昨晩、NHK「ラジオ深夜便」を聴いていたら、日中関係をテーマにどこかの大学教授がインタビューを受けていた。延々と続くのを聴いているうちに、その人の話が尖閣事件に及び、意外なことを言い出した。
「尖閣事件を考える前に、近代国際社会がどう成り立ったのか知っておくべきだ。近代国民国家は、ウェストファリァ条約で実体化され、現代の国際関係の基礎となっている」云々…こういうありきたりの話に続いて、「海の国境は陸の国境と異なって、その境界が明確ではなかった。だから日本は尖閣諸島でも竹島でも北方領土でも、相手にもっと胸襟を開いて共同主権を提案するくらいの外交が必要だ」と。共同主権が確立すれば、日本はもっと外に開いた社会になるし、東アジア諸国の繋がりも強固になるだろう…こういう趣旨の発言を繰り返していた。私は、共同主権という欺瞞的な主張をここで初めて耳にした。共同主権という概念は、ジブラルタル海峡のある島の領有を巡って、英国とスペインの間で現実のものとなっている、のだそうだ。
番組の最後に、この人が天児慧(あまこ さとし)早稲田大学教授※であることを確認した。
※ http://japanese.cri.cn/1041/2009/01/13/1s133774.htm
この人の初期の著作(岩波新書)を読んだことがある。改革開放間もない中国をひとり旅した新鮮な記録だった。が、今や時は流れ、天児は早稲田大学アジア太平洋研究科教授という主要ポストに就任し、中国問題の「大家」として中国政府の立場を代弁するかのような言説を繰り返している。
早稲田大学には「親中国」「媚中」という遺伝子がある。大隈重信にまで遡らなくても、一昨年死去した安藤彦太郎(元早大教授・日中学院長)などはその典型だった。東大をライバルと見立て、あちらが「官」で「欧米志向」だから、こちらは「在野」で「中国・亜細亜」だという、粗暴な論理があるのかも知れない。(当然ながら、東大は、こんな「在野精神」など何とも思っていないだろうが…。)天児は、早大教育学部→都立大大学院→一橋大大学院(博士課程)というふうに、学歴UPを図ってきた。当時、早大にはまともな中国研究者など存在しなかったのだから、この「他流試合」は賢明な選択だった。また天児は大学教授として、琉球大→共立女子大→青山学院大→早稲田大学(出身校)というように出世の階段を登るに連れて、中国とのパイプを強固にしてきた。早稲田大学教授というポストは、それなりに社会的影響力がある。何よりも早稲田大学は、中国では一番有名な日本の大学なのだ。
この天児が、NHKの番組(1時間近いラジオ・インタビュー番組)に出て、尖閣諸島を日中共同で主権管理せよと主張する。これが日本の主権放棄の勧めでないのなら、いったい何なのだろうか?
天児の大先輩・安藤彦太郎は、中国共産党のボスが替わっても、中共(=中国共産党)への忠誠、追従を貫いた。中共への「不転向」!天児はその位牌を継いだというところなのか。「幸福を売る男」ならぬ「尖閣を売る男」だ。
ニュージーランド地震が起きてから、TV各局の報道はこれ一色。もうひとつの「一色」さん(=海保・保安官)の尖閣ビデオ問題はどうなった?
韓国人の評論家・池東旭氏がラジオで興味深い発言をしていた。韓国メディアはNZ地震をどう報道しているかというリスナーの問いに応えて、「今回の地震では、韓国人の被害者も出ているが、マスメディアは騒いでいない。死者に対しては、日本人よりも冷淡だ」と。これは韓国人が日本人よりも冷酷だという意味ではなく、現に北朝鮮問題が緊迫しているように、韓国人はより緊張感を持って現世を生きているということらしい。
地震後、72時間を経た時点で、オーストラリアのTV放送は、「CTVビルには生存者がいない」と断言していた。CTVビルは、日本人留学生がいたビル。日本の派遣隊員が「生きていると信じて救援活動を続ける」とコメントしていたのには頭が下がる思いだが、現実は厳しいようだ。
それにしても、日本のTV報道は、尋常ではない。被災者のプライバシー、親族のコメントをこれでもかと報道し続ける。麗しい家族愛、郷土愛、愛国心にこれらの報道が由来するのならば結構なことだが、実際には視聴率が上がればいいというだけのことではないか? もし、東京直下大地震が起きて、数十万人が死に、過密地帯故に仮設住宅も整備できず、人々が流民のようになったとき、マスメディアはどう報道するのだろうかと考えてしまう。NZ地震でこれだけ騒ぐのだから、その一万倍、十万倍くらいの報道をしていただくのが、ジャーナリストの使命というものだろう。だが、われわれはもう気づいている。「マスゴミ」とも言われるマスメディアがそんなことをするはずもないことを。
ミキシィの日記に興味深い一文を見つけた。キョウさんという方の日記だが、引用させていただく。
「昨夜イラッとして日記書こうと思ったけどやめた
でもやっぱ書くわ
昨日の法捨てでNZ地震報道の締めに古舘伊知郎が
「人が人を思う気持ちが繋がっています」
みたいなことを言ってた
取材陣は安否不明者の家族親族にマイクを向け
ホームステイ先まで押しかけて、本人の同意も得ずに部屋まで撮影していたな
他局ではあるけれど、脚を切断した男性に失礼極まりないインタビューしてたな
これが「人を思う気持ちの繋がり」ですか?
世界から集まったレスキューチーム
安否不明者の家族親族友人
現地の方々や世界中の人々
人を思う気持ちで繋がってると思う
けどメディアは繋がってない
人を思う気持ちがない
無配慮なインタビューだけじゃない
安否不明者の過去・経歴まで掘り下げて
「夢や希望を持って学んでた人がこんな災害に遭ってしまった」と
過剰に悲劇を演出してまで視聴率が欲しいか?
NZ地震ニュースの尺が取りたいか?
人の不幸は飯の種だと思ってるんじゃなかろうな?
奇跡が起きることを信じて
ついニュースを見てしまうけど
メディアの報道姿勢にはもううんざりだ」
NHK「未来への提言 生物地理学者 ジャレド・ダイアモンド 過去が語る地球の未来 」を見たが、これが何とも怪しい番組だった。
「生物地理学」者というジャレド・ダイアモンドが、如何に権威のある学者かを強調しながら、文明の消長を映像と音楽で示す。近代ヨーロッパ文明が何故世界を覆い尽くし、その一方でニューギニアの原住民が今なお「原始時代」の生活をしているかの理由を「人種の違いではなく、その背景にあった自然環境の違い」故だと説明する。人類は大型哺乳動物のうち14種を家畜化した。南北アメリカ大陸では、メキシコで車輪が発明され、南米のアンデス地方ではヤクが家畜化された。だが、両者が結びつき、馬車になることはなかった。一方、メソポタミアで作られた車輪はウクライナで家畜化された馬と結びつき馬車が作られた。こういうエピソードはなかなか新鮮で耳目を引きつける。
しかしながら、これに続く内容はどこかで見たようなものばかり。日テレ系列で制作されたUFO番組のような展開となる。崩壊した遺跡の映像を次々と流し、人類の未来に「警鐘」を与えるという次第。あげくの果ては、崩壊しつつある地球環境を守るための具体例として、徳川幕府による森林再生を採り上げる。これは、日本の視聴者へのリップサービスのつもりなのだろうか。
「未来への提言」と仰々しくブチあげながら、実はつぎはぎだらけの、デジャブ感一杯のこの番組。ジャレド・ダイアモンドという人は、本当に宣伝するほどの大学者なのだろうか?私には、とてもそうは思えない。狭い専門分野においては優秀だったのかもしれないが、もはや一線から退き、検証も不能な「文明論」で食いつないでいる作家に過ぎないのではないか。
NHKが作るドキュメンタリー番組は、このところこういうこけおどし番組ばかり。人類文明の未来、地球環境の保全、平和の構築、国際化と市民の連帯…どれもこれも文句の付けようのないフレーズだが、何かおかしくはないか!? そう、NHKのこれらの番組すべてに共通するテーマはただひとつ、日本国民は「ナショナリズム」に目覚めてはならない…ということに尽きる。これは、日本人が日本人であることを自覚したり、正当な国益を主張することを断念させるという意図的な「刷り込み」工作ではないのか?
その証拠に、「中国人が地球を食い尽くす」という批判には、ジャレド・ダイアモンドは極めて甘く、中国人が欧米人並みの豊かさを求めるのは当然だと言い切る。日本人は「国際化」と「地球環境」には滅法弱い。その日本人に対してだけ、環境破壊に対する「原罪意識」を持たせ、途方もない負担を押しつけているという印象だ。
ジャレド・ダイアモンドの相手をする竹村真一は、かの竹村健一の息子。この親子は専門は異なるが、センセーショナリズムに加担するという点で、まさに似たもの親子だろう。
NHKのドキュメンタリー番組は、眉に唾をして見ようではないか。
【NHK HPより引用】
「未来への警鐘」
21世紀の人類が抱える共通の課題について、世界のキーパーソンに徹底インタビューし、未来を切りひらくヒントを探り、道しるべを提示するシリーズです。環境問題、平和の構築、最先端科学、エイズ撲滅、医療、未来学、教育など様々な分野で活躍するキーパーソンに、日本を代表するその道の専門家がじっくりとロングインタビューを行い、とっておきの未来への提言を聞き出します。キーワードは“時代の半歩先をゆく”。インタビューの合間に登場するVTRリポートも、知のフロンティアの最新情報を満載。世界が注目する一流同士の“知的な対話”から、あなたも希望ある未来を見つけ出してみませんか。
プレミアム8 【人物】 未来への提言 生物地理学者 ジャレド・ダイアモンド 過去が語る地球の未来
カリフォルニア大学LA校教授、ジャレド・ダイアモンド博士(73)は「現代文明はそう遠くない未来に崩壊するかもしれない」と警告する。太平洋上に唯一無比の文明を起こしながらも、いまや墓石のようなモアイ像を残すだけとなったイースター島のように・・・。しかもグローバル化によって、現代の文明崩壊は全地球的な規模になると予言する。博士は生物学・生理学の権威でありながら、その幅広い知識と見識で地球人類史を科学の目で検証し直してきた。1997年出版のベストセラー『銃・病原菌・鉄』で過去の文明がいかにして生成・発展したかを解き明かし、ピューリッツァー賞を受賞。2005年、今度は『文明崩壊』でその文明がいかにして滅びていったのかを描き出した。さらに、このまま放置すれば「地球最後の日」が現実化するという警告を発している。我々、人類が作り上げた「文明」は果たしてこの先どうなるのか。迫り来る破局から抜け出すには、今何をしなければならないかを博士に聞く。インタビュアーは文化人類学や環境問題で、ユニークな発想を展開する京都造形芸術大学教授・竹村真一氏。
NHKの定時ニュースのトップが、「パンダ」来日。今朝、民放では「日本と中国の絆を確かにするために来日」したとかコメントしていた。この騒ぎでもう「八百長相撲」の顛末は放送されなくなった。海老蔵はどうした、酒井法子は…こういった枝葉末節の報道の陰で、尖閣事件のその後などは全く報道されない。パンダ様の一挙一投足などどうでもいいことじゃあないかと何故言い出す人がいないのか不思議でならない。
周知のとおり、前回のパンダは、日中国交回復(1972年)を記念して来日した。そのとき、大多数の日本人は友邦である台湾を見捨てて、新しい「友人」中国との友好に突っ走った。共産党一党独裁の中国は、「友好」という心地よい言葉で日本人の警戒心を解き、日本から巨額の経済援助を引き出す一方、江沢民政権以降は、国民に徹底した「反日教育」を施してきた。その結果が、経済・軍事大国となった中国が引き起こしたあの尖閣事件。あれほどの事件がが起きてもなお、何故、新たなパンダを受け入れ、「熱烈歓迎」などしなければならないのか。それとも、仙谷がうそぶいたように「日本は中国の属国」になってしまったのだろうか?
中国からの贈り物(実はレンタルなのだが)を「熱烈歓迎」するマスメディア報道を見ていると、日本と中国の間には「朝貢関係」があるのかと錯覚してしまう。清朝以前の東アジア国際関係は、「朝貢関係」と呼ばれる関係で、文化程度の劣るとされる周辺の夷狄(朝鮮、琉球、ベトナムなど)は、大陸の王朝に朝貢を行い、その見返りに回賜(土産物)を得た。この関係について、Wikipediaは次のように説明している。
『王化思想を基調として周辺諸国の夷狄たちが、「中国の徳を慕って」朝貢を行い、これに対して回賜を与えるという形式である。四夷から朝貢を受けることは皇帝の徳を示すこととされ、内外に向けて政権の正統性を示すことになるため歴代中国政権はコストを払ってでも朝貢を歓迎した。』
もうひとつは、パンダの生息地について。パンダは四川省に生息するとされているが、清朝期に至るまで、その生息地は歴史的にチベットに属していた。中国の国営TVが「パンダは中国の宝」と報道しているが、これは真っ赤なウソ。中国共産党によるチベット支配(1956~)以降、武力で否応なしに「中国」に組み入れられた地域だからである。
ただただ視聴率のためにパンダ報道に熱中するマスメディアは、少しは中国という国の歴史を伝えるべきだろう。
3年ぶり歓迎パンダ様!超VIP来日
サンケイスポーツ 2月22日(火)11時10分配信
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成田空港に到着したパンダを乗せたコンテナ。パンダの着ぐるみも出迎えた(写真:サンケイスポーツ) |
大食いで木登りなど遊びが大好きという「比力(ビーリー)」(雄)と活動的で人懐っこい「仙女(シィエンニュ)」(雌)。上海で飛行機を乗り換える際、仙女は報道陣をのぞき込むようなしぐさをみせ、比力は「クーン、クーン」と鼻を鳴らしていた。今後は環境に慣れさせ、一般公開は3月中を予定。東京都では公募していた2頭の日本名を一般公開に合わせて発表する。
同園が受け入れるパンダとしては、今回初めて中国側から借りる契約を結んだ。期間は10年間で「野生動物保護への協力資金」との名目で年間95万ドル(約7900万円)を払う。石原慎太郎都知事が昨年、交渉で5万ドルの“値切り”に成功し、さらに1年目は半額に値下げされた。
2頭は現在5歳で、人間で言えば20歳前後に当たる。来年あたりから出産に適した年齢になるが、子供が生まれた場合、満2歳で中国に渡す条件も付いている。
延べ床面積が約370平方メートルもある“豪邸”のパンダ舎も大幅改装された。出入りがしやすいようプールは広く浅くし、床を赤いタイル張りから砂を混ぜたモルタルに。極めつけは見学通路に近い場所に置かれた平たい石。電熱で暖まる“床暖房”仕様だ。しめて約9000万円ナリ。
そして四川省雅安からトラックで約150キロ、成都から飛行機で約1700キロ、上海で全日空機に乗り換えてさらに約1800キロ、成田空港から陸路60キロの長旅の旅費は約4900万円。
これらの費用は、同園を所管する東京都が税金で負担する。昨年6月に約1億8500万円の補正予算を組んで手当てした。
さらに毎日のエサなど“固定費”もかかる。同園関係者によると、餌代は1日約1万円少々。大食いのイメージがあるゴリラやカバでも約3100円だから約3倍だ。
もちろん“投資”以上の見返りも期待される。同園では最初のパンダ「カンカン」「ランラン」が来た翌々年の1974年に過去最高の来園者数約765万人を記録した。その後はブームも一段落したが、2008年4月に「リンリン」が死んでパンダ不在となり、入場者数も約290万人に落ち込んだ。
同園は大人入園料600円(小学生以下無料)で、単純計算で来園者の大人が30万人増えれば1億8000万円の増収。地元の商店会や行政などによる「うえのパンダ歓迎実行委員会」は、観光客増加で約100億円が新たに地元に落ちるとみている。
またNHKのドキュメンタリー番組を採り上げるが、こちらは番組批判ではない。
「忘れられたヒマワリ~中国“知識青年”たちの闘い」(NHK BS 2月18日再放送)が放送された。NHKのHPによると、この番組は次のような内容だった。
(忘れられたヒマワリ~中国“知識青年”たちの闘い)
「文化大革命(1966~76)の時代、毛沢東は都会の若者を“知識青年”と呼び、「農村に学べ」をスローガンに、農村に“下放”した。その数千数百万人。農作業に明け暮れ満足な教育を受けていなかった知識青年らは、その後の改革開放で突如現れた競争社会に敗れ片隅へと追いやられた。
60歳を越えた彼らがいま、失われた青春を取り戻そうと声を上げ始めた。上海出身の張志堯さん(64)は、名門高校を卒業すると同時に新疆ウイグル自治区へ下放され、今もその地に住む。当時の下放通知書には、太陽を意味する毛沢東の周りをヒマワリが囲むイラストが描かれていた。知識青年たちは、太陽に忠誠をつくすヒマワリとされてきた。張さんは全国の元知識青年に呼びかけ、待遇改善や補償を政府に要求する全国大会の開催を決意する。しかし、主催者やスポンサーになってくれる組織がなかなか現れず、政府からは開催の同意が取り付けられない。9月、やっとのことで開催の見通しが立ったが、元知識青年の中から「政府を批判するな!」との声が上がる。はたして張さんは無事大会を実現できるのか。
番組では、全国大会に向け格闘する張さんの半年間を追う。」
私が興味を持ったのは、張さんというかつての「知識青年」が、当該大会を無事開催できたかどうかではなく、別のところにあった。番組には、新彊ウイグルに「下放」されたという、かつての「知識青年」たちが「我々が何もなかった新彊に文明を持ち込み町を建設した」と口々に言う場面が出てくる。これは、独裁者・毛沢東が「下放」政策を執ることによって、図らずも獲得した「偉大な成果」ではなかったか、と私は思った。
言うまでもなく、新彊ウイグル自治区は、歴史的にウイグル人の居住空間だった。満洲族の征服王朝である大清帝国においてウイグル族は、満洲族と同等の地位を得ていて、決して漢族の後塵を拝する立場ではなかった。清朝の崩壊後、漢族を主体とする「中華民国」が成立し、清朝の最大版図がその領土であると主張したため、新彊ウイグルは「中国の一部」とされてしまった。しかしながら、中華人民共和国(1949~)成立当初は、漢民族による周辺地域への移住はさほど公然とは行われなかった。だが、文革期の政治的昂揚(あるいは狂気)を利用して、毛沢東は漢族の「知識青年」を革命のためと称して、新彊、チベット、内モンゴル、満州などの異民族地域に送り込んだ。これらの「知識青年」たちは、「革命」の美名のもとその人生を無駄にされた、といま嘆いている。だが、それらの地域は、今や漢民族が実質的に支配する漢族の「植民地」となっているのだ。
文革の犠牲者である「知識青年」は、反面、少数民族に対しては抑圧者として存在したのだという歴史を、このドキュメンタリーの裏側から読みとることができる。もちろん、NHKはそのことに決して触れようとはしないが…。
何はともあれ、興味深い番組ではあった。
やっぱりと思う「ニュース」が、昨日の「夕刊フジ」に掲載された。先日、NHKで放送された「無縁社会」というドキュメンタリー番組が、過剰演出であり、出演者から苦情が寄せられているという内容だ。(詳細は、下掲のとおり。)
「無縁社会」というフレーズを考えたのが、NHK内部の職員なのか、あるいは学者先生か厚生労働省関係者なのかは知らないが、なかなかセンセーショナルで現代日本社会の一面をえぐった鋭い言葉だと思う。だが、私はこの番組を見る気にはならなかった。その理由は至って単純。「ああ、また、深刻ぶったナレーション、こけおどしの効果音と音楽で視聴者をたぶらかすのだろうな」と思ったからだ。
NHKは、「アジアの”一等国”」(2009.4.5放送 「シリーズJapan」第一回)を放送した”前科”がある。この番組は、日本の台湾統治をことさら貶め、史実を歪めて、「台湾は中国の一部」「ひとつの中国」という中国共産党のイデオロギーに擦り寄る内容だった。「2万5千の台湾総督府文書を読み解いた」などと吹聴していたが、結局は親日的な台湾を「反日」中国に売り渡すことに協力するかのような番組だった。この番組のディレクター・濱崎憲一に対しては、番組にも登場した老台湾人医師・柯(か)徳三氏(当時87歳)から「あなたは中共から何かもらったのか?」という非難の言葉が飛び出した。この柯徳三氏は、台湾の日本語世代で、NHKのインタビューに応じて日本統治時代の思い出を語ったところ、それが番組の中で恣意的に使われたとしてNHKに抗議している。柯氏は、蒋介石独裁時代においてもNHKの番組をずっと愛聴、視聴してきたという。その柯氏は昨年亡くなっているので、最晩年におけるNHKのこの裏切りにはさぞかし口惜しかっただろう。
NHKのドキュメンタリー番組は、かつて民放では作れないと言われ定評があったが、「プロジェクトX」の成功以来、その制作手法が変わってきたと言われる。つまりそれは、視聴率UPを狙った民放風の番組制作だ。羊頭狗肉の番組宣伝、おどろおどろしいナレーションと音楽、そして一定の意図を持った番組内容…。今や「みのもんた」の朝番組といくつも共通点が見いだせるほどだ。
今回の「無縁社会」過剰演出は、NHKのドキュメンタリー番組に共通する問題だ。NHKだからと鵜呑みにしてはならないという、格好の警鐘となった。
NHK「無縁社会」で過剰演出 ネット軽視だ!出演者から苦情相次ぐ
夕刊フジ 2月17日(木)16時57分配信
《「ネット縁」に対して前向きに考えて出演を承諾したのに、「無縁だからネットに逃げ込んでいる」ような演出をされてしまった》NHKスペシャル「無縁社会~新たなつながりを求めて~」(11日放送)に出演した女性がこんな内容をあるサイトに寄せた。
女性はネットを通じた「縁」を前向きに伝えるために出演を承諾。もともと女性には家族も友人もいて、そもそも「無縁」ではなかった。だが、実際の放送で、女性は《父の看護で疲れ友人もおらず、現実逃避のためネット生放送を利用(中略)現実には人と触れ合いの少ない「無縁」な人》(女性が寄せたサイトから)にされ、非公開と伝えていた実年齢も明かされた。
夕刊フジの取材に対し、この女性は「誤解と間違いを訂正しただけで、サイトに記した以上の発言はありません。後は、10日から昨日にかけて、私のコミュニティにて番組に関しての感想や意見を発言していますし、NHKさんに対するフォローもしています」としている。
出演者の苦情はこの女性に止まらない。今月10日、NHKニュースウオッチ9の「無縁社会」特集に出演した北海道の加藤直樹さん(34)も不信感を募らせる。屋外でのネット生中継を行っている加藤さんは、NHKから受けた取材の過程で「ネットの繋がりはコミュニケーションの形態の一部。現実社会と変らない」「ネットの相手も人間で、現実社会と分けて接しているつもりはない」などと一貫して主張した。
だが、加藤さんによると、オンエアされた内容は「暗いトーンでの演出に終始しているように思います。内容も現実のイメージからはほど遠く、言葉遣いやナレーション、BGMなど、視聴者に与えるイメージはかなり作為的に感じました」。無縁をことさら強調されたという。
加藤さんとともに出演した中原将太さん(31)も「NHKはネットの世界でコミュニケーションを広げている人間をどうしても『現実世界に縁がなくネットに逃げている』と設定したかったのでしょう。実際、(自身の)ツイッター(に寄せられた意見)を見ると、多くの視聴者がわれわれ出演者を誤解してしまっている」と憤る。加藤さんの抗議後、出演した特集の記録動画は、ほどなくニュースウオッチ9のサイトから削除された。
こうした批判をNHKはどう受け取っているのか。「番組、特集の内容に問題はないと考えています。無縁社会の中でのネットを通じたつながりをテーマにしていることについては、事前に十分説明していると認識しています」(広報部)。問題はないとの見解を示しているが…。
ケーブルTVで放送されている「現代のコペルニクス」が面白い。司会の武田邦彦氏(中部大学教授)は、バラエティ番組にも出ているらしく、今やタレント教授として有名なようだ。
だが、この番組を見て驚くのは、化学者である武田氏が、他の分野にも精通していることだ。この「国民国家」の誕生という歴史の話にも、歴史家顔負けの好奇心を示している。
宮脇淳子氏の話は、相変わらず刺激的で、興味深い。「国民国家」なんて、歴史学に限らず、法律学や政治学・社会学などでも、自明の知識として取り扱われているのだが、こと非ヨーロッパにおける「国民国家」とは?と問われると、そう簡単には応えられない印象がある。
宮脇氏は、そのあたりを詳しく話してくれる。たった30分間でこれだけの知識が得られると思うと、得した気分。
ただ、この映像へのアクセスが、まだ600アクセス程度しかないのが、実にもったいないと思う。
国民国家と民族の誕生1欧米編
国民国家と民族の誕生2中国編
「太平洋の奇跡」という映画が喧伝されていて、今朝もドキュメンタリー風の宣伝番組が流されていた。
この映画は、太平洋戦争におけるサイパン島の玉砕を描いたもので、原作はサイパン島に従軍した米国兵士であるという。敗戦後66年が過ぎ、戦争を知らない世代が映画製作者になった今、「フォックスと呼ばれた男」という日本軍人にテーマを絞って映画を作ることは、「歴史認識」「戦争責任」という煩わしさから逃れるためには、最も好都合であったかと思われる。
実際にこの映画を見た知人は、次のように感想を書いている。
「宣伝は見てなかったのですが、”何かやたらに日本文化をきっちり理解している、教養あるアメリカ人が出てきて、その人のお陰で最後は日本人が玉砕という過ちに気づいて、僅かな人数でも助かる”というストーリーでした。
歴史を知らない私のような日本人は”天皇陛下万歳!とだけ信じて死んだバカな日本人を、教養ある、人道主義に溢れたアメリカ人が目覚めさせて、救った!”という、アメリカ人は素晴らしい!ということになる内容です。」
この映画は「敗走」の悲劇を扱っているためか、その映画音楽については特に話題になっていない。
だが、戦勝国が先の世界大戦を描いた映画には、勇ましい映画音楽を伴った作品が多い。
(「フィルム・スペキュタクラー」 スタンリー・ブラック指揮ロンドン・フェスティバル管弦楽団 DERAM POCD9020)
この「フィルム・スペキュタクラー」には、「史上最大の作戦」(The Longest Day)がBBCニュースのナレーション入りで収められている。戦史の転換点となった、ノルマンジー上陸作戦を報じる、当時のBBCニュースを再現しているのだ。ここには、戦勝国の誇り、かの戦争が正当だったとの主張が、問わず語りに横溢している。
(「Battle Stereo」 ボブ・シャープレス音楽監督 英国近衛兵軍楽隊 LONDON 456-155-2)
この「Battle Stereo」は、第二次大戦終結から18年後の1963年にリリースされたアルバム。デッカ・レコードの音楽ディレクター、ボブ・シャープレスが制作した、効果音入りの戦争音楽である。映画音楽ではなく、音楽とナレーション、そして効果音で戦争そのものを扱ったというユニークなアルバムだった。その構成は、次のとおり。
① アメリカ独立戦争(1775-1783)
② ナポレオン戦争(1812)
③ 南北戦争(1861-1865)
④ クリミア戦争(1853-1856)
⑤ 第一次世界大戦(1914-1918)
⑥ Battle of Britain (1940)
例えば、⑥Battle of Britainは、英国の祖国防衛戦争だが、左側のスピーカーからヒトラーの演説が流れ、右側のスピーカーからはロンドン空襲のサイレンが聞こえてくる。さらにはビッグ・ベンの鐘が鳴り、チャーチルの言葉が流され、エルガー作曲「威風堂々」の大合唱で終わるという内容。否応なしに、英国人の愛国心を駆り立てる仕掛けになっている。
(「Military Musical Pageant」 C.H.ジェイガー中佐音楽監督 英国近衛騎兵連隊音楽隊ほか 1970年 DECCA POCL4790)
「ミリタリー・ミュージカル・ページェント」は、1969年英国ロンドン・ウェンブリー・スタジアムにおけるライブ録音。ブックレットの解説は、次のように書かれている。
「1969年6月21日午後7時30分からロンドン郊外のウェンブリー競技場にて英国陸軍慈善基金設立25周年を記念して、3時間近くに渡って開催された約1200名による陸軍軍楽隊の模様を実況録音したハイライト盤です。
この当時はステレオレコード全盛期で各社各様にステレオ録音技術を競っていて、ここに収録されたものは英国デッカ社が世界に誇ったフェイズ4方式で録音されたものです。クリアーなサウンド、豊かな臨場感、特に競技場に持ち込んだ「1812年」での圧倒的な大砲実射音は聞き物です。」
チャイコフスキーの「大序曲1812年」が、全隊合同演奏で演奏されている。空砲とはいえ、実際に大砲を撃ったのだから、すごい迫力だ。
このように誇らしげに音楽で戦争を描けるのは、戦勝国だけだ。自衛隊がこんな録音を遺したら、国会で「また暴力装置の自衛隊が…」と言う議員が出るに決まっている。音楽ひとつをとっても、彼我の差はかくのごとし。「戦争をやるのなら、勝たなきゃあダメだ」という言葉は、普遍的な真実なのかも知れない。
別に、戦争が好きなわけではないけれど…。
先週の土曜日放送された「所さんの目がテン! 中国人」という番組(日本テレビ系列)は、とても面白かったので、先日次のような感想を記した。
「昨日、日本テレビ系列で放送された「所さんの目がテン! 中国人」をビデオで見る。中国人の特性がよくでていて、とても面白かった。
中国人に対する一般的なイメージは、①列に並ばない、②決して謝らない、③いつも怒っているだった。
①については、北京のバスターミナルでビデオ撮影して観察。その結果、必ず割り込みをする人間がいることが分かる。係員の制止も無視して、平然と割り込むのだ。これに対して、列に並ぶ人が、数珠繋ぎになって対抗するという写真も映し出された。何故、このようにマナーが悪いのか、その原因について、在日中国人の日大教授は「中国人には行列を守るという習慣がない。それは戦乱の歴史のせい」だと解説した。戦乱の歴史!?それでは、何の説明にもなっていないのだが…。「中華人民共和国」建国以来、60年も経過しているのだから、近代国民国家の体裁はもう整ったはずだ。にもかかわらず、行列のひとつさえ守れない社会であるという事実は、中国共産党の国造りに根本的な欠陥があるとしか思えない。
②の「決して謝らない」というイメージに関しては、昨年、家人が北京に旅行したとき、北京在住の友人から「街で人にぶつかったりしても、決して先に謝ってはいけないよ」と釘をさされたという話を思い出した。このTV番組では、日中それぞれ15人の学生に対して、どっきりカメラのような実験を行った。すなわち、「世界で一番軽い皿」という表示を付けた皿を割ってしまったとき、素直に謝るかどうかの実験で、日本人は全員が「すみません」と謝罪したのに対し、中国人全員は「私が割ったのではない」「最初から割れていた」と謝罪を拒否した。」
この番組について、ネット上に書かれた感想を見ていたら、「謝った中国人学生もいるらしい」という書き込みを見つけた。問題になったのは、上記の「中国人全員は「私が割ったのではない」「最初から割れていた」と謝罪を拒否」したという部分。そこで、番組の半分ほどを録画したビデオを改めて見ることにした。すると、3番目の女子学生は確かに「対不起、対不起(=ごめんなさい)、私が壊したのではありません、最初から壊れていました」と言っている。ただし、字幕では「対不起」(ごめんなさい)と2回言う部分は表示されないのだ。この「実験」の結果、「中国人は全員が謝らなかった」という、番組としての結論が導き出された。
日本テレビとしては、バラエティ番組だからと気楽なつもりで制作したのかも知れないが、中国人女子学生が明らかに「対不起」(ごめんなさい)と謝罪している映像を流しながら、反対の結論を字幕で表示するとは、あまりに杜撰、いい加減としか言いようがない。当該女子学生の立場になれば、「ごめんなさい」と二度謝って、「私が壊したのではありません、最初から壊れていました」 と言ったのは、割れるはずもない皿を手にしたとたんに、皿がパカ~ンと割れたのだから、当然至極の反応なのだ。
中国人が①行列に並ばない、②決して謝らないというのは、概ね事実だろう。だが、どっきりカメラのような「実験」をして、その結果を一般的印象に結びつけるのはいかがなものだろうか。媚中傾向が顕著な各TV局の中では、極めてエキセントリックな面白い企画ではあったが、同時にあまりにお粗末だったと言っておく。
捏造の尻尾を隠さずにそのまま放送してしまった、お粗末な番組。在日中国人は、この番組を「捏造」だとして抗議する「権利」を留保したことになる。万が一、抗議されたら、日本テレビはすぐに謝罪するのか!?
きょう、バレンタイン・チョコレートをもらった。
チョコのラベルに台湾映画「海角七号」のポスターがあしらわれている。
「海角七号」は、一昨年、日本でも公開されて大きな反響を呼んだ。
食べるのがもったいない!
昨日、日本テレビ系列で放送された「所さんの目がテン! 中国人」をビデオで見る。中国人の特性がよくでていて、とても面白かった。
中国人に対する一般的なイメージは、①列に並ばない、②決して謝らない、③いつも怒っているだった。
①については、北京のバスターミナルでビデオ撮影して観察。その結果、必ず割り込みをする人間がいることが分かる。係員の制止も無視して、平然と割り込むのだ。これに対して、列に並ぶ人が、数珠繋ぎになって対抗するという写真も映し出された。何故、このようにマナーが悪いのか、その原因について、在日中国人の日大教授は「中国人には行列を守るという習慣がない。それは戦乱の歴史のせい」だと解説した。戦乱の歴史!?それでは、何の説明にもなっていないのだが…。「中華人民共和国」建国以来、60年も経過しているのだから、近代国民国家の体裁はもう整ったはずだ。にもかかわらず、行列のひとつさえ守れない社会であるという事実は、中国共産党の国造りに根本的な欠陥があるとしか思えない。
②の「決して謝らない」というイメージに関しては、昨年、家人が北京に旅行したとき、北京在住の友人から「街で人にぶつかったりしても、決して先に謝ってはいけないよ」と釘をさされたという話を思い出した。このTV番組では、日中それぞれ15人の学生に対して、どっきりカメラのような実験を行った。すなわち、「世界で一番軽い皿」という表示を付けた皿を割ってしまったとき、素直に謝るかどうかの実験で、日本人は全員が「すみません」と謝罪したのに対し、中国人全員は「私が割ったのではない」「最初から割れていた」と謝罪を拒否した。
残念ながら、これに続く画面は、録画予約の不手際で見ることができなかったが、最後まで見た人は中国人の特質をよく知ることができたのではなかったか。
台湾で地下鉄や台鉄、あるいは船に乗るとき、行列が守られるかどうか見ているが、割り込む台湾人は一度も見たことがない。一方、中国・瀋陽駅で行列などお構いなしに改札口に突進する中国人の群れを見たときは、正直ぞっとした。同じ中華圏に属する台湾と中国では、何故かくも違うのかは、「戦乱の歴史」などという雑な思いつきではなく、もっと真剣に解明されて然るべきだろう。
尖閣事件での居丈高な中国人の対応を見て、菅首相のように「一衣帯水」などと間の抜けたことを言っている場合ではないと思った人も多いはず。
日テレもたまにはいい番組を作るんだと感心した。
今週の火曜日、大相撲の八百長問題が報じられて以来、マスメディアの報道は、この問題一色。
TV局の番組は、一分単位で視聴率が算出される。そのため、どの映像が最も視聴者を引きつけたか、出演者の誰が一番視聴者の受けがよかったかという観点から、番組が制作されるのだ。
テレ朝系列「報道ステーション」を見ると、こういうTV局側の制作意図が透けて見えてくる。まず、その日に起こった事件・事故の刺激的な映像を五分間くらい流し、視聴者の目を引きつける。そのあと、古舘某が深刻な表情で社会批判めいたコメントをするというやり口だ。
八百長相撲の情報が、何故こういう時期にマスメディアに流出したか、「報道ステーション」などのニュースショー番組では、全く語られていない。ある朝のラジオ番組で、この情報は民主党の有力政治家から流出したらしいというコメントを聴いたが、他の番組ではこの種の伝聞情報もなかった。
八百長相撲、野球賭博で騒がれる大相撲だが、この問題は所詮角界内部の出来事、一般人にはあまり関係ない。
賭博が悪いことだと言うのならば、どうしてマスメディアは、パチンコ問題をキャンペーンで採り上げないのだろうか? 北朝鮮献金、闇社会との繋がり、警察官僚の癒着、パチンコ・フリークによる家庭崩壊・自殺などが明らかになり、パチンコが健全娯楽などという建前はもうとっくに崩壊している。
パチンコは、健全娯楽の遊戯を表看板にしながら、実は「駅前カジノ」と呼ばれるように、今や賭博場と化している。典型的な本音と建て前の使い分けだ。これを容認するのが、警察官僚と、朝鮮総連の支援を受けた日本人の政治家たちだ。特に、土井たか子などの社民党関係者は、ことあるごとに「歴史への謝罪」という詭弁を持ち出して、朝鮮総連の無法をバックアップしてきた。
パチンコ問題の核心は、景品交換の容認にある。特殊景品を換金できる現行システムを廃止して、タバコやお菓子などの景品だけにすれば、パチンコ産業は、数ヶ月で倒産してしまうだろう。極端に言えば、特殊景品の流通を禁止するだけで、北朝鮮の核開発を止めさせる効果さえある。
パチンコ店を観察していると、明らかに遠隔操作されているような当たり台、当たり方を見ることも多い。公安委員会が規定した大当たり確率など明らかに無視した、恣意的な当たり方という印象なのだ。客の様子をカメラでチェックしながら、当たりを出すかどうか、管理しているのだとすれば、明かな違法行為なのだが、摘発されたというニュースもほとんど聞かない。
衰退した地方都市に行くと、金回りの良さそうな商売は、パチンコ店と病院だけ。両方とも、政治家に多額の政治献金をして、その権益を守っている業界なのだ。
パチンコ疑惑こそ、大相撲の八百長問題よりずっと深刻な問題なのに、マスメディアは決して触れようとしない。
パチンコ業界と在日朝鮮人と北朝鮮の実態.mp4
きょうは、旧正月の元日。春節。
横浜の中華街にでかけた。周囲のオフィス街はいつもの週日のとおりだったが、中華街だけは賑わっていた。
目立ったのは、中国から来たと思われる観光客。日本に来てまで、わざわざ中華街に足を運ぶのかと思った。もしかしたら、何かの下見なのかも知れないが…。
関帝廟、馬祖廟では、新年のお参りをする華人の人でいっぱいだった。
お粥で有名な「謝甜記」で三鮮粥と焼売を食べる。そのあと、元町、港の見える丘公園を散歩して、再び中華街で腸詰め、ココナツクッキー、ビーフンを買った。
今日は小春日で、絶好の散歩日和。のんびりとした一日を過ごした。
関帝廟(左)と馬祖廟(右)
(馬祖廟の参拝客)
シアターテレビジョンで放送されている「現代のコペルニクス」、これがなかなか面白い。
「満洲国」の歴史だけでなく、中国史そのものを扱った「 中国は1600年間"占領国" 中国の歴史」も興味深い。
この映像を見ただけでは、眉に唾をする人もいるかもしれないが、清朝の歴史と版図については、平野聡氏(東京大学準教授・アジア政治外交史)が、「サントリー学芸賞」を受賞した「清帝国とチベット問題」※の中で明らかにしている。
※ http://www.suntory.co.jp/sfnd/gakugei/si_reki0053.html
「中国はひとつ」であらねばならないというイデオロギーが、いかにデタラメかよく分かる。
中国は1600年間"占領国" 中国の歴史 1 4
中国は1600年間"占領国" 中国の歴史 2 4
中国は1600年間"占領国" 中国の歴史 3 4
中国は1600年間"占領国" 中国の歴史 4 4
ケーブルTVで「現代のコペルニクス」という番組が放送されていることを知り、ホストの武田邦彦(中部大学教授・化学)とゲストの宮脇淳子(東洋史家)の対談「満洲は”国”だった」を見た。
武田氏は、最近、バラエティ番組に出演していて、トンデモ学者のようなイメージをご自身で振りまいている印象があるが、実は優秀な化学者だ。宮脇淳子氏は、東洋史の大家・岡田英弘氏(東京外国語大学名誉教授)の奥様で、岡田史学の後継者を自認している方。両者に共通するのは、学界では異端扱いされていることだろうか。武田氏は地球温暖化のウソを指摘。宮脇氏は「中国はひとつではない」と主張するのだから、学界権威筋からは快く思われるはずもない。
だが、この番組を見ると、その内容は極めてまとも。岡田英弘氏のあとを次いで、東京外大で東洋史を講じる教授自身が「満洲史が歴史から忘れ去られ、その歴史が歪曲されることに危惧を感じる」と述べられている。
何で今さら「満洲」なんて、この忙しいのに?と思われる方も多いはず。この番組が面白いのは、こういう観点で「中国」という国を見れば、尖閣事件もよく理解できるということ。現代に繋がる基礎知識だということだ。それをこの国の学校教育は、全く教えてこなかった。
満洲という「国」はあった!1 2
満洲という「国」はあった!2 2