明日10月1日は、中華人民共和国の「国慶節」、すなわち建国記念日。
横浜中華街のメインストリートには、次のような横断幕が麗々しく飾られている。
だが、横道に入ると、こんなポスターが…。
左は、中華人民共和国(10月1日)、右は、中華民国(10月10日=双十節)の国慶節ポスター。在日華僑の多くはいずれかの国籍に属しているのだが、近年はこの写真に象徴されるように、仲良く共存しているかのように見える。
しかしながら、横浜華僑総会の入り口には、中華民国のポスターが…。
このように、横浜中華街でも「ふたつの中国」「ふたつの国慶節」は、厳として存在する。
日本のマスメディアは、「ひとつの中国」(=中華人民共和国)に呪縛されているので、「中華民国」(=台湾)について触れることは極端に少ない。だが、多くの日本人は、台湾こそ最も「親日的」な国であることを知っている。
来年早々に行われる中華民国総統選挙(大統領選挙)の結果次第では、中国による「台湾併呑」の企みが阻止されるかもしれない。つまり、民主進歩党(民進党)の蔡英文候補が勝利すれば、中台関係は大きく変わる可能性がある。
横浜中華街で見えることが、日本のマスメディアでは全く報道されない。これは何とかならないものか。
先日、NHK-FMで「台湾」と名づけられた交響曲を聴いた。早速、ネットで検索してみたところ、ゴードン・シーウェン・チン(金希文)作曲「交響曲第三番 台湾」だとわかった。
ゴードン・シーウェン・チン(金希文)作曲「交響曲第三番 台湾」
金希文「チェロ協奏曲第一番」(2006年)
1 第一楽章 Allegro
2 第二楽章 鏡の中の夢の罠
3 第三楽章 ひどい苦痛の後に
金希文「交響曲第三番 ”台湾”」(1996年)
4 第一楽章 略奪 (Plunder)
5 第二楽章 暗い夜 (Dark Night)
6 第三楽章 急増 (Upsurge)
ウェン=シン・ヤン(チェロ)
呂紹嘉 指揮 台湾フィルハーモニック
2014年1月 台北国立音楽堂での録音 Naxos 8.570615
交響曲「台湾」については、アマゾンが次のように簡便な解説を付している。
「交響曲第3番」はバンクーバー交響楽団の委嘱作で、台湾の長い歴史を踏まえた史実に基づくタイトルが付けられた楽章からは独創的な香りが漂います。打楽器が躍動する第1楽章、台湾のポピュラー・ソングが効果的に用いられた第2楽章、そしていかなる外界の力にも臆することのない民族性を表現した第3楽章。これらは強い意志を持ち、最後は英雄的な盛り上がりで曲を閉じるのです。 」
まだ一度しか聴いていないので、感想というべき感想も書けない。だが、第2楽章には台湾の日本語世代ならだれでも知っている「雨夜花」(Flowers in the rainy night)が使われている。日本統治時代に作られた歌だ。
台湾フィルハーモニックの演奏は、国際舞台に出てもいささかも遜色のないレベル。「台湾人に生まれた悲哀」(李登輝氏の言葉)を交響曲で表現した、と勝手に言ってはまずいかもしれないが、そう言ってみたくなる曲だった。
興味がある人はぜひ購入しておくといいかも。
「日本はなぜ戦争をやめられなかったのか 中心軸なき国家の矛盾」(纐纈厚著 社会評論社 2013年)を読む。
その内容は、次のとおり。
序章 中心軸なき国家のゆくえ(外圧に翻弄された開国;中心軸なき国家;ナショナリズム不在の近代日本;なぜ、同じ過ちを繰り返すのか)
第1章 合意なき開戦決定―迷走する指導者たち(開戦決定過程にみる迷走ぶり;東條開戦内閣の成立と対英米開戦)
第2章 破綻した戦争指導―混乱と動揺のなかで(戦争終結への動き―迷走する戦争指導;動揺と迷走の果てに)
第3章 不毛の戦争終結過程―責任者は誰か(他者依存の典型事例として―対ソ和平工作への過剰な期待;戦争終結に舵を切る)
第4章 中心軸なき国家の矛盾―近代化・ナショナリズム・政軍関係(「近代化」という落とし穴;政治を分裂させた軍事の位置;歴史認識の希薄さの原因―過去の克服はなぜ遅れているのか;歴史に向き合うことの勇気)
この本を読むきっかけとなったのは、7月末、「昭和天皇、1971年中国国連代表権問題で蒋介石支持を佐藤栄作首相に指示」というニュースを知ってから。米国の外交文書公開で明らかになった史実なのだが、日本のマスメディアの反応は極めて鈍く、その場限りの線香花火で終わってしまった。しかしながら、これは、昭和天皇が平和を願いながら、「軍部」に押し切られたため、あんな戦争をしてしまったという、従来の俗説を根底から覆す可能性があるニュースだった。1971年、「平和憲法」下においても、天皇がこのように政治に口出ししていたという事実から察すれば、戦前の大日本帝国における天皇とは、まさに「現人神」そのものではなかったか。天皇には戦争責任が全くなかった、などと思い込むこと自体が、「日本人民」の「特異性」言い換えれば「マヌケさ」の証なのではないかとさえ思えてくる。
著者の纐纈厚氏は、素人の私から見ると、左翼系の歴史学者。経歴からしても、一昔前のマルクス主義史観を引きずっている人物だと思われる。大昔、その種の歴史本はたくさん読まされたので、さして期待も持たずに読み始めた。
本書の執筆動機は、東日本大震災・原発事故だという。あのとき、「中心軸なき国家」の姿が露呈したという。
日本近代を通底するものは、「追従」と「無責任」であると著者は指摘する。「追従」とは、近代化(=西洋化)の手本であった欧米への追従、「無責任」とは丸山眞男が言う、天皇制国家における無限無責任体制を意味する。
このあたりの議論は、政治学の概念、用語をちりばめているため、他の歴史学者とはちょっと毛色が変わっている。政治学から入って、近現代史に興味を持った私にとっては、意外にも読みやすい内容だった。だが、あるべき国民、あるべきナショナリズムを理想型として掲げ、それらと比較して現実がどう不足しているかというような論法は、教条左翼の名残をとどめていると言わなければならない。
著者はあの戦争を「天皇による、天皇のための、天皇の戦争」(p.190)であったと結論付ける。ナチスドイツが敗北(1945年5月)しても、沖縄戦が壮絶な結果で終わっても(1945.6~)、広島・長崎に原爆(1945.8)が落とされても、最後の最後まで「国体」、すなわち皇祖皇統、三種の神器の保持にこだわった昭和天皇が、国民のために「聖断」を下したなどとは、金輪際ありえないということだ。この点においては、全く同感だ。
1975年、米国訪問後の記者会見で「戦争責任」について問われた昭和天皇は、「そういった文学方面のことは、私はよく研究していないのでおこたえできない」と不真面目に応え、さらに原爆投下については「あれは戦争であったことだからやむをえなかった」と開き直った。すでに述べた「蒋介石支持」発言と照らし合わせると、昭和天皇の精神構造(というか頭の中)が透けて見えてくるではないか。
「中心軸なき国家」おける「無責任体制」の頂点にいたのは、他ならぬ昭和天皇自身だ。戦後になってからの政治的発言が次々と明らかになっている以上、従来の「追従」的天皇観の見直しが求められるべきだろう。
私自身、「朝日」「岩波書店」に象徴される進歩的文化人風のご高説は大嫌いなのだが、彼らが言うように「安保法制」(私はそれに賛成だが)が場合によっては、予想外の暴走を始める危惧は否めない。それはまさに著者の言う「中心軸なき国家の矛盾」そのものでもあるからだ。
真夜中、「平和安全保障関連法案」が成立。
TVニュースを見れば、この話ばかりだったので、政治には辟易としている私でも、ある程度の情報が刷りこまれてしまった気分。
「無告の民」の一人である私だが、この「安保法案」には基本的に賛成。国会周辺をデモ行進する「市民」を見て、ますますその思いは強まった。
SEALDsの代表で国会でも発言した若い男は、明治学院大学国際学部の学生だという。故・坂本義和(国際政治学者)の流れを汲む「護憲派」「平和学者」の巣窟として有名な大学学部。現実を直視せず、理想主義を掲げて政治権力を批判するというのが主流なのだが、SEALDs学生の言動は、その教授達の完全コピーに過ぎない。将来は外務官僚になるかもしれない東大法学部の学生は、こんな「市民デモ」には参加しないだろうし、そもそも政治外交が「市民」ごときの手に負えないことも十分熟知している。一方、明治学院の学生は、デモで大言壮語しても、結局、派遣社員にしかなれそうにない。そこがエリートと大衆の違いなのだろうと言ってしまえば、実も蓋もないけれど…。
もうひとつ、この法案に関するマスメディアの報道が、あまりにもひどかったこと。特にTBS、毎日新聞の突出した「偏向報道」にはあきれ果てた。国会における憲法学者の意見聴取を機に、それまでは控え目にしていた「反安保」「安倍叩き」の姿勢を露骨に打ち出した。報道の中立・公平性をかなぐり捨てた印象操作・世論誘導だった。
マスメディアの大騒ぎも、「市民」デモも、法案が通ってしまえば、間違いなく一件落着で跡形もない。ずっと考え続けなければならない安保外交の問題を、一過性のパフォーマンスで終わらせてしまう、この極端な傾向に違和感を感じるのは私だけか。
戦後70年続いた「一人の戦死者もでなかった平和な日本社会」は、日本国憲法のおかげなどではなく、たまたま幸運が続いたからに過ぎない。「敗戦国日本」を悲惨状態に押しとどめようとする米国の意思は、冷戦の勃発によって変更せざるを得なかった。中国大陸は、中共による暴政が続き、長い間、日本に関与する意思も能力も持たなかった。そういった外的要因が、経済発展に専念できる時間を日本人に与えたというに過ぎない。山本太郎や石田純一が「私たちが守ってきた憲法を世界に対して誇りに思う」などと言うのは、自分の無知をさらけ出しているだけだ。
ともあれ、「安保法制」が成立したのはご同慶の至りなのだが、それを運用するのはわが日本人。曖昧さ、夜郎自大、付和雷同性においては、人後に落ちない国民であるので、これから何が起きるか不安はぬぐえない。第二の松岡洋右が出現しないとも限らないし…ね。
安保関連法が成立=戦後政策、歴史的転換―集団的自衛権行使容認―野党抵抗未明まで
時事通信 9月19日(土)2時24分配信
未明の参院本会議で採決が行われ、自民、公明両党と元気、次世代、改革の野党3党の賛成多数で可決、成立した。
関連法は従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権行使を可能にすることを打ち出しており、戦後日本の安全保障政策は歴史的な転換点を迎えた。民主党など野党5党は関連法を「憲法違反」などと主張、ぎりぎりまで抵抗したが、今国会成立を掲げた安倍政権の方針の下、与党が数で押し切った。
27日の会期末を待たず、週内の成立を目指した与党側は、民主党などが審議続行を求める中、参院平和安全法制特別委員会で17日に採決に踏み切った。野党側は、担当閣僚である中谷元防衛相や安倍晋三首相の問責決議案、安倍内閣不信任決議案などを提出して対抗したが、与党は元気などと連携して順次否決、当初方針通り成立させた。
成立したのは、自衛隊法など10本の改正法を束ねた「平和安全法制整備法」と、自衛隊の海外派遣を随時可能にする新たな恒久法「国際平和支援法」の2本。政府は、北朝鮮による核・ミサイル開発や中国の海洋進出で日本の安保環境が大きく変化したことを踏まえ、日米同盟強化により抑止力を高めるとしている。
関連法は、米国など日本と密接な関係にある他国が攻撃を受け、日本の存立が脅かされる事態での武力行使の要件を規定。朝鮮半島有事を想定した周辺事態法から「日本周辺」の概念を外し、他国軍支援への地理的制約を取り払った。国連平和維持活動(PKO)では、任務遂行の目的などでの武器使用を解禁した。
胡散臭い「報道番組」と言えば、まず思い浮かべるのが「報道ステーション」。
腹話術人形と言われる古舘某のトークは、腹話術師である「朝日新聞」の原稿を香具師みたいに読むだけ。本人の知見や見識は全く伝わってこない。まあ、「朝日」の人形であるからして、それはやむを得ないことなのかも。
この古舘が元キャリア官僚の古賀茂明とバトルを繰り広げた結果、古賀は「報道ステ」を去り、替わってショーン川上が登場した。このショーン川上は、国際政治から国内の些細なトピックまで実にソツなくコメントするのだが、何となく違和感が…。それは、決して古舘と丁々発止やりあってコメントするのではなく、定められた原稿を読んでいるからか。
古賀の知的能力には全く敵わなかった古舘が、新しいコメンテーターにショーンを選んだのは、決して偶然ではないだろう。つまり、古舘やテレ朝は、才気あるコメンテーターを避けて、自分たちに盾突かない、無難な「人事」をおこなったということか。
ショーン川上は、以前、FM放送で英語交じりのDJをやっていた、言わば「軟派」な男。それがいつのまにか、「経営コンサルタント」に変身し、あらゆる問題について「ご高説」を説くようになっていた。テンプル大学卒という経歴もかなり怪しく、生の討論番組などに出たら、まず間違いなく馬脚を現すだろう。
もうひとり気になるのが、「夜回り先生」とか言われた水谷修だ。この人は、昼のワイドショーでコメンテーターを始めた。その言説を聴いていると、首をかしげることばかり。「昨日、知り合いの新聞記者と話したところでは…」「さきほど、ドイツの友人に訊いたところでは…」と言うように、真偽のほどもわからない(つまり情報元を明らかにしない)話を垂れ流しにして、思い付きの結論を言うための補強材料とする。
そもそも、定時制高校でずっと生活指導をしていた一介の教師が、中国の政治動向や、欧州の難民問題を語れるはずもない。そのようなコメントをTV局から頼まれたとしても、誠実な教師だったら「私の専門外ですから」と断るはずなのだ。そこに、この水谷修という男の胡散臭さと虚言癖的性向がうかがえる。
さて、どちらが胡散臭いですか? 眉間のしわとか、ヒゲとか、〇〇〇師はよく似るとも言われるからね…。