今日は73回目の「終戦記念日」。この時期になると、マスメディアは、思い出したかのように、戦争回顧番組を垂れ流し、「平和」「反戦」を訴える。だが、その内容は年々劣化するばかりだ。戦争体験者の自然減少に呼応して、NHKなどのマスメディアは、ステレオタイプの反戦、平和を囃し立てることが可能になった。もっともらしいナレーション、音響効果をつけて、枝葉末節のエピソードを「平和希求」の番組に仕立て上げる。一昔前だったら、戦争体験者が「それは事実と違う」と言い出したが、今やその心配もなくなった。
「平和を語れる私はイイ人です」みたいなナルシシズムが横行する背景には、戦争責任を曖昧にしてきたこの国の事情がある。端的に言えば、昭和天皇の戦争責任が問われず、すべては「軍部」や天皇側近に責任が押し付けられた。かつて政治学者・丸山真男は「大日本帝国の「実在」よりは戦後民主主義の「虚妄」に賭ける」と語った。その意味は戦後民主主義はGHQによって与えられたものであり、昭和天皇の戦争責任回避もまたGHQの意向によるものだったが、それでもなお、戦前よりは戦後の方がマシということだった。
今どき、昭和天皇の戦争責任などと言ったら、「サヨク」「ブサヨ」と罵られるのがオチだろう。そんな中で、右翼と目される鈴木邦男(評論家)の「天皇に判断を仰ぐ時代が二度とあってはならない」という言葉は、左右を問わず、傾聴すべきだろう。実は昭和天皇は、戦後においても、政治的関与を繰り返していた。井上正也・成蹊大学准教授(日本政治外交史)の最新研究によれば、1971年、中国国連加盟問題が正念場を迎えたとき、昭和天皇は佐藤栄作首相に「蒋介石を助けるように」と”指示”したという。外交文書から明らかにされたこの事実は、戦後の「平和憲法」下においても、昭和天皇が平然と政治的関与をしていたことを意味するのだから、「大日本帝国」の天皇であらせし当時において、軍部の横暴によって平和の御心を貫けなかったなどという俗説がいかに噴飯ものであるかわかる。
結局、この国は、凡庸な世襲的指導者の体面と生命(すなわち「国体」!)を守るために拘泥し、戦争の収束すらできなかった。敗戦後、この御方は退位することもなく、天寿を全うした。
東京大空襲から敗戦までの半年間だけでも、どれだけ多くの国民が犬死同然の死を迎えなければならなかったのかを考えると、この鮮やかな対比は忘れ去られるべきではない。
これとは対照的にイタリアの戦争終結は見事だった。日独伊三国軍事同盟の一員だったはずのイタリアは、1945年4月28日独裁者ムッソリーニを処刑し、連合国側に寝返った。4月30日には、ヒトラーが自殺し、ナチスドイツの敗北が決定的となった。一方、同盟国をすべて失った日本は、沖縄戦(1945.3.26~6.23)、広島・長崎への原爆投下を経て、敗戦(8.15)を迎える。驚くべきことに、この間の1945年7月、イタリアは連合国の一員として日本に対し宣戦布告さえしている。
「平成」が終わろうとする今、この国の「同調圧力」はますます強まっているように見える。さらにも増して凡庸な新天皇を言葉巧みに政治利用する動きも出てくるだろう。そんなときは、上述の鈴木邦男の言葉を噛みしめるとともに、広い世界には「一億玉砕」などという視野狭窄に陥らず、さらっと寝返りできるイタリアのような国もあることを知るべきだろう。近現代史から学ぼう、ということか…。