澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

横浜・山下公園を散歩

2015年03月31日 00時39分58秒 | hobby

 満開の桜に誘われて、横浜まで遠出。

 桜が満開と言っても、きょうは3月30日、年度末の月曜日。みな忙しいはず、と思ったが、やっぱり中華街や山下公園は観光客でごったがえしていた。

 重慶飯店別館でランチを食べ、その後山下公園を散歩。一歳半のNちゃんは、大喜び。小走りで走り回るので、大人三人が付いていてちょうどいいくらいだった。子供の成長は早いなあと実感。

 最近、パソコンのクラッシュというアクシデントがあって、このブログもなかなか更新できなかった。新しいパソコンで、ようやく再スタート。これもある意味、別れと再出発にあたるのかも…。


  

 


「尖閣諸島」と書かれた中国地図の意味

2015年03月17日 22時27分58秒 | 中国

 中国が発行した地図(1969年刊行)の中に、日本の固有の領土である「尖閣諸島」が「尖閣群島」として記載されていることが明らかにされ、 外務省のHP「尖閣諸島について」の中に 「中国の発刊物にも,中国が尖閣諸島を日本領と認識していたことを裏付ける記述がある」として、新たに次の地図が加えられた。

 中国政府スポークスマンは、早速、口汚い言葉で「日本が古い地図を捜してきたところで、何の意味もない」という主旨の反論をした。

 
 誰も指摘しないが、こんな事実がある。、私は1970年前後に発行された中国の「世界地図」(冊子)を持っている。日本の本州地図を見ると、東京のすぐ隣に横浜があり、そのすぐ上には「三里塚」と書かれた地名が載っている。若い世代はもはや知らないだろうが、当時、成田空港開港に反対する政治運動が激しく行われ、その地名の由来から里塚闘争と呼ばれた。中国は当時「文革中国」「毛沢東の中国」の時代で、世界各国の人民闘争を強く支援していた。成田農民の反対運動が日本人民の反帝国主義闘争の鑑であると判断したからこそ、中国は「世界地図」の中に三里塚の地名をわざわざ入れたのだった。つまり、中共(中国共産党)のやり口は、地図ひとつをとってみても、必ず「政治的意図」「政治性」が含まれている。

 しかるに、外務省が公開した1969年の地図には、中国が尖閣諸島だと主張する「釣魚島」(魚釣島ではない!)の記載はなく、わざわざ「尖閣群島」と書かれている、「群島」は「諸島」と同義なので、ここでは「尖閣諸島」と書かれているのは明らかだ。ということは、その時点で尖閣諸島が日本領土であることは、中国政府にとって「受け入れた事実」だったのだ。三里塚というちっぽけな地名を東京、横浜と並んで地図に掲載させる中共のことだから、腹に一物があれば、必ず難癖をつけていたに違いない。

 たかが地図一枚でも、中共のやり方は謀略性に満ちあふれている。地図は地図だから、国土地理院と同じだろうなどと、夢にも思ってはならない。

 

毛沢東が「尖閣=日本領」にお墨付き これが決定的な新物証「中国製地図」だ

J-CASTニュース3月6日(金)18時30分
画像:発見された、1969年刊行の中国製地図(中華人民共和国国家測絵総局作成、原田義昭衆院議員提供)。「尖閣群島」「魚釣島」の表記が確認できる
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発見された、1969年刊行の中国製地図(中華人民共和国国家測絵総局作成、原田義昭衆院議員提供)。「尖閣群島」「魚釣島」の表記が確認できる。

やっぱり中国も、尖閣諸島が日本のものだと認識していた——その決定的な「物証」といえる地図が発掘された。

「さすがに中国も、ここまで(はっきりした物証が)ありながら『尖閣はうちの領土だ』と言うわけにはいかんだろう——と思いますね」

J-CASTニュース記者に対して、自民党の原田義昭衆院議員は熱のこもった口調で断言する。

海洋資源発見された「1969年」刊行

この地図は、1969年に中国で刊行されたものだ。作成したのは「中華人民共和国国家測絵総局(現・国家測絵地理信息局)」。国土資源部に属し、測量などを司る政府機関だ。巻頭には毛沢東国家主席(当時)の言葉も掲載されており、れっきとした「公式地図」と言っていい。
  ここにははっきりと、「尖閣群島(諸島)」「魚釣島」などの表記がある。いずれも中国側が主張する「釣魚島」などではなく、日本式の呼び方だ。すなわち1969年時点で中国が、尖閣諸島=日本領だと認識していたことの物証と言える。
 これまでも同様の物証は複数見つかっているが、今回の地図は「公式」のものであるとともに、尖閣諸島海域で海洋資源が発見された1968〜69年と同時期のものである点で、重要だと原田議員は強調する。海洋資源の存在が広く知られる直前まで「尖閣=日本領」だと認めていたのだとすれば、その後の領有権主張が「資源目当て」だという、日本側の立場が裏付けられるからだ。




「国際的に理解求めるべき」

この地図を入手した原田議員は2月23日、衆議院予算委員会で公開するとともに、安倍晋三首相、岸田文雄外相らに、中国側による尖閣海域侵入への対応を迫った。3月5日、J-CASTニュースのネット番組「テラポリ」でも、中国との「直談判」も辞さない意志を露わにした。

「私も国会議員として、この地図を携えて中国大使館や、場合によっては中国本土の政府に行ってもいい。2006年には秘書と2人だけで北京に赴き、靖国問題について政治家たちと議論してきたこともある。正しいエビデンス(物証)があるからには、いささかも恐れることなく訴えていきたい」

また中国に対してのみならず、この地図を活用し、広く国際的に日本の主張への理解を求めるべき、だと戦略を語る。すでに現在、外務省ウェブサイトにこの地図を掲載することが検討されているという。


今どきのミニコンポを購入

2015年03月15日 19時20分34秒 | 音楽・映画

 オーディオ歴ウン十年の私だが、最近、いちいちCDを取り替えて聴くのが面倒になってきた。昨年11月、車を買い替えて、USB付きのカーオーディオに慣れてしまうと、その便利さには到底抗えない。
 
 そこで、USBを中心に聴けるラジカセ、ミニコンポの類を物色してみた。予算は1万円程度。このクラスの商品は、量販店に行ってもなかなか現物が置いていないので、ネット上でカタログを調べ、価格比較ドットコムを見て購入することにした。

 ようやく見つけたのが、ケンウッドの「マイクロシステム M313」という商品。

 CD(MP3CDを含む)、USBが聴けて、AUX端子付き。音質は、ポップス、クラシック、ジャズなどのモードが選べる。これで価格は、7,430円(アマゾン、税込み)。
 早速、机の上に置いてみた。こんな感じ…。


 

 実は、この写真の左側には、古いSONYのMDミニコンポが置かれている。そこで、両コンポを同じCDで聴き比べてみた。曲は「いい日旅立ち」、ビージー・アデールの演奏。

 SONYのミニコンポは、当時5万円くらいしたはず。ケンウッドの安物コンポでは到底敵わないと思ったら、実はそうでもなかった。SONYがドンシャリ感のある音であるのに対し、ケンウッドはデジタル録音のピアノに相応しい、奥行きのある音を出す。ケンウッドのスピーカーは、安いベニヤ板を組み合わせた感じで、紙のように軽い。だが、ウラ面には穴が開いていて、どうやらバスレフ型の構造になっている。昔だったら、安かろう悪かろうの音しか出なかっただろうが、今どきのミニコンポは違う!と大いに感心した。

 ネット上でこの商品の評判を検索すると、「CDの音が出ない」「すぐに音飛びがした」等々、かなりネガティブな書き込みを見つけた。私が試した限りでは、CDもMP3CDも問題なくかかるし、USBはファイルの選曲が容易でとても使いやすい。ただ、CDを「ランダム選曲」にすると、曲が切り替わるときのノイズが少々気になる。

 大昔、実売価格で50万円ほどかけたステレオを持っているが、LPなどは操作が面倒くさくて、この数年聴いていない。大昔流行ったカートリッジのレコード針だけで、1万4千円もしたのを思い出した。このミニコンポは、その針先の半分の値段で買えるのだから、オーディオ・マニアなどという言葉が、死語になってしまった理由がよく分かる。  

 音楽も大量生産、大量消費の時代。このミニコンポはそれにピッタリ。価格も機能も音質も、十分に納得。いい買い物だったかも。


東日本大震災追悼記念日だけれども…

2015年03月11日 19時41分32秒 | 社会

 東日本大震災から早くも4年。
 近くの街の駅前広場でも、大地震が起きた午後2時46分を機に、犠牲者を追悼する法要が行われた。



 TVやラジオは、追悼番組で埋め尽くされたような感じもあるが、これは一時のこと。「絆」「寄り添う」などという言葉も早々と陳腐化してしまったようだ、

 あのような津浪災害は人智では防ぎようがないと思うけれども、原発事故を思い起こすと暗澹たる気分になる。あのとき、事故の情報は意図的に隠蔽された。枝野官房長官は「今のところ、問題はない」と繰り返すばかりだったが、実際には原発はメルトダウンを起こし、多量の放射性物質が放出された。それなのに首都圏では、会社も学校も通常どおり。人々は「強制された日常」を演じさせられた。
 昨日は東京大空襲の記念日だったが、戦時下の国民は法令による統制のもとで、自由意思で戦火から逃れることなど許されなかった。大本営は、近々米軍が首都を空襲するだろうと察知していたが、焼夷弾の標的になる国民のことなど二の次だった。

 いつの時代も為政者は、国民のことなどさほど考えてはいない。近未来、ほぼ確実に東南海地震、首都圏直下地震が起きるというのに、「東京五輪」「おもてなし」「日本はすばらしい」と囃し立てるマスメディアとそれに呼応する輩ども。もし、首都圏直下地震が起きたら、特に東京都区部では、被災民を仮収容する避難所さえままならない。ましてや、仮設住宅など建設する場所もない。そんなことを百も承知の聡明な方々は、自分の家族の避難場所だけはしっかりと確保しているに違いない。

 明日、大地震が襲ってきたとして、体育館などの避難場所で陣取りをして、水、食料を奪い合う「市民」の光景が目に浮かんでしまう。「絆」「寄り添う」「向きあう」といった美辞麗句がどこかへ吹っ飛ぶそのときこそ、まさにこの国の衰亡の始まりとなるだろう。
 そうならないことを願うけれども…。

 

 
 


モンゴル近現代史あれこれ

2015年03月05日 17時02分51秒 | 歴史

 昨日、この一年間、聴講生として学んできた大学から「受講証書」が届いた。同じ大学でこれまで何年かに渡って、「東アジア国際関係史」「東アジア国際政治論」「国際関係論」「現代世界史論」「中国 明清史」「ベトナム研究入門」などを受講してきたが、今年度の受講科目はちょっと変わっていて「モンゴル近現代史」だった。

 私がモンゴルを聴いて直ちに思い浮かべるのは、「蒙古放浪歌」という歌だ。大昔、高校に入学したとき、真っ先に覚えさせられたのが、この寮歌だった。旧制中学の伝統を持つ公立高校だったからだろうか、この歌は戦前から後輩へと伝えられてきたのだと思う。

 「心猛くも 鬼神ならぬ  人と生まれて 情はあれど  母を見捨てて 波越えて行く    友よ兄等と 何時またあわん …」と始まるこの歌詞は、当時の私でも時代錯誤というか、ちょっと異様な感じさえした。どこに「波の彼方の 蒙古の砂漠」があって、何故そこが「男多恨の 身の捨て処」なのか、皆目見当もつかず実感もなかった。戦後日本は、ことさら満州や蒙古について触れることを避けてきたのだから、無知は私に限ったことではなかった。後にこの歌は、加藤登紀子によって「日本哀歌集」というアルバムに採り上げられた。

 というわけで、確たる動機も知識もなく、この科目を聴講したのだったが、一年間モンゴル史を学べたのはとても有意義だったと今は思っている。

 モンゴル近現代史のF教授は、次のようなことを書かれている。

 「いまではモンゴルはだれでも自由にいける普通のくにですが、わたしがモンゴル語を勉強しはじめた1970年には、モンゴルと日本のあいだに国交さえなく、日本をおとずれるモンゴル人は1年におそらく10人もいなかったとおもいます。このような非実用的な言語を専攻する学科が、東京と大阪のふたつの国立の外国語大学におかれていたのは、もちろん日本の1945年以前のいわゆる「満蒙政策」と関係があるわけですが、いまからかんがえると、ずいぶん不思議な気がします。」

 何十年もの間、使うあてさえない言語を、全国で毎年30人ほどの学生が専攻してきた。これはさすがに、利益追求の私立大学ではできない相談だ。しかも、このモンゴル語専攻の学生の中から、世界的に名高いモンゴル学者を輩出しているのだから、まさに「無用の用」と言うべきだろう。もちろん、現在の日本とモンゴル国は、経済援助や資源開発を巡って極めて緊密な関係にあるので、モンゴル語の重要性も大いに高まっている。

 
 受講する学生は、10名程度。20人も入ればいっぱいの教室で行われる授業は、毎回、先生が作成したレジュメに基づき、テーマ毎に話が進められる。モンゴル史の通史のような本は極めて数少ないので、地図、写真などを採り入れた手製のレジュメは、とても貴重な資料となった。ちなみに、私はこのレジュメで初めてモンゴル語というものを見た。


マントヴァーニ楽団の最新DVD 「Music from Around the World」

2015年03月02日 23時16分33秒 | 音楽・映画

 マントヴァーニ楽団の最新DVDMusic from Around the World”を見る。

 1959年に制作されたTV番組「マントヴァーニ・ショウ」から三回分をDVD化したもの。映像はモノクロで、さすがに時代を感じさせるが、演奏、ショウの構成ともに一級品。

 曲目は、次のとおり。

「Music from Around the World」

1 ブラス・ボタン Brass Button    featuring The Tiller Girls

2 ムーラン・ルージュの唄  Where is your heart? 

3 Song of the Vagabonds   featuring John Hanson

4 ボギー大佐  Colonel Bogey March  by The Band of her Majesty's Welsh Guards

5 This nearly was mine

6  The Blue Danube

「Tribute to Italy」

1  ベニスの夏の日  Summertime in Venice

2   バラのタンゴ   Tango de la Rose

3   怠け者のゴンドラ漕ぎ  The Lazy Gondlier

4   アヴェ・マリア  Ave Maria  唄) Jacquelin Delman

5   ローマ  Roma   唄)Vic Damon (ヴィック・ダモン)

6  イタリアの幻想  Italian Fantasia (メドレー)
  オー・ソレ・ミオ、帰れソレントへ、トセルリのセレナード、フニクリ・フニクラほか

「Tribute to France」

1 モンマルトルの春  Spring in Montmartre

2 パリの空の下  Under Paris Skies

3  魅惑のワルツ  Fascination  唄) Madame Pasachou 

4   La Danse Apache

5  枯葉        Autumn Leaves

6   I'm in love with a wonderful guy  唄) Madame Pasachou 

7 カン・カン   Can Can