澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

世界のセブン・イレブンの募金箱から見えてくる愛憎

2011年06月26日 14時09分31秒 | 台湾

 世界各国のセブン・イレブンに置かれた、東日本大震災に対する募金(義援金)の詳細が発表された。→
http://www.7midori.org/exbokin/2011/201103tohoku/index.html

 総額4億2,551万円のうち、台湾がダントツで多く3億368万円を占めている。セブン・イレブンだけでなく、あらゆる種類の義援金でも台湾は断然一位だったので、驚きはせず、ただただ有り難いと思うばかりだ。

 下記のリストを見て、誰もが驚くのは、韓国での募金が極めて少ないことだ。3,404店に募金箱を置きながら、わずか74万円の募金額、一店舗あたり、何と217円という金額だ。「誰が日本人のために募金などしてやるか」「大震災がおこって、ざまあみろだ」というような声が聞こえてくるかのようだ。

 戦後、日本人は、韓国・朝鮮人による声高の非難・中傷を甘受し、戦前の植民地支配を謝罪し続けてきた。そしていま、BS放送をONにすれば、同時刻帯に3つもの韓国ドラマが放送され、韓国のイケメン俳優や、少女タレントなどが、もてはやされるようになった。こうなったのは、韓国・朝鮮人や中国人が日本に対して抱く感情、すなわち「反日」感情を正しく把握せず、全ての過去を水に流して、善隣関係を築けると考えた、戦後日本人の甘ったれた思考様式に問題がある。加えて、意図的に韓国ドラマを喧伝した電通やNHKに大いに責任があるのだが、何よりもそれを鵜呑みにした一般視聴者・ファンの平和呆けが情けない。

 想像してみよう。KARAとか少女何とかの娘たちが、日本のTVでは愛想を振りまいているのに、ソウルのセブン・イレブンに戻ったら「何、この募金箱。誰が日本人に募金などするものか!大震災でいい気味よ!」と言い放っている姿を…。

 「みんな仲良く」「地球市民」「つながろう」などという空疎な言葉に惑わされず、この募金額の数値をつぶさに見つめよう。

 われわれは真の友邦、「つながろう」という相手を完全に間違えてはいないだろうか? 
日本政府は、大震災に対して170億円もの支援金を送ってくれた台湾に対して、正式にお礼を言わなかった。「ひとつの中国」という虚構に縛られて、最大の親日国家・台湾を「国家」としてさえ認めない。こういう日本政府やマスメディアの情報操作にもうこれ以上騙されてはならないのだ。


セブン・イレブンの公式あいさつ※
                       ※
http://www.7midori.org/exbokin/2011/201103tohoku/index.html
 

謹んで地震災害のお見舞いを申し上げます。
2011年3月から開始した『東日本大震災』に対する義援金募金は、5月31日(火)をもちまして終了いたしました。皆様には多額の募金をお寄せいただきまして誠にありがとうございました。
国内のセブン-イレブンチェーンをはじめ、米国のセブン-イレブン・インク社を中心に、世界11カ国のセブン‐イレブンでも募金活動を行いました。
お預かりした募金は、一日も早いご支援につながるよう、すでに4月に1回目9億2839万2652円(セブン&アイグループ合計28億24万2710円)を、5月に2回目4億6405万2710円(セブン&アイグループ合計5億5125万6759円)を直接被災地へお届けいたしました。
6月16日(木)に3回目3億367万9326円(セブン&アイグループ合計3億4231万9590円)を被災された各県と長野県栄村へ送金いたしました。
国内の義援金募金合計金額は16億9612万4688円(セブン&アイグループ合計36億9381万6482円)、米国のセブン‐イレブン・インク社を中心に世界11カ国のセブン‐イレブンで実施した募金約4億2551万円を合わせると、セブン‐イレブン店舗の募金総額は約21億円、セブン&アイグループの募金総額は約41億円となります。

[受付期間]     国内  2011年3月13日(日)~5月31日(火)
海外  2011年3月19日(土)~4月30日(土)
[実施店舗]     国内のセブン-イレブン    計     13,232店舗
海外のセブン-イレブン    計  約25,000店舗(11カ国)

●日本国内のセブン‐イレブン募金合計額
16億9612万4688円     ※2011年3月13~5月31日

 
募金月
セブン‐イレブン
セブン&アイグループ合計
3月    
9億2839万2652円
28億0024万0133円
4月    
4億6405万2710円
5億5125万6759円
5月    
3億0367万9326円
3億4231万9590円
合   計
16億9612万4688円
36億9381万6482円
 

●海外11カ国のセブン‐イレブン募金合計額
約4億2551万円     ※2011年3月19~4月30日

 
国   名
店舗数
募金額
お届け先
アメリカ    
6,636店舗
約6534万円
岩手県、宮城県、福島県
カナダ    
ハワイ    
54店舗
約418万円
JASH(日米協会)
マレーシア    
1,235店舗
約528万円
岩手県、宮城県、福島県
フィリピン    
577店舗
約30万円
赤十字社他
香港    
949店舗
約1188万円
赤十字社、救世軍、ワールドビジョン
メキシコ    
1,240店舗
約387万円
カリタスモントレー
台湾    
4,753店舗
約3億368万円
共同募金会
タイ    
5,962店舗
約1600万円
赤十字社、タイ政府
シンガポール    
550店舗
約1127万円
赤十字社
インドネシア    
27店舗
約293万円
日本領事館
韓国    
3,404店舗
74万円
赤十字社
合   計
25,387店舗
約4億2551万円
 
 

※店舗数は、2011年3月末現在です。
セブン-イレブン・インク社CEOジョー・デピントのコメント
“This tragedy has been unfolding before our eyes, and people are looking to support the Japanese people in any way they can.
We want to connect with our customers around the world to assist Japan and its people in rebuilding their lives after such devastating disasters.”

この悲劇は目の前で起きており、私たちは日本の人々をあらゆる方向から援助しようとしています。日本を支援する世界のお客様と一体となり、日本の復興を支援していきたいと思います。

 

【東日本大震災に対する世界各国セブン・イレブンからの募金額】※
                  ※ 
http://read2ch.com/r/dqnplus/1308635979/

1店舗あたりの募金額。

アメリカ・カナダ 9,846円
ハワイ 77,407円
マレーシア 4,275円
フィリピン 520円
香港 12,518円
メキシコ 3,120円
台湾 63,892円
タイ 2,684円
シンガポール 20,491円
インドネシア 10,8519円
韓国 217


「戦争の悲しみ」(バオ・ニン著)を読む

2011年06月22日 17時09分16秒 | 

 6月11日「朝日新聞」に次のような記事が載った。

                                (「朝日新聞」 2011年6月11日)

 このベトナム人作家バオ・ニンは、1991年、ベトナム戦争を北ベトナム人兵士の側から描いた「戦争の悲しみ」(The Sorrow of War)で話題を呼んだ。1990年代、「ドイモイ」(刷新)政策によって文学・芸術の自由がかなり認められるようになってからのベトナム文学の代表的作品だ。
 先日、私もこの本を手にとって、ようやく読み通した。中国では、文化大革命後、「傷痕文学」というのが流行った。読む以前は、それに似たものかもしれないと想像していたが、予想はいい意味で裏切られた。
 
 (「戦争の悲しみ」メルクマール社 1997年)

 共産党一党独裁下での「雪解け」現象期に書かれたこの「戦争の悲しみ」だが、「党」の指導を超えて、戦争を描いたため、本国では発禁になった。
 ハノイ市民、人民軍兵士、女性、農民など、否応なく「民族の戦争」に巻き込まれた人々の姿が次々と描かれる。バオ・ニンが描くそれらの人々は、「党」が描くことを勧めるような模範的英雄ではなく、生々しい人間くささを放っている。性愛の描写でさえ、はっきりと出てくるので、「党」保守派から見れば、「聖戦」を汚されたような小説だったろう。

 竹内実氏(中国文学者)がエッセイの中で印象的な言葉を記している。「アジアにおける人間の生命の価値は、甚だしく軽い」と。
 ベトナム人にとって、あの戦争は「惨勝」だった。今でも重くのしかかるベトナム戦争の記憶をベトナムの側から描いた初めての本格的作品だ。 


尊敬する李登輝元総統から一体何を学んだのか…

2011年06月16日 10時52分33秒 | 政治

 今日、「産経新聞」の「政論」欄に「尊敬する李登輝元総統から一体何を学んだのか…」という一文が載っている。
 14日、参議院特別委員会で丸山和也議員(自民党)が菅首相に質問した内容を論評したもの。
 私は、録画したビデオでこのやりとりを見たが、菅直人という人間の品性が浮き彫りになったと思う。首相就任演説では、東工大の永井陽之助教授(当時)の思い出話を持ち出し、自身のイメージアップを図った。この質疑でも、「台湾で李登輝氏の自宅にうかがい、お話を聞き、感銘を受けた」と応える。李登輝氏の思想に感銘を受けたというのなら、何故、尖閣事件で堂々と中国と渡り合わなかったのか、また大震災で迅速な対応ができなかったのか、確かに丸山議員が追及する理由がよく分かる。

 東工大全共闘で(今にして思えば)空疎なアジ演説を続け、学生運動の中で「政治」の嗅覚を磨いた菅にとっては、キーワードは「市民」だった。彼の頭の中では、「市民」が「国家」をも超えた、優先すべき概念となった。それ故、首相の座に登り詰めた今、丸山議員の質問に対し「私は必ずしも市民活動家と呼ばれることを好みませんが…」と言葉を濁している。
 自身の野望のためには、「市川房枝」という「市民」政治家に食らいつくことがまず必要だった。菅にとっては、すべてが権力を得るための手段に過ぎないから、自らの原理原則というものはなく、その場しのぎの「適応」こそがすべてだ。

 こんな軽薄な男が、李登輝氏に会っても、何も学ぶことは出来ない。「我欲」「権力欲」しか持たない人間が、哲人の言葉を理解できるはずはない。情けないことに、この種の人間が「全共闘世代」の典型的人間なのだ。

 国会でのやりとりであっても、「朝日」は絶対に李登輝氏に絡んだ記事を掲載しないはずだ。その理由は明らか。李登輝氏の人となり、歩んできた道を振り返れば、否応なく、戦後日本とは何だったのかといいう問いに辿り着くからだ。そこには、「朝日」が決して触れられたくない”過去”がある。

 

尊敬する李登輝元総統から一体何を学んだのか…

「産経新聞」「政論」 2011.6.16 01:05

 「首相になることが目的ならば、そこで終わりなのである。目的と手段が混乱してしまい、せっかく首相になっても何をすればよいのか分からない」

 14日の参院東日本復興特別委員会。自民党の丸山和也氏は、台湾の李登輝元総統の著書を引用して「失礼だが、今の首相に向けられている言葉ではないか」と問うた。

 すると菅直人首相はこう答えた。

 「李登輝さんは私の尊敬する人物の一人です」

 質疑がかみ合わないのはいつものことだが、よくもいけしゃあしゃあと言えたものである。尊敬するのは勝手だが、その言葉の重みがまるで分かっていない。

 東日本大震災にあたって台湾から政府・民間を合わせ約175億円(12日現在)の義援金が寄せられた。世界最大級の支援だが、首相はそれに報いてきたといえるのか。そもそも首相は、李氏に一体何を学んできたのか。

 「歴史をよく調べれば、沖縄・尖閣諸島は日本に領有権があるのは明確だ」

 李氏は昨年10月、訪台した安倍晋三元首相と会談した際、こう明言した。台湾政府が中国同様に尖閣諸島の領有権を主張する中、元総統の発言は極めて重い。

 ときはまさに、首相が中国の圧力に屈し、尖閣諸島沖で衝突事件を起こした中国人船長を超法規的に釈放させた直後だった。首相のその場しのぎで稚拙な対中外交に、李氏は眉をひそめていたに違いない。

 李氏は平成19年6月の来日の際、靖国神社に参拝した。首相は「首相や閣僚が公式参拝することには問題がある」と答弁した。日本統治時代の台湾に育った李氏の方が、首相よりよほど日本的美質を備えていると言える。

 そんな李氏は著書で政治家の心得をこう記した。

 「問題に直面したとき決して直線で考えないことだ。必ず迂回(うかい)すること、むしろ回り道を見つけだそうと務めるべきなのである」

 残念ながら、首相の政治手法はこれと正反対だといえる。物事を進めるための手順や手続き、調整を一切無視するため、いつも「言いっ放し」に終わり、何も実現できない。

 首相は14年11月に訪台し、李氏と会談した時の印象を自らのホームページにこう記している。

 「日本の旧制高校の教育を受けた人の雰囲気を強く感じた。(中略)日本人が失いかけている自信を取り戻す良い話を多く聞かせてもらった」

 李氏は古事記や源氏物語、ゲーテ、ドストエフスキー、マルクス、カント、論語、聖書-と古今東西の古典をひもとき、哲人政治家と称される。その謦咳(けいがい)に接した首相の言動から、李氏の素養から学んだ形跡はうかがえない。

 李氏は月刊「WiLL」(2月号)の対談で日本政治の現状をこう憂えた。

 「『権力』というのは権力者のものではなく、何か決定を下すときに人民から借りて、そのあと返すものです。そのことがわかっているかどうか」

 首相は、この発言が自分に向けられていると気付いているのか。たぶん読んでもいないのではないか。

 「過失をおかしながら忠臣のことばを聴きいれず、一人で自分の思ったとおりにしていると、名声を失って人の笑いものになっていく始まりである」

 これは韓非子の言葉だ。早期退陣を促す周囲の声に耳を貸さず、延命に汲々(きゅうきゅう)としている首相そのものではないか。李氏のように古典に親しんでいれば、鏡に映る無能かつ危険な暴君の姿にわれに返るはずだが、望むべくもない。それならば、せめて李氏の爪の垢(あか)を煎じて飲み、潔く身を引くべきではないか。(阿比留瑠比)

 


原発メルトスルーで放射能汚染は止まらない!

2011年06月11日 05時03分21秒 | 社会

 ドイツの知人(ドイツ人)は、福島原発事故に大きな関心を持っている。自宅が原発のの50km圏内にあり、他人事ではないというのだ。過去に、チェルノブイリの放射能汚染で深刻な時期も経験したので、放射線、放射性物質による汚染データには、特に関心が高い。
 3月15日、原発で水素爆発が起きたとき、政府は「ただちに人体に影響はない」という説明を繰り返したが、実は、その時点で原発がメルトダウン(炉心溶融)していたことが、後に明らかになった。つい最近、原発がメルトダウンよりも深刻なメルトスルーになっていたことも明らかにされた。

 上述の知人は、3月の時点で「日本では最悪の放射能汚染が起きているので、貴方も避難した方がいい」とアドバイスしてくれた。確かに、3月11日に起きた大震災と原発事故から3月16日までの週は、まさに日本の危機という状態だった。NHKの水野解説委員が「これはチェルノブイリに次ぐ事故」であり「逃げられる人は逃げた方がいい」と発言したので、私たちも関西への一時避難を真剣に考えたほどだった。

 だが、3月18日、菅首相が憔悴しきった表情ながらも「原発危機は乗り越えられる」という趣旨の発言をして、原発が危機的状況にあるのではないかという疑念を払拭しようとした。このときから、マスメディアの報道姿勢も「楽観論」に変わっていった。

 しかし、実際には、福島原発は「原発爆発」に等しいほどの放射線及び放射性物質を今なお放出し続けている。注目すべきことに、小佐古・東大教授(元・原子力委員会参与)は、福島県の子供達を対象に小児癌の疫学調査を求めている。(下記参照)
 
 これまでの経緯を辿ると、政府発表はウソだらけ、マスメディアは問題の核心を報道しないので、全く信用できない。
 「メルトスルー」とさりげなく横文字で言われるものの実体が、実は、日本列島全体をチェルノブイリ並みの放射能汚染地帯にしてしまう危険性をはらんでいる。そうなれば、外国人観光客は日本になど誰一人来ないだろうし、日本製品も海外に輸出できない。それが近未来の現実であるのかも知れないのに、ある人はそれを隠し、また見て見ないようにしている。こういう風潮が、若い世代に与える深刻な影響を政治家は考えたことがあるのだろうか?
 

 

元参与 小児がん疫学調査求める

6月11日 4時13分 twitterでつぶやく(クリックするとNHKサイトを離れます)

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、4月に内閣官房参与を辞任した東京大学大学院教授の小佐古敏荘氏が、政府に提出した報告書の中で、福島県と近隣の県の子どもたちを対象に小児がんの疫学調査を行うべきだと指摘していたことが分かりました。

小佐古氏は、福島第一原発の事故を受けて、菅総理大臣から内閣官房参与に任命されましたが「福島県内の学校などに通う子どもたちの年間の被ばく量を20ミリシーベルト未満に抑える」とした文部科学省の暫定的な目安に対し、「高すぎる」などと抗議して、4月末に辞任しました。関係者によりますと、参与を辞任する前に政府に提出した報告書の中で、福島県と近隣の県の子どもたちについて「甲状腺がんを発症する可能性があるため、被ばく量を評価したうえで、子どもたちの健康状態を長期的に調べる疫学調査を行うべきだ」と指摘したということです。子どもの被ばくを巡っては、政府の対策本部が1000人余りを対象に甲状腺の被ばく量の調査を行い、問題になるような値はなかったとしていますが、調査は一部に限られ、今も不安を訴える保護者が数多くいます。小佐古氏の指摘が政府内でどのように扱われたかは不明で、今後の事故対応の検証の中で取り上げられる可能性があります。


 


1945年3月、200万ベトナム人餓死事件とは?

2011年06月09日 10時00分04秒 | 歴史

 昨日、大学の授業の中で、気になることを聴いた。第二次世界大戦下、日本は、仏政府の合意のもと、仏領インドシナ(ベトナム)に進駐した。1945年3月、日本軍が米作を制限し、ジュート栽培を強要したことによって、二百万人ものベトナム人が餓死に追いやられたというのだ。

 この話は、昔、本か何かで読み知っていたので、特に驚かなかった。「日本軍はベトナムでも悪いことをしたのだ」という文脈で、これを理解していた。
 だが、先生は「当時のベトナムの人口は、二千万人ほど。二百万もの人が死んだとは、考えにくい」と言う。「でも、この数字は絶対に変えられない。何故だと思う?」と学生たちに質問。
 その答えは、この数字が、ホー・チミンによって行われた「ベトナム独立宣言」(下掲)に書かれているからだという。

 現在、日本とベトナムの関係は、政治的、経済的に極めて良好だが、いつの日かこの話が蒸し返されるときが来るかも知れない。だから、歴史の検証が必要なのだが、建国の父(ホー・チミン)の言葉は絶対で、この金科玉条に触れることは、ベトナム側としてもタブーでもあるのだ。
 
 日中関係においては、中国側が常に「歴史認識カード」を持っていて、彼らの都合でそれを持ち出すという印象が強い。「南京事件」の被害者は40万人だという中国の主張が、いつのまにか日本人の間にも広まってしまった。日越関係が同じようなことにならぬよう願うばかりだが、先生が最後に力強い言葉を述べられた。
 「いいですか、歴史は史実の積み重ねではなく、現在の視点から書かれた”物語”なのですよ」と。
 
 これには、私も全く同感。このくらいのドライな認識がなければ、先生のような国際的な活動は勤まらない(あるいは、やってられない)のだろう。
 かつての左翼歴史学者は、「日本帝国主義」の「罪状」を示すため、この「二百万ベトナム人餓死事件」をわざわざ採り上げた。「日本」の断罪こそが彼らの目的であったから、それもまた「現在の視点から書かれた”物語”」でもあったのだ。私自身、すっかりこの”刷り込み”の被害に遭っていたのだと分かった。


【ベトナム独立宣言】(一部) 1945年 by 胡志明(ホー・チミン)

「…1940年の秋に、ファシスト日本(日本のファシズム)が連合国との戦いにおいて新しい基地を確立する為にインドシナ半島の領域を荒らした時、フランスの帝国主義者は彼らに膝を曲げてひざまずいて、我々の国を彼らに手渡した。このように、その日付から、我々の身内は、フランス人と日本人の二重の軛に服従した。彼らの苦しみと惨めさは増加した。結果は、昨年の終わりから今年の初めまで、クアンチ省からベトナム北部に至るまで、我々の仲間の市民のうちの200万人が飢餓で死んだ。 3月9日に、フランス軍隊は、日本人によって武装解除された。フランスの植民地主義者は逃げたか、降伏した。それを示すだけでなく彼らが5年の間に、もし彼らが日本人に我々の国を二回売っていなければ、我々を「保護する」事が出来なかった。 3月9日の前に、幾度もベトミンは、日本人を相手取ってフランス人にベトミンと同盟するよう訴えた。この提案に同意する代わりに、フランスの植民地主義者は、逃げる前に彼らが拘留される沢山の我々の政治犯を大虐殺したように、ベトミンメンバーに対してイエンバイ省カオバン省にて彼らのテロ活動を強めた。 こういう事にもかかわらず、我々の仲間の市民は、常にフランス人の方へ寛容で人道にかなった態度を常に明らかにして来た。1945年3月の日本の反乱の後さえ、ベトミンは、多くのフランス人が境界線を横切るのを援助して、彼らの何人かを日本の刑務所から救い出して、フランスの命と資産を保護した。 1940年の秋から、我々の国は実際にフランスの植民地であるのをやめて、日本の所有になった。日本人が連合国に降伏したあと、我々の全部の仲間は我々の国家主権を回復して、ベトナム民主共和国を起こす為に蜂起した。 真実は、我々はフランスからではなく、日本から我々の独立をもぎ取った。 フランス人は逃亡し、日本人は降伏し、皇帝バオ・ダイは退位した。我々の仲間はおよそ一世紀に渡って縛り付けて来た鎖を破り、祖国の独立を勝ち取った。我々の仲間は同時に、何世紀もの間最高位に君臨した君主体制も倒した。その場所に現在の民主共和国が建国された。…」 (Wikipediaより引用)


何でも「風評被害」にしてしまう、この欺瞞

2011年06月07日 13時18分44秒 | マスメディア

 昨日、原子力保安院が原発爆発による放射性物質の排出量が、東京電力が発表した数値の二倍以上だったことを明らかにした。

 3月15・16日の原発メルトダウン時に、わたしたちは食い入るようにTVを見ていた。そのとき、NHKの水野解説委員は、「福島の原発事故は、チェルノブイリに次ぐ大事故」だとして「逃げられる人は、逃げた方がいい」と退去勧告とも受け取れる発言をした。これを見ていた私の友人は、東京から京都に避難し、およそ一ヶ月、関西に滞在した。政府筋は、原発被害を出来るだけ少なく見せかけるために、この水野発言を封殺し、3月18日の菅首相記者会見で「安全宣言」を行った。

 このような経緯を思い出すと、いま「風評被害」に負けずに…云々という報道も、実はウラがあるのだと思えてくる。何故かと言えば、①現実に、福島県を中心とした広範囲な地域に放射性物質の汚染地帯があるのに、国は「安全基準」そのものを勝手に緩めてしまった。子供の放射線許容量を200ミリシーベルトとしたのがその典型だ、②ある食物や一定地域の放射性物質汚染が、「基準内」で安全だとしても、一人の人間がトータルに吸収してしまう放射線や放射性物質の量は、実は計測できないので、分からないのだ。
 
 だとすれば、主婦が買い物に行ったとき、被爆地に近い農産物を避けるというのは、「風評被害」の結果などではなく、止むに止まれぬ「苦慮の選択」ということになる。マスメディアは、こういう消費者行動を「風評被害」を引き起こすなどと間違っても言うべきではない。

 さらに、外国から日本を見れば、全く同じことが言える。例えば、中国人が日本に旅行しようとするとき、彼らの興味は日本の文化遺産などではなく、富士山と買い物くらいしかないのだから、「放射能に汚染されているかも知れない日本製品」をわざわざ買う義理などは全くない。それを「風評被害」だと言い募ってあたふたすることは、全く筋違いと思うのだがどうだろうか。

 今後、海洋汚染の実態がますます明らかになるだろう。近海魚の刺身を食べたら、同じ網で獲れた検体魚にプルトニウムが含まれていることが判明というケースもありうる。プルトニウム検査は、2週間ほど時間がかかるそうだから、刺身を食べてからではもう手遅れ…。そして、プルトニウムは体内に2万年も残留する…。

 1945年の「敗戦」を日本人は「終戦」と言い繕った。2011年のいま、現実にある「放射能汚染」を「風評被害」と言い換えるつもりか。日本人は、全く変わっていない。

 

 


映画「トロッコ」を見る

2011年06月07日 02時33分15秒 | 音楽・映画

 昨年、劇場公開された日本映画「トロッコ」が、DVDになって発売された。

 この芥川龍之介の作品「トロッコ」が、台湾の花蓮を舞台に制作された意義は大きい。監督自身が語っていることだが、トロッコが現存するロケ場所を探しているうちに、台湾に目が向けられたという。
 花蓮は、日本統治時代に日本人によって開発された街。今なお、その時代の建築物が市の文化財として大切に保存されている。お年寄りは流暢な日本語を話し、親日感情も今なお強い。
 だが、台湾の日本統治時代に触れることがタブー扱いされている現在の日本では、若い人達が日本と台湾の歴史的絆を知る機会が極めて少ない。その意味でぜひ、この映画は若い人達に見てほしいと思う。

 台湾人の友人は、早速DVDを購入して、この映画を見たという。その感想を次のように記している。

「先日 インタ-ネットで映画『トロッコ』DVDを買いました。
今日 映画『トロッコ』をみました。
 日本人観点から 台湾年配のおじさんは悲しい気持ちです。
日本人時代とき 一生懸命日本人になりたいです。
日本政府戦争戦敗とき 台湾年配のおじさんたちは捨てられました。
あの時 悲しい気持ちです。
日本政府は 台湾で人造森林を作りました。偉いです。
あの人造森林は空気がいいです。きれいな景色です。」
                      (原文のまま)

 台湾の日本語世代は、一生懸命、日本人になろうとした。しかし、日本が敗戦して、日本語世代は、(日本に)見捨てられました。それが どんなに悲しいことだったのか。日本統治時代、台湾に林業が導入されました。偉大な事業。その森林はいまでも空気が澄んでいて、美しい…このような意味だろうか。民主国家になった台湾では、このように日本統治時代に対して、好意的な感慨を持つ人が多いようだ。
 
 
もちろん、揺れ動く少年の心を描いた作品自体のテーマも心を打つが、それ以上に日本と台湾の絆に思いが至る作品である。 


http://www.amazon.co.jp/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3-DVD-%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E6%B5%A9%E5%8F%B2/dp/B004M5IVN2/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1307381753&sr=1-1

 

映画『トロッコ』予告編


ベトナムで反中国デモ~南沙諸島問題をめぐり

2011年06月05日 20時11分44秒 | 政治

 さきほど、NHKニュースが「ベトナムの反中国デモ」を報道した。南沙諸島問題に抗議するベトナム人デモの映像だ。「東京新聞」も下掲のような記事を掲載した。

 ベトナムと中国は、歴史的に見て極めて仲が悪い。千年の「北属」という言葉があるように、ベトナムの歴史は中国に侵略され続けた歴史でもある。さらにベトナム戦争後には、カンボジア問題をめぐって中国軍が中越国境を越えてベトナムに侵入し、中越戦争が起きたことはまだ記憶に残っている。
 
 「ひとつの中国」を標榜する中共(=中国共産党)当局は、あらゆる詭弁を弄してでも、領土を拡張しようとしてきた。かねてから中国は「琉球は中国の一部」だと主張していたが、本気とは捉えなかった日本人が大多数だったのではないか。だが、尖閣諸島での中国漁船衝突事件によって、彼らが「本気」であることが分かった。
 中国は、南沙諸島、尖閣諸島の他にも、インドとの国境問題、ビルマ・タイとの河川使用問題などの領土問題を抱えている。

 日本政府に”外交力”があるならば、この際、ベトナムとの連携を強めて、中国の領土的野心に対抗すべきだと思うのだが、進退問題を「言った、言わない」で騒いでいる菅直人にはとてもそれを期待できない。
 
 それから、もうひとつ奇妙なことがある。先の尖閣事件で、東京の中国大使館周辺を日本人の抗議デモが取り巻いたが、NHKを始めとするマスメディアは、一切それを報道しなかった。その理由は、抗議デモが「右翼」によるデモだということ、報道によって中国政府を刺激することになるということだった。
 それでは訊くが、ベトナムの反中国デモを夜のニュースで大々的に採り上げたNHKの意図とはいったい何なのか? 同じ領土問題でありながら、自国の反中国デモを黙殺し、わざわざベトナムのデモを報道する、その「理由」を説明してもらいたいものだ。

 まあ、NHKにそんなことを訊かなくても、その答えは次の記事の中に出ているけれども…。
関係筋によると、中国側は事前にベトナム側にデモを許さないよう要請していた
 尖閣事件の時も、中国政府から同じような恫喝があったということ、そのことが問わず語りに語られている。中国政府に屈した民主党政権の弱腰(柳腰?!)がバレバレではないか。少しはベトナム政府のしたたかな外交を学ぶべきだろう。


 ベトナムで異例の反中デモ 南沙諸島めぐり、当局容認

2011年6月5日 17時01分

 5日、ベトナムの首都ハノイの中国大使館前で、治安当局者の監視の中、反中デモを行う市民ら(共同)

  

 【ハノイ共同】ベトナムの首都ハノイの中国大使館前で5日、南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島や西沙(同パラセル)諸島などの領有権を主張する市民や学生ら約300人が「中国は侵略をやめろ」などと抗議デモを行った。南部の最大都市ホーチミンでも千人以上が中心部で反中デモ行進を行った。

 共産党独裁体制下にあるベトナムではデモは異例。中国による南シナ海での探査妨害などで反中感情が高まっており治安当局は監視下でのデモを容認、一定の“ガス抜き”を図ったとみられる。

 デモ隊は大使館正面の公園内で、南沙、西沙は「ベトナムのものだ」「中国の挑発に反対」などと書いた横断幕や紙を掲げ、気勢を上げた。警察は周辺の道路を封鎖、機動隊を配置するなどしたが、混乱はなかった。

 先月26日に南シナ海で中国の監視船がベトナムの探査船を妨害。31日にはベトナム漁船が中国船から威嚇発砲される事件が発生した。インターネットの交流サイト、フェイスブックや携帯メールでデモの呼び掛けが広がっていた。

 関係筋によると、中国側は事前にベトナム側にデモを許さないよう要請していた。


「中国の侵略反対」ベトナム200人異例のデモ

読売新聞 6月5日(日)18時16分配信

 【シンガポール=若山樹一郎】ベトナムの首都ハノイの中国大使館前で5日朝、学生ら約200人が中国への抗議デモを行った。

 南シナ海で先月、資源探査船や漁船が中国監視船に相次ぎ妨害されたことへの抗議で、参加者は「中国の侵略に反対」などと書かれたポスターを掲げ、気勢を上げた。一党独裁のベトナムでのデモは異例で、まもなく警察当局に解散させられた。

 デモは、インターネットなどを通じて呼びかけられた。学生ら多数が参加する動きを見せていたが、当局は大学などを介して「デモ参加者は罰する」と警告していた

「台湾に親近感」日本人の67%に…震災支援で

2011年06月03日 12時10分19秒 | 台湾

 「台湾に親近感」日本人の67%に…震災支援で」という記事が、今日の「読売新聞」に掲載されている。

 東日本大震災が起きて、真っ先に救援活動を申し入れ、義援金を送ったのは、台湾政府(=中華民國政府)だった。菅首相は、この申し入れを数日間も放置して、中国政府の「ご意向」を伺った。
 台湾からの義援金は、ついに170億円にも達した。台湾の人口は、2千300万人ほどだから、一人あたり750円(約250台湾元)もの義援金が寄せられたことになる。もちろん、この額はすべての国を圧している。中国は人口13億人だが、寄せられた義援金は15億円ほど。それも、市民からの善意の義援金というわけではない。一人あたりの義援金額を単純計算しても、台湾人は中国人の500倍もの支援をしてくれた計算になる。
 
 何故、台湾人がかくも「親日」的なのか。それは、歴史的に日本との強い絆があるからに他ならない。「NHK」や「朝日」や「岩波書店」がいかに「ひとつの中国」をそそのかしても、日本人の多くは、実感として中国と台湾は別の国であり、中国人と台湾人は全く異なることを知っている。

 日本のマスメディアは、台湾からの支援を出来るだけ報道せず、あたかも中国や韓国が日本に同情を寄せているかのような報道を繰り返した。菅首相は、各国の支援に対して、お礼のメッセージを送ったが、その中に最大の支援国・台湾は含まれていなかった。菅の一文は「まさかの友は真の友」と結ばれていたのだから、まさにブラックユーモアとしか言いようがない。
 
 こんな情けない政府、偏向報道を繰り返すマスメディアを抱えながらも、多くの日本人は、台湾からの支援、友情のメッセージを知っていた。その結果が、このニュースに示されている。


「台湾に親近感」日本人の67%に…震災支援で
 

 台湾に親近感を覚える日本人が東日本大震災をはさんで1割以上も増えて66・9%に達したことが、民間調査会社の意識調査でわかった。

 震災後の台湾からの義援金が170億円以上に上るなど、台湾の親日感情も反映した結果とみられる。

 調査は、台北駐日経済文化代表処の委託で、成人男女1000人を対象に5月中旬に行われた。3分の2以上が台湾を身近に感じていることになり、2009年の同様の調査の56・1%を大きく上回った。「台湾を信頼している」と答えた人も84・2%と20ポイント近く増えた。馮寄台(ひょうきたい)・駐日代表は「日本の人々が良好な日台関係の現状を実感していることの表れで、大変うれしく思う」とのコメントを出した。

2011年6月2日22時18分  読売新聞)