澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「なので」「ざっくり」~奇妙な日本語考

2007年09月30日 19時19分40秒 | Weblog
TVを見る時間が増えると、奇妙な日本語の使い方が気になる。

ひとつは「なので…」という接続語。前段の文脈を次に説明するための接続詞として使われているが、以前はこういう使い方はなかったように思われる。
もうひとつは「ざっくり」という言葉。先日、田原聡一郎までこの言葉を使っていた。このときの用法は、「ざっくり説明してほしい」というものだった。「おおざっぱに」「大体で」という意味なのか、「はっきりと」なのか、実のところよく分からなかった。

「ざっくり」は、小さな国語辞典には出ていない。インターネットで検索すると、「オトナ語」のひとつだとして、たくさん使用例が出てくる。「大づかみで」という意味が一般的なようだ。
文頭の接続詞としての「なので」は、結構、奥深い。「○○○なので、………したい」という従来の用法をひっくり返した用法なのだ。従来の彼我の関係が微妙にずれてきた結果、生み出された新しい用法のような気がしてならない。これも時代の反映なのかも知れない。




戦後思想グラフィティ~小熊英二「〈民主〉と〈愛国〉」

2007年09月27日 08時29分06秒 | 

先日、読みかけのこの本について、次のように書いた。

 

小熊英二「〈(民主〉と〈愛国〉~戦後日本のナショナリズムと公共性~」(新曜社 2002)を読み始めた。300ページほど読んだが、まだ3分の1にも届かない。全文で964ページという大著だ。 大著と言っても、本著に書かれている同時代を過ごした記憶がある私にとっては、結構すらすらと読めてしまう本である。
著者は1962年生まれなので、戦後の混乱期はもとより、60年代の安保紛争も体験はしていない。丹念に資料を分析し、分かりやすく記述した点が評価される。 かなり年上の私は、たった1度だけだが竹内好の講義を聴いた記憶がある。次章がその竹内好を採り上げているので、楽しみだ。

 

ようやく、読了したのだが、率直に言って長すぎると思った。竹内好あたりまでは真剣に読んだが、それ以降は、自分自身が同時代を体験しているという”既知感”があって、かなり読み飛ばした。
全体の印象としては、「戦後思想グラフィティ」ということか。「グラフィティ」(Graffitti)とは、いたずら書きの意味だが、著者がそういう意図で書いたという意味ではない。異なる世代の著者が、戦後思想を総括した結果が、我々には「戦後思想グラフィティ」に映るということだ。

この本はかなり高価(6,300円)だ。どのような読まれ方をしているのだろうか。教科書としては散漫に過ぎる印象だし、だいたい今時の学生が読み通すことが出来るのだろうかと思う。「思想史」なんて、最も人気のない分野だろうから…。

結局、研究のための研究という印象を強く受けた。時が移り、「同時代」が「歴史」に変わっていく時、こういう本が出るのだなと思った。

 

 

 

 


ジュディス・ダーハムの歌声

2007年09月26日 13時07分28秒 | 音楽・映画
いま、ジュディス・ダーハムの歌声が気になっている。
ジュディス・ダーハム(Judith Durham)と言っても、知る人は少ないと思うが、1968年「ジョージーガール」を大ヒットさせたシーカーズ(The Seekers)の女性ヴォーカリストと言えばいかがだろうか。

当時のヒット曲も好きだったが、オーストラリア出身のさわやかなグループという印象しかなかった。ところが、米国の知り合いが、彼女の歌声が大好きで、ファン・サイトをリンクさせていることを知った。そこで、再び聴いてみようと思った。

Youtubeの充実で、彼女の歌声を映像で見られるようになった。シーカーズ解散以後のソロ・ヴォーカルもすばらしく、「ダニーボーイ」などの熱唱を見ることができる。

http://jp.youtube.com/watch?v=RfIxtGZfE68

http://jp.youtube.com/watch?v=Kv1hsAs2Bro

彼女のキャリアを調べたら、クラシックのピアニストを目指して音楽大学に在学していて、声楽も学んだことが記されていた。くせのない伸びやかな歌声は、そうした実績に基づくものなのだろう。

彼女は美人でもなく、華やかさもない。でも、その親しみやすさと暖かさが、いまなお、ファンを引き寄せているのだろう。

Youtubeで楽しむオールディーズ

2007年09月25日 15時28分16秒 | Weblog
Youtubeでオールディズの歌手を検索するのもなかなか楽しい。
60-70年代の欧米の音楽シーンは、音として記憶に残っているものの、画像としては残っていない。当時、TVでは、海外の音楽映像を流すことはまれだったのだ。
Youtubeの登場によって、私たちは、過去の映像を改めて見ることが出来るようになった。
昨晩は、ユーロヴィジョン・コンテストでのフランス・ギャル(France Gall)、サンレモ音楽祭におけるジリオラ・チンクエッティ(Gigliola Cinquetti)、ウイルマ・ゴイク(Wilma Goich)などの映像を楽しんだ。「夢見るシャンソン人形」「夢見る想い」「花咲く丘に涙して」などを懐かしく聴いた。

1968年「ジョージー・ガール」(Georgy Girl)で大ヒットしたザ・シーカーズ(The Seekers)のリード・ヴォーカル、ジュディス・ダーハム(Judith Durham 写真)の歌唱力の高さにも驚かされた。素晴らしい歌手だと思った。このことは、映像を見なければ気づかなかったに違いない。

Youtubeで過去の映像を探れるようになった意義はとても大きいと思う。

 



警視総監が訓告処分とは?

2007年09月21日 10時12分53秒 | 社会
立川警察署の巡査長が拳銃で女性を射殺した事件について、警視総監には「訓告処分」が示された。昨日の会見では、真摯に反省して、組織の見直しを図る旨発言しているが、自らの進退には触れていない。
立川警察署長については、「訓告処分」より重い「減給処分(3ヶ月)」が下されたが、この処分でさえ、事件の内容を考えれば、異様に軽い処分だったと言えよう。この署長自身は、処分を受けて、依願退職をすると報じられている。ここにも、現場に責任を押しつける体質がミエミエなのだ。

巡査長の直属上司である警部補は、「減給処分(3ヶ月)」だという。「特定の女性を指名しているという、人事管理上の重要な情報」を把握していたが、事態を軽視していた、というのが処分の理由だそうだ。
この処分によって、この警部補の将来は閉ざされたも同然だ。今後の警察官生活は、針のむしろだろう。これは実質上の退職勧告と言っていい。だが、警部補にしてみれば、部下の私生活をどれだけフォローせよと言うのか!そんなことが本当に出来るのか!と叫びたい気持ちに違いない。両者の歳の差はわずか3歳に過ぎず、踏み込んだ「人生相談」のような会話は難しかったはずだ。結局、問題のある職員を部下に持ったことが、彼の人生の最大の不幸だったということだ。

警官が①勤務時間中に、②本人の拳銃を使用して、③女性を射殺し、④自殺したという事件だ。この前代未聞の事件を、直属の上司を最も重い処分に処し、署長は次に重い処分、しかしながら、警視総監を「訓告処分」だけにして終幕させた警視庁のやり口には憤然たる思いがする。

東京都のある部局では最近、ある事業所から問題職員の事務処理について本庁に相談したにもかかわらず、結局、「不適正な事務処理」という名目を立てて、管理監督責任を問い、事業所の所長と準責任者の二人を「減給処分(6ヶ月)」とした事例がある。これなどは、今回に比べると、異様に重い処分だ。刑事事件でもなく、金銭的な不正など一切無い事案で、上述の通り本庁も承知済みの事案であったにもかかわらず、何故、立川警察署の関係職員より重い処分なのだろうか。

それは、役所が最も恐れる「圧力団体」から執拗な攻撃があったためだったと推定される。宗教団体や身障者団体などは役所が最も恐れる団体だ。問題職員がある団体と関係があることは明らかだった。その方面から「苦情」がきて対応を誤れば、本庁の責任が問われかねない。そのことを計算して、現場の責任者に異様に重い処分を科したのだと思われる。
殺人を犯した職員の現場上司(警部補、署長等)の処分の方が、上記の現場監督者より「軽い」というのは、到底、理解しがたいことだ。

役所組織の救いようのない堕落をここに見る。


なぜ立川警察署長がこんなに軽い処分なのか

2007年09月20日 11時24分39秒 | 社会
現職の署員がストーカー行為のあげく、勤務時間中に拳銃で女性を殺害し、その後自殺した事件について、警視庁の処分が発表された。
警視総監は戒告処分、立川警察署長は減給処分(減給10分の1を3ヶ月)となった。

事件の重大さから見ると、信じられないくらいの軽い処分だ。昨日、「悪天候」を「悪天皇」と変換ミスした秋田県職員が「戒告処分」になったという報道があった。これと比べても、あまりに軽い処分ではないか。
また最近、東京都では、今回と同じ「管理監督責任」を理由に「減給処分」をおこなった。所属職員の事務処理上のミスに端を発した管理監督責任が「減給処分」(減給10分の1を6ヶ月)なのだ。刑事事件でもなく、職員不正でもない事案が、立川警察署長の2倍の重さの処分というのは、全く理解できないことだ。

現場職員を徹底的に締め上げ、その上層部は責任を免れるという、官僚組織の汚さが見えてくるのだ。

「悪天候」を「悪天皇」と書いた県職員

2007年09月19日 13時11分11秒 | マスメディア

次のようなニュースが載っていた。

両陛下訪問の案内状で入力ミス=悪天候を「悪天皇」、職員処分-秋田県
秋田県は18日、天皇、皇后両陛下の訪問に関する知事名の案内状で、誤った表記のまま上司の決裁を受けずに送付したとして、人事課班長の男性職員(55)を訓告処分とした。また、管理監督責任を問い、人事課長を厳重注意とした。
同課は「ワープロの入力ミスが原因で、職員は作業を急いでいたため、決裁を受けていなかった」としている。
同課によると、男性職員は先月31日、今月下旬に秋田県入りされる両陛下が帰京される際に、見送る予定となっている秋田市議ら特別奉送者に対し、案内状181通を送付した。このうち21通について、「悪天候などの理由により」と表記すべき個所が誤って、「悪天皇…」と記されていた。 

故意ではなく、不注意であるのは明白だろうが、果たしてこの処分は妥当なのだろうか?
皇室はタブーのひとつなので、必要以上に重い処分だったのではないか。この職員は、ワープロの変換ミスひとつで公務員人生を棒に振ってしまった。
行政には、他にもタブーがある。某宗教団体、障害者団体などだ。これらが絡めば、必ず重い処分になるのは間違いない。

 

 


自民党総裁選~世襲政治家の顔見世興行

2007年09月17日 14時59分28秒 | Weblog
辞任表明した途端、安倍首相はマスコミでクソミソに言われている。なかでも多いのが「お坊ちゃま」という悪口。就任時は「貴公子」とか言って、もてはやしたのではなかったっけ…。

次期総理が有力な福田康夫は、父親の足元にも及ばない凡才。父親・赳夫(元首相)は東大法学部を首席で卒業し、大蔵省に入った。その庇護のもとで万全の条件を整えて麻布高校に入ったにもかかわらず、結局、息子は東大に合格できなかった。政治家になってから、特に外交問題に関心があるというのも、「偉大」な父親に敵わなかったコンプレックスからきているのかも知れない。早稲田大学卒では、外務省に入れないものね。

一方、麻生太郎は、ずっと学習院。吉田茂の孫ということで、いつも威張っていたらしい。「お坊ちゃま」で無名大学卒という経歴は、安倍晋三と共通しているのだが、安倍の方がずっと謙虚な人だったようだ。両者に共通するのは「バカ殿」(舛添要一)という言葉。政治の世界では、自分のバカさに恥じ入ることなく、尊大に突進し続ける方が、生き残れるということか。これはもちろん、麻生太郎のことだ。

菅直人の息子が、岡山で先の衆議院議員選挙に立候補した。菅は筋金入りの「市民派」で、世襲などとは無縁のはずだった。息子が菅に似て有能ならばまだ許せる話だが、その息子は高校中退で、理屈ばかりのバカ息子。こういう手合いは、自己顕示欲、権力欲だけが肥大化して、形だけ親の真似をしているとしか思えない。自分自身を客観的に認識できない「化け物」としか言いようがない。

このように世襲を続けると、その政治的遺伝子は次第に劣化していく…。

福州琉球館とアジア主義

2007年09月16日 20時30分42秒 | 歴史
一昨日、たまたま「放送大学」(TV)で「福州琉球館」と題する特別講義を聴いた。講師は、西里琉球大学教授だった。
http://pub.maruzen.co.jp/videosoft/houso/search/1271232.html

伝統的中国の国際関係は「冊封制度」と呼ばれ、近隣諸国は中国に対して朝貢貿易をすることによって、経済・文化的利益を享受していた。日本はこの「冊封制度」に組み入れられることはなく独自性を維持していたが、朝鮮、ベトナムなどの近隣諸国はすべてこのシステムに組み入れられていた。琉球国も例外ではなく、毎年のように中国に特使を派遣して、朝貢貿易を行っていた。
琉球特使の行き先は、福建省の省都・福州だった。福州には「琉球館」と呼ばれる施設があり、琉球の大使館の役割を果たしていたという。

先般、私はベトナム中部の古都、ホイアンを訪れた。そこには、「日本橋」と呼ばれる橋があり、海のシルクロードと呼ばれた時代の交流の歴史が残されていた。

ここには、今は忘れ去られたアジアの民族交流の歴史がある。東京中心、西欧中心の世界観からは、浮かび上がってこない歴史だ。

西欧列強が強制した「近代」とは、アジアの人々にとって、災厄以外の何者でもなかった。軽薄な欧米追随、欧米崇拝の悪癖を打破して、アジア人として考えること-これがいま一番大事なことだ。

来月、那覇の博物館に行き、福州琉球館の歴史に触れてみるつもりだ.

マスコミにしてやられた安倍首相

2007年09月13日 09時15分40秒 | 政治
昨日からマスコミは安倍首相の話題オンリーだ。登場した時はあれほど持ち上げたのに、今は「お坊ちゃん」「無責任」など言いたい放題。

マスコミなんて所詮そんなものだが、この1年間を振り返ってみると、ひとつだけ気になることがある。
それは、安倍首相の「任命責任」と「美しい国」との関係。自らが任命した大臣が次々と問題を起こして、その任命責任を問われたわけだが、大臣のスキャンダルが異様に多いことが気になる。一部マスコミは、安倍首相の唱える「美しい国」の内実を危惧して、内閣の足を引っ張る材料を揃えていたのではないかと勘ぐりたくなる。

安倍首相の唱える「タカ派的体質」「戦後レジームの解体」などは、「平和憲法」を錦の御旗とする朝日新聞にとっては、不倶戴天の敵になる。
いまや落日の朝日新聞でも、大臣のスキャンダル探しの能力はあるだろう。三段論法になるが、安倍首相は朝日新聞などの「護憲勢力」にしてやられたということになるまいか。

今朝の「産経新聞」に猪瀬直樹が次のように書いている。
「…マスコミの”安倍叩き”ともいえる報道はどうだったか。政治資金収支報告の記載漏れのなかには、まさに枝葉末節のことも多く「魔女狩り」の様相を呈していた。」



安倍首相の遅すぎる辞任!

2007年09月12日 13時31分49秒 | Weblog
安倍首相が辞任すると報道された。
「議会での求心力がなくなった」とされているが、何とも間の抜けたタイミングで辞意を表明するものだ。

参院選挙で大敗しても、安倍さんだけは「再チャレンジ」で留任なんだ、と大方の失笑を買っていた。だが、一度決めた留任をかくも簡単に覆してしまうということは、本人の政治家としての資質を疑わせるに十分だ。やはり、おぼちゃまの凡才では、首相の座は務まらないのだろう。同じような経歴を持つ細川元首相も、似たような辞め方をしましたっけ…。

マスコミに根掘り葉掘りやられても、首相の座にしがみついて、最後には何かをやるのではないか、という期待が見事に裏切られたのだ。
今後は、舛添要一のようなタイプの政治家に人気が集まるかもしれない。だが、彼のような「自称秀才」は、結局、墓穴を掘ることになるだろう。いくら東大をトップで出て、パリの行政学院に留学したとしても、上司である首相を「バカ殿」呼ばわりする男は、この社会では支持を得られない。敵は数え切れないほどだろう。
それとは逆に、安倍のような良家のボンボンにもそれなりの効能はあったはずだ。こんなかたちでお辞めになるとは、残念至極なことではある…(!?)

国民が、マスコミによる政治家の揚げ足取りに同調していると、「国を誤る」結果にもなりかねない。
TVのワイドショーなどに左右されずに、自分の意見を持つことが大事だと思う。




北海道北見市役所の「超勤問題」

2007年09月12日 11時02分31秒 | Weblog

北見市といえば、先日、水道事故のトラブルがあり全国的に話題となった。
今朝、「テレビ朝日」のワイドショーは、この事故の対応に追われた市職員が法外な超勤手当を受け取っていたとして特集を組んでいた。
この件に関する7月分の超勤総額は、約8,000万円。そのうち3人には、350時間を超える残業手当として、それぞれ100万円を超える金額が支給されたという。

「テレビ朝日」は、①事故の発生は市に責任があるのに、高額の超勤を支払うのはおかしい、②月に350時間という超勤は考えられない、③市民の血税を濫費するものだなどと批判していた。

 一職員が、月に100万円以上の超勤手当を受け取るというのは、確かに尋常ではない。だが多分、これは現場の技術系職員で、代替する職員がいなかったためと推測できる。この事故が全国的に注目されているにもかかわらず、北見市が何の根拠もなく「カラ超勤」を乱発したなどとは到底考えられない。

「テレビ朝日」の報道は、ますます「公務員攻撃」の様相を強くしている。別に公務員に肩入れするつもりはないが、公に文句を言えない相手(公務員)をいたぶり続けるのはどういう了見なのだろうか。怨嗟を公務員に向けて、何をしようとしているのか。自分たちは、多額の取材費を恣意的に使いながら、「正義の味方」を気取る。いつも指摘するように、「第4の権力」(マスコミ)には、何のチェックもなく野放し状態なのだ。マスコミを外部監査する機関があったなら、民放テレビ各局はそろって”討ち死に”状態になるだろうが…・。

実は「超勤問題」など枝葉末節なことだと思う。「また役人が…!!」などと声を張り上げるアナウンサー(その代表は、吉沢一彦)が「主流」のテレビ局なんて、所詮、真摯な報道姿勢やマスコミ倫理など持っていないことを、いずれ視聴者は気づくに違いないと思うのだが…。


巨人人気の凋落と地方球団の活躍

2007年09月11日 19時49分43秒 | Weblog
「巨人、大鵬、卵焼き」という懐かしい言葉があるが、巨人の人気は今やじり貧状態だ。
大リーグの人気と地方球団の興隆が、「球界の盟主」巨人の地位を危うくしている。大リーグの松井やイチローをみていると、「V戦士」とかいう巨人選手の”活躍”などチマチマしたものにしか見えないのだ。
これまでの人気にあぐらをかいてきた巨人は、いまや一地方球団に成り下がろうとしている。

地方球団と言えば、今年は「楽天イーグルス」が好調だ。田中将大が投げる時は、ケーブルTVで見ることにしているが、各選手の初々しさがとても新鮮だ。巨人OBの元木、宮本(知)などは、選手としては2流以下なのに、巨人ブランドというだけで、今なお大きな顔をしているが、楽天には、ああいうイヤらしいタイプの選手はいないのだ。仙台という土地柄もあるのだろうが、野球に徹しているという感じが伝わってきて、好感を持てる選手が多い。

日本テレビでさえ、巨人戦の放送枠を縮小する中で、巨人の人気はますます低落していくだろう。球界の盟主は今何処という感じだが、これは老舗の会社にも共通するものがあるのかも知れない。

安倍首相の国語力

2007年09月10日 20時51分04秒 | Weblog
「職責にしがみつくことはない」という安倍首相の発言が話題となっている。政治的な意味ではなく、国語上の問題として。
今日、ラジオで鳥越俊太郎が「職責にしがみつくという日本語はありえない。首相は”職責”という言葉を”職席”と間違えているのではないか」とにわかには信じられない解説をしていた。鳥越さんも意地悪だなあと思った。

職責とは「職務上の責任」(岩波国語辞典)であるから、「職責を全うする」というように使えても、安倍首相のように使うのは明らかに誤りなのだ。
先般、熟語か何かの使用法も間違えていて、失笑を買った安倍首相だが、今回は内容が内容だけに笑ってはすまされない。

舛添要一が言うように、安倍首相も「バカ殿」なのだろうか。官房長官のときは随分と輝いていたのに、これだけ国語力の無さを知らされると、見くびられても仕方がないなと思う。



台風情報から見た民放TVのいい加減さ!!

2007年09月07日 02時19分19秒 | Weblog
台風9号が関東地方を直撃するというので、6日(木)の夕方から深夜にかけて、民放各局のTV番組は、大騒ぎだった。特にひどかったのが「テレビ朝日」だ。 
「城ヶ島」から何度も中継して、女性レポーターをずぶぬれにさせながら、いかにすごい台風かをPR(?)していた。その放送姿勢は、冷静に台風の動向を知らせるということではなく、いかに台風らしい「絵」「画像」を撮れるかという点に集中しているかのようだった。

ところが、7日(金)の午前1時を過ぎると、まさに迫り来る台風に民放各局は知らんぷり。「テレビ朝日」に至っては、テロップで情報を流すこともなく、平然とお笑い番組を流していた。(TBSだけは、テロップで情報を流していた。)「城ヶ島」で中継していた女性は、もう近くのホテルで就寝中なのか、それともスタッフと打ち上げの宴会でもしているのか…。取材費を使って…。

台風報道ひとつをとっても、民放の報道姿勢はこのようにいい加減なのだ。それとは逆に、NHKは刻々と台風情報を報道し続けていた。NHKには大騒ぎする「画像」はないのだが、信頼できる情報がある。

民放のワイドショーに至っては、台風報道以上にいい加減で、センセーショナリズムに堕している。自らのいい加減さを棚に上げ、「正義の味方」ぶって対象物を叩き続ける。「社会保険庁」(国民年金)、「お役所」などは、格好のやり玉というわけだ。「みのもんた」の一言で、多くの視聴者が「社会保険庁」をうっぷん晴らしの対象とするという現状には、憂うべきものがある。

「第4の権力」であるマスコミには、「お役所」以上の倫理観やモラールが必要であるのに、民放TVにはそんな気配は微塵もない。
もうそろそろ、国民はこのことに気づくべきだと思う…。芝居がかった「ワイドショー」報道に騙されてはならないのだ。