澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

塩村文夏都議の「故意のから騒ぎ」 

2014年06月29日 10時47分23秒 | マスメディア
 マスメディアは連日、「都議会ヤジ事件」で大騒ぎ。都議会におけるヤジ(不規則発言)が「女性の人権」を侵害するものだとして、ヤジを飛ばした自民党議員を大バッシングしている。
 その一方で、塩村文夏という女性の経歴については、週刊誌が飛びつきそうなネタばかり流されている。その代表的なものがこの映像。



 この番組は、かつて日テレで放送された「恋のから騒ぎ」だが、現在はマスメディアが演出する「故意のから騒ぎ」というべき状況だ。

 最新号の「週刊新潮」には、「従軍慰安婦強制連行」をでっち上げながら、今は知らん顔をしている福島瑞穂の行状が記事(「河野談話」を出世の踏み台にした「福島瑞穂」社民党前党首売国の履歴書)になっている。調査を重ねても、慰安婦の強制連行など証明されなかったのに、福島瑞穂らの「反日」日本人は、現在の「女性の人権」「平和」「共生」などのイデオロギーに基づき、先人が歩んできた歴史をいとも簡単に冒涜した。

 どうみても、塩村都議は福島瑞穂に遠く及ばない(ルックスを除いては…)、そんな彼女が「外国人記者クラブ」で「日本人女性の人権」保護を訴える。これは調子の乗りすぎではないだろうか。バカはおだてりゃ木に登るのかどうか知らないが、「ジャンヌ・ダルク」と化したバカほど、始末に負えないモノはない。

 
 「朝日」「毎日」が主導して「女性の人権」「女性の権利」をお題目に騒ぎ立てる、この「から騒ぎ」。意図的に安倍政権のイメージダウンを図るという邪悪な目的のために行われているのだとしたら、実に許せないことだ。
 

「故宮博物院展」ポスター改竄に台湾政府が抗議

2014年06月21日 08時08分01秒 | 政治
 いよいよ東京国立博物館で始まる「台北 國立故宮博物院展」だが、ここに来て予期せぬ出来事が起きた。この展覧会の一部のポスターが、台湾政府(=中華民國政府)関係者が関知しないまま、「台北 故宮博物院展」と書き換えられていたという。そのため、台湾政府は、抗議声明を発表した。(下記Radio Taiwan International News参照)

 
(右側が正式の表記。左側は意図的に「國立」の文字が削られ改竄されたポスター)

 

 「そんなこと、どうでもいいじゃん」と軽く考える向きもあるかも知れないが、ことはそれほど単純ではない。まず、「國立」の文字を削除したのが、NHKと「毎日新聞」だったという事実。媚中で知られる両メディアは、ことあるごとに中国の主張に「寄り添い」、台湾を中国の一地域であるかのように報道してきた。先日の台湾学生による「台湾立法院占拠事件」報道を中国の意向に沿ってほぼ放棄し、今度は自らの手でポスターから「國立」の文字を削除した。これは、中国は「ひとつ」であり、それを代表するのが中華人民共和国政府だという「日中国交回復」(1972年)以来のドグマ(教条)に呪縛されているからに他ならない。

 だが、東日本大震災時、どの国が一番日本のことを心配してくれたか。250億円もの義援金を送ってくれた台湾(中華民國)の人々だったことは、もはや明らかな事実だ。台湾が門外不出の清朝期の「國宝」を日本国内で初展示公開してくれるのは、日本や日本人に対する親近感、親日感情があってこそのことだろう。そうした感情を踏みにじるNHKの行為は、本当に日本の公共放送がやることなのだろうかと憤りを覚える。

 ちなみに、台湾(中華民國)の政府機関・学校には、「國立」と付くのが正式名称であることが多い。例えば、台湾で最も有名な「台湾大学」は、「國立台湾大学」が正式名称。「國立政治大学」「國立成功大学」などが正式な名称なのだから、故宮博物院の正式名称は「國立故宮博物館」ただひとつなのだ。

 「台湾立法院」と報道すると、立法院は「国会」を意味するのだから、国家ではない台湾に国会があるのはおかしいと「中国筋」からクレームが付く。「台北 國立故宮博物館」展が日本で開催されるのをどうにかして邪魔しようとする中国は、このような形で「対日メディア工作」を仕掛けてきたというのが、この事件の真相だろう。



故宮、日本展ポスター「国立」漏れに抗議2014-06-19 Radio Taiwan In ternational News ※

 国立故宮博物院が、24日に始まる日本での展示会の宣伝ポスターに「国立」の文字が抜けている事に抗議、訂正を求めた。
国立故宮博物院の「神品至宝」展は、24日から日本の東京国立博物館で開催されるが、このほど、東京国立博物館と協力しているメディアが作製した宣伝ポスターに「国立」の文字がなく、「台北故宮博物院」のみの記載となっている事が明らかとなった。
国立故宮博物院が19日に明らかにしたところによると、16日、日本に駐在する台湾のメディアから知らされたという。その後、日本の東京国立博物館側からは、館内の展示ホール及び博物館の管轄する場所に貼られたポスターについては、すべて契約通り「国立故宮博物院」と記載されている事、そして、その他の宣伝ポスターについては、協力メディアであるNHKと毎日新聞により作製されたことがわかったという。

このため、国立故宮博物院では17日、書面で東京国立博物館に対し、厳正な立場を伝えた他、18日に展示品を東京国立博物館に搬送した故宮博物院の関係者が、ポスターでの名称をただちに訂正するよう求める正式な書簡を手渡したという。
国立故宮博物院の金士先・スポークスマンは19日、「書面で抗議し、即刻訂正するよう求めた。決して曖昧にできない問題だからだ。東京国立博物館がメディアに責任を押し付けて済むという問題ではない。このポスターはすでに九州でも貼られているという。我々は九州国立博物館に対しても同じ過ちをしないよう書面で求める」と話した。

国立故宮博物院の馮明珠・院長は、「我々には、日本のメディアを拘束する力はないが、東京国立博物館に対してすべての宣伝ポスターで、『国立故宮博物院』という正式な名称が明記されるよう協力を求めた」と話した。



【何故?】台湾が「国立」削除に猛抗議 故宮展ポスターで


【編集長の一言】

  今まで台湾を「一地区」と公言した馬英九は「国立」こだわるはずもない。
  土壇場になっての抗議は二つの要素がある。一つは馬英九の「祖国」である中国に「日本に厳しい姿勢」を見せるためと、24日の中国台湾弁公室主任張志軍の台湾訪問への批判を交わすためである。
  日本を批判中国の歓心を得ようとしていることは馬英九の狙いなのだ。
                          「台湾の声」編集長 林 建良

2014.6.20共同通信

 【台北共同】東京国立博物館で24日から始まる「故宮展」を前に、台湾総統府と台北の故宮博物院は20日、日本側が正式名称の「台北国立故宮博物院」から「国立」を削除したポスターを作成、都内に掲示しているとして抗議する声明を発表した。

 修正に応じない場合「一切の展示活動を取り消す」と主張し、「名誉団長」を務める馬英九総統の周美青夫人の訪日にも影響すると指摘した。

 展覧会の名称は「台北国立故宮博物院―神品至宝―」だが、日本は台湾を国と承認していないため「国立」の文言を使用するかどうか日本側関係者の間で議論となり、最終的に固有名詞として扱うことになった経緯がある。




李登輝氏の新著「李登輝より日本へ 贈る言葉」

2014年06月13日 09時40分42秒 | 
 李登輝氏の最新刊「李登輝より日本へ 贈る言葉」が一昨日刊行された。
 「中台貿易サービス協定」に反対する台湾学生の立法院(=台湾国会)占拠についても所見が書かれている。
 「台湾の声」に本書の紹介が掲載されたので、ここに転載させていただく。


李登輝より日本へ 贈る言葉
李登輝 著
(株)ウェッジ 2014年6月11日刊



【必読】李登輝元総統の新著『李登輝より日本へ 贈る言葉』


日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載




・著 者 李登輝
・書 名 『李登輝より日本へ 贈る言葉』
・体 裁 A5判、上製、272ページ
・定 価 本体2,400円+税
・版 元 (株)ウェッジ
・発 売 平成26(2014)年6月11日

◆『李登輝より日本へ 贈る言葉』
  http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3591

-----------------------------------------------------------------------------------------

はじめに

第1章 再生する日本
   日本が明るくなった
   安倍総理によって攻勢に転じた日本外交
   アベノミクスと「失われた二十年」
   日銀改革に期待
   「原発ゼロ」の非現実性
   夢の「核融合」発電
   トリウム小型原発の可能性
   安倍新政権の使命の重大さ
   安倍総理へのエール

第2章 李登輝の台湾革命
   自我に苦しんだ少年時代
   小我をなくして大我につく
   マルクス主義への傾倒
   二・二八事件「犬が去って、豚が来た」
   台湾の歴史の暗黒時代
   蒋介石による排日教育世代
   国民党に入党
   蒋経国学校
   台北市長・台湾省主席をへて副総統に
   「私ではない私」
   軍を掌握する
   国民党との闘い
   司馬遼太郎と私
   台湾人のアイデンティティ
   「歓喜の合唱」
   台湾の改革、いまだ終わらず
   台湾における「中華思想」の復活

第3章 中国の歴史と「二つの中国」
   「中国五千年」
   新儒教主義
   なぜ「支那」がいけないのか
   中国人には「現世」と「私」しかない
   「天下は公のために」
   台湾モデル
   「一国二制度」はあり得ない
   台湾は「生まれ変わった」
   特殊な国と国との関係
   「台湾中華民国」

第4章 尖閣と日台中
   台湾にとっての「尖閣」
   中国が狙う両岸の「共同反日」
   「千島湖事件」と「台湾海峡ミサイル危機」
   安倍総理の断固とした態度
   中国の独善的な論法
   韓国人と台湾人
   「日本精神(リップンチェンシン)」と「謝謝台湾」

第5章 指導者の条件
   人命より体裁を優先した民主党政府
   緊急時の軍隊の役割
   リーダーは現場を見よ
   指導者は「知らない」と言ってはならない
   「生きるために」――日本の大学生からの手紙
   孤独を支える信仰
   「公義」に殉ずる
   「公」と「私」を明確に区別する
   カリスマの危うさ
   劉銘伝と後藤新平
   台湾で最も愛された日本人
   権力にとらわれないリーダーシップ
   福澤諭吉の問題提起
   「伝統」と「文化」の重み
   エリート教育の必要性
   「知識」と「能力」を超えるもの

第6章 「武士道」と「奥の細道」
   オバマ大統領の最敬礼
   『学問のすゝめ』
   儒学の思弁より実証的学問
   東西文明の融合
   「武士道」の高い精神性
   日本文化の情緒と形
   「奥の細道」をたどる
   靖國神社参拝批判は筋違い
   変わらぬ日本人の美学
   一青年からの手紙にみた日本人の精神文化

第7章 これからの世界と日本
   「Gゼロの世界」
   平成維新のための「船中八策」
   若者に自信と誇りを

おわりに

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
2>> 李登輝元総統新著『李登輝より日本へ 贈る言葉』の「はじめに」全文

 台湾がまもなく旧正月を迎えようという今年一月末、テレビでは「台湾新幹線の乗務員が日本の新幹線で接客研修」というニュースを報じていました。聞けば、昨年十二月には日本の新幹線の乗務員が台湾で研修を行っており、日台交流研修の一環だということでした。

 日本と台湾の密接な関係を象徴するものは数多くありますが、台湾新幹線はその代表的なものの一つと言えるでしょう。

 日本で研修を受けた台湾新幹線の乗務員は「日本の接客は非常に丁寧。私たちももっと練習して『おもてなし』の心を学んでいきたい」と感想を述べていましたが、私はこんな形の日台交流もあるのかと唸うならされました。
 昨年夏に東京オリンピック開催が決定してから、日本の雑誌や新聞で「おもてなし」という言葉を目にすることが多くなりました。私も二〇〇五年末、正月を日本で過ごすために家族とともに名古屋や関西を訪れましたが、そのときに乗車した新幹線のサービスの素晴らしさにほとほと感心したのを覚えています。

 新幹線の乗務員は、車内に出入りするたびに丁寧におじぎをし、乗客に細やかな気配りをしていました。通路や座席にはチリひとつ落ちておらず、トイレは常に清潔に保たれている。電光掲示板には目的地の天候や気温が乗客へのサービスの一環として表示され、私たちを乗せた新幹線は到着予定時刻ちょうどにホームへとすべり込んだのです。
 私が日頃から常々評価する日本精神を形作っている誠実さや真面目さ、思いやり、滅私の心、時間厳守といったものが体現されたのが日本のサービスであり、結実したものが「おもてなし」の心と言えるのではないでしょうか。

 私は、日本人が持つこの精神が改めて素晴らしいものであると強く確信すると同時に、いまでも日本の社会でその精神が失われずにいることを目にして感激したのです。
 こうしたサービスの分野で台湾が日本に学ぶことはまだまだ多くあります。新幹線を通じた日台交流が台湾のサービス向上に役立つことを期待しています。

 前置きが長くなりましたが、日本と台湾の結びつきはかくも強く、台湾には昔の日本がいまも息づいていると同時に、日々刻々と変わる国際情勢のなかにあっても、日台の絆が未来へ向けてますます強くなっていくという思いを禁じ得ません。

 私は今年一月で九十一歳を迎えました。一昨年の十一月に受けた大腸癌手術に続き、昨年七月には首の動脈にステントを入れました。いよいよ自分に残された時間を意識しなければならなくなったと感じる次第です。

 この本には、純粋な日本教育を二十二歳まで受けて育った元日本人ともいうべき李登輝の精神世界をひも解くと同時に、私という人間がいかにして形成されたのか、日本精神や武士道といった日本が世界に誇るべき素晴らしい財産に対する評価、我が祖国台湾の現状と未来、長らく「片思い」が続いた日台関係、国家の行く末を左右する指導者の条件や修練など、日頃から考えていることの集大成と言えるものを盛り込んだつもりです。

 夜ベッドに入っても、朝目覚めても、頭をよぎるのは、これから台湾がどうなっていくのかという思いです。と同時に、日本のこともそれ以上に気懸かりでなりません。幸いにして、一昨年十二月に再登板した安倍晋三総理によって、日本が長らく迷い込んでいた暗いトンネルに一筋の光明が差し込んだようにも思います。

 日本と台湾は運命共同体です。日本が息を吹き返せば、必ずや台湾もそれに引っ張られて明るくなるのです。中国の台頭が言われて久しいですが、アジアのリーダーとして相応しいのは日本をおいて他にないと私は断言します。日本経済の再生は、中国が持つ市場の大きさや経済に目を奪われがちな台湾の人々の関心を日本へ向けさせる絶好の機会とも言えると思います。

 本書は、日本の復活を心から期待する李登輝から日本人へ贈るメッセージです。

 本書の原稿も最終チェックの段階に入った頃、台湾と中国の「サービス貿易協定」発効に反対する学生たちが立法院に突入し占拠したというニュースが飛び込んできました。この付記を執筆している時点で占拠は二週間あまりとなっており、どのような結末を迎えるか予断を許しませんが、私の思うことを述べておきたいと思います。

 思えば二十四年前のちょうどいまと同じ季節、いくら南国台湾とはいえ三月の朝夕は時折ひどく冷え込むこの時期に、やはり台湾大学を中心とする学生たちが台北市内の中正紀念堂で座り込みやハンストを行っていました。

 ことの発端は、何十年も改選されない国民大会代表が、その退職に際し、高額の退職金や年金などを要求していたことに対する抗議でした。この座り込みが報道されるや、中正紀念堂には学生や支持者が続々と集まり始め、最終的には六千人を超える規模になったと記憶しています。

 その三年前の一九八七年には戒厳令が解除されていたものの、未だ国民大会には「万年議員」が居座って禄を食み続けていましたが、その根拠となっていたのが、台湾と中国大陸は未だに内戦状態にあるとして憲法の機能を制限し、国家総動員のために設けられた「動員戡乱時期臨時条款」でした。

 学生たちは万年国会の解散に加え、動員戡乱時期臨時条款の撤廃、民間からも識者を集めた国是会議の開催、民主化のタイムテーブルの提示という四大要求を掲げ、政府、つまり総統の任にあった私に突きつけたのです。

 私はと言えば、当時確かに総統の任にありました。とはいえ、それは一九八八年一月に蒋経国総統が急逝し、憲法の定めにしたがって副総統だった私が昇格したにすぎず、私のことを「ロボット総統」と見る向きも多かったのです。

 さもありなん、国民党内で派閥もなければ後ろ盾となる元老もいない、軍も情報機関も掌握していないのだからそう見られたのも当然でした。

 総統就任後、私は時をおかずに?経国路線を継承することを表明しました。蒋経国総統の急逝による党内の動揺を抑え、台湾社会を安定させることが何よりも先決すべき問題だったのです。

 台湾の民主化を推し進めるためには、名実ともに国民大会代表による支持を受け、選挙によって選ばれた総統にならなければなりません。そこで私は、代理総統の任期が切れる一九九〇年春を視野に、李元簇副総統候補とともに支持を取り付けるべく、一瞬も気の抜けない選挙戦を戦っていました。

 二月、党の臨時中央執行委員全体会議でわれわれが正副総統候補として指名されたものの、翌月の国民大会で正式決定される前にひっくり返そうとする非主流派勢力によるクーデター工作が白熱しており、日々予断を許さない状態にありました。

 そして折も折、学生たちによる座り込みが始まったのは、国民大会での総統候補指名を翌日に控えた三月十六日のことだったのです。
 というのも、それに前後する三月十三日、国民大会は台北市郊外にある陽明山中腹の中山楼で代表大会を開催し、「動員戡乱時期臨時条款修正案(延長案)」を満場一致で可決したのです。一九四八年の発布以来、時限立法的性格を有する臨時条款の期限延長を毎年自分たちの手で行うという悪例がまかり通っていたのです。

 しかし、民主化への胎動が聞こえ始めたこの年、高待遇の特権を手放そうとしない国民大会代表に抗議する学生たちが中正紀念堂で座り込みを始め、人民の怒りを表明したのも当然の帰結でした。

 学生たちの声は燎原の火のごとく広がり、民主化を望む声は時間が経つごとに大きくなっていきました。そこで私は学生たちが座り込みを始めた翌日には、テレビを通じて、人民に対し冷静に理性を持って行動するようにと呼びかけると同時に、政府側も民主改革を加速させることを再度表明して、その要求に応えようとしたのです。

 日増しに大きくなる人民の声に押されるように、私は十九日に「一カ月以内に国是会議を開催す」と表明しました。翌二十日には立法院で与野党が協議し、国是会議開催に加え、「動員戡乱時期の終結」や「民主化のタイムテーブルの提示」を総統に提言することが決まったのです。

 実際、学生たちの要求が、私自身が推し進めたいことと完全に一致していたのは間違いありません。二十一日、学生運動によって政局はやや混乱していたものの、国民大会の支持を取り付け、選挙を勝ち抜いて総統の座に就いた私は、早速学生代表を総統府へ呼び、彼らの声に直に耳を傾けたのでした。

 実を言うと、学生たちが座り込みをしている中正紀念堂へ私のほうから赴きたかったのですが国家安全局から「万全の警備ができず、不測の事態が起きかねない」として強く反対されたのです。そのため、夜中に車両で中正紀念堂の周囲を一周して学生たちの様子を見て回ったこともありました。

 私が会った学生代表は、記録によると五十三人となっています。彼らも混乱していたのでしょうか。日中に秘書長を派遣して「代表者は総統府へ来るように」と伝えてあったのですが、彼らが来たのは夜八時を過ぎていたと記憶しています。

 私は「皆さんの要求はよくわかりました。だから中正紀念堂に集まった学生たちを早く学校に戻らせ、授業が受けられるようにしなさい。外は寒いから早く家に帰って食事をしなさい」と彼らを諭したことを覚えています。

 彼らは中正紀念堂へ戻り、協議のすえ翌日早朝には撤退することを発表しました。それを聞いて私も心底ホッとしました。私の心のなかに民主化を推し進める意欲があったことはもちろんですが、寒さに震えながら座り込みを続ける学生たちの姿を見ていられず、一日も早くキャンパスや家族のもとへ帰してやりたいと思っていたからです。

 今年三月十八日、学生による立法院占拠に端を発した「太陽花(ひまわり)学生運動」ですが、二週間あまり経った現在でも馬英九総統は学生たちの声に耳を傾けようとせず、「サービス貿易協定がこのまま発効しなければ台湾の信用問題にかかわる。学生たちの立法院占拠というやり方は違法」などと、本質的な問題から目をそらし、「協定発効ありき」の姿勢を崩していません。

 ここで私は強く言いたい。

 立法院を占拠した学生たちには、学生たちなりの意見があります。彼らだって国のためを思って行動しているのです。あの場にいる彼らだって国のためを思って行動しているのです。あの場にいる学生たちのなかに個人の利益のために座り込んでいる者など一人としていません。彼らに何の罪があるというのでしょうか。馬総統は一刻も早く彼らの話を聞き、少しでも早く学校や家に帰す努力をするべきです。

 本文でも述べていますが、指導者たる者、常に頭のなかで「国家」と「国民」を意識していなければなりません。指導者は人民の声にできるかぎり耳を傾け、その苦しみを理解すると同時に、誠意を持って彼らの要求に具体的に応え、解決の道を探るべきだと私は信じています。馬総統は「党」や「中国」のことしか考えていないようにも思え、同じ総統の立場にあった者として残念でならないのです。

 とはいえ、この十数日の間、学生たちが台湾に対して見せた情熱や理想の追求は明るい希望をもたらしてくれました。そして三月三十日には、総統府前でサービス貿易協定の密室協議に反対するデモを行い、台湾の歴史上例をみない五十万人(主催者発表)という人々が総統府前広場を埋めたのです。

 実はこの日、私も参加したいと思っていたのですが、二人の娘と孫娘に「まだ風邪が完全に治ってないでしょう。そのかわり私たちが行くから」と諭される始末でした。

 帰宅した孫娘が興奮気味に「本当にたくさんの人が集まっていて身動きもとれなかった。あんなにもたくさんの台湾人が立ち上がったのよ」と報告してくれるのを聞きながら、私は学生たちに対して感謝の念さえ持ち始めていました。なぜなら、民主主義というものは、単に投票の権利を手にすることではなく、人民自ら政治へ参加すると同時に、政府を監督することによって初めて実現されるということを広く知らしめてくれたからです。

 ともあれ、この学生運動はすでに台湾の民主主義の将来と発展に多大なる影響を与えたものと私は確信しています。人民こそが国家の主人であり、台湾の未来は台湾人によって決せられるものだということを学生や人民たちが実践躬行で示したのです。指導者たる馬総統は問題を正視し、台湾の発展のため積極的に解決する努力をするべきです。

 この学生運動がどのような結末を迎えるか心配は続きますが、その一方で台湾の民主主義の発展を全世界に披露する契機ともなったことは間違いありません。そのことを一人の台湾人として何よりうれしく、そして誇りに思うのです。

小保方問題の根源にあるもの

2014年06月13日 06時47分35秒 | 社会
 昨日発売された週刊文春」6月19日号には、次のような見出しが踊った。 

処分決定直前 理研が本誌に情報公開!

小保方晴子さんと笹井芳樹教授
研究費 年間6億円の使い途
▼二人の出張は55回で496万円 ▼実験用イスに24万円 ▼小保方さんのタクシー代5カ月で13万円 ▼ノートパソコン29万円


 さらに「産経」(6月12日)は、理研改革委が「小保方氏所属の研究センターを解体」するよう提言したと報道した。(下記参照)
 この提言について、青山繁晴氏はラジオ番組の中で「早稲田ごときの私大から情実で採用するから、こんなことになる。理研は、東大を出た優秀な人材のための組織と言っているも同然」と感想を述べている。

 私には理研という組織の実態など皆目分からないが、ちょっとだけ気づいたことがある。小保方晴子という人は、AO入試で早大理工学部に入学し、博士課程まで進んだ。私学で博士課程まで進める人は、裕福な家庭に限られる。案の定、父親は元有名商社員、母親は現職の私立大学教授、姉も私立大学の準教授だそうだ。一般入試の「苦行」も経ず、「早大」ブランドの中で、何不自由なく育った「お嬢様」なのだろう。
 実は、このお嬢様には、偏執的な気質というか妄想狂めいたところがあって、冷静な自己認識という点において、欠けた部分があった。つまり、自分の実力を限りなく過大視し、理研のような官僚的組織に入っても、「早稲田流」でやっていけるという甘えがあった。改革委が指摘するように、理研の採用でさえ情実だったとしたら、彼女は一度もまともな「入試」「選別」などの試練を受けてこなかったことになる。伝えられるような杜撰な研究管理、ノートに付けたハートのマークなどが、そうした経歴を物語っているかのようだ。

 最近になって国立と私立大学の教育内容の格差を身に染みて感じることがある。
 数年前から某国立大学で国際関係部門の開講科目を聴講しているが、受講科目の多くが私が大学時代に履修した科目と重複している。学部も同じ外国語学部の科目だ。そのため、かなり客観的な比較が可能なのだが、私が感じたのは、その国立大学は、①少人数教育、②開講科目が質量ともに充実、③専任教員の比率が高く優秀、④恵まれた教育施設(図書館、ゼミ室、学科毎の学生用研究室)、⑤優秀な先輩(卒業生)とのつながりなどの点で、私が卒業した私立大学をすべての面で圧倒している。ところが、ある教授の話によると、この大学の図書館の予算は、東大法学部図書館(正式名称は「東大法学部研究室図書室」)の予算にも満たないのだという。これだけで「大学の中の大学」である東大の存在の大きさを否応なく知らされる話だ。
 この国立大学でさえ、東大には遠く及ばないのだから、私立大学の「名声」などというものは、スケールメリット(卒業生が多い)や大学自身の宣伝活動の巧妙さによるものであって、教育内容の充実によるものでは断じてあり得ない、と痛感させられる。

 小保方さんが割烹着姿で現れたとき、マスメディアを牛耳る早大OBは、「これで早稲田からノーベル賞が出る。慶應を抜いた」と騒いだそうだ。なんという無定見と夜郎自大ぶりなのか。この騒ぎは、小保方さんが身を以て私立大学の内実のお粗末さを示した一幕のコントのように思えてきた。


小保方氏所属の研究センターは「解体を」 理研改革委、抜本改編求め提言へ 
2014.6.12 09:05(1/2ページ)[STAP細胞]

 神戸市の理化学研究所発生・再生科学総合研究センター=4月
 新型万能細胞とされる「STAP細胞」の論文不正問題で、外部有識者でつくる理化学研究所の改革委員会が、小保方晴子・研究ユニットリーダー(30)が所属する発生・再生科学総合研究センター(神戸市)の解体を求めることが11日、分かった。12日に発表する報告書に盛り込む。研究不正の再発防止へ抜本的な改編が必要と判断した。
 関係者によると、報告書で同センターは組織全体を廃止と同じレベルで解体。理研の他の研究施設と、研究内容の重複がないかバランスを考慮した上で、生命科学系の新組織に改編する。名称の変更も求める。
 新組織の幹部は理研の外部から登用して刷新。これに伴い、現在の竹市雅俊センター長(70)と、小保方氏の指導役だった笹井芳樹副センター長(52)に事実上、退任を求める。
 STAP問題を受け同センターの検証委員会が進めてきた調査では、特例的に英語での面接などを省略した小保方氏の不適切な採用や、研究内容が漏れないよう小保方氏を囲い込み、秘密主義で論文作成を進めたことなどを問題視。センターに自浄能力がなく、ガバナンス(組織統治)が機能していなかったことが不正を生んだ要因と指摘されたことを受け、改革委は解体が不可欠と判断した。
 改革委はガバナンスを強化するため、外部を含め計12人で構成する経営会議や、不正抑止本部の設置も報告書に盛り込む。
 同センターは平成12年に発足。動物の発生メカニズムや再生医学などの先端研究で世界的に知られ、人工多能性幹細胞(iPS細胞)を使った世界初の臨床研究も進めている。24年度の予算は約39億円、職員は約500人。22年から翌年に324本の科学論文を発表した。

天安門事件25周年雑感

2014年06月04日 19時04分04秒 | 中国
 天安門事件25周年を迎えた今日、「産経抄」は「歴史を直視すべき国」と題して、次のように結んでいる。

 歴史を直視せよ」。中国が日本批判に使う常套(じょうとう)句の一つである。「血の弾圧」を歴史の闇に葬ろうとする国こそ、その言葉にふさわしい。

 実は、1989年の天安門事件は、第二次天安門事件と呼ばれる。最初の天安門事件は、1976年4月5日、同年2月に亡くなった周恩来を追悼する集会が「反革命暴動」とされたもので、多くの犠牲者が出た。この第一次天安門事件の一週間前、天安門広場を訪れた私は、献花に訪れた「人民」の姿を今でも思い出す。そのとき、同じ場所で一週間後に未曾有の惨事が起きることなど予感させるものなど何もなかった。

 この中国・中国人の”わかりにくさ”、得体の知れないさは何か?かつて竹内実(中国文学)は中国を「得体の知れない軟体動物」のようだと記した。いま、井尻秀憲(国際関係論)は「中共一党独裁体制は、この10年以内に崩壊する」と断言する。何があっても不思議ではないが、何が起きるか分からない中国。

 歴史を直視すべき国 6月4日
2014.6.4 「産経抄]
 25年前の6月4日早朝、訪中作家団の団長として、北京に滞在していた水上勉さんは、戦車がたてる地響きで目を覚ました。天安門から300メートルほど離れたホテルの部屋から外をのぞくと、激しい銃撃が始まっている。
 ▼「くもの子のように散っては集まる若い男女。見物する町衆。発砲と命中者の死と負傷。血みどろの男を抱く血みどろの女。この世のものでない地獄風景だった」(『骨壺の話』)。
 ▼そのときに受けた衝撃も原因の一つだろう。3日後に帰国できたものの、自宅に戻ってすぐ心筋梗塞を起こし、9カ月の入院生活を送っている。前日、学生たちが現場に持ち込んだ白いシーツで作った旗は、帰ってきたときには、血に染まった赤旗となっていた。これは北京に滞在していた別の日本人の証言である。
 ▼もっとも中国のテレビと新聞は、反革命分子が鎮圧された、としか報じなかった。大多数の国民は、人民解放軍が人民に向かって無差別発砲するなどとは夢にも思わない。事件についての、報道管制は今なお続いている。死者の数が数百人規模にとどまるのか、数万人に及ぶのかさえいまだ不明という。前にも書いたが、学校で教わらないから、事件そのものを知らない若者も多い。

 ▼それでも当局は、25年目の記念日が近づくにつれて、神経をとがらせていった。天安門事件の研究会に参加した知識人たちを拘束しただけでは安心できなかったようだ。公安当局が、事件について取材している海外メディアに圧力をかけていたことが、外国人記者クラブが出した抗議声明で明らかになった。
 ▼「歴史を直視せよ」。中国が日本批判に使う常套(じょうとう)句の一つである。「血の弾圧」を歴史の闇に葬ろうとする国こそ、その言葉にふさわしい。