今頃、由紀さおりが、何故か米国、カナダ、ベルギーで人気が出ているという。「日刊ゲンダイ」によると、「由紀は今年、世界的人気のジャズ・オーケストラ「ピンク・マルティーニ」とのコラボレーションアルバム「1969」を世界20カ国で配信。これは収録曲の大半を日本語で歌っているにもかかわらず、11月2日付のiTunesジャズ・チャートとカナダiTunesチャート・ワールドミュージックで1位を獲得。ギリシャのIFPI総合アルバム・チャートでも4位に食い込んだ」という。また、「1969年に『夜明けのスキャット』はオリコンの年間ヒットチャートで1位の大ヒットになりました。当時と現在は、歴史的な転換期・混迷期という意味で状況が似ているかもしれない。こういう時代に、由紀さおりの透き通った歌声がハマるのでしょう。言葉の壁を越え、世界中の人々に癒やしを与えているのだと思います」と締めくくっている。(下記の記事参照)
由紀さおりが国外で人気が出たのは、喜ばしいことだが、「夜明けのスキャット」を国外で歌うことには違和感がある。
オジン、オバンの洋楽ファンなら周知のことだが、この「夜明けのスキャット」(いずみたく作曲)は、サイモン&ガーファンクルのヒット曲「サウンド・オブ・サイレンス」の盗作なのだから。
Wikipediaで確認すると、「サウンド・オブ・サイレンス」は、米国で1965年にリリースされ、1966年年初に週刊チャートで1位、そして1966年の年間チャートで25位を記録している。「夜明けのスキャット」は、「サウンド・オブ・サイレンス」がヒットしたほぼ2年後、TBSラジオの「夜のバラード」という番組のテーマとして作曲された。作曲家・いずみたくにとっては、数年前、日本でもヒットした「サウンド・オブ・サイレンス」を”軽い気持ち”でパクって作曲したということだったろう。だが、一時期忘れ去られていた、この「サウンド・オブ・サイレンス」は、1968年6月に公開された映画「卒業」の中で使用され、再び脚光を浴びることになった。これは、いずみたくにとっては、予想外の出来事だったはずだ。そして、「夜明けのスキャット」もまた人気が出て、1969年の年間ヒット・チャートの第一位を記録する。
両者を聴き比べれば、「夜明けのスキャット」が「サウンド・オブ・サイレンス」のパクリであることは明白だ。
「サウンド・オブ・サイレンス」
「夜明けのスキャット」
こんな明白な「パクリ」(あえて「盗作」とは言わないが)の曲を欧米諸国で歌ってほしくないと思うのは、私だけか。これでは「パクリ」大国・中国のことを嗤うことなどできないではないか。
gooのQ&Aには、次のような書き込みが見られる。
「夜明けのスキャット」という曲は、なぜヒットしたのですか
「夜明けのスキャット」という曲がビートルズの時代にヒットしたという事ですが、なぜヒットしたのですか。
曲を聞きましたが、のんびりした感じで、わくわくしない曲ですけれど、どうしてヒットしたのかを知りたいのですが。
夜明けのスキャットはサイモン&ガーファンクルのサウンド・オブ・サイレンスのパクリ?です。
これを見ると、私の意見は、独りよがりではないことが分かる。由紀さおりが歌う「1969年」は、「夜明けのスキャット」がヒットした年。この年は、学園紛争が最高潮に達し、東大、東京教育大学(現・筑波大学)の入試が中止になった。このころ、青春時代を送った世代にとっては、「夜明けのスキャット」は懐かしい歌というよりも、悪夢を思い出させる亡霊のような歌と言っていい。しかも、当時の日本は、今の中国のように平気で米国産品をパクッていたという、動かぬ証拠がこの曲だ。今になって、由紀さおりが外国で「夜明けのスキャット」を歌うことは、「国辱」に近い行為だと言っておく。このことを当時を知らない世代に伝えなければならない。
【話題の焦点】由紀さおり 海外で大人気の不思議
日刊ゲンダイ 11月13日(日)10時0分配信
<混迷の時代にスキャットがハマる?>
なぜ、今頃になってブームなのか。歌手の由紀さおり(62)が、海外で大人気になっている。
由紀は今年、世界的人気のジャズ・オーケストラ「ピンク・マルティーニ」とのコラボレーションアルバム「1969」を世界20カ国で配信。これは収録曲の大半を日本語で歌っているにもかかわらず、11月2日付のiTunesジャズ・チャートとカナダiTunesチャート・ワールドミュージックで1位を獲得。ギリシャのIFPI総合アルバム・チャートでも4位に食い込んだ。
10月17日には、ロンドンの音楽の殿堂「ロイヤル・アルバート・ホール」でライブも行った。代表曲「夜明けのスキャット」などを披露し、聴衆からスタンディングオベーションを受けたという。12月には米ツアーも予定されている。
この人気アルバム「1969」のタイトルは、由紀が「夜明けのスキャット」でメジャーデビューを果たした年のこと。自身の曲のほか、「いいじゃないの幸せならば」「ブルー・ライト・ヨコハマ」など1969年のヒット曲をカバーしている。
1969年といえば、アポロ11号が人類初の月面着陸を刻んだ年だ。未来への希望が広がる一方で、前年の「プラハの春」の影響で、世界情勢は混迷していた。日本国内では、安田講堂攻防戦で東大入試が中止になった。証券不況を経て高度経済成長に陰りが見え始めた時期でもある。
「1969年に『夜明けのスキャット』はオリコンの年間ヒットチャートで1位の大ヒットになりました。当時と現在は、歴史的な転換期・混迷期という意味で状況が似ているかもしれない。こういう時代に、由紀さおりの透き通った歌声がハマるのでしょう。言葉の壁を越え、世界中の人々に癒やしを与えているのだと思います」(音楽情報誌ライター)
ル~ル~ルルル……。
(日刊ゲンダイ2011年11月10日掲載)