澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「終戦の日」のタメ息~うやむやにされた戦争責任

2018年08月15日 15時16分16秒 | マスメディア

 今日は73回目の「終戦記念日」。この時期になると、マスメディアは、思い出したかのように、戦争回顧番組を垂れ流し、「平和」「反戦」を訴える。だが、その内容は年々劣化するばかりだ。戦争体験者の自然減少に呼応して、NHKなどのマスメディアは、ステレオタイプの反戦、平和を囃し立てることが可能になった。もっともらしいナレーション、音響効果をつけて、枝葉末節のエピソードを「平和希求」の番組に仕立て上げる。一昔前だったら、戦争体験者が「それは事実と違う」と言い出したが、今やその心配もなくなった。

 「平和を語れる私はイイ人です」みたいなナルシシズムが横行する背景には、戦争責任を曖昧にしてきたこの国の事情がある。端的に言えば、昭和天皇の戦争責任が問われず、すべては「軍部」や天皇側近に責任が押し付けられた。かつて政治学者・丸山真男は「大日本帝国の「実在」よりは戦後民主主義の「虚妄」に賭ける」と語った。その意味は戦後民主主義はGHQによって与えられたものであり、昭和天皇の戦争責任回避もまたGHQの意向によるものだったが、それでもなお、戦前よりは戦後の方がマシということだった。

 今どき、昭和天皇の戦争責任などと言ったら、「サヨク」「ブサヨ」と罵られるのがオチだろう。そんな中で、右翼と目される鈴木邦男(評論家)の「天皇に判断を仰ぐ時代が二度とあってはならない」という言葉は、左右を問わず、傾聴すべきだろう。実は昭和天皇は、戦後においても、政治的関与を繰り返していた。井上正也・成蹊大学准教授(日本政治外交史)の最新研究によれば、1971年、中国国連加盟問題が正念場を迎えたとき、昭和天皇は佐藤栄作首相に「蒋介石を助けるように」と”指示”したという。外交文書から明らかにされたこの事実は、戦後の「平和憲法」下においても、昭和天皇が平然と政治的関与をしていたことを意味するのだから、「大日本帝国」の天皇であらせし当時において、軍部の横暴によって平和の御心を貫けなかったなどという俗説がいかに噴飯ものであるかわかる。

 結局、この国は、凡庸な世襲的指導者の体面と生命(すなわち「国体」!)を守るために拘泥し、戦争の収束すらできなかった。敗戦後、この御方は退位することもなく、天寿を全うした。
 東京大空襲から敗戦までの半年間だけでも、どれだけ多くの国民が犬死同然の死を迎えなければならなかったのかを考えると、この鮮やかな対比は忘れ去られるべきではない。

 これとは対照的にイタリアの戦争終結は見事だった。日独伊三国軍事同盟の一員だったはずのイタリアは、1945年4月28日独裁者ムッソリーニを処刑し、連合国側に寝返った。4月30日には、ヒトラーが自殺し、ナチスドイツの敗北が決定的となった。一方、同盟国をすべて失った日本は、沖縄戦(1945.3.26~6.23)、広島・長崎への原爆投下を経て、敗戦(8.15)を迎える。驚くべきことに、この間の1945年7月、イタリアは連合国の一員として日本に対し宣戦布告さえしている

 「平成」が終わろうとする今、この国の「同調圧力」はますます強まっているよう
に見える。さらにも増して凡庸な新天皇を言葉巧みに政治利用する動きも出てくるだろう。そんなときは、上述の鈴木邦男の言葉を噛みしめるとともに、広い世界には「一億玉砕」などという視野狭窄に陥らず、さらっと寝返りできるイタリアのような国もあることを知るべきだろう。近現代史から学ぼう、ということか…。

 

 


  

 


「女性差別」にすり替えられた東京医大の不正入試

2018年08月11日 04時32分50秒 | マスメディア

 昨晩「深層News」に香山リカ(立教大学教授・精神医学)が出演。彼女の母校である東京医科大学(東京医大)の「女性差別」について語った。だが、Mixiには次のような書き込みが見られた。

「深層News」(BS日テレ)に香山リカ(精神科医)が出演中。香山は東京医大卒で、母校が女性差別をしていたことにショックを受けたとか。入試不正を女性差別の話にすり替えたという自覚はないらしい。香山リカが開業医の子弟だったとしたら、自分のコネ入学に触れられたくなかったからだろう。

 念のため、香山リカの経歴をWikipediaで調べてみたら、その父親が開業医だったことが分かった。このことから類推されるのは、香山リカ自身もまた、開業医子弟のコネ入学枠で東京医大に入学したのではないかということだ。久しくTVメディアから遠ざかっていた彼女が、久しぶりにTV出演して強調したのが「東京医大の問題は女性差別」という点だった。

 東京医大の「不正入試」事件発覚からの経緯をたどれば明らかなのだが、ことの本質は女性差別などではない。国家予算から膨大な補助金を得ている東京医大が、文科省局長のバカ息子を不正入学させるとともに、同窓会OBである開業医の子弟を「優先入学」させていたという事実こそが、問題であり糾弾されるべきなのだ。

 このブログでは何度か書いているが、十数年前、私の親族がこの大学を受験して、二次試験の面接で開口一番に訊かれたことは「本学に知り合いはいますか?」だったという。その意味は、親がOBの開業医かどうか、あるいは寄付金をどれだけ納付できるかどうかを確かめたかったのだろう。そういう実体験があるので、「東京医大は女性差別」だなどという問題のすり替えには、到底、納得ができない。

 振り返れば、この国は「すり替え」がお家芸。「敗戦」を「終戦」、「連合国」を「国際連合」、「GHQ憲法」を「平和憲法」にすり替えたことから、「戦後」はスタートした。こんなお国柄だからこその「やがて哀しき」エピソードなのか。
 


久しぶりの北海道旅行

2018年08月05日 13時41分46秒 | 散歩

 先月末、三泊四日の日程で札幌~富良野~阿寒湖~知床半島~旭川を回ってきた。人づてには聴いていたが、外国人旅行者が多いのには驚かされた。外国人と言っても、欧米人は稀で、韓国人、中国人、台湾人、香港人の姿が目立つ。

 ホテルのビュッフェ・スタイルの夕食では、外国人客のマナーが心配だったが、思いのほか、皆さん旅慣れた様子で、特にトラブルはなかった。それにしても、国民性というのは興味深いもので、自意識、自尊心過剰気味の韓国人、大声がうるさい中国人、ちょっと知的な香港人…という感じ。

 久しぶりの知床半島は、天候に恵まれて鏡のような海面。昔、海のうねりだけで船酔いしてしまった経験がウソのよう。急旋回して西に行ってしまった台風12号のおかげか。

 長袖を着る必要もなかった北海道ツアーだったが、雄大な景色とグルメには大満足だった。