澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

熱田神宮、名古屋城公園を散策

2023年09月25日 14時15分58秒 | 散歩

 先週末(23日)、大阪から来た親族と名古屋駅で待ち合わせ。熱田神宮、名古屋城公園、そしてノリタケの森などを散策した。

 熱田神宮に行ったのは、近々お目出度があるらしい親族に安産祈願のお札を買うためだったが、実のところ、門前にある「あつた蓬莱軒」で名物の「ひつまぶし」を食べるためだったりして。


 

 このひつまぶしのご飯の量には驚かされた。前日、三島(静岡県)の「桜家」で食べた鰻重の二倍はあったはず。三島の鰻は、ふっくらと蒸されていて関東風、こちらのひつまぶしは、香ばしさが際立っている。満腹で言うことなし。

 続いて、名古屋城公園へ。まず、城の対面に立つ名古屋市役所の建物に心を奪われた。神奈川県庁などと同じく、戦前の建築様式を留めているので、何とも魅力的だ。
 気温が33度くらいあったので、城公園内に入ると、バテバテに。おまけに、城内は耐震工事中で入れず。早々に引き揚げた。




 帰りの新幹線には時間があったので、「ノリタケの森」へ。ここは、想像以上にきれいな場所で、もっと長時間いたかった感じ。お薦めです。

 


名古屋港水族館を散歩

2023年09月25日 10時50分19秒 | 散歩

 先週(22日)、三島に一泊した後、さらに名古屋へ。
 名古屋では、翌日、大阪に来ていた親族と待ち合わせする予定だったので、その前にどこか行こうかと考えた。
 娘に名古屋港水族館がいいのではと言われが、正直、今更水族館なんてと思ったが、とにかく出かけてみた。名古屋の地下鉄に乗るのは初めてだったが、エスカレーターが少なく、階段での乗り降りが結構きつかった。

 地下鉄の終点で降りると、港まではほんのわずかの距離。まずは腹ごしらえと、水族館手前のビルにあるイートインできしめんと味噌カツのセットを注文。

 水族館には何回か行ったことがあるが、名古屋のここは、金沢八景、沖縄などよりも、殺風景に広々とした感じ。金曜日だったので、客も少なく、のんびりとした感じがいい。シャチのトレーニング風景をずいぶんと待ったあと見た。

 シャチの生態について、映像で解説があり「シャチは、イルカや、アザラシやペンギンをエサにしています」というナレーションが流れると、思わず若い女性飼育員の姿を見やってしまった。
 「凶暴」なはずのシャチは、実に賢く飼育員の指示に従う。さすが、仲間同士で計画的にアザラシ漁をするだけの動物ではあると感心。

 ほんの一時ではあったと思うが、童心に帰れたような一日ではあった。


「日本保守党」の可能性

2023年09月13日 06時16分33秒 | 政治

 小説家・百田尚樹とジャーナリスト・有本香が立ち上げようとしている国政政党の名称が、「日本保守党」と決まった。X(旧ツイッター)上のフォロアー数が二十万人を超え、これに関しては野党第一党の勢いだという。

 私自身、「虎ノ門ニュース」終了後、この二人が立ち上げた「あさ8」をずっと見てきたので、政党結成を決意した心情については、大いに理解し賛同する。LGBT法案を成立させた自民党の変質ぶりを見て、今こそ「真の保守」政党が必要だと感じたのだろう。

 しかし、現実には新党は前途多難だろう。とりわけ、不安になるのは、百田尚樹の失言だ。これまでのように、気の向くまま本音を喋っていたら、たちまちマスメディアの餌食となるだろう。また、「日本国紀」のような歴史観をばらまくのはいかがなものか。政治は権謀術数であり、著書の拡販の場ではないのだから、せめて揚げ足を取られない用心深さは必要だ。その点、有本香は修羅場を踏んでいるようなので、補佐役として期待したい。

 エドマンド・バークを引き合いに出すまでもなく、「真の保守」こそ今必要とされる思想だろう。敗戦や大災害などのガラガラポンがなければ、政治が動かないこの国のことだから、日本保守党が大躍進する可能性は、当面ほぼない。かといって、大災害を期待するわけにもいかないので、ひっそりと応援するしかないと思う。

 

カウントダウンライブ「百田新党(仮)の正式名称を、いよいよ発表!!」


ジャニーズ問題~ジャニー喜多川と上智大学

2023年09月08日 03時55分14秒 | マスメディア

 「ジャニーズ問題」でNHKまでがマスメディアの責任を感じるとして「謝罪」めいたコメントを出した。2008年に週刊文春が、ジャニー喜多川による「性加害」(性犯罪)をスクープしたのに、新聞、TVの大手メディアはこれを黙殺した。今年になって、BBCがジャニー喜多川の性犯罪を報道し、さらに国連の人権委員会なるものに勧告されるに及んで、ようやく大手メディアも「保身」の報道を始めた。堀江貴文(ホリエモン)が指摘するように、東山某が社長になっても、ジャニーズ事務所の実態は変わらない。外国から見れば、性犯罪者が作った組織を温存させているとしか見えない。ジャニーズ事務所も大手メディアも事の重大さに気づいていない。

 私自身は、ジャニーズのことなど全く興味がないが、ひとつだけ気になったことがある。それは、ジャニー喜多川が「上智大学卒」だと自称していたこと。彼の経歴を見ると、米国からGHQ支配下の日本に戻り、何らかのツテで上智大学国際部に入学したらしい。そう聞いていたので、Wikipediaで確認してみた。

第二次世界大戦終結後、満年齢16歳であった1947年に子供達だけでロサンゼルスへ移動し[8]、現地の高校に入学した。高校時代にはロサンゼルスの「アーニー・パイル・シアター」にて、ミュージックメイカーのアシスタントとして、アルバイトを経験している[11][9]

ロサンゼルスの高校を卒業後、姉と同じロサンゼルス・シティー・カレッジ[11][注釈 2]に進学。

1950年美空ひばりが育ての親・川田晴久と共にアメリカ公演を行った[8]。そしてロサンゼルス公演の際、父が真宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院を会場として用意したため、ステージマネージメント全体を担当する[8]

1952年に再来日し、アメリカ軍関係の仕事の一環として、当時勃発していた朝鮮戦争による戦災孤児英語を教授するために、日本で朝鮮語を習得した後、米軍側の板門店に出向き、1年2ヶ月に亘り、子供達に英語を教授した[10][12]。再来日後はアメリカ合衆国大使館軍事援助顧問団(MAAG)の職員として勤務[12 

 不思議なことに、上記のWikipediaには「上智大学」という記述は見られない。上智大学の国際部は、GHQ支配下の1947年、英語で授業を行う各種学校(大学ではない)として市ヶ谷に開校し、1970年代まで大学学部として認可されていなかった。在日外国人、とりわけ米軍基地に住む子女が多く通う「日本の中の米国」のような学校だった。当時、上智大学には文学部と経済学部しかなく、しかも男子だけの大学だった。今のような「名門校」などではなかった、ということだ。国際部はさらにイージーで、学事記録(入学や退学)もいい加減だったから、容易に「卒業生」を名乗ることはできたはずだ。

 ジャニー喜多川の「闇」は学歴だけではない。「彼は性被害を受けた経験」から、そのような性癖を持つに至ったと「弁明」するような記事も見られた。まさかと思うが、それがカトリックの神父と関りがあるとしたら…。あの大学には、ジャニー喜多川と同じ性癖を持つと噂される外国人神父(=上智大学教授)がj実在したから。また、上智出身で米国留学し、母校教授を長く勤めた三輪公忠という人は、その著書「ハラキリと男根開示」の中でホモセクシャルについて、妙に熱心に記述している。

 要は、ジャニーの経歴は全部ハッタリ、GHQ=米軍の威光の下で日常英語ができるというだけで、戦後の闇社会を生き抜いてきた男色屋さんなんだろうね。
 戦後日本の闇そのものだね、これは。

 

ジャニーズ事務所の新体制が大問題だと思うのでお話しします


岸田文雄が首相になれた理由(わけ)

2023年09月01日 01時48分45秒 | 政治

 原稿丸読みで生気のないスピーチ、財務省のポチと言われる経済政策、外務大臣経験者とは思えない拙劣な対中韓外交…。岸田文雄首相を見ていると、なぜこんな人が総理大臣になったのかと思っていたが、下記の映像(35:00~ )を見て、その疑問が氷解した。

 岸田は首相就任時、「私は東大受験で二浪した」とわざわざ明かした。開成高校から早大法学部という経歴に「東大を目指して二浪した」というエピソードを加えたのは、岸田の周囲に東大法⇒財務省(大蔵省)の経歴を持つも親族が多いからだと言われた。また、ナベツネこと渡辺恒雄(読売新聞社主筆)には、共に開成卒業生という理由で特別の庇護を受けてきたとされる。

 だが、下記の映像で見城徹が興味深い事実を暴露?している。岸田の父親・岸田文武(1926-1992)は、渡辺恒雄(1926~ 読売新聞社代表取締役主筆)、氏家斎一郎(1926-2011 元日本テレビ会長)、堤清二(1927-2013 、元セゾングループ代表)と旧制東京高等学校の同期で、共に東京帝国大学に進んだ。この四人は、言わば「刎頸(ふんけい)の友」という関係だったらしい。四人の中で、岸田文武だけは衆議院議員在職中に65歳で死去。氏家と堤清二が80歳半ばで長寿を全うし、ナベツネに至っては今なお97歳で健在であることに比べれば、早逝という感じだった。親友の長男である岸田文雄を、ナベツネが「後見役」として公然とバックアップしたことは当然だったろう。

 つまり、岸田文雄という男は、父親が築いたネットワークに守られ、常に特別扱いされてきた凡人なのだ。安倍内閣で岸田は外務大臣という要職を務めた。これも、安倍首相がナベツネから頼まれたからだという「秘話」を知ってしまうと、ああ、やっぱりと思ってしまう。

 ここからは私見だが、開成高校から東大文一(法学部)を目指したという岸田は、なぜ二浪して早大法学部なのか? 裕福な岸田は、早稲田、慶応の各学部を好きな数だけ受験できたはず。なぜ二浪して早大法学部なのかといえば、一浪の時にも早慶の各学部を受験したが失敗、二浪の時ようやく早大法に補欠合格できたというあたりが真実なのだろう。東大を僅差で落ちる学力であれば、早大政経学部くらいは受かっていたはず。そう考えると、岸田の東大受験は、箔をつけるための記念受験。実は開成高校の「深海魚」(=落ちこぼれ)だったと思えてならない

 凡百のコネ男が首相になり、頼りにするのは内閣副官房長官・木原誠二だけ。岸田は、武蔵中・高⇒東大法学部⇒財務省という輝かしいキャリアの木原を部下にして、ささやかな優越感を感じたかったのかもしれない。だが、その木原も今や大スキャンダルの渦中に…。

 世襲政治を絶たない限り、この国はもうダメかも。

 

凋落する自民党…幹部らの腹の探り合い #見城徹 #佐藤尊徳 #井川意高