澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「尖閣を日本が盗んだ」 鳩山妄言を嘲笑う中国

2013年06月26日 03時58分16秒 | 歴史
 「尖閣を日本が盗んだ」と言うのなら、「今でしょ!」とばかりの鳩山由紀夫発言。本人にとっては、「友愛」「東アジア共同体」の礎となるつもりの発言なのだろうが、日本国の首相までやった男が、かくも無能で脳天気なのを知った中共(=中国共産党)首脳は、半ば絶句し「日本人もここまで劣化したのか」「小日本など恐れるに足らない」と確信したはずだ。

 鳩山由紀夫、菅直人は、ともに「理系政治家」だ。かつて「朝日新聞」は「理系政治家」は理性があり、清廉潔白だと誉めそやしたことがある。だが、両者が日本政治史上、稀に見る愚者だったことは、今や明らかだ。歴史感覚の欠如が彼らの致命的な欠陥だ。
 戦前は軍国主義、侵略の歴史だったと納得し、そこからは何も学ばない。われわれ「市民」の権利は、「平和憲法」によって活かされているというのが、この両者の歴史感覚だ。

 日本と中国の近代化過程を年表風に追ってみると、およそ40年のタイムラグがあることが分かる。

【日本】                【中国】
                     1840 アヘン戦争
1853 ペリー来航     ↑
             近
1868 明治維新     代
             化

1890 大日本帝国憲法   ↓ 
                     1894 日清戦争    ↑
                        戊戌変法    近
                        清末新政
                                 代
                     1911 辛亥革命
                                 化  
                     1927 国民革命    ↓


 日本が近代国家に必要とされる社会制度を整えたのは、「ペリー来航」(1853)による「西洋の衝撃」から「大日本帝国憲法」発布(1890)までの、およそ37年間。中国は「日清戦争」(1894)から国民革命(1927)までの36年間となる。タイムラグとはこの期間の違いを意味する。
 古くはスペイン、ポルトガル、さらには「大英帝国」の消長を例に挙げるまでもなく、国家にも生誕から没落までの歴史過程があると考えられる。この考えからすれば、先年の尖閣事件は、日中両国にとって象徴的な出来事であると思われる。
 すなわち、近代化に出遅れた中国人は、これまで日本に対してアンビバレントな感情を持ち続けてきた。ひとつは中国を侵略した日本帝国主義に対する憎しみの感情、もうひとつは経済的に繁栄した「豊かな日本」に対する嫉妬と憧れの感情だ。

 だが、改革開放後の中国は、急激な経済成長を遂げ、もはや日本に学ぶものはない、という感情を持つに到った。その象徴的な出来事が、尖閣事件であるというのだ。これはS教授(中国近代史)から伺った話でもあるのだが、まさに成長する中国と縮小する日本が交差する尖閣事件について、元首相が「尖閣を日本が盗んだ」と言ったのだから、中国からみれば、これは「中華」の復活、すなわち華夷秩序の復活に他ならないだろう。

 まさに尖閣事件に前後して、中国人(漢民族)の「中華思想」は復活したのだ。かれらが、民主主義、人権という西欧的概念をそのまま採り入れることはないだろうし、従って漢民族が支配する少数民族地域、チベット、内モンゴル、新彊ウイグルを手放すこともあり得ないだろう

 ルーピー鳩山は、こんな基本的なことさえ知らないのだろうな?

 

鳩山氏、尖閣問題で「『日本が盗んだ』と思われても仕方ない」
2013.6.25 12:42 【産経新聞】

 鳩山由紀夫元首相が香港のフェニックステレビの取材に対し、沖縄県・尖閣諸島の領有権を主張する中国政府に理解を示す発言をしていたことが25日、分かった。尖閣をめぐる歴史的経緯に言及し、「中国側から『日本が盗んだ』と思われても仕方がない」と述べた。発言は同日午前、中国内外に向けて報道された。
 鳩山氏は既に政界を離れているが、首相経験者だけに尖閣諸島に領有権問題はないとする日本政府の立場と相いれない発言内容が、日中両国の世論や尖閣情勢の今後の推移に影響を与える可能性もある。
 中国は日本の尖閣領有について、第2次大戦中のカイロ宣言にある「日本が盗み取った中国東北地方や台湾などの島しょを中国に返還する」との規定に違反すると主張している。これに鳩山氏は「カイロ宣言の中に尖閣が入るという解釈は中国から見れば十分に成り立つ話だ」と明言した。




なかなか便利なUSB端子付きCDプレーヤ

2013年06月07日 02時14分47秒 | 音楽・映画
 この前の日曜日、友人とパーシー・フェイス楽団の演奏会に行った。5年ぶりに聴いたのだが、今回はちょっと印象が違った。会場である東京芸術劇場が大規模改修を終えて、リニューアル・オープンしていたのだ。PA(拡声装置)を使わない演奏は、繊細な響きで十分満足できた。


 この頃、忙しくて、全然音楽を聴いていなかった。久しぶりに聴く「ムード音楽」も決して悪くないと思った。できれば、好きなアルバム(曲)をエンドレスで流し続けられればいいなあと思い、衝動的にDENONのCDプレーヤDCD-755RE※を購入。アマゾンで約2万4千円だった。  
※ 
http://www.denon.jp/jp/product/pages/Product-Detail.aspx?Catid=382c2279-a153-4d3c-b8fa-81b930454f67&SubId=f8d37cce-9c7b-4dfa-8ab5-5dfab512b42a&ProductId=DCD-755RE

 CDプレーヤは、DENONの20年ものを今も愛用しているので、2台に。新しい方は、USB端子があってMP3プレーヤやメモリースティックが使える。早速、16GBのメモリースティックを1,300円で購入、試してみた。CD1枚分がひとつのファイルと数えると、256ファイルまで再生可能。ひとつのファイルに20曲あるとすれば、約5,000曲も再生可能という計算。現在のところ200ファイルほどメモリースティックに入れたが、16GBだからまだまだ入りそうだ。これをアットランダム再生すれば、何日も音楽が流れっぱなし、私の部屋が喫茶店のような雰囲気になる(?)かも知れない。

 肝心の音質だが、CDをかけた場合とUSBではやはり違う。ピアノの音像がぼやける感じは否めない。アンドレ・リュウやポール・モーリアのような音楽にはUSBがぴったり合いそうだ。
 古い喫茶店にピッタリなのは、スタンリー・ブラックの「ラテン・ピアノ」。これはよかった。いま、流れてきたのが、ショスタコーヴィチの「セカンド・ワルツ」。アンドレ・リュウかと思ったら、R・シャーイのクラシック版らしい。続いて、岸洋子(古い!)の知らない歌が流れている。

 何百曲もアットランダムに流せるのは、PC時代ならでは。便利にはなったが、オーディオにこだわる楽しみは、ほぼ消失した。  
 

パーシー・フェイス楽団コンサート 2013

2013年06月02日 21時00分35秒 | 音楽・映画
 はるばる上京して「パーシー・フェイス楽団コンサート」に行く。
 東京池袋の「東京芸術劇場」は中高年が長蛇の列。満員札止めという感じの盛況だった。よく見ると、杖をついていたり、家人らしき人に連れられて来たという感じの75歳以上の老人も目立つ。反面、若い人はほとんど見られないので、前回の来日コンサート(2008年6月)よりもさらに聴衆が高齢化したという印象だ。

 (高齢者ばかりの会場)

 オーケストラの指揮は、テリー・ウッドソン(Terry Woodson)。この人のキャリアは分からないが、相当な巨漢で体調が悪そう。歩くのが辛そうな感じだった。極東のドサ周りはさぞかし堪えるのではないかと同情した。

 オケは、38名編成。その内訳は、バイオリン12,ビオラ4、チェロ4、コントラバス(ウッド・ベース)1,トランペット(コルネット含む)4,トロンボーン3,ホルン2、木管楽器セクション4、ギター1、ピアノ1、ドラムス1,パーカッション1だった。木管楽器セクションと書いたのは、通常は4名がフルートを演奏するのだが、曲によってはサックスに、あるいはオーボエ、イングリッシュホルン、ピッコロなどにも持ち替えて演奏する。つまり、複数楽器のプレーヤーということで、その器用さに感心する。2008年のコンサートのときに、日本人のクラシック奏者が聴きに来ていて、この楽器を持ち替えるプレーヤーの技術の高さに感心していた※と記憶する。

http://ktrb.seesaa.net/article/99928973.html

 (コンサートの光景)

 今回のコンサートで特筆されるべきは、PAを使わずに演奏したこと。PA(Public Address=マイクによる増幅)を使った途端、生(なま)の音が持つ繊細さは失われてしまうから、パーシー・フェイス楽団のような編成では、使わない方がいいに決まっている。だが、会場がクラシック専用ホールでないと、生(なま)の音が豊かに響かないので、やむを得ずPAを使っているわけだ。その点、東京芸術劇場は、1年半にもわたる改修工事を経て、昨年秋リニューアルオープンしたばかり。反響板の取り付けが改善されるなど、以前より豊かな残響音が得られるように工夫されたという。パーシー・フェイス・サウンドにピッタリとなったということか。

 演奏された曲目は、おおよそ次のチラシの通りの23曲。ただし、クインテットで演奏する「枯葉」が加わるなど、若干の変更があった。このほかに、アンコールとして次の5曲が演奏された。①夏の日の恋、②サウンド・オブ・ミュージック、③アイム・ゴナ・ゴー・フィッシグ、④サヨナラ、⑤夏の日の恋'76



 コンサートの全体的印象は、前回(2008年6月、オーチャード・ホール)よりずっとよかった。PAを使わない生(なま)のサウンドの方がずっといい。それに、このパーシー・フェイス楽団のメンバーは、特に金管・木管に腕達者のプレーヤーが揃っている。以前、頻繁に来日していた「マントヴァーニ楽団」と比べると、はるかに上手で聴き応えがある。

 「ムード音楽」「イージーリスニング」といったジャンルは、まさに黄昏時を迎えつつある。この「パーシー・フェイス楽団」だって、実は日本向けに臨時編成された、名前ばかりの楽団なのだ。日本以外で、この楽団のツアーが行われる予定など全くない。「パーシー・フェイス・ディスコグラフィ」※の制作者であるアラン・バンティング氏にこのコンサートの様子を伝えたところ、次のような返事が届いた。
「How I envy you the fact that the Percy Faith Orchestra still tours Japan. Britain never had such a thing, even when Percy was alive - his only visit here was to make a couple of BBC TV programmes. 」

※ http://www.pelstream.co.uk/pfdiscography.htm

 その日本でも、高齢化がさらに進み、大震災などの社会的不安が渦巻いている。そう考えると、今回のコンサートが見納めだったと後になって気づくのかも知れない。その意味でも、聴いておいてよかったと思う。