昨日「海角七号」の試写会が東京で行われた。日本語字幕入りでの初の上映だった。
私は出席しなかったのだが、上映後、懇親会が行われた。その席上、小林よしのり氏が「台湾と日本の関係の歴史を知らない人が見ても感動できるだろうか?台湾と日本の歴史を知っているから感動できるのでは?」と述べられたようで、日本での公開については、いくつもの課題があることを感じさせた。
個人的な感想になるが、「台湾と日本の関係史」と言っても、それこそ小林よしのり氏の「台湾論」や蔡氏の「台湾人と日本精神」などを読んで、初めて知ったことが多いのだ。
遠い昔の大学時代、毛沢東の「新中国」は「好」、蒋介石の「中華民国」は「不好」というような時代風潮があり、台湾人(本省人)の本心や「2・28事件」について知らされることは全くなかった。故・関寛治東大教授がある会合で「台湾独立運動を主張する人は、米国CIAの手先だ」と広言したのを今も覚えている。今思えば、この言葉は台湾独立運動に命を捧げてきた、金美齢氏や許世楷氏に対する最大の侮辱であった。当時は、著名な東大教授・国際政治学者でさえこのように言っていたのだ。
昨日、試写会に参加した方のブログに次のように書かれていた。
「この映画に難色を示している中国共産党の幹部の皆さんや、『台湾は中華人民共和国の領土である。』と教えていた本市の中学校の先生方に是非見ていただきたいと思います。」
これは、東京都のある市会議員が書いたもの※だが、デジャブ的な違和感を覚えた。こういう物言いは、かつて反体制運動として「日中友好運動」を進めていた連中と全く同じなのだ。確かに、穏和な私でさえ、偏向した社会科教師には腹立たしい思いがある。だが、これは市議会議員という立場で言うべき言葉ではない。
※http://blogs.yahoo.co.jp/amame1968/39623487.html
この議員さんは、かつてNHK中国語講座問題というのがあったことをご存じなのだろうか? 日中国交回復前夜、「ひとつの中国」論が沸騰する中で、NHK中国語講座は、具体的な中国の地名、固有名詞の使用を避けてきた。NHKの方針は政治的な介入を避けるためだったのだが、結局、「何故、北京の地名を入れないのか」「中国とは中華人民共和国のことだ」といった政治的主張に巻き込まれ、「同志」「愛人」といった大陸の中国語を多用せざるを得なくなったのだ。この事件の教訓はただひとつ、何でもかんでも「政治」と結びつけてはならないということだ。語学学習は語学学習であって、「中国はひとつ」だと政治的に目覚めたとしても、中国語が上手になる訳ではない。われわれの世代は、こういう政治的な争いを幾度も見聞きしてきたので、勇ましい主張が必ずしも美しい果実を結ぶわけではないことを知っている。
というわけで、「海角七号」に関しては、過度な政治的、歴史的思い入れは慎みたいと思っている。それがこの映画を見守る正しい態度だろう。
それにしても、映画の冒頭の次の言葉はいつまでも心に残る。
「…(あなたを)棄てたのではない。泣く泣く手放したのだ」
確かに日本人は「小さな島」の「友」(=小島友子)を「「…棄てたのではない。泣く泣く手放したのだ」のだ、1945年と1972年の2度も…。