澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

台湾一周鉄道旅行 (9) 番外編 台湾の日本語世代

2013年12月30日 16時19分58秒 | 台湾
《李登輝氏のいま》

 李登輝研究の第一人者であるI教授によれば、九十歳を超えた李登輝氏は、持病があり入退院を繰り返している状況だという。だが、依然として矍鑠としており、雑誌「Voice」12月号に『「死」して日台の運命を拓くとき』が掲載されている。



 このインタビューではまず「中間層のいない中国の悲劇」が語られ、「2016年の台湾総統選挙」を見通し、「日台は真の”主権在民”を確立せよ」「”武士道”は中国の伝統から脱却する梃子(てこ)」「日本版”台湾関係法”の制定を」などについて触れられている。

 台湾の将来については、つぎのようなやりとりが交わされている。インタビューアーは、井尻秀憲・東京外国語大学教授。

井尻 今後、中国と台湾との「両岸関係」はどうなっていくのでしょうか。
李  2016年の台湾総統選挙によって方向が決まるでしょう。いまの馬英九政権は、中国一辺倒の政策をとっています。中国との関係を強め、いわゆるサービス業の貿易協定まで提供しようとしている。…仮に中国からサービス業者がどんどん入ってくると、台湾市場は上から下まで根こそぎ支配されてしまう。
井尻 私もまったく同感です。次の総統選で民進党が勝てなかったら、もう台湾は危ない。「中台統一」という方向に向かう可能性が十分にありますね。
   …  …   …
李  大陸との関係がより密接になる可能性は十分あります。ただし、国民党と民進党以外に、第三グループから人間がでてくるかも知れない。現時点でそれはまだはっきりしません。いずれにせよ、「台湾は中国の一部ではない」ということだけは、はっきりさせておかなければいけない。アメリカは台湾と同じような移民の国ですが、イギリス人は「アメリカはイギリスの一部」などと口にはしない。そう考えれば、「台湾は中国の一部」という中国の論法がいかにおかしいか、よく理解できるでしょう。


《今後の両岸関係はどうなるか?》 

 専門家によれば、次のような予測が成り立つという。 

① 尖閣問題は五年後の日中外相会談で話し合うことで合意ができている。
② 中国共産党は、ほぼ10年後には権力から下野する。それはすなわち、中国の民主化が始まることを意味する。
③ 李登輝氏は次の総統選挙では国民党が勝つと予測している。
④ 国民党の候補として人気が出てきたのが連戦氏の息子。この人は、台湾人意識が強いらしい。
⑤ 台湾人としてのアイデンティティを培う教育が必要だが、10年後では人材がまだ育っていない。10年後に中共が下野するとき、台湾はどうなるのかという問題がある。
⑥ 結局、中国は七つの省からなる連邦共和国になって、そこには台湾、香港が含まれる。台湾には独自の軍隊が維持され、その管理は米中共同で行う。


 台湾の国民は、3.11東日本大震災のときに230億円もの義捐を送ってくれた。一人あたりに換算すると、なんとこれは大陸からの義援金の五百倍に当たる。これほど「親日的」な理由は、戦後の日本人が立派だったからなどでは全くない。台湾人の7割以上を占める本省人の日本語世代(その代表が李登輝氏に他ならないのだが)が、戦前の日本統治時代を肯定的に評価していたからに他ならない。言い換えれば、それほど蒋介石の国民党は、本省人を弾圧したということだ。



 「ひとつの中国」という神話に呪縛されたマスメディアは、中国筋の恫喝を恐れて、日本と台湾の歴史的絆については決して報道しない。このままでいけば、台湾が「親日的」なことは分かるが、中国との違いはよく分からないという若者が増えてしまうだろう。それは台湾の日本語世代が歴史の舞台から去っていくときでもある。そのときを待ち望んでいるのが、中国共産党(習近平)と中国国民党(馬英九総統)の異母兄弟だ。このままでいけば、今のような良好な日台関係が今後とも続く保証は全くないのである。

 今年台湾で出版された「漫画・台北高校物語 旧制高校の勉学・青春模様を活き活きと描いている
 

台湾一周鉄道旅行 (8) 雑感(続)

2013年12月28日 20時21分48秒 | 台湾
《台湾と日本語》 

 台湾の街には日本語が溢れている。「日本帝国主義が日本語を強要したからだ」という教条を信じている人に「それじゃあなぜ、そんな押しつけられた日本語が今でも街中にあるの?」と問えば、応えに窮するだろう。若い世代にたくさん「哈日族」がいるという説明もつかない。

 その疑問を解くカギを岡田英弘氏の著作に見つけた。岡田氏によれば、いま中国で使われている社会科学、自然科学用語の七割は日本製漢語だという。いち早く欧米の文物を採り入れた明治日本は、大量の欧米語を漢字に置き換えた。よく言われる冗談だが、人民、共和国、社会主義、共産主義等々がすべて日本人が作った単語だから、中国はそんなに日本が嫌いなら日本製の単語を使わなければいいのに…と。

 台湾における日本語の普及は、当初、漢文を媒体としていたという、興味深い本がある。「日本統治と植民地漢文」がそれだ。

日本統治と植民地漢文―台湾における漢文の境界と想像
陳 培豊
三元社
 

 これを読むと、「日本帝国主義が日本語を強要した」というステレオタイプの批判は、全く的はずれだとよく分かる。近代化すなわち西欧化への過程を自国の言語で対応できたかどうかが、西欧列強の植民地になるか、独立を守るかの、分かれ道でもあったのだ。日本以外のアジア・アフリカ諸国では、自国語だけで大学教育まで行える国は、極めて稀。多くの国の高等教育は宗主国の言語(英語、仏語など)で行われるのが常識なのだ。
 いち早く近代化に対応した言語となった日本語を採り入れることが、台湾にとって手っ取り早い選択肢となった。その際、日本人と台湾人が理解し合える道具として、漢文が使われたことをこの本は教えてくれる。言うまでもなく漢文は、口語文、会話文ではなく、紙に書かれた文語文で、明治期の日本人の多くはこれを理解していた。台湾の近代化は、まず漢文、そして日本語を通してよりスムースに行われたというのも、あながちこじつけとは言えない。

《日本時代の建造物》

 台湾旅行のパンフレットを見ると、故宮博物院、中正紀念堂、忠烈祠などが紹介されるのが常。だが、これらは日本の敗戦後、蒋介石政権が台湾に持ち込んだ「中華碑」(チャイナ・ブランド)に過ぎない。本当の台湾を知るには、総統府(旧台湾総督府)、台湾博物館(旧総督府博物館)、台湾大学病院(旧台北帝國大学病院)などを見るべきだろう。
 例えば、このように…。

  左から、台湾大学病院、台湾総統府、台中市役所、旧三井商船ビル(基隆)、松園別館(花蓮)、聖母観音像(台糖高雄工場)

  日本時代の建物の多くが今なお使用されているか、あるいは文化財として保存されている台湾。そこには日本統治時代を非難する文言など全く見られない。大連で満鉄特急「あじあ号」が野ざらしにされ、満鉄本社の建物には「日本帝国主義の罪状」が延々と書かれていた中国とは、際だって対照的だ。

 日本統治時代については、ディカバリー・チャンネル制作の次の映像も参考になる。




台湾一周鉄道旅行 (7) 雑感

2013年12月28日 09時49分49秒 | 台湾
 台湾一周鉄道旅行でちょっと思いついたことを記すと…

東台湾について

 台北→花蓮→台東→高雄を走る台鐵線に乗るのが、この度の旅行の目的だった。旅行ガイドブックには断片的に日本統治時代の記述が見られるが、詳しく東台湾(太平洋岸の台湾)を紹介した本、情報は極めて少ない。
 台湾島は、険しい中央山脈で台湾海峡側の西台湾と太平洋岸の東台湾が遮られているので、西と東では景観が全く異なっている。西台湾は大陸から移住した諸民族の土地、東台湾は原住民の土地と言える。清朝が「化外の土地」と記したのは、この東台湾に他ならない。それを開発したのが、日本人だったことは記憶に留められるべきだ。そのことについては、次の本に詳しく書かれている。台湾に生まれた日本人「湾生」の著者が記した記録で、これほど詳しく書かれた本は他にはない。

知られざる東台湾―湾生が綴るもう一つの台湾史
山口 政治
展転社


《「親日的な台湾」の本当の意味

 尖閣問題、安倍首相の靖国神社参拝問題があっても、大半の台湾人の親日感情は変わらない。今回の旅行でも、花蓮では戦前日本軍将校用の施設だった「松園別館」がきれいに保存され、多くの参観者が来ていた。高雄郊外の「台湾糖業博物館」では、新渡戸稲造の胸像が飾られていて「台湾砂糖の父」と記されていた。ここには日本統治時代を非難する文言など何一つない。これらが意味することはただひとつ。日本統治時代は、台湾社会を近代化させた重要な時代だったという事実だ。台湾人は、そのことをきちんと評価していてくれる。
 中韓両国による「反日」の罵詈雑言に辟易としている諸氏は、ぜひ、台湾に行って、この事実を確かめて欲しい。




だが、時代は変わっていく

 いくら「親日的」な台湾でも、時代は移りすぎていく。台湾の民主化を果たした李登輝も今や90歳を過ぎた。日本統治時代を知る台湾人も数少なくなった。酒井充子監督の映画「台湾アイデンティティーは、消えゆく台湾の日本語世代を愛惜を持って見つめている。台湾に今なお濃密な親日感情が残るのは、まさにこの世代が家族に「日本時代はよかった」と伝えてきたからに他ならない。



 だが、時の流れは怒濤のようだ。これ以上、両岸関係が緊密化すれば、台湾は中国に飲み込まれてしまうのではないかと危惧される。李登輝研究で有名な井尻秀憲・東外大教授によれば「あと10年で中共独裁体制が崩れたとき、台湾は中華連邦の一省に組み込まれるかも知れない」という。そうなれば、日本統治時代の記憶と親日感情はあとかたもなく消え去るのかも知れない。


台湾一周鉄道旅行 (6) 台湾新幹線

2013年12月27日 14時39分27秒 | 台湾
 12月15日(日)午前10時発の新幹線632号で新左営駅を出発、11時38分に桃園駅に到着。あわただしくタクシーで桃園国際空港へ。このタクシーは、雨の高速道路を120kmも飛ばしたので、正直怖かった。

 

 新幹線で終着駅の台北まで行ってしまうと、桃園空港から飛行機に乗る場合、高速バスで1時間以上もかかってしまう。特に日曜日は、高速道路が混雑しているので、新幹線の桃園駅で降りたのは正解だった。だがもし、復路も松山空港→羽田空港の切符が取れれば、それに越したことはないと思った。台北駅に降りてしまえば、MRTで間違いなく40分あれば、松山空港カウンターまで入れるからだ。

 台湾一周鉄道の旅のとりまとめとしては、次の点に留意すべきだと感じた。
① 台湾一周をするのなら、東台湾(台北→花蓮→台東…)の台鐵線に時計回りに乗ること。
② 花蓮以南の台鐵線は、極端に本数が少なく、観光シーズンには切符がとりにくい。
③ 高雄まで行けば、帰路は新幹線があるので、効率的に台北まで戻れる。前日に台北に泊まらなくても、帰国当日に高雄や台南から桃園あるいは松山空港に行くことは十分に可能。
④ 高齢者(65歳以上)は、切符購入時パスポートを見せれば、新幹線料金が半額となる。(在来線である台鐵線には適用されない。)


 次回の台湾旅行は、次のように決めた。
第一日 松山空港着、ただちに新幹線で高雄へ。京城大飯店(高雄駅後門前)に宿泊。
第二日~四日 恒春、墾丁へ。
第五日 高雄から松山空港へ。帰路。


 恒春は、感動を呼んだ台湾映画「海角七号」のロケ地。墾丁はTVドラマ「墾丁はいつも晴れ」のロケ地だ。ぜひ訪れてみたい場所だ。



  
 
 















台湾一周鉄道旅行 (5) 高雄の夜市

2013年12月27日 01時13分50秒 | 台湾
 12月14日(土)、高雄に住むCさんご夫妻に台湾糖業博物館(高雄糖廠)、美濃の陶芸工房、客家村を案内していただいた。
 夕方、京城大飯店に戻る。友人のひとりは、高雄駅の反対側にある繁華街に買い物に。もう一人の友人と私はどこかで夕飯を食べようという話になった。私は高雄港あたりまで行って、何か美味しいモノをとも思ったが、年下の友人はもう疲れたという。

 Cさんは「ホテルの裏の方にも夜市がある」と教えてくれたので、とりあえずホテルを出た。ホテルの横には、手づくりのベーカリー(麺包店)があり、コーヒー・スタンドもある。そのすぐ隣には小吃店(ビーフンやワンタンなどを食べさせる小さなお店)が…。もうここでいいや、と思った途端、隣の「好年代」という海鮮料理の店が目に入った。

 京城大飯店近くの好年代平價海鮮燒烤店

 土曜日の午後6時前という時間だったので、店はがらがら。店の前には、活きた海老や貝、魚などが沢山あり、客は好きなものを調理してもらうというシステムらしい。だが、金額が全く表示されていないので、見当もつかない。でも、お腹が空いてきたということで、思い切って入ってみた。

 我々が頼んだのは、①茹でた海老、②蒸したイカ、③キビナゴの天麩羅、④蒸した蛤、⑤アスパラガスと豚肉の炒め物、以上の五品だった。



 予想以上の美味しさに大満足。この料理には「台湾ビール」がキリンの「一番搾り」よりずっと相性がいいことも分かった。

 時間が経つに連れて、店は満員に。家族連れや会社関係の宴会ばかりで、二人連れの外国人は私たちだけ。店の小姐は、みな陽気で親切。片言で話すうちに、友人はこんな写真を撮ったりした。


 友人と小姐
 私とホンモノ?の小姐

 周囲の宴席を眺めると、いくつか日本人とは違うところがある。料理が主で酒を飲む人は少ないという点だ。これは中華世界共通の傾向なのだろう。それと、料理の量と品数が圧倒的だ。隣のテーブルにカラスミのような皿が運ばれてきた。友人が食べたそうだったので、追加注文。500元(1,700円くらい)だった。

 追加注文のカラスミ(500元)

 これは衝撃的なほど美味しかった。カラスミ専門店で買っても、同じくらいの値段はするから、良心的といっていい。
 二人で大瓶ビール4本、カラスミを含めた料理六品で2,010元。それをジャスト2,000元(約7,000円)にしてくれた。一人あたり3,500円という計算に高雄駅周辺のホテルに泊まる人にはお薦めできる店だった。

 台湾最後の夜は、これでは済まない。海鮮料理がこれだけ美味いのだから、隣の小吃店が不味いなどということはあり得ないと思った。それで、友人がビーフン、私は雲呑を注文。ビーフン35元、ワンタンは40元だった。これは仕上げの一杯として、絶品だった。


 小吃店の雲呑(ワンタン)

 私たちがさかんに「美味しい、オイシイ」とはしゃいだので、おばちゃん、いや小姐は「サービス!」と言ってワンタンを一切れずつ追加してくれた。友人は喜んで、小姐と記念撮影。

 小吃店の経営者のおばさま(小姐)と

 満腹のあとは夜市をぶらぶら。日本と全く変わらないお寿司の屋台、珍しいものばかりの果物屋さんなどを目で楽しんだ。夜8時でも、気温は20度を下らない。正直、もっと味わいたかった南国の夜…。 


 

 


台湾一周鉄道旅行 (4) 高雄・台湾糖業博物館

2013年12月26日 14時32分09秒 | 台湾
 12月14日(土)、台湾の友人Cご夫妻が、高雄郊外にある「台湾糖業博物館」(橋頭糖廠)ほかを案内してくださった。
 Cさんは私たちのためにわざわざ次のようなスケジュール表を作成!



 「台北ナビ」にはこの「湾糖業博物館」が詳しく解説されている。日本統治時代から台湾の主要産業となった製糖業の歴史を展示する博物館で、台湾精糖高雄工場の建物そのものが保存されているうえ、数々の展示物から製糖業が台湾近代化に果たした重要な役割を知ることができる。
 
 MRT、台鐵の「橋頭駅」を出ると、目の前に広大な製糖工場の敷地が拡がる。もちろん、現在は稼働していないのだが、往時の偉容が偲ばれる。

 台糖高雄工場の門の前で

 工場内から台鐵線へとつながる引き込み線の跡

 工場事務所として使われていた展示館とその内部

 ここに写っている胸像は、誰だか分かりますか? 「台北ナビ」を見ても、この人のことには全く触れられていないけれども、何とこの人は旧五千円札の肖像となっていた新渡戸稲造だった。ここで新渡戸稲造が「台湾精糖業の父」として紹介されていることを初めて知った。
 新渡戸稲造の胸像と彼の業績の説明

 何故、「台北ナビ」がこの新渡戸稲造のことを掲載しないのか? つまるところ、日本と台湾の強い歴史的絆について触れると、「中国はひとつ」「台湾は中国の一部」と主張する中国筋から嫌がらせを受け、商売上不都合が生じるということではないか。NHKが台湾(中華民國)のニュースを決して放送せず(中国中央テレビ、上海TVそして香港ABCのニュースは毎日流している)、台北の天気予報さえ採り上げないのも、この中国筋を恐れているからに他ならない。
 農学者である新渡戸稲造が、台湾の製糖業の父だという事実を何故伝えないのか?これも、「戦前の日本は悪かった」という偏向教育、自虐史観の所産ではなかろうか。

 新渡戸稲造に関する説明を見ればただちに了解することだが、台湾の博物館や歴史資料館では、事実は事実として認め、客観的に歴史を見つめようとする公平な視点が貫かれている。日本統治時代は、中共(中国共産党)が宣伝するような「暗黒の時代」では決してなく、どの社会でも経なければならなかった「近代化」に大いに寄与した時代でもあったのだ。


 台湾人であるCさんは、新渡戸稲造が旧五
千円札の肖像に描かれていたことはご存じなく、そのことを知って驚いていた。

 工場長であった鈴木藤三郎が建立した聖観音像とその説明書き 聖観音像には新しい花束と学業祈願のお札が添えられていた

 この糖業博物館には、戦争の記憶も残っている。台湾は1895ー1945年まで日本国だったのだから、太平洋戦争当時、台湾の製糖工場は米軍機の格好の爆撃目標となった。以前、NHKが「鶴瓶の家族で乾杯」の台湾編を台南で撮ったとき、台南の老人が「私は製糖工場に勤めていたんだよ。戦争で爆撃され工場も焼けた」と言っているのに、番組では誰が何のために、製糖工場を爆撃したのか、何も説明を加えなかった。台湾が五十年間「日本」に属していたこと、製糖業は台湾近代化のための基盤産業であったことなど、何一つ触れないのだから、若い視聴者は老人の言葉の意味が分かるはずもない。その老人がカメラを通して伝えたかったのは、日本への親近感と「台湾精糖に勤めていた」という誇りではなかったか。

 台湾精糖社宅と防空壕の跡 

 工場を見たあと、ご主人が有名な池上弁当とスープを買ってきてくださった。それを工場内の小学校の炎樹の下のテーブルでいただいた。
 パック旅行ではもちろん、単なる個人旅行では決して味わえない、素敵な体験をした。多謝!Cさんご夫妻。

 製糖工場敷地内の小学校の校庭で池上弁当のランチ 

   

台湾一周鉄道旅行 (3) 花蓮~台東~高雄へ

2013年12月24日 21時36分06秒 | 台湾
 12月13日(金)花蓮から高雄へ。前日、花蓮駅で午前8時20分発の高雄行き(正確には左営行き)の「自強号」の切符を買うつもりだったが、高雄まで直行する「自強号」の切符はすべて売り切れだった。そこで、統師大飯店のフロントに相談したところ、花蓮から台東行きの「自強号」の切符を入手することができた。さらに13日の朝、花蓮駅で台東から高雄に行く「莒光號」(自強号より遅い急行)の切符が買えた。これでようやく、東台湾側の台鐵線を乗り繋ぐことができる。



 花蓮から先は初めてなので、これは今回の台湾旅行の白眉。花蓮を10時半に出て、台東で乗り継ぎ、高雄に着くのは午後4時過ぎ。まず最初に考えたのは、台鐵弁当を入手すること。あいにく、花蓮駅構内の台鐵弁当販売は、列車発車時刻と同じの午前10時半から。やむを得ず、コンビニ弁当をひとつ買ったのだが、ちょっと諦めきれずに、販売準備をしている人に切符を見せて、「出発してしまうから、早めに売ってくれませんか」と懇願。ようやく2個を入手した。

 花蓮駅の台鐵弁当販売所
 花蓮駅で買った百元の台鐵弁当

 走り出した車内では、30分もしないうちに、弁当の車内販売があった。そこで買ったのがもう一種類の台鐵弁当。これは80元だった。日本円だと280円くらいか。



 これで我々三人分の弁当がようやく確保できた。やはり、台鐵の旅は、台鐵弁当に限ると言えるだろうか。ちなみに、「便當」という語源自体が、日本語なのだ。「べんとう」と発音しても、通じることは間違いない。

 車中からの景色は、予想通り素晴らしいひと言だった。花蓮から台東までの景色は、進行方向右側に中央山脈の山並みが延々と続き、沿線沿いにはビンロウ樹の林や畑が多く、家並みはまばら。宣伝広告の類は一切見られなかった。典型的な景観は、次のようなものだった。



 台東に着くと、山並みはやや遠ざかり、屏東県に向かうに連れて、人口密度が次第に高くなっていくのが分かる。



 高雄到着は、予定通りの午後4時1分。高雄駅後門にある京城大飯店にチェックインしたあと、15日の新幹線(新左営→桃園)の切符を買うため、新左営駅に。
 その後、台湾の友人Cご夫妻と久しぶりに会い、5人で夕食をともにした。茹でた海老、鵞鳥肉の料理などに舌鼓を打った。

 久しぶりに会ったCご夫妻と夕食。夜でも暑いほどで、ビールがとりわけ、美味しかった

 

台湾一周鉄道旅行 (2) 花蓮

2013年12月24日 14時35分19秒 | 台湾
 花蓮と言えば太魯閣(タロコ)渓谷。台北からの急行もずばり「太魯閣号」だった。
 12月12日の朝9時20分に台北駅を出て、「太魯閣号」は11時半に花蓮の駅に到着。



 ホテル(統師大飯店)に荷物を預け、観光タクシーを頼んだ。フロントの女性は、顔立ちからしてアミ族の人だった。花蓮は伝統的にアミ族の居住地。日本統治時代、花蓮の社会開発は日本人の手によって行われたという。フロントの女性は、日本語も上手で、私たちが花蓮駅では買えなかった翌日の花蓮発台東行きの「自強号」の切符を手配してくれた。また、太魯閣観光のタクシーを2,500元にしてくれた。ガイドブックによると、3千元が相場らしいので、大いに助かった。
 なお、この女性が華語で話しているのを聞いたが、そこでは花蓮のことを「かれん」と言っていた。もちろん、これは日本語の発音で、華語ならばホワリエン(Hualien)というはずだった。

 三度目の太魯閣渓谷だったので、最初のときほどの驚きや感動はない。だが、初めての友人はその荘厳な景色を十分に楽しんでくれたようだった。



 太魯閣に行く途中立ち寄ったのが、「松園別館」という日本統治時代の建物。日本時代は、陸軍将校のための施設だったという。特攻隊員が最後の夜を過ごした場所とも伝えられる。花連の町の高台にあって、彼方に花連港を臨む。



 台湾に来て、いつも感謝の気持ちになるのは、日本統治時代の歴史的建造物がきちんと保存され、その歴史的由来がいささかの偏見もなく、きちんと参観者に伝えられているという事実だ。花連市内には、鉄道公園、旧花連駅(駅舎自体は1946年建設)、日本人宿舎などが、市の文化財として大切に保存されている。日本時代、花連の人口の四割が日本人だったというから、花連港、花連の町は、まさに日本人によって作られたのだった。

 夕方、ホテルに戻って、お目当ての「ワンタン」を食べに外出。旅行ガイドブックには、台湾一美味しいワンタンの店として「液香扁食店」が紹介されている。だが、私たちが行ったのは、台湾通の友人が教えてくれた「戴記扁食店」という店



 このお店は、60元のワンタン一品だけ。「液香扁食店」の姉妹店だという。味は淡白で、拍子抜けするくらい。だが、次第に、これこそがワンタンだと思えてくる。ちなみに、扁食とは福建語でワンタンのことだと、あるブログに書かれている。

 ワンタンだけでは物足りないので、もう一軒と行ったのは、ガイドブックにあった「海●◎仔煎」(●は土ヘンに甫、◎は虫ヘンに可)というかきオムレツのお店。



 ここのハマグリ・スープはとても美味しかった。
 おなかがいっぱいになって、町を散歩。お茶のスタンドで、ジャスミン茶のLサイズを買い、ぶらぶらと。ふと見たら、夜7時半の気温が23度だった! 



 



 
 


 


 



台湾一周鉄道旅行 (1) 

2013年12月23日 19時57分24秒 | 台湾
 12月11日~15日まで、四泊五日で台湾一周の鉄道旅行をしてきた。
 よく知られていることだが、台湾島には南北に峻険な中央山脈があって、台湾海峡側(西台湾)と太平洋側(東台湾)の交通を妨げている。同時に、三千メートル級の山々が連なる中央山脈は、台湾原住民の生活の場でもあった。



 したがって鉄道路線は、中央山脈を迂回するように、沿海部を通っている。台湾海峡側は、台湾の主要都市が点在し、2007年から台北ー高雄(新左営)間には新幹線も開通した。一方、太平洋側の東台湾は、人口が少なく、鉄道も不便で、経済的にも立ち後れた地域とされているが、花蓮のように、日本統治時代の記憶を留める街も多い。

 台湾通の友人のアドバイスに従い、鉄道は時計回りに乗ることにした。旅程は次のとおりだった。

12月11日(水) 夜、台北着
12月12日(木) 「太魯閣号)278号で花蓮へ 
12月13日(金) 花蓮から高雄へ(花蓮→台東は「自強号」、台東→高雄は「莒光號」)
12月14日(土) 高雄泊
12月15日(日) 新左営(高雄市内)から桃園へ(新幹線)
          桃園空港から帰国




 運賃については、友人から65歳以上は「敬老票」で半額になると聴いていたが、台鐵(台湾鉄道)では「台湾人のみ適用」と断られた。ちなみに同時期に旅行した人でも、半額になった例もあるようだ。

 新左営(高雄)から桃園までの新幹線は、台鐵(台湾鉄道)ではなく、高鐵(台湾高速鉄道)の経営。高鐵では国籍に関わりなく「敬老票」で乗車できる。パスポートを見せればOKだ。台湾の鉄道運賃は、日本に比べるとかなり安いから、そのうえ、新幹線が割引になるのだから、高齢(失礼!)の旅行者には台北泊を止めて、台湾に到着したらすぐ、新幹線で台南、高雄まで足を延ばして観光するのがお薦め

 今回の旅行で思い知ったのは、台北→花蓮→台東→高雄と南下する台湾鉄道線は、もともと運行本数が少ないため、週日(ウィークディ)でも自強号(急行)の切符が取りにくいということ。12月12日(木)「自強号」(太魯閣号)278号、午前9時20分発の切符は、前日夜台北駅ですぐに買えたが、13日(金)花蓮発の左営(高雄)行きの「自強号」は、満席で買えなかった。宿泊先の統師大飯店でフロントの女性(アミ族の女性)に事情を話したら、ネットを検索して、花蓮から台東行きの「自強号」のチケットを購入してくれた。わざわざ自費でお金を立て替え、別の職員にコンビニまで行かせて、買ってきてくれたのだ。この親切は台湾でなければあり得ないと思い、心温まる思いだった。



 台湾一周鉄道旅行をする場合、東台湾側の台鐵の切符が購入できるかどうかがポイントのようだ。今回、12月の週日でも購入が難しかったのだから、土日曜日や夏の観光シーズンではこの旅行は実現できなかったのかも知れない。花蓮以南には高速道路もないので、高速バスによる代替手段もない。  
 花蓮から台東まで延々と続く中央山脈の威容、そしてビンロウ樹の林を見ていると、台湾海峡側とは別の亜熱帯の世界。原住民の文化や生活が色濃く残っているように思われた。それだけでも一見の価値は十分あるだろう。

  
           
 

叔父・張成沢を犬に食わせた金正雲の狂気   

2013年12月16日 10時53分03秒 | マスメディア
 台湾旅行中だったので、現地の新聞やTVでは「犬決」の文字が踊っていた。当初、その意味がまったく分からなかった。だが、あるイラストを見て、戦慄が走った。それは、老人が動物の檻の中に閉じこめられていて、そこに飢えた猟犬をけしかけて、かみ殺させるという光景を描いていた。
 その老人は、北朝鮮のナンバー2であった張成沢。彼が猟犬に食われるのを金正雲とその夫人が見ていたという



 昨晩、帰宅してから、「犬決」という処刑があったらしいと家人に話したところ、TVでは全く報道されていないという。今朝になって、ネット上で検索してみると、「報知新聞」がこの記事を採り上げているくらいで、「朝日」「毎日」のような亡国メディアはもとより、他の新聞、TVでもほとんど報道されていないようだ。

 この情報源は、香港の「文匯報」(ぶんわいほう)。中国系の香港紙と目される老舗の新聞で、文革期、大陸情報を知るのは必読の新聞ともされていた。その「文匯報」が伝えているのだから、無視を決め込む日本の大新聞・TVの怠慢さは何に由来するのかと訝った。

 結論を言えば、国民が「衝撃」を受けるニュースは伝えないということか。「犬決」処刑の情報を知れば、大新聞が蔑む「愚民」のわれわれでも「こんなことをする隣国は信用できない。日本の安全保障は大丈夫なのだろうか」「残虐な処刑は朝鮮固有の手法。まともに対応できる相手なのか」という素朴な疑問を持つ。その疑問は、平和、人権、共生、地球市民等々、「朝日」やNHKが垂れ流しにしてきた「価値観」をぶち壊しかねないインパクト(衝撃)を持つ。平和呆けした日本国民を目覚めさせ、正当なナショナリズムに火を付けてしまう。だからこそ報道しないのだ、と確信した。

 近未来、北の狂信的独裁者が、テロ部隊を福島原発に送り込み、爆弾数発で四号機プールを爆破させる。そうすれば、日本国自体が崩壊することは間違いない。これこそ、仇敵である日本への「犬決」!それくらいのイマジネーションは必要な時だろうに…。


張成沢氏、犬で処刑か 120匹の猟犬にかみ殺された? 【報知新聞】

 中国系香港紙「文匯報」は15日までに、12日に処刑された北朝鮮ナンバー2の張成沢10+ 件(チャン・ソンテク)元国防副委員長(67)が、猟犬の群れをけしかけられて処刑されたとの情報を報じた。

 張氏の処刑については、14日付の韓国紙「朝鮮日報」が消息筋の話として「機関銃の銃弾が90発以上撃ち込まれた」などと報じていたが、別の情報が浮上した。

 「文匯報」電子版は、張氏の処刑についての記事の文中で「朝鮮『犬決10+ 件』張成沢10+ 件」などと小見出しを付けた内容を掲載。政治犯による情報として、張氏と張氏の側近5人が衣服を脱がされて鉄のオリのような場所に入れられた後、3日間エサを与えられなかった120匹もの猟犬が放たれて殺された、とした。その際、金正恩第1書記、李雪主夫人のほか300人を超える高官が処刑の様子を見ていたとした。

 一方、張氏の処刑が発表された13日以降、韓国で「処刑場面が見られる」とのメッセージがネット上で飛び交い、スマートフォンなどで指示されたアドレスをクリックすると、電話料金の決済システムから25万ウォン(約2万4000円)が引き落とされる詐欺が横行している。韓国警察が15日までに注意を呼び掛けた。

 特定のサイトへ誘導し課金する「スミッシング」と呼ばれる詐欺の一種で、韓国では今年に入って被害が急増していた。

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金正恩犬決姑丈 率300官員觀看
NOWnews – 2013年12月13日 下午5:09..     【Yahoo News 台湾】

國際中心/綜合報導

香港媒體爆料,北韓第二號人物,被視為「攝政王」的金正恩姑丈張成澤遭到「犬決」,金正恩更率領300官員現場觀看。

根據朝中社報導,北韓國家安全保衛部12日對張成澤進行了特別軍事審判,指控張成澤「反黨反革命宗派行為」等20多條罪名,當事人坦承認罪,已於當天處決。

根據香港《文匯報》報導,張成澤其實早在5日就遭到處死。北韓用極殘忍的「犬決」手法處死張成澤,同被處決的還有張成澤的5名親信,與往常用機關槍、迫擊砲殺死政治犯不同,張和5名親信被剝光衣後放入鐵欄,放入120條餓了3天的東北獵犬撕咬,直到吃光為止。

報導還指出,北韓處死張成澤的過程歷時1小時,金正恩與夫人李雪主帶領300多名高官在現場觀看。

金正恩高調處死自己的姑丈,原因眾說紛紜。有南韓媒體報導指出,其實張成澤遭罷黜的原因之一,是因為與李雪主發生不正當關係。報導稱,先前早已傳出金正恩握有李雪主在銀河樂團時所拍攝的性愛錄影帶,但不料金正恩近期發現,錄影帶中的男主角竟是自己的姑丈。金正恩因而氣急敗壞,不得不將姑丈處死。



【新闻】惨剧:朝鲜“犬决”张成泽    【中国・百度】

张成泽 由金三二哥金正哲亲率护卫队逮捕后,5日已被处决,同被处决的还有张的5个亲信,与往常用机枪、小钢炮杀政治犯不同的这次是“犬决”。张和5名亲信被剥光衣后放入铁栏内,放入120条饿了3天的东北猎犬撕咬,直到吃光。全过程持续1个小时,金三、李雪主带朝鲜300多高官观看。

矢吹晋著 「尖閣問題の核心~日中関係はどうなる」 

2013年12月09日 11時00分46秒 | 
 HDDレコーダに溜まったTV番組を整理しているうちに、「西部邁ゼミナール」に矢吹晋・横浜市立大学名誉教授が出演しているのを見つけ、改めて見直した。その映像は、下記に添付したYouTube映像のとおり。
 
 矢吹晋氏と言えば、中国分析専門家(チャイナウォッチャー)の中で、ぶれることもなく、現代中国を見続けた数少ないひとりである。私個人としては、石川忠雄、中嶋嶺雄、竹内実などと同じくらい、信頼に値する学者だと思っている。

 「尖閣問題の核心―日中関係はどうなる」(花伝社 2013年1月)は、その矢吹氏の最新刊であるが、西部邁氏によれば、この本について、書評さえ書かれない状況だという。

 それは、この本が「尖閣紛争をどう解決するか。「棚上げ合意」は存在しなかったか?日中相互不信の原点を探る。日米安保条約は尖閣諸島を守る保証となりうるか?紛争の火種となった外務省の記録抹消・改ざんを糺す>」(アマゾンの紹介文)
という内容なので、対中不信が盛り上がった現在、「中国側の肩を持つ」かのような本には人気が出ないというわけだ。

 アマゾンには、下記のようなブックレビューが掲載されている。異論もあるが、単純な思いこみを排するという視点に共感できる。

 TV番組の最後に矢吹氏は「尖閣は結局、日中の共同管理という形で決着せざるをえない」と語っている。同様の話を天児慧・早大教授がNHKラジオで語っていたが、全く信用ならない話という印象だった。それに対して矢吹氏の発言には、誠実さと信頼感があり、傾聴に値すると感じた。

【アマゾン・ブックレビュー】より引用
世界は複雑にできてる 2013/7/4
By ryu
 Amazon.co.jpで購入済み先日、ご縁があって、シンガポール人のビジネスマン(日本語はネイティブにしか思えないほど堪能です)と話をする機会があった。
 中国ではいま、尖閣諸島は中国のものであるという報道や発言が毎日メディアに登場しているという。彼曰く、あれじゃあ、中国国民は洗脳されるよなあ、といった話をしてくれた。
へえ、と私は思ったのであるが、実は、気になることがある。
 日本では、少なくともネット上のニュースサイトでは、「尖閣諸島は日本のものである」という言説を目にしないときはない。逆に中国人がこれをみたら、日本人は洗脳されていると思わないだろうか? 尖閣諸島が日本のものであるという歴史的根拠が地図入りで紹介され、なんとなく、尖閣はそりゃ日本のものだろうと思ってしまう。
 対して、私たちはどのくらい中国の言い分を冷静に考えているのだろう。彼らの言い分にもしかしたら、幾分かの正当性があるかもしれないという姿勢でこのことを捉えたことがあっただろうか。
 今、ネットのニュースサイトで、中国が滅びる、衰退する、バブルがはじける、海外からの投資がどんどん逃げるという話を見ないことはない。同様に、韓国のサムスンや現代自動車は円安、ウォン高で収益が激減していると報道される。
 韓国は日本と違って貿易に過度に依存する国だから、一企業の業績が国の存亡をゆるがすという。韓国の原子力発電所の部品の品質にウソがあり、原発が止まっている。夏は大規模な停電があるかもしれない。みな本当のことなのだろう。
 中国にしろ、韓国にしろ、それの衰退のニュースはとても心地よく感じる。なんだ、彼らが破竹の勢いだったのは、彼らが優秀なのではなく、安い労働力や、ウォン安のおかげに過ぎなかったのだ。中国は領土拡張の野心むき出しの覇権的な国家であり、危険だ。だから私たちは東南アジアの諸国やインド、ロシアと結んで自衛のため軍事的な協力関係を結ばなくてはならない。中国のような傍若無人の国の言うことなど何一つ信用できない。まして尖閣諸島の中国の主張などお話にならない。すべて、聞いていて胸のすく話ばかり。聞いていて愉快になることばかり。(愉快になるのはお前だけだろう、と言う人はあまり信用できない…)
・・・・・
 危険を感じないだろうか?私たちが聞かされて、「気持ちのいいこと」のみが流布する。
気持ち悪くないだろうか?「気持ちのいいこと」に反する言葉は抹殺される。

 現に、野中広務元官房長官や鳩山由紀夫元首相は、日中間に尖閣諸島のついて棚上げの暗黙の了解があった旨の発言をしたが「売国奴」呼ばわれされて撃沈である。 
 彼らの言葉が実際に馬鹿げたことであったとしても、私はこの反応のエキセントリックさが怖い。
 かつて、第二次世界大戦中、実際の戦況は正確に報道されず、日本が戦争に突き進んでいった背景に、新聞、ラジオ等のマスコミの偏向報道があったという。マスコミは政府からの圧力でそういう報道をしていたわけではないのだ。結局、国民の聞きたくない内容は報道されないのである。今、同じ匂いがしないだろうか?
 
野中広務は戦争の体験者として、「田中角栄と周恩来には尖閣の棚上げについて暗黙の了解があった」と発言したが、日本と中国がこのまま互いの主張をぶつけていけば、軍事衝突もあると考えているのではないか。いま、この日本の状況で野中氏の発言がどういう反応を巻き起こすか予想がつかないはずかなかろうに(鳩山さんは予測ついてないかも…)どうしても言わざるを得ないことではなかったのか。簡単に無視していいのだろうか?

 「尖閣問題の核心」矢吹晋 花伝社 という本がある。尖閣の棚上げに関して日本の外務省文書に改ざんあると主張する本だ。日本が棚上げを否定することになって、中国はむしろ、その領有をおおっぴらに主張できるようになったという(詳しくは読んでください)ミュージシャンや登山家がそろって売国奴の言葉を発しているが、気味が悪い。世界は複雑にできているのだ。
 中国が全くの悪で、日本の主張は非の打ち所が無いという単純さを私は憎む。領土問題について、互いの国がガチンコで主張し、どちらかの主張が全面的に認められて平和的に解決するなどということがはたして起こるだろうか?
 それとも戦争しますか?(しましょうという言葉がたくさん聞こえる気がする)日本の外務省が、暗黙の了解など百も承知、でもそれは秘密にしておいて中国の領土的野心が世界中から非難されているうちに、ごり押しして尖閣は日本のものだと世界に認めさせてしまおうと悪賢く考えているならむしろあっぱれである。
でも、今さら外務文書改ざんしてました、と言い出せないで取り繕うとしているとしたら、原発と同じなのかもしれないとも思う。
ネットのニュースサイトでも、尖閣に関して周恩来と田中角栄とのあいだにやりとりがあったと認め始めている。ただ、これを棚上げの合意とは認められないとの論調だ。もう既に雲行きがあやしい。
 尖閣に関して二人にやりとりがあったと認めたなら、それをどう解釈するかに議論の余地は発生するではないか。日本の文書には何も書かれていない。中国の文書には記述がある。二人のあいだに尖閣についてなにか話があったと認めるだけで、日本は既に不利だ。中国が行儀の悪い国であることは確かだろう。とはいえ、だから悪ガキは叩いて懲らしめないとわからないのだから、戦争だぁ、になるのは嫌だ。
 私はせめて世界の複雑さに耐える大人でありたいと思っている。






尖閣問題の核心―日中関係はどうなる
矢吹 晋
花伝社

徳州会に東電病院を差し出した猪瀬直樹

2013年12月05日 17時35分05秒 | 政治
 今日の「東京新聞」が猪瀬直樹・東京都知事の五千万円受領問題に関連して、「徳州会 東電病院買収に意欲 都心進出を狙う」というスクープ記事を掲載している。(下記参照)

 これによると、何故、闇の中で五千万円もの大金が動いたのか、スムースに納得できる。同時に、猪瀬直樹という人間の裏表が明るみに出たという印象だ。

 以前このブログでは、猪瀬直樹が「全共闘世代」に典型的なエゴイストであり、「我欲」の塊であると指摘した。また、本人が容姿や学歴に深いコンプレックスを抱いていたことに着目した。

 「ルサンチマン」がひとの行動の原動力であることは否定しない。だが、いくら猪瀬直樹が「チビ」「猪八戒」とからかわれても、それには同情できない点がある。それは、猪瀬自身が古参政治家顔負けのダーティな政治屋であることが明らかになったからだ。

 猪瀬は原発事故を起こした東京電力に対し、被災者のためと装いながら、東電の資産売却を促した。その結果、東電病院を売却させ、徳州会がこれを買えるように配慮したという疑いが生じている。原発事故さえ、自らの金儲けのネタにしようとするこの強欲さと公徳心の欠如!

 
 猪瀬直樹と菅直人には類似点、共通性が多い。両者は「公」の精神など欠片も持ち合わせていない。「自己顕示欲」「権力欲」の塊のポピュリスト(大衆迎合主義者)と言っていい。

 こういう輩が日本社会をますます弱体化させていく。


徳洲会 東電病院買収に意欲 都心進出狙う

2013年12月3日 「東京新聞」朝刊

 東京都の猪瀬直樹知事に五千万円を提供した医療法人「徳洲会」グループが、昨年十一月の資金提供時点で、東京電力が保有する「東京電力病院」(新宿区)の買収に強い意欲を持っていたことが分かった。都は東電の主要株主で、猪瀬知事は副知事時代から、東電改革の責任者として病院売却を要求してきた。
 東電は資金提供一カ月前の昨年十月、売却方針を公表した。徳洲会側は入札に参加したが、今年九月に強制捜査を受けた以降に辞退。病院は最終的に不動産大手の東京建物が落札した。

 徳洲会関係者によると、同会は都内に「東京西徳洲会病院」(昭島市)を運営するほか、二〇一五年に「武蔵野徳洲会病院」(西東京市)を開業する予定だが、いずれも多摩地区に立地するため、二十三区内への進出は以前から悲願だった。
 こうした中、徳洲会側は一昨年三月の東電福島第一原発事故後、売却話が出ていた都心部の東電病院に着目。福島県や関東地方の市民の放射線被ばく検査データを蓄積するなど、一定の公的な役割を果たしながら病院を運営する構想も持っていた。

 東電が昨年十月に売却方針を公表する前の段階で、同会幹部が東電役員と会い、交渉したこともあったという。
 一方、猪瀬知事は原発事故後、副知事として東電改革を担当。東電病院が社員やOBだけを対象に運営され、病床の稼働率が低い実態を指摘していた。
 昨年六月の東電の株主総会に出席した際には「(東電が)公的資金を受けながら、社員だけを診療する病院を運営するのはとんでもない」などと詰め寄り、売却するべきだとの考えを強調していた。
 同会関係者は「東電病院は場所も良く、徳洲会のフラッグシップ(旗艦)になると思った。病院に公的な意義付けを与え、都のバックアップをもらえたら良いだろうと考えた」と話している。
 徳洲会グループの広報担当者は取材に対し「強制捜査という事態になり、落札できないだろうと判断し、辞退した」と説明。五千万円の趣旨については、「徳田毅(たけし)衆院議員の金であり、グループとしては関知しない」と話した。

 猪瀬知事は十一月二十二日の会見で、徳洲会側からの便宜供与の働き掛けについて「全く一切ありません。百パーセントありません」と否定していた。

 <東京電力病院> 1951年、東電が社員らの健康を管理する職域病院として東京都新宿区に開設。敷地面積約5600平方メートル、地上7階、地下2階建て。内科や外科、整形外科など9科あり、病床数は113。都は2009年の定期監査で稼働率が低いとして病床数を減らすよう指導したが、12年6月時点の稼働率も2割未満にとどまっていた。JR信濃町駅から徒歩5分の一等地にあり、資産価値は120億円超とみられる。

櫻井よしこ 「NHKは反省するか」

2013年12月02日 08時36分12秒 | マスメディア
 今朝の「産経新聞」一面に評論家・櫻井よしこ氏が「NHKは反省するか」という一文を寄せている。

 4年前、NHKが大宣伝をして放送した「シリーズJAPANデビュー」の第一回放送「アジアの”一等国」が偏向番組だとして、視聴者に訴えられた裁判で、東京高裁が一部その主張を認め、NHKに対して賠償を命令した。NHKがこの判決を真摯に受け止め、「自らの報道姿勢を正す反省材料とするだろうか」と櫻井よしこ氏は問いかける。

 だが、NHKはそんな気は毛頭ないらしい。
 そもそも「朝日」や「毎日」の読者には、この訴訟があったことさえ、ほとんど報じられていないのだ。一見、公平、中立を装うNHKを真に受けてはいけない、ということだろう。
 傲慢なNHKには、受信料不払いこそが最も有効な対抗手段となりうる。




NHKは反省するか    櫻井よしこ
2013.12.2 03:40  【産経】

 果たして「NHK」はこの判決を自らの報道姿勢を正す反省材料とするだろうか。

 平成21年4月5日放送の「NHKスペシャル・シリーズ JAPANデビュー」第1回、「アジアの“一等国”」でNHKは、1910年、ロンドンでの日英博覧会で日本が台湾のパイワン族24人を「人間動物園」として展示したと報じた。

 24人のうちの1人の方の娘さん、高許月妹(こうきょげつまい)さんらが、NHKの報道は取材に応じた人々の真意を歪曲(わいきょく)した、名誉と心を傷つけられたとして東京地裁に訴えていた。11月28日、東京高裁は東京地裁の原判決を取り消し、NHK敗訴の判決を下し、高許さんに100万円の支払いを命じた。加えて高裁は判決理由の随所でNHKに対する驚くほど厳しい指摘に踏み込んだのである。

 たとえば、NHKは、「取材を受けた高許さんの話の趣旨を十分に理解しようとする姿勢に欠けていた」「その好意を土足で踏みにじるような結果を招いた」「違法とまではいえないものの、(報道の)基本を怠った」「本件番組は、日本の台湾統治が台湾の人々に深い傷を残したと放送しているが、本件番組こそ、その配慮のない取材や編集等によって、台湾の人たち(中略)の心に、深い傷を残した」という具合だ。

 原告側代理人、高池勝彦弁護士はこのような厳しい表現での言及は異例だと語る。

 NHKにおける「自分の考えに合致する内容の番組を作ることばかりに目が向いていた」偏向報道は歴史問題に限らない。特定秘密保護法案に関する一連の報道にも、同質の偏りを感じる。同法案が衆院で可決された11月26日の「ニュースウオッチ9」を具体的に見てみよう。

 同日の「9」は冒頭で同法案を取り上げたがその論調はおよそ反対一色だった。国会前で拡声器で法案反対を訴える人々の大音声や衆院国家安全保障特別委員会で、委員長席に詰め寄る民主党議員らの映像を見せつつ、「9」は安倍晋三首相以下、自民党の中谷元・特命副幹事長らの意見に民主、日本維新の会の「強行採決は委員会運営の失敗」「数の横暴」などのコメントを対比させながら報じた。

 後半部分では浅田次郎日本ペンクラブ会長の「時代に逆行」との非難、採決前日、福島の公聴会に出席した馬場有浪江町長の「はじめに結論ありきだった」との批判を紹介し、政治部が解説した。

 補正予算、税制改正、外交日程などで会期延長が困難な中、採決に踏み切ったという国会日程の表面的事象のみの説明だ。番組キャスターの大越氏が、日程ありきの審議を批判し、中身の濃い議論に期待する旨語って、同コーナーは終わった。約12分間、NHKは法案の内容も、必要論も賛成論も伝えず、結局、反対論ばかりを伝えた。

 なぜ、日本がいま特定秘密保護法案に取り組み、安全保障体制を根本から整備する必要があるのか、日本を除く諸外国の機密情報保護の法律に比べて日本の法案はどこが問題か、何が不足か、こうした論点の説明をしないのである。NHKは中身の濃い議論をせよと言うが、中身がないのはNHKのほうではないのか。

 反対一色とでも言うべきNHKの報道は、反対論者、賛成論者双方にとっても正しい問題把握を妨げるもので、無意味かつ有害である。

 増大する中国の軍事的脅威の前で、政府は国家安全保障会議(NSC)をつくり、国家安全保障戦略(NSS)と新たな防衛大綱を定めつつある。国家として当然の責務である。そうした制度を整備して日米同盟緊密化を確固たるものにするのが国益だ。

 国の安全保障に関わる情報の適切な秘匿はそのために欠かせない。まともな国は情報の収集、秘匿、そして公開においてきちんとした体制を整備しているものだ。その多くが抜け落ちているわが国だからこそ、中国の脅威が眼前に迫っているいま、急いで体制を整えなければならない。特定秘密保護法案はその重要な一部である。

 他方で、わが国は民主主義と自由を尊重する国である。基本的に全情報は最終的に国民に戻すという原則を守らなければならない。言論、報道の自由を担保する中での特定秘密保護法案という位置づけはゆるがせにしてはならない。

 民主主義のわが国において、そんなことは安倍晋三首相以下、政治家全員が十分に承知していることだ。だからこそ、国民の関心は国民の代表としての政治が目指しているであろう情報の適切な秘匿と適切な公開が、制度上どう保証されるのかという点にある。

 特定秘密を指定するのが各省の大臣、事実上、役人であってよいのか。政治家の思惑をこえて、官僚の恣意(しい)的情報隠蔽(いんぺい)を許してしまう危険はないか。特定秘密の指定や解除に関して公正さは担保できているのか。首相の言及した第三者機関はどう構成すべきなのか。特定秘密に指定された情報は5年毎に更新され、30年を超える場合は内閣の承認で60年まで延長され、その先への延長も可能とされている。30年、60年、さらなる延長でよいのか。

 この一連の重要な事柄を私たちはいま、安全保障上、短期間に決定しなければならない。情報秘匿の必要性についても、反対に公開の重要性についても、成熟した大人の判断力を養わなければならない。メディアの役割は、国民がそのような能力を身につけるための情報を提供することだ。成熟した国民の前では、政治もまた覚悟を求められる。情報は最終的には国民に属するという基本を守れるか、国民は厳しく見詰めるからだ。

猪瀬直樹 「公」なきエゴイスト

2013年12月01日 12時05分54秒 | 政治
 猪瀬直樹・東京都知事がついにその”馬脚”を表した。
 徳州会からの五千万円受領が明るみになってから、最初に臨んだ記者会見は、目はうつろ、しどろもどろの連続だった。生中継でノーカットの映像を見ると、この人の「攻めに強く守りには滅法弱い」性格が浮かび上がってくる。



 このとき連想したのが、福島原発事故当時、目もうつろ、恐怖に怯えた様子の菅直人首相(当時)の姿だった。



 猪瀬直樹(1946.11~)と菅直人(1946.10~)、同い年のこの二人には「全共闘活動家」という共通項がある。猪瀬直樹は松本にある信州大学人文学部全共闘の委員長、菅直人は東工大全共闘の活動家で、ともに既成の組織には属さず、文筆家と弁理士という「一匹狼」の道を歩んだ。
 「週刊新潮」最新号によれば、猪瀬直樹は「医学部を落ちて信州大学に行った」とかで、友人も少なかった。全共闘委員長に担がれたのは、人望があったからではなく、弁が立ったからだという。本人は短躯と猪八戒に似た容貌という身体的コンプレックスが強く、5cmのシークレットブーツを履き、上瞼を整形したうえ、眉墨を入れていたという。

 菅直人は、「市民政治家」を自称して、市川房枝に取り入り、バルカン政治家の本領を発揮して、首相の座まで登り詰めた。

 この二人に共通するのは、①「我欲」だけのエゴイスト、②権威や組織に対するコンプレックスと怨念、③ドメスティックな視野狭窄といったところだろうか。

 ①については、今回の五千万円受領事件や菅直人の北朝鮮系在日外国人からの献金問題が象徴的。②は、官僚組織に対する憎悪であり、言い換えれば東京大学に対するコンプレックスとも解される。③については、彼らが高校生になった1960年、そのときの世界地図を開けば、アフリカのほとんどは西洋列強の植民地と書かれていたはずだ。日本はようやく「敗戦国」のくびきから逃れ、経済的繁栄の道を歩む直前だった。こんな時代に育ったのだから、国際的視野など持ちうるはずもなかった。菅が首相になって、国際舞台に登場したときのあのオドオドとした表情は、まさに全共闘世代を象徴していた。

 孔子の子孫だと自称する中国人・孔健は、「現在の中共指導部は、紅衛兵上がり。日本人政治家は敵わない」と何かの雑誌に書いている。実のところ、日本の全共闘活動家が模倣したのは、この中国の紅衛兵だった。「造反有理」(無法行為にも道理がある)という紅衛兵のスローガンは、例えば東工大全共闘が教授達をつるし上げるときに使った言葉だったのだ。だが、全共闘のつるし上げは、小競り合い程度の暴力だった。一方、紅衛兵は中国全土で「革命のため」と称して自国民・同胞を何百万人も虐殺したのだから、確かに日本の全共闘上がりが敵う相手ではないのかも知れない。

 学園紛争で東大入試が中止になったりする中で、「よくて課長、先の見えた人生」と言われた全共闘世代だが、今や高齢者に属する世代になって、残り輝くのは猪瀬や菅のような人物だけになってしまった。それはそうだろう、世に異議申し立てばかりして、協調性も欠如して 我欲だけ、致命的なのは「公」の精神が全くない…こういう世代なのだから。