澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

星野仙一よ、恥を知れ!

2008年08月25日 18時27分32秒 | Weblog

北京オリンピックで大敗北を喫し、監督としての資質が問われている星野仙一が、今度はWBCの監督に色気をみせているという。

北京での記者会見では「敗軍の将、兵を語らず…」とか言って、体よく逃げたのに、帰国後は、「ストライクゾーンが選手には可哀想だった」などと責任転嫁を開始し、ついにはWBCで「リベンジ」だそうだ。


年上の財界人などに受けがよく、ハンサムで弁も立つということで、マスコミにも顔が広い星野だが、今回、北京の試合を観ていて、意外な盲点が目立った。①国際性がない、②派閥意識が強い、③柔軟な思考ができない、ということだ。

審判に抗議したと思われ、退場を命じられたことがあったが、そのときのうろたえぶりは、普段の星野ではなかった。あの一件で、通訳がいなければ、「NO!」ひとつでさえ通じないということが分かってしまった。別の試合では、間抜けな審判のおかげでスリー・アウトになったのに、さらに試合を続けるという椿事があった。それを星野はなにひとつ抗議できなかったのだ。きっと明治大学では、英語を教えなかったのだろう。


派閥意識というのは、川上憲伸、岩瀬、上原の重用だ。「オレが目をかけているんだから…」ということだろうが、明治大学後輩の川上はいまやポンコツ、岩瀬は中日つながりだが、上原はなんと巨人の2軍からの登用だ。「島岡イズム」だか何だか知らないが、明治大学野球部の頭の程度と「浪花節的人間関係」が透けて見える。また、山本、田淵のコーチ起用については、野村監督が「仲良しトリオを選んだ段階で、今回の結果は予測できた」と発言している。野村監督は遠慮しているのだが、本当は「三バカ・トリオを選んだ段階で…」と言いたかったに違いない。


素人が見ていても分かる、バカの一つ覚えのような選手起用。あれはもう、脳梗塞の一歩手前だと思う。

こんな星野が、WBCの監督だって? 個人的な「リベンジ」のために、またまた日本チームを敗北に追いやるつもりなのか? スター気取りもいい加減にしろと言いたい。

今回の敗北で、星野の化けの皮はすっかり剥がされた。「星野ジャパン」などと持ち上げた、バカ・マスコミも同罪だ。

星野クン、キミは監督失格なのだ!! 余人はいくらでもいるよ、心配しなくても。


会社にもよくいるよなぁ、こういう偉そうなバカ・オヤジ。こういうのが組織をダメにしていくんだぜ!


北京五輪シンクロ・スイミングとピアノ協奏曲「黄河」

2008年08月23日 17時53分46秒 | Weblog

北京オリンピックのシンクロナイズド・スイミング(チーム)で懐かしい曲を聴かされた。中国チームの演目で流された、ピアノ協奏曲「黄河」である。

この曲は、もともと「黄河大合唱」という合唱曲を素材に、ピアノ協奏曲に編曲された。ピアノ協奏曲といっても、全4楽章で20数分という小曲で、楽曲としては陳腐な作品である。


だが、この曲には、政治的意図が含まれていた。文化大革命期(1966-76)に、毛沢東夫人である江青の後ろ盾で作られた作品(「中国中央楽団」集団制作といわれた)であり、毛沢東の個人崇拝を図り、江青率いる「文革派」の勢力拡大を意図するものであった。

第1楽章は黄河の夜明けで始まり、最終楽章は当時の「文革讃歌」であった「東方紅」をアレンジし、毛沢東が「新中国」を創ったと歌い上げるという内容だ。

当時、作曲家・芥川也寸志、評論家・中島健三などの「文化人」が、この曲を大いに礼賛していた。
この曲をレコーディングし、来日公演も行ったピアニスト・殷誠忠は、文革派と目され、文革後は米国への亡命を余儀なくされた。
なお、ユージン・オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団もこの曲を録音している。


それから40年余が過ぎ、北京オリンピックでこの曲が流れるとは夢にも思わなかった。
開会式の「口パク」で有名になった「歌唱祖国」という歌も文革期に歌われた、独裁者礼賛の歌曲であったが、こういう曲が今なお公式の場で唱われていることを、どう解釈すればいいのか。


「黄河」というタイトルは、中華文明を指している。だが、この中華文明は、「漢族」の文化を指すのであって、それ以外の「蛮族」は含まれない。また、「毛沢東が現れ、中国を救った。人民に幸せをもたらす救いの星である」という「東方紅」の歌詞は、個人崇拝の極致である。
21世紀のオリンピックには全くそぐわない曲であることは言うまでもない。


中国共産党幹部は、しばしば「日本人の歴史認識」を問題にする。だが、この「黄河」をオリンピックで聴かされると、数千万人が犠牲になった「文化大革命」を中国人自身が全く「総括」「反省」していないことは明らかなのだ。
「文革」は、中国人同士の”内戦”であった。当時、毛沢東の「親密なる戦友」であり後継者とされた、林彪「毛沢東は中国人民を巨大な肉轢き器に引き入れた」と述懐した、壮絶な殺し合いだった。

同じ会社で、同じ学校で、「こちらは文革派、あいつは反革命だ!」と殴り合い、殺し合った訳だが、その加害者と被害者は、今なお法的な処罰、救済など受けてはいない。
この狂気を冷静に分析すれば、必然的に中国共産党批判につながる。だから、当局は「中華愛国主義」を叫ばざるをえないのだ。


たかが、音楽。だが、されど音楽。いろいろ考えさせられることはある。


北京オリンピックの「口パク」

2008年08月19日 11時21分53秒 | Weblog

北京オリンピック開会式で、「歌唱祖国」という歌を歌った少女が「口パク」だったとして問題視されているようだ。本人が歌ったテープの「口パク」ではなく、他の少女の歌だった点が批判されているようだ。


記憶に新しいところでは、トリノ五輪(冬季)でのパバロッティもまた「口パク」だったという報道がある。

 世界3大テノールと呼ばれ、昨年9月に死去したイタリアのテノール歌手ルチアーノ・パバロッティ氏が、最後の公の舞台となった2006年のトリノ冬季五輪開会式で“熱唱”したアリア「誰も寝てはならぬ」は健康状態を懸念して事前に録音されたものだったことが9日までに分かった。

 ANSA通信などが伝えた。開会式でオーケストラを指揮したイタリア人指揮者マジエラ氏が最近の著書の中で明らかにしたという。

 同氏によると、パバロッティ氏は06年2月の開会式の前に体調を崩し、開会式当日に声が出なくなることを恐れて事前に録音。開会式では録音した歌に合わせ口を動かすだけだった。オーケストラの音楽も別の場所で事前に録音され、開会式では楽団員らも演奏するふりをしていたという。(共同)


PA(Public Address)が飛躍的に進歩した結果、聴衆はナマの音楽を聴いているのか、録音を聴いているのか、区別することが難しくなった。その結果、このようなことが可能になったのであり、ことさら中国少女の件を非難するのはおかしいと思う。
クラシック音楽や少数のジャズ音楽を除いては、聴衆はもはやナマの音を聴いているのではなくて、PAの音を聴いているに過ぎないのだから。


開会式を演出した張芸謀氏は、陳凱歌監督の名画「紅いコーリャン」のカメラマンだったという。あの映画は、当時の中国としては異色だった。政治的プロパガンダは一切無く、「文革」で荒廃した中国人の心に深くしみいる名画だった。その事実から、心情的には、今回の張芸謀の演出を全体としては高く評価する。


それよりも、「テレビ朝日」の「口パク」は何とかならないか? 
何の専門知識も持たないのに、偉そうに政権批判を繰り返し、大衆迎合のネタを深刻な顔をして話す「口パク」男…。ある自民党議員が「腹話術の人形」と形容した男だ。古舘某とかいったっけ…。


 


北京オリンピックの「君が代」(2)

2008年08月16日 19時10分58秒 | Weblog

北京オリンピックの表彰式に流される「君が代」については、私と同様に違和感を感じる人も多いようだ。
「君が代」にドラの音が挿入されていることよりも、メロディが変形していることのほうが問題であるという指摘をいただいた。ビデオで聴き直してみると、確かにその通りだった。
また、JOCに確認の問い合わせをいた方もいらっしゃるようだ。


「君が代」については、こんな実話がある。ある公立高等学校の卒業式で、生徒と教員の一部が「君が代」斉唱を拒否したが、式の退場に使われた曲がエルガーの「威風堂々」だったという、皮肉なお話である。自国の国歌は歌わないが、式の退場に当たっては、英国の「準国歌」を使ったわけだ。これらはすべて生徒の「自主性」を重んじた結果だというのだから、笑わせる。


オリンピックの国歌演奏については、開催国が各国国歌の演奏(録音)に責任を持つようだ。200以上もの国歌を編曲し、録音するのは、確かに大変な作業だと思われる。編曲者があえて「君が代」を中国風に演奏しようとする、悪意の意図はなかったと考えるのが自然だろう。


だが、北京の「君が代」は、われわれの国歌に対する無関心さを浮き彫りにした。ブログ等を調べると、ほとんどの人がこの問題に気付いていないことが判明した。上述の公立高等学校の話は、特殊なケースではないのだ。


オリンピックの開催で、中国人の「中華愛国主義」は、ますます盛り上がっている。一方、日本では「個人主義」という名のエゴイズムが横溢し、国家は批判、攻撃の対象でしかない。本当にこんなことでいいのだろうか。


中国人に「小日本」などと侮蔑されないためにも、国歌は大切にしたいものだ。
これは、イデオロギーなどでは決してなく、
「愛国心」の問題だ。





 


北京オリンピックの「君が代」

2008年08月12日 19時31分18秒 | Weblog

北京オリンピックで流される「君が代」、まだ2回しか聴いていないが、気付いたことがある。

「君が代」の後半部分で、ドラが2回打ち鳴らされるのだ。


かつて欧米の楽団が「日本のメロディ」といったアルバム(LP)を作ると、必ずといっていいほど、ドラの音が入っていて、違和感を感じたことがある。遠い東洋の果ての音楽を演奏するのだから、オリエンタル・ムードを出すために、ドラの音色を加えたのだろう。リカルド・サントス(ウェルナー・ミューラー)が代表例だ。


だが、今回の「君が代」は日本の国歌、特別な曲だ。誰がどうしてドラを加えたのか気になったので、検索をしてみた。その結果は、北京交響楽団が2年間をかけて各国国歌を録音したらしいことが分かった。

http://www.excite.co.jp/News/china/20080725/Recordchina_20080725036.html

 

米国国歌を注意深く聴いてみると、いつもとはやや違った演奏であることが分かった。だが、ドラが入っている訳ではない。


「君が代」にドラが挿入されている意図は何か。

1 北京の音楽担当者が工夫を凝らした結果、こうなった。([「善意」による編曲)

2 日本は中華文明の亜流に過ぎないことを音楽で示した。(政治的意図に基づく編曲)


真実は何か不明だが、日本のオリンピック担当者は何故、この「君が代」に抗議しなかったのか不思議でならない。




マントヴァーニの「サマーナイト」

2008年08月12日 02時09分23秒 | 音楽・映画

マントヴァーニ楽団が演奏する「サマーナイト」という曲をいま聴いている。


マントヴァーニのトレード・マークである「カスケーディング・ストリングス」の技法を多用した、かなり甘ったるい曲なので、好き嫌いが分かれそうだ。彼の自作曲かと思ったら、何とジャズの名プレーヤー、ベニー・カーター(写真)が作曲した曲だった。


知人の英国人は、この曲を絶賛していて、マントヴァーニの演奏の中でもベスト10に入る名演だと言っている。「暖かい夏の夜を見事に表現している」そうだが、日本の夏は「暖かい」どころではない、ほとんど亜熱帯なのだから、とても英国人の感性とは合わないことが分かった。


「イージーリスニング音楽」ひとつとっても、このような文化ギャップが存在するのが面白い。

 



 


マントヴァーニ楽団の中国ツアー

2008年08月10日 03時57分29秒 | 音楽・映画
北京オリンピックの開会式を見ていると、著しい経済発展を遂げる中国の熱気が伝わってくるようだ。

一般の中国人が「ムード音楽」「イージーリスニング音楽」を聴けるようになったのは、1980年代半ば以降と思われる。中国では「世界軽音楽三大楽団」として、マントヴァーニ、ポール・モーリア、ジェームス・ラストがよく知られている。これらの音楽は、「改革開放」政策のもとで、香港を経由して中国大陸に流入したのだそうだ。

マントヴァーニ(1905-80)は、1963年たった一度だけ来日している。クラシックの交響楽団に匹敵する大歓迎を受け、東京文化会館、大阪フェスティバル・ホールなどで演奏した。

マエストロ亡き後の80年代後半、英国ではなく米国で「マントヴァーニ楽団」(The Mantovani Orchestra)が結成され、ほぼ隔年毎に日本ツアーを行うようになった。この楽団は、米国の地方オーケストラ(コミュニティ・オーケストラ)などからかき集められたメンバーで臨時編成されている。メンバー数は35名前後でオリジナルの「マントヴァーニ楽団」(Mantovani and his orchestra)よりも10名も少ない。

人数も少なく、技量も伴わない楽団ではあるが、マントヴァーニ・ファンの多い日本では結構歓迎された。というよりも、米国では何の実体もない楽団が、日本向けに「出稼ぎ公演」を続けているというのが、正しい表現かも知れない。
オーケストラ音楽は、楽譜さえ保存されていれば、指揮者やオケのメンバーが代わっても、それなりの再生が可能である。パーシー・フェイス、グレン・ミラー、ペレス・プラードなどの楽団が、当人がとっくに亡くなった後でも来日するのは、そのためである。


上述の「マントヴァーニ楽団」は、3年ほど前の来日を最後に、日本に来なくなった。「あれ?」と思ったファンは多いと思うのだが、実は、中国公演を行い、「大成功」を収めていたのだ。冒頭の写真は、北京・人民大会堂内でのコンサートの風景である。
日本では、東京を初めとして、地方の「○○県民ホール」「××市民会館」をドサ周りしていた楽団が、突然、人民大会堂で演奏! こうなると、また中国へという話になり、今年中に2度目の中国公演が実現する見通しだ。


ついこの間まで、中国民衆は、マントヴァーニの名前さえ知らなかった。そんな音楽を聴いていれば、「売国奴」と内通され、生命の保証などなかったからだ。
”暗黒の時代”をくぐり抜けた中国人が、ようやく豊かになり、マントヴァーニ楽団を聴くようになったのは、結構なことではある。


だが待てよ、「中華帝国」の「王宮」で演奏するという栄誉を授かった「マントヴァーニ楽団」は、もう日本には来ないのだろうか?