澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

菅直人が「原発は5~6基残しておく」だって…

2012年12月15日 00時10分38秒 | 政治
 知人からジャーナリスト・水間政憲氏のブログを教えてもらった。水間政憲という人はよく知らないが、そのブログにはアッと驚くことが書かれていた。

 
 今夕(12月14日)水間氏は東京の三鷹駅前で菅直人の選挙演説を聴いたらしい。演説が終わって、水間が菅に「ホルムズ海峡が封鎖されたら、日本のエネルギーはどうするのか」と聴いたら、アット驚く答えが…。

 水間氏はブログの「拡散」を勧めているので、内容については自信があるのだろう。そうだとしたら、菅直人は救いようのない愚者、嘘つきの悪人だ。こんな輩が総理大臣をしていたとは…。本当にあきれ果てた。「原発ゼロが私の使命」なんてよく言うよという感じ。騙される有権者もバカだけど。


【水間政憲氏のブログ】
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-1173.html


《SPに囲まれて菅直人元首相に質問》
■溺れる者藁をも掴むとはこのことか。


12月14日午後6時過ぎ、三鷹駅北口にどこかで聴いたことのある「鼻声」が、街宣スピーカーから轟いていました。

その声の主は、昨日発売の『週刊新潮』のグラビアに「一人演説写真」を三枚掲載されていた菅直人元首相その人でした。

今日はうって変わり、帰宅途中の武蔵野市民が足を止めてか。支援者と冷やかしが二重三重に取り囲んでいました。SPも二桁いたようです。

演説は、福島原発事故に対して、一切謝罪の言葉はなしで、ドイツのようにを連呼していました。その間中「経済はどうするんだ」と、繰り返しヤジが飛んでいました。

小生は、菅氏の真ん前を陣取って「ひとつ教えてください」と発すると、支援者が近寄ってきて「聴こえないじゃないか」と威圧的に批判されてましたが、菅氏との間にはSPが2人、菅氏の両サイドに2人、後ろを見ると後ろ両サイドにも2人、ようするに完全にSPに囲まれていたようです。

菅氏は、質問に応える姿勢がありませんでしたが、演説が終わったその瞬間に「菅さん明日投票するのでひとつ教えてください」と、発すると踏み台から前に降り近付いてきました。すると周りにいたSPが一斉に菅氏と小生の間に割って入ってきたが、菅氏が顔を近づけて質問を聞く姿勢をとったので、小生「ホルムズ海峡が封鎖されたらどうするのですか」、菅「ドイツ、ドイツにならって」、小生「ドイツはフランスから買えるじゃないですか。ホルムズ海峡が封鎖されたとき日本はどうするかです」、菅「だからドイツにならって」、小生「ホルムズ海峡封鎖で日本は」と、かなり大声を発すると、菅「だからドイツは、万が一のことを考えて5~6基残すのです」、小生「じゃ日本も安全保障のため使える原発を5~6基残すってことですか」、菅「そうです安全保障上のためには5~6基置いておく…」、小生「イヤー良い話を聞けました。そこが心配なのですよ。安全保障のことに触れないから心配なので、こんな良い話、ここにいる皆さんに話して上げてください」と、その場を離れました。菅氏の「原発ゼロ」は、通常時のことを言っているのであり、万が一の安全保障上の緊急時には、ドイツのように5~6基残して置いて稼動させることなのだそうだ。


三鷹駅北口で、小生と菅氏のやり取りを直接聴いていた方々は、唖然となっていたと思われます。

米国国家情報会議(NIC)が見た2030年の日本

2012年12月14日 14時17分35秒 | 政治
 いつのまにか争点が「脱原発」になってしまった日本の総選挙。ほとんどの政党が「脱原発」の空手形を乱発しているので、何が何だか分からない状態が続いている。

 そんなななか、一昨日、小さく報道された米国家情報会議(NIC)のレポート「2030年の世界」(下掲)だが、意外にも近未来の日本の姿を浮き彫りにしている。

「日本については「急速な高齢化と人口の減少」が成長の阻害要因になっていると論じた。国家の存亡に関わる自然災害にも触れ、東京は津波被害で「最も危険にさらされる世界的都市」と指摘した」


 「急速な高齢化と人口の減少」は、すでに実感として始まっている。600万人を超えるという団塊の世代(S22-24年生まれの世代)は、もはや63-65歳。週日の街を歩くと、それらしきジジババがウヨウヨ。すでに年金を受給している彼らは、これまでの蓄えが少なからずあるので、かなり豊かな消費行動が可能。余生をそれなりに楽しむ余裕のある世代と言っていい。
 だが、この団塊の世代が70歳代に入る5年後、彼らが今のまま旅行や贅沢品の購入を続けるかと言えば、それは甚だ疑問だ。実感としては、古希を迎えれば、カネやモノへの執着心が薄まっていく。だとすると、5年後には、今よりさらにモノが売れなくなり、今以上に景気が回復するなどとは到底思われない。マスメディアは、この団塊の世代の問題をあまり報道しようとしないが、実は、相当深刻な問題であることは間違いない。

 次に「国家の存亡に関わる自然災害」を米国が認識しているのに、日本のマスメディアは、震災復興報道と称して震災復興美談を流すばかりで、近未来に必至の大震災への対応については、意図的なのだろうか、ほとんど何も報道しない。東海・東南海地震、首都直下地震が起きれば、日本という国家の存立が危うくなることをこの米国の報告書ははっきりと指摘している
 さらに気になるのは、この報告書では触れられていない福島第一原発の現状だ。次の大地震で、福島第一原発四号機の核燃料プールが倒壊すれば、国家崩壊は必至であるのに、偽りの「収束宣言」を出してしまった政府は、つじつま合わせのため、福島第一原発に関する情報を意図的に統制している。先日のM7.3の「余震」の際にも、福島第一原発の状況は曖昧にしか報道されなかった。

 「朝日」「毎日」は、この報告書の「米国が覇権国家ではなくなる」という部分をクローズアップして報道している。だが「日本は滅亡するかも知れない」という指摘を見て見ぬふり。
 これでは、太平洋戦争開戦前夜の状況判断と全く同じではないか。またまた我が国は破滅への暴走を始めたということなのか?
 



2030年に覇権国家は存在せず 米中「直接対峙」の懸念も 米報告書2012.12.11 14:37 [産経]
 【ワシントン=犬塚陽介】米中央情報局(CIA)などの政府情報機関で構成する国家情報会議(NIC)は10日、2030年の世界情勢を予測した報告書を発表した。米国の影響力が相対的に低下し、20年代には中国が世界最大の経済大国になると分析する一方で、米中を含め「いかなる国も覇権国家にはならない」と予測。アジアでの緊張の高まりが、国際社会の脅威になりかねないと指摘した。

 報告書によると、アジアは30年までに人口、国民総生産(GDP)、軍事費などで突出した存在になると指摘。インドやブラジル、コロンビア、インドネシア、ナイジェリア、南アフリカ、トルコも台頭し、世界経済のカギを握ると予測した。

 新興国の台頭で「パックス・アメリカーナ(米国主導の平和)」の時代は急速に終わりに向かうと分析する一方で、米国に取って代わる超大国の出現も考えられず、引き続き主要国の先導役の地位は保つとの見通しも示した。

 特にアジアでは、中国のナショナリズムの台頭が域内の不安定化につながりかねないと警告。友好国が中国に対抗する能力や意思を持たなければ、米国は「中国と直接対峙するリスク」を負っても、関与を強めることになりかねないと予測し、地域全体の「安定した安全保障の枠組み」の重要性を強調した。

 中国については、持続可能な経済成長モデルへの転換の必要性を強調。貧富の格差やチベット、ウイグル問題で「深い分断」が顕著になれば、中国政府は国民の目をそらすため、「予測不能で攻撃的」な姿勢に転じる可能性もあるとした。

 日本については「急速な高齢化と人口の減少」が成長の阻害要因になっていると論じた。国家の存亡に関わる自然災害にも触れ、東京は津波被害で「最も危険にさらされる世界的都市」と指摘した。

士林夜市で夕食と散策

2012年12月11日 10時21分53秒 | 台湾
 12月3日(月)、基隆から台北に戻って、それぞれ自由行動。私は、二二八紀念公園を散歩した後、ホテルに戻った。

 午後6時半、ホテルからタクシーで士林夜市へ。その前日、忘年会に来てくださったCさんと再びあって、皆で食事。
 昨年、市場の地下に美食街が設けられてから、初めての士林夜市。月曜日というのに、賑わいは相変わらず。
 
 私たちはまず、牡蠣と卵のクレープ、臭豆腐、蝦の天麩羅と台湾ビールで乾杯。とはいっても、ビールを飲んでいるのは私たちだけで、飲み屋さんというよりも、食堂の集合体というイメージ。友人達は臭豆腐がダメなのではないかと思っていたら、意外にも美味しく、かえってダメだったのは牡蠣と卵のクレープの方だったそうだ。

 こと食欲の面では(!)淡泊な友人が、鉄板焼きを所望。蝦や鱈などの海鮮を注文し、「さっぱりして美味しかった」と感想。この人は、海外旅行にカップ麺を持参するタイプだなと思った。

 Cさんと楽しい会話を楽しみ、階上の市場を散策。フルーツのセットを400元ほど(1,100円くらい)で買って食べたが、青リンゴのような果物が甘くジューシーで最高に美味だった。
 夜市に沿った通りには、二度ほど行ったことがある料理店(和食と台湾料理)があり、以前そこで食べた渡り蟹の味は忘れられない。今回は季節が違うので、行かなかったが、次回はぜひ行ってみたい。


台北から九分(きゅうふん)、基隆へ散策

2012年12月11日 09時12分23秒 | 台湾
 12月3日(月)、台北駅から台鐵(台湾鉄道)の普通列車で瑞芳へ約一時間。台湾の鉄道は、乗客マナーがとてもよくて、これまで騒がしいとおもったことはなかった。だが、今回は別。一緒に乗り込んだ中高年の男女9名が騒がしいこと。ハイキングのような出で立ちだったので、私たちと同じく九份に行くのだろうか。

 騒がしい連中の反対側には、むつまじいカップルもいた。ホントは写真を撮ってはいけないのだろうが、思わず車内を撮影するという名目で撮ってしまった。



 瑞芳は、九份への入り口。多くはバスで九份に向かうが、われわれは時間が限られているので、タクシーを使った。

 

 九份をざっと歩いて、さらにタクシーで基隆の街へ。


(基隆港)

 基隆は、日本時代に拓かれた港町。日本への往来のほとんどは、この港が使われた。したがって、港の周りには日本時代の由緒ある建物が残っていて、ノスタルジーを掻き立てる。


海港大楼=日本時代の税関・郵便局。内部は今もそのまま使われていて、史跡としても保存されている。)

 昼食を「1915海洋珈琲館」※で摂った。ランチタイムのメニューである「海鮮うどん」は、日本円で400円くらい。デザートとドリンク付き。友人達によると、この海鮮の味は絶品だったとか。私は別メニューを頼んで失敗したのが悔やまれる。
 この珈琲館が入っているビルは、「陽明海洋文化芸術館」と呼ばれ、文字通り1915年に「日本郵船ビル」として建てられた。図らずも由緒ある歴史的建造物の中で食事が出来たわけで、それだけでも基隆を訪れた価値があった。


(「海鮮うどん」と旧・日本郵船ビル)

 基隆の街角には、次のような橋の一部も残されていた。わずか50年の日本時代だったが、日本人が残した近代化遺産は、そこかしこに眠っている。




※  http://blogs.yahoo.co.jp/nipponia_nippon3/63332360.html

台中市内を散策

2012年12月10日 20時49分26秒 | 台湾
 12月4日(火)午前10時台北駅発台東行きの急行「自強号」に乗って台中へ。台中へ行くのなら、高鐵の新幹線なら一時間足らずで行けるのだが、在来線である台鐵(台湾鉄道)の方が景色に趣があると想って、台鐵の2時間以上かかる「自強号」に乗ってみた。

(「自強号」の切符と車内の切符ホルダー)

 正午過ぎに台中駅着。台中駅は日本時代の駅舎がそのまま使われている。外見は新竹駅とそっくり。ガイドブックによると、やはり新竹駅・台中駅は松永萬長(つねなが)の設計によるももの。台中駅は1914年(大正三年)に完成した。台中駅は、台湾で最も美しい駅舎を持つと言われているそうだ。


(台中駅と駅舎の内部)

 台中駅から台中市役所に向かう。緑川の橋を渡って北西に。日本時代、台中駅を中心として綿密な都市計画が行われたことがうかがわれる。


(緑川の橋から見た光景)

 10分ほど歩いて、台中市役所に着く。台中市役所は、台湾総督府を設計した森山松之介によるもの。白亜の外観と内庭から見る赤煉瓦と白壁のコントラストが絶妙で、ずっと眺めていても飽きない。この台中市役所は、日本時代、台中州庁舎として使われていた。日本時代の台中市役所は、この台中州庁舎の隣にある建物(現・市政史料館)だった。


(台中市役所庁舎と市政資料館)


(台中市役所の中庭から見た庁(舎とその廊下)

 帰路は台中公園に寄る。大きな池には亀が甲羅干し、ベンチには老人が団欒。快晴で気温は23度くらいあったから、まるで初秋のような穏やかさだった。

 
(台中公園)

 帰路は、台中駅から在来線を3駅ほど乗り、高鐵・新幹線の台中駅へ。新幹線の駅には、台湾らしい食事場所がなかったので、ロイヤルホストで遅い昼食。これもなかなか美味しかった。特筆するほどではないが…。

 台湾の鉄道は、日本時代の鉄道システム(ハードもソフトも)が引き継がれているので、鉄道ファンでなくても、魅せられること大。
 帰路、台中駅でガイドブックをベンチに忘れたのだが、駅員が教えてくれて、既に閉まっていたドアをわざわざ開けて渡してくれた。台湾旅行をするたびに、こういう小さな親切に出会う。こういう心温まる体験は、台湾ならではだ。


(台中市街図) 

台北「金満庁」でフカヒレ・アワビを味わう 

2012年12月10日 19時33分42秒 | 台湾
 12月4日(火)夜、台湾旅行の3日目、台湾通の友人から教えてもらったレストラン「金満庁」へ。
 「金満庁」はホテル「慶泰大飯店」(台北市松江路186号)の2階にあるレストランで、フカヒレ、アワビ、伊勢エビなどを使ったメニューが評判で、華語(北京語)がペラペラで台湾渡航歴百回以上のTさんご推薦の店。

 私たちが頼んだのは、フカヒレ+アワビのセット。他に前菜、チャーハン(スペアリブの肉付き)、デザート、コーヒーが付いて、一人960元(他に10%サービス料加算)。
 960元と言えば、日本円で三千円弱。これでフカヒレとアワビが味わえるのだから、みな大満足だった。もちろん、味も申し分がない。

 ホテルの中に入って二階にあるレストランなので、ぶらりとは入りづらいが、中に入れば現地の家族連れも多く、アットホームな雰囲気のレストラン。



【慶泰大飯店】
http://www.tabitabi-taipei.com/html/data/10446.html

【金満庁】
http://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g293913-d3454236-Reviews-Golden_Pot-Taipei.html

台湾総統府(台湾総督府)参観

2012年12月08日 22時31分56秒 | 台湾
 12月5日(水)午前9時、小雨が降るなか、友人と三人で台湾総統府※(旧・台湾総督府)の参観にでかけた。私は二度目の参観、友人は初めてだった。

※   http://www.go-taiwan.net/index.php/news/80-2012-02-11-2.html

 台湾旅行のガイドブックを見ると真っ先に出てくるのが、国立故宮博物院。故宮に加えて、パック旅行で行くと必ず連れて行かれるのが、烈士記念碑や中正紀念堂。だが、これらの施設・建物は、中国国民党の蒋介石が台湾に「中華民国」流亡政権を打ち立てて以降、政権の正統性を誇示するために建てられたもので、台湾本来の歴史・文化に根ざすものではない。言ってみれば、大陸から移植された「中華牌」(中華ブランド)だ。これらを見ただけでは、ホントの台湾は分からない。

 先日、東京駅がリニューアルされて話題になっているが、赤煉瓦と白い壁を基調とした駅舎は、台湾総督府にそっくり。それもそのはず、台湾総督府の設計者森山松之介は、東京駅を設計した辰野金吾の直弟子なのだ。


 (上掲の三枚の写真は、総統府内の売店で購入した絵はがき)

 総統府の入り口でパスポートを提示し、手荷物のチェックを受けて順番を待つ。3年前に来たときは、手荷物をすべて預けなければならなかったが、今回は簡単なチェックだけ。それにしても、総統府の四階には馬英九総統(=大統領)の執務室があるのだから、そんな重要な建物の一階に外国人観光客を入れてくれる台湾という国が、いかに開かれた民主主義国家であるかを如実に示している。対照的に、中共(=中国共産党)幹部が居住する紫禁城・中南海地区(北京)に人民を立ち入らせることなど、彼の国は絶対にしないはずだ。

 私たちの案内は、日本語が堪能な仲さんという若い男性が担当。展示されていた7kgもあるという台湾総督の公印をどうやって押印したか、ユーモアを交えて説明してくれた。


(台湾総督の公印)

 展示の中に面白い地図があった。昭和19年の「朝日新聞」に掲載された「大東亜共栄圏」の地図で、台湾島を中心に同心円上に各国・各都市が配置されている。仲さんは「戦争に勝っていたら、台湾がこの共栄圏の中心になっていたかも知れませんね」とリップサービス。
 
 台湾総督府は1919年に建立されたが、すでに耐震設計がされていて、分煙(執務室内はすべて禁煙)まで定められていたという。
 総統府の建物を囲むように台湾銀行や法院(最高裁判所)、各省庁が点在する。通りの向こうには二二八紀念公園があり台湾博物館、さらには台湾大学病院(旧台北帝国大学医学部病院)があり、その多くが今なお大切に使われている。

 
 私たち日本人がホッとした気持ちになるのは、日本人がこの地に残した足跡を台湾人が非難などしていないことだ。日本では「植民地は悪だ」「いや、日本はいいこともした」という両論に分かれてしまう議論だが、実際の答えは台北の街を見れば分かるような気がする。
 要するに、ある社会が近代化を成し遂げるためには、行政機構、法律、資本、教育制度、保健医療などのインフラを整えなければならず、勇ましく民族解放闘争、階級闘争を叫ぶだけではダメなのだ。その意味で、日本人は台湾の近代化に大いに寄与したことは間違いない

 台湾総統府(台湾総督府)を訪れることは、もしかすると、我々に無意識に植え付けられた歴史意識(ある人は自虐史観と呼ぶが)を払拭させる契機となるのかも知れない。故宮博物院で「中国四千年」を見るのか、それとも総統府を訪れて近代日本と台湾の足跡・絆を想うのか、それが台湾旅行の分かれ目となりそうだ。


(総統府パンフレット)   
 
   

 

 

忘年会 in 台北

2012年12月07日 19時47分48秒 | 台湾
 12月2日(日)夕方、台北市吉林路にある「阿美飯店」で友人達とささやかな忘年会を開催。
 私を含めて四人が台湾に行く予定だったのが、一人が体調不良で当日キャンセル、三人で行くことになってしまった。

 阿美飯店※は、台湾を知り尽くした友人・Tさんのお薦めの台湾料理店。海鮮や小皿料理が有名。
※ http://www.taipeinavi.com/food/39/


 当日、台湾人の友人・Cさんが参加してくださったので、「蟹おこわ」など美味しい料理に舌鼓を打ちながら、いろいろな話題に花を咲かせた。


 Cさんからは、全員に沢山のお土産をいただき、友人達は驚き感激していた。Cさん、またまたお世話になるばかりで、何とお礼を申し上げたらよいのか…。

 近年、最も思い出に残る楽しい忘年会となった。多謝!


(写真:「阿美飯店」の蟹おこわと蒸し蝦)