澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

植物公園を散歩

2022年03月25日 19時59分50秒 | 散歩

 コロナ禍で閉園となっていた植物公園が再開と聞き、でかけてきた。園内のテーブルに座って、ひとりランチ。ポットに入れていたコーヒーで体が温まった。

 ソメイヨシノはまだわずかしか開花していないが、別の種類の桜や、桃の花はかなり咲いていて、心をなごませた。「コロナ、コロナ」と騒いでいたマスメディアは、今やウクライナ一色。今日あたりは「北のICBM」がどうのこうのと煽っている。歳をとって思うのは、TVなどの情報に踊らされることの愚かさか。こうやって、花を見ていると、「人はいさ、心は知らず故郷は…」とかいった一句が浮かんでくる。

 園内は、ジジババの集会のよう。年度末の週日(ウイークデイ)だから、働き盛りの若者などいるはずもない。この老人たちも早晩、ここに来れなくなるのだなあ、と他人事のように思ってしまった。


映画「ひまわり」は本当に反戦映画なのか?

2022年03月18日 15時45分37秒 | 音楽・映画

 ウクライナ戦争で突如、往年の映画「ひまわり」(1970年 イタリア映画)に脚光が浴びているようだ。さきほどのニュースによると、目ざとい配給会社がこの映画の再上映を始めていて、評判は上々だという。観客の多くは、ウクライナの状況とダブらせて、この映画を「反戦映画」として見ているようだった。

 だが、この映画は、純粋な反戦映画などではない。映画が制作された1970年といえば、米ソ対立がデタント(緊張緩和)の時代に入り、西側から「鉄のカーテン」の向こう側に入って、映画撮影が許される状況が生まれた。そこで、イタリア映画である「ひまわり」に白羽の矢が立った。第二次大戦下、イタリア兵として対ソ連(ウクライナ)戦線に駆り出された主人公(マルチェロ・マストロヤンニ)が、戦争終結後にもウクライナに留まり、現地の女性(リュドミラ・サベリエワ)と結婚する。夫が生きていると信じる妻(ソフィア・ローレン)は、戦後25年を経て、ソ連(ウクライナ)に夫を探しに行く。それがおおよそのストーリーで、当時の観客にとっては、初めて垣間見るソ連の光景、ロシアのとびきり美人女優などが新鮮だったはずだ。一面に咲き誇るひまわりは、実はソ連の国花だったというのも、ソ連当局とのタイアップを示していると言えよう。
 つまり、この映画は、反戦映画というよりも、デタントの時代を反映した、変種の「恋愛映画」というべきだろう。ウクライナの現況をこの映画とダブらせるのは自由だが、リアルタイムでこの映画を見た私は、かなり違和感を覚える。
 
 信じられないような事実を指摘しておくと、1945年5月、イタリアのムッソリーニ首相は群衆によって縛り首にされる。新たな政府は、同年7月、日本に対し「宣戦布告」する。日独伊三国軍事同盟の盟友であったイタリアがである。「国体護持」「一億玉砕」を叫ぶしかない日本とは真逆に、イタリアは敗戦国か戦勝国か分からなくなるようなグダグダな、よく言えば狡猾な政治過程をたどった。これを「伸びしろを残した敗戦」と評価する評論家もいる。こう見てくると、マルチェロ・マストロヤンニが扮するイタリア兵の人生の軌跡は、まさにイタリアの辿った「戦後」を暗喩しているように思える。

 この映画のテーマ曲は、文句なく素晴らしい。ヘンリー・マンシーニが指揮するRPO(ロイヤル・フィルハーモニー・ポップス・オーケストラ)の演奏会(サントリー・ホール 1992年頃)で、マンシーニ自身がピアノを弾きながらこの曲を演奏した。その光景は今でも焼き付いている。この映画の真髄は、デタントの時代的雰囲気とこのテーマ曲に尽きる。  

 

 

ソフィア・ローレン、Sophia Loren 「ひまわり Sunflower I girasoli~Love Theme~」ヘンリー マンシーニ Henry Mancini


「タイワニーズ~故郷喪失者の物語」を読む

2022年03月13日 05時49分30秒 | 読書

 遅ればせながら、「タイワニーズ~故郷喪失者の物語」(野嶋 剛著  2018年 小学館)を読む。



本書の内容は次のとおり。

第一章 政治を動かす異邦人たち
蓮舫はどこからやってきたのか
日本、台湾、中国を手玉にとる「密使」の一族 リチャード・クー
第二章 台湾でうまれ、日本語で書く
「江湖」の作家・東山影良と王家三代漂流記
おかっぱの喧嘩上等娘、排除と同化に抗する 温又柔
第三章 芸の道に羽ばたく
究極の優等生への宿題 ジュディ・オング
客家の血をひく喜び 余貴美子
第四章 日本の食を変革する
「551蓬莱」創業者が日本に見た桃源郷 羅邦強
カップヌードルの謎を追って 安藤百福
第五章 帝国を背負い、戦後を生きる
三度の祖国喪失 陳舜臣
国民党のお尋ね者が「金儲けの神様」になるまで 邱永漢」
第六章 タイワニーズとは

 日本統治時代(1905-1945年)の台湾は、「大日本帝国」の外地として、台湾総督府に統治される「植民地」だった。だが、その統治は、欧米列強がアジア、アフリカ、ラテンアメリカで行ったような収奪型ではなく、当該社会の近代化に資するという側面も強かったと言われる。
 日本統治時代、台湾社会は大いに近代化された。そこには、膨大な投資が行われ、工場、学校、病院などの社会インフラが整えられた。そんな台湾にルーツを持ち、戦後の日本社会で名を成したタイワニーズ(台湾人)を本書は採り上げている。

 鋭い経済評論で知られるリチャード・クー。彼のルーツ、生い立ちを初めて知り、本書のタイワニーズの中で一番の国際人(コスモポリタン)である理由がわかった。
 「アヘン戦争」などの歴史小説で名高い陳舜臣は、神戸の「華僑」出身。台湾を出自とする日本人として生まれたはずの彼は、日本の敗戦後、「一つの中国」の選択を迫られ、一度は中華人民共和国籍を取得するが、第二次天安門事件(1989年)の暴虐を見て、当該国籍を離脱する。私は、本書で初めてその事実を知ったが、彼らしい誠実さだと思った。
 「金儲けの神様」だった邱永漢は、実は東京帝国大学卒の生粋のエリートだったが、戦後、台湾独立運動に関わって、国民政府と決別する。小説「香港」や「濁水渓」など、初期の小説からは、その時代の雰囲気が伝わってくる。

 個々のタイワニーズのエピソードを、これ以上並べても仕方ないので、「終章 タイワニーズとは」から、著者の言葉を採りあげよう。

「……台湾の人々は”日本は台湾を二度捨てた’という言い方をする。それは、ポツダム宣言の受諾による台湾の放棄と、1972年の中華民国との断交を指す。どちらも日本が自ら望んだことではない、という言い訳もできようが、台湾の人々の立場からすると、手を切られ、放り出されたという事実は否定できない。
 しかも、戦後の日本は、植民地統治などを含めた戦争責任について、およそ台湾に関して議論することをほとんどやめてしまったようだった。本質的にいえば、戦前の中国と台湾は切り離された存在であり、台湾人は日本人として戦争に参加した。だから、日本の台湾統治と日中戦争の問題は別々に分けて論じられるべきだった。しかし、台湾が当時中国にあった中華民国に接収されたことで、日本の台湾統治は中国全体に対する戦争責任のなかで薄められ、埋没してしまったのある。
 ……日本の台湾統治という歴史が、国民党と共産党の争いのエアポケットに落ちてしまった状況だった。そのなかで、共産党も、国民党も、”日本は台湾を搾取した””日本によって台湾人は皇民化された”というイデオロギー的歴史観で、50年間にわたって台湾の人々が日本人として生きてきた時間を、あまりにも薄っぺらく総括してしまった。」(本書 p.300-301)

  朝日新聞の中にも、著者のように、真っ当な歴史観を持つ人がいるのには、驚いた。著者は、大学時代に第二外国語で中国語を選択したという。かなり年上の私には、「あの大学でも中国語が選択外国語になったのか」と感慨を禁じ得ない。私などは、第三外国語(自由選択、初級、中級各二単位)の中国語をスペイン人教授(神父)から細々と習っただけだ。

 ウクライナの戦争は「次は台湾」という危機感を駆り立てるが、多くの日本人は依然として「お花畑」を散歩中。台湾・高雄市在住の友人にそのことを伝えると、少々がっかりしたようだった。日本人と台湾人の溝は、相変わらずだ。

 

 

 

 
 


 


深大寺のだるま市

2022年03月05日 10時34分09秒 | 散歩

 深大寺(東京都調布市)の「だるま市」に出かけてきた。例年、3月3・4日に開かれるが、昨年はコロナ禍で中止、今年は簡易的な開催となった。(下記の記事のとおり。)

 昨日(4日)の昼前、深大寺に着いたが、人混みは予想したほどではなかった。参拝の行列も五分くらい待つ程度。「だるま」を売る掛け声も、全く聞かれなかった。多分、「まん延防止措置」か何かで、かなりの規制がかかっているのか。

 参道の梅はほぼ八分咲き、湧水も温んできた感じ。春らしい、穏やかな日和を楽しんだ。



 

 

 

 

 

調布・深大寺の日本三大「だるま市」縮小開催へ 限定朱印も

深大寺の僧侶が直々に目入れを行う「だるまの開眼所」、昨年の様子

深大寺の僧侶が直々に目入れを行う「だるまの開眼所」、昨年の様子

 

 調布・深大寺の最大で伝統行事でもある「厄除元三大師(がんざんだいし)大祭 だるま市」が3月3日・4日、今年も規模を縮小して執り行われる。

散華付の「だるま市限定朱印」(500円)

 元三大師堂で執り行う大護摩供は、時間を10時~15時(最終受付14時45分)に限定し、堂内の「密」を避けるため間隔を取って祈願する。高僧が列を成し境内を進む主要行事「お練り行列」は中止。

 同大祭に併せ立つ縁起だるま市は、富士、高崎と並ぶ日本三大だるま市の一つ。調布の春の風物詩として有名で、参道や境内にはだるま店が立ち並ぶ。大師堂正面に「だるまの開眼所(目入れ所)」が設けられ、購入しただるまには僧侶が直々に目入れを行う。

 同寺の目入れは独特で、左目に梵字(ぼんじ)の「阿(あ)」を書き入れて開眼し、心願かなっただるまの右目に「吽(うん)」を入れ、感謝を込めて納める。

 同寺担当者は「今年もだるま市を、ぜひ開催してほしいという地元からの問い合わせが多く、感染対策を徹底し、規模を縮小して開催することに決定した。皆さまの協力あってのだるま市なので、マスクの着用、食べ歩きの禁止などの感染対策への協力をお願いしたい」と呼び掛ける。

 だるまの開眼所は9時~17時。両日限定で散華付き「だるま市限定朱印」(500円)を頒布する(※紙の頒布のみ)。