澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「日中国交回復五十年」の虚妄

2022年09月29日 12時17分01秒 | 歴史

 今日は「日中国交回復五十周年」の記念日、だそうだ。
 そもそも、中国と「国交回復」したのではなく、日本が中華民国政府(台湾)を見棄て、大陸を支配する中共(中国共産党)政府と国交を結んだに過ぎない。「ひとつの中国」という「幻影」に惑わされて、中国の「正統政府」を中華民国から中華人民共和国に乗り換えたということだ。

 今はもう語られることも少ないが、1971年、国際連合の場で中華人民共和国を中国の唯一の代表とするというアルバニア案が提出された時、舞台裏の交渉では、台湾を一独立国として国連に留めるという妥協案が示されていた。だが、中華民国の蒋介石総統は「ひとつの中国」を理由にこれを拒絶した。もし、「ひとつの中国、ひとつの台湾」(二つの中国!!)が実現していれば、この五十年は相当変わっていたはずだ。蒋介石と毛沢東、この二人の中国人の「面子」「天下」意識が、それを拒絶してしまった。

 門田隆将氏が新著「日中友好侵略史」に中共(中国共産党)の対日工作について触れている。日本人は「日中友好」だと信じて疑わなかった事柄の多くが、中共による謀略工作だったと指摘する。例えば、当時有名だった作家・有吉佐和子を囲い込んで、池田大作とともに「日中友好」を称揚させた。

 当時、日中友好ムードのなかで、私は来日した中国卓球代表団の莊則棟から彼のサイン入りの「毛沢東語録」をもらったりして、結構その気になっていた。1976年春に中国の三都市を旅行したときは、「新中国」を見て「感動」したりした。
 しかしその後、岡田英弘氏(当時・東京外大アジア・アフリカ研究所教授)の一般向け著作に触れ、「実際の中国」を知った。岡田氏は、「日中国交回復」に反対し、中共の謀略性を早くから指摘していた。五十年前から、今の新疆ウイグルなどの少数民族問題を見通していたのは、岡田氏などごく少数だ。

 中共の謀略工作による「日中友好」で日本人はすっかりだまされ、カネを巻き上げられた。こんなことがこれからも続くとしたら、この国は間違いなく中国の「属国」となる。米国と中国に「両属」する日本となるだろう。子供や孫には、「ギブ・ミー・チョコレート」を中国語で何と言うか勉強させなければならなくなるかも。

 悪夢の言葉、日中友好。それが私の実感だ。

 

 

日中友好侵略史SP!門田隆将が中国に絡み取られた政治家・関係団体を実名で暴く、知られざる日本侵略の歴史。日本人よ、刮目せよ!山岡鉄秀×門田隆将【リアルマトリックス】9/28水13:00~14:00


「国葬は浅慮だった」と言う岸田首相

2022年09月22日 13時09分20秒 | 政治

 藤井聡・京都大学教授(前内閣参与)が次のようにツイートしている。

安倍元首相が亡くなったと聞いたその瞬間,俺が国葬と決めた…浅慮だった」岸田首相は議員仲間や新聞記者に対しはっきりそう言った. 浅慮だった=熟慮したらしなかった という事ですからこれが本当ならもう岸田氏には国葬正当化は無理…野球で言うなら完全"アウト!"ですね.

 岸田首相が自ら決めた「国葬」決定を今や後悔しているという話だが、一般にはあまり伝わっていないようだ。こんなことをホントに話したのだとすれば、岸田という人物の狭量、小心、エゴイズムが伝わってくる。彼が自慢する「聴く力」とは、所詮、周囲の甘言には耳を傾け、権力の座に恋々としがみつきたいための処世術でしかない。

 岸田は「開成高校から東大受験して失敗、二浪して早稲田に入った」ことを自慢話にしているが、成蹊高校→成蹊大学の安倍首相の方がずっと優秀ではないか。安倍首相なら、二浪すれば間違いなく東大に入っていたはず(!)だからね。安倍首相を罵った連中の心中には、「成蹊大学のバカぼん」の安倍よりは、早慶、東大を出た俺の方が上なんだという、醜い優越感があったはずだ。その点では、早大出の岸田はバカにされることはなかったが、ホントのおバカさんとは、岸田のような男だ。世襲のボンクラ議員の極みというべきだろう。

 こんな男に国を託せるのか?と藤井聡教授が憤るのも無理はない。 

 

藤井聡(京都大学大学院教授)「#岸田内閣 #支持率 発足以降最低に」「#立憲民主党 と #維新の会 共闘で初の合意」おはよう寺ちゃん”残業中!”9月22日(木)


バイデンの台湾防衛宣言を報道しない「報道ステーション」

2022年09月20日 12時09分57秒 | マスメディア

 昨晩、たまたま二画面で「WBS(ワールド・ビジネス・サテライト)」(テレ東)と「報道ステーション」(テレ朝)を同時視聴した。6分ほど早く始まる「報道ステーション」は、二十数分にわたって、を台風情報を流した後、続いてニ十分以上エリザベス女王葬儀の模様を放送した。センセーショナルな映像を中心とした番組作りは、久米宏以来のことだから特に驚かないが、問題なのは「報道ステーション」が「報道しない自由」を駆使していることだ。

 「WBS」では、エリザベス女王葬儀→→台風情報と続いた後、バイデン大統領が台湾防衛を再確認する発言をしたというニュース(下記のロイター記事参照)を報じた。一方、「報道ステーション」は、最後までこのニュースを報道しなかった。

 「WBS」の最後の部分では、このバイデン発言の重要性を認識すべきだというコメンテーターの言葉で締めくくられた。この二番組の驚くべき違いは、テレビ朝日の媚中姿勢によるものだろう。NHKの"エリート"だったはずの大越某が、バイデン発言の重要性を知らなかったはずはない。だが、大越は「報道の自由」ではなく、「報道しない自由」を選んで、視聴者である国民に国益に関わる重要情報を伝えようとはしなかった。

 考えてみれば、森友、桜、国葬なども同じようなもの。こちらは逆に、「報道の自由」を建前に、ことさら自民党政府を攻撃し、実のところ「国益」の毀損を狙ったと言われても仕方ない。

 中共(中国共産党)の世界戦略を知れば、「香港の次は台湾、それに続いて沖縄」が侵略のターゲットとされることは疑いない。バイデン大統領が「曖昧戦略」を捨てて、「台湾防衛」に再言及したというニュースが、いかに重要なものかわかるはずだ。中共・習近平の魔手がすぐそこまで迫っている。それを中共に忖度して報道しないというのなら、テレ朝=朝日は、いったいどこの国の報道機関なのだろうか。
 この期に及んでなお「日中友好50周年」などと囃し立てるつもりなのか。マスメディアの底知れぬ堕落、腐敗に、怒りが収まらない。

 

中国侵攻なら台湾防衛、バイデン米大統領が明言 中国は反発

[ワシントン/北京 19日 ロイター] - バイデン米大統領は18日に放映されたCBSの番組のインタビューで、中国が侵攻した場合、米軍は台湾を防衛すると言明した。台湾有事の際の対応に関してこれまでで最も明確な発言で、中国は米国に対し「厳重な抗議」を行ったと表明した。

 
 
 
 
9月18日、 バイデン米大統領は同日放映されたCBSの番組のインタビューで、中国が侵攻した場合、米軍は台湾を防衛すると言明した。写真は英女王の国葬に出席するためロンドンに到着したバイデン大統領夫妻。代表撮影(2022年 ロイター)

バイデン氏はインタビューで、米軍は台湾を防衛するかという質問に対し「もし実際に前例のない攻撃が行われれば、する」と答えた。

米軍を派遣しないと表明しているウクライナ情勢とは異なり、中国が侵攻した場合、米軍が台湾を守るという意味かと確認を求められると「そうだ」と応じた。

米政府は長年、台湾有事の際の対応に明言しない「曖昧戦略」を取っているが、バイデン氏はこれまでも度々、戦略転換を示唆する発言をしてきた。

 

ホワイトハウスの報道官はコメントを求められ、台湾に関する米国の政策に変更はないと説明した。

台湾外交部(外務省)はバイデン氏が「米政府の台湾に対する揺るぎない安全保障上のコミットメント」を再確認したことに謝意を表明。

台湾は引き続き自衛能力を強化し、米国との緊密な安全保障パートナーシップを深めていくとの声明を発表した。

 

バイデン氏はインタビューで、米国は台湾の独立を支持せず、「一つの中国」政策に引き続きコミットしているとも述べた。

「独立を促してはいない。それは台湾の人たちが決めることだ」と語った。

中国外務省の毛寧報道官は19日の定例会見で、国家を分裂させる行動に対してあらゆる措置を取る権利を中国政府は留保していると述べた。

「世界には一つの中国しかなく、台湾は中国の一部であり、中華人民共和国政府は中国の唯一の合法的な政府だ」と強調した。


エリザベス女王のワルツ QUEEN ELIZABETH WALTZ - MANTOVANI & HIS ORCHESTRA (1953)

2022年09月11日 12時22分32秒 | 音楽・映画

 エリザベス 女王崩御のニュースを聴いて、思い出したのが「エリザベス女王のワルツ QUEEN ELIZABETH WALTZ」。1953年にリリースされたマントヴァーニ楽団のアルバム所収の一曲だ。
 この曲はCD集「華麗なるマントヴァーニの世界」(ユーキャン社)にも収録されている。実は、この選曲は私自身がおこなったもの。収録200曲の中にこの一曲をいれておいてよかった、と思った。
 謹んで哀悼の意を表したい。

 

QUEEN ELIZABETH WALTZ - MANTOVANI & HIS ORCHESTRA (1953)