澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

旧植民地の心の傷に思いを馳せない日本の出版社~集英社と姜尚中

2023年11月04日 21時59分09秒 | 台湾

 最新号の「ニューズウィーク」(最新号)に「旧植民地の心の傷に思いを馳せない日本の出版社」と題する記事が掲載されている。このコラムの執筆者は楊海英・静岡大学教授。

 『大手出版社の集英社が刊行している創業95周年記念企画「アジア人物伝」の最終巻が、李登輝を「中国」の人物として記載していることに、台湾で反発が広がっている』日本の大手出版社、集英社が創業95周年記念企画として刊行している「アジア人物史」シリーズが、批判の矢面に立たされている。発端は、2024年4月公開予定の第12巻「アジアの世紀へ」で、鄧小平や孫文らと並んで台湾の元総統・李登輝氏とチベットの宗教的指導者ダライ・ラマ法王を「中国の歴史的人物」として扱ったことだ。

 かつての「ひとつの中国」論議を再燃させたかのような集英社の不見識は、確かに責められるべきだろう。だが、今の出版社の現場では、「中国とは何か」という七面倒くさい議論に与するような編集者はもういないのではないか。大方は中国には無関心、あるいは辟易としていて、「アジア人物史」の「中国」の中に李登輝を入れても(入れなくても)どちらでもいい、と思っているのではないか。
 編集者の問題のほかに、この「アジア人物伝」の監修者が姜尚中という点がひっかかる。姜尚中が学者という鎧を被った反日主義者、差別主義者であることは、彼の経歴、業績を顧みればはっきりしている。なぜ、こんな人物に集英社は監修を依頼したのか?

 楊海英と姜尚中は、まさに対極の人物。楊氏は、中国内モンゴル自治区出身のモンゴル人。日本に留学して、文化人類学を学び、中国共産党による「ひとつの中国」論が虚妄であることを実感した。日本国籍を取得して、現在は中共政権を鋭く批判している。一方、姜尚中は在日朝鮮人として九州に生まれ、特に差別を受けたこともないはず(姜尚中の高校の同窓生が証言している)なのに、「被差別」を「売り物」にして、私大出ながら異例の東大教授というポストにありついた。マスメディアに多く露出することにより、読者、視聴者に対して「自虐史観」を植え付ける役割を果たしている。姜尚中が「韓国籍」を捨てないのは、それが「飯のタネ」になっているからだろう。

「アジア人物史」の総監修者は在日韓国系知識人の代表格の姜尚中・元東京大学教授である。姜氏は在日としての精神的葛藤について語り続けて来たのに、同じ境遇に置かれていた台湾人と満蒙の人間の心情を汲み取ろうとしなかったのではないか。李登輝氏とダライ・ラマ法王を「中国人」とするのは、在日を日本人だと決め込むのと同じではないか。

 上記の楊海英氏の指摘がすべてを語っているように思われる。ポストコロニアリズム(ポスト植民地主義)、オリエンタリズムが「専攻」だったはずの姜尚中だが、どこまで自己顕示欲を「暴走」させれば気が済むのか。
 

 台湾からの批判を承知の上で、この書籍を刊行する集英社の責任は大きい。NHKの真似をしなくてもいいんだよ、と言っておく。
 

 

 

旧植民地の心の傷に思いを馳せない日本の出版社

ニューズウィーク日本版 によるストーリー  • 2 時間
 

日本に好意的だった李登輝だが...... Yuriko NakaoーREUTERS

<大手出版社の集英社が刊行している創業95周年記念企画「アジア人物伝」の最終巻が、李登輝を「中国」の人物として記載していることに、台湾で反発が広がっている>

日本の大手出版社、集英社が創業95周年記念企画として刊行している「アジア人物史」シリーズが、批判の矢面に立たされている。

発端は、2024年4月公開予定の第12巻「アジアの世紀へ」で、鄧小平や孫文らと並んで台湾の元総統・李登輝氏とチベットの宗教的指導者ダライ・ラマ法王を「中国の歴史的人物」として扱ったことだ。「李登輝基金会」の董事長(会長)で、李元総統の次女である李安妮は2日、「極めて残念に思う」との声明を発表した。台湾の行政院長の陳建仁も3日に立法院での答弁で、「台湾は独立した主権国家だと認識していた李登輝の生前の意志を集英社は尊重すべきだ」と、見直しを促した。権威ある国立の研究機関・台湾国史館の陳儀深館長も「李登輝元総統の伝記である以上、本人の意志から離脱したことが書かれるのは論外だ」とメディアに語った。

ダブルトップは…が揃うのを待て
 

台湾教授協会の陳俐甫会長も「チベット人とモンゴル人、それに台湾人は中国人ではないのは自明のことだ。台湾人は日本で震災が起こるたびに支援してきたにも関わらず、裏切られた」と不満の声を発した。

李登輝氏は生前に作家の故・司馬遼太郎に「台湾人の悲哀」について訴えていたが、その悲しい声は日本社会に届かなかったのだろう。悲哀とは、台湾人はあくまでも独立した人格を持つ人間であるのに、他者即ち中国人だと一方的に断じられる悲しみを指す、と李登輝は以前に強調していた。

ではなぜ、日本を代表する「知の殿堂」でこのようなことが起こったのだろうか。そこには2つの要因がある。満蒙、即ち台湾と同じ日本の支配を受けた側の視点から指摘しておきたい。

第1に、日本には真摯に反省しようとしない植民地史観が健在である。日本の知識・学術界は戦後、政治家以上に痛切な反省を繰り返してきたが、実際はパフォーマンスに過ぎなかった。日本は台湾を清国から譲られた「化外の地」として50年間支配してのち、戦勝国の中国に引き渡して責任を逃れた。その際たる事例は1972年の断交事件で、中華人民共和国との国交を「回復」「正常化」することで、再び旧植民地を切り捨てた。

厳密に言えば、台湾は台湾原住民の国である。シナ・チベット語系の言葉を操る少数の政治集団(蒋介石の中華民国亡命政権)が入植してくるはるか以前に、オーストロネシア系の先住民が既に島を開発し、独自の文明を築いた。日本は、オランダの「フォルモサ統治」の後に占拠したが、無関係の中国に台湾を引き渡す文明史的根拠はなかった。李登輝も台湾人であって、中国人ではない。

中国に「売り渡した」道義的・法的責任

第2に、戦前に満蒙の大地に侵入し、満蒙独立という甘い言葉を満洲人やモンゴル人の耳元で囁いていた日本人は、戦後に多くが北京詣でして毛沢東の中国共産党に謝罪した。満洲とモンゴルは長城の北にあり、文明的にも歴史的にも中国の一部ではなかった。1912年早春に清朝の皇帝が権力を孫文に禅譲する前年の暮れに、モンゴル人は既に独立を宣言している。その独立したモンゴルはチベットと外交関係を結んでいたし、世界からも承認されていた。

モンゴルの半分、即ち内(南)モンゴルは日本に支配されなかったら、1945年以降に中国に取られることもなかった。このように、台湾も南モンゴルも日本が占領し、しばらく統治してから中国に「売り渡した」に過ぎない。その道義的・法的責任について、日本は一度も反省しなかったのではないか。

ダブルトップは…が揃うのを待て
 
 

「アジア人物史」の総監修者は在日韓国系知識人の代表格の姜尚中・元東京大学教授である。姜氏は在日としての精神的葛藤について語り続けて来たのに、同じ境遇に置かれていた台湾人と満蒙の人間の心情を汲み取ろうとしなかったのではないか。李登輝氏とダライ・ラマ法王を「中国人」とするのは、在日を日本人だと決め込むのと同じではないか。

「各人物を配置した地域区分はあくまで便宜的なものです」と、集英社のウェブサイトに記されてはいる。集英社は漫画やアニメなどを中国で売って儲けているのだろうが、中国での経済的利潤ばかり考えるのでなく、旧植民地出身者の癒えない傷に思いを馳せてはどうか。


朝ドラ「らんまん」が描く台湾像

2023年08月30日 17時08分59秒 | 台湾

 NHKの朝ドラ「らんまん」を見るのは、配偶者だけなのだが、今日はたまたま主人公(牧野富太郎)が台湾に学術調査に行くという話だったので、ちょっと見した。今日のドラマのタイトルバックには、台湾監修「片倉佳史」と書かれていた。この人は台湾在住の親台湾派と目される日本人なので、NHKもそこそこには台湾に気を使っているのだろうね、と思った。

 とはいえ、主人公(牧野富太郎)が台湾語を勉強して、現地の人と意思疎通を図りたいと言うのに対して、台湾総督府の役人や警察官は、「日本語が共通語なのだから日本語を使ってください」「私たちは、台湾の近代化のため、共通語として日本語を推進しています」とたしなめる。歴史の知識が乏しい人は、主人公は人道的、博愛主義だと感じ、台湾総督府の人たちは強圧的、植民地主義者として忌まわしく感じるはずだ。だとすれば、それはNHKの思惑通り、思う壺(つぼ)だろう。

 「台湾の近代化のため、共通語として日本語を推進しています」というセリフには、次のような補足が必要だろう。すなわち、ある社会が近代化(≒西欧化)するためには、科学技術や社会制度に関する先進的な知識が必要となる。その知識の修得のための言語が、日本語だったのだ。台湾総督府は、台湾人に日本語だけを強要し、台湾語を消滅させようとしたわけではない。自由、民主、科学、哲学、理想、信用、人格、住所、社会、労働力、政党、支配、経済、人民、共和、共産主義。これらはすべて明治の日本人が西欧語を翻訳して創造した熟語なのだが、当時の台湾語(あるいは北京官話でも)ではこれらの語彙を表すことは不可能だった。したがって、新知識を吸収するためには、日本語が不可欠だったのである。

 「らんまん」の中で、東京帝大植物学教室教授が部屋に入ってくると、ドイツ語あるいは英語で話し始める場面が見られる。これも、欧米の植物学のコピーから始まった、帝大式の教育スタイルではある。帝大ではドイツ語で授業をするのに、台湾では日本語を使うべきではないという。これは、現在の視点で歴史を裁こうとする態度だ。これもNHKの常套手段だと言っていい。

 中国に媚び、台湾を貶めるNHK。ああ、またか、と思うが、一応苦言を呈しておく。



 

 


アマゾン・プライムで見る「台湾アイデンティティ-」「台湾萬歳」

2023年08月20日 20時05分16秒 | 台湾

 酒井充子(あつこ)監督による台湾三部作のうちの二編「台湾アイデンティティ―」(2013年)、「台湾萬歳」(2017年)が、アマゾン・プライムで無料で見られるようになった。第一作「台湾人生」(2009年)とともに、台湾の「日本語世代」(日本統治時代1985-1945年に生まれ、日本語教育を受けた世代)の歩んできた道をたどり、彼らの心情を探り出し、さらに台湾の現代史、日台関係までも考えさせる秀作となっている。

 2009年、第一作「台湾人生」に登場する蕭錦文(しょう・きんぶん)さんとは、台北の「二二八紀念館」でお会いする機会があったが、その直後、映画「台湾人生」で再会するとは夢にも思わなかった。「台湾人生」は、私の歴史認識を大いに変えてくれたドキュメンタリーだった。当時、NHK特集「Japanデビュー アジアの一等国」が、日本統治時代の台湾を歪めて描き出し、「中共(=中国共産党)の意向を受けた制作意図だ」として大問題になった。その時感じたのは、巨額の制作費を投じ、「台湾総督府の文書を読み解いた」はずの「Japanデビュー アジアの一等国」が、実は台湾の日本語世代を裏切った、とんでもない番組だということだった。それにひきかえ、同時期に作られた「台湾人生」は、酒井充子さんが新聞記者から映画監督に転身し、背水の陣で映画製作に取り組みながら、日本語世代の台湾人にインタビューして、彼らの心情を見事に描き出していた。

 酒井監督のこの台湾三部作は、台湾に関心を持つ方々には必見ともいえるもの。一方、NHK特集は、台湾の場合だけでなく、いつも大げさな効果音とおどろおどろしいナレーションで国民を「教化」しようとするばかり。NHKのプロデューサー、ディレクターこそ酒井監督を見習うべきだろうと今なお思う。

 

『台湾アイデンティティー』予告編

台湾3部作の最終章!映画『台湾萬歳』予告編


インリンがお奨め「ニガウリ・ジュース」

2023年05月25日 10時21分34秒 | 台湾

 元タレントで台湾人のインリンがYouTubeを更新して、ニガウリ(苦瓜)ジュースの話題を伝えている。故郷である台湾に在住して子育て中、幸福な家庭を築いたようだ。昔のワイルドな雰囲気は消え去って、山の手の奥様という風貌なのが時の流れを感じさせる。

 本ブログのタイトルがニガウリであることから、インリンが紹介するニガウリジュースは見逃せない。
 創業23年という「苦瓜大王」のニガウリジュース!! 味はどうだったのか、下記の映像でどうぞ。

【激苦】台湾の苦瓜ジュースに挑戦!マニアックすぎるジュースのお味は?通りすがりの日本人にもすすめてみた!


95歳日本語世代! 伝説のおじいさんの老麺店!

2023年04月26日 09時15分20秒 | 台湾

 ゾロさんの「台湾グルメ」は、私のお気に入り番組。最新回は「日本人観光客ゼロ説!伝説のおじいさんの老麺店」(下記参照)。



 この番組の10:30から12:42の間に、95歳のご老人が登場。撮影月日は、去る3月30日。日本語世代(日本統治時代の台湾で日本語教育を受けた世代)は日々少なくなってきて、今や社会の最前線で働く姿は見られない。10数年前の台湾であれば、日本語が堪能な台湾人に接することも多かった。日本語世代の台湾人の特徴は、戦前の日本による台湾統治を肯定的に捉えていること。とりわけ、教育と法治主義を高く評価している。教育勅語を範とする公教育の普及、「内地」と同等の高等教育機関(台北帝国大学など)の設置、法律に基づく社会運営等々は、日本の敗戦後に台湾を占拠した「中国国民党」に比べれば、遥かにすぐれたものであった。言うならば、日本語世代の彼らは、日本が台湾社会の近代化に尽力した事実を身をもって知るが故に、日本及び日本人に好意を寄せてくれるのだろう。

 今や消えゆく寸前の日本語世代のご老人が語る言葉に耳を傾けるのもいいだろう。我々の知らなかった歴史の一面を教えてくれる。

 

 

【台湾グルメ⑤⓪⑦】日本人観光客ゼロ説!伝説のおじいさんの老麺店!


台湾・澎湖島で軍事訓練

2022年10月21日 13時15分05秒 | 台湾

 先日の中共党大会において、習近平は自らの権力基盤を固めるとともに、「核心的利益」とする台湾について、「武力解決を放棄しない」と宣言した。
 これを受けて、10月19日、台湾の離島・澎湖島においては、台湾軍(中華民国国軍)の実弾訓練が行われた。中共(中国共産党)による台湾侵攻が現実となれば、台湾海峡に浮かぶ澎湖諸島は真っ先にその標的となる。

 以前、澎湖島で現地の生活に触れたことのある私としては、あの豊かな島が戦場になるのは許しがたい。そんなことにならないよう、台湾の人々の気持ちに寄り添いたいと思う。「寄り添う」などという柄でもないのだけれど…。

 澎湖島の中心地・馬公には、日本統治時代に建てられた公共建築物が数多く残されている。その中には、迎賓館があり、畳の和室があったりする。皇族などの来賓を迎える施設だったそうだ。澎湖病院の旧館は、後藤新平の時代に建てられたものだ。県庁や警察署などにも日本時代の庁舎がそのまま残されている。中共軍がここを制圧したら、人々に対する残虐行為とともに、共産党お得意の”歴史抹殺””歴史捏造”で、日本統治時代の記憶は抹殺されるのだろう。そんなことにならないように、と願わずにはいられない。

 

澎湖鎮疆操演

台湾軍 離島で“実弾演習” 中国軍による進攻を想定(2022年10月19日)


明日(7月27日)安倍晋三氏は台湾に行くはずだった!!

2022年07月26日 15時58分22秒 | 台湾

 安倍元首相の暗殺事件に関しては、不可解な報道、情報操作が行われているようだ。何故か犯人の一方的供述ばかり報道され、安倍首相と統一教会との関係、国葬の是非といった側面ばかりが強調される。

 先ほど、王明理女史の出演する「文化人放送局」(下欄にリンク)を見て、安倍首相が存命であれば、明日、台湾を訪問する予定だったことを知った。単なる偶然なのではありえない、もうひとつの可能性を考えるのは、私だけなのか。

 陰謀説に加担する気は毛頭ないが、あまりに不自然な暗殺事件。

7/26(火)13:00~14:00【復刊!撃論ムック】西村幸祐×高山正之×さかきゆい×王明理


安倍氏逝去を悼む台湾の友人達

2022年07月12日 08時42分25秒 | 台湾

 台湾・高雄市在住の台湾人の友人から次のような「お知らせ」が届いた。



 きょうもまた、高雄市の「日本臺灣交流協会事務所」(=日本大使館に相当)では安倍元首相の死を悼む弔問客が駆けつけているのだろう。一般の市民が自然に弔問に訪れるという国は、台湾をおいて他にはないだろう。ある隣国などでは、喜んでいる人さえ多いのではないか。

 国内においても、マスメディアの報道ぶりはある種異様だ。海外メディアは「暗殺」「テロ」とはっきり言っているのに対し、「銃撃事件」としか言わず、犯人の「政治的意図」については曖昧にするだけだ。
 暗殺の動機に統一教会が絡んでいるという情報が流れると、安倍首相がこの団体と昵懇(じっこん)の仲だったかのように匂わすテレビ局も現れた。「朝日」は、「安倍首相の死で森友・加計の疑惑をうやむやにするな」とさえ言い出した。
 
 安倍首相の功績を正しく評価しているのは、むしろ台湾人をはじめとする心ある外国人ではないかと思えてくる。

 

 

安倍元首相死去、台湾官民が哀悼(トップニュース)/台湾

 安倍晋三元首相が8日、奈良市で演説中に銃撃されて死去したことを受け、蔡英文・総統は同日、国際社会は重要なリーダーを、台湾は重要な友を失ったと総統府を通じてコメントを発表した。総統府は、安倍元首相は世界で新型コロナウイルスが広がる中、日本政府の台湾へのワクチン供与を後押ししたほか、世界で政治経済情勢が変化する中、自由で開かれたインド太平洋地域を目指し、「台湾有事それは日本有事。すなわち日米同盟の有事だ」と発言するなど、日台関係の発展や台湾海峡の平和と安定に尽力したと追悼した。きょう11日は全ての政府機関や公立学校で半旗を掲揚し、哀悼と感謝の意を表する。中央社電などが伝えた。

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貴重な映像記録 !! 国策映画【南進台湾】全編 カラー版 昭和14年(1939年)

2022年06月21日 13時06分10秒 | 台湾

 台湾総督府が監修した国策映画「南進臺灣」(1939年)が、YouTube上でカラーで見られるようになっていた。白黒(モノクロ)画面では断片的に見たことがあり、また、台湾のサイトでは白黒版が見られるようだ。

 この映画が公開された1939年だが、同年9月にドイツがポーランドへ侵攻。これが第二次世界大戦の勃発となった。映画は、資源の乏しい日本が「南進」することで、各種資源を獲得でき、未来が拓けることを再三再四強調する。1940年6月22日、ドイツ軍はパリを占領、フランスは降伏。1940年9月27日、日独伊三国同盟締結。1941年12月8日、日本の連合艦隊が真珠湾攻撃、同時に日本の「南進」が実行され、仏領インドシナ半島(ベトナム)などを占領した。

 1939-41年の二年間で国際情勢は急変する。映画が作られたわずか五年後に日本が敗戦を迎え、台湾を「放棄」するなど、誰が予想できただろうか?もし、日本外交が巧妙、狡猾な術を有していたなら、「南進」を選択せず、日米戦争を避けられたかも知れない。ソ連=コミンテルンのスパイであったゾルゲ、尾崎秀実の謀略にまんまと乗せられてしまった近衛内閣。歴史にIFはないと言うものの、タイムマシーンができたなら、この時代に戻って、歴史の岐路を修正したいものだ、と思う。

 現下のウクライナ戦争で改めて思うのは、一独裁者の思惑一つで、無茶な戦争が始まってしまい、第三者は容易にそれを止めさせられないという事実だ。
 この映画で知るのは、日本の台湾統治は真摯かつ合理的な判断で遂行されたということだ。植民地の近代化という観点からは、欧米列強などよりもむしろ大きな功績を残した。その日本が、この映画の五年後、若者に神風特攻攻撃を命じ(特攻は志願であるという言い訳があるが、実質上の強制であることは疑いない)、戦艦大和は海の藻屑と化した。
 
 この映画は、戦前の健全な時代の最後の映像だったに違いない。二度紹介される鵝鑾鼻(ガランビ)灯台(帝国日本の最南端)には、この五年後、バシー海峡で米軍により撃沈された日本船舶(民間船や病院船も含む)の乗員の死骸で鵝鑾鼻の海岸は埋まった。
 歴史の機微を知るという意味で、実に貴重な映像だと思った。

 

国策映画【南進台湾】全編 カラー版 昭和14年(1939年)


東台湾にWeb散歩! 加路蘭休憩区 | 台湾東部海岸国家風景区

2021年09月14日 10時48分10秒 | 台湾

 コロナ禍で行くに行けない海外旅行。
 なかでも、私が再訪したいのが、花蓮(台湾)だ。東台湾(太平洋側)は急峻な中央山脈が海岸線まで迫り、延々と続く。耕地も、人口も極めて少ない。台中、台南、高雄といった大都市がある台湾海峡側とは、全く異なった景観が続く。花蓮は、日本人と原住民がともに作り上げた街でもある。

 ネット上で「台湾東部海岸国家風景区」の映像をいくつか見つけた。その中の「加路蘭休憩区」の風景は、東台湾の典型的な地形、景観を見せてくれる。24時間ライブ映像なので、夜間には素晴らしい星空が眺められる。大きな町がないので、本当の星空が見える。

 昼間の映像には、クルマで観光にやってきた人々が映る。はやくあの一人に加わりたい、と思いながら、景色を眺めている。水平線の右側にくっきりと映る離島は、トビウオ漁で生計を立てている原住民の島。あそこにも行ってみたいなあ、と。

【4Kライブカメラ】加路蘭休憩区 | 台湾東部海岸国家風景区


台湾マンゴーが発芽

2021年07月24日 11時07分28秒 | 台湾

 6月末、台湾の友人からマンゴー5kgが届いた。12個のマンゴーを家族で分けて、美味しくいただいた。みずみずしさ、香りの強さが、今までにないものだった。

 7月初めにマンゴーの種をひとつ、プランターに植えてみた。あとでネットで調べると、マンゴーの種は「水耕栽培」で育てるのがよいと書かれていた。なので、あまり期待をせずに、水やりは続けていた。

 3~4日前、プランターをふと見ると、チョコレート色の葉っぱが。約一か月たって、思いもかけず、マンゴーの発芽を確認した。さっそく、台湾の友人にもメールを送る。 
 さきほど、東京五輪のアーチェリーを見たら、台湾選手が登場していた。今回の五輪では、台湾(中華民国)の呼称を「台湾」と表記していることに気づいた。これまでは、「チャイニーズ・タイペイ」(中華台北)という呼称だったはず。東京五輪では、台湾の国際的立場が改善されたのならば、喜ばしいことだと思った。

 


蔡英文総統が「アメリカ大統領選挙」にメッセージ

2020年11月06日 09時38分21秒 | 台湾

 「蔡英文総統から”アメリカ大統領選挙について”台湾国民へのメッセージ」を「台湾の声」より転載いたします。
 これは、米国大統領がトランプであろうとバイデンであろうと、台湾の意思と理念は不変であることを確認している。



    王明理氏

 

蔡英文総統から「アメリカ大統領選挙について」台湾国民へのメッセージ(11月5日発表)

 

             台湾独立建国聯盟日本本部 王明理

 

アメリカ大統領選挙の結果について関心が高いのは日本でも台湾でも同じであるが、日本政府から国民に向けて積極的なコメントが無いなか、台湾では本日(11月5日)午後、蔡英文総統が国民に向けて談話を発表した。

コロナ対策において、台湾政府の対応の的確さや迅速さ、国民目線に寄り添う姿勢が高く評価されてきたが、本日のコメントからも、蔡英文総統の高いリーダーシップが見て取れる。

又、如何に台湾政府が緊張感をもって政治を行っているかも伝わってくる。

 簡単な日本語訳をつけたので、ご参考までに。

 

*       *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

アメリカは台湾の重要な同盟国なので、大統領選挙の結果については、誰もが関心を持っていると思います。

選挙結果が発表されるまで、政府も注意深く見守っていますが、この機会に皆にお伝えしたいことがあります。お友だちにも伝えて下さい。

1️. この期間中、私たちは台湾海峡の状況に細心の注意を払わなくてはなりません。周辺国家と緊密に連絡を取り合い、地域の平和と安定を共同で維持していきます。また、市場経済の安定した取引を積極的に確保し、国内の政治・経済環境を安定させます。

2️. 私たちは、米国政府、上院・下院、二大政党、シンクタンク、民間団体と緊密な関係を維持してきました。選挙の結果にかかわらず、これまでの関係性は変わりません。私たちは、これまでの基盤の上に更に台湾と米国の関係を深めていきます。

3. 昨日発表された武器売却の件も含め、このところ、台湾に対する友好的法案や決議がアメリカ両院で超党派の多くの支持を得てきました。選挙の結果、上院と下院の議席数は変わるかもしれませんが、台湾への支持は変わりません。

「台湾支持」はすでにアメリカの民意や超党派の共通認識になっていると確信しています。その上で、私たちは、台湾を支持するアメリカの民意の主流を更に強化し、共通の利益と価値観に基づいた台湾とアメリカの関係を促進して、さらに深めていけるよう引き続き努力して参りましょう。


【李登輝元総統の足跡】なぜ日本で李登輝ファンが多いのか?武士道と政治哲学

2020年08月14日 19時46分28秒 | 台湾

 李登輝氏逝去。日本のマスメディアは、一斉に李登輝氏を「台湾民主化の父」「親日家」と報じた。その表現を間違っているとは言わないが、何か違和感を感じるのは私だけなのか。
  
 台湾のTVニュースを見たら、台湾・桃園の李登輝氏の自宅にある書斎を映し出していた。「小図書館」と言っていいその部屋には、岩波文庫がずらっと並び、旧制高校及び帝国大学で学んだ教養の深さを物語っていた。「私は22歳まで日本人でした」としばしば語った彼は、物事を考えるときの言語はずっと日本語だったという。

 林建良氏(医師・台湾独立運動家)が李登輝氏という人物を次のように評している。「李登輝という存在は、ひと言で表現すれば、神様が台湾に与えてくれた宝物。しかもその宝物は「Made in Japan」なんです。「Made in Japan」の最高の日本製の日本魂の入った宝物を神様が台湾にくれた」と。数ある李登輝評の中で、これは実に的を射ていると感じた。

 興味ある方は、次の映像をぜひ。

【李登輝元総統の足跡】なぜ日本で李登輝ファンが多いのか?武士道と政治哲学


李登輝氏逝去

2020年07月30日 21時46分26秒 | 台湾

 台湾(中華民國)の元総統・李登輝氏逝去のニュースが伝わった。李登輝氏は台湾の日本語世代を代表する人物。蒋介石の国民党独裁時代を生き抜き、ついに自らの手で台湾の民主化を成し遂げた人。
 総統退任後、東京・日比谷公会堂で講演会が開かれた折、私もその姿、お話に接することができた。坂本龍馬の「船中八策」を採りあげ、日本という国の将来について憂い、励ましに近い言葉をいただいた。やや台湾訛りの強い日本語であったが、論理的で緻密なお話だった。さすが旧制高校、帝国大学で身に着けた教養にあふれていると感じた。



 李登輝氏は、大日本帝国と中華民国(台湾)という二つの国を生きた。日本が台湾から去った直後、蒋介石の国民党軍は台湾に上陸し、台湾の知識人階層の多くを問答無用に虐殺した。(228事件)このとき、彼は大陸から来た「支那人」の残虐さ、謀略性を思い知ったのだろう。農業専門家(農業経済学者)に徹して、国民党独裁体制の内部を生き抜き、最終的には総統(大統領)の座についた。総統として李登輝氏は、台湾の民主化を無血で成し遂げた。

 現在の台湾が「親日的」であることはよく知られているが、それを顕在化させたのは李登輝氏だったろう。国民党独裁時代の台湾は、40年近く戒厳令が敷かれたままで、台湾人が集会を開いたり、日本語でしゃべったりすることも禁止されていた。学校では「反日教育」が行われたが、子供たちが家に帰ると、親が「そんなことはウソだよ」と教えたという話が広く伝えられている。すなわち、社会の建前は「反日」であったけれど、当時の台湾人の多くが日本時代の教育を受けていて、蒋介石の「反日教育」を跳ね返すだけの知力があったということだ。李登輝総統は、台湾人日本語世代の「本心」を引き出した。

 韓国にも李登輝氏のような日本語世代がいたはずだ。京城帝国大学(現ソウル大学)卒業の朝鮮人エリートの中からは、ついに李登輝氏のような人物は現れなかった。それが台湾と韓国の決定的な違いだ。
 李登輝総統の登場によって、われわれ日本人も「日本が悪いことをした」というばかりの自虐史観から目を覚まされた。日本の台湾統治、朝鮮統治が、悪行の限りを尽くしただけというのなら、何故、李登輝氏のような人物が出現するのだろうか、と思うのは当然だ。

 いまは、李登輝氏が台湾に遺した足跡が、そのまま次の世代に引き継がれていくことを祈ろう。「台湾と日本は運命共同体」などというと、特定の政治的立場の表明のうように誤解されやすいが、「今日の香港、明日の台湾、明後日の沖縄」と言われるように、中共(=中国共産党)の暴虐は留まることを知らない。中共が台湾に手をかければ、真っ先に否定されるのは李登輝氏の政治的功績だろう。李登輝氏の足跡、人生そのものが、「無機質でニュートラルで」そして忖度ばかりの戦後日本へのアンチテーゼだったように、今は思われてくる。

前總統李登輝享耆壽98歲…晚間病逝台北榮總|三立新聞網 SETN.com


李登輝元総統が死去 97歳 台湾の「ミスター・デモクラシー」

配信

中央社フォーカス台湾
 

(台北中央社)
 李登輝元総統が30日午後7時24分ごろ、台北市内の病院で死去した。97歳だった。入院先の台北栄民総医院が発表した。 今年2月に自宅で牛乳を誤嚥(ごえん)し、肺浸潤(はいしんじゅん)が見られるなどで入院を続けていた李氏。ここ数日は容体の悪化が伝えられ、蔡英文(さいえいぶん)総統が29日、急きょ頼清徳(らいせいとく)副総統、蘇貞昌(そていしょう)行政院長(首相)と共に見舞いに病院を訪問していた。 1923年、日本統治下の台湾で生まれた。太平洋戦争中に台北高等学校(現台湾師範大学)を卒業し、京都帝国大学(現京都大学)農学部に進学するも、学徒出陣で旧日本陸軍に入隊し、日本で終戦を迎えた。 戦後は台湾に戻り、後に2度にわたり米国に留学。1968年に米コーネル大学で農学博士号を取得後、農業問題の専門家として当時の国民党政権に重用され、行政院政務委員(無任所大臣)や台北市長、台湾省政府主席、副総統などを歴任した。 副総統を務めていた1988年、蒋経国総統の死去により台湾出身者として初めて総統に就任。憲法改正で実現させた史上初の総統直接選挙(1996年)で当選して続投を決め、2000年に退任するまで12年にわたり総統を務めた。台湾の民主化に大きく貢献し、米ニューズウィーク誌から「ミスター・デモクラシー」と称された。 総統退任後は独立志向を鮮明にし、「台湾ファースト」を掲げる政党・台湾団結連盟の精神的指導者と仰がれた。近年は国家アイデンティティーの確立や市民社会の強化などを柱とした「第2次民主改革」の必要性を訴えてきた。大の親日家としても知られ、総統を退いてからは日本を計9回訪れており、2018年6月の沖縄訪問が最後になった。 (編集:羅友辰)