澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

ぜひ、見てほしい!!「墓場の鬼太郎」

2008年02月29日 01時56分24秒 | Weblog
フジテレビ系列で深夜に放送されている「墓場の鬼太郎」はオススメだ。

もう50年近く前、水木しげるが「貸本」(当時、貸本店が数多くあった)のために書いたのが、この「墓場の鬼太郎」だった。その後、大手の少年週刊誌に掲載されるようになって、タイトルが「ゲゲゲの鬼太郎」に変更され、キャラクターの画像もより明るいイメージのものに差し替えられた。

ところが、現在深夜枠で放送されている「鬼太郎」は、アニメのトーンも暗く、鬼太郎などのキャラクターもオリジナルに準拠したつくりになっている。お子様向きではなく、大人向きに戻ったわけだ。

生と死、その境界、妖怪や地獄、愚かな人間の欲望など、このアニメでなければ描かれないであろうテーマが取り上げられている。深夜の放送時間ということもあって、いろいろ考えてしまう番組になった。

最近、たまたま水木しげる先生を見かける機会があった。もう85歳くらいだろうか。まだまだお元気だという印象を受けた。ずっとこちら側の世界にいて、もっと画を描き続けていただきたいと思う。

エド・はるみの社会心理学的考察

2008年02月28日 11時34分29秒 | Weblog
異色お笑い芸人「エド・はるみ」が、ようやくブレークしている。
先日、あるTV番組で本人がバツイチであることを告白したが、その素性はあまり知られていない。

エド・はるみの存在は、実に今日的だ。結婚かシングル生活かの岐路に迷う、キャリア指向の女性達にとっては、このエド・はるみは、なにやら気になる、示唆的な存在に違いない。

美人で、プレゼンテーションなどの実務能力にも長けていそう。身近に上司としていてくれれば頼りになりそうな感じもする。
だが、マナー講座の講師を勤めていた本人は、表面的なマナー、形だけの人間関係を、「ぐー」の一言で笑い飛ばしてしまうのだ。
そのアンバランスがまさに絶妙なのだ。

これは本当にすごい…!!
ますます、エド・はるみに注目だ。
        (ここだけの話だが、その容姿は私の妻とうり二つなのだ…。)

ニューヨーク・フィルの平壌公演

2008年02月26日 23時22分43秒 | Weblog

ロリン・マゼールが指揮するニューヨーク・フィルハーモニックの平壌公演が注目を集めている。金正日が現れたかどうか、選曲に込められた意図とは何かなどいろいろ詮索がなされている。

 

かつてユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が中国を訪れたが、それは米中国交回復の兆しとなる出来事だった。今回はどうなるのか。

 

 今回の公演のスポンサーは、音楽家でもある日本人だそうだ。希望通り、音楽は世界を結ぶのかどうか…?

 

きょうは福田首相の発言が最も笑えた。彼はこう言っていた

 

「ほお、日本にも来てくれないかなあ」 だって…。

 

 


漁船は「民間」で自衛隊は「役所」?

2008年02月25日 22時58分14秒 | Weblog
ニュースショーを見ているととんでもない言説に出くわす。
古館一郎が「イージス艦あたご衝突事故」をめぐって「漁船は民間で自衛隊は役所」と言い放っていた。

バカのひとつ覚えで「官民比較」「役所批判」も結構だが、こと海難事故に関しては、単純な比喩は禁物だろう。
というのは、「板子一枚の下は地獄」と言われるように、船乗りは常に死と隣り合わせなのだ。千葉の漁協関係者の態度は、マスコミが自衛隊批判を扇動しているにもかかわらず、極めて冷静に見えた。これこそ海の男の本懐なのだと思った。

ただのおしゃべり男に過ぎない古館が、エラそうに自衛隊を批判するのを、海の男が「はいそうですか」と相づちを打つはずもなかろう。

漁民には海の男のプライドがある。自衛隊の役割を本当に理解しているのは、マスメディアではなく、海の男の方だと思うのだ。

笑って済まされないオバマ候補応援

2008年02月22日 12時00分17秒 | Weblog
またまたマスメディアのでっち上げだと思うが、福井県小浜市では米国大統領候補オバマ氏への応援が盛り上がっているという。

冗談ならまだしも、このトピックをさも面白そうに取り上げるメディアの神経にはとてもついていけない、
やはり日本は米国の51番目の州なのか?
それとも、日本人ってここまでダメになったのか?

あたご衝突事故のマスコミ報道

2008年02月20日 13時01分03秒 | Weblog
イージス艦「あたご」の衝突事故でTV各社は大騒ぎ。

行方不明となった漁師の息子はとても親孝行で、ホームレスの支援にも力を貸していたと報じている。まさに「可哀想に…」一色だ。
「あたご」を所管する防衛省に対しては、守屋前事務次官の例を引き合いに出して、格好のサンドバッグ扱いしている。

まだ、事故の詳細が解明されたわけでもないのに、こういう感情的な報道はいかがなものか?
「1500億円もした船が…!」などとワイド・ショウの司会者(大和田莫)が騒いでいたが、もういい加減にしろと言いたいところだ。

マスコミは北朝鮮のミサイル発射をもう忘れたのだろうか? イージス艦は、われわれの国を守るために必要ではなかったのか?


李登輝友の会・日台共栄のブログ

2008年02月19日 20時36分26秒 | Weblog
金美齢さん関連のブログを検索していたところ、「李登輝友の会」のHPに行き着いた。その中で、実に感動的なスピーチを発見した。

http://www.melma.com/backnumber_100557_4002995/

日本と台湾の歴史的な関係、日本の戦後民主主義教育の弊害など、これを読むと目から鱗が落ちる思いだ。

以下に、引用させていただくことにする。


《日本人であることに誇りを持って欲しい》

                    岐阜大学大学院生 黄慈[女亭]

 皆様、こんにちは。私は岐阜大学の留学生、台湾から参りました。黄慈[女亭]と申します。

 今日、この大会でスピーチの機会をいただき、大変光栄で、嬉しいと思っています。
日本語を習ってから2年半しか経ってないので、とても緊張していますが、どうぞよろしくお願い致します。

 では、今日は台湾の留学生として、私がみた日本について、お話をさせていただきたいと思います。

 台湾が昔は日本の植民地だったということは、ここにいる皆様は良くご存じでいらっしゃると思います。私のおじいちゃんとおばあちゃんも日本の教育を受けた人間でした。
おじいちゃんは私が生まれる前になくなったのですが、おばあちゃんから良く日本時代のことを教えてもらいました。そのため、小さい頃から私が日本という国や日本人に対して持っていた印象は清潔、礼儀正しい、誠実、プライドが高い、誇りを持つ人々、というイメージでした。

 しかし、日本のことについて私が中学校に上がったとき、当時の教科書には全部マイナスなことしか載っていませんでした。私は戸惑いましたが、最後は実際の経験者、おばあちゃんから聞いた話を信じました。

 なぜ教科書には全部マイナスのことしか書いていなかったかというと、当時の台湾政府の政策でした。でも、近年、台湾の政治状況が変わったことによって、教科書の内容も変わりました。日本政府が台湾を統治した50年間の建設や貢献をちゃんと教科書に書いて、子供達に教えるようになりました。

 私達の世代が、日本について学校で習っていないことはおばあちゃんたちが教えてくれました。現在の若者や子供達は教科書で習っています。だから、多くの台湾人は中国人と違い、日本という国に対して、感謝そして尊敬、親しい気持ちをすごくもっていま
す。

 去年の夏休み、私と同じ岐阜大学の研究室の3年生4人が台湾にいきました。私はいろいろな所を案内しました。ある日、台湾の九[イ分]というところで民宿に一泊しました、そこのオーナーさんはすごく親切で、昔、日本人が金鉱を掘るため、九[イ分]にやってきて、まちを作り、水道を整備して、九[イ分]の台湾人と兄弟みたいな関係で生活していた、と私達に話してくださいました。

 また、同じ去年の夏休み、日台青年交流会が台湾で開かれました。日本の大学生15人が台湾に1週間滞在し、最後の日に討論会を開きました。討論会で、日本の学生はこう言いました。

 台湾の土地改革、貨幣の統一、交通や上下水道の整備、農業の近代化など、いろいろな建設を昔の日本人がしたことを初めて知りました。しかも、台湾人が今でも大事にして、日本を感謝している気持ちも初めて知りました。

 台湾が50年間日本の植民地として存在していた歴史が日本の教科書に載っていなかった。私のおじいちゃんの世代の人々は、当時の自分は日本人だと思っていたかもしれないのに、日本の教育はその歴史についてなにも書かなかった。そんな素晴らしい建設を残したにもかかわらず、若者達に何にも伝えなかった。

 私は本当にショックを受けました。

 そうした歴史があって、台湾にとって日本は兄貴のような尊敬している存在でした。
世界中どこを探しても、日本に対して、こんなに親しみを持つ国は、ほかにないと思います。今の台湾は国連に加盟しておらず、日本政府も国と認めていませんが、われわれの世代は台湾の正常化を望んで頑張っています。

 私が日本に来てそろそろ3年目に入ります、本格的に日本人の生活環境に入りこむと、私が見た日本社会や接触した日本人は台湾の年寄り達が言っていたイメージとは少し違っていました。

 まず、電車に乗るとき見たホームの床に座り込んだ高校生達、電車の中で化粧する女性たち、席を譲れない若者たち……「あれっ」と私はびっくりしました。もちろん、昔のように日本の伝統、文化、精神を守って、礼儀正しく、日本人として誇りを持っている人達もいますが、どうも若者達の世代にはそれがないような気がしました。

 研究室の3年生4人は、私と知り合う前に全然台湾のことを知りませんでした。でも、台湾でそういう歴史を聞き、彼らは日本人ってこんなに素晴らしい、台湾人に尊敬されている人間だということに気がつきました。そして、自分が日本人であるという自信や誇りを持つようになりました。

 戦後の日本人は、何か気概や自信を失ってしまったような気がしますが、これからの日本は昔の日本の精神、文化、歴史を大事にして、今よりもっともっと強くなって自信や誇りを持って欲しいと思います。

 最後に大好きな日本の国にお祝いの言葉を送りたいと思います。お誕生日おめでとう
ございます。

 ご清聴ありがとうございました。

金美齢さんの気骨

2008年02月18日 23時56分39秒 | マスメディア
「たけしのテレビタックル」が「中国とどうつきあうか」という特集を組んだ。

金美齢さんが出演したので興味深く見ていたが、「私は20年以上も中国製品は一切使っていない。口にしたことなどない!」と発言していた。

中国の正体を熟知する金氏なので、日本の政治家のふがいなさにも言及していた。かつては「台湾独立派」として台湾政府からも迫害され、戦い続けた不屈の闘士の発言だけに、まともに反論できる政治家はいなかった。

重大なテーマなのに、バラエティとしてしか放送されないのは残念なことだ。平和ボケ日本は、中国から見れば赤子のような相手に違いない。

パーシー・フェイス楽団コンサート

2008年02月18日 12時57分16秒 | 音楽・映画
6月に来日公演を行う「パーシー・フェイス楽団」(The Percy Faith Orchestra)のチケットを購入した。
「グレン・ミラー」「ペレス・プラード」「アルフレッド・ハウゼ」「マントヴァーニ」「レイモン・ルフェーブル」「ポール・モーリア」など、往年のマエストロ(バンドリーダー)の名前を冠した楽団が、次々と日本を訪れているが、中には内容が伴わない(つまり、音楽的に下手な)楽団も含まれているのだ。

私の経験では、この「パーシー・フェイス楽団」は、「アルフレッド・ハウゼ」と並んで、安心して楽しめるコンサートを開いてくれる。
どの楽団も日本コンサート用の臨時編成なので、指揮者やプロデューサーの熱意によって、その演奏に大きな違いが生じる。物見遊山気分のメンバーでは、良い演奏はできないのだ。

これまで聴いた「パーシー・フェイス楽団」は、マエストロの遺志を引き継いで素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
チケットは今日発売日。まだ売り切れというわけではないので、ぜひいかがですか。

言葉狩りの愚かさ

2008年02月15日 10時43分26秒 | マスメディア
テレビ朝日系「報道ステーション」で古館一郎が「アダルトチルドレン」という言葉を誤用したとして、視聴者に謝罪したそうだ。私自身は、この番組が嫌いなので見ないが、ああだこうだとうるさい視聴者が多いのだろう。

先日、「ジプシー」を「ロマ」に言い換えろという話を取り上げた。これは身近な話なので、英国人の執筆者に確認してみた。その返答は次のとおりだった。

The word "gypsy" is not an offensive or insulting word in English. The word preferred now is "Romany" but "gypsy" or "gipsy" (it has both spellings in English) has been in use for many, many years. It describes those travelling people who are scattered throughout Europe and North America. It comes from the word Egyptian (meaning someone from Egypt), as it was originally mistakenly thought that these people came from Egypt.

つまり、アメリカ・インディアンと同じ様な使い方をされた次第なのだ。

「ジプシー」は日本人にとって遙か遠い存在なのに、それは差別語だから「ロマ」に言い換えろと主張する日本人がいることに違和感を覚える。そういう人たちは、「報道ステーション」でも週刊誌でも、何か「差別語」はないか、と血眼になっているに違いない。ある種の正義感か、ひねくれた趣味で「言葉狩り」を楽しんでいるのではないかとさえ思えるのだ。

英国での「ジプシー」の使い方は、上記の説明にもあるように、いたって寛容なのだ。欧州から遠く離れていて、ジプシーとは何の関わりもない日本人が、何故、英国人より過激な言葉の自己規制をするのか、私には理解できない。

大ざっぱに捉えると、これは文化受容の問題なのだと思う。海の彼方から新しい文化(武器でも陶器でも思想でも…)を受け入れてきた日本人は、まず最初に海外の情報を得ることがその道で成功する秘訣であることを、無意識的に熟知しているのだ。海外で「ロマ」だ言えば、真っ先にそれに飛びつき、未だ「ジプシー」と言う人を「遅れた人」として偉そうに批判できるという訳だ。

「言葉狩り」の愚かさをまたまた感じた。


アンコール・ワットへ一人旅

2008年02月14日 12時30分21秒 | Weblog
知り合いの学生がアンコール・ワットへの一人旅を予定している。

7年前、私が訪れた時は、シェムリ・アップの街は外国人向けのホテルも少なく、治安も良くない様子だった。

今回、その学生は、バンコクからシェムリ・アップまで空路で行き、シェムリ・アップでは出来るだけ安い宿に予約なしで泊まりたいという。
宿泊先からアンコールワット遺跡まではバイク・タクシーしか交通手段は無いのだろうか? また、離れた遺跡には、バイク・タクシーで行っても、トラブルは無いのだろうか?

これ以外にも注意すべき点は?

これらの点についてご存じの方は、ぜひお教え下さい。

姜尚中と辛淑玉

2008年02月13日 18時21分53秒 | マスメディア
姜尚中がラジオの生番組に出ていた。
この男の二面性についてはすでに何度も触れたが、今回の番組では「学生時代、自分は”反共”だった」と話していたので、またでまかせを言っていると思った。さらに、玄界灘に日韓トンネルを掘るべきだなどと主張していたが、まさかトンネルを「トロイの木馬」としようと考えてるのではないだろうな…。

彼が一般向けに書いている新書本の類は、すべてかつての「岩波文化人」を踏襲したものに過ぎない。大衆より一段高いところから、「ご高説」を説くというパターンだ。”愚かな”大衆には、現実的な議論よりも「かくあるべき」という主張が最も効果があるのだ。
今や東大出身の優秀な学者は、「岩波文化人」などになろうとしないので、出たがり屋で”外様東大教授”の姜にお鉢が回ってきたのだろう。

姜尚中の「素敵な声」(山本モナ)というのは、詐欺師に通じるところがある。すべての詐欺師は弁舌爽やかなのだが、姜にはそのテクニックを知り尽くしている節がある。普段の生活では、ああいう話し方はしていないのだそうだ。

辛淑玉という在日の「経営コンサルタント」がいる。驚くことに、この女のしゃべり方が姜尚中にそっくりなのだ。ふたりは近隣の国の特殊機関で、人心掌握術の訓練でも受けたのではないかと疑うほどだ。

この二人に共通するのは、在日の立場をとことん利用して、「反日的」日本人を多数育成することだ。祖国を愛することもなく、利己主義のみを追求する日本人こそ、彼らの望む姿なのだ。
「平和」「人権」「弱者」等、彼らが説く、美しい言葉には、鋭いトゲがあることを忘れてはなるまい。


NHK擁護論

2008年02月12日 13時11分41秒 | Weblog
橋下・新大阪府知事が、NHKとトラぶっている。NHKは「黙っていても金が入ってくるからダメなんだ」といきまいているそうだが、そんなに単純な話だろうか?

先日、NHK・BSで再放送された「世界が見たニッポン」を見ていたら、明治の近代化以降、我が国が抱えていた諸問題が実によく分かった。歴史に興味がなくても、十分に理解できる素晴らしい内容だった。この番組の視聴率が何%あったのか知らないが、民放ではとても作れない番組であることは確かだ.

民放と言えば、お馬鹿タレントを揃えたバラエティ番組が花盛り。制作者に訊いてみたいものだ。「心の中では電波の無駄遣いだと思っているでしょう?」と。
民放は都合のいいときだけ「報道の自由」などといきまくが、普段は視聴率のためにクズのような番組を制作しまくっているのだ。橋下知事も、そういうクズ番組で名を売った一人ではないか? 全く、よく言うよ…と思う。

NHKの皆様におかれましては、怪しげな「民営化論」などに振り回されずに、信念を持って番組を作っていただきたい。最近の夜の番組は、民放に似てきたので、要注意だが…。

ジプシーは差別語か?

2008年02月09日 08時55分30秒 | 社会

最近、Vocalion社(英国)からマントヴァーニのアルバム「ジプシー・ソウル」がリリースされた。「チャルダッシュ」など、ジプシー音楽に由来する12曲を集めた、素晴らしいアルバムだ。

 

1970年にリリースされたアルバムのCD化なのだが、ジプシーという言葉はそのまま使われている。日本では、「言葉狩り」ともいえる状況があって、ジプシーという言葉は、「ロマ」と言い換えるように指導が行き届いているようだ。


 

先日、ある音楽原稿を翻訳者に頼んだところ、「ジプシーは現在ロマと呼ばれているので、そのまま使うかどうか確認してほしい」と原稿に注釈が付けられ、こちらに下駄を預けられたかたちになった。
確かに欧州では、「ロマ」という言葉が、ジプシーに取って代わりつつあるようだ。ジプシー自身が自らを「ロマ」と呼ぶのだから、ジプシーと呼ぶのは差別ということなのだろう。だが、「ジプシー音楽」「ロマ音楽」と呼べというのは、あまりに行き過ぎだ。歴史的呼称としてのジプシーは、むやみに変更してはならないのだ。


 

「言霊」に敏感な日本人は、ある言葉が差別語と指弾された途端、数々の言い換えを用意してきた。心当たりは沢山あるに違いない。
他方、前述のCDに見られるように、英国では「差別語」の取り扱いが、日本とは異なるようだ。
私自身は、「ジプシー音楽」は「ジプシー音楽」なのであって、「ロマ音楽」としてなど聴きたくはない。したがって、この問題では、英国の対処のほうがオトナでまともだと感じた。

もし、この「ジプシー・ソウル」(ジプシーの心)を聴いて、これは差別音楽だとでも言うなら、私はそのクレーマーの心の貧しさを嘲ることだろう。


謝らない中国人(中国毒餃子事件)

2008年02月06日 22時14分31秒 | Weblog

中国毒餃子事件の展開を見ていると、中国人の特性をつくづく感じる。


彼らは絶対に謝らない、言い換えればいかなる場合でも、非を認めようとはしないのだ。これは、戦前でも、文革期でも決して変わらなかった中国人の生来の体質なのだ。
現時点で中国当局は、「日中関係を壊そうとする一部分子の仕業」というような表現をしているが、その分子が何国人かについて言及していない。これは、中国人から見れば、ある種の譲歩を示したことになるのだろう。



中国人の子供同士のケンカも同様だ。決して手を出すことはないが、周囲の人間に対して自分の正当性を主張してわめき散らす。最初に謝った方は、すべての罪を着せられるので、必至に言い返す…。この繰り返しなのだ。


文化大革命の時期には、職場単位で密告、告発が横行した。
その暗黒の経験が、さらに中国人をしたたかにさせたのかも知れない。謝ったら最後、自分の存在さえ否定されかねないので、ウソをついてでも、我が身を守ろうとする訳だ。


煮ても焼いても食えない中国人…。
こういう隣人とつきあうには、朝日新聞が主張するような「相互理解」「話し合い」ではダメなのだ。ときには毅然たる態度が必要なのである。

 

 1月30日の事件発覚以来、中国政府高官が故意の犯行の可能性に言及したのは初めて。中国側も残留農薬が原因ではなく、故意の混入事件との見方を強めていることがわかった。ただ、魏副総局長は「分子」が日本人なのか中国人なのかなど具体的見解は明らかにしなかった。

 日本政府が派遣した調査団は5、6の両日、ギョーザの製造元「天洋食品」の工場のある石家荘市を訪れ、工場の製造・包装工程を視察したほか、省検疫当局、市公安局などと協議した。調査団によると、工場内部は「清潔で管理も行き届き、特に異常はなかった」という。

 一方、日本へのギョーザの輸入を担当した商社「双日食料」は6日、天洋食品工場での立ち入り調査を中断することを決めた。地元当局による調査を優先することを理由に、工場側から自粛を求められたという。