「ナントカ還元水」などと揶揄していたマスコミも一転して「ご冥福を祈ります」という論調に変わった。
自民党の一部では、参院選挙を「松岡の弔い合戦」だという意見も出ているそうだ。勘違いも甚だしいと思うのだが、現実には自民党にプラスになるのかもしれない。
松岡氏は、旧農林省のキャリアだった。40歳を過ぎてから、安倍首相の父親・晋太郎氏から政界入りを促されたという。安倍首相は恩人のお坊ちゃまなのだ。彼は、これ以上お坊ちゃまに迷惑をかけたくなかったのかも知れない。
一介の役人が政界入りするには、人脈、金脈に恵まれなければならない。自民党の衆参議員の半数以上は、二世、三世の世襲議員だ。そこに割り込むためには、彼なりの手法と努力を重ねたに違いない。鳥取大学卒という彼の経歴からみても、中央官庁では”傍流”の悲哀を味わったはずだ。そういうハンディキャップを乗り越えるパワーを持った人だったのだ。
弔意を述べる安倍首相の表情は、冷静で淡々としていた。お坊ちゃまは、苦労人の気持ちが分からないからなのか、それとも悲しみをこらえていたのだろうか。
相変わらずのメンバーで、特に目新しい議論もなかったようだ。「電波芸者」田原聡一朗の司会にも飽き飽きだし、出演した政治家のうさんくささには、以前にも増してうんざりした。特に辻元清美のバカさ加減には辟易とさせられた。このおばさんは「第2の土井たか子」になるね、間違いなく。(褒めているのではありません。念のため…。)
さて、肝心の姜尚中センセイだが、今回は激することもなかった。論敵が不在だったからだろうか。
「東大教授(政治学)」という肩書きをフルに利用して、国際問題や民族問題などさまざまな分野で”言論活動”を行っているが、彼の本当の専門は政治思想史なのだ。それもドイツか何かの政治思想だ。地域研究や国際関係論は、専門外のはず…。もったいぶった話し方が、政治家とはまた違った、うさんくささを漂わせる。
政治思想史を専門とする東大教授が、これほどまでにマスコミにしゃしゃり出た例を、私は知らない。本来、政治思想史という分野は、俗世間とは一定の距離をおいて、静かに研究する学問ではなかったか。
「出自」を都合よく利用して、「在日」「エスノ・ポリティックス」などと叫ぶ、このセンセイ、本当は「目立ちたがり屋」の最たる者ではないか。
姜尚中を重用するマスコミの姿勢にも問題がある。一部では、カメラ目線で、もったいぶったあの喋り方に人気があるのだそうだ。だが「東大教授」という看板とテレビ受けするという理由だけで、さして内容のない話を聞かされる視聴者は、いい迷惑だ。
それにしても東大教授の「権威」は、地に落ちたものだと思う。
彼を、「在日」で「私大卒」の「東大教授」という、モノ珍しさが「売り」のタレントと考えれば、さして腹も立たないが…。
東国原知事が「裏金」問題で謝罪した。
県のある福祉施設で、消耗品費の年度末残高を業者にプールさせ、次年度にまたがって消耗品を購入していたという。
前知事の汚職問題に端を発して、「裏金」が問題となり、やっとここまでたどり着いたのだろうが、はっきり言って枝葉末節の事件だ。行政組織の末端(現場)では、こういう経理操作はかなり行われていたことで、たまたま発覚してしまったに過ぎない。
現行の会計事務制度では、どうしても「現場」にしわ寄せがいく。予算を配付する側は、数的管理だけを行って、「現場」を「指導・監督」してさえいればいいのだが、「現場」はそうはいかない。「鉛筆が足りない」と言われたら、買わないわけにはいかないのだ。そこで、今回のような「工夫」が考えられる。
今回の「事件」で県当局は、当該福祉施設の責任者を「懲戒処分」にして済ませようとしているが、これはトカゲのしっぽ切りに過ぎない。最近どこかであった「不適切な経理」と同じことだ…。
幸い東国原知事自身は、「現場」での矛盾を認識しているようだ。週数日しか出勤しない、どこかの「独裁者知事」とは違うようなので、まだ救いはある。
発芽するのかどうかわかりません。どなたか経験のある方は、教えてください。
突然、「ニガウリ」から、世俗にまみれた話題になって恐縮…です。
朝のワイドショーを見るようになって、「これはひどい」と感じたことがある。キャスターやコメンテーターが、さも当然のように「人権」という言葉を多用する。その乱発の裏に、私は、マスコミの傲慢と取材のいいかげんさを感じてしまうのだ。
昨日、東大教授のA氏(憲法専攻)が痴漢容疑で逮捕されたことが、ワイドショーでは微に入り細に渡って報道された。「朝刊早読み」のようなコーナーでは、スポーツ紙の記事をそのまま読むだけで、まさに情報の垂れ流し状態。
A氏を擁護する気は全くないが、東大教授であったことが彼の最大の不幸だったと言えよう。本人が容疑を認めたと報道されているが、先般ヒットした映画のように、まだ冤罪である可能性は残されている。それをプライバシーを含めて暴かれ、「東大教授が…」というように興味本意で報道されて、彼の学者生命は絶たれてしまった。万が一冤罪だとしたら、マスコミは何か責任をとるのだろうか。結局、「報道の自由」を楯にとって、逃げてしまうのではないか。
この教授と同じ日の新聞に、国税庁職員が痴漢と報じられていた。これだけ大きく報じられるのは、公務員叩きの一環なのではないかと勘ぐってしまう。痴漢なんて沢山いるはずなのに、なぜこういう採り上げ方をするのか…。
マスコミの恣意的な報道は、上記のような刑事事件にとどまらない。行政サービスの問題については、一方的な報道をするケースが多い。
例えば、行政に不満を持つ当事者が、「市民の声」と称して、その不備をマスコミに「直訴」する事例も多い。「市民の側に立った」センセーショナルな報道の結果、事実とは異なる「事件」とされてしまうこともある。
そうなると、役所は「組織防衛」に必死である。特に、マスコミが報道した「事件」の場合、その防衛本能は極限までに達する。行政組織は、マスコミ報道には極めて弱い。考えることはただひとつ、責任が上層部に及ばないようにすることだ。組織上の問題点は棚上げにして、冗漫な「調査」を続け、トカゲのしっぽ切りのように現場職員の「懲戒処分」を行う。その他、あらゆる手段を用いて「逃げ」を図るのだ。
マスコミにも役所にも欠けているのは、真の意味での「当事者意識」だ。
図鑑で調べると、その鳥は「ワカケホンセイインコ」。東京工業大学のキャンパスにもねぐらを持っていて、東京に数千羽は生息しているようだ。
我が家に寄生する猫が、亜熱帯の鳥を捕まえた…。まさに、地球温暖化を象徴する出来事(?)だった。
お店などでは、もっと成長した苗が売られていますが、東京の露地ではこれがやっとです。
ことニガウリに関しては、暑い夏が待ち望まれます。冷夏では、収穫が半減してしまいます。
”発芽競争”に勝利した種子なので、さぞかし立派なニガウリがなると思われるかも知れませんが、これまでの経験では、その後の生育状況は必ずしも良くないのです。
そこで、やはり毎年、新しい種を手に入れてプランターに蒔くという作業を繰り返しています。
昨日、ラジオのある番組で、鈴木史朗アナウンサーが「シャルメーヌ」(Charmaine)を紹介し「流れ落ちるような弦の響きをお聴きください」と話していた。
これはサイレント映画「栄光何するものぞ」のために作られた古い曲で、マントヴァーニ楽団の演奏により大ヒットした。もう50年以上も前のことだ。彼のコンサートでは、必ずオープニングに使われる「楽団テーマ」曲でもある。
この曲をはじめとして「グリーンスリーブス」「孤独なバレリーナ」「ラ・ロンド(輪舞)」「ワイオミング」などのヒット曲を網羅した、マントヴァーニの最高傑作「ワルツ・アンコール」(Waltz Encores 1958)が、このほどVocalion社(英国)からCDで再リリースされた。
早速聴いてみると、往年の「カスケーディング・ストリングス」(Cascading Strings)が、鮮やかに蘇ってくる。部屋中が甘美でノスタルジックな響きに満たされた。
「エレベータ・ミュージック」とか「歯科医院の音楽」と毛嫌いをする向きもあるが、実はクラシック音楽に根ざした、かなり質の高い音楽なのである。
ぜひ、多くの方々に聴いていただきたいアルバムだ。