澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

田母神候補潰しか? 東京都知事選報道の怪

2014年01月24日 20時08分27秒 | マスメディア
 都知事選がスタートして、気づいた奇妙な報道。公示の時点では、細川護煕、舛添要一、宇都宮健児、田母神俊雄の四候補に、ドクター・中松が添えられるという図式で、報道が進められてきた。(下記参照)ところが、昨日午後あたりから、家入一真が加えられ、主要候補六人という図式に変わった。

 NHKの特集番組では、早速、この六候補に”平等に”政策を訊き、一覧表とした。ところが、原発政策に関してドクター・中松が「新しいエネルギーを発明して対処する」と回答。家入候補は「ネットを通じて政策を作っていく」としていたが、両者とも主要四候補には到底及ばない内容だった。

 
 なぜ、主要候補が四人から六人に増えたのか?直ちに思いつくのが、田母神候補の立候補だ。田母神候補が”ブーム”を巻き起こし、予想以上の得票をすることをマスメディアは警戒しているのだろう。

 新たな国家観、危機管理体制の構築を訴える田母神氏は、「平和」「市民」「共生」などと言い続ける「朝日」「毎日」「TBS」などの「亡国」マスメディアにとっては、不倶戴天の敵。それ故、田母神氏出馬の衝撃をできるだけ弱めようと、わざわざドクター中松、家入という二候補を「主要候補」に加えたに違いない

 六候補以外の「泡沫候補」には、統合失調症で入退院を繰り返し、先年、某所で包丁を振り回し逮捕された人物が立候補している。いくら「朝日」「毎日」でも、さすがにこの候補の”政策”までまともに採り上げてはいない。だが、田母神候補を潰すためなら、手段を選ばないという感じなので、今後の報道には要注意だ。


候補者、新宿、渋谷で「第一声」 街頭で支持訴える

2014.1.23 12:16 [東京都知事選] 産経


新宿駅前には演説を聞こうと大勢の人が集まった=23日午前、東京都新宿区(撮影・大橋純人) 


 首都のリーダーを決める東京都知事選が23日、告示された。候補者は1千万都民にどう政策を訴えていくのか。候補者は各地で「第一声」を上げた。

 「脱原発で、原発ゼロで、新しい再生エネルギー大国日本を目指していく」。元首相の細川護煕氏(76)は政見放送収録のために訪れた東京・渋谷のNHK前で報道陣にこう語った。午前11時20ごろからは小泉純一郎元首相(72)とともに西新宿の都庁前で第一声。東村山市の無職男性(65)は「脱原発政策に期待したい」と期待を込めた。

 元厚生労働相の舛添要一氏(65)は午前10時半にJR新宿駅西口で「東京都知事の仕事とは都民の命と財産を守ること。全力で皆さんが安心して暮らせる街をつくれるように仕事をしていきたい」と声を張り上げた。約100人の聴衆を前に「世界一の都市と2020年に史上最高の五輪を実現するため、何としても負けるわけにはいかない」と支持を訴えた。

 元日弁連会長の宇都宮健児氏(67)=共産、社民推薦=は午前10時半、JR新宿駅近くの新宿アルタ前で演説開始。「弁護士としての経験を生かし、お年寄りも若者も、女性も男性も、障害がある人もない人も希望を持って生きられる世界一働きやすい街をつくりたい」と意気込んだ。

 元航空幕僚長の田母神俊雄氏(65)は靖国神社に参拝した後、午前10時すぎ、JR渋谷駅北口のハチ公前広場で第一声。元都知事の石原慎太郎日本維新の会共同代表(81)が応援に駆けつける中、「大規模災害が起きたとき、私の自衛隊における経験が役に立つはずだ」と強調した。

 田母神氏の後に発明家のドクター・中松氏(85)が演説開始。渋谷区の自営業、山中博史さん(79)は「同年代の候補として、社会福祉の充実を期待したい」と話した。
















歴史のifを探る

2014年01月16日 09時24分58秒 | 歴史

 「歴史にifはあり得ない」とよく言われるが、かといって「歴史的必然」もありえない。歴史上、政治指導者の決断が国の命運を分けた事例は数多く見られる。最近「日中十五年戦争史」(大杉一雄著)を読んで、愚かな指導者、大衆迎合の新聞が国を滅ぼしたのだと痛感した。
 折しも、アジテーター政治家・小泉純一郎があの「バカ殿」細川護煕を呼び寄せて、東京で大衆迎合劇第二幕を準備中。いったい、この国はどこへ行くのか?


大破局は避けられたのか? 

 「満洲事変」は、戦間期の「相対的安定期」と言われた国際秩序を崩壊させる最初の事件となった。
 敗戦の報を知って、甘粕正彦は満州映画社の黒板に「大ばくち、元も子もなく、すってんてん」と書いたという。(山室信一著「キメラ」 中公新書)「満洲事変」が日中戦争に発展し、さらには太平洋戦争につながり、国家、民族を破滅の淵まで追い込んだ。その「大ばくち」に賭けた戦争指導者は、あまりに無責任であり、無能だと言わなければならない。
 「日中十五年戦争史」(大杉一雄著 中公新書)が特徴的なのは、歴史に於けるIfをあえて問うていることである。例えば、満蒙問題は、関東軍の暴走を軍中央が追認し、さらに政府を動かすというような「不正規」な方法で「解決」されてきたが、もし、陸軍中央の「満洲問題解決方策の大綱」のようなオーソドックスな方法により国策が遂行されていれば、現地軍の統帥権無視はあり得なかったという。「戦争行為が日本国家の確定された統一意志によって始められてるとすれば、武力行使範囲の限定、戦争終末指導、国際関係への配慮などの点において、クーデターまがいの関東軍独奏方式よりも、はるかに合目的的な政策・作戦の選択が可能となったはずである。」(pp73-75)
 このifは、本当にあり得たifなのだろうか? 「五・一五事件」が起きたとき、犯行の動機が純粋、愛国の至情という同情論が圧倒的で首謀者への処罰はほとんど無かった。この事件に関する司法、陸軍、海軍三省の共同声明は、犯人を断罪するのではなく、「…この行きづまりの根元は、政党、財閥、および特権階級たがいに結託し、ただ私利私欲にのみ没頭し、国防を無視し、国利民福を思わず、腐敗堕落したるによるものなり」とした。これに関して、猪木正道は「1933年頃の日本人がすでに発狂していたと断定しなければなるまい」とまで記している。(「軍国日本の興亡」p.202)
 政府、司法当局までこのような有様だったとすれば、冷静な戦略的思考に基づく紛争解決など、到底なしえなかったと思わざるをえない。

「フランコのスペイン」になれなかった日本

 本書の「あとがき」には、興味深いことが書かれている。日本と同じ枢軸国側にいたスペインは、第二次世界大戦に参加しなかった。その結果、スペインは戦禍から免れ、フランコ体制は1975年まで続いた。ちなみに私にとっても、フランコ総統とサラザール首相(ポルトガル)の名前は、子供心にもお馴染みだった。日本は、このスペインのように何故できなかったのかという問いである。
 敗戦後の日本は「民主主義」国家になり、今やスペインよりずっと豊かだ。結果オーライなのだから、そんなことはどうでもいいという考えもあるだろう。だが、「戦争の犠牲、敗戦による外国からの強制」を受けることなく、ファシズムから民主国家に転換したスペインの軌跡は、歴史の教訓として思い起こすべきだろう。スペインのような「静かな革命」が可能だったのならば、広島、長崎の悲劇は避けられたのだから。
 だがもちろん、ここには人種的、宗教的な問題が立ちはだかる。非キリスト教、非白人国家である日本が、同じことをできたとは到底思えない。近代以降の「国際秩序」は、欧米人によって造られたのであり、日本は「強いられた近代」を上手に成し遂げただけなのだ。
 結局、歴史のifは、堂々巡りで日本の特異性にたどり着く…。

満洲と台湾について

 7年ほど前、瀋陽、大連など旧満洲を旅行した。錆び果てた「あじあ号」にかつての雄姿を見ることはできず、満鉄本社では「偽満洲国」への非難、日本帝国主義に対する批判をイヤと言うほど見せられた。日本の学校教育でも、満洲国に関しては中国側の主張と同様に教えられているはずだ。
 平野聡の著作によって初めて、私は「清朝の最大版図」が「中華民国の版図」と読み替えられたプロセスを知った。伝統的秩序と近代国家体系との巧みなすり替え!孫文も毛沢東も唱えた「中華民族」「ひとつの中国」は、いまも習近平の「中華民族の偉大な復興という中国の夢」に繋がっている。日本人から見れば、それは強迫観念と言っていいほどだ。中国がひとつであらねばならないという概念が、「中国人民」を幸福にしたことなど一度もないのにもかかわらず…。
 満洲に日本が遺した膨大な資産、インフラが「人民中国」の復興にどれだけ資するところがあったのか?戦後ずっとこのような疑問は、「反中国的」「反省が足りない」として無視されてきた。歴史学界においても、満洲をテーマとする研究はタブー視される時代が長く続いたという。
 その結果、日本人の満洲体験は、次の世代に引き継がれることもなく、風化してしまった。これを喜ぶのは、他ならぬ中共当局だろう。結局、戦後日本は、歴史認識の問題をおざなりにして、都合のいい部分だけを国民に教えてきた。一方、中国は、鎖国下の思想統制でナショナリズムの高揚を図ってきた。そして両者の交差点となったのが、あの尖閣事件だった。
 一方、李登輝以降の台湾においては、歴史を価値中立的に教えようとしている。年末、高雄の旧台湾精糖高雄工場(現在は台湾精糖博物館)を訪れたが、そこには「台湾砂糖の父」として新渡戸稲造の胸像が飾られていた。
 このように「親日的」な民主主義国家・台湾を「中国の一地域」として扱う、NHKなどのマスメディア。「道義的」に正しかったはずの「日中国交回復」が、今や歴史のアイロニーと化してしまった。もし、我々に正しく「国民のための世界史」が教えられていたならば、このような愚挙を犯す国にはならなかったはずだ。近現代の歴史の糸は、もつれながら今に繋がっていると痛感する。