インターネット番組でしばしば言及される「大東亜会議」。以前、「ニュース女子」でも採りあげられたので、ご存知の方も多いはず。特に武田邦彦氏は、この会議にご執心で、ことあるごとに言及している。
端的に言って、「大東亜会議」はGHQによる東京裁判史観へのアンチテーゼとして使われる。欧米列強、白人による世界支配を打破するために、大東亜戦争は始められた。その理念は、この大東亜会議に示されているという論法だ。
ひとまず、Wikipediaで確認してみる。
「大東亜会議」は、1943年(昭和18年)11月5日 - 11月6日に東京で開催されたアジア地域の首脳会議。日本(大東亜共同宣言中の表記は「日本国」):東條英機内閣総理大臣、中華民国(南京)国民政府:汪兆銘行政院長、満州国:張景恵国務総理大臣、フィリピン共和国:ホセ・ラウレル大統領、ビルマ国:バー・モウ内閣総理大臣、タイ王国:ワンワイタヤーコーン親王(首相代理)、インド:この時点では本土がまだイギリスの植民地支配下にあったインドからは、日本と協力しインド全土のイギリス(イギリス領インド帝国)からの完全独立を目指していた亡命政権である自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボースが参加した。
この会議の開催時点で欧州はどのような状況にあったのか。
第二次世界大戦におけるイタリアの降伏では、第二次世界大戦中の1943年9月8日に、イタリア王国が連合国と締結していた休戦協定を発表して枢軸国から離脱し、降伏に至った。
つまり、会議の二か月前には、イタリアは「日独伊三国同盟」から離脱していた。戦争を遂行する日本の指導層は、すでに帝国の敗北を予見していたはずだった。ついでに言うと、イタリアはムッソリーニを打倒したあと、1945年5月には日本に宣戦布告さえしている。こうした経緯を顧みずに、「大東亜会議」の「理念」だけに光を当てて、日本の正当性を主張しても、それは虚しい行為だと言わざるをえない。
三輪公忠「日本・1945年の視点」では、次のような記述がある。
「…大東亜共同宣言の文言を読み返してみると、ここには今日の世界が追求している国際社会における理想主義的な原理さえ認められる。……「伝統」に対する姿勢、「民族ノ創造性」への評価である。西洋文明の絶対的優越性を信じ、文明一元論的発想でしか、いわゆる後発国の問題の解決を探そうとはしなかった欧米の植民地国家の姿勢とは根本的な差異がある。……敗戦を予見した日本は、かえって戦後の世界秩序の形成に理想的にかかわる道を発見し、その道を選択したとすることができる。」(同書 p.163-4)
つまり、「ネトウヨ」のようにはあからさまに言わないものの、「軍国少年」として敗戦を目の当たりにし、カトリック信者の中のエリートとして米国大学に学んだ著者(三輪)のような人にとっては、これくらいは言っておかなければならないという心持があるのだろう。
こと、「大東亜会議」の評価に関しては、このあたりがまともな言説の限界ではないかと思われる。
ニュース女子~大東亜会議とは何だったのか?