澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「豊洲市場」を語る二人の都庁OB

2016年09月25日 08時52分02秒 | 社会

 先日、都庁に勤めていた知人と偶然に遭ったので、お茶を飲みながら世間話。その中で、興味深いエピソードを聴いた。
 
 小池新知事の登場がなければ、豊洲市場移転問題がこれほど注目されることはなかっただろう。ましてや、TVワイドショーで連日、都政があれこれ”論評”されるなんて、前代未聞の出来事ではないか。
 
 この豊洲問題や都政の解説をしているのが、青山 佾佐々木信夫という「都庁OB」の二人。

 
青山 佾(やすし)明治大学教授(元・都副知事)

 TVで見る限りでは、青山氏の解説は中庸で分かりやすく説得力がある。知人によると、この人は東京都の管理職試験A(当時)を2番で合格したエリート。元都議会議員・元中野区長・青山良道(故人)の長男。中大法卒という学歴は都庁では主流の学閥なので、まさに都庁の「王道」を歩む素地があったと言えよう。

 この青山氏が「朝日」の「耕論」(6月16日付)に書いた記事に対して、次のような批判が寄せられているのを見つけた。

この中で、青山佾元都副知事は、「都知事の権限は大統領なみ」ではない、なぜなら、都庁には「競争試験をくぐり抜けて採用された」都職員がおり、「知事と議会と職員はそれぞれ独立した存在」なのだと仰います。
そして「舛添さんはそうした都政の仕組みを理解せず、大統領のように何でもできると思っていた」と批判されます。」 (「朝日新聞 青山 佾元都副知事の珍説」~久元喜造のブログ

 つまり、このブロガーは「都庁には「競争試験をくぐり抜けて採用された」都職員がおり、「知事と議会と職員はそれぞれ独立した存在」という点に違和感を抱いているようだ。もし、この競争試験が「採用試験」だけでなく、むしろ「管理職試験」のことを指しているのだとしたら、その違和感はさらに広がる。錯覚なのか、あるいは傲慢なのか、成功者は「自分が付与された権力と自分の能力は完全に見合っている」と思いがちだ。青山氏は、都には公平な競争試験があり、自分はその試験を堂々と合格して、副知事まで上り詰めたと言いたいのだろうか。だが、今回の「豊洲問題」に関わった五人の中央卸売市場長(局長級)が地下建造物を知らなかったと言い張り、石原都知事が局長に対して「黙れ!」と一喝すれば、皆すごすごと引き下がるだけだったという話を聞くと、「高級官僚(局長)の自負、プライド」ごときものは政治家には全く通じないと分かる。青山氏は「あるべき都職員像」について、数々の著書、指南書を著し、多くの職員を啓蒙してきたと聞く。だがそこには、「権力者に対しては卑屈になれ」そして「面従腹背せよ」という処世術は書かれていないだろう。が、実は、これこそ組織のトップを狙うものに必須の処世術。青山氏自身は、自らの優位性(父親、学歴)を活かしつつ、きっとそうやって副知事まで上り詰めたに違いない。

 一方、都政そのものを「行政学」の「研究対象」として、大学教授のポストに就いたのが、佐々木信夫中央大学教授。


佐々木信夫 中央大学教授

 この人は、都庁の主任(係長の下のポスト)のころ、週末には東北福祉大学非常勤講師として仙台まで通っていたというから、学者志向が極めて強かったのだろう。官僚組織の中では、異質の「目立つ」存在であったから、管理職試験には受からなかったと聞いた。まさに「出る杭は打たれる」だ。

 都庁というところは、小池知事が言うように、まさに無責任な組織。トップの局長が老残の元知事の真似をして「知らぬ存ぜぬ」を決め込み、「豊洲問題」の責任をすべて「現場」に押し付けるのなら、「もう一つの政府」(佐々木信夫)どころか、田舎の村役場と大差ないではないか。

 以上が知人から聞いた、苦い茶飲み話だった。
  

 

 

 

 


巨大アナゴ天丼を完食

2016年09月15日 11時32分33秒 | 散歩

 「巨大アナゴ天丼」を食べに、はるばる東京都国立市へ。大学通りには、あの一橋大学が鎮座している。私は、この歳になって初めて、この大学の構内を歩いてみた。兼松講堂をはじめ、大学構内の建物は歴史の風格を感じさせるものばかり。あのSEALDsの奥田愛基がここの大学院社会学研究科に入学したのを思い出して、あの男がこんな場違いなアカデミックなところに入って大丈夫なのか、他人事ながら心配になった。何しろ、奥田の出身大学と一橋大学とでは、偏差値で20以上の「海溝」が横たわっているのだから…。

 そんなことはさておき、お目当ての店は、「深川つり舟」。JR国立駅から徒歩で5分程度。ここの「アナゴ天丼」が巨大で美味しいと書かれていたので、いつか行ってみたいと思っていた。


   深川つり舟」のアナゴ天丼(1,350円)

 一目瞭然、巨大なアナゴ天丼。全部食べられるかどうか心配になったが、ご主人が「食べられなかったら、お持ち帰りにしますよ」と言ってくれる。親切でアットホームな雰囲気の店だ。
 結局、若干の衣と少しご飯を残したものの、アナゴ天ぷらは完食。しつこくもなく、アナゴ特有の臭みも感じなかった。価格も味もリーズナブル。特に若い人にぴったりかも。

 食事後、一橋大学の構内を散歩。どう考えても、奥田愛基に相応しい場所ではないと思った。ああ、また書いちゃったけど…。


一橋大学構内を初めて散歩 
 

 


台風前にちょっとお散歩…

2016年09月07日 19時58分24秒 | 散歩

 今年は列島に上陸する台風が多いようで、TV・ラジオは連日大騒ぎ。明日、台風が来るそうで、文字通り「嵐の前の静けさ」なのかも知れないが、今日はずいぶんといい天気だった。

 そこで、ちょっと散歩。久しぶりに水田を見に行ったら、稲穂が色づいていた。空の高さも、もう秋そのもの。

 


高畑淳子の大学受験

2016年09月06日 13時13分38秒 | 社会

 ごく最近、「ヤフー知恵袋」に「高畑淳子が早稲田大学を合格していたら、絶対早稲田に行っているはず」とする質問が掲載された。

「高畑淳子は早稲田受かっていたら早稲田入学して演劇部に絶対に行っているはず。ですよねという事は早稲田大学文学部合格も嘘なのでしょうか?高校は香川県のトップ校高松高校だったので普通ならば早稲田合格でおかしくないですが、もし嘘ならあの記者会見も嘘かもしれません。あの記者会見を見て正直思った事は一つだけやはり高畑淳子は演技うまいなだけです(>_<)」

 息子が犯罪を犯したため、以前からの高畑淳子の言動が蒸し返されているようだ。彼女は、TV番組や雑誌のインタビューで「お茶の水女子大、慶応、東女を受かったのだが、演劇がやりたくて桐朋短大に進んだ」と何度も応えている。私もTV番組で同じように話すのを聴いた記憶がある。ネット上では、上記三大学に加え、早稲田、津田塾にも合格したと書かれている。ある業界誌のインタビューでは、本人が「学校に指示されて受験したお茶ノ水、早稲田、慶応、津田塾、東女にはすべて合格しました」と明言している。



 高畑のこの発言には、ネット上でいろいろな疑問が提示されている。当時の受験事情を考えれば、私もまた高畑発言は到底「信じられない」と感じる。まず、当時の国立大学と私立大学の格差は現在よりもずっと大きく、国立一期校であるお茶の水女子大学に合格した人が、滑り止めで受けた早稲田、慶応などの私立大学に行くことなど考えられなかった。国立大学は少数精鋭の本格的教育研究の場、私立大学はマスプロ教育で、サラリーマンの大量養成所という感覚だった。私立大の授業料が国立の8~10倍もした(現在は3倍程度)のだから、国立大学の”価値”は相対的に高かった。ましてや、桐朋短大演劇科の授業料は四年制私立大学の三年間分の学費と匹敵するほど高額だったはずだ。四国から受験で上京するとき、交通費、滞在費だけでも相当なおカネがかかったはず。さらに学費や生活費を考えれば、何故、”合格”したお茶ノ水女子大に行かないのかと疑問に思うのは当然だ。
 
当時のお茶の水女子大は、優秀な女子生徒のあこがれの大学であった。女性の大学進学率が低かったから、現在のように優秀な女子高生が東大などの旧帝大を受験するケースは少なかった。言ってみれば、全国の女子高校生の最優秀部分は、東大を合格する実力があっても、お茶の水を志望する人が多かった。それほどの大学を「演劇をやりたい」という理由だけで「棄てる」などとは、よほどのことがなければ考えにくい。「演劇」という分野は、技術的に演技を教わることなどよりも、幅広い教養や実体験から上達するものだろうから、お茶の水女子大で学びながら、演劇に関わることも十分可能だったはずだ。母校である県立高松高校の進路指導主任も「お茶の水に行ってから進路を考えなさい」と諭したはずだ。彼女の話が本当だとすればだが…。

 また、素朴な疑問として、入学金・授業料の納付時期の問題がある。当時は、一度に払い込んだ入学金・授業料は、入学を辞退しても返還されなかった。合格発表と入学金・授業料の納付時期は、①短大、②早慶以外の私大(この場合、津田塾、東女)、③早慶、④国立(この場合、お茶の水女子大)の順だっただろう。学力優秀だったという彼女が、何故、こんな大学の選び方をしたのか、実に不可解だ。上述の「学校に指示されて受験したお茶の水、早稲田、慶応、津田塾、東女にはすべて合格しましたという彼女の発言がそのとおりだとすれば、県立高松高校の「指示」とはどういう根拠(データ)に基づいて行われたのか、疑問に思えてくる。
 国立二期校の存在に触れていないことも理解に苦しむ。当時、地元の香川大学や愛媛大学は二期校だったはずで、そこは受けるつもりなどなかったということか。
 
 私の友人は、大学紛争の影響で、滑り止めに受けた弱小私大に行く羽目になり、いい歳になった今でも、時折悪い夢を見るという。彼は「もうひとつ受かっていたK大学に行っていれば、ここまでこんなイヤな目に合わなかっただろう」と回顧している。学歴とはそこまで尾を引くものなのだ。

 私の感想は、高畑淳子という人は、エキセントリックな性格で、虚言癖の傾向もある、ということ。還暦を越えてまで、「受かったけど行かなかった大学」を並び立てるのは、よほどのトラウマと隠された事情があるに違いない。
 
 

 


秋空の横浜を散歩

2016年09月05日 20時16分36秒 | 散歩

 二か月ぶりに横浜山下公園界隈を散歩。東の空には入道雲、それ以外は秋の筋雲。季節の移り変わりがはっきりと表われていた。
 山下公園には、中国人観光客の姿も。若い人ばかりのグループは、服装も洗練され、おしゃれな感じ。上海や北京から来た若者たちか。(下記写真参照)

 今日は30度を超えて、厳しい残暑だったが、暑さはもうこれで峠を越えたようだ。秋の大空がそのことを物語っていた。

 


 


「中国の論理 歴史から解き明かす」(岡本隆司)を読む

2016年09月03日 23時37分15秒 | 

 最新刊の「中国の論理 歴史から解き明かす」(岡本隆司著 中公新書)を読む。
  
 筆者の「あとがき」によれば、「世はただいま”嫌中”一色。中国の悪口を書かないと売れない」「中国本はそれなりに売れても、中国学を尊重する人びとは減少の一途」だという。「筆者だって、中国・中国人が好きか、嫌いか、と聞かれれば、嫌いだ、と答えるだろう。しかしおもしろいか、つまらないかと聞かれれば、答えは断然、前者である。」と。

 中国に関する入門書は、これまで数え切れないほど書かれてきた。「日中友好」が全盛の頃には、主に「新中国」にスポットを当て、中国共産党の歴史観を肯定的に描く本が多数だったが、今や「伝統中国」の「構造」を分析する本書のような本が主流になった。
 その本書の内容は、次のとおり。

1 史学
 ① 儒教とは何か
 ② 史学の起源
 ③ 史学の枠組み
 ④ 史書のスタイル

2 社会と政治
 ① エリートの枠組
 ② 貴族制
 ③ 科挙体制

3 世界観と世界秩序
 ① 「天下」という世界
 ② 「東アジア世界」の形成
 ③ 「華夷一家」の名実

4 近代の到来
 ① 「西洋の衝撃」と中国の反応
 ② 変革の胎動
 ③ 梁啓超

5 「革命」の世紀
 ① あとをつぐもの
 ② 毛沢東
 ③ 「改革開放」の歴史的位置

 注目すべきは、梁啓超を採りあげて、日本が中国の近代化に与えた多大な影響を明記していること。今どきの類書では普通なのかも知れないが、往年の入門書はこの点については曖昧に書かれていた。つまり、左翼系の学者にとっては、「新中国」こそが日本より進んだ「心の祖国」であって、その近代化が日本の影響下にあったとは言いたくなかったのだろう。例外的に、岡田英弘氏はつとにこのことを指摘していたが、左翼主流の歴史学界では、異端視されてきた。

 「一つの中国」という強迫観念の由来、華夷秩序の構造など、中国という国家の論理を理解するための基本情報はすべて盛り込まれている。