澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

きょうは「二二八事件」記念日

2010年02月28日 12時11分50秒 | 台湾

今から63年前の今日、台湾で起きた「二二八事件」。台湾の知識人・指導者層二万八千人が、大陸から敗走してきた中国国民東軍に虐殺された事件だ。
われわれ日本人には、あまり馴染みがない出来事だが、実は現在多くの台湾人が抱く「親日感情」と無縁ではない。

映画「台湾人生」(酒井充子監督)の中でも、この「二二八事件」を詳しく説明している。陳清香さん(女性)は「蒋介石は大陸から自分の名前さえ書けないごろつきを連れてきた。そういう連中が警察署長になったりしていた」と語る。蕭錦文さんは、実際に虐殺現場を目撃した。

台湾では、民主進歩党を中心にこの事件を忘れないようにと追悼行事を続けているようだ。

台湾人虐殺事件 独立派史跡巡る 「2・28」追悼行事

2010年2月28日 朝刊

27日、台北市内で行われた「2・28事件」追悼行事で、事件の関連史跡を巡る民進党の蔡英文主席(右)=栗田秀之撮影

写真

 【台北=栗田秀之】中国から台湾に渡った国民党政権が多数の台湾人を虐殺した一九四七年の「二・二八事件」から六十三年を前に台湾の本土・独立派団体は二十七日、事件への理解をより深めようと、台北市内に点在する事件関連史跡を巡る追悼行事を行った。

 二〇〇八年に民進党から国民党に政権が代わり、犠牲者の遺族を中心に事件の風化を危ぶむ声が強まっており「音楽会など例年の行事では事件の意義が伝わりにくい」(主催者)として、歴史資産を通して台湾戦後史最大の悲劇とされる事件の記憶を刻むことにした。

 主催者発表で約千人が、事件の発端となった闇たばこ取り締まりをめぐる市民殺傷事件の現場など、五カ所を回った。野党民進党の蔡英文主席も駆け付け「台湾の民主と自由は多くの犠牲の上で成り立っていることを感じてほしい」と訴えた。

記?片-《台灣的?史──在光復初期二二八事件》4


DVD「台湾人生」(酒井充子監督)を見る

2010年02月27日 09時58分14秒 | 台湾
昨日、映画「台湾人生」のDVDが届いた。全国の主要都市で行われた劇場公開が終了したため、ようやく待望のDVD化が実現したのだ。

(映画「台湾人生」のチラシ)

このドキュメンタリー映画は、台湾の日本語世代の老人5人へのインタビューによって構成されている。彼らは、もう80歳代半ばになる。

かつて日本の一部であった台湾は、戦後、大陸から敗走してきた中国国民党軍に占拠される。彼らを同胞として迎え入れた台湾人の期待は、「二二八事件」(1947年)によって完全に裏切られる。この事件で、中国国民党軍は、二万八千人もの台湾知識人・指導層を虐殺し、その後三八年間、戒厳令で台湾人の言論を封殺した。

台湾の日本語世代がようやく自由に本心を話せるようになったのは、たかただ20年前からだ。それまでは、公の場で日本語を喋ったり、学校の同窓会を開くことさえ禁止されていた。このようなドキュメンタリー映画の制作が可能になったのは、ごく最近になってからだ。

ようやく本心を語れるようになった台湾の日本語世代に対して、最近、対極をなす二つのアプローチでドキュメンタリー作品が作られた。ひとつは、NHK・濱崎憲一ディレクターが制作した「アジアの”一等国”」(2009年4月5日放送)、もうひとつはこの「台湾人生」だ。
濱崎憲一の「作品」は、台湾の日本語世代を取材しつつも、NHKの「媚中」方針に従ってインタビューや史実を改ざんした、悪質な捏造品であった。もっと言えば、日台の”絆”を引き裂く目的で作られた番組であった。一方、酒井充子監督のこの作品は、歴史証言集として手許に保存しておきたい珠玉の作品となった。

2009年5月、私は台北の「二二八紀念館」でこの映画に出演している蕭錦文(しょう・きんぶん)氏に会った。ボランティア解説員をしている蕭さんは、私に戦中から戦後の「二二八事件」に至るまでの歴史を一時間半にもわたって説明してくださった。その思いは、この映画の中でも存分に語られている。だが、蕭さんはこの映画に出演していることについては全く話されなかった。

2009年7月4日、この映画の上映を記念して酒井充子監督と蕭錦文氏の対談が行われた。そのとき、私は蕭さんと再会し、酒井充子監督にもお目にかかることができた。


(2009年7月4日、映画上映後の酒井充子監督と蕭錦文氏 東京にて)

全く知らなかった歴史に触れるという体験は、まさに「目から鱗…」だ。中共(=中国共産党)と国民党が争った「ひとつの中国」という政治闘争は、いま中共による台湾併呑という方向で決着しつつある。「新中国」「文化大革命」を熱烈支持した進歩的知識人も「反共」の立場で「中華民国」を応援した保守側の日本人も、「ひとつの中国」という虚構に呪縛されている点では全く同じだった。日本人として育った台湾の日本語世代を顧みないという点でも「同じ穴のムジナ」だったのだ。
40年もの歳月が、台湾人の心情を知ることなしに流れ去ってしまった…。台湾の日本語世代は、あと10年もすればほぼ”消滅”してしまう。そう考えると、この映画は、かれらの遺言集とも思えてくる。

彼らが伝えたかったことは何か。それはこの映画の中で十分に語られている。彼らの心情を画面に引き出した酒井充子監督には、心から感謝し敬意を表したいと思う。
酒井監督は、4月初旬にこの映画に盛り込まれなかったエピソードを含めて書籍版「台湾人生」(文芸春秋社)を発表するという。この本も心待ちにしたい。

(書籍版「台湾人生」 文藝春秋社)

酒井充子監督、蕭錦文氏とのトーク~映画「台湾人生」上映後 2009.7.4



ジョニー・ソマーズのNow & Then

2010年02月25日 04時11分55秒 | 音楽・映画
ジョニー・ソマーズ(Joanie Sommers)と言えば、「ワン・ボーイ」「内気なジョニー」などで有名な1960年代アメリカのヒット歌手。
私が最初に買ったシングル盤のレコードは、この「内気なジョニー」(Johnny get angry)だったが、ジョニー・ソマーズの歌ではなく、シェリー・フェブレーのものを買ってしまった。シェリー・フェブレーは「ジョニー・エンジェル」というヒット曲があったので、間違えてしまったというわけだ。

その後、ジョニー・ソマーズとローリンド・アルメイダ(ギター)のアルバムを聴いて、彼女が単なるポップ歌手ではないことが分かった。実は、クラブでビッグバンドをバックに歌うような本格的な歌手だったのだ。

ジェームス・ダーレンの青春映画に出演して、「恋のレッスン」(If you love him)を歌ったことは記憶していたが、最近、その映像をYouTubeで見ることができるようになった。これは嬉しかった。
もうひとつ、最近の彼女(といっても10年前の…)が歌った「内気なジョニー」を見つけた。これも懐かしい。

彼女のNow(「内気なジョニー」)&Then(「恋のレッスン」)がここに…。


ジョニー・ソマーズ - 恋のレッスン


Joanie Sommers - Johnny Get Angry (Live)



五味康祐のタンノイ・オートグラフ

2010年02月23日 10時46分31秒 | 音楽・映画

作家・五味康祐は、並はずれたオーディオ・マニアとしても有名だったが、本人亡き後、あの自慢のオーディオ・セットがどうなったか、今朝の「産経新聞」で知ることができた。
もう45年前のタンノイ・オートグラフは、練馬区役所の会議室に保存されているという。家族が亡くなり、練馬区に「生原稿、書簡、ゲラから刀剣類までを含めて1万6千点以上」が寄贈されたのだ。

五味康祐のオーディオ装置は、昔、雑誌で見たことがある。自宅の一室にホーン型の巨大なスピーカーを埋め込んで悦に入っていたようだが、音量はともかくとして、クラシック音楽の繊細な響きは再現できないだろうなと思わせた。

私はとても彼のようにオーディオにカネをかけられないので、どうすれば低予算でいい音が出るかにこだわった。その結果、「真空管アンプ+英国製スピーカー」という似たような組み合わせに到達した。もう20年、その組み合わせで聴いている。

オーディオ・マニアなる言葉が死語となりつつある今、彼の遺品が散逸せずに保存されたことは喜ばしい。区役所もたまにはいいことをするではないか。

(アンプがネコの座布団代わり?)

湯浅博 剣豪のタンノイを聴いた 2010.2.23 07:34    【産経新聞】

  不思議な空間だった。練馬区役所4階の会議室に、タンノイ製の巨大スピーカーが2つ、デンと構えている。人の高さもあるだろうか。幅は1メートルを超える。その真ん中で、真空管アンプがぼうっとかすかな赤い光を放ち始めた。
 オーディオファンでもある作家の五味康祐が、亡くなるまで慈しんできた名器たちである。
 静かに針がLPレコードに乗せられた。深く緩やかに、ベートーベンの交響曲3番の荘厳な響きが目の前に迫ってきた。かすれた針の音をモノともせずに、重低音が床をふるわせる。かつて、五味はその瞬間に、オーケストラのメンバーが壁一面に浮かび上がってきたことを感じたそうだ。
 「まだスピーカーのご機嫌がよくありませんね」
 練馬区文化振興協会の学芸員、山城千恵子さんがアンプをなでるようにつぶやいた。この数年、五味が愛したオーディオ機器の面倒をみてきた。
 五味の遺品は、平成19年に練馬区大泉学園町に住んだ一人娘が亡くなって、区がそっくり引き受けた。生原稿、書簡、ゲラから刀剣類までを含めて1万6千点以上ある。レコード盤はクラシックばかりが800枚。英国製のタンノイ・オートグラフは、昭和39年に五味が、日本人として最初に買い入れたものだ。
 山城さんはそれら遺品の整理、分析、保存を担当することになった。特に、スピーカーは五味流にいうと「沈黙したがっている」から、こまめに鳴らさなければよい音を出してくれない。
 山城さんは週1回、会議が終わる午後5時過ぎから2時間かけて名器をよみがえらせる。名刀の「左近大夫師光」など二振りは、砥粉(とのこ)を打ち、丁子油を塗って手入れをする。
 山城さんの五味康祐論を聞いているうちに、剣豪作家で手相、麻雀の達人というイメージが突き崩されていく。
 五味は大阪の大興行主の家に生まれた。小さなころから音には敏感で、「あの義太夫は三味線がいいね」など生意気を言った。浪漫派の保田与重郎に傾倒して生涯の師と仰いだ。戦地から帰国すると実家は焼失し、東京で文学青年としてガード下の生活を続けた。
 通りかかった神保町のレコード店で、子供のころに聞いた音楽を耳にした。店先で涙を流す青年に店主が声をかけた。これをきっかけに出版社幹部に紹介され、徹夜で書いた小説「喪神」が芥川賞を受賞してしまう。
 あの店先で聞いたのが、消え入るようなラヴェルの「逝ける王女のためのパヴァーヌ」だった。芥川賞作品はドビュッシーの「西風の見たもの」からヒントを得て書いたというから、すべてが音楽に通じていた。
 五味が剣豪ものを書くまでには、純文学への志と編集者が求める現実との乖離(かいり)に悩んだようだ。それでも、芥川賞の賞金でオーディオを買い、一時は麻雀でレコードを買うことをもくろんだ。
 「自分のいやらしいところを随分知っている。それが音楽で浄化される。苦悩の日々、失意の日々、だからこそ私はスピーカーの前に座り、うなだれ、涙をこぼしてバッハやベートーヴェンを聴いた」(『オーディオ巡礼』)
 五味が週刊誌の求めに応じて剣豪小説を書いたのも保田の薦めだ。「柳生武芸帳」「二人の武蔵」は代表作になった。五味には重厚な漢文調の小説と音楽、手相、麻雀と幾つもの顔がある。しかし、昭和40年に、自身のクルマで2人をひき殺してしまった贖罪(しょくざい)からは終生逃れることはできなかった。
 あのタンノイの前で、バッハの「マタイ受難曲」を聴きながら涙を流す五味の姿が浮かんでくる。今年は五味の没後30年。9月5日から練馬区立石神井公園ふるさと文化館で、五味の遺品群に会える。(ゆあさ ひろし)


國母 和宏クン~「負ければ賊軍」って知ってる?

2010年02月18日 14時03分22秒 | マスメディア

バンクーバー・オリンピックのスノー・ボードで國母 和宏が8位になった。
國母クンがあんな騒ぎを起こさなければ、私はスノボーなどに全く興味がなかった。アトラクションのような技を採点して順位を決めても、それが何なのかという感じだった。

ところが、あの服装騒ぎ。スノボーの選手はガラが悪いと知っていたが、あそこまで突っ張るのだったら、当然、結果を出すべきだったろう。8位ではカッコがつかないのに、「自分を曲げないでよかった」と自己弁護めいたコメントを出したのは、余計カッコが悪かった。

國母バッシングに火を付けたマスメディアは、もし彼がメダルを取ったら、何と報道していたのだろうか? 「個性の勝利」とか言って、手のひらを返すように誉めそやしていたことは間違いない。視聴率を稼ぐためには節操も何もない最近のマスメディアなら、彼を英雄扱いしただろう。

だが、國母クンの将来を考えれば、メダルに手が届かなくて本当によかった。「勝てば官軍 負ければ賊軍」の故事があるが、彼のような男は一度「負ければ賊軍」という目に合わなければ、この浮き世のしくみというものを理解できないだろうから。




「海角七号」が上映延長

2010年02月18日 01時13分42秒 | 音楽・映画

台湾映画「海角七号」のロードショー延長が決まった。これは朗報だ、
次は、DVD(日本語字幕付き)をリリースしてほしい。

『海角七号』ご好評により都内続映決定!現在、シネスイッチ銀座で上映をしております 
『海角七号/君想う、国境の南』が、ご好評により2月20日~シネマート六本木に劇場を変更いたしまして、上映されることが決定いたしました。

 2/20(土)~3/5(金) シネマート六本木
http://www.cinemart.co.jp/theater/roppongi/lineup/20100210_5013.html

「海角七号」のラストシーン~時を超えた「野バラ」の合唱


眼にあまるNHKの”偏愛”中国報道

2010年02月15日 20時18分41秒 | マスメディア
昨日は、春節(旧正月)の元日。
台湾の知人は、家族で韓国旅行にでかけた。寒い韓国で、ご子息がスノーボードをするのだという。

昨日のNHK・TVは、夜のニュースで秋葉原を訪れるリッチな中国人の話題、続いて横浜、マニラ、リマ(ペルー)などの中華街で春節を祝う「中国人」の姿を放送した。上記の家族のように、台湾でも盛大に春節は祝われたはずだが、その模様は決して放送しない。
深夜から日付が変わってからのニュースでも同じ内容が繰り返し放送された。休日のヒマネタと笑い過ごせばいいのかも知れないが、いままでこんな形で執拗に春節を報道したことがあっただろうか。

春節を祝う「中国人」の映像は、は皆エネルギッシュで豊かそう。鳩山首相が唱える「東アジア共同体」の愛すべき一員であるかのような印象だ。さらに勘ぐれば、豊かになった中国人は、外国人参政権を付与するに値するパートナーであるかのような印象を与えるように仕向けているのかも知れない。
春節は、華人社会に共通する行事であるのに、NHKは「中国人」にしかスポット当てない。「中国はひとつ」で、それは「中華人民共和国」だという放送内規が、あらゆる報道にも徹底されているということか。

NHKの報道姿勢にますます疑問を感じるこのごろだ。






映画「台北に舞う雪」と「旅行的意義」

2010年02月13日 20時58分26秒 | 音楽・映画
台湾と中国の合作映画「台北に舞う雪」が、今週末からロードショー公開される。
この映画の主題歌になっているのが、「旅行的意義」。何年か前に、陳綺貞(Cheer Chen)が作詞作曲、そして歌ってヒットした。

「あなたは雪の降る北京を歩いたでしょ」という歌詞もあり、この映画とは逆だ。今日、TVで予告編を見て、この曲が挿入されていると知り、ぜひ見に行こうという気分になっている。


『台北に舞う雪』予告編


陳綺貞 - 旅行的意義



中国で蒋介石ブームの謎

2010年02月11日 11時41分00秒 | 中国

今朝の「産経新聞」に「中国で蒋介石ブームの謎」という記事が載っている。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/100211/chn1002110124001-n1.htm

これを見て、今から35年以上前の北京で、故・衛藤瀋吉氏(東大教授・中国政治史)が「蒋介石もまた愛国者であったかも知れない」と発言して、北京当局の”激怒”を買ったというエピソードを思い出した。当時の「朝日新聞」などは、この発言を「日中友好」を阻害する発言だとして問題視した。

だが、先の「日中歴史共同研究」のレポートでも分かることだが、中国側の”歴史認識”なるものは、時の権力者の都合によって勝手に書き換えられるものなのだ。このことだけは決して忘れてはならないだろう。 でなければ、日本は常に中国の「歴史認識カード」によって翻弄され続ける。

衛藤教授はまた「大国におもねらず、小国をあなどらず」として、当時の「日中友好」ムードに釘をさした。「中華愛国主義」に歯止めがかからない最近の中国をみるたびに、衛藤氏の歴史を見る眼の確かさに舌を巻く。

「人民の敵」人気沸騰? 中国で蒋介石ブームの謎
  歴史学者による蒋氏の再評価も進められ、各地では蒋氏に関するシンポジウムが開催されている。1月中旬に江西省廬山で開かれた「蒋介石日中戦争」をテーマとするシンポジウムでは、中国と台湾の学者約50人が参加し、双方は日中戦争で果たした蒋氏の業績を高く評価することで一致した。従来の中国では「蒋介石日本軍の侵略に抵抗しようとしなかった」との見解が主流を占めていた。
 独立の動き牽制か<o:p></o:p>

 ただ、中国当局が蒋氏を積極的に再評価するのは、蒋氏を尊敬する台湾の馬英九総統に善意のメッセージを送るためだとの指摘もある。「中国との統一」を主張する蒋氏を持ち上げ、台湾の独立の動きを牽制(けんせい)して、統一に向けた工作の一環という見方も浮上している。<o:p></o:p>

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中国が描く日本統治時代の台湾

2010年02月09日 11時16分52秒 | 歴史
ここに、アメリカと中国(中華人民共和国)のTV局が制作した映像がある。両方とも日本統治時代の台湾を採り上げているが、その解釈は正反対である。

アメリカ(ディスカバリー・チャンネル)は、日本統治時代が台湾社会の近代化に重要な役割を果たしたと高く評価するのに対し、中国(中国中央TV)は日本帝国主義がその野望を果たすために台湾・台湾人民を搾取した暗黒の時代であったと描く。
そのどちらが正しいかは別として、われわれが知るべきなのは、中国側の”歴史認識”はただ一つこのようなもので、異なる意見は認められないという事実だ。現在の中国人の多くは、日々こういう番組で「反日意識」を植え付けられているのだ。

言論の自由が保障されているはずの日本でも、昨年4月にNHKが放送した「アジアの”一等国”」が歴史捏造だとして大問題になった。アメリカと中国の映像が、歴史認識において対極にあるとすれば、NHKは極めて中国の立場に近い内容で番組を制作したのである。”権威ある”マスメディアで作られた映像は、一度流されれば一人歩きして、次世代の歴史認識の材料として使われる。中国の立場を代弁するかのようなNHKの責任は極めて重大である。

私見を付け加えるならば、一般の台湾人にとって、中国側の映像は「反日」プロパガンダに過ぎず、直ちに彼らに「反日意識」が受けつけられることはないだろう。台湾人(本省人)は、祖父母の代から日本統治時代の歴史を語り継いでいる人が多い。日本統治時代には、確かに不当な差別も抑圧もあった。だが、教育制度、インフラなど近代的社会制度の基礎は日本時代に作られた。日本が去ったあとの台湾が、中国国民党の独裁によってどれほどひどい目にあったことか…。台湾人の間では日本統治時代には「いいこともたくさんあった」と語り継がれているのだ。



台湾史: 日本血腥殖民?治下的台湾 3/3 Taiwan under Cruel Japanese Colonial Rule


米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」より




米国と中国が描いた日本統治時代の台湾~歴史認識とは何か?

2010年02月09日 10時56分33秒 | 台湾
ここに、アメリカと中国(中華人民共和国)のTV局が制作した映像がある。両方とも日本統治時代の台湾を採り上げているが、その解釈は正反対である。
アメリカ(ディスカバリー・チャンネル)は、日本統治時代が台湾社会の近代化に重要な役割を果たしたと高く評価するのに対し、中国は日本帝国主義がその野望を果たすために台湾・台湾人民を搾取した暗黒の時代であったと描く。
そのどちらが正しいかは別として、われわれが認識すべきなのは、中国側の”歴史認識”はただ一つこのようなもので、異なる意見は認められないという事実だ。現在の中国人の多くは、こういう番組で「反日意識」を日夜植え付けられているのだ。

昨年4月にNHKが放送した「アジアの”一等国”」が、どちらの映像に近いのか、ぜひ比較検討していただきたい。


米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」より



台湾史: 日本血腥殖民?治下的台湾 3/3 Taiwan under Cruel Japanese Colonial Rule



角界に”近代化”は必要なし

2010年02月04日 13時32分18秒 | 社会

TVのワイドショーなどでは、貴乃花が立候補した相撲協会理事選挙や朝青龍問題について、面白おかしく色々な意見が飛び交っている。
それらの意見に共通するのは、角界は遅れた社会で改革が必要で、一般社会の常識を導入すべきだということだ。
理事選挙については、公正な選挙、自由な個人の意見が反映される選挙というお題目で、無記名で○を記入する方式が採用された。だが、選挙後、一門の中で”犯人探し”が行われたとして、マスメディアはそれみたことかという調子で相撲協会の”後進性”を叩いている。

しかし、マスメディアが貴乃花を角界の救世主のように持ち上げ、相撲協会を”前近代”的な悪の巣窟のように叩くのは本当にまともなことなのだろうか? 
角界の各部屋のあり方、親方と力士の師弟関係、たにまちと力士の関係等々を見ると、これは今や消えつつある、日本社会の”原風景”だと言えなくもない。
私が子供の頃、田舎ではまだまだ伝統社会の因習、人間関係が色濃く残されていた。一見、遅れていて、封建的だと言われたような社会関係が、近隣や親族関係、地域社会中の人間関係においても活きていたので、これを息苦しく思う若者は、都会へと旅だった。

だが、今から振り返れば、伝統社会の人間関係にはそれなりのよさもあったはずだ。少なくとも、派遣切りや孤独死などとは無縁の社会であったことは間違いない。
”和を持って貴しとなす””長いものには巻かれろ”などの格言にはそれなりの合理性があったのだ。

やや皮肉めいて聞こえるが、日本相撲協会は、浅薄なマスメディアの批評など気にせず、信じるところに従って、自らの伝統を守ってほしいものだ。一門の結束は大事であり、和を乱す自由選挙などは伝統になじまないとはっきり言えばいいのだ。
すべてが社会の”進歩”に合わせて”改革”しなければならないなどというのは、単なる幻想に過ぎない。この20年間、政治的、経済的にも日本は”進歩”したのだろうか? 



 


柯徳三氏が死去

2010年02月04日 11時52分17秒 | マスメディア

昨年4月5日にNHKが放送した「アジアの”一等国”」に台湾の日本語世代の代表として登場した医師・柯徳三氏が亡くなられた。享年八十八。ご冥福をお祈りする。

柯徳三氏のような日本語世代の多くが健在で、社会的に活動していた30年ほど前、台湾には言論の自由がなく、彼らが「本音」を語ることはできなかった。日本政府が「中華民国」を棄て、中華人民共和国を「中国」だとしたのもこのころだ。

柯徳三氏のインタビューは、NHKの意図的な編集によって、ねじ曲げられて伝えられた。しかし、彼が言いたかったのは、台湾の日本語世代は戦前の日本統治を恨んでいるのではなく、戦後、突然台湾を国民党政府に売り渡した日本政府こそが問題なのだということだった。

 NHK「アジアの”一等国”」に対する批判は、ほとんどのマスメディアによって黙殺された。その底流には、中国政府の干渉が怖いので黙っていようという卑劣な打算がある。臭いものにはフタということだろうか。

その結果、NHK批判をするものは、産経新聞か「桜チャンネル」のような「右翼」だということになってしまった。 だが、添付した映像を見て欲しい。柯徳三氏のような日本人以上に日本人らしい台湾の日本語世代を。そして彼らが次々とこの世を去っていく現実を…。


NHKスペシャルで「発言ゆがめられた」柯徳三氏が死去

2010.2.4 01:15

このニュースのトピックス:台湾

 柯徳三氏(か・とくぞう=台湾の親日団体「友愛会」元運営委員)2日、心不全のため死去、88歳。葬儀は2月中旬以降、台湾で行う。

 「NHKスペシャル シリーズJAPANデビュー」に出演、発言をゆがめられたとしてNHKに抗議していた。 【産経ニュース】

 

 1/2【台湾取材レポート】柯徳三氏へのインタビュー・前半[桜 H21/6/15]


映画「台湾人生」DVDがリリース

2010年02月04日 00時38分09秒 | 台湾

酒井充子監督の映画「台湾人生」が、今月末DVDでリリースされることになった。インタビューを受けている日本語世代のひとり、蕭錦文(しょう・きんぶん)氏には、昨年、台北と東京でお会いしたのだが、お元気なのだろうか。

映画を見れば、日本と台湾の絆をどうしても考えるはず…。台湾映画「海角七号」とともに、どんな政治的立場の人でもいい、ひとりでも多くの人に観ていただきたい映画だ。

「台湾人生」の公式サイトからオーダーした人には、割引価格で、しかも今月末に入手できるようだ。(正式のリリースは3月末。)

http://www.taiwan-jinsei.com/  (公式サイト)

「台湾人生」 元日本人が生きた台湾と日本の歴史

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