澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

SHM-CDは本当にいい音か!?

2012年01月29日 23時52分39秒 | 音楽・映画

 SHM(Super High Material) CDが発売されて、もう何年になるだろうか。日本ユニバーサル・ミュージックが開発した高音質CDのブランド名称で、通常のCDプレーヤーでも再生可能なところが特長だ。その理論特性等については、次のブログ※に詳しい。

※ http://shm-cd.co-site.jp/about/

 CDの売り上げが年々減少し、音楽メディアとしてのCDは、ネット上からPCへのダウンロードにとって代わられようとしている。レコード、オープンリール・テープ、カセット・テープがほぼ消滅したように、CDもまた同じ道を辿ろうとしているかのようだ。音楽はますます消耗品と化し、音質にこだわるマニアもまた消滅しようとしている。

 最近、聴いてみたのは「魅惑のストリングス マントヴァーニ・オーケストラ」(日本ユニバーサル デッカ UICY80002 2009年リリース)だ。

 
「魅惑のストリングス マントヴァーニ・オーケストラ」(SHM CD)

 この中に入っている「ラ・メール」「枯葉」「ラ・ロンド」の三曲を、①オリジナルのLP、②約20年前に日本でリリースされたオリジナル・アルバムCD、③3年前にリリースされた「華麗なるマントヴァーニの世界」(ユーキャン発売 10枚組CD)と比較試聴してみた。


②「コンチネンタル・アンコール」(London POOL20101 1989年)


③「不滅のカスケーディング・ストリングス」(ユーキャン版「華麗なるマントヴァーニの世界」所収) 

 「ラ・メール」「枯葉」は、1959年リリースされたマントヴァーニのオリジナル・アルバム(LP)「コンチネンタル・アンコール」(Continental Encores)所収。「ラ・ロンド」は、1958年のアルバム(LP)「ワルツ・アンコール」に入っている。

 「ラ・メール」「枯葉」は、ストリングスを主体に、木管楽器が彩りを添え、金管楽器が控えめに背後にいるという配置。「ラ・メール」では、メロディ・ラインをホルンが受け持つ部分があるが、昔の日本盤レコードでは、この音がチェロなのかホルンなのか分からなかった記憶がある。「ラ・ロンド」では、かなりはっきりと金管楽器(トランペット)の音が入るので、SHM CDではどう再生されるか興味深い。

 「コンチネンタル・アンコール」は、LPレコード時代、何度もジャケットを変えて国内盤が発売された。だが、英国デッカがプレスしたロンドン盤(米国発売)の音には遠く及ばなかった。ただし、LP時代の末期、キング・レコードが発売したスーパー・アナログ・ディスク(高音質LP)による「コンチネンタル・アンコール」は、他を圧して特段に音がよかった。

 米国ロンドン盤LPの音質を最も忠実に引き継いでいるCDは、ユーキャン版の「不滅のカスケーディング・ストリングス」※だ。このCDの制作に当たっては、英国のVocalion社がリリースしているマントヴァーニのCDが、往年の「マントヴァーニ・サウンド」とはほど遠いという悪しき教訓から、オリジナル・マスター・テープに全く加工を施さないというポリシーが貫かれた。
 
 SHM CDとオリジナルに忠実なユーキャン盤とを比較すると、SHMは①ヴァイオリンの音がきらびやかに響くが、②低音域のコントラバスは、異様なほど強調される。フルートなどの木管楽器は、SHMでは音の輪郭がクリアーになっているが、弦との解け合いはかえって悪くなっている。音像が不自然に拡大して、かえって聴きにくくなっているという印象だ。これはどうしてかというと、ミニコンポやパソコンで音楽を聴く人が多数派になっているからだと思われる。すなわち、その昔、音にうるさいオーディオ・ファンの存在を意識して、LPレコードはオリジナル・マスターをできるだけ忠実に再現できるようにマスタリングしていた。しかし今や、オリジナルの音などよりも、ミニコンポで聴きやすい音になるよう、マスター・テープの音をいじってしまっているのだ。

 私の結論は、音のよい順番に並べていくと、次のようになった。

① スーパー・アナログ・ディスク(キングK35P-70002 LP 現在廃盤)
② 米国ロンドン盤LP(廃盤)
③ ユーキャン盤CD (10枚組CD「華麗なるマントヴァーニの世界」所収)※
④ 1989年リリース日本盤CD(現在、廃盤)
⑤ SHM CD(2009年 日本ユニバーサル・ミュージック)
⑥ Vocalion盤CD(英国)

 http://www.u-canshop.jp/mantovani/ 

 ①と②はすでに廃盤なので、現在入手しうるCDの中で、最も音質がいいのは、SHM CDではなく、ユーキャン盤ということになる。

  最後に付け加えると、SHM CDに入っている「グリーンスリーブス」は、マントヴァーニのオリジナル演奏ではなく、真っ赤な贋物。理由は分からないが、ここではマントヴァーニ死後に録音された「マントヴァーニ楽団」の録音(BMGが保有しているはずの録音)が使われている。この演奏は、演奏技術も音質も、オリジナルに遠く及ばない。マントヴァーニの看板のひとつとも言える演奏が、得体の知れない録音にすり替わっているのだから、ことは重大だ。 

 

 


首都直下地震、4年以内70%の衝撃

2012年01月23日 15時31分31秒 | 社会

 今朝の新聞に「首都直下地震、4年以内の発生確率70%」というニュースが載った。
 これまで公表されている発生確率は「30年以内に70%」だったそうだから、首都圏直下地震の可能性が、格段に大きくなったことになる。驚くべきことに、この情報は、昨年9月に東大地震研によって発表されていたが、今朝「読売新聞」がこのニュースを掲載するまで、一般には全く知らされていなかったのだ。東大地震研の発表からは、もう4ヶ月が過ぎている。原発事故のときに、「パニックを恐れて」正しい情報を発表しなかった政府、マスメディアの「談合」は、相変わらず続いているのだ。

 東日本大震災の被害額は、原発事故を除外して、およそ80兆円と言われている。一方、もし首都圏に直下型地震が発生した場合、その被害額は200兆円とか。これは、国家予算の2倍以上の額になる。
 首都圏は、全世界規模で見ても、人口密度が極めて稠密な地域。あまりに巨大化し、高度化した都市に震災が起きたら、被災者救護もままならない。被災者を収容する病院や体育館などが、絶対的に不足しているからだ。
 
 東日本大震災では、全国からボランティアがかけつけて、「絆」なる言葉がブームになっているようだ。だが、首都圏直下地震では、ボランティア活動どころか、治安の悪化(暴行、略奪などの犯罪増加)が懸念される。もともと自分の街に繋がり、愛着もない烏合の衆が、にわか仕立ての「絆」など築けるはずもない。「我欲」まるだしの地獄絵図が展開されるかも知れない。

 首都圏直下地震で日本経済はほぼ壊滅状態になる。東海・東南海・南海の三連動地震が加われば、間違いなく壊死状態。素人の私でもそう思うのに、TVなどでこの最悪のシナリオを語る人を見たことがない。3.11原発事故での最悪シナリオが隠蔽されていたというニュースを聴くにつけ、どうも日本人には「危機を危機として捉えず、なかったことにする」という性向があるように思える。
 
 個人的には、水・食糧の確保、現金の保有、車を常時満タンにするなど、対策を進めている。一番頭が痛いのは、保有している株券の処分だ。首都圏直下地震が襲ってきたら、間違いなく株は暴落するだろうから…。

 

首都直下地震、4年以内の発生確率70% M7クラス、東大試算

2012.1.23 11:24 地震・津波・地球科学  (産経ニュース)

 首都直下地震など、マグニチュード(M)7クラスが懸念されている南関東での地震について、今後4年以内に発生する確率が約70%に達する可能性があるとの試算を、東京大地震研究所のチームが23日までにまとめた。

 政府の地震調査研究推進本部はM7クラスの南関東での地震について、今後30年以内の発生確率は70%程度としている。研究チームの平田直・東大地震研教授は「発生確率はそもそも非常に高かったが、東日本大震災でより高まった可能性がある」としている。

 平田教授によると、地震学では経験的に、地震の発生回数はMの大きさに反比例するとされる。Mの数値が1小さくなると回数が10倍になるといわれており、この法則が南関東の地震にも当てはまるとの前提で計算した。


「革新幻想の戦後史」(竹内洋 著)雑感

2012年01月19日 17時52分55秒 | 

 昨日、東大の総長諮問会議が、5年後から「秋入学」を提案(中間報告)して、早速、TVなどで大きく採り上げられている。「大学紛争」から40年以上経った今でも、「東大」の座は揺るぐどころか、ますます強固になっているように見える。
 また、由紀さおりのアルバム「1969」が米国でヒットしたとかで、1969年が注目されている。この年は、全国の大学紛争が頂点に達し、東京大学、東京教育大学(現・筑波大学)の入試が中止となり、東京外国語大学では、暴力学生の介入を排除するという名目で、何と各教科30分という変則入試が強行された。
 
 先日、「大学センター入試」にトラブルがあったとかで、受験生間での「不公平」が問題になっているが、この程度で不公平云々というのなら、1969年には途方もない不公平、不正義がまかり通ったことになる。

 さて、肝心の「革新幻想の戦後史」(中央公論社 2011年)について。著者・竹内洋は、1942年生まれの教育学者で、元京都大学教授。自らの体験に基づき、戦後日本の学界、論壇を回顧したのが、本書だ。
  
 第三章「進歩的教育学者たち」には、次のような興味深い記述がある。

教育学部は進歩的学者が多かった。ここでいう進歩的学者とは左翼~共産党あるいは社会党左派~の同伴者の謂(いい)である。二流の学問と言われる教育学は、時流にもうごかされやすい。教育学部出身のわたしはある教授から同情めいたことを言われたことがある。」

 ある教授とは衛藤瀋吉(東大教授、亜細亜大学学長 1923~2007)のことだった。2002年、松本で開かれたパネル・ディスカッションに出席した著者は、同じパネラーとして出席していた衛藤に次のように言われたという。

「教育学部教授と知って警戒したのだが、それにしても君のような人がよく教育学部で生き残れたね。」(
p129-130

 第四章「
福田恆存の論文と戯曲の波紋」では、こんな記述も見られる。

進歩的文化人の後裔は「キャスターやコメンテーターなる人種」だとして、かれらのコメントが「下流大衆世論」を再生産させる。

「福田恆存に倣って、進歩的文化人の現代版キャスター・コメンテーターを笑劇にしたらどうなるだろうか。「解ります。よーく解ります」のかわりに、深刻そうな表情と「(首相は、大臣は、社長は)なにを考えているのでしょうか。…つぎへいきます」という台詞を多発させることになるのであろうか。」(p.310)

 第七章「知識人界の変容」では、次のようなことも。

「…いま三木清ほかについて、在野知識人と言ったが、帝大教授という官学知識人に対しての用語で、かれらが大学に籍をおいていなかったということではない。小林秀雄は明治大学文学部文学科教授、三木清は法政大学文学部哲学科教授 羽仁五郎は日本大学文学部日本史学科教授、林達夫は東洋大学文学部文化学科教授、谷川徹三は法政大学文学部哲学科教授だったからである。かれらは生活の資のために私立大学に職を得ていたが、三木や羽仁のように、治安維持法違反容疑で逮捕され、退職に迫られた人もいる。当時は、大学といえば帝国大学であり、私立大学は、名前は大学でも、帝大との差は今日の東大と専門学校くらいの差があった。だから、三木清や小林秀雄は自らのアイデンティティは“(私立)大学教授”などではなく、“哲学者”や“文藝評論家”だった。」(p.412-413

  故・衛藤瀋吉氏のエピソードは、さもありなんという感じ。ちなみに、1969年の東大入試中止を文部省に進言した東大教授のひとりが、この衛藤だったそうだ。最近、そのことを何かで読んで、怒りがこみ上げてきた。

 「当時は、大学といえば帝国大学であり、私立大学は、名前は大学でも、帝大との差は今日の東大と専門学校くらいの差があった」とは、身も蓋もない話ではないか。
 大昔、わたしは、その三流私大に在籍していて、衛藤瀋吉氏の授業を受けたことがある。衛藤は著書の中でも「宮崎滔天は私大出ながら、漢文がよくできて…」というような書き方をする人だったから、東大教授の傍ら非常勤講師として私たちに教えていた内容は、とても東大生と一緒とは思えなかった。われわれを教えていた衛藤の内心は、おそらく小林秀雄や三木清と同じような気分であったに違いない。

 1960年代以降、大量生産された大学卒業生は、社会のエリートでも、知識人の卵でもなかった。正確に言えば、旧・帝国大学やその周辺の卒業生だけは、充実した教育内容、教育環境の中で「エリート」への道が開かれてはいたが、私大などは、名ばかりの「大学生」を大量に生産する「株式会社」のようなものだった。
 マスプロ生産された名ばかりの大学卒業生でも、いっぱしに「知識人」面をして「朝日新聞」や「世界」(岩波書店)を読んだ。一方、「朝日」や「岩波」に大層なご高説を書くのは、東大卒の知識人というのが、戦後社会の定番だったのだ。こうした相互の生産、消費の関係が、戦後民主主義と呼ばれるものを支えていた。だが、大学を出ても就職できない若者が大量に排出される現在、日本の大学社会もまた変容せざるを得ない。「朝日」や「岩波」など信じない若者が、ネトウヨに走るのも時代の流れというものだろう。

 本書は、同時代を体験した人にとっては、「デジャブ感いっぱい」「身も蓋もない話」という感想になるだろう。

革新幻想の戦後史
竹内 洋
中央公論新社

再び「記念艦 三笠」へ

2012年01月13日 09時49分07秒 | hobby

 神奈川県三浦半島の荒崎海岸にある褶曲地形を見にでかけた。東日本大震災以降、三浦半島の活断層に注目が集まっていて、荒崎海岸では露出した活断層が見られるという。
 週日の午後のためか、荒崎海岸には人影が見えず、穏やかな波音が残るだけ。だが、露出した褶曲地層を見るだけでも、太古の日本列島が偲ばれるような気持ちになる。

 (荒崎海岸)

 荒崎海岸を後にして、横須賀市中央部にある「記念艦 三笠」へ。一昨年、ここを初めて訪れたのだが、それは大学で聴講していた「東アジア国際関係史」の授業の中で、教授が参観を勧めたからだった。もういい歳になった私は、子どもの頃、遠足などの授業でこの近くに来たことはあるが、「三笠」に立ち寄ったという記憶はない。考えてみれば、「日教組」全盛時代の学校が、「三笠」を見学先に選ぶはずはなかったのだが…。

 今回は家人と一緒だったので、いろいろな話をしながら、展示を見て回った。たまたま東郷平八郎の展示が開かれていて、東郷本人や「坂の上の雲」の秋山真之の書を見ることが出来た。東郷の書の中には「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」という有名な言葉をしたためたものがあった。「三笠」艦内の歴史展示を見ると、この東郷の言葉は、誇張でもなんでもなく、まさに心の底から出たものであったろう。

 東日本大震災を目の当たりに見て、日本人の多くは自衛隊の必要性を痛感したはずだ。かつて日本社会党は、「自衛隊を災害救援隊に改組せよ」と言い募り、「憲法違反」の自衛隊を消滅させようと試みた。時は移り、「君が代」は嫌いだから歌わないという、「市民運動」出身の菅が総理になり、自らの献金問題(北朝鮮系在日からの政治献金)を国会で問題にされている最中に、あの大震災が発生した。「保身」「我欲」むき出しの菅が、その後どういう行動を取ったのかは、ようやく白日の下に晒されようとしている。

 東郷平八郎と菅直人の落差は、そのまま近代日本の栄光と、現代日本の没落を暗示しているかのようだ。
 「軍事力」は「悪」であるから、「戦争」を考えることはよくない。皆で「平和」を考え、紛争は話し合いを尽くして解決しましょう…こんなことを総理の座にある人間が本気で考えているとしたら、そんな人物を選んだ国民ともども、その国は滅亡の道へと突き進むだろう。
 
 私が勝手に尊敬する宇野重昭氏(前・島根県立大学学長、国際関係論)は、大昔、授業の中で次のようなエピソードを話したことがある。

 「私は島根県で育ち、あるとき鳥を撃つために、猟銃を手にした。山中で銃を手にしたとき感じたその重さ、自分が何かの”力”を得たのだという充足感は、今でも覚えている。権力や闘争を考えるとき、そういう”実感”もまた必要になる。」

 今にすれば、この言葉は、空虚な観念論、お為ごかしの「市民運動」などを戒めた言葉でもあったと思う。

  「記念艦 三笠」の入艦料は、小中学生は無料。大人でも500円。戦前をただ「暗黒」として教えられてきた人、正反対に「坂の上の雲」に感銘した人など、ぜひ訪れるといいだろう。

(記念艦 三笠)

(三笠 艦上)


(左・東郷平八郎の皇国の興廃この一戦にあり」  右・秋山真之の書)




 

 

 

 
 

 


台湾人留学生の殺害事件

2012年01月07日 11時37分38秒 | 社会

 正月早々、二人の台湾人留学生が惨殺された事件は、台湾のマスメディアで大きく採り上げられているようだ。

 台湾人の知人は「残念。怖い」と日本語で知らせてきた。
 最新の情報では、同じ学校の台湾人男性が行方不明で、事件の重要な鍵を握っていると言われる。

 この事件で私が一番印象に残ったのは、被害者・林(リン)さんのお祖父さんがインタビューを受けている映像。お祖父さんは、流暢な日本語で孫の悲運を嘆いていた
 言うまでもないことだが、このお祖父さんは台湾の「日本語世代」のひとり。「日本語がお上手」なのではなくて、かつて日本人として日本語で学校教育を受けた世代だ。もし、このお祖父さんが日本統治時代に恨みをいだいていたとしたら、孫を日本に留学させたりはしない。これで分かるのは、台湾人の親日感情は、現在の日本に対する憧れというよりも、家族の中で世代を引き継がれた感情であることが分かる。もちろん、これは本省人だけの感情だ。

 「植民地支配は悪」「戦前、日本は悪い戦争をした」としか教えない日本の学校教育では、このような台湾人の心情は理解できない。
 この事件を興味本位で眺めるだけでなく、何故、林さんのお祖父さんが綺麗な日本語で話していたか、ちょっとでも考えるのはムダではないだろう。

 

<台東女性殺人>被害者はいずれも台湾人留学生

毎日新聞 1月6日(金)0時39分配信

 東京都台東区小島2のマンションの一室で5日、女性2人が血を流して倒れていた事件で、2人は首など約10カ所を鋭利な刃物で刺され、死亡したことが分かった。2人はこの部屋に住む台湾人留学生の林(りん)シエイさん(22)と朱(しゅ)立ショウさん(24)。警視庁組織犯罪対策2課は殺人事件と断定し、蔵前署に捜査本部を設置した。

 捜査本部によると、この部屋は、2人が通う同区内の日本語学校の寮として使われているワンルームマンションの一室だった。検視によると、発見される1~2時間前に刺されたとみられる。

 林さんは、別の部屋に住む2人の台湾人留学生の男性と北海道旅行に行く予定だった。しかし、約束の午前9時半になっても約200メートル離れた都営地下鉄大江戸線新御徒町駅に来ず、学生から連絡を受けた学校の教員が合鍵を使って部屋に入ったという。

 林さんは玄関付近でダウンジャケットにブーツ姿で倒れており、近くに旅行用バッグがあったことから、外出直前に襲われたとみられる。朱さんはベッドの上で普段着姿だった。【内橋寿明、小泉大士、喜浦遊】


2011年の日本の地震 分布図

2012年01月05日 10時07分29秒 | 社会

 昨日のニュースは、2011年日本列島に起きたM5弱以上の地震回数は、それ以前の17年間の合計に匹敵すると報じていた。

 これがどれほどのことか、ビジュアルで理解できる映像を知人から教えてもらった。 
 次の映像を見るだけで、災害列島・日本の現実を思い知らされるとともに、次の巨大地震はどこで起きるのか等々、さまざまなことを考えてしまう。 

2011年の日本の地震 分布図 Japan earthquakes 2011 Visualization map