澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

謹賀新年!

2010年12月31日 23時45分12秒 | 社会

 2011年へのカウントダウンは、マーラーの交響曲第二番「復活」で始まった。
 5,4,3,2,1…たったいま、2011年に。
 謹賀新年!
 良き年となりますように!

バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章1/4


李登輝「今、日本に必要な指導者とは」を読む

2010年12月31日 04時50分05秒 | 台湾

 李登輝・元台湾総統は、来年、といっても明日は新年だが、90歳を迎える。今なおお元気で、月刊雑誌「Will」(2011年2月号)に「今、日本に必要な指導者とは」という一文を寄せている。
 

李登輝「今、日本に必要な指導者とは」(「WILL」2011.2月号)

 現在、日本のマスメディアは、李登輝氏の存在を不当に過小評価している。それは、中国共産党と中国国民党が造り上げた「ひとつの中国」という神話に騙され、「中華人民共和国」こそが「中国」であるというイデオロギーにとらわれているからに他ならない。1990年代になって、台湾に李登輝氏という政治家が表れ、中国国民党一党独裁体制を打破し、台湾に議会制民主主義を定着させ、台湾の「本土化」を実現した。この李登輝氏は、日本統治時代に「日本人」として教育を受けた、台湾の「日本語世代」の代表的人物である。

「日本統治時代の台湾は日本的教育、西欧的教育を施され、日本人らしい実直さや文化、道徳を教わってきました。私自身も二十二歳まで日本人として日本教育を受けたんです。ところが戦後、大陸から人々がやってきた時に、ギャップが生まれました。その結果が二・二八事件でした。……その背景には、日本統治時代に身に付いた道徳と全く反する、大陸からの外省人による腐敗政治がありました。本省人にとって、このような状況は耐えがたいものがあったのです。」

「それから四十年のながきにわたり、台湾では戒厳令が敷かれ、本省人が厳しい言論統制下におかれ、多くの人が投獄、殺害、処刑されました。私はこの白色テロを”文明の衝突”と呼びました。台湾と大陸では文明が違うのです。そのことを目の当たりにした国民党政府は、日本教育を徹底的に叩く必要があると考えたのです。そして台湾では徹底的な排日教育、排日統制が行われました。日本語を話してはいけない、日本の新聞や雑誌を読んではいけない。おかげで二十二歳まで日本人だった私も、こんなに日本語が下手になってしまった。」

 この李登輝氏の言葉を読むと、われわれ日本人が知らず知らずのうちに、「自虐史観」と言われるものに呪縛されてきたかが分かる。日本の植民地統治は「絶対悪」だと教えられてきたわれわれなので、その歴史的経緯や背景を説明されることはなかった。
 ここで李登輝氏は、日本統治時代の教育は、中国大陸から来た国民党よりもずっと良かったと言っているのだ。一国の元大統領がこう証言するのだから、その意味は重大だ。言うまでもなく日本統治時代には、教育だけでなく、法治制度の確立、産業振興、保健衛生の普及など、台湾の発展の礎となる数々の改革が行われた。
 このことから想像を膨らませると、満州国や朝鮮においても、日本統治時代の教育・インフラ整備を評価する「知日派」「親日派」の満州人、朝鮮人が数多くいたはずだが、日本の敗戦により、共産党独裁国家、反日国家が誕生するに及んで、その多くが粛清されるか、沈黙させられてしまったのではないかと思えてくる。満州や朝鮮にも、今や歴史の中に消え去った数々の李登輝氏がいたのではないか。
 
 インテリを自負する私の友人は、李登輝氏の話に及ぶと露骨にイヤな顔をする。今でもマルクス主義を信奉する彼にとっては、「日本帝国主義」は「悪」であり、その信念を脅かすかもしれない李登輝氏の言葉には敏感なのだ。「不都合な真実」は見ないことにして、自分の信仰を守る。仙谷由人も、この類の人間ではないだろうか。

 日本の総理大臣になってくれと言われたらという問いに、李登輝氏は次のように答えている。
「…大局においては、アメリカに使者を派遣し、憲法を改正します。私は”憲法論議もできないようでは、日本は沈んでしまう”と言ってきました。国家の基本である憲法を修正することが第一です。」

 敗戦のトラウマを引きずり、「歴史認識」の隘路に陥った感のある日本人に、この李登輝氏の言葉は、心強い示唆を与えてくれる。
 来年(明日から新年になるが)、李登輝氏も本文で触れている井尻秀憲氏(東京外国語大学教授・国際関係論)の話を聴く機会がある。テーマは「李登輝の実践哲学」。今から楽しみだ。

 
 それでは、皆様、いいお年をお迎えください!
  
  


橋下府知事「大阪都」構想のいかがわしさ

2010年12月28日 09時42分48秒 | 政治

 橋下大阪府知事が、大阪府と大阪市を統合した「大阪都構想を打ち出し、賛否両論を呼んでいる。早速、石原都知事は「首都だけが”都”を呼称できるのであって、おかしい」と論評した。

 橋下大阪府知事によると、「大阪都」構想は、①大阪府と大阪市の二重行政を解消できる、②住民自治、地方主権をさらに進めることができるとしている。
 だが、橋下がモデルとする東京都の特別区制度には、次のような致命的欠陥がある。①わずか4km四方というような狭い地域が、ひとつの特別区の単位となっていて、そこに区議会が置かれている。②「都区財政調整制度」により、本来区市町村税である固定資産税、法人住民税は東京都が徴税しているので、特別区は徴税努力を怠っても、税収不足にならない。③「区長公選」など特別区の権限拡充が行われたのは、高度成長期であり、行政コストにあまり注意を払わなくても済む時代だった。
 
 ③の行政コストについて、議員及び議会事務局を簡単に比較してみると、次のようになる。
 東京特別区の区議会議員数だが、人口の多い世田谷区で50名、少ない荒川区で32名だ。この中間を選んで41名とすると、23区全体で943名となる。区議会事務局の職員数については、一区平均15名とすると、23区全体で345名になる。これらを合計すると、約1,300人が議会関係の公務員となる。
 現在の大阪府の議員定数は、112名、大阪市は89名。議会事務局の職員数は、推測だが府と市合わせて100名程度だろうから、現在の大阪府及び大阪市の議会関係公務員は、300人程度と考えられる。

 橋下知事の「大阪都」構想は、現在24区ある大阪市の行政区(議会を持たない)を東京都の特別区と同等に変えようとする案であるから、議会関係の議員、事務局職員だけで、ざっと1000人の公務員を増員する計算となる。橋下知事は「地方主権」という耳あたりのいい言葉を使い、「行政区」は役人のトップがいて民意が反映されないと主張している。だが、「区長」が「公選」になった東京特別区で何が起きているかというと、現実には「先祖帰り」のような「ムラ社会」政治が復活しているということだ。東京都中野区では、現区長が、個人的に親しい部長職の友人が癌で入院しているのを周囲に隠し、当該職員の出勤簿を部下に不正押印させ、その給与を満額支給させていたというスキャンダル※が明らかになった。地方の小都市の話ではない。まさに東京のど真ん中での出来事なのだ。

※ http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/721000/d007305_d/fil/d14300009_1704.pdf#search='中野区 給与不正'

 横幅が1kmにも満たない「区」を「基礎的自治体」と位置づけ、「区長公選」「住民参加」などと誉めそやす時代はもうとっくに終わっているのだ。東京では、特別区はあまりに数が多すぎて非効率、統合した方がいいのではないかという有力な意見も出されている。

 東京都の実態を府民に公開することなく、自分に都合のよい部分だけを主張する橋下知事のやり方は、それこそ「住民自治」の理念に反するものだろう。大阪府民よ、騙されてはいけない…と言っておこう。
 

 

 


トスカニーニの「インターナショナル」

2010年12月26日 03時09分02秒 | 音楽・映画

 夜更かしするとたまにはいいこともある。
 NHK BS HiでA.トスカニーニ指揮NBC交響楽団による演奏が放送されていて、たまたま見てしまった。
 そのなかで、ヴェルディ「諸国民の賛歌」が興味深かった。トスカニーニは、ファシズムに反対して米国に亡命したのだが、1944年、ムッソリーニが打倒され、イタリアがファシスト戦線から離脱したのを記念して、この曲を演奏した。ヴェルディのオリジナル曲の他に、何と「インターナショナル」と米国国歌である「星条旗」が加えられている
 1944年、すなわち第2次世界大戦が終結する前年の時点では、ソ連邦を「労働者階級の祖国」と謳う「インターナショナル」(国際歌)を米国では「友邦の歌」として受け入れていたことが分かる。今から考えれば、「インターナショナル」はコミンテルンの陰謀歌のようなものだったことが分かるが、当時の認識は、ともかく友邦・ソ連の国民歌だったのだ。

 「帝国主義国家」を否定し、労働者階級の「国際連帯」を謳うこの歌は、結局、ソ連邦を「労働者の祖国」と仰ぐ一国社会主義賛美に変質していった。そのことを知るものにとっては、あのトスカニーニが、この曲を演奏していたとは驚きに違いない。
 左翼イデオロギーは国民国家をぶち壊すことなどできない…「インターナショナル」を聴くと、いつもそう思う。だが現実には、「地球市民」などという、新たな怪し気なイデオロギーをふりまき、人をたぶらかす人達も出現している。その多くは、昔、「インターナショナル」を歌っていた連中だが…。
  

Arturo Toscanini Hymn of the Nations 2


米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」より

2010年12月25日 23時24分00秒 | 台湾

 YouTubeに私がUPした『米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市より」(下掲)を見た方からメールが届いた。

 「日本を評価して下さる方が台南におられるのは、子孫としては涙が出るほど嬉しく思います。父の故郷を一目見たいと思いながら、恨まれているかもとずっと怖かった。喜んでゆけます。」と綴られている。

 この方の祖父が、日本統治時代の台南で仕事をしていて、敗戦後引き揚げてきたという。
 このYouTube映像は、米国ディスカバリー・チャンネル制作のもの。日本のマスメディアが決して報道しない日本の台湾統治の歴史を簡潔、正確に紹介している。これを見て「台湾に喜んでいける」と思っていただけて、本当によかった。

《メールの全文》
引き揚げ船、引き揚げの様子、こんな感じだったのですね・・・

少年時代の父や、一度も逢えなかった祖母(享年38)や赤ちゃんだった叔母(享年2)、叔父 (享年12) 祖父の背中が
写っていたような気がして、涙が止まりません。

祖父が 高砂族の生徒さんたちと撮った記念写真があります
みんな笑顔で楽しそうでした。

帰国後はアル中のモンスターファーザーになってしまった祖父への見方が 
少し変わりました。

日本が悪ではなく、戦争さえなければよかったのに・・・
と改めて思います。

戦争を美化する気は全くありません。
父の一族は5人中3人が餓死し悲惨な戦後を過ごしました。
戦争さえなかったら、台湾の方々とも、
もっと違う関わり方ができていただろうし・・・ 私は、台南から引き揚げてきた
祖父と父の実態がわからなかったので
これを見ることができて嬉しく思いました。

敗戦後、日本に帰ってからの父の生活は
飢餓、母親と兄弟との死別、継母による虐待、
あまりに悲惨なものだったので・・・

植民地支配という事で、
良い印象を持たない台湾の方も
もしやおられるかもしれませんが

日本に戻ってから
不幸のために人格の崩れてしまった祖父は、

台南では
警察官兼教師として
高砂族の方々の小学校の先生として
頑張ってきたのだと思います。

父の台南の思い出も、サトウキビと
その頃はまだ生きていた家族との思い出です。

日本を評価して下さる方が
台南におられるのは

子孫としては
涙が出るほど嬉しく思います。

父の故郷を一目見たいと思いながら、
恨まれているかもとずっと怖かった。
喜んでゆけます。

戦争は二度と起こしてはいけない それは事実です。

過去を見つめながら
平和を考えてゆきたいです

米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」より


「地球市民」という名の”売国者” 仙谷由人

2010年12月23日 12時37分14秒 | 政治

 本日の産経新聞「正論」欄に「ある”地球市民権力者”の専横」(下掲)という一文が載っている。「産経新聞」ならではの辛口な批評だが、同感できる部分が多い。

 「地球市民権力者」とは仙谷由人官房長官を指す。仙谷官房長官のホームページには、真っ先に「地球市民として自由で平和で健全な世界をつくろう」と書かれている。護憲論者特有の不気味なほど、甘ったるく、観念的な世界観が伝わってくる。仙谷が「資源も飢えや痛みさえも分かち合おう」「同じ地球に生まれた私たちだから」という「地球市民」的観点から、尖閣諸島の中国漁船も追い払わず、中国人船長を起訴もせず釈放したとでもいうのだろうか
 
 「地球市民」などという言葉は、偽善の最たるもの。現実の国家関係、政治力学などを覆い隠す、美辞麗句に過ぎない。「地球環境」「共生」「平和」「市民」などの空疎な言葉も同類だ。
 民主党政権になって、仙谷由人のように現実政治には通用しない空虚な観念論がおおっぴらに通用するようになった。統治権力の骨格を為す官房長官がこの有様だから、この政権は「国益」のことなど一顧だにしていないのではないかと思えてくる。
 「正論」が次のように指摘するのも当然だろう。

『わが日本国の驚くべき官房長官について語ろうと思う。この人物はホームページで自らを日本国民ではなく、「地球市民」と規定している。では、この「地球市民」は尖閣諸島沖の中国漁船事件で一体、何を守ろうとしたのか。少なくとも、われわれの住む日本国という実体ではない。地球市民が住む「平和社会」という幻想を守ろうとしたのである。』


《仙谷由人のHP》
地球市民として自由で平和で健全な世界をつくろう

地球市民として世界の人と仲良くしよう
お互いの存在を尊重し共に栄えよう
資源も飢えや痛みさえも分かち合おう
友愛を育み大きな夢を現実にしよう
同じ地球に生まれた私たちだから
同じ地球に暮らす私たちだから
平和な世界で各人が個性を生かし
自由にのびのびと元気に暮らそう

 

そのために仙谷由人が、今、取り組んでいる3つのこと

1. 分権化(生活に身近な分権は、市民と自治体が決めて実行できる仕組)と自由化(規制緩和)
 自由化すると、全てが元気になります。人間は、本来豊かになりたい、幸せになりたいと思っています。これに上(中央)からブレーキをかける、がんじがらめの規制を緩和しなければ、人が本来持つ向上力を奪ってしまいます。分権化・自由化すると、すさまじいエネルギーがわいてきます。規制緩和により、経済は発展します。

2. 平和で自由な近隣諸国との関係を創造 
 まず、平和な東アジアを創ります戦後の反省の中で、日本はアジアから目を背けてしまっていましたが、戦後50年たった今、まず日本、中国、台湾、韓国、北朝鮮などの近隣諸国とは、折り合いをつけ、仲良くやっていくべきです。アジアがまとまると、世界一の経済圏になります。豊かな資源を生かし、お互いに自由に行き来ができ、助け合って生きていく『アジアの時代』を創ります今、そのためのリーダーシップを日本がとる時期です。

3. ナチュラル(自然派)指向
 きれいな川をコンクリートで固め、海をテトラポットで覆ってしまったら、地形も生態系も変わってしまいました。機能性と引き替えに、くつろぎの場を失い美観を損ねてしまいました。自然破壊を止めないと、消費型の生活パターンを正さないと、地球とそこに暮らす人は、生き長らえてはいかないのです。汚してしまった大気や水も、そこから育てた食べ物も、私たちの体に戻ってきます。地球の自然を私たちの生活を、もっとナチュラルに、自然…

 

   

【正論】筑波大学大学院教授・古田博司 ある「地球市民権力者」の専横

 ◆「日本国民」と自己規定せず

 わが日本国の驚くべき官房長官について語ろうと思う。この人物はホームページで自らを日本国民ではなく、「地球市民」と規定している。では、この「地球市民」は尖閣諸島沖の中国漁船事件で一体、何を守ろうとしたのか。少なくとも、われわれの住む日本国という実体ではない。地球市民が住む「平和社会」という幻想を守ろうとしたのである。

 9月7日、国防動員法が施行され国家総動員体制下にある中国から、一隻の「民兵船」がやってきた。わが国の領海を侵す第一歩として、海上保安庁の巡視船に体当たり攻撃をしかけ、船長以下は拘束された。正式に逮捕するには令状が必要になる。そこで令状を請求してよいですかと、菅直人民主党官邸にお伺いを立てた。

 海上保安部編集のビデオ映像を見た前原誠司国土交通相(当時、現外相)は、逮捕を主張した。仙谷由人官房長官は内心では反対ながら、本気で反対しなかった。船長を逮捕して裁判にかければ、公判維持のため、ビデオは非公開とせざるを得ない。ビデオを隠匿し、「平和社会」を守れる。とにかく、映像を民衆に見せてはならない。それは民主主義に優先する。

 官邸からゴーサインが出て令状が請求され、翌日、船長は逮捕された。13日午後には船長以外14人を釈放し、中国機で送還してあげた。仙谷氏はこれで別の状況が開けると思った。しかし事態は氏の予期せぬ方向へと進む。同じ「平和社会」の隣人のはずの中国が、19日に船長の即時無条件釈放を要求し、報復措置として日中の閣僚級交流を停止した。22日には、日本向けレアアース(希土類)の輸出全面差し止めに踏み切ったことが報じられた。23日には、建設会社フジタの社員4人が拘束されたことが判明する。平和主義者はあわてた。ゆえに、「中国に分かってもらえるはずだと思っていた」と、後に語ったのである。

 ◆ビデオ非公開は長官の意思

 仙谷氏の朋友、松本健一内閣参与が最近、テレビニュースで語ったように、ビデオ秘匿と外務省無視は当初から仙谷氏の意思であった。かくして仙谷氏の“独断外交”が始まる。氏は朋友、中国コンサルタントの篠原令氏を通じ、程永華駐日中国大使と事前調整を始めた。ある外務省幹部の言が残されている。「日中関係が緊迫したときに首相官邸が日本の外交官を信用せず、中国外務省に相談したことに衝撃を受けた」という。

 23日には前原外相が、クリントン米国務長官とニューヨークで初めて会談し、長官は、尖閣諸島が日米安全保障条約第5条の適用対象になるとの見解を表明した。

 24日には那覇地検が、処分保留で中国漁船長を釈放する。不起訴処分は検察の判断で然(しか)るべきだが、この判断に仙谷氏の政治介入があり、同氏が在日中国大使館に釈放を事前通報していたというのが、12月6日付毎日新聞のスクープである。仙谷氏は否定したが、25日未明の石垣空港には釈放された船長を中国機が出迎えに来ていた。スクープ当日には、テレビで先の篠原氏が「船長を釈放しなければ中国軍が尖閣に上陸し、戦争になっていた」と擁護した。

 ◆独断外交の結果、中華風無視

 では、仙谷氏の目的は何かといえば、「平和の破壊者」をかばうことにあった。船長を釈放すると以後は公判が開けなくなり、ビデオ非公開事由が消滅してしまう。仙谷氏は速やかに動いた。29日、密命を受けた民主党衆院議員の細野豪志氏が訪中、篠原氏、須川清司内閣官房専門調査員とともに、戴秉国国務委員(副首相級)、中国外務省幹部らと7時間会談する。中国側は「衝突ビデオ非公開」「仲井真弘多沖縄県知事の尖閣諸島視察中止」を要求し、仙谷氏がこれをのんで、民主党はビデオの非公開を決定したとされるが、疑問が残る。映像を見せて非公開の要求を中国側からあえて引き出したと見る方が自然であろう。

 仙谷氏の努力の結果として、翌日フジタ社員3人が解放され、10月9日にはフジタ社員の残る1人も釈放された、かに見えた。ビデオは無事隠匿され、仙谷官房長官は「平和社会」が守れたと得意顔だった。だが本当に効いていたのは密約の方ではなく、クリントン長官の表明の方であった。メンツを潰(つぶ)されたと感じた中国は29日、ASEAN(東南アジア諸国連合)関連会議への出席でハノイ訪問中の温家宝首相が菅首相と会談しないと伝えた。そして議場で、尖閣諸島は中国領だと強引にも宣言、菅首相に中華風無視の態度をあからさまに示したのである。

 その後は周知のように、11月4日、映像の前半部分がインターネット動画サイトに流出した。ビデオ非公開の意味は完全に消滅し、仙谷氏は処罰しろと怒りまくったという。結局、日本側の対応は、仙谷氏主導の外交によりビデオ隠匿を主目的として展開された。これは、日本国民の誇りを汚し、中国の攻撃的姿勢でほころびた「平和社会」を必死で繕おうとした、ある「地球市民権力者」の専横の笑うに笑えない記録である。(ふるた ひろし

 


マカオの風景

2010年12月22日 11時53分28秒 | 歴史
 きょうは今年最後の授業。

 冒頭、教授が2011カレンダーを回覧して、見るように言われた。その絵が、この「マカオの風景」(G.チネリン画 1827-1850年)。 
 およそ150年前のマカオの風景。すでにポルトガル人が居住して、清朝との貿易とキリスト教の布教活動を行っていた。


(「マカオの風景」 G.チネリン画 1827-1850年)

 それにしても、この閑散とした風景。この当時、マカオはまだ大陸との橋頭堡に過ぎず、大航海時代からのポルトガルの栄光も残っていた。その後、西洋の衝撃(Western Impact)によって、清朝は数々の不平等条約を押しつけられ、国内においては「滅満興漢」の狼煙が上がる。
 嵐の前の静けさのような絵だ。一枚の風景画が歴史を浮かび上がらせる。

ひどい話だ! 尖閣ビデオ流出事件の海保保安官が「停職」とは

2010年12月22日 10時41分03秒 | 社会
 尖閣ビデオ流出事件を引き起こしたとされる海保保安官だが、海上保安庁の懲戒処分によって「停職」に処せられるという。海上保安庁は「4段階ある懲戒処分のうち最も重い免職には問えないと判断したとみられる」そうだが、「停職」も十分に重い重い処分だ。刑事事件として起訴できなかった行為を、海上保安庁の組織内規で、当該職員に「死罪」に等しい「烙印」を押す処分にする。そもそも、民主党政権が毅然とした外交を展開できなかったことから生じた事件であるから、この処分は本末転倒なのだ。
 
 当該海保職員は、多分、退職金は支給されるらしい。評論家・佐々淳行氏が、もし、本件が刑事事件となったら弁護に立つと語った。このように、彼の行為を肯定する人も多いのだから、依願退職をして、一私人となったならば、マスメディアに登場して、なぜ、このような行為を決断したのか、多くの人に伝えてほしい。
 
 それにしても、腹立たしいのは仙谷官房長官の態度。この事件の責任問題を問われて、「政治職」と「執行職」という珍妙な屁理屈を展開した。「政治職」の大臣よりも、「執行職」の海上保安庁長官の方が責任が重いという論理だった。
 
 官庁組織の「懲戒処分」など、所詮はトカゲの尻尾切り。組織を防衛するためには、どんな理屈でもひねりだし、関係者を「処分」する。組織にとって、手強いのは「政治家」や「圧力団体」だ。身近な役所でも、議員さんのクレーム、障害者団体などの「圧力団体」には極めて弱腰になるのが常だ。
 
 現在、一部マスメディア(「週刊新潮」など)が当該保安官のネガティブ・キャンペーンを始めている。彼の人間性を云々という話だが、それは彼が「英雄」としてマスメディアに出現するのを阻止しようとする勢力の意図的な報道だ。




尖閣映像流出 保安官きょう書類送検 停職、依願退職へ

産経新聞 12月22日(水)7時57分配信

 沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突をめぐる映像流出事件で、流出を認めた神戸海上保安部(神戸市)の海上保安官(43)について、警視庁捜査1課が22日に国家公務員法(守秘義務)違反容疑で書類送検する方針を固めたことが21日、捜査関係者への取材で分かった。

 海上保安庁が22日に保安官を停職の懲戒処分とすることも判明。保安官はすでに辞職届を提出しており、処分とともに受理され、依願退職となる見込み。海保は映像の秘密性が低く、漏洩(ろうえい)の際に金品などの見返りがない点から、4段階ある懲戒のうち最も重い免職には問えないと判断したとみられる。

 捜査1課は保安官以外に映像を外部に持ち出した海保職員がいなかったと判断。捜査関係者によると、起訴を求めない「しかるべき処分」との情状意見を付ける方針という。送検を受けて、東京地検が保安官の刑事処分を判断するが、起訴猶予となる公算が大きい。

 一方、海保の組織トップとしての責任問題が浮上していた鈴木久泰長官については更迭を見送る方針だが、情報管理体制の不備などを問う形で減給の懲戒処分とする見通しだ。

 海保は映像の流出元となった海上保安大学校(広島県呉市)の関係者や保安官の上司ら関係職員の処分も検討しており、保安官の書類送検を受けて一斉に処分する。


台湾美人になぜ親日なのか聞いた

2010年12月19日 20時35分30秒 | 台湾

 YouTubeで「台湾美人になぜ親日なのか聞いた」という映像を見つけた。

 「親日的」と言われる台湾だが、その理由がこれを見るとよく分かる。やはり「祖父母から日本はよいと聞かされて育ったから」というのが一番らしい。「もし台湾がアフリカ諸国のような取り扱いをされていたら、今もひどい状態だったと思う」という感想もある。
 こんな意見を聞いたら、「キミは植民地主義を肯定するのか」「帝国主義の国家がよいことをするなんてありえない」など、紋切り型の反論をする知り合いが、まだ周囲にもいる。彼は、いまだに階級史観、発展史観に呪縛されているから、自分の”理論”に不都合な真実は見ようともしないのだ。
 
 確かに、自国の近現代史を蔑み、そうすることによって「進歩的」ポーズをとる似非市民には、到底認めがたい話だろう。尖閣事件が起きてもなお、「話し合いが必要」「自衛隊の配備強化反対」を叫ぶ「護憲勢力」が数多く存在するこの国のことだ。

 だが、この台湾美人の歴史を見る眼は、平和呆けした日本人よりもずっとリアルで鋭い。
 

[外国人との議論Vol.09] 台湾美人になぜ親日なのか聞いた


中国漁船 韓国警備艦と衝突し沈没

2010年12月18日 23時28分38秒 | マスメディア

 韓国の領海内で違法操業していた中国漁船が、韓国警備艇に体当たりし、漁船員が韓国警備隊員に鉄パイプで殴りかかったという。韓国政府は、賢明にも、事件後直ちにその映像を公開した。
 誰もが思い出すのが、尖閣事件。
 あの事件でも、全く同じような映像があって、隠されているのではないか。件の海保保安官は、いまどうなっているのか?
 「国防」意識さえ希薄な民主党政権は、韓国政府を見習って尖閣事件の全貌を直ちに明らかにすべきだろう。
 

 【ソウル=仲川高志】韓国海洋警察庁によると、18日、黄海にある韓国・於青島(オチョンド)沖の排他的経済水域(EEZ)で、同庁警備艦の海洋警察官4人が中国漁船に停船命令を出し、小型ボートで漁船に乗り込もうとしたところ、漁船員から突然、鉄パイプで殴られるなどの暴行を受け負傷した。

 漁船は警備艦に突っ込んだ後、沈没した。警備艦などが漁船員10人のうち8人を救助したが、1人が死亡、1人が行方不明となっている。同庁の警備艦やヘリコプターなどが捜索を行っている。

 同庁によると、現場海域は魚種が豊富で、中国漁船による違法操業が後を絶たないという。今年に入り、同庁は中国漁船332隻を拿捕(だほ)。取り締まり中の海洋警察官が中国船員から暴行を受けた事件は3件あり、計10人が負傷したという。

 韓国外交通商省は18日、在韓中国大使館に対し、電話で「今回の事件の違法性とは関係なく、人命が失われる結果となったのを遺憾に思う」と伝えた。 .

中国漁船 韓国警備艦と衝突し沈没


「NHK捏造事件と無制限戦争の時代」を読む

2010年12月18日 22時05分12秒 | 
 大手古書店に寄ったら、たまたま500円以上の本は「本日に限り500円均一」だという。最近の私は、本を買わないことにしている。目が疲れるし、これ以上本を置く場所もないからだ。
 だが、たまたまどぎつい装丁の本が目に付いた。「NHK捏造事件と無制限戦争の時代」(藤井厳喜著 総和社 2009年)という書物。「アジアの”一等国”」問題から見えてきたNHKの体質には疑問を持っているので、思わず買ってしまった。

 主な内容は…
プロローグ 私たちは今、戦場にいる
第一章 無制限戦争の時代
第二章 NHK番組捏造問題
第三章 米中共同統治と日本
第四章 NHKの体質
別章 アジアの無制限戦争、最前線
 台湾 ウイグル チベット

 いきなり「戦争」の概念を拡散して議論するやり方には感心できない。あなたが知らないうちに「戦争」は始まっているというのは、センセーショナルなアジテーションに過ぎないから。だが、こういう本を好む若者が多いのも事実だろう。太文字やアンダーラインが多用されていて、ネット上の記事をそのまま活字に移した感じだ。
 
 NHKの体質について記述している部分が、特に参考になる。放送免許の関係からNHK上層部は常にときの政治権力に擦り寄る体質を持っている。特に、田中角栄による日中国交回復以降は、「親中国」がNHKの局是となった、昨年4月に放送された「アジアの”一等国”」を見た人は、「親中国」どころではなく、「媚中」「反日」の番組だと感じた人も多かった。この番組を担当した濱崎憲一というディレクターについても詳しく書かれていて、いかに作為的な捏造が組織ぐるみで行われたかを知ることができる。濱崎にとっては、「アジアの”一等国”」が局内で名声、出世をかちとる手段だった。濱崎の出世欲とNHKの局是が奇妙に一致した「成果」が、この番組だったわけだ。こんな連中が「報道の自由」「未来を読み解く鍵は歴史の中にある」とかいうのだから、笑止千万、噴飯ものと言わなければならない。

 藤井厳喜という人の名前は、知人に教えてもらったことがある。経歴を見ると、どうやら「大学社会」の規格をはみ出していて、正規の大学教授のポストは得られなかった人のようだ。同じ政治学専攻でもK大学の卒業生は、そこそこの私立大学教授のポストを得ている。私の知り合いで「国際関係論 日本外交史」専攻の教授(某地方私立大学)になった人がいるが、この人は「恩師」に最後まで付いていく従順な人だった。だが、つまらない教科書ばかり書いていて、この著者のようなオモロイ本は書けなかった。
 
 日本の「大学社会」は、今でも「進歩的文化人」の牙城なのだろうか。否、我が身大事の保身を図る人ばかりなので、「問題」を起こす人を排除するだけなのかも知れない。この著者は、「南京大虐殺はなかった」「シナ人」と発言して、麗澤大学講師のポストを棒に振ったそうだ。
 「論争的」な人生も結構、だがお歳を考えると、疲れるだろうなあ、とも思った。
  
NHK捏造事件と無制限戦争の時代
藤井厳喜,ケンブリッジ・フォーキャスト・グループ
総和社

 

 


日本人の礼節も知らない菅直人首相

2010年12月17日 17時24分14秒 | 社会

 さきほど、ラジオを聞きながら歩いていたら、ふだん「風見鶏」で知られる荒川某というキャスターが、菅直人について激怒していた。「こんな人が首相をやるとは信じられない」と。
 このキャスターは、常に「勝ち馬」にしか乗らない人なので、一体何事なのかと訝った。ようやく分かったのは、菅首相が硫黄島に行き、現地を視察した際、遺骨を目の前にして軍手をとらずに黙礼したという一件だった。「この人は普通の礼儀を教わってきたのだろうか?」と荒川が言い、私も珍しく同感だった。

 何年か前、菅直人が関東地方ローカルの「ラジオ日本」の番組「ミッキー安川のずばり勝負」に出演したとき、「君が代斉唱」を拒否した事件はあまりに有名。聴取者の中には番組を録音していた人が多く、斉唱を拒否したのは明かだった。にもかかわらず、国会でこの件が採り上げられるに及んで、菅首相は「貴方がそこまで言うのなら証拠を出してください!」と開き直った。ちなみに「貴方がそこまで言うのなら…」というのは、菅直人が開き直るときの常套句だ。

 それにしても、国歌を歌わず、玉砕した戦士の屍を目前にして軍手も取らない…こういう首相は、初めてではないのか。いくら漢字が読めなくても、麻生首相はそれなりの礼儀を知っているように見えた。 破天荒な経歴の田中角栄も、普通の人の常識、礼儀はわきまえていた。

 菅直人のような人物が何故作られ、首相にまでなったのか?私見だが、次のように考えている。
① 全共闘世代の活動家上がりという経歴
② 菅の選挙区である東京都武蔵野市は、全国屈指の「進歩的市民」が在住する「革新的な」街であるらしいこと 
③ 菅自身の利己的性格、極大化した権力欲というキャラクター
 これらのどれが欠けても、「菅首相」は生まれなかっただろう。つまり、菅にとっては、実に好条件が重なり、自らの上昇志向、権力志向を満たすことができた。武蔵野市というところは、ホワイトカラー、核家族、進歩的文化人、市民運動等々、「岩波書店」や「朝日新聞」が誉めそやしてきた「革新」の街なのだ。平均的な日本の小都市ではない。そこでは、「市民」の権利がまず第一、「市民」には「君が代」を歌わない権利があり、祖国の為に命を捧げた戦士の屍を目の前にしても、礼節を以て接する必要などないという風潮が一般的なのだ。

 だが、菅首相は日本の代表。ごく普通の日本人が自然に身につけている礼節さえわきまえないこの首相、本当に日本人なのだろうか? 首相として不適格者ではないのか? 異形の街から生まれた異形の首相。「礼を知らない」だけで済まされることなのか?
 
 「桜チャンネル」がこの問題を採り上げ、下記のように映像を流している。私見がどこまで当たっているか、この映像を見て判断を仰ぎたい。
 

【菅直人】硫黄島の英霊を利用することは許さない![桜H22/12/16]


日本人がキリスト教を受容しなかった理由

2010年12月15日 12時16分47秒 | 歴史

 今週、大学の授業で「洪秀全と太平天国」の話を聴いた。

 キリスト教がアジアに布教活動を広めたのは、①市場獲得、②西欧の理念の伝播という目的があったと言われ、初期の布教はカトリックで、スペイン・ポルトガルが中心になって行われた。カトリックは、現地が求めている医療、科学知識などを修得した神父を送り込み、王朝の支配層との接触を目指した。19世紀になると、プロテスタントの布教が盛んになったが、この布教は王朝の世界観と抵触するような内容を漢文の文書(パンフレット)で広めたため、清朝による禁教を招く。

 洪秀全は、当該パンフを見た一人で、個人的な神秘体験と合わせて、自らがキリストの弟だと自称する。その後、彼の「太平天国」は、一時南京を「天京」と改称し「千年王国」を築こうとしたが、その過程で2千万人といわれる死者を出し、やがて「教祖」洪秀全の死によって終息する。教授によると、洪秀全を毛沢東、信徒を紅衛兵に置き換えれば、この太平天国の乱は、1960年代に中国大陸を恐怖に陥れた「プロレタリア文化大革命」と多くの類似性を見いだせるという。これは、一昔前の日本の中国研究者では決して語られることのなかった指摘で、まさに「歴史を見る眼」は時の流れによって移ろうことがよく分かる。

 最近、近親者の葬儀があった。亡くなった者は、自称カトリック信者。だが、教会に通っていたのは45年も前の話で、遺産を巡る親族(同じカトリック教徒)の諍いによって、カトリック教会に通わなくなった。カトリック教は、神父を媒介として信者に教義を伝える宗教であるので、教会に行かなくなったということは、信者であることを辞めたと同義語なのだ。だが、その亡くなった者は、都合のよいときだけ、カトリック信者であることを吹聴していた。カトリックは「ちょっとハイカラ」「他の人より上等」という程度の見栄なのだろうか。
 こうした、極めて日本的・ご都合主義的な宗教に対する態度は、配偶者の死去によって破綻に至る。というのは、「◎◎家」の墓が仏教のある宗派の総本山にあったからだ。その墓にはいるのは、カトリック教徒であることを辞めねばならない。西欧人であれば、このあたりの個人的信念が明確なので、生前にきちんと意思を表明していたはずだが、この死者はすべてを親族に”丸投げ”した。
 その結果、親族の一人は墓の分割を要求するに到った。キリスト教と仏教との混同、現代日本を象徴するような、墓さえもカネになるという拝金主義、何もかも権利は等分だという「法匪」的な発想…すべてがごちゃごちゃになった、驚くべき要求だった。

 アジアの中では、最も上手に西欧近代を「受容」したはずの日本でも、一皮剥けば、上記のような庶民の「古層」意識が浮かび上がってくる。キリスト教と言っても、アジアと欧州では実は全く異なる。アジアでも中国と日本では全く違うのだ。
 
 日本のカトリック信者の数は、今も昔も30万人前後。地域的にも偏在していて、神父になりたいという人も激減、人材確保が至難だと聴く。かたちだけ日本人をキリスト教化してみても、何かあれば日本人の行動原理はあくまで日本人的だということか。都合のいいときだけ「私、カトリックですのよ」と言える死者のような人が、まさしく日本人らしい日本人なのかも知れない。
 日本にキリスト教が定着・普及しなかったのは、キリシタン禁制が行われたからだけではない。日本人の外来文化受容に係る心理の中にそれなりの理由(わけ)があったのだ。

 
 
 

 


台湾で通じない「中国語」

2010年12月15日 10時26分16秒 | 台湾

 「台湾で通じない中国語」という面白い書き込みを見つけた。

 大陸の独裁国家が経済的繁栄を続けるようになって、「中国語」という概念が大きく変わろうとしている。「中国」は多民族国家なので、本来、中国内で使われる「中国語」は多様なはずである。だが、現在、中国語と言えば、漢語(漢民族の言語)を指す。最近、チベット、ウイグルにおいても、学校教育が漢語で行われることになり、少数民族の言語文化を根こそぎ奪う「少数民族浄化策」だと外国からは批判されている。
 中国共産党による「文字改革」で「簡体字」が作られ、表意文字としての漢字の機能を大いに毀損する結果となった。例えば、「蘭州」を簡体字で書くと「蘭」は「くさかんむり+三」となる。この文字を空港のメイン表示に見つけたときは、何と醜い文字なのだろうと感じた。
 
 「北京語」という言葉にも誤解がある。満州族の王朝である清朝は、満州から万里の長城を越え、北京に都を定めた。広大な大陸を統治するために官僚機構を整えたが、その時使われた言葉が「北京官話」(Mandarin Chinese)。これが北京語という言葉の語源で、現在の中共(=中国共産党政権)とは何の関係もない。

 台湾の事情は、さらに複雑。台湾に逃亡してきた中国国民党政権(蒋介石)は、1947年台湾人知識層2万人を何ら法手続を踏むこともなく、武力で虐殺した。(二二八事件)
日本統治時代に教育を受け、大陸より遙かに知識水準が高かった台湾人を、蒋介石は敵視し、日本語の使用、日本文化の一切を禁止した。当時の台湾人は、漢語の一方言である台湾語を使用していたが、蒋介石はそれさえも禁止した。「北京語」の使用が強制された。

 台湾は、今でも正字(繁体字)が使用され、言葉の意味がはっきりと伝わってくる。また、日本統治時代から使われてきた言葉(日本語に由来する)もまだ多く使われている。一方大陸では、共産党支配により「同志」「愛人」などの「進歩的」呼称も数々生み出された。

 そんなことを考えながら、書き込みを見ていると、これがなかなか面白い……

【台湾で通じない日本語】

日本の中国語入門講座とかでよく、
手紙って中国語だとトイレットペーパーのことなんですよ
 中国語って面白いですね、ははは」
なんてやってますが、これって本当なんですか?
だって、台湾でトイレットペーパーは『衛生紙』だから。

>明白 → 知道

んん?明白と知道を使い分けないって事???

 「明白了」って言葉として通じるけど、台湾の人は使わないようです。
 大陸じゃ「わかった」は「明白了」だったのに、台湾は「明白了」はわかったけど(笑)、普通は「知道」が「わかった」だよね~っていう感じです。

 そのほかに、「ゴミ」の「垃扱」は字は同じなのにla(1)ji(1)ではなくてla(1)se(4)なんですね。
 laseの発音は辞書には載っていません。昨日、中国語の先生に聞いたら、台湾では「誤用されていたのが、常用になったのではないかな?」と言われていました。
「垃扱」は台湾ではle(4)se(4)ですよ。
私の学校の先生は中国で「垃」を「拉」、「扱」を「及」と読み間違えたためla(1)ji(1)になってしまったと言っていました。
どっちが本当なんでしょうね?
えっと…
たとえば「○○をする」の場合は
台湾は「○○」
中国は「○○」

「搞」ってちょっとおかしい意味がありまして…
台湾式の中国語で言ったら…@@
私も前中国で勉強していましたが、中国でも「做○○」は使ってましたよ。
「搞○○」の方が使う機会が少なかったかも…

あと以前先生が「哪有」はどういう意味か聞いた時に言っていたんですが、台湾人がよく使うと言っていました。
それと「そう?」という意味の「有嗎?」も通じませんでした。
台湾での、中国語は、日本語と同じ地位にあります。

約60年以前までは、日本語が、国語でした。
その後、蒋介石の侵入により、中国語が、国語となりました。
本来、台湾では、台湾語(複数在る)が使われています。
(ちなみに、蒋介石は、家の中でも台湾語を禁止したそうです。日本時代は、そんな事しませんでした。)

蒋介石が、大陸から約60年前に追い出され、台湾を占領した時の中国語が、台湾で使われている中国語です。

中国(大陸)は、共産主義により、言語の統制がされ、単語・文字などの変更がなされました。

台湾で、中国語を勉強するのは、古い中国語+台湾方言です。
台湾で、日本語を勉強するのは、戦前の日本語です。

台湾の中国語は、インドの英語と同じ地位です。
インドへ、英語の勉強に行くのと同じことで、
ウィキーさんの英語教室みたいなものですね。
 

台湾人の女性に“賓館”と言って軽蔑されました…。
台湾では“賓館”は大陸と異なり“ラブホテル”の意味だと身を持って学習しました。

「MRT」

大陸・香港 : 地鉄
台湾    : 捷運

わたしにとっては「カラー路線図=地下鉄」なのですが・・・
台湾旅行のとき「捷運」の発音がわからなくて難儀しました。

賓館”=“ラブホテル”って知りませんでした。
言葉って変わりますね。
台北で「中泰賓館」ってのがありましたが、れきとした普通のホテルでしたよ。
奥さんの意味で、
台湾では『太太(タイタイ)』
大陸では『夫人(フーレン)』または『老婆(ラオポー)』
を使うのが一般的と聞いた記憶があります。
本当でしょうか?
大陸でも「太太」って言うと思いますよ(^^)
台湾でも「老婆」はよく使いますよ。

独身なもんで「找老婆?」とよく訊かれます。
台湾で「暇」のことを「空(コン)」と言っていましたが、大陸の先生に「工夫」と教わったこともありました。。。

「もし暇だったら・・・」
「に有空的話・・・」
とか、会話していましたね。
「空」は、中国でも使用します。
「茶水」ですかね~~~。
台北で給我茶水といって通じなかった・・・・

 
「哪有」台湾ではよく耳にしますね。
「哪裏哪裏」みたいな意味なのかなと勝手に解釈しています。

あと、台湾特有の言い方だなと思うのは
「會不會冷?」とか「會不會累?」
大陸の人だと「冷不冷?」て言うと聞きました。
「そうだねー」の意味の「可不是嗎」も台湾ではあんまり使わないって、台湾の友達から聞きました。
「可不是嗎」は大陸ではよく使うんでしょうか?

へぇー、たくさんあるんですね☆

日本の授業では中国語を、普段は台湾の友達とブログやチャットで交流しているので、両者が違っている点があるのは分かるのですが。

初心者なので教えてください^^


棺を蓋いて事定まる

2010年12月14日 00時22分52秒 | 社会

 「棺を蓋いて事定まる」という故事がある。 人間の評価は死後に定まるもので、生きているうちは、利害や感情などが絡んで、人に対して公正な判断が出来ないことを言う。「人事は棺を蓋いて定まる」ともいう。「棺」ひつぎ。「蓋」ふたをする意味。

 さきほど、小さな通夜があった。僧侶の話では、親族だけが列席して、普通の家庭でおこなう葬儀はなかなか麗しいと言われた。だが、そこは世俗の常、「親族」といえども、まともに話ができる相手ばかりではない。

 「棺を蓋いて事定まる」と言っても、凡人の死にはさしたる社会的な意味はない。むしろ、棺桶の周りに集まった親族を眺めると、その一族の品性のようなものが見えてくる。周りはどう見ても、強欲そうなオバサン、オジサンばかりだ…・。

 死者の「棺を蓋い」たとき、真っ先に感じたのは、愚者の死だったということ。ありもしない出来事で配偶者を45年間責め続け、世間とのもめ事は自分で解決できず、一切合切をこどもたちにブチ投げ、最後に恍惚の十年を病院で過ごした。「人を指導する人になれ」が人生訓だった人の哀れな最期。

 こんな死に方はしたくないと思った。