澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

東京五輪は中止に! けさ福島沖地震M7.4の衝撃

2016年11月22日 08時49分02秒 | 社会

 今朝、緊急地震速報の警報音で目が覚めた。

 TVをつけてみると、福島県に3メートルの津波警報が発令され(のちに、宮城県にも発令)、午前9時半現在、まだ解除されていない。

 幸い、大きな被害はない模様だが、Mixiには次のような書き込みが相次いだ。

やっぱり東京五輪なんて、ムリ、中止。 --- 福島県沖でM7.3の地震 白河市などで震度5弱 (アースサイエンティフィック - 11月22日 06:07)

私も同じこと思ってました、 テロがあったり、 地震、この世の中何が起こるかわかりません からね

同感です。首都直下型地震が万が一五輪中に起きても世界中の人達を巻き込みますし、それ以前に来たら建設中の関連施設のダメージ(特に選手村は埋立地ですから液状化ないし津波で水没)を受けることは避けられず2020年までに間に合わないことは確実です。やめる英断を下すなら早いほうがいいです。

莫大な税金投入するより被災者や経済的弱者支援に廻すべきですね。五輪など古代ギリシャより不正の温床でしかありません

 東京五輪の開催理由の一つは、東日本大震災復興だったが、実は、
原発事故の実態から国民の目をそらすためとも言われた。今朝の大地震、津波警報で、多くの人たちが3.11の悪夢を思い出し、東京五輪開催の虚しさを感じた向きも多いのではないか。

 猪瀬、舛添という、私利私欲に目がくらんだエゴイストが推し進めてきた東京五輪。五輪反対という声は、「復興」「絆」というきれいごとの前で、ことごとくかき消されてきた。
 小池新都知事は、前車の轍を踏まず、すべてを見直すそうなので、今朝の地震を肝に銘じてほしい。

 東京五輪で「おもてなし」…そんな呑気なことを言っている場合ではない。首都圏直下大地震は、いよいよ間近に迫っていると考える方が、まともなのだ。

 

 

 


「湾生回家」(台湾ドキュメンタリー映画)を見る

2016年11月17日 19時17分18秒 | 台湾

 先ほど、台湾映画「湾生回家」(黄銘正監督 2015年)を見てきた。
 週日、午後1時過ぎの岩波ホールは、ほとんどが高齢者、六~七分の入りだった。地味なドキュメンタリーにしては、予想以上の人出だと思った。



 映画の紹介については、公式予告編を下記に貼付したので、それを見ていただくとして、少しだけ感想を記したい。
 
 私が「湾生」(=日本統治時代の台湾で生まれた日本人)という言葉を知ったのは、知られざる東台湾~湾生が語るもう一つの台湾史(山口政治著 2007年)を読んでから。
 
 著者の山口政治氏は、出版当時でも85歳前後のご高齢であったから、今どうされているのだろうか。
 「東台湾」は、台湾島の太平洋岸を指す。台湾島には中央山脈が屹立していて、太平洋側と台湾海峡側との交通を遮断している。太平洋側の東台湾には、清朝の支配が及ぶこともなく(すなわち漢族の居住も少なく)「化外の地」と呼ばれ、主に台湾原住民が生活する領域だった。その東台湾の開発、近代化が進められたのは、日本統治時代(1905-1945年)だった。花蓮は日本人によって開発された町であり、多くの日本人が開拓者として移住した。その時代、台湾で生まれた日本人が「湾生」と呼ばれ、この映画のタイトルにもなっている。

 この映画の黄銘正監督は、ことし46歳。インタビューで「たちの世代は、学校で日本がいかに悪いことをしたかということしか教えられていなかったのですが、祖父母からは日本の負の側面については、ほとんど聞いたことがありません。もっとも日本がどうだったかという話はそんなにしませんでしたけど、それでも印象に残っているのはいい部分の話しばかりですね」と語っている。ここには、中国国民党独裁下の学校における反日教育と、彼の祖父母である日本語世代の日本認識との断絶がはっきりと示されている。台湾人本省人)の日本語世代が語り継いできた、肯定的な「日本」のイメージがあるからこそ、現在の「親日国家台湾」があるのだと言えよう。
 酒井充子監督の「台湾人生」(2008年)「台湾アイデンティティ」(2013年)では、その日本語世代の台湾人が激動の人生を語っている。

 この「湾生回家」(2015年)は、その酒井充子二作品へのオマージュともなっている。いみじくも、映画のパンフレットに酒井充子監督が「湾生と日本語世代」という一文を寄せている。



 全文を引用させていただいたが、何度か遠くからお会いしたことのある酒井充子監督なので、お許しいただけると思う。日本と台湾の双方から記録された映画の原点がここに記されているので、他に多くを語る必要もないほどだ。

 陳腐な表現ではあるが「日台の絆を改めて知らされる」秀作である。 


桐朋学園オーケストラ演奏会

2016年11月13日 20時26分05秒 | 音楽・映画

 桐朋学園オーケストラ演奏会に行く。「桐朋学園音楽部門の学生・生徒からなるオーケストラ」ということで、部分的には高校生(音楽科)も含まれているようだ。
 


 これまで、いくつかの大学オケの演奏会に行ったことがある。クラシック音楽を愛する気持ちは十分伝わってくるものの、こちらの心の琴線に触れるような演奏には出会ったことがなかった。だが、このオケはレベルが全然違う。

 プログラムは次のとおり。



 濱島祐貴作曲「 は闇に谺して for orchestra」は「本邦初演」だった。難解な現代曲というよりも、和風のリズム、うねるような音の流れに、そのまま浸ることができる楽曲だった。

 指揮者の中田延亮は「巨匠ジャン・フルネ最後の愛弟子の一人」だという。私は、その亡きマエストロ(ジャン・フルネ)が指揮する演奏会を6回ほど聴いたことがある。彼がフランス音楽を指揮すると、いつもの都響が別のオケのようになって、色彩感あふれた音を出すのを聴いた。その経験から、指揮者の中田延亮がラヴェル「スペイン狂詩曲」をどう表現するのか注目。桐朋学園オケは、緻密な弦のアンサンブル、色彩感あふれた管楽器、打楽器で、どう聴いても、プロの楽団とそん色のない演奏を聴かせてくれた。

 ブラームス第三番は、どちらかというと、明るく軽やかな演奏。というと、不出来だったのかと思われるが、そうではない。大昔、エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団による「ブラームス交響曲全集」が、ドイツ的な重厚さに欠けた演奏であると、評論家先生から酷評されたことがある。フランス的なブラームスは、ドイツびいきの方々のお気に召さなかったということなのだが、何と狭量な批評だったことか。この桐朋学園オケのブラームスは、どちらかというと、そのスイス・ロマンド的なサウンドなのかもしれない。指揮者である中田延亮の好みの音なのだろうか。だとすればこのオケは、指揮者の意図を完全に体現化できる、プロ顔負けのオケと言えるのかもしれない。

 若々しい音楽家が奏でるサウンドをそのまま受け入れ、心から楽しんだ演奏会だった。
 

 

 

 


「トランプ大統領」を予見できなかった人たち

2016年11月09日 20時55分22秒 | マスメディア

 米国大統領選、いざトランプが当選してみると、日本のマスメディアのいい加減な報道ぶりが際立った。



 私が知る限りでは、TVで「トランプ勝利」を公言していたのは、藤井厳喜木村太郎の両氏のみ。米国外交の専門家、米国通を自認するジャーナリストの大半が、クリントン優勢と言っていたのだから、彼らの専門知識、分析能力に疑問符が付けられて当然だろう。このことで連想したのが、1933年、日本が国際連盟を脱退したときの経緯。時の外相・松岡洋右は、世論の糾弾に遭うのを覚悟して帰国したら、提灯行列で大歓迎された。国際連盟脱退は日本の運命を分ける決断だったのに、国民はあっけなくそれを受け入れた。マスメディア(当時、ラジオはNHKのみ、新聞は「朝日」「読売」など)も賞賛の報道を行った。国際関係を洞察する能力の欠如は、今日に始まったことではないのだ。

 その木村太郎はTVで「トランプ大統領になって、米国が続けてきた”冷戦”が初めて終わる。12月15日、プーチン首相が来日するのは、極めて重要。冷戦後の新たな日露関係を構築するチャンス」だと語っている。
 安倍首相はトランプ当選の感想を求められて「日米関係は、普遍的価値で結ばれた揺るぎない同盟」だと応えた。普遍的価値とは、米国流民主主義を受け入れて、言論の自由、人権などが担保された状態を指す。だが、トランプ自身が明言した人種主義がその「普遍的」価値をぶち壊す可能性には触れていない。トランプがこじ開けた「パンドラの箱」に目を背けてはならないのだ。



 こんなとき、私たちは決して「地球市民」などではない、白人でもなく、英語も喋れず(すなわち、それは植民地ならなかった日本ということでもあるが)、一蓮托生の「列島人」(西部邁)であることを思い知らされる。

 国際関係の潮目が変わると、常に「バスに乗り遅れるな」とばかりに状況追随的に行動する日本人。その習性は今も昔も変わらない。

「ニュース女子」(11月7日放送) 藤井厳喜氏がひとり「トランプ当選」を予見