密な交流を持つ。表題の「湾生」とは、台湾生まれのことである。
台湾では現在、映画「海角7号」が大ヒットしているが、この映画は60年前、敗戦によって日本人が台湾を去る帰還船の光景から始まる。そこでは今なお、日本との”絆”が肯定的に描かれているのだ。
何故、これほどまでに台湾人が「親日的」であり続けるのか。私自身、花蓮を2回訪れ、ガイドさんや土地の人々にとてもよくしてもらった思い出がある。花蓮市内には、市の指定史跡として旧・日本人住居や駅舎がきちんと保存されている。説明文には、日本統治時代の記録が正確に記されていた。
(旧・日本人住居;花蓮市の文化財として保存されている)
(花蓮鉄道博物館:日本統治時代の鉄道資料を展示している)
(花蓮の公園に展示されている日本時代のSL)
日本統治時代の台湾については、さまざまな本が出されているが、本著のように「東台湾」、すなわち太平洋に面した台湾の東部分に光を当てた著作は珍しいはずだ。花蓮を中心とする「東台湾」は、台北から高雄まで新幹線が走るようになった西部と比べて、今なお開発が遅れている。太平洋岸を縦断する鉄道が全線開通したのが、実に李登輝時代の1992年になってからなのだ。「東台湾」の自然・地理的条件がいかに厳しいか分かるだろう。
(花蓮地方の地図)
(海岸の絶景:昭和初期の写真)
(台湾先住民族の地理分布)
台湾には、九つの先住民族が居住していて、大正時代に至るまで「首狩り」の風習が残っていた。特に「東台湾」は大陸中国の歴代王朝が支配を及ぼしたことはなく、ずっと「化外の地」として扱われきた。先住民族の「平定」、保健衛生、教育の普及、産業振興などは、すべて日本統治時代になってから行われたことに注目したい。
李登輝氏は「もし清朝・中国が台湾を領有していたら、今の台湾はありえず、海南島と同じだったろう」と言ったことがある。台湾の近代化に日本が果たした役割は我々が思う以上に大きかったのだ。
本著では、使命感に燃えて台湾を「日本」に一体化させようとした先人の事例が数多く採り上げられている。それらは「公の精神」と「情熱」にあふれていて、思わず胸にこみ上げるものがある。「植民地支配は悪」というようなステレオ・タイプの認識では割り切れない、圧倒的な台湾への「思い」をそこに感じる。
現地に居住していた方々が記した数々の回顧録や写真からの引用は、具体的な迫力で読者に迫ってくる。振り返れば、「ひとつの中国」を巡る不毛な「中国論」「日中友好運動」が跋扈する中で、ひたすら時は流れ、『台湾』は置き去りにされた。本著のような体験を持つ世代は、もはや80歳を越えるに年齢となった。残された時間は少ない…。
本著を読み「台湾は台湾である」という事実を再認識する。何故台湾人が「親日的」であるかという疑問も読み解くことができた。
経済的野心や歪んだイデオロギーによって「大陸中国」に肩入れし、これ以上台湾を見捨てるようなことがあってはならない…と心から思うのだ。
(花蓮近郊;日本人が開拓した吉野村:著者の生まれ故郷)
※ 日本統治時代の写真および地図については、上掲「知られざる東台湾」より引用させていただきました。